夏の梅の子ども*   作:マイロ

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緑の黒髪

 最後の絵を洋館の廃墟から回収し終えた夏梅と太宰は砂埃にまみれていて、双子のように咳き込んでいた。犯人もここに最後に来ることを見越していたのか、捻くれた仕掛けをしていた。凝った謎かけを解読しようと躍起になる友人と我が子に加わることができず、壁際にもたれかかって待ち――ようやく見つかった絵は二枚。これで十六枚。夏梅の絵と合わせて、合計三十三点。

 

 四日目にしてようやくの完遂だった。

 絵画蔵に預けて、やっとの解散――

 

 

 

 五日後には、亡き妻の個展が開かれる。

 中島と泉は無事なのだろうか。

 いまだ状況の進展は見られず。

 

 

 

 

 

 

✣✣ ✣ ✣✣ ✣

 

 

 

 

 横浜での住居は1LDKの一室だ。広めの居間のほかに一室あり、そこは寝室としている。友人が泊まりに来るときは、居間の細々とした家具やら転がった積木、高等教育の生物学の教本、漢字やひらがな練習の雑記、執筆用の原稿とペンなどを乗せた座卓(ローテーブル)を隅に寄せて雑魚寝したりもする。

 

 頭を拭きながら脱衣所を出ると、廊下に転々と濡れた足跡が続いているのを見つけた。足跡は、最近ようやっと見慣れるようになった大きさ――さて、犯人は誰か。

 

 腹にまで届く髪を一つに束ねつつ、肩にタオルを掛けて足跡を避けつつ辿っていく。

 

 居間へと続く扉を開けると、先に風呂からあがっていた夏梅が背伸びしていた。膝までの丈の下衣から伸びた脚は細く、日焼けはない。爪を立てるように素足をつま先立ちにさせ、食卓の上に乗せたコップに苦心して牛乳を注いでいる。毛先が触れる肩は濡れていて、頭を拭いていないのは明白だ。

 

「なつ…」

 

 言葉を掛けようにも、我が子のあまりに真剣な姿を見守ること、数十秒。結局私は黙って踵を返し、首にかけているタオルとは別に新しい物を洗面所から持ってくると、ひと段落着いたらしく満足げな夏梅の頭に被せた。

 

「ちゃんと頭を拭け。乾かさないと風邪をひくぞ」

「ひいたことないもん、風邪。……おとうさんがいつも乾かしてくれるからねー」

 

 夏梅が水の入ったグラスを手渡してくるので、片手で受け取った。

 推定、水道水。冷蔵庫にミネラルウォーターはない。

 ただ、酒盛り用のグラスに入っている。

 

「きちんと乾かさないと、お化けが背中に張り付いて風邪をひかせに来るんだぞ」

「……………そんなの嘘っぱちだよ……」

 

 夏梅は両手でコップを持ち微動だにしないまま、目だけを慌ただしく動かした。部屋の隅から隅までの影を確認する動きに、しばらく黙った後、私は冗談だと白状した。

 

「ほらー、知ってたもんね」

 

 夏梅はあははと硬い笑い声を響かせた後、沈黙――血色の戻った顔をして唇を尖らせ、ふんと鼻を鳴らす。そして、自分では一切タオルに触れないまま、コップに口をつけて豪快にあおる。当たり前のことだが、その動きに頭に被せていたタオルはずれ落ちるので――腕を伸ばして宙でつかんだ。見れば、既にぱたりぱたりと滴り落ちた水滴が床を濡らしていた。これは放っておいても夏梅に踏まれず、無事に乾くだろうか。

 私は結末の予想できない水滴の行く末より、気になることを尋ねることにした。

 

「湯上りに牛乳だなんて、どこで覚えたんだ?」

 

 零れかけたグラスに口をつけながら尋ねる。

 あまりに定番の組み合わせだが、夏梅の周囲でそんな習慣のある人物は私を含めいない筈だった。きっと誰かが教えたのだろうとは思ったが、これといってこの人物という確証は持てなかった。

 しかし、食卓の上にコップを戻した夏梅の口から出てきたのは、私のあまりよく知らない人物たちの話だった。

 

「前の学校の友だちで、背が伸びないって云ってる子がいたんだー」

「その相手は背が低かったのか?」

「僕よりちょっと低いだけだったよ」

 

 私の視線が、夏梅の頭上に行くのに気付いたのか、慌てたように付け足す。

 

「ちょっと前の僕の身長だよ!」

「お前は、それなりに背はあったんだったか。その相手はどのくらい低かったんだ?」

 

 記憶は定かではないが、夏梅は中島よりは低く、江戸川よりは高かった気がする。

 夏梅は首を傾げた。

 

「うーん、8(センチ)くらいだったかな? 女子の三谷と同じくらいだった」

「そうか……」

 

 知らない名前が増えた。どうやら今まで出てきたのは同性の友人であったようだ。異性の生徒とも交友があったのだろうということを知り、感慨深くなった。同級生だろうか。

 

「それでね、その背が低い泉田に、寝る前に牛乳飲んだらいいって安井が教えてたのを思い出したんだー」

 

 成程、と頷きかけて、私は首を傾げた。

 つまり、だ。

 

「夏梅は、背を伸ばしたいのか?」

 

 こういうと不謹慎かもしれないが、夏梅の今の身長も過去の身長も、そういった食事で何とかするよりもずっと手っ取り早く効果がある。今の姿とて、実年齢と比べれば、ずっと成長している姿だ。

 

「特には」

「……そうなのか?」

 

 明確な理由などないのだろう。私は追及をやめ、長椅子(ソファ)に腰かけ、間に夏梅を座らせた。掴んだタオルで粗方の水分を拭く。髪は長くないため、すぐにドライヤーで数分もすれば乾く。

 

「……うーん、暇だからかな。強いて云えば」

 

 夏梅はここのところ随分と忙しかったように思うのだが、本人からしてみればそうではないのかもしれない。若さ溢れる子どもと、生い先が見え始めた大人とでは、感覚が違うのかもしれない。

 

「なんか、今日お父さんと太宰さんと絵を取りに行ったけど、なんかあんまり……なんていうか、何にも起きなかった……よね? いつもああだったりするの……?」

「いや、今日が特に何もなかっただけだな。他の日は、それなりに色々あったぞ」

「どんなこと?」

 

 私は少し考えた。まず、廃楼閣(ビル)の裏口の取っ手を回した瞬間に仕掛けられていたらしい爆弾に出迎えられた――危ないところで、取っ手に触れず、太宰を外に待たせてから便所の窓から迂回し、爆弾の解除を終えるという作業だったり、絵の隠し部屋の前の屋上で待ち構えていた猟奇的殺人鬼の相手をさせられたりしたが、おおむね順調だった。

 

「順調ってなんだったっけ……? そこにいた人が、絵をとっちゃった人なの?」

 

 いや、と私は口で否定した。一見しただけで分かる。その場にいた殺人鬼は、芸術に関心を示す人間には――少なくとも絵画を好む人間には見えなかった。夏梅の協力者である、蒐集家の面々と話をすればそれは顕著に知れた。口にする言葉からして違う。それは興味深い事だった。

 

 彼らは揃って知的であり、孤独を好んでいる節がある。……子どもは好きなのかもしれない。夏梅の計画には快く協力しているようだった。

 

 これまでの段階で何度も考えたことだ。幾つもの回収場所に足を運んだが、絵を強奪した人物は影すら一向に見えてこない。どういった人物で、どういった思想の持ち主なのか、男なのか女なのか、複数犯なのか単独犯なのか。

 

「そこにいた奴は、ここ数年にわたって起きた複数の強盗、殺人に関わった犯人らしい。廃楼閣(ビル)には『ここにお前の獲物が一人でやって来る』と云われたらしく、数日間潜伏していたとのことだが……まあ、麻薬中毒の状態だったから、人に云われたというのも幻聴かもしれないが」

「………その人、誰にそんなこと云われたのか詳しく訊いた?」

「太宰が吐かせた情報によると、見慣れぬ異国人だったらしい」

 

 夏梅が振り返った。乾いた髪がふわりと宙に滞空する。その軌跡を目で追いながら、今度は自分の髪を乾かす。長いばかりで艶はなく、手間はかかるし、見苦しいばかりだ。だが、切ろうとは思えなかった。

 

「外国の人? ギルドの人、じゃないよね?」

 

「ギルドの連中ならば、もっと分かり易く意味のある行動をするだろう。犯人は捕まり、そこで打ち止めだ。これが相手側の計略であるなら、連中の先手を打って潰すのに骨は折れないだろうな」

 

「……つまり、ギルドの人じゃないってことだよね?」

 

 猟奇的殺人鬼は、太宰に踊らされ、薄い紙のように軽くなった舌で辺りに唾を撒き散らしながら今まで犯してきた罪状の数々を披露した。極度の興奮状態にあり、一目見て正気ではないことは明らかであり、打ちっぱなしのコンクリートの床に転がる注射器や広がった瞳孔から直前まで何をしていたのか想像するのは明日の天気を当てるより容易い事だろう。標的の選別から、家屋の浸入方法、実行の手順など事細かに白状した後、高笑い。乾いた拍手でもって注意を引いた太宰が外套のポケットからスマホを取り出し、通話中の画面を見せる。警察への通話状態を維持されてていたことを悟った犯人が逆上、しかしすでに現場へ急行してきた警察官に取り押さえられ逮捕。

 

「異能力者ではなかったからな。俺たちは手を加えていない」

「へえ……」

 

 警察と殺人鬼が去った後に、塔屋(ペントハウス)のなかの、配管の中身が取り除かれた空間にきっちりと防水シートで覆われた絵画を回収した。

 

「絵は無事だった。不思議と云えば、云い方は悪いかもしれないが、爆弾が仕掛けられていたところでも、麻薬中毒の殺人鬼が暴れまわるようなところでも、絵だけは別室に置かれたり、金庫のなかに入れられたりしていて、厳重に保管されていた。……その点は妙だとは思ったな。相手は何をしたいのか、何を望んでいるのか全く見当もつかん」

 

「お父さんはそうやって考えるのを諦めるのが早いよね」

 

 夏梅は膝に肘をつき、両手を組んだ上に顎を乗せた。

 猫が理性を持てば、このような目で人間たちを見上げるのかもしれない。

 

 凡人の思考より経験に基づく直感の方が当てになることも多い。

 非凡な頭脳でもあればよかったのだろうが。

 

「考えても分からんものは分からんからな。そういうのは乱歩さんか太宰に任せた」

「………物は言いようだよね。他には?」

 

「似たり寄ったりだがな。ああ、ただ、関係してるかは判らないが、目的地へ車で行く途中で事故に遭いかけた」

 

 工事中の看板が掲げられたところを迂回した進行経路(ルート)上に仕掛けられた地雷――ブレーキをかけて避けることは可能だったが、後から続く何も知らない市民の車に被害が及ぶと推測されたため、進行を塞ぐように車を横向きに急停車したため後ろの車が突っ込んできて乗っていた車は損壊。すぐに太宰と逃げ出したが、玉突き事故になり乗っていた車は前に押され地雷を踏んで吹っ飛んだ。保険会社から保険が降りるらしいので不幸中の幸いだろう。

 

「太宰が出ている表示が可笑しいと云わなければ、ブレーキも間に合わなかったかもしれない」

「それって死にそうになったっていうんじゃない……?」

 

 その点については問題はない。

 問題になったのは、別のことだ。

 

「ギリギリ間に合う速度だったからな。だが、シートベルトを外すのに手間取ったときは、もう駄目かと思った。太宰はシートベルトを締めていなくて、脱出もスムーズだった。これからは俺もそうしようかと思う」

「うしろの席に座ってね」

 

 夏梅が長い息を吐く。幼いのに実に深いため息をする。

 俯くので、細く白い項が見えた。

 この子は将来苦労性になりそうな気がしてならない。

 

「太宰さんがいてくれてよかった。まあ、なんだかんだ、大丈夫なんだろうけど。……それでお父さんたち、今日は車に乗ってなかったんだね」

 

 夏梅は呆れたような口調で上向き、その眉を顰める。

 神経質そうな動きで瞬きしながら、重く口を開いた。

 

「色々、危なかったね」

「ああ。それと、工事中の表示は偽物だったらしく、他の被害者も保険は適用されるようだ」

「……別に保険が降りるかどうか危なかったっていう意味じゃなかったんだけど……よかったね」

 

 夏梅は長椅子の上で抱えていた両足を放し、床に届かないそれらをぶらつかせた。

 

「で……それだけ? なんか、こう、ひっかけ、みたいなのなかった?」

 

 夏梅の言葉は抽象的だ。語彙が少ないというのもあるかもしれない。

 だが、生後三年にしては上出来ではないだろうか。

 

「建物の中に入ったら停電になった場所があってな。窓が一つもないのか真っ暗だった。その入り口の前にライターが落ちていたんで、火をつけて灯りにしようと思ったら、中に瓦斯が充満していて、爆発するところだった――こういうことか?」

「それよく無事だったね」

「異能を使ったからな。ちなみに、絵は外の郵便受け(ポスト)の中にあった」

「そうなんだ……じゃなくて! 謎かけみたいのはなかったの?」

 

 夏梅は怪訝そうに尋ねてくる。自分の乾かし終わった髪を、一本に編んでいく。こうしている間は、単調な指先の作業により思考が落ち着く――(もとい)、余計なことを考えずに済む。それに編み込んでいくことで、単純に長さが短くなるのだ。日々繰り返しているため、職人のように速度も速くなる。

 

「謎かけ……暗証番号を()てなけらばならない場面はあったな」

 

 江戸川の地図によると、絵がある地点のうちの一つは、裏社会にかつて存在していたある組織の首領(ボス)の一家が住んでいたが、全員が次々に不審死を遂げ、後に移り住んだ住民たちも原因不明の病により急死したという曰くつきの空き物件だった。そこでその物件を管轄している仲介業者である不動産に、購入を考えていると出まかせを云い鍵を受け取り、太宰が見取り図を貰って潜入した先で、設計図にはない地下室から毒瓦斯が発生していたことに気付かなかった。

 

「地下室があったなんてどうしてわかったの?」

「なんとなく……気になった床板があった」

「へえー……」

 

 ちなみに絵は書斎の金庫の中にあり、暗証番号は太宰が推理して当てたため、比較的楽に入手することができた。地下室の毒瓦斯は、組織の現役時代に海外から取り寄せたらしい薬品やら火薬やらを、人間の出入りが無くなったため閉ざされた地下室の中で取り残された鼠が食み、死んだものが腐り、発生した瓦斯が火薬や薬品と化学反応を起こして人体に有毒な瓦斯となり、建物の中を充満していたものだと判った。

 語って聞かせたが、夏梅が求めている内容ではなかったようだ。

 

「うーん……そういうんじゃなくて、何か、変な紙とか落ちてたり、貼ってあったりとかー、なかった?」

「紙――? 心当たりはないが」

「んーならいいや」

 

 夏梅は興味なさげに、顎をそらすと、落ちかけていた生物学の教本を膝にのせて眺め始めた。後ろから覗いたが、写真が多く、文字を読まなくても絵本のように楽しめるのかもしれない。

 

 

 

 

 

❂❂❂ ❂❂❂

 

 

 

 

 かみはみどりのくろ。ながれるすみのようになめらかだった。

 

 ひとみはこいかっしょく。しめったつちのようにおちつくいろ。そらをみあげ、ながれるくもをおって、あなたははしる。

 はだはあおざめたしろ。いつもへやにこもっていたのね。あなたのはだはわたしとわたしたちとだいすきなうみべをあるき、たいようにあいされたまなつのいろをしていたのにね。ここはいやなところだわ。

 

 めじりはまっかっか。かなしいことがあったのかしら。わたしがそばにいるわ。わたしたちがそばにいくわ。……どうしてわたしたちをみないのかしら?

 

 

 そのてはとてもつめたかった――いいえちがう、わたしのからだがあつかった?

 

 

 きっとそうね、だってわたしたちはあなたのことがだいすきなのだから。

 

 あなたのりょうてがわたしのくびにそえられる。

 あなたはうつくしい。うつくしいかみがとばりのようにおちてきて、ひかりをさえぎり、ぬれたじめんのようになじむひとみにみおろされ、みずのまくがはってしんぴてきなめじりのあかはくちづけたいほどにあなたのいろをしていた。ねえ、わたしたちのことばはとどいてる――?

 

 

 もっとみたい。もっといたい。もっともっとちかづきたい。あなたのそばに。

 

 

 あなたをみつけるとわたしたちのむねはたかなった。わたしはあなたがすきだった。わたしたちはみんなあなたがすきよ? わたしたちのめはいつもあなたをおってしまう。みつからないのはふゆかいよ。でもみつけたわ、どのくらいじかんがたったかしら。わからないわ。でもいいの。あなたはいった。おもいにじかんはかんけいないのよって。ねえ、なんてすてきなことば。でもあなたがいうからいっとうすてきなの。あなたのことばはわたしたちをいかしてくれる。みつけられなくなっても、だいじょうぶ。とだえたりなんてさせないわ。わたしたちがあなたをえいえんにするの。だからあなたはえいえんなのよ。

 

 

 ねえ、あいたいわ。わたしたちはあなたのことがだいすきなの。

 みつけたわ、あなたのカケラ。

 

 

 わたちたちはあなたたち(・・)のことがいっとうだいすきなの。

 

 


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