夏の梅の子ども*   作:マイロ

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息を止め、

「『影人間』ってなんですか……?」

 

 中島は顔をこわばらせて尋ねてくる。

 口に出ていたらしい。

 太宰からの視線も向けられた。田治は目を伏せている。

 

 そして、尋ねられたことを思い出し、ああと答える。

 

「『影人間』とは――」

 

 雷鳴が轟き、停電する。

 

「わわっ!?」

「真っ暗です!」

「停電だな。おい、お前たち! むやみに動くな」

 

 暗闇の中で探偵社の同僚たちの声がする。この中ではおそらく中島に次いで、夜目が効く方だ。周囲を見回し、国木田の声で皆、動かず自分の位置を守っている。

 

分電盤(ブレーカー)を見てくる。ここからそう遠くないはずだ」

 

 この屋敷は広いわりに、使用人の数が少ない。

 復旧にも時間がかかる場合がある。

 ならば自分で動いた方が良い。

 

 見取り図が分からなくとも、建物の構造からどのあたりに分電盤があるかは見当がつく。

 

「お父さん、僕も行くよ」

 

 近づいてこようとして、何もないところで転ぶ夏梅を支え、近くにいた中島に預ける。

 

「看ていてくれるか。夏梅は鳥目なんだ」

「とりめ? 何それ? でも違うよ?」

 

 何も分からず、違うと言い張っているが、顔を向けた先には誰もいない。

 

「あっ……分かりました、任せてください!」

「違うよ?」

 

 闇の中でも輝く瞳をもつ中島が困り顔をしている。

 視線を向けると、頷きが帰って来た。

 

 

「気を付けて、織田作」

 

 

 肩を竦める友人に軽く頷き、足音を立てず、その場を離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雷雨は弱まるどころかいよいよ強さを増していた。

 昼間から時間が経過し、今は夕方だろう。

 

 長い夜がずっと続いているかのようだった。

 

 探偵社の面々は雷による停電で一旦中断した刀鑑賞を再開し、そのあとも隣接している茶器が置かれている部屋で茶器の鑑賞を、巻物や掛け軸、果ては切手集などの展示に移動していき、徐々に屋敷の内部に移動していた。和室というのは、引き戸一つで続きの部屋に移動することができる。まるで流れるように、当初義父が進めていた茶器の見学も行われ、そしてその先の続き間も開いて、奥へ奥へと移動する。その中で一人、頃合いを見計らって神西老医の診療室へと向かった。処方されていた薬が切れていたのを補充する機会をうかがっていたのだ。診療室の主人がいなくとも、薬品棚の前に立てば、自分に処方されていた薬くらいは判るつもりだった。

 

 長い髪を鎖編みにして首に掛けていたのが、ふいに息苦しく感じて指で緩めた。

 首に掛けなければ、鳩尾までの長さになる。

 

 四年間延ばし続けていた結果らしい。

 邪魔なので首にかけて一周させる。

 

 診療室まではここからは近い位置にあるが回り道をする予定だ。外回りの通路を使うと、屋敷の最も複雑に入り組んだ内部を通らずに済む。外塀が高いので、庭に面した通路は硝子戸が閉められているだけだった。風雨によってガタガタと音が鳴るが、時折光る雷によって電気がなくとも夜目の利く自分にとっては何の不自由もなかった。

 

 いくつかの角を曲がったとき、どこからか何かを研ぐ音がした。

 一定の速度で続いたかと思うと、時折止まり、また音がした。

 

 気になって内通路に入らないように半身だけで覗いてみた。

 

 するとそこは、古い厨房で、竈の近くに何者かがうごめいていた。漆喰の塗られた土壁に繰り抜かれている窓か空気穴から、数秒後に雷光が差し込み、その姿が露わになる。

 

 白い服を着た見かけない男が、包丁を研いでいた。

 

 その人物は振り返り、無骨な指を口許へ持って行き、一声放つ。

 ――まだ、内緒に。

 

 

 

 

 

 

 雷鳴と共に遅れてやって来た義父が上座につく。屋敷の浴場で湯あみを終え、浴衣姿に着替えて先に揃っていた探偵社の面々に向けて言葉を掛けた。

 

「浴槽の檜は一昨年換えたのだが、不便はなかっただろうか。誰ぞ、転んだと聞いたが」

「転んだのは僕です! つるつる滑るのでそのままひっくり返っちゃいました!」

 

 宮沢が元気よく挙手して申告した。

 

「大事ないか」

 

「大丈夫です! 僕、石頭なので!」

「頭部の怪我は甘く見てはならん。……常であれば、神西に診させるのだが、今は行方が知れぬのでな。この雨だと、隣町の医者を呼ぶもの厳しい」

 

 この海辺の町には、医者は神西しかいない。

 そのため、屋敷お抱えの主治医であるけれども、その診療室は開放されていて、町の住人もやって来ていたほどだった。

 宮沢の隣に座る、谷崎が義父に浴場で話していたことを伝えた。

 

「探偵社の女性陣に、女医の与謝野先生がいますので、明日ボクが賢治君に付き添って宿泊しているホテルに行こうと思ってるンです」

「大丈夫だと思うんですけどね! 谷崎さん、お願いします!」

「ボクもナオミの顔が見たかったンだ。気にしないで」

 

 ならば安心か、と義父は頷いた。

 

「刀は昔、儂が若いころに雑多に集めたものと、縁切りした愚息が倉代わりに勝手においていったものを並べただけの代物だが、数だけは多い。希少なものも数点あったが、如何だったかね」

 

 昼間に回っていた刀鑑賞について話題を振られ、国木田が興奮気味に語る。

 

「素晴らしい品々でした! 有名な刀匠のものもありましたし、珍しい刃紋もあって見ごたえがありました」

 

 和装の袖を引いて居住まいを整えた祖父は、酒を給仕に注がせて下がらせた。

 国木田の言葉に、鷹揚に頷いて注がれた杯を持った。

 

「それは良かった」

 

「そして隣の部屋の茶器も、見せていただいたのですが、不勉強ながらそれぞれに面白いほど特徴があり、名前の付け方にも由来があるのに驚きました。中央に置かれていた戦国の武将が所有していたという器はひび割れていたのが残念ですが、焼けた城からよくぞ形を残した状態で現存しているなと。あれには歴史と貫禄がありました」

「是非語り合おう、国木田君」

 

 探偵社の中でも人望の厚い国木田と名士たる義父とは通ずるものがあるのだろう。今日会ったばかりだというのに意気投合し固く手を握り合っていた。

 

 遅めの夕食は寿司だった。義父が巷で有名な寿司屋の職人をわざわざ屋敷まで呼び寄せたようだ。今も一人一人の寿司を、目の前で握ってくれている。包丁を研いでいたのはこの寿司職人だった。夕食の客間は昼食時の部屋よりも少し狭めで、貫禄のある寿司職人を中央に囲うようにコの字型に長卓が配置されている。未成年と大人とで向かい合わせになるよう机を分けられ、両側を繋ぐ上座に義父が座っていた。義父の席の背後には、床の間の掛け軸がかかる代わりに、中村家の廟が段々型に祀られている。

 

 未成年の長卓には果物を絞ったものが、大人の長卓には酒が振る舞われ、それ以外には特に違いはなく、黒塗りの三つの長卓にはすべて、漆塗りの器に赤味噌の吸い物、何かの釉がかかった茶碗に白米、木の香りが嗅げるような台の上に握りたての寿司、赤みを帯びた湯呑に湯気が漂う茶、白い平たい皿にわらび餅やら切り分けた芒果(マンゴー)やらのおやつが所せましと並んでいる。皿の隙間の長卓の色が見えるのも厭うように、可憐な花々が頭だけを落として花弁を限界まで広げ卓上を飾った。

 

「生憎の嵐だが、せめて食事だけでも楽しんでくれ」

「心遣いありがとうございます。あの、もしやこちらの方は本業の……?」

 

 国木田が恐る恐る尋ねると、酢飯を握っていた職人はえびが乗ったそれを、宮沢の寿司板に置いてから頭を下げた。

 

「申し遅れました。この海辺で『擾乱』という寿司屋をやっております。店主の難川と申します。この――正直(まさなお)とはこの地で共に育った腐れ縁になります」

 

「と、いうと、幼馴染なので?」

「そうなるな」

 

 国木田の確認に、義父は頷いた。

 太宰が体を寄せて耳打ちしてくる。

 

「職人を呼びつけるなんて流石名士の家だなと思ったけれど、そういう事情もあったのだね、織田作」

「そのようだな」

 

 太宰が小声で話しているのを認めた国木田が何をしているのかという目で隣の太宰を睨んだ。すると、向かいから夏梅が言葉を発した。

 

「国木田さん。おじいさんはここで育ってるから、おなななじみは多いんだよ」

幼馴染(おさななじみ)だよ、夏梅君」

 

 夏梅の隣に座っている中島が眉を下げて訂正する。

 えびの寿司をあっという間に食べ終わった宮沢が頬に米粒をつけた状態でにっこりと笑う。

 

「『な』がちょっと多かったですね!」

「……賢治君ちょっとこっちを向いてもらえるかな?」

 

 宮沢の隣に座っていた谷崎がその米粒を取ってやっていた。

 義父は既に酒に手を付けているが、顔色は全く変わらない。

 熱燗を水のようにあおり、尋ねてきた。

 

「難川の腕は如何かな。上等な部類だと本人は嘯いているが」

 

 ちらっと義父が難川の方へ目を向けるが、難川は気にした様子もない。

 我関せずとばかりに、氷を敷いた魚を取って捌き、寿司を握っていく。

 挑発的な義父の言葉に、まず初めに国木田が食いついた。

 

「とても……とても旨いです。私は今まで生きてきた中でこれほど旨い寿司に出会ったことがありません。腕のいい職人の寿司はここまで次元が違うかと思い知った次第です」

 

 国木田は、眼鏡を指で掛けなおしながら絶賛した。

 興奮冷めやらぬ国木田の肩を叩いた太宰も同意を示した。

 

「国木田君が興奮するのも解るね。まさに極上の味ってやつだ。ネタは新鮮で良質。扱う職人は玄人だ。嗚呼(ああ)このネタなんて、まるでバターのように口で溶け……ん、もぐもぐ……うん……この酢飯は重くもなく少なくもなく……もごもご……粒の張りを保った状態なのに……ごっくん……口当たりが自然でまろやか。さぞ研鑽を積まれたに違いない!」

 

 隣の太宰は食べながら合間合間に滑らかな賞賛の言葉を挟んで称えた。

 国木田が太宰の脇に肘鉄を入れ、行儀が悪いと小声で叱りつける。

 

「ありがとう存じます」

 

 気にした風もない難川は気負いなく頭を下げた。

 向かいで年少組の面倒をみながら静かに食していた谷崎も手を止めた。

 

「ボクも……食にそんなに興味がある方じゃなかったンですけど、お寿司だけじゃなくこの料理には本当に感動しました。ナオミ……あ、僕の妹なンですけど、ナオミにも食べさせてあげたいってくらいで」

 

「嬉しいことです。是非、晴れた日に店に寄ってください。店の方が漁師から仕入れた魚が新鮮なんです。この瀬戸にいらっしゃる間、いつでも構いません」

 

 谷崎がぱっと顔を輝かせる。

 しかし、その顔はすぐに曇った。

 

「今日は、こんな雨の中、ボクたちのために大変だったンじゃないですか? 坂道だって相当……」

 

 夜の20時になる今も、外は大荒れだった。

 瀬戸内はそれほど雨は降らないのだが、それも季節によれば荒れやすい時期はある。

 ちょうど今の時期がそうだ。

 

 地元民の難川はひょろりとした首を振ってなんてこと無さそうに言う。

 

「このくらいの風雨は慣れておりますので。最も、雨が降る前に呼んでもらえたら、昼食も私が捌いてやれたのですがね。これでも和食は得意ですので」

 

 義父はため息をついた。

 

「この難川は、宮仕えで和食を奉じる花板に最年少で上り詰めた奴だ」

「み、宮仕えを?」

「そんなときもありましたねえ」

 

 国木田が肩をわなわなと震わせていた。

 

「昔のことですよ」

「素晴らしい功績ですね……失礼ながら、辞められた理由が?」

 

 料理に舌鼓を打っていた太宰が、箸をおいて尋ねる。

 

「どこまで行けるか試してみて、行けるところまで行ったから辞めたんです」

「確かに、宮仕えの上って思いつきません!」

 

 宮沢がわらび餅を食べきって首を傾げた。

 

「箔もついたしいいかなと。結局のところこの海の居心地がよかったんですね」

「なるほど。ここは良いところのようですね」

 

 太宰が微笑した。

 ただねえ、と難川は声音を変えて笑いながら言う。

 

「久しぶりに呼ばれて来てみれば、ここの包丁は鈍らになっていて、研ぎ直しているところを婿殿に見つかってしまいましたが」

 

 視線がこちらに向けられ、口に運びかけていた酒を下ろしてゾッとしたその時のことを思い返した。

 

「肝が冷えました」

「そんな顔はしてませんでしたがねえ……」

 

 難川は肩をすくめた。

 大きな雷が鳴る。

 屋敷全体が揺れたように感じられた。

 

「大きな雷こわいねえ」

「わあ……これは落ちましたね!」

 

 年少組が言いあうが、しばらく部屋はしんとしていた。

 義父が酒をあおっていった。

 

「難川、お前も今日は泊っていけ」

 

 肩をすくめた難川が、そうさせてもらおうと頷いた。

 

「お店の方は空けておいて大丈夫ですか?」

 

 中島が尋ねると、難川は何とかなるでしょうと手を拭う。

 

「今日も倅に任せて出てきました。この雨ですし、客入りはあまりないでしょう。私は、あの夏梅の坊ちゃんと婿殿のお連れの方にも会える。倅は私がいなくなった店で気楽にやって息抜きできるでしょう」

 

「よかったです……」

 

「ご心配どうもありがとうございます」

 

 いえ、と中島は恐縮した。

 

「実は夕食の余興に、花火を用意していたのだが、この雨ではな」

「花火を見ながらの食事、ですか。それは贅沢ですね」

 

 義父とのやり取りは探偵社を代表して国木田がしてくれるので、安心することができる。

 義父は、国木田をちらりと見た。

 

「――そういえば、国木田君は昼に刀の伝承を披露していたと田治から聞いたのだが」

「聞きかじったことだけです」

「愚息がいれば、貴殿のことを構い倒したことだろうな……」

 

 国木田と義父たちの会話に耳を傾けていると、意気消沈した声が気庫田。

 

「花火したかった……」

 

 夏梅は外を見て肩を落としている。夏梅に甘い義父はその幼い独白を聞き逃さず、そうさな、と和装の袖の中で腕を組み思案した。

 

「花火の代わりになるかはさておき――武装探偵社と言われたかな」

「はい」

 

 答えたのは、探偵社を代表する国木田だ。この屋敷の主である義父と言葉を交わす相手として相応しい。おかげで義父との会話を任せ、ゆっくりと料理に舌鼓を打つことができている。

 

「つまり、推理、謎解きなどが本業と」

「そうですね。………昨今は、また違った系統が多いですが」

「ではこの屋敷に出る『影人間』に興味はあるかね?」

 

「影人間、ですか?」

 

 国木田は首をかしげる。

 そういえばその話をしかけていたのだった。

 

 太宰と中島も箸を止めて聞く体勢になった。

 

「それってうちに来る人がたまに見るっていう幽霊のこと?」

 

 夏梅が会話に割って入る。

 

「ゆ、幽霊!?」

「自宅に!?」

「し、心霊スポッ………もごっ」

 

 ぎょっとした顔で夏梅の近場にいる面々が振り返る。何か言いかけて口を両手でふさいだ者もいる。

 

「え、な、夏梅君。ここ、そンなのあるンだ?」

「そうみたい。僕は見たことないけどね。おまえんち、おっばけやーしき!って近所の子に言われたこともあるよ」

 

「そ、それは失礼では……」

 

 齢一桁の子どもたちの言うことだ。時に子どもの言葉というのは的を射ている。忖度がないからだろう。国木田は顔を横に向ける。その顔とは反対の位置にいる義父は「近所でもそれで評判でな」と湯呑に手を掛けている。

 

「ひょ……評判なンですね」

「乱歩さんがいたらすぐ解決しちゃいそうですけど、今はいませんものねえ!」

 

 解決、できるものなのか。

 そこは疑問だ。

 

 

 義父は様々に反応を示すのを静かに眺めてから提案した。

 

「ふむ。では――この屋敷の『影人間』の在り処を突き止めた者、あるいは謎を解いた者に懸賞金として一人三百万をお渡ししよう。さて、悪天の余興として如何かね?」

 

 暗い空に血管のような雷鳴が白く浮き上がった。息が止まる音というのもおかしいが、そんな音がそこかしこで聞こえたかと思えば、夕食の広間は阿鼻叫喚の嵐となった。義父による趣向を凝らした催しは受けが良さそうだった。隣では口を曲げて彼らを見る夏梅がいた。

 

「もう夜になるのに……みんな夜更かししそうなかんじじゃない?」

「お前は子どもだから、早く寝なさい」

「……はあい」

 

 夏梅はふくれっ面で手巻きを齧った。

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