夏の梅の子ども*   作:マイロ

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第四章 亡霊は闊歩する。
常々言っていた。


 母の名は、和枝。

 母は常々言っていた、人が完全に死ぬには()があるのだと。

 

 四年とちょっと前の事だったか、閉鎖的な片田舎に広まりつつある口さがない噂から一時避難をとて、実父の弟である福沢諭吉の下へと身を寄せた母は、とある場所で、とあるひとりの『負傷』した男を見つけた。母の目にはその男は『負傷』という状態だったが、多くの人の目からすれば、その男は『死んでいる』と表現されていた。

 

 母の目は、常人とは格別に異なるものの見方をした。

 それは母に宿る力に因った。それは異能力と呼ばれた。

 

 母が身を寄せることになった実の叔父――福沢諭吉は、異能力ありと発覚して幾らか経っていた。世にはあまり知られていない力ではあったが、たしかに福沢諭吉にはそれがあった。そして、今は亡き、母にもあったのだ。

 

 

 そうしたものの見方をさせた母の異能力は、『死相を食う』というもの。

 死相というと、二つの意味があるが、それは時間という軸において全く両極端の事象を指した。

 

 ひとつに、死に近づいたときの顔つきのこと。

 ふたつに、死んだあとの顔つきのこと。

 

 死ぬ前と、死んだ後という二通りの事象を『死相』という同じ言葉で表すそうだ。

 ところで、死とは一体いつのことなのか。

 

 心臓が止まった時、脳が活動を停止した時、生きる気力を失くした時、正気を失った時、魂と呼ばれるものが肉体を離れた時――初めの二つは目に見え、その次は主観であり、さらに次は客観であり、最後は目に見えない概念的なこと。

 

 

 先に格別に異なると紹介した母の死の捉え方は、まさにここが異なっていた。

 

 母は常々言っていた――人が完全に死ぬには間があるのだと。

 その間とは、49日だという。母の目には、完全に人が死んだときというのは、49日を過ぎると死相が消えて見えるのだという。その後が、完全なる死――物質としての表情を見せるのだと言った。49日間、死体を残すことなど滅多にない。

 けれども、母は女学生時代にとある事件により、そのことを知ったのだという。

 

 

 つまり母が異能力により死相を食らうと、その対象は完全なる物質となるのか、あるいは浮き出た死相を取り払い生者として蘇るのか、どちらかだという。女学生時代の事件により、はじめて使った異能力では、その対象は完全なる物質――物言わぬ本物の抜け殻と成り果ててしまったのだという。母の目には、そう見えたというのだ。

 

 

 結論を言うと、母はそのひとりの男の死相を食らったのだ。

 

 そして結果を言うと、その男は蘇り、後に夏梅の父となった。夏梅の父は、物質ではなく、生者として蘇った。

 

 しかし、食らうという行為の通り、父はあるものを失っていた。浮き出た死相には何がしかの記憶も含まれている。死の直前に強く思ったこと、または関連づいていることなどの生前の記憶が食われてしまう。

 

 

 

 ところで、人間が食物を食らった時、その味が作られる過程や内容までを覚るだろうか。

 

 

 

 母は、食らった死相に含まれている記憶がどんなものであるかを知らない。ただ、食事をしたように、記憶というエッセンスの加わった死相を食しただけだ。

 

 母は、亡くなる前にこう話していた、《あのとき食した死相ほど美味なものはなかった。どんな人生を送れば、どんな死を迎えれば、あの味が出せるのか分からないくらいだった。だから、他のどんな死相も味わう気になれなかった。あのときあなたは死ぬ定めにあり、そのほうが良かったのかもしれない。けれども、あなたが生きて話す言葉が好きだった。それを知れてよかった》と、死に際とは思えないほど饒舌に語った。楽しげに、さみしげに、口惜しげに、そして幸福そうに。そしてそれとは対照的に、黙してその手を握る父は何を思ったのか。夏梅はそれをただ見ていることしかできなかった。

 

 

 今でも時々思うことがある。あのとき、母は自分の死相を食らうことはできなかったのだろうか、と。おそらく母はそうできたのだろうという結論に辿り着くのだが、同じようにまた、母は自分でそうはせずにいたのかもしれないとも思う。

 

 

 

 母の言葉の通り、父の死相の味以外を口にしたくなかったのかもしれない。一度死相を得た人間は死にやすい。母はあれから何度か父の死相を食らっていた。死にやすい父は、何度か大切な記憶を失っていた。

 

 最も近い死では、子の誕生の記憶を失った。ちょうど、誕生日の贈り物を買った帰りに、ガス漏れの事故に巻き込まれ、数時間後に亡くなった。運ばれた遺体を母が預かって、そこで死相を食らって蘇った時に、子が産まれた記憶を忘れてしまった。いつの間にか、父親でいる自分に戸惑い、そして子を前にして動揺し、もう二度とは死なないとその両手を握って泣いていた。

 

 父は、母のことも忘れたことがある。母と過ごすうちに強く心に刻まれた、感情を伴う記憶を、失ってしまった。それでも、父は母との関係を再構築した。

 

 思い出もまた自分の中に新たに作っていった。父は、そういったことは乗り越えながらも、子が誕生した記憶を失ったことには耐えきれなかったようだった。

 

 

 

 大の大人が年端も行かぬ子の手を取って額に当てて泣いていた。まるで祈るように。

 ………父親というのは、子と過ごすうちに親としての自覚をもつようになるという。

 

 だから、父にとって生まれた瞬間の記憶がそれほど重要だったのだろうかとも思う。もしかしたら父は、親としての自覚をもつようになった過程の記憶があるからこそ、それ以上の感情が芽生えた劇的な瞬間の記憶を失ったと思って、必要以上にその喪失を惜しんでいるのではないかとも考えた。

 

 あまりにも悲痛な声で父は慟哭していた。

 何か別の喪失を思い出させたかのように。

 

 

 

 父は、母が世話になった叔父の経営する探偵事務所で働くようになった。

 

 

 

 母が亡くなって、二年が()った。

 

 父は死んでいない。

 

 父の名は、中村作之助。旧姓は織田という。

 

 婿養子に入った父には自分の淡々と暗殺を熟す殺伐とした過去など感情をともわない記憶しか残されていなかった。

 

 時たま、死の間際に走馬灯を見るものがいるという。その生涯における強い感情を伴う記憶の断片は死相に含まれたのだろう。瞬間的に何かを思い出すことはあるようだが、決して取り戻すことができそうにない部分もある。そこは記憶の穴のように何もないと父はいった。

 

 

 

 

 父は体に銃弾を受けて死んだ人間だ。母はどこでどうやって父と出逢ったのかを語らなかった。それこそ、墓場まで持って逝ったというものだ。母が世話になっていた叔父にだけは告げたのかもしれないが。

 

 

 母は夏梅にだけは秘密を一つ教えてくれた。

 魂の定着には二年という歳月を要するということだ。

 

 何かと死に易かった父が、二年を乗り切れば。

 

 

 

 父は、母と出逢った横浜の地へ行った。

 そこが父の一度目に死んだ場所でもある。

 

 すべてが不安定な今、少しでも関わりのあった地にいる方が何か良い影響があるかもしれない、と老医は云った。

 

 

 

 

 夏梅を瀬戸においてから一年。横浜の武装探偵社で、父が死んだという話は一度も聞かなかった。

 瀬戸の屋敷で育てられていた子は、自らの口から言葉を発するようになると、父と共に横浜で住みたいと望んだ。子もまた、異能力を持っていた。

 

 その異能力は、使いこなすことはできないものの、致命的な怪我を負うと、身体が経た時間が狂う代わりに、無傷で済む。死の直前から蘇る、と傍からみえるため、母と似た異能力だと思われがちだが、実態はだいぶ違う。母は他者の死に干渉できたが(母からしてみればそれはまだ『負傷』の域だったため)、夏梅は違う。自分の体にしか異能力が及ばない。この二年間、父を襲ってくる黒服の者達により人質に取られ、銃で撃たれたときから、十歳ほど年老いたのを歯切りに、夏梅の体の年齢は恣意的に巻き戻されたり年をとらされたりしてきた。

 

 

 父はもう、死んでいない。

 きっと、父が死に易い期限は通り過ぎ、生者として世界に受け入れられる。

 

 

 そう思ったのが、数か月前。

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