夏の梅の子ども*   作:マイロ

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――「ひとりじゃないよ」


言える言えない

 ちょっと居づらい空気が流れる。

 そうしたのは、夏梅だけれども。

 

「……耳の痛い話だ。先ほどは私が読み間違えた。済まない、みんな」

「そんな、太宰さん」

 

 その人の声が、周りの人の声が聞こえたが、だんまりを決め込む夏梅は、くるりと皆に背を向けた。中島によって地面を転がされた際に、汚れた背中や、肩を手で払う。ちりちりと手の平が痛んだ。切り口にばい菌が入ったのかもしれない。そんなのも、どうでもいい。

 ぎゅっと手のひらに爪を立てて握りしめた。

 

「な、夏梅くん……」

 

 深呼吸して、表情を作る。

 振り返るには、気持ちの整理が必要だった。振り返れば、そこにはたった今、夏梅が平手で打った太宰も視界に入ってしまう。乱暴なところを見せてしまったふたりの事務員もいる。汚れを払った手をはたく動作をゆっくりとして、最後に気持ちを落ち着かせて、振り向いた。

 

 心配そうな、春野と谷崎妹の顔が夏梅の方へ向けられている。足が震えそうになる。いつもは、“いい子”と頭を撫でてくれるふたりに、今どんな顔をすればいいのかわからなかった。

 

 それでも、声をかけてくれた春野を無視するなんてできない。

 何の心の準備も整わないまま、夏梅はわずかな震えが止まらない両手を、背中に回して、握り込む。

 

 ここには、太宰だっている。

 顎をあげ、表情を見えにくくさせた。誰にも夏梅の内面なんてのぞかせない。

 ああ、もしかしたら、今の夏梅はとても冷淡に見えるのかも。でも、そうであってもいい。いいや、そうであれ。

 

「ここにいても、埒があきません。春野さんとナオミさんを安全な場所へ案内してください」

「え、夏梅くんは?」

「僕は、他に遣ることがあるので…………ちょっと、やっぱり、頭も冷やしたいし、ね」

 

 目を伏せて、言葉の後半は自分用に、小声で呟く。ため息をつく。ため息をつけるような立場じゃないかもしれないけれども、徒労感が酷かった。誰にも理解されない。でも、誰に頼ることでもない。

 

 目頭が熱くなりそうになるのを、首を振ってごまかす。誰に、頼ることでもない。

 

「やることって」

「……言えないんです。ごめんなさい」

 

 太宰には偉そうなことを言ったが、この危機に、行動の内容をいえない夏梅のほうこそ、悪いだろう。よく他人(ひと)にいえたものだなあ、と自分をなじる。

 顔を洗いたい。汗でべたつく額や首が不快だった。

 

 握りしめた指はとても冷たく感じた。

 

 息がしづらく感じた。ここにいたくない。

 俯いて、髪で顔が隠れるようにして、乱れる息をごまかす。

 

 それじゃ、といって駅を後にしようと歩き出す。

 

「――夏梅さん、お気をつけて」

「私からも。夏梅くん。ここまで助けに来てくださってとても嬉しかったです」

 

「あ……」

 

 背中から言葉を投げかけられ、思わず取り繕わない顔で、二人を見た。

 優しい顔で、微笑んでいた。

 

「行ってくださいな。私たちはもう大丈夫ですから。太宰さんも、敦さんもいますもの。それと遠くからでも兄様が私を守ってくれますわ」

 

 

 

 その言葉に夏梅はばっと顔をあげ――絶望した。

 

 

 ……なんで受け入れるんだ。

 

 

 

 

 夏梅はその笑顔から逃げ出したかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走って走って走ったら、自分が無くなってくれる気がした。だから、走って走ったら――呼び止める声がした。

 

「なあ、おいっ 夏梅か?」

 

 振り返ってはいけないはずだった。でも、そんなことを気に掛ける余裕はなくて、振り返ってしまった。見知った顔だった。同じ高校生として過ごした、一番の仲良しの安井だった。どうしてここに、と思ったが、そういえば、ここは横浜だった。偶然、すれ違った、今ここで、この場で――?

 偶然、というものに過敏になっている夏梅は、ごくりと喉を鳴らし、こわばった顔で安井の顔を見上げた。

 

 すると、安井の方は夏梅の顔がよく見えるようになったのだろう。顔に、落胆の色を見せつつも、どこか好奇心をそそられた様な、決して暗いばかりではない表情を浮かべる。

 

「じゃ、ないか。でも、すげえ似てんな。……なあ、もしかして織田夏梅の兄弟じゃないか?」

 

「う――うん」

 

 思いがけない再会で、思いもかけない言葉を投げかけられる。

 前の姿の夏梅と、今の姿の夏梅と兄弟、という?

 

「えっと」

 

 いや、夏梅はひとりだけどな、と思ったが、さすがに口にしはしない。

 

 代わりに何と言ったものかと、視線をさまよわせていると、あることを思い出す。それは、例の寝台列車の騒動の際に、神西が話したことだ。夏梅の学校で、不登校の生徒が出ていたこと。もうその高校へは通えなくなったが、きっと安井はそこの様子を探るときに必要になって来る、はず。

 

「僕は……夏梅…お、お兄さん?の…えっと、お、弟だよ?」

「やっぱりか! ……それにしてもそっくりだな。名前なんて言うんだ? あ、俺は安井浩二(こうじ)

 

 浩二っていうんだ、と思った。知らなかった。

 ちょっと肩の力が抜けて、夏梅は学校の時の自分が顔を出した。

 

「僕は、中村…えっと、カズ……カズ、キっていいます」

「中村? 苗字違うんだな?」

 

 咄嗟に母の名前である『和枝(カズエ)』をもじって名乗った。そこには突っ込まれなかったが、そういえば、苗字が違うことをとんと忘れてしまっていた。探偵社ではいつも夏梅と呼ばれるし、瀬戸では中村家で過ごしていたから、言われても中村の坊ちゃんといわれるぐらいで、織田という姓である自覚が無くなっていた。

 

「あ、えっと、それは」

 

「そういえば、夏梅から弟の話なんて聞いたことがないような……悪りぃ。言いにくければ無理に言わなくていいから」

 

 安井が坊主頭を掻きながら、続ける。

 

「無神経なこと聞いたな、会ったばっかなのにさ。悪かった。よく言われるんだ、無神経だって――そん時は気ぃ使い過ぎだって思ってたけど、その通りだったかも」

 

 それは二谷にだろうか。二谷な気がする。

 今の夏梅には聞けない話題だ。

 

「ああ……えっと……」

 

 無理に話さなくともいいと安井はいったが。しかし、他人様に言えない話なんて、余計に気になってしまうのが世の常だろう。そうでない人もいるのはわかっているが、どこから変な噂が広まるかわかったものではない。

 何もないのに気にされると変なことになってしまうかも。

 

 ――たとえば、母のように。

 

 

「僕は、えー…そうっ おとうさんとおかあさんが離婚しちゃってて」

 

 ――してないけど。

 頭を必死に回しながら、焦りに口がぺらぺらと動く。

 

「小さい頃に別れちゃったんだけど、えっと」

 

 ……本当にこれは自分の口なのだろうか。

 

「僕の……あえっとお兄さんのほうは……えー、おとうさんについて行ってて、僕はおかあさんに引き取られたんだ!」

 

 母は既に他界している。……ここは母方の家にしておけばまだよかっただろうか。祖父に引き取られたことにして……いや、しかし。初対面の人に、母が亡くなっている話などするだろうか。

 ここはこれで一応正解だ、たぶん、きっと。

 

 万が一、再び、弟でもなんでもない、高校時代を共に過ごした夏梅として安井に会うことがあったとして。母は亡くなっているということが知れても、初めて会った人にすべての事情を話しづらかったんだよ、と言い訳をすればいい。

 

 頭がくるくると言い訳作りのために回る。

 その反面、この思考は余計な事なのではとも思う。本当に心配すべきところを見落としているような、いないような。……だいじょうぶだろうか。

 

「お、おお、なんかやけに力入ってんな」

 

「えっ」

 

 安井の言葉に、冷や水をかけられたような気分になる。

 せっかく頑張って説明したのに。

 

「あ、いや、突っ込んだ話聞いて悪りぃ。カズキとは今日会ったばかりの知らないやつなのに――いや、カズキ。お前ちょっと危機感なさすぎないか? 知らないやつについて行くなよ? お菓子貰ったりするなよ?」

 

「しないよ!」

 

 安井は目を丸くして、噴き出した。

 

「なんかそういうとこ、夏梅そっくりなんだな」

 

 うっと詰まった夏梅は、あははとごまかし笑いする。

 カズキといわれて頭の中で一瞬、疑問符が量産されたが、自分の偽名かと気づいた。

 

「でも、兄貴より滑舌がいいな」

 

 それはきっと今回の異能力による身体への変化が、以前よりも最適化されたからだろう。

 

 ぽんと頭に手を乗せられた。

 その瞬間、共に過ごした数か月の高校生活が想起された。

 懐かしい、と思うのは、手が届かなくなってからだ。

 

 物が言えない夏梅を前に、かつての学友は、目を細めて零した。

 

「ああ、夏梅にそっくりな髪だな」

 

 ぐっと唇をかみしめた。

 何かが口から洩れそうになった。

 

「なあ、あいつ、元気にしてる? 突然、転校だっていうからさ。連絡もなしに、なんか事故とか事件に巻き込まれてないか心配でさ」

「…。……うん」

 

 友人は長身で、夏梅は小さくなった。夏梅が変化して、目線が変わって。

 でも。友人が人と話すとき、少しうつむきがちなところはそのままだった。

 見たことがなかったポロシャツの私服姿で。

 

 どうしてだろう。

 

「また、兄貴に会うことあったら、ひとつ言っといてくれよ。なんかごたついてるんなら、それが終わってからでいいから、連絡寄越せって。学校違っただけで友達じゃなくなったーなんて抜かしてたら、ふざけんなってな」

「……うん」

 

 心配をかけていたんだと。

 こんなにも、心配してくれる人がいたのだと。

 一方的に、ああ、関係は終わったのだと夏梅が思ったのさえ、見透かされていて、喉の奥が苦しくなった。

 しめっぽくなる声をなんとか普通に聞こえるように努力して、夏梅は顔をあげた。

 

「ぜったい伝えるから」

 

 おうっと安井は明朗に笑った。

 連絡先を交換しようとするのを、夏梅に聞くから(変な話だ)といって、その場を去った。安井は手を振ってくれていた。わざわざ足を止めてまで。

 夏梅も大きく手を振り返した。

 また会える。違った関係でも築いていけるのだと、教えられたようだ。

 

 今度はとぼとぼと下を向いて歩く。

 自分がどこを歩いているのか、どこにいるのか、確かめるように、足元を見た。

 夏梅の足は、小さい。でも、本当よりは大きい。

 

 自信なさそうに一歩一歩踏み出す。当てなんてなくて、こっちだよと教えてくれる人もいなかったけれど。

 

 そう。そうだった。

 

 本当は、嘘だった。建前だったのだ。

 学校の不登校になっている生徒の実態について知るために安井を相手にすると頭で考えたこと。それは一番、夏梅がわかっている。――横浜へ来て、初めて学校に通った。まったく解らない授業、みんなで座ってノートをとること、静かにすること、その時の流れで、友達と話をしてても怒られない時がまれにあること。勉強はわからなかった。難しいというより、未知の内容だった。でも、何もかもが新鮮だった。そんななかで、安井は、そこでできた夏梅の初めての友だちだった。

 

「ひとりじゃないよ」

 

 自分に向けて言う。自分で考えて行動をするようになって、はじめて自分が孤独だということを強く感じるようになった。疎外感、不安、焦燥、苛立ち……。太宰に吐き捨てた言葉も、平手も、夏梅の心にゆとりがあれば、そこまでしなかったかもしれない。

 事務員の二人に対しても、もっと気遣ってあげられたかもしれない。

 

 ひとり蹲る中島に、どこか自分が傍にいられると感じたのではないか。

 

 ぎりぎりの気持ちになるように追い詰められ、走らされ、選択を迫られ、窮地に置かれて。たった、一度きり。バスで同乗した、花束を持っていた(、、、、、、、)黒髪の男の人に、どうしてこれほど執拗に狙われるのかわからないまま、夏梅は数時間を一人で逃げた。母の形見であるトランクを抱えて。その後だったから、余裕がなかったから、誰にも相談できなかったから、ずっとずっと怖かった。

 平穏だった時間を共に過ごした人と再会して、思い出した。

 

 一人ではなかった。

 

 たとえ、父にも言えないことがあったとしても。

 自分には、誰かが傍にいてくれた時間があった。

 

「ありがとう、安井」

 

 でも、この呼び方は、これからの関係にはそぐわない。

 

「浩二お兄さん、かな?」

 

 その響きが耳慣れなくて思わず笑うと、轟音が聞こえた。

 自動車の事故だろうか。びくついた肩を自分で宥めて、つま先をそちらへ向ける。

 なんだか、嫌な予感がして、夏梅は走った。

 

 さっきまでのがむしゃらなものとは違う。一歩踏み出した時点でわかった。

 夏梅はここにいる。

 

 人通りの少ないところで、夏梅は、車へ突っ込んだ形の状況を目の当たりにする。煙が出ている。赤い血がフロントガラスに散っている。

 

 慌てて駆け寄った。さきほどは夏梅の持ち物だと知っている安井のため、出せなかったスマホを片手に、救急車を呼びながら、ドアに近づいた。

 

「大丈夫ですかっ」

 

 近づいて、言おうとした言葉が途切れ、スマホが手から滑り落ちる。

 

「太宰さん……? なんで」

『夏梅く、んか。どうしてここに』

 

 窓ガラスが閉まっているために、太宰が口を動かしているが何を言ったのか聞き取れない。それは向こうも同じことだろう。

 夏梅は、ドアを開こうとした。

 開かない。鍵がかかっている。当然だ。

 

「太宰さん、鍵を開けて」

 

 のろのろと動いて、鍵を開けてもらった。ドアを開くと、太宰を引っ張り出す。

 その奥の運転席で、呻く男の人を見つけた。そちらはもっとひどい有り様だ。

 

「太宰さん、そこにあるスマホで救急車呼んでて」

 

 夏梅は、運転席の人のシートベルトを解いて、腕の下に体を滑り込ませて、片腕を担ぐ。できるだけ、振動させないように慎重に移動する。

 落ちた眼鏡を拾い上げて、車の外へ連れ出した。

 夏梅は自分の上着を脱いで、地面に敷き、その上に男の人を寝かせた。

 

「呼んだよ。ありがとう、助かった」

「……ちょうど通りがかっただけなので。でも、この人は誰ですか?」

 

 太宰を前にして、いくら気持ちが切り替わったとしても、さきほどの夏梅の行動が消えるわけではない。ひんやりと頭の奥が冴えてきて、硬い敬語になる。

 

「……昔馴染みかな」

「ふうん。友達なんですか?」

 

 答えを求めたわけではない。だから太宰が口をつぐんでも、気にしなかった。

 

 ……ただ、さっきの平手のことを怒っているのかなあと思うだけで。――嘘だ。やっぱり夏梅は気にしている。でも、謝るのはきっと違う。謝って許してもらえたとして、夏梅が伝えたかったことをなかったことにするのは嫌だった。だって、本当に、それが嫌なことだったから。

 

 それだったら、夏梅が罪悪感を抱えたままでもいい。苦しくても、謝って終わりにしたくない。謝ったら、負けたような気がする。前はそれでもよかったけど、今はダメだと感じた。だから、謝らない。

 

 夏梅は眼鏡を折りたたんで、男の人の胸に置いた。

 ちょっと考えて、両手を組ませて、同じように体の上に置いた。

 

 ぐふぷ、と頭上から妙な音がして見上げた。

 太宰が口元を押さえていた。

 

「き、聞いてもいいかな?」

「――なんですか?」

 

 夏梅が今何によって動いているのか聞かれると思った。

 偶然にしても、こうして会ってしまうなんて運が悪い。

 言われるだろう質問を覚悟して待っていると、

 

「それはどういう言う意味でやったのかな?」

 

 要領を得ない問いだった。

 

「――はい?」

 

 なにがだろう、そんな疑問が顔に出たのか、太宰は、真面目な顔になって再び口を開く。太宰は、意識を失った、体の前で手を組んで横にした負傷者を指さして、可笑しなことを言った。

 

「彼、まだ死んでないよ?」

「知ってますよ?」

 

 何言っているんだ、とその顔を見上げる。

 

「……」

「……」

 

 奇妙な沈黙が流れる――流れていることに気付いて、はっと夏梅は口を開く。

 

「え、なに?」

「何がだい?」

 

 間髪入れない訊き返し。

 何が何で何を……?

 

「え、なんだろう……?」

 

 しばらく両者見合って、相手からの答えを待つ。

 しかし、相手の目を覗き込むと、その答えは出てこないだろうということがわかるばかりだった。お互いに混乱した眼差しで見つめあった末に、それぞれが望んだ答えが得られるとは到底思えない。

 悟って早々に、夏梅は半眼になる。

 太宰は真顔でふむと頷く。

 

「あ、あなたたち……」

 

 ばっと夏梅は振り向き、太宰は頭の後ろで腕を組んで暢気に見下ろした。

 同じ車に乗っていた同乗者に対する配慮とは思えない。

 果たして、この人に赤い血は流れているのだろうか。

 

 夏梅のほうがよほど甲斐甲斐しく、中腰になって負傷者へと問いかけた。

 

「あの、だいじょうぶですか?」

「こ、れが、大丈夫に、見えますか?」

「うーん………見えない?」

 

 頭からはぶしゃーと血が流れた跡がある。

 顔色が悪い。というか、普通に良くない状態だと分かる。

 なぜこんなことを聞くのかと怪訝に思いながら答えた。

 

「いやいや――なぜ疑問形なんです? 全然大丈夫じゃありませんよ! 運転席めがけて法定速度かそれ以上の速さで車が突っ込んできたんですよ? 右脚はピクリとも動きませんし!」

 

 夏梅としては、例えば全身から血を流してさらに胸から包丁を生やした重傷者が自ら他の人に、『私が無事に見えるか!』と至極決まりきった問いかけをするような状況に面食らっているだけなのだが。

 答えは――。

 

「えと、大丈夫じゃないの、見たらわかりますよ? 頭から血が出てるし、ほっぺたに青あざできてるし、指の関節は赤くなっててちょっと肉が見えてるし、脚も曲がってる方向ちょっとおかしいし……あ、あと、救急車は呼びました、太宰さんが。希望を持って待っててください」

 

 でも、意外と元気そうだなと傍らにひざをつく。ああそうだ、気が付いたのならば、眼鏡をかけさせてあげよう。

 夏梅は親切心をはたらかせて、恭しく眼鏡をかけさせた、「あ、どうも」

 

「って。救急車呼んでくださったの、貴方じゃないんですね。というか、そんなに詳細に言わなくていいんですよ! うう、急に痛みが……あなたたちは! こんな怪我人放っておいて一体何なんなのです!」

「私は同じ怪我人だしね~。まあ、怪我の度合いは異なるけどもね? 日頃の行いのおかげかな?」

「貴方の日頃の行いでそれなら、私は無傷どころか、連日の激務の疲労も回復してなきゃ可笑しいですね」

 

 嘯く太宰はともかくとして、つまり、負傷者を放っておくのが良くないと当人は言いたいのだろう。――道理である。

 相手がいくら元気そうな怪我人であろうとも。

 

「あ、ごめんなさい。ぼく、おじさんの傍にいるよ!」

 

 

 重傷の方の怪我人が顔をひきつらせた。

 傷が痛むのだろうか。痛くないはずはないけれど。

 だが、口からでたのはうめき声ではなかった。

 

「お、おじっ」

 

「あ、安吾がおじさんだって、おじさんんん!」

 

 お兄さんの方が良かったかな、とちょっと反省する。

 でも、三歳児からしたら、父と同じくらいの年代の人はみな「おじさん」枠なのだ。見逃してほしい。しかし、江戸川はその範疇ではない。

 

 夏梅は、この微妙に愉快な負傷者に付き合いながらも、もやもやとした気持ちを抱えたままだった。――途中で、莫迦らしくもなったけれど。

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