夏の梅の子ども*   作:マイロ

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足音を聞いたら、

 ギシリ、ギシリと床が鳴る。

 

 先導する者の後について、壁の洋風の灯りに照らされた回廊を進む。

 薄暗い中で、照明の灯りへの頼りがいをここまで感じることもなかなかないだろう。

 

 

 言い訳になるだろうが、この地のこの季節には間々あることだった。

 無線の雑音(ノイズ)のような激しい音を引き連れたそれは、古来より人を家屋の中に閉じ篭らせてきた。

 人の力では、どうにもならないことは世の中に多々あるものだ。

 これはそういったものだった。

 

 

 事は、大広間にて集い昼食も終わりごろといった時に遡る――何の予兆もなく突然、万の銃弾が一斉に降ってきたかのような音が空気を震わせた。用意されていた真鯛や魴鮄(ホウボウ)、車海老といった海鮮料理に舌鼓を打ち終えた後、会話が弾んでいた大広間は束の間の静寂ののちに、浮き輪を小脇に抱えていた者もシュノーケルを首から下げていた者も、萎れかけた南国の花を髪に挿していた者も、麦わら帽子を胸に抱えた者も、皆それらを正座して自らの傍らに置いた。

 

 ――唐突に、誰かの通夜でも始まったかのようだ。

 

 季節外れの海水浴を楽しみにしていただろう探偵社の面々に、何と言葉をかけるのが適切なのか思いつかず、我が子を見ると子もこちらを見上げていた。そしてふるふると死の間際で痙攣する小鹿のように小刻みに首を振る夏梅は、齧っていた洋菓子の欠片で喉を詰まらせていた。直ぐに、自分の茶を差し出したが、それが熱いことを失念しており、我が子は舌を出して無言で呻きを耐えていた。

 小さな惨事だったが、それでも声を出すのをためらわれる状態だったのだ。

 

 打開したのは、屋敷の主の義父であった。

 

「……この雨では海に出るのは不可能だろう。直に嵐になる雨だ。先刻儂が言ったこととは相反するが、外に出られぬ代わりに、この屋敷内を回っては如何か。儂の趣味で蒐集しているものを置いた部屋がある。僅かばかりだが鑑賞には足る部屋も幾つか。興味があれば案内させよう。例えば茶器や――」

 

 項垂れていた筈の面々がいつの間にか前のめりになっていた。

 心なしか岸辺に打ち上げられた魚のようだった目に生気が宿ったように見えた。

 

「その、か、刀は!?」

「刀もあるが」

「刀! 見たいです!」

 

「……茶器もあるが」

「みんながゆってゆんだかゃ、かてゃなでいいんやない?」

 

 舌を出しながら発した、鶴の一声ならぬ、孫の一声により、義父は沈黙ののち眉間を押さえ首を振った。そして片手をあげるとすぐ傍らに作務衣を着た壮年の男――義父と同年代くらいか――が近寄った。

 

「客人を、『いの三番』へご案内せい」

「はい、先代」

 

 義父の取り計らいによって再び沸き立つ面々に安堵していると、横に座っていた夏梅が体を倒してきた。

 目線を活気を取り戻した面々に向けながら潜めた声で言う。どうやら火傷が落ち着いたらしい。

 

「みんな、よっぽど海に行きたかったんだね。でももうだいぶ水が冷たいと思うけど」

「それはあまり口に出してやるなよ、夏梅」

「言わない約束?」

「出来るだけな」

 

 夏梅は動かない表情の中でわずかに眉をひそめ、鳶色の目を半眼にして見上げてきた。

 額にかかる赤い髪を払ってやると、不本意な色を濃くする。

 

「でもお父さん、晴れてても今海入ってもいいと思う?」

「勧めないな」

「だよね……横浜にも海はあるのに、みんなどうしてだろ」

「さあな」

 

 自分はここの海を見ると、紙とペンが恋しくなる。

 潮風に吹かれる窓辺で、日に焼けた紙を押さえるために銃を文鎮代わりにしていたある一日に、空白が二つ。それを埋めるのが、あの家族の肖像だった。

 

「横浜は横浜の海、瀬戸は瀬戸の海だろう」

「うん? そんなの当たり前だよね?」

 

 そういわれると、その通りだと首を傾げた。

 だが、合点がいった。

 

「だからだろう」

「ええ? でも、海は海なのに」

 

 自分は頷き、我が子は首を傾げた。

 その少し硬い髪質の頭をくしゃりと掻き混ぜ、非難の声を浴びた。

 

 やり取りが耳に入り、「……それは会話として成り立っているのか? どちらかが納得してどちらかが疑問のままに終わっていないか?」と国木田の思ったことが口を突いて出たが、残念なことに父子には届かず、虚しく空中を漂う独り言となってしまった。谷崎兄が慰めるように国木田の落とした肩に手を置いた。

 太宰が両手を上げて、「It's a(イッツア) 織田作家不思議世界(ワールド)」と肩をすくめた。

 小さい声と当人たちが思っていたとしても、だんだん声は大きくなり最後辺りは、結構周りに聞こえていたのだった。――其れを知らぬは当人たちばかり也。

 

 

 

 

 斯くして冒頭に戻る。

 昼下がりにもかかわらず、回廊は路地裏の如き薄暗さ。

 天井の灯りがなく、壁の灯りだけでは心もとない個所もあった。改築されたばかりの場所だったのだろう。

 

「此方です」

 

 義父の付き人が壁に手を伸ばし、部屋に灯りをつけた。付き人の手は、指に対して節が異様に太く突き出ていて、短く切られた爪と指先は丸くなっていた。

 その無骨な手の下から軽快な音が鳴った瞬間浮かび上がる無機物らは、回廊の艶めいた床よりもはるかに鋭利に光を跳ね返し、部屋を電灯以上に隅々まで明るくした――和洋折衷というには不揃いな箇所が多々あるこの屋敷の一角に、一種展示としての用途向けにあつらえられた室内はさすがに和の色に統一されていた。来客の暇つぶし用に当てられた部屋は、大の男と子どもが揃い踏みしても狭さは感じられない造りになっている。

 

「わあー! 壁も台の上も刀だらけです! あ、見てください、これがさっき聞いたお話の業物ってやつですよ、きっと!!」

 

 歓声と共に、宮沢が真っ先に部屋の中へと入りこんだ。

 

「この部屋、はじめてみたみたい……」

「あれ、夏梅くんも来たことないの?」

「うん、たぶん。ほかにも部屋はいっぱいあるし、あんまりこの屋敷で過ごしてないしね」

 

 宮沢は夏梅の手を引いていたので、夏梅も右に左にと首を巡らせながらその後を追う。夏梅は、中島の手を引いていたので、結果三人は展示台の間を縫うように、一列にぞろぞろと連れ立って最奥まで進んでいく。

 

 果たしてそこには、一見して如何にもな人目を惹く巨大な刀があった。

 

「此れ、持てる人いるんだろうか。見掛け倒しで使えないやつじゃ」

「僕はきっと持てます!」

「確かに。賢治君なら余裕で扱えそう……前に交通標識を引っこ抜いて振り回してたし……」

 

「実はぺらっぺらだったりして」

「それは無いのかな?」

 

 中島が横から片目を閉じて厚みを確認した。

 早々に飽きて欠伸をこらえる我が子が、適当に吐いただろう言葉にも真面目に取り合う。

 傍から見ると、中島は実に好く年少らに付き合っていた。

 

 手前の展示物をすべて素通りした子どもらに、ふと個展準備の日々を思い出した。

 慣れないスーツを着て、個展の設営打ち合わせの会議(ミーティング)に参加していた際のこと。様々に意匠を凝らして展示物を配置し、動線に意味を持たせようとした溝地ら学芸員の努力を毎回目にしていた。自分がいない日も続いていただろう議論は、真夏日に、暑くも、しかし涼しくもない部屋で行われていた。すべての配置が決まった日の終わりに、「まあでも見に来られる方は私たちの、拘り抜いた布置に込められた意図を汲み取っては呉れず、見たいものだけ見て帰られるんですけどね……」と背を丸くして哀愁めいた溝地の呟きがこの部屋で漏らされたかのように蘇る。

 

 となれば、この刀部屋の中の配置にも意味があるのだろうか。

 

 入り口で立ち止まっていると、廊下の電話の数を数えていた国木田らが追いつき並んだ。

 そして部屋の中を一望して、小さな鳥籠に猛禽の類がぎゅうぎゅうに詰められているのを目撃したかのように唸る。

 

「これ程のものを個人で、か。この部屋を切り取って展示場と云われても納得だな」

 

「同感です。ボクもてっきり刀を数本見せてもらえるのだと思っていたンですが。しかも一般の……? お家でこンなに見れるなんて。茨木さんのご自宅の時も思いましたけど、蒐集家(コレクター)って、皆さん揃いも揃って凄い熱量をお持ちですよね……」

 

 谷崎兄は国木田の横で硝子張りの展示机の中を見渡し、力なく笑う。

 興味はあるのか、台所の陰からそろそろと顔を出す少女のように首を伸ばして刀身を覗き見る。

 

 刀鑑賞に来た面々は並べられてある年代物の刀を各々差はあれど関心を持って見ていた。

 

「あ、ナオミの使っていた包丁と同じ名前だ。でも、随分古そうな」

「この輝きは……真逆(まさか)()の有名な刀匠の一振りでは!?」

 

 ぱっと谷崎兄と国木田はそれぞれ別の方向へと首を傾けた。

 谷崎兄はしげしげと、国木田は刀の隣に置かれた目録に食い入るように覗き込む。

 

 無論、鈍らよりは鋭い方がいいが――入り口の柱に背を預け、回廊をはさんだ硝子戸越しに、外の雨風の音を聞く。橙色の電灯が、剝き出しの刀身を照らし、刀身がそれを反射しているのがまばゆい。

 

 刀に特別の思い入れがない自分は、邪魔にならないようにと彼らを入り口の傍で眺めていると、雨のために、改築工事の音が途絶えている筈が、トントントン、あるいはギシ、ギシと木が軋む音がどこか遠くから柱を伝って聞こえてきた。音源を探ろうと柱から身を起こし首を巡らせかけたところ、

 

「お昼の腹ごなしには実に丁度いいね、これは」

 

 音もなく隣に立った太宰が、肩に肘を置いてきた。

 太宰の言葉の内容をもう一度脳内でさらう。

 

「もともと、外客が多い家だからな。こういった趣向の部屋も幾つかあるらしい。……だっただろうか、田治さん」

「仰る通りです」

 

 同じく入り口付近に控えていた人物へと尋ねる。

 

 案内役にと、義父が付き人の一人を貸し出してくれた。

 頭を丸く刈った、どこかの寺の御仏のような、穏やかな面持ちをしている付き人は、壮年でこの屋敷に長く勤めていると聞いた。――夏梅から。

 

 夏梅は、この屋敷で過ごした期間もそう長くないはずなのに、よく人の事情を知っている。

 自分とは違い、こういった目端が利くのはきっと母親譲りなのだろうと思う。

 

「田治さんと仰るのですね。私は太宰と云います。探偵社に所属していまして、職業柄気になることを放って置けなくて。貴男にニ三質問しても?」

「何でしょうか」

「来客が多いのに、このお屋敷は常に改装中なのだとか。これには何か理由でも?」

 

 にこやかな笑みを浮かべて尋ねる太宰に、田治は静かに首を横に振る。

 これほど対照的な、胡散臭い顔と実直な顔を並べて見られる機会も早々ないだろう。

 

(すべ)てはこの御家の主人である先代のご意向にて、その意図されることについては私どもの与り知らぬところです」

「このお屋敷の主人たってのご意向――成程。その意図はどういったものなのか、貴方方に何か心当たりはないのでしょうか?」

 

 田治の瞬きが少し遅れた気がした。

 だが、気のせいだろう。田治の口調は乱れなく淡々としていた。

 

「先代が敢えて口になさらないことに、どうして私どもが詮索しましょうか」

 

「する筈がない、と。ええ成程。しかし、疑問などは抱かれるのでは? この邸宅は今の様な雨天以外は工事が続けられ、常にその作業音が聞こえているのでしょう? 目に映さない努力はできても、耳を塞いで意識しないことは至難の業では?」

「何事も故在ってのことでしょう。私どもはこの御家に仕える使用人。現在の(、、、)この御家を取り仕切る方に唯々諾々と従うのみ。――これ以上はどうかご勘弁を」

 

「――太宰」

 

 ちらりと太宰がこちらに視線を寄越した。太宰も引きどころだと思ったはずだが、念のため声をかけた。

 太宰は、顔にこの上なく胡散臭い笑顔を張り付けて田治に向けて、謝った。

 

「いやア、申し訳ない。気になってしまったらつい、在ること無いこと何でもかんでも根掘り葉掘り聞いてしまうのです、ええ此れも職業病でしょう。此方こそどうかご容赦を」

「いえ」

 

 田治の非常に短く簡潔な返答に対しても、太宰は大仰に腕を広げた。

 

「それにしても、私は感銘を受けました。貴男は全く素晴らしい忠義人でいらっしゃるようだ。この御家の主人からの信頼もさぞ篤いことだろう」

 

 義父の付き人は、太宰からの賞賛に、静かに目を伏せた。

 田治はこの通り、温厚な物腰が常だ。しかし実際のところ、見た目通り虫も殺さぬような男でもない筈だ。

 何せ、この屋敷の中で、あの義父の付き人として二番目に長い人物というのだから。仮令、大戦時に国の為、諸外国で千の敵を拳で倒してきた歴戦の武人と云われても疑わないだろう。……そして何故だか、太宰との相性が良くないようだった。いや、太宰が一方的に嫌っているだけか。

 

 

 太宰が目線をくれるので、首を振って返答とする。

 義父の付き人の最古参のひとりが知らないのなら、当然ぽっと出の婿養子などが知る由もない。

 

 太宰が肩を組んできて、部屋の中へ進む。

 田治は静かにそのまま入り口前に控えていた。

 

「却説、夏梅くんのお爺様は一体何を思い、何の為に此れを成したのか、今も成し続けているのか。それともその行為自体に意味があるのか」

「謎解きか?」

 

 太宰が片眼を閉じて、口角を陽気に上げた。

 

「乱歩さんがいないからね、ここは私が担当しようかと」

 

 そして両眼で小展示室ともいうべき刀部屋を一望する。

 その視線を追っていると、ちょうど同じように部屋を見渡していた中島と目が合った。

 

「太宰さん、織田作さん」

「どうしたんだい、敦君?」

 

 いつの間にか探偵社の面々は国木田の周りに集まっていた。国木田の語る刀剣の話を聞いていた面々の中から、中島は一人離れてやって来た。

 

「何だか、さっきから離れたところで足音が聞こえるんです」

「使用人の方の足音じゃないか?」

 

 この屋敷には何人もの使用人が働いている。

 しかし、中島は首を振った。

 

「いえ、それとは違っていて」

 

「何か、可笑しなところがあるというんだね」

 

 太宰の言葉に、中島は頷いた。

 

「離れたところでなんですけど、ずっと同じところをぐるぐると歩き回っているんです。ただ……」

 

 中島はいったん言葉を切って、迷うように口を開いた、「それが、床板の裏側から聞こえるのがおかしいなって」

 光が走った。電灯が点滅し、その後少しして雷鳴が轟いた。

 何の話をしていたのか、国木田の周りで悲鳴が起こる。

 

 中島はそれに目を向けながら、自信なさげに眉を下げながらいった。

 

「気の、せいですかね?」

「敦君の虎の耳は優秀だ。気のせいというのは可能性として低いかな」

 

 中島の言葉を聞きながら、ふと柱に背を預けていた時に聞こえていた音を思い出して気づいた。

 

「ああ、『影人間』か」

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