無性に書きたくなったので、取りあえず書いてみました。私の世界は硬く冷たいの続編のような過去編のような、スピンオフのような話です。ちなみに私自身滅茶苦茶時間がないので、前作のような更新速度は維持できません。ご了承ください。
誤字脱字等がありましたらご報告を頂けると幸いです。
手紙やら、卒業やら、出会いやら
時間というものが相対的なものだということは今の世の中に浸透しつつある常識の一つだ。
だが少し時間を遡るだけでその常識は常識ではなくなり、事実とは全く異なることが常識であったりする。
少なくとも昔の常識では時間は絶対的なものであり、早くなったり遅くなったりはしないものと考えられていた。
このように常識というものは年々形を変え、より正しい事実へと移り変わってゆく。
それは文明が発達している証拠であると言える。
だが、文明が発達することによりその逆の現象も起こることがある。
もっとも、そんな事象は極少数だ。
その極少数の一つが超常現象の類だ。
時代が進むにつれて超能力者は否定されるようになり、吸血鬼や人狼など化け物の話も聞かなくなる。
世の中の常識が『いる』から『いるかもしれない』に変わり、ついには『そんなものはいない』となった。
そう、今の世の中では『不思議』なことは徹底的に否定され、ほぼ全ての人間が科学という宗教を信仰している。
だがそんな人間たちは知らない。
今の生活を築いている科学も大元を辿れば『よくわからない力』であることを。
そしてその力を解明することが不可能であることを。
ロンドンの上空を一羽のフクロウが飛んでいる。
フクロウが飛んでいるだけで珍しい光景ではあるのだが、そのフクロウはクチバシに一通の手紙を咥えていた。
一見するとフクロウがどこかのポストから手紙を引き抜き遊んでいるように見えるが、実はそうではない。
信じられないことに、このフクロウは自らの意思で手紙を運んでいた。
勿論普通のフクロウにそんな知能はない。
少なくとも人間界のフクロウには同じ芸当は不可能だろう。
だが、魔法界で生まれたフクロウが魔法使いに飼われていたらその限りではない。
そう、今この手紙を運んでいるフクロウは魔法使いが遣わせた伝書フクロウだった。
伝書フクロウはまっすぐロンドンの街を抜け、森の中に入っていく。
いや、そもそもこのような森がロンドンにはあっただろうか。
そう思わずにはいられないほど、その森には人の気配がなかった。
獣ですら踏み入ることを躊躇するその森を本能に逆らいながら伝書フクロウは飛ぶ。
そして次の瞬間、魂を吸いとられたかのように突然、伝書フクロウは地面に落ちた。
「よっと、今夜の夜食ゲット。……ん?」
落ちたフクロウに一人の少女が近づいてくる。
その少女はフクロウの足を掴み自らの目の前まで持ち上げた。
「あっちゃー……、伝書フクロウだったか。まあ殺しちゃったものはしょうがないし」
そこそこの長身に紅い髪……赤毛とは違い真っ赤に染まったその髪は普通とは言い難い。
ロンドンの街に似つかわしくない緑のチャイナ服を着て、その上からフリル付きのエプロンをしていた。
彼女の名前は紅美鈴。
彼女は人間ではなく、俗にいう妖の類である。
「えっと、お嬢様に手紙か。こんな辺鄙なところにいるのに、変なところで社交的なんですから」
美鈴はフクロウの死骸を片手に引き下げたまま来た道を戻っていく。
日はとうに暮れており周囲はかなり暗いが、人間ではない彼女にはあまり関係ないようだ。
いや、彼女にとっては昼よりもこれぐらいの暗闇のほうがよく見えるのかもしれない。
美鈴は慣れた足取りで森を進み、その奥にひっそりと建つ洋館へと入っていった。
その洋館はあまり大きいとは言えないが、手入れが行き届いており庭もきちんと整備されている。
洋館の主はこの洋館のことを『紅魔館』と、そう呼んでいた。
美鈴にとってその辺のことははっきり言わずともどうでもよいことなのだが、それを自分の主に言うつもりはない。
「レミリアお嬢様、お手紙ですよ?」
美鈴は紅魔館の一室、当主の書斎の扉をノックする。
ノックだけして返事を待たずに中に入った。
「……美鈴、コミュニケーションというものは一方通行なものではないのよ?」
書斎では一人の少女が机に向かっていた。
背丈は低く、どこからどう見ても年端のいかない少女にしか見えない。
そんな見た目には釣り合わないような言葉が次々と少女の口から発せられる。
「部屋に入る前のノックは四回。そして、私が許可を出したら「失礼します」と返事をして静かにドアを開ける。前に教えたでしょう?」
彼女の名前はレミリア・スカーレット。
この紅魔館の当主にして、数百年を生きる吸血鬼である。
その証拠と言わんばかりに背中にはコウモリのような黒く大きな羽が生えており、時折レミリアの動きに合わせてピクリと動いていた。
「勿論覚えてますよ。はい、手紙」
美鈴は便箋の封を破り中身の手紙を取り出してレミリアに手渡す。
そのあまりにも非常識な行動に、レミリアはため息をつくしかなかった。
「今度から便箋ごと渡しなさい」
「ほら、爆発物や呪いが仕掛けられているかもしれないですし」
「そうだとしても手に取った瞬間わかるから貴方が危険を冒すことはないわ」
レミリアは忠誠心があるのかないのか分からない従者に頭を抱えながらも受け取った手紙に目を通す。美鈴も一緒になって手紙をのぞき込んだ。
「何か書いてありました?」
「何も書いてなかったら、これを送った誰かさんは余程の間抜けね」
レミリアは手紙を美鈴に手渡す。
特別重要な手紙でもなかったのだろう。
美鈴は手紙を上から下まで読み、怪訝な表情を浮かべた。
「えっと……ラブレター?」
手紙の主はアルバス・ダンブルドア。
手紙の内容を信じるならホグワーツの学生だということだ。
「そのホグワーツの学生さんがお嬢様に何の用なんです?」
「それを説明するのが面倒だから手紙を渡したのだけれど……。そうね、簡単に説明するとすれば、私と交流を持ちたいみたい」
「じゃあやっぱりラブレター?」
「ファンレターに近いかしら。まあ本当の目的としては有名人の知り合いを作っておきたいといったところでしょうけど」
レミリア・スカーレットは占い師である。
表の世界で名が売れているわけではないが、魔法使いの世界、魔法界では占いを齧ったことのあるものなら知らない者はいない有名人だ。
その友好関係は広く、種族を問わず知り合いが多いことでも有名である。
そして予言の的中率はかなり高く、その中でも死に関する占い、予言はずば抜けて的中率が高いと評判だった。
「でも死の予言の的中率が高いのってお嬢様が直接殺しに行ってるからですよね?」
「まあ、吸血鬼は血を吸わないと死んでしまうし。事前に死を予言しておいたほうが相手がビビるのよ。恐怖に歪んだ顔というのは最高の肴なの」
死の予言をし、相手を恐怖させ、狩る。
これがレミリアの吸血鬼としての基本的な狩猟スタイルであった。
もっとも、無差別に血を貪ることもできるのだがそれでは獣と変わりない。
レミリアは自らのことを人間よりも高貴な生き物だと考えているし、実際周囲からもそう思われている。
「さて、返事を書かないとね」
レミリアは机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出すと羽ペンにインクを浸け、羊皮紙の上を滑らせる。
美鈴はその様子を興味深そうに見ていた。
「返事書くんですね。一応」
「少し面白いことを考えたのよ」
そう言うレミリアの顔には薄く笑みが浮かんでいた。
レミリアはサラサラと返事を書き終えると便箋に入れ、自分の体の一部をコウモリに変えて手紙を持たせる。
伝書フクロウならぬ伝書コウモリだった。
手紙を持ったコウモリはバタバタと羽を動かし窓から外に出ていく。
それを見届けてから美鈴は部屋の窓を閉めた。
「さて、返事が楽しみね」
『お手紙ありがとう。貴方のような若い人間が占いに興味をもってくれるというのは嬉しいものね。そこで特別に、貴方に対して予言を一つ授けることにするわ。これは貴方の……いや、将来の魔法界に関わってくるものだからしかと胸に刻みなさい。「アルバス・パージバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドアは一九九七年の六月に死ぬ」良かったわね。普段私の占いで寿命に関することが出る時は、大抵一年程度先のことが多いんだけど、百年ほど猶予があるわよ』
ホグワーツの大広間でアルバス・ダンブルドアは一人手紙を広げて固まっていた。
アルバスの横の席ではエルファイアス・ドージが夢中になってカボチャパイに齧りついている。
「ん? どうしたの、アルバス。早く食べないと昼の授業に間に合わないぞ」
「あ、いや。何でもないんだ、何でも。ところでドージ、レミリア・スカーレットって知ってるか?」
ドージは聞きなれない名前にカボチャパイを頬張りながら首を傾げる。
すると向かいの席についていたグリフィンドール生の少女が唐突に会話に参加してきた。
「予言者レミリア・スカーレットでしょ? 占い学の教科書に載ってる人よね」
「それじゃあ、僕が知らないのも無理はないな。僕占い学取ってないし」
ドージが肩を竦めて食事に戻る。
少女は少しでもアルバスと親交を持ちたいのかさらに話を振った。
「生ける伝説、死の予言者。なんでも死の予言に関しては一度も外したことがないらしいわ」
「一度も?」
「記録上はね。普通どんなに優秀な予言者でも的中率は二割、酷いと全く当たらないってこともあるのに」
「へえ、だから教科書に載ってるのか」
ドージがいかにものんきな調子で答えた。
「ふぅん」
アルバスは興味なさげに相槌を打つが、本心はそうではない。
彼としては今すぐホグワーツの図書室にすっ飛んでいきたいと思っていた。
アルバス自身予言など当たらないものだと思っているし、実際にこのレミリアの予言を信じたわけではない。
だが彼の性格上、不確定で不明瞭な事柄は少しでもなくしておきたいのだ。
「予言者……ね」
アルバスはそうポツリとつぶやき、パンを手に取った。
紅魔館の書斎にノックの音が響き渡る。
四回軽快に奏でられたそれを聞き、レミリアは従者へ入室の許可を出した。
「またお手紙です。えっと、アルバス・ダンブルドアって書かれてますね。一か月前に手紙を送ってきた例のホグワーツ生みたいですけど……」
美鈴は差出人を確認しながら便箋ごと手紙をレミリアに渡す。
レミリアは慣れた手つきで封蝋を破り、中身を改めた。
「ふむ。だいぶ動揺しているみたいね。返事がきたのも遅かったし」
レミリアはケラケラと笑いながら手紙を美鈴に見せる。
手紙には遠回しにだが、予言が間違い、もしくはタチの悪い冗談ではないのかといったことが書かれていた。
「多分あの後散々私について調べたんでしょうね。そして調べた結果、予言が当たる可能性が高いとわかったから私に手紙を寄越した」
「でも百年以上先の話ですよ? どんだけ業突く張りなんですか、この少年」
「一般にはもう青年と言ってもいい歳だけどね。それに魔法界じゃ百歳以上の高齢者は普通にいるわ。ニコラス・フラメルっていう生きる化石もいるしね」
ニコラス・フラメルとは賢者の石の錬成に成功した錬金術師である。
賢者の石とは卑金属を黄金に変える触媒として使えたり、不老不死の薬である命の水を作る原料になる物質である。
この時代、ニコラス・フラメル以外にこの石を錬成できる者はいない。
「ああ、フラメルですか。たまに会ってますよね?」
美鈴の言うようにレミリアは何度かニコラスと会ったことがあった。
賢者の石の錬成に成功したということもあり、ニコラスはあまり人間を信用しなくなったのだが、吸血鬼であるレミリアなら話は別だ。
吸血鬼は賢者の石などなくとも、老化で死ぬことはない。
「実際には徐々に老化してるんだけどね。ただ、人間と比べるとゆっくりなだけで」
レミリアの言葉に、美鈴はうんうんと頷く。
確かに美鈴の目の前にいるレミリアの身長は高くはない。
背中に生えている羽さえなければ十歳の人間の少女だと騙れる程度には若かった。
「四百年でこれですもんね」
「これは失礼でしょ? 訂正なさい。あ、いや訂正しなくてもいいけど、これはやめなさい」
「じゃあお小さい?」
その返事を聞き、レミリアは小さくため息をついた。
レミリア自身、背が小さいことを気にしているわけではない。
成長が遅いだけで成長していないわけではないからだ。
ただ、背が低いと不便であるとは思っているが。
「なんにしても、この小僧……アルバス・ダンブルドアには返事を書かないことにするわ。そのほうが勝手に勘違いして面白いことになりそうだし」
レミリアはそう言うと手紙を机の引き出しに仕舞い込む。
そしてその引き出しに鍵をかけ、椅子から立ち上がった。
「フランの様子を見てくるわ。最近何かに夢中になっているみたいで、少し心配なの。私が地下に行っている間、館の留守は任せたわよ」
「あ、はい」
美鈴が生返事を返したと同時にレミリアが部屋から消える。
それは魔法使いが使う姿現しのようにも見えるが、本質的には違うものだ。
「……フランドールお嬢様、彼女が出す狂気さえどうにかなれば森にも動物が住み着くんだけどなぁ。今のままじゃ肉が捕れないし。いや、ロンドンで肉を捕ろうとするのが間違いか」
美鈴は小さいため息を一つつくと書斎に鍵をかけキッチンへと向かった。
一八九九年、ホグワーツ卒業式。
アルバス・ダンブルドアは多くの記者とカメラに囲まれていた。
当時、まだカメラというものは開発されたばかりで、カメラがあるというだけで生徒が集まってくるのだが、今回ばかりはそうではない。
何せ、『ホグワーツ始まって以来の秀才』と名高い、アルバス・ダンブルドアがついにホグワーツを卒業したのだ。
学校という檻から解き放たれた若き天才が、今後どのような道を進んでいくのか。
それはホグワーツの生徒だけでなく、一般の魔法使いからも興味が持たれていた。
「ホグワーツ卒業、おめでとうございます! 今後の進路は?」
「日刊預言者新聞です! ひとことお願いします!」
「ホグワーツ首席卒業おめでとうございます! 魔法省に就職するのではという噂ですが!!」
記者たちが次々にアルバスに質問を飛ばす。
アルバスはもう慣れっこであるのか、にこやかな笑みでドージの肩を掴み引き寄せた。
「卒業後は少しの間旅行に出ようと思っています。親友のドージを連れて。就職はそのあとですね」
アルバスのにこやかな笑みに対し、ドージの顔はガチガチに緊張している。
そんな様子を多くのカメラが捉えていた。
「すみません! 今年の首席の卒業生の写真を撮りたいんですが、よろしいですか?」
一人の記者がカメラを構える。
そして少し固まったあと、おずおずとアルバスに問いかけた。
「あの、もう一人の首席って誰でしたっけ?」
その問いに多くの記者が豆鉄砲を食らったような顔をする。
そういえば、アルバスの印象が強すぎてもう一人の首席の顔はおろか名前すら把握していないと。
「もう一人の首席、ですよね。今年の女子の首席はパチュリー・ノーレッジですよ。ほら、あそこにいる」
アルバスはホグワーツの門の近くを指さす。そこには卒業証書を敷物代わりに尻の下に敷き、塀に腰かけている女性がいた。
「おーい、パチュリー。首席で写真を撮るんだとよ。こっちにこいよ」
アルバスがそう言って手を振るが、パチュリーは面倒くさそうに視線を向けただけだった。
「あんまりこういうの好きそうじゃないもんね」
ドージがおずおずとアルバスに言う。
それならばとアルバスはパチュリーのほうへと近づいて行った。
「あまりこういう機会もないだろう? いいじゃないか」
アルバスのまっすぐな視線に、パチュリーは目を逸らし軽くため息をついた。
そしてダルそうに塀から降り、傍らに置いてあった首席の表彰状を手に取る。
その様子を見て、アルバスも横に並び表彰状を掲げた。
「では撮ります! 三、二、一!」
その日の日刊預言者新聞の夕刊には、にこやかな笑みを浮かべるアルバスと、いかにもダルそうな表情を浮かべるパチュリーのツーショットが掲載された。
だが、記事の内容の殆どがアルバスに関するもので、パチュリーに関する記事自体は無いに等しいのだが。
「あ、死んじゃった。まあいいか」
アルバスとドージの卒業旅行前夜、アルバスの母ケンドラが、娘のアリアナに殺される。
アルバスは残された兄弟の面倒を見るために、旅行を中止、ゴドリックの谷に留まった。
ケンドラの死に、フランドール・スカーレットが絡んでいたことを知る人間は、アリアナ以外いない。
「…………」
パチュリー・ノーレッジは後悔していた。
ホグワーツを卒業したのはいいものの、働く気はなく、嫁に行く気もない。
取りあえず流行に従って卒業旅行に出たのはいいものの、特に行く当てもなく、ただ独りでイギリスを彷徨う毎日。
もっとも、その旅の途中で見聞きしたものは確実に知識として頭の中に入っているのだが。
「……えっと、ロンドンよね。ここ」
パチュリーがそう呟くのも無理はない。
パチュリーが今いるこの森は、パチュリーが今まで暮らしてきた世界とは空気が違う。
肌で感じるこの雰囲気を言葉で表現することなど、ある意味では無意味なのだが、あえて言葉にすれば『人間に限界まで空気を詰め込み、膨れ上がった腹部に刀剣の先端を突きつけている』ような、今にも爆発しそうなそんな雰囲気だった。
ホグワーツではこのような空気を味わったことはない。
普通の人間ならその空気だけで絶命しそうな、そんな空間にパチュリーは踏み込む。
危険だということは理解しているし、その行動に意味がないこともわかっている。
だがパチュリーは自らの経験にない、新しい知識を求めて奥へ奥へと進んでいった。
三十分ほど歩いただろうか。
パチュリーはついにその森の終着点へとたどり着いた。
いや、終着点という言い方は、本来森に対しては適切ではない。
だがこの時パチュリーが思った感覚をそのまま言葉に直すなら、終着点という言葉が一番適切だった。
「こんな森の奥に洋館……いや、徒歩三十分程度なら奥でもないのかしら」
目の前にそびえる洋館を見上げながらパチュリーは呟く。
普段の彼女なら例え相手がいたとしても思ったことを口に出すことはない。
無意識に思考が口から洩れているところを見るに、パチュリーは少しばかり動揺しているようだった。
その洋館はこんなところに建っているわりには綺麗で、庭も手入れが行き届いている。
空からは日の光が差し込んでおり、もしこの館を写真で見たとしたらなんら違和感を抱くことをないだろう。
だが、パチュリーには全く違うものが見えていた。
洋館の壁は血に染まり、庭には臓物がまき散らされている。
もっとも、そう見えてしまっただけで実際のところは違う。
壁の色は元々赤いだけであるし、臓物に見えたものは真っ赤な花を咲かせた薔薇の植木だった。
「えっと、どちらさん?」
唐突に背後から声を掛けられ、パチュリーは恐る恐る振り返る。
そこにはパチュリーより少し背の高い女性がチャイナ服にエプロンという異様な恰好で立っていた。
だが、驚くべきはその服装ではない。
パチュリーほどの魔法使いが、背後に立たれるまでその存在に気が付かない。
それこそが異常なのだ。
「貴方、ここの館の人?」
パチュリーは出来るだけ平静を装い、その女性に問う。
その女性は軽く首を傾げた後、パチュリーを指さして大声をあげた。
「あ! ホグワーツ首席のパチュリー・ノーレッジだ!」
大声を上げた女性、紅美鈴はパチュリーの手を握り上下にブンブンと振る。
強制的に握手を済ませたのち、美鈴は半ば強引にパチュリーを館の中へ引きずり込んだ。
元々パチュリーは気が強いほうではない。
学校でもどちらかと言えば周囲に流されるタイプではあるし、それが嫌で毎日のように図書室に籠っていたと言っても過言ではないほどだ。
そんな日常を送っていたため、ホグワーツにある書籍は禁書の棚のモノまで読みつくし、自分が考えた魔法の論文をこっそり本棚に追加したりしていた。
アルバスが論文を学会に提出している時、パチュリーは書いた論文を人目のつかないところに隠していたということになる。
その辺りが表に出たがるアルバスと、出たがらないパチュリーの大きな違いだと言えるだろう。
美鈴はパチュリーを引きずっていき、客間に通す。
そしてそそくさと部屋を出ていった。
この状況にパチュリーは困惑を隠しきれない。
いくらホグワーツ首席、アルバス以上の知識を携え、他の誰よりも知識に貪欲だといえ、歳はまだ十代後半。
学生時代に大きな冒険をしたこともなく、命の危機を体験したわけでもなく、戦いもなく、争いもなく。
危険に対する経験の無さ故に、パチュリーはただただ縮こまることしかできなかった。
どれほどの時間が経っただろうか。
部屋の扉が再び開き、美鈴がティーセットを持って入ってくる。
その様子から察するに、先ほどからまだ数分しか経っていないようだ。
美鈴は慣れた手つきで紅茶をティーカップに注ぎ、パチュリーの前に置く。
そしてもう一つのティーカップにも紅茶を注ぎ、自分の口へと運んだ。
「どうぞ、冷めないうちに」
毒など入っていないと言わんばかりにグイッと紅茶を飲む美鈴。
その様子を見て、パチュリーはティーカップに手を伸ばした。
「いやはや少し強引でしたかね。なにせこの館に人間の客なんて、久々で。おっと、自己紹介がまだでしたね。私の名前は紅美鈴。この館、紅魔館で一応使用人として働いています」
傍から見たら和やかなお茶会に見えなくもないが、皮膚の表面を溶かすような空気、気配が消えたわけではない。
館に入ったからこそわかったことだが、この何とも言えない嫌な気配はこの館の下から発せられているようだ。
もっとも、その気配を発しているのは地下にいるフランドール・スカーレットなのだが、パチュリーは知る由もない。
「パチュリー・ノーレッジよ。その口ぶりだと私のことは知っているみたいだけど」
「いえ、実はそんなに知りません」
「……」
そう言われるとパチュリーとしては反応が出来なくなる。
パチュリー自身社交的ではないし、美鈴も人との付き合いが得意なわけではない。
暫く二人は何も話さず、静かに紅茶を飲んだ。
ティーカップが空になる頃になってようやく、美鈴が思い出したかのようにパチュリーに聞く。
「そういえば、パチュリーさんはどうして紅魔館に? もしかしてお嬢様に用事とかでした?」
その美鈴の言葉を聞き、パチュリーは先ほどから疑問に思っていたことを質問した。
「この森に迷い込んでしまったのだけど、こんなところに住んでいる貴方の主人は一体どなたなのかしら」
「迷い込んだ……え? 冗談ですよね?」
確かに、迷い込んだというのはパチュリーの嘘だ。
こんな森に迷い込むのは不可能というものである。
意図して踏み込まなければ、本能的に避けて通ってしまう。
「……まあ、冗談ですけど」
「ですよね。うん。で、何の用で?」
パチュリーは顔に出さないようにしながら考え込む。
美鈴の顔をチラリと見て答えた。
「まあ、ここに住んでいるならわかると思うけど、この森は普通じゃないわ。この館を中心にして何とも言えない邪気のようなものが広がっている。それに興味を惹かれてここまで来たのよ」
「ああ、はいはい。そういうことですか。なるほど、なるほど」
美鈴は酷く気楽に頷き、にこやかな笑みを浮かべる。
その表情は野良猫に困っている主婦みたいに、何とも言えないモノだった。
「私としても困ってるんですよね。この狂気のせいで館の周囲に動物が寄り付かないですし。留守にもできないし」
うんうんと頷きながらしゃべり続ける美鈴の言葉に、パチュリーは少々違和感を覚えた。
邪気ではなくて狂気、そして何も関係ないように聞こえる『留守にもできない』という言葉。
パチュリー・ノーレッジはパズルが好きだ。
今のこの状況に全く関係ないような情報のように聞こえるかもしれないが、実は大いに関係あるのだ。
今ある情報を組み立て、分解し、結合し、変化させ、昇華させ、消化させる。
まあこれに関しては問題をとつけたほうがいいかもしれないが。
なんにしてもパチュリーは美鈴の少ない言葉から感じた違和感からあらゆる可能性を推理し、一番可能性が高いと思われる仮説を基に話を合わせた。
「従者としては大変よね。ここのお嬢様も苦労しているのかしら」
邪気ではなくて狂気ということは物質や現象、地質などの、所謂『物』ではない。
そして狂気という言い方。
獣や化物にはそう言った言い方をしない。
狂気という言葉は基本的には人間に使う言葉だ。
『留守』にできないという言葉からその狂気を持っている人物は一人では生活できないことが伺える。
そして少し前の『お嬢様に用事とかでした?』という言葉。
自然にそのような言葉が出てきたということは、そのお嬢様自身は狂気の持ち主ではない。
用事を作るような人間が狂気の持ち主で一人で生活できないとは思えないからだ。
パチュリーとしてはこの後美鈴が見せることであろう『え? なんでそんなことまで知ってるの?』という表情を少し楽しみにしていたのだが、美鈴が見せたのは困惑とはかけ離れた表情だった。
「──、……」
まさかの無表情である。
先ほどの笑みは何処へやら。
美鈴は表情筋が死んだような顔でパチュリーの顔を覗き見る。
パチュリーは一瞬開心術を掛けられていると思い警戒したが、そういうわけでもないようだ。
「もう一度お聞きします。お嬢様に用事ですか?」
美鈴が無表情のままパチュリーに質問した。
パチュリーは一度目を瞑ると、少し思考を巡らせてから素直に頭を下げた。
「ごめんなさい。少し失礼だったわ。憶測と推測だけのあてずっぽうよ。私は今日初めてここに来たし、貴方のお嬢様のことも全く知らないし、貴方の言うところの狂気に興味があっただけで、それの原因にはそこまで興味はないわ」
それを聞いて美鈴の顔に表情が戻る。
そして今度はニヤケ面になった。
「……ぷっ、普段あれだけ偉そうにしている癖に、若い人には知名度皆無ね」
ふふ、ふふふと不敵に美鈴は笑う。
そして満足そうにパチュリーに聞いた。
「ここに住んでいるのはレミリア・スカーレット嬢ですよ。ほら、占いで有名な」
「では、あの吸血鬼の。有名な予言者よね」
「なんだ、知ってるんじゃないですか。つまんないなーもう」
美鈴はそう言って少し表情を曇らせるが、パチュリーには納得できることがあった。
客室に通されたはいいものの、館の当主が出てこないのはそういうことなのだ。
吸血鬼は夜行性である。
故に、真昼間の今、この時間は棺桶の中であろう。
もっとも棺桶というのはパチュリーの勝手な偏見で、レミリア自身はちゃんとベッドで寝ているのだが。
「そういうきとなら時間が時間だし、ここの当主さんには会えそうにないわね。あ、そうだ。外に漏れる狂気だけなら何とかなるかも知れないわ」
パチュリーはここに来た理由を何かしら作るためにそんな話を切り出す。
この狂気の中ここまで来て、何もせずに帰るというのは、少し勿体ないと感じたからだ。
「え? そんなことができるんですか? それをすれば森にも動物が寄り付きますかね?」
「動物? すぐには無理でしょうけど、少し時間が経てば集まってくるはずよ」
「是非ともお願いします! 是非是非!」
美鈴は身を乗り出してパチュリーの手を握った。
そしてそのままブンブンと握った手を上下に振る。
「えっと……手を放して貰わないと魔法が使えないわ」
「ああ、すみません」
パチュリーに指摘され、ようやく美鈴は握っていた手を放す。
両手が自由になったところで、パチュリーはローブに手を差し込み、杖を取り出した。
「狂気の発信源を明確にしたいのだけれど、見取り図のようなものはあるかしら」
「うーん、ないですね」
「そう、じゃあ取りあえず応急的に大雑把に結界を張ってみましょうか」
パチュリーは探知の魔法を発動させ、その人物がいるであろう大体の位置を特定する。
そして杖を振るい、結界を張り巡らせた。
数秒のタイムラグの後ぷっつりと狂気が消え去る。
「まあ、成功ね」
おお、と美鈴はぐるりと周囲を見渡す。
そして、一瞬無表情になったあと、その顔に一筋の汗が流れた。
「あ、やばいかも」
美鈴は咄嗟に椅子から立ち上がり机を横倒しにしてその陰に隠れる。
パチュリーは何が何だか分からず、杖を持ったまま椅子の上から動けない。
次の瞬間、客室の壁が爆発した。
パチュリーは咄嗟に魔法で防壁を張り、爆風と破片をやり過ごす。
そして身に着けたあらゆる探知魔法を発動させ爆発の正体を探った。
「巨大な魔力を検出。術ではなく、魔力の塊のようだけ……ど……」
ゆっくりと土煙が晴れていく。
パチュリーは穴の開いた壁の向こう側に小さい人影を確認した。
「フランの気配が消えた。原因は貴様か?」
フリルのついたドレスに青い髪。
背はあまり高くはないが背中には大きな羽が生えており、手には赤く輝く槍のような物を構えていた。
今この瞬間、パチュリー・ノーレッジは人生初の生命の危機に瀕していた。
「あ、あの。私はただ──」
「原因は貴様かと、私は聞いたつもりだが?」
パチュリーはレミリアの顔を見据える。
そして一度深呼吸した後、魔法使いの命でもある杖を地面の上に置いた。
「私よ。狂気が外に漏れないようにしたのは。でも私が行ったのはそれだけ。貴方の言うところの『フラン』には何もしていないわ」
「美鈴、こいつは?」
レミリアはパチュリーに槍を突きつけながら美鈴に質問する。
美鈴は机の影から少しだけ顔を出すと囁き声でレミリアに伝えた。
「パチュリー・ノーレッジです」
「ああ、あの首席の。目立ってないほうね。取りあえず今すぐ結界を解きなさい」
レミリアは自分の服に付いた砂埃を払う。
それを見て、美鈴は倒した机を元に戻した。
パチュリーも空気が変わったと判断し、杖を拾い結界を解く。
その後、壊れた壁とティーカップを修復した。
臓物を自分で引きずり出し、代わりに火のついたダイナマイトをお腹に詰め縫い合わせたような狂気が再び周囲に満ち始める。
そんな中、本日二回目のお茶会が開かれた。
まあ、先ほどのをお茶会に数えたらという話になるが。
「先ほどは取り乱して悪かったわ。でも狂気はこのままでいいのよ。この狂気は、『地下にフランがいる』確かな証拠なのだから。ああ、フランというのは私の妹よ。フランドール・スカーレット」
レミリアは美鈴が用意した紅茶を飲む。
パチュリーもそれに倣ってティーカップを口に運んだ。
「過保護なのね」
「当然よ。だってたった一人の家族なのだから」
確かにレミリアの言う通り、狂気がそこにあるということはそれを発している人物がそこにいるということである。
レミリアはそれを頼りに妹の監視を行っていたのだった。
「まあ、折角来たのだし、ゆっくりしていくといいわ。見たところ首席というだけあってそこそこ優秀なようだし。もし貴方さえ良ければだけど、この紅魔館で雇ってもいいぐらいよ」
「それは遠慮させてもらうわ。私に使用人は向いていないと思うし」
図書館でもあれば別だけど、とパチュリーは続けた。
「図書館? 本が好きなの?」
その単語に何故かレミリアが食いつく。
そして何かを思い出したかのように手を合わせた。
「ならちょうどいいわ。この紅魔館の地下は図書館になっているのよ」
「え、そうだったんですか」
そう答えたのは美鈴だ。
どうやらそこに住んでいる住民でさえ知らないような施設だったようだ。
「パチュリー・ノーレッジ。あなた、そこで図書館の司書をやりなさい」
パチュリーはいきなりの提案に少し困惑する。
だが、逆に言えば少し困惑しただけだった。
よくよく考えれば、悪くない提案かもしれないとパチュリーは考えていた。
別にほかにやりたいことがあるわけでもないし、就職する気もない。
それに吸血鬼が保有する図書館だ。
見たことのない本があるかもしれない。
「そうね。図書館を自由にしてよくて、自由に研究が出来て、尚且つ私を養ってくれるなら、司書を引き受けるわ」
「あら、じゃあ決定ね」
「え?」
パチュリーとしては半分冗談だったのだが、レミリアはすんなり了承した。
「これからよろしく。パチュリー・ノーレッジ」
そう言い残すとレミリアは大きく欠伸をし、部屋を出ていく。
パチュリーはそんなレミリアの後ろ姿を黙って見送るしかなかった。
ダンブルドアがレミリアに手紙を送る
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レミリアがダンブルドアに嘘の死の予言をする
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ダンブルドア、パチュリー卒業
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ケンドラがアリアナに殺害される(この時のアリアナにはフランが乗り移っている)
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ダンブルドアがゴドリックの谷に戻る
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パチュリーがロンドンの森に踏み入る
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パチュリーとレミリアが出会う
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パチュリーが紅魔館地下図書館の司書になる←今ここ
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