夏の梅の子ども*   作:マイロ

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(オリジナル展開)


三日前だよ。

 夏梅が生まれる前に、母は父とともに瀬戸へと引っ越した。瀬戸の海は、数多くの島々が浮いているのが見えることで、画師たちの憧れの海だった。

 母はそこで亡くなった実父の遺産である別荘で、父と暮らしていた。海が見える別荘で、ふたりの子は生まれる。そして悲しい別れがふたりに訪れたのも、その場所だった。

 海――それは夏梅に、戻れない時間に『かえりたい』と思わせる場所だ。

 

 

 

 朝のニュースでは、女性の左腕と頭部が海で発見されたというだけだった。

 

 その事件は、深夜に漁師たちによって引き上げられた網にかかっていたバラバラの死体。見つかったのは左腕と頭部のみ。水を吸って、皮膚は膨張してふやけており、顔の判別はできない。身元は確認できないが、髪の長さからおそらく女性だという。

 

 探偵社に来た依頼内容は、ニュースで見た情報よりもよほど詳しかった。

 

「横浜はおっかないとこですね。ひとをばらばらにして海にすてるなんて」

 

 江戸川乱歩に依頼された仕事に、夏梅ははじめて同行することとなった。電車に乗って、江戸川と共に現場まで行くのだ。平日とは違う、休日の駅になんとなく不慣れな自分の姿を見つけた。

 江戸川に切符を買い、夏梅はもっている定期をつかって改札口に入ろうとしたとき、ひとりの駅員と目が合い、手を上げて微笑まれる。夏梅はおじぎをして改札口を通った。

 

「なに、知り合い?」

「たすけてくれたんだよ」

 

 夏梅たちは電車の席に座って目的地まで待つ。

 

「みっかまえ、じんしん事故で、でんしゃが一時間くらいおくれたんです。それで、学校にもっていく遅延しょうめい書がいるから……あの駅員さんにもらいました。はじめてでよくわからなかったので、おしえてくれました。やさしいです」

 

「そういえば、高校生だったっけ」

「あさはやくおきるのは、あんまり、すきじゃないです」

「朝五時に起きてるなんて、偉いねえ」

「おとうさんがごはんつくってくれるので」

 

 夏梅はふと、何時に起きているのか江戸川に話しただろうかと首を捻った。尋ねようとしたところで、目的の駅に着いた。

 改札口を出ると、潮の薫りがした。

 

 

 

「遺体の一部は、午前三時頃、沖に出ていた漁船に引き上げられました。まず、頭部が網に引き上げられました。まだ夜も明けていなかったため、漁師たちは新手の深海魚かと思ったそうです。しかし、その網には左腕が引っ掛かっているのをみて、人間の頭部ではないかと気付いたそうです」

 

 第一発見者である漁師たちには警察が既に話を聞いているようで、江戸川に情報を伝えている。

 

 生真面目そうな若い警察官が青い顔だったが、刑事に促されて、メモを見ながら説明している。その脇には、上がった水死体の一部がブルーシートに被せられていた。

 

「第一発見者の証言通り、遺体の損傷が激しくてな……死亡推定時刻を割り出すのも困難だ。鑑定もお手上げの状態だ」

「幸いなことに、引き上げられた左腕の手首には腕時計がつけられていました。『五時三十八分』という時刻を指した状態で止まっていることから、おそらくそれが犯行時刻なのではないかと」

「見せてくれる?」

 

 水死した遺体は見るに堪えない悲惨なものだという。未成年である夏梅は、江戸川にぴったりとついて袖を握っている。刑事と若い警察官が壁となって、夏梅からは死体が見えないように気遣われていた。

 はじめは未成年が現場について来ていると知って、いい顔はされなかったように思うのだが、江戸川がひとこというと夏梅は受け入れられた。正直何故、受け入れられたのかは分からないのだが。

 江戸川がすごいと大叔父である福沢や父である中村作之助――ここでは織田作と呼ばれているが――によって称賛されている、その実力の一端を垣間見ることができたと思っておく。

 

 江戸川がいくつか質問している間、夏梅の頭はまたぼんやりと思考が他へ移った。夏梅の母の異能力を思い出す。母の能力は、死後49日以内であれば、生き返らせることができるかもしれない、という代物だったらしい。けれども、それはこのバラバラにされた死体も同じなのだろうか。夏梅の頭でも、腕の欠片や頭から人を生き返らせることはできないのではないかと思った。

 母の異能力はもともと死者を蘇らせる『かもしれない』という規格外さだが、その発動で蘇る確率はそれほど高くはない。実感のこもった母の言葉は、女学生時代の事件のことを思い出しているのだろうと、幼い夏梅は思ったものだ。

 

 人間というには、あまりに小さくなってしまった遺体。ブルーシートのふくらみからしか夏梅は知ることはできないし、それが生き返るところを想像することもまたできなかった。

 

 母は、異能力によって対象が生き返るか、完全なる物質になるか、と言っていた。

完全な物質とはなんだろうか。二度と母の異能力を行使することができない、生き返る可能性のないものになるということだろうか。

 考えても仕方ないことだ。その稀少で謎の多い異能力と共に、母は死んだのだ。

 

 夏梅はふと、自分はこの先、死者を前にするたびに同じように自問することになるのかもしれないと思った。死者をよみがえらせる力を持っていた母がいたから、死からよみがえった父がいるから。母が亡くなっても、父がその象徴なのだ。

 その異能力のことを、その度に夏梅はずっと考え続けるのかもしれなかった。

 

「――分かっていることはこれだけです」

「おかげで捜査は難航してる。こんなことができる凶悪な人物というので大分絞られるが、犯行時刻も分からなければ、被害者のことも分からない。ただ、このところ行方不明者として届けが出されている者を片端から捜査するのにも限界がある」

「なるほど」

 

 江戸川は屈んで、ビニールシートをめくり、腕の部分のおそらく時計を見ているのだろう。そして立ち上がった。

 

「――ねえ、何か隠してない?」

 

 それに反応したのは、若い警察官だ。夏梅の目からも明らかなほど肩をびくつかせていた。対する刑事は、顔をしかめていたが、落ち着いていた。

 

「何の話だ」

 

「ここにほぼ毎日、早朝にやって来る人物がいるだろう。港に似合わないサラリーマンかなにかで、それはおそらく若い男性で二十代から三十代くらい、妻子持ちの」

「――おい、杉本。お前が喋ったのか」

「い、いいえ警部。じ、自分は話していません。本当です!」

 

 江戸川は「ふーむなるほど」と顎に手を当てている。その傍らで、裾をしっかりと握りしめたまま、夏梅は刑事に口をとがらせて言った。

 

「どうしていわなかったんですか」

 

 唯でさえ、手がかりの少ないなかで、その情報を伝えないのは不親切だと思った。

 

 

 それに答えたのは、江戸川だった、「それは彼に確実なアリバイがあったからだよ」

 

 

 刑事が舌打ちした。じろりと若い警察官に目を向けた。彼は体の前に両手をあげて必死に首を横に振っている。夏梅の目から見ても分かる、彼は嘘をついていないだろう。

 

 ならば、これは江戸川の推理だ。

 

 夏梅は素直に感嘆するも、刑事は違ったようだった。

 開いた口からは、とげとげしい言葉が飛び出る。

 

「――俺はな、上の連中が寄越したからって、お前らを信用しちゃいねえ。これから徹夜でも何でもしてホシをあげなきゃなんねえんだ。冷やかしならとっととここから出てってもらう」

 

 これには夏梅も黙っておれず、目に力を入れて、自分よりはるかに年上で、大人な人物に抗議した。この行為には、特別勇気が要った。袖を掴んでいない空いた手で握りしめた拳を体の前で振わせるも、意を決して口を開く。

 

「乱歩さんのちからがいるから、おねがいしてきたんでしょう。おねがいしたひとが、そんなふうにいうのはよくないです」

 

 誰よりも正しいはずの警察に、間違っていると言うことがどれほど難しいか、この刑事が知るはずはない。知っていたなら、正しい行動、善い行動に徹するはずなのだから。

 警察とは、そういう職業だと、夏梅は思っている。

 

「俺は自分の目で見た物しか信用しない性質だ。上の指示に従うが、それとこれとは別だ」

 

 いいか、坊主。と刑事がいう。

 

「組織にいる以上、こういうことはままあるもんだ。だが、上の判断にほいほい従って、自分の頭で何にも考えねえで行動する奴は、いずれ自滅する。……覚えておけ」

 

 何故、そのようなことを夏梅に言うのだろう。じっと顔を見てくる刑事に、思わず首をひねりながら尋ねた。

 

「……刑事さん、ぼくのことしってるんですか?」

「お前じゃねえ。いや……詮無いことを言ったな」

 

 江戸川が「ふふん、なるほど」と何かを知ったように相槌を打つ。それに目を向けた。

 

「ま、きみに関係ある人物のことをよく知っているってことさ。そうだね……五、六年前ってとこかな」

「……何をいってる」

「担当したその事件は、女学校(、、、)で起きた」

 

 刑事は表情を硬くして絶句する。

 

「何で、そのことを」

 

 江戸川は飄々と笑い、刑事の問いに答えない。

 そして、「この悲劇を終わらせようか」とマイペースに眼鏡を取り出した――【超推理】のはじまりだ。

 

「あなた方が把握している凶悪な人物のなかに、今回の犯人はいません。そして――そもそも、これは殺人ではない」

 

 

 ちら、と視線を夏梅に寄越して来る。

 

「夏梅、きみが学校を一時間も遅れたのはいつのことだったかな」

 

 そう、そうなのだ。一時間も。ちゃんと起こしてくれる父によってそれまで皆勤賞だったのに。それが破られてから日は浅い。ふくれっ面になりながら、夏梅はしぶしぶ答える。

 

「……三日前だよ」

 

 

 江戸川はにやりと笑い――そして、ものの数秒で謎は解かれた。

 




事件の話をつくるのは、心が荒む…

(専門的な知識はないので、ご了承ください)
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