夏の梅の子ども*   作:マイロ

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まさかたまさか

 江戸川に計画の段取りを指示され、細かい内容を詰めていくために社員たちは場所を移動することになった。いつもの会議室には、人数分の椅子と飲み物、資料が用意されてあり、一席には既に座っている者もいた。

 黒髪の蓬髪、『首』という字が使われる体の部位には白い包帯が巻かれており、とても痛々しく感じる。夏梅は、父と一緒に、あれはどうして傷ついたものなのだろうと話し合ったりした。結果、父が直接、本人に尋ねて持ち帰った内容によると、どじっ子かな、という結論を夏梅に下させていたが、父はまた違った結論を持っているようだった。

 

「太宰いいいい!」

 

 国木田が弾丸のようにすっと飛んで行って、太宰の襟首を絞める。

 振り子のようにぐらぐらと揺れる首を仰向けて、太宰は血の気の引いた顔でにこやかに微笑する。

 夏梅は時々、父の、この友人の神経を疑う。きっと常人ではありえない、感覚の持ち主に違いない。

 

「御機嫌よう、諸君」

 

 イー天気だねえ、と話し続けるので、夏梅は今日の天気を思い浮かべた。生憎とこの部屋には窓はないのだ。

 しかし、じっくりと思い返す間もなく他のメンバーは次々に席についていくので、夏梅も父を引き連れてその隣に座った。

 

「御機嫌よう、ではないわ! 何、この大事に堂々と遅刻している!」

「誤解だよ、国木田くん。私はこれらの資料をまとめていたのさ! ね! 春野さん!」

 

 大叔父と共に会議室に入ってくる春野へと声をかける太宰。

 大叔父のために椅子を引いた春野が、太宰へ向けてにこりと微笑む。

 

「はい。昨晩からわたしがナオミさんと印刷したものを、太宰さんが先ほど五分前に来て、全員分の資料と予備、合わせて12部をホッチキスで留めてくださいました。その後、わたしとナオミさんでお茶をご用意し、太宰さんには席に座っていただきました」

「ほらあ!」

 

 得意げに太宰は襟首をつかむ国木田を振り仰ぐ。

 夏梅は春野の説明を聞き、太宰が邪魔になっているのではと思ったが口にしないでおいた。

 黙っていてよかったと思う。

 

「何が、ほらあ、だ! 戯け! しっかり邪魔になっているではないか!」

 

 同じことを国木田が云ったので、二度手間は防がれたと思う。

 会議は、こうして国木田の怒号のような悲鳴、あるいは悲鳴のような怒号によって開会した。

 

 

 

 

 

 全員が席に着くと、いるはずの人がいないことを再確認させられる。中島と鏡花の席は空だ。誰もがその場所を確認する。

 

「計画を練る前に、一つ私から情報を提供させてもらいたい」

「なんだ、太宰。最初から貴様が建設的なことを云うとは珍しいな」

「私だって今回の件は、苦々しく思っているとも。……小さな友人に、平手を貰ってしまったからね」

 

 びくりと肩を揺らすと、太宰が片目をつぶって寄越してきた。

 怒っては……ないようだった。それにしても、友人? ちょっと夏梅は戸惑った。

 嬉しくないとは云えば嘘だった。けれども、なんだか落ち着かない気持ちだった。

 

 国木田が訝し気な声でオウム返しに云う。

 

(ちい)さな友人……? まさか妖精とでもいうつもりはないだろうな」

 

「きみは本当に浪漫人(ロマンチスト)だね、国木田くん! だが、冗談ではないのさ。実は、こう見えて今回の私はかなり本気だよ?」

 

 また沸騰しそうな国木田を、ひきつった顔で谷崎兄が宥めに入る。谷崎妹はにこにことそれを見守っているし、与謝野は欠伸をしている。江戸川の席にはどっさりと駄菓子が積み重ねられて、それを物色している。宮沢は椅子の後ろ脚でバランスをとっていた。大叔父は眠っているように目を閉じ、春野はその後ろに柔和に微笑んで控えていた。中島と鏡花が居たら、きっと夏梅と同じように戸惑っていたかもしれない。

 

 父は――まったりと緑茶を啜っている。太宰は、父の友人だ。夏梅が友人だと言われると、認められたような気がしてじわじわと嬉しくなる。けれど、やっぱり太宰の友人は父だ。それが一番しっくりくる。うん、それがいい。

 

 夏梅は、父を観察することにした。

 

「美味いな。こういう味がするんだな、あの抹茶」

「え、お土産のお茶なの、これ?」

「らしいぞ」

 

 再び、父が茶を啜る。春野か谷崎妹と話でもしたのだろうか。父は事務員からの頼みごとを良く引き受けるので、何気に仲がいいようなのだ。

 湯呑を口から離すと、しみじみという。

 

「お前のお爺さまも、このくらい淹れられたらいいんだが。あのお味も、頭の芯が痺れるような感覚が新鮮だったが」

「それは、頭の芯まで痺れるような苦さっていうのが本当のところなんじゃないかな。……もう、正直(まさなお)のお爺さんは、淹れてもらう側の人なんだから腕前なんて()らないのにね」

「たった一人の孫だから、手ずから()れてやりたかったのだろう」

 

 片目を開けた父が、夏梅の方を視てくる。

 

「お前のことだぞ、夏梅(なつめ)

 

 夏梅は湯呑に手を伸ばして、ふうと息を吹きかけた。

 進まない会議に、絶対的なひと声が投げかけられる。

 

「それで、情報とはなんだ、太宰」

 

 襟首を掴まれていた太宰は、ふっと笑った。……笑ったのだと思う。でも、それはとても暗い目をしていて、恰も二つの洞があるように見えた。

 

「……太宰はなんだか機嫌が悪いみたいだな」

「そうみたい」

 

 父は片目で周りを順繰りに見ていきながら、肩を傾け、夏梅へと小さい声で話しかけてくる。夏梅も頭を父の方へ寄せて相槌を打った。

 

 夏梅は揺れる湯呑の中を見下ろしながら、中島と鏡花のことを思い出していた。孰れも人質であり、かかっているのは人命だ。しかし、母の絵は、人ではない。誰かの命にかかわってくるようなものでもない。江戸川は物質(ものじち)といって表現してくれた。しかし、他の誰が見ても、それは絵画という物質(ぶっしつ)だ。

 

「ね、お父さん」

「なんだ」

「絵ってね、紙と絵の具でできてるよね」

「そうだな」

「紙ってね、植物からできてるんだよね」

 

 父は少し考えてから頷いた、「そうだな」

 

「絵の具も植物とか、虫とか、鉱物とか、あと動物からもつくられてるんだよね」

「そうなのか?」

「お母さんが云ってた」

 

 父はそうか、と頷いた。

 それに夏梅はちょっと笑った。ちょっとしたやり取りだ。けれども、夏梅にとっては大切なことなのだ。こうして、生きていた母の傍で見聞きしたことを、何も知らない父に伝えられることが。

 

 人は、価値を比べたがる生き物だと夏梅は思う。

 鉛筆と命なら、命をとる。

 動物の命と人間の命なら、人間の命をとる。

 

 人間の命であっても、その人間によって尊さを決めたがる。

 例えば、権力があるかどうか、世界に大きな影響を与えられる才能があるかどうか、お金があるかどうか、健康であるかどうか、性格が良いかどうか、周囲の人に願われる人であるかどうか。

 

 例えば、自分の天職か画家か小説家と信じている人が鉛筆を捨てられるだろうか。

 例えば、肉親が生きていたとしても、そのすべてに捨てられた人が、唯一心を開ける飼い犬を、捨てられるだろうか。

 

 命と天秤にかけたとき、その人にとっての命と同等かそれ以上の物が、他の人にとっての何の価値もないものに見えるかもしれない。……でも、それは他の人にとっては理解できないものだ。

 

 だから、探偵社の仲間の命と、ただの絵とを同等に扱われる筈がない。……傍から見ればそうだ。夏梅にとっては替えの利かない、一度失ってしまえば二度と戻らない、母の遺作だ。父にとって、母を知ることができる大切な、かけがえのない依代だ。これからどれだけ時間が経とうとも、減ることはあっても増えることはない。

 

 でも、それは周りからしてみれば、ただの絵なのだ。

 この一大事に、たかが絵の一枚や二枚、三枚や四枚、幾らでも喪失したところで、人の命には代えられない――そう云われても不思議ではないのに。

 

 絵なんか大したものではない、と。

 

「そう云われると思ってたから……」

 

 

 夏梅は、誰にも云えなかった。俯いた夏梅の頭に、馴染んだ手のひらが乗せられる。

 夏梅はしばらくうつむいたままでいた。

 

 

 

 

 泉鏡花の身柄についての交渉は、既に昨日の時点で進行中だったらしい。太宰と谷崎とでその準備段階を済ませたという。後は、時期を見計らい、与謝野の異能力の行使を交渉材料として、取引するらしい。そして、中島敦については――

 

 

「敦君なら問題ない。きっと、脱出する」

 

 太宰の言葉が耳に届く。その言葉は確信的で、少なくとも、夏梅には中島への信頼感とは別に、何がしかの根拠を持ってそう言っているように感じられた。

 

 中島は、夏梅があの駅から離れたあと、事務員を傷つけかけたことで自分を信じられなくなり、谷崎と国木田に任せて、頭を冷やすと言って一人で出かけたのだという。そこで、何やらひと悶着あったようだ。敵のギルドのメンバーが、ポートマフィアの芥川により、殲滅されるところに居合わせ、ポートマフィア、ギルド、探偵社のメンバーが抗争するという悪夢のような場面を、鏡花の参入により命からがら抜け出した。結果、ギルドの船にいた構成員は散開したというが、追い詰められたギルドは、奸計により、中島と鏡花の二人を罠にはめた、と。

 

「それが昨日一日の間に起こったのか?」

 

 父が淡々とした口調ながらも、不可解そうな表情で言った。

 

 船のギルドの構成員が殲滅されかけたその日のうちに、鏡花と中島がギルドの仕掛けた罠にはまり、鏡花と中島が捕らわれたその日のうちに、太宰らは対策のための行動を起こした……。

 

「実は、リークがあったんだよ、織田作。それは、さっき乱歩さんが言っていた、みっつめの物質(ものじち)に関わっていた、組織からのものでね。……奴ら、余程この横浜を愉快な遊び場にしたいらしい」

 

 太宰の言葉を引き継ぐようにして、江戸川が結論を簡潔にまとめ上げる。

 口からはみ出した酢昆布を口内に放り込みながら。

 

「まあ、敵組織が、二つから三つになったってだけの話。探偵社(ウチ)がやるべきことをキミらに分かり易く云ってやると、敦君を取り返し、鏡花ちゃんを救出し、夏梅君の母上の絵画を展覧会まで保護すること。以上だ」

 

「展覧会まで?」

 

 有り難いがいいのだろうかと夏梅は眉を提げて江戸川を見上げた。

 

「奴らの目的は、絵画自体ではなく………」

 

 江戸川の視線が、夏梅の隣へと移る。

 

「まあ、守れたらいいのさ。僕の言うとおりにしてたら間違いない!」

「………乱歩さんが云うなら?」

 

 夏梅は頷いた。父の方をうかがうと、どこかぼんやりしている気がして腕を引く。

 すると、我に返った顔をする。目を開けたまま、眠っていたのだろうか?

 

「……ここで、注意すべきはポートマフィアの『Q(キュー)』だ。奴の異能力は凶悪だ。ポートマフィアが手綱を引いて、我々かギルドのメンバーを狙うのならまだいいが、『Q』が単独行動をとり横浜の市民に異能の力を振るったり、万が一『Q』の能力がギルドの手に渡ったりすれば、その被害は甚大なものになる」

 

「その異能力はどんなものなんだ?」

 

 夢から醒めたような顔をしていた父が、ふと不思議そうに尋ねる。

 太宰は、顎を引いて、目を閉じる。

 

「異能の中でも最も忌み嫌われている“精神操作”の異能力だよ。『Q』を傷つけた相手を呪うのさ。呪いの発動は、持っている人形を破壊されること。どういった状態になるかは……敦君がいたら説明してくれただろうけど、つまりは幻覚を見せて発狂させるんだ。そして敵味方関係なく襲わせる」

 

「ん、敵味方関係なく、だと――?」

 

 国木田が反応する。

 そう、と太宰は頷く。

 

「ポートマフィアも手を焼いて、長年座敷牢に閉じ込めていたんだが、よっぽど切羽詰まっていると見える。とうとうあれ(Q)まで解放してしまうなんて」

 

「相当な脅威であることは理解できた。ポートマフィアの『Q』が、もし探偵社ではなく、ギルドだけを狙っていたとしても、放置することはできないということも。万が一というのは起こり得るからな」

 

 国木田が頭を抱えて唸る。

 

「はあ。その万が一とやらは、考えたくもないな。ポートマフィアの手にも余らせるような異能力が、ギルドの手に渡るなど……」

連中(ポートマフィア)が、しっかりと手綱を握っていることを祈るよ」

 

 太宰が閉じていた瞳を開けた。

 

「だが、探偵社として『Q』の確保ということも念頭に置かなければならない。万が一に備えてね。今後の方針については、国木田君――きみに任せるよ」

 

 太宰が片目を閉じて見せた。

 

「戯け、資料の通りだろうが」

 

 国木田が咳払いをして、資料を手に持ち、ページを繰る。夏梅もそのページを探して開くと、驚いたことに、すべてが書いてあった。国木田はその内容をなぞるように言う。

 

「泉の身柄についての目途は立っている。今後は、絵画の保護を進める。全五十八作品ある中でも、個展のために用意されたのは三十三点、うち十六点が未だに美術館に届いていない。夏梅が独自に蒐集家(コレクター)や学芸員と協力して保護できたのは、十七点。俺たちがすべきことは、敦君が捕らえられた場所から脱出するのを待ちながら、『Q』の動向を監視ししつつ、散開した絵画を保護していくこと、だ」

 

 国木田が、大叔父へと目を向ける。

 

「宜しいでしょうか、社長」

 

 大叔父は、閉じていた目を開いた。皆が立ち上がる。夏梅も遅れて立ち上がる。周りの表情を見て、そういえば、どうして与謝野が揶揄いの一つもしないのか、いつも話しかけてくれる宮沢が話しかけてこないのか、谷崎兄が内容を問いかけてこないのか、父が母の絵画が狙われていると言っても、驚きはしなかったのか。

 

 大叔父の顔のその目を見て、夏梅は解った。はじめから、こうするつもりだったのだ。

 夏梅はたった今知らされただけなのだ。

 

「これより、探偵社から奪われた三つを取り返す」

 

 夏梅の想いは見捨てられなかった。

 会いたいと思った。中島と鏡花に。そうして一緒に喜びたいと思った。探偵社は中島も鏡花も、そして夏梅も見捨てなかった。――だから、もういいと、そう思って、夏梅は微笑んで、ポケットの中のメモ紙を握りつぶした。

 

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