甘い香りが鼻をくすぐる。クッキーでも焼いているのだろうか。なんにしても、味には期待していいだろう。
「それじゃあホグワーツに通うことになったんだ。なんというか、少し意外です。」
床に紙を置き、クレヨンを持って向かい合う。私は紙にメイド服を着た少女を描いた。
「そうね……お姉さまも予想していなかったみたい。」
「でも、大丈夫なんです?」
アリアナはメイドの手元にナイフを描いた。
「いくらあの子でも生徒を殺すようなことはしないでしょ。」
「私が心配しているのはそのことじゃないです。というか、この逆ですよ。」
アリアナがメイドの手を赤く塗る。そしてその周りに花を沢山描きはじめた。私も負けじと花を描く。
「逆? 殺さなくなるってことでしょ。ならいいじゃない。」
アリアナは花に一本棒を描きこんだ。何かと聞いたら杖だという。ああ、これはホグワーツの生徒だったのか。
「あの子は悪意を持って人を殺していたわけじゃないですよね? いきなり殺人が悪の世界に放り込まれて大丈夫なのでしょうか。」
ああ、罪の意識がという話ね。
「アリアナはどうなると思うの? 気が狂うとでも?」
「そこまでは分かりませんが……もしかしたら紅魔館に帰ってこれなくなるかも知れませんね。」
「吸血鬼の従者としての生き方に疑問を持つかもしれないということね……それはないと思うけど?」
私はメイドの横にお姉さまを描いた。
「あの子は何処までもお嬢様に魅了されているわ。数年前ならまだしも、今更人の道に戻ることはないでしょう。だから、あの子は殺人を止めないわ。」
まあ、それでも生徒は殺さないだろうけど。
「でも、何か対策を考えておいた方がよいのでは?」
だが、アリアナの言うことももっともである。
「要はあの子の中で殺人が特別な行為にならなければいいわけでしょ?」
「それが理想ですかね。」
「だったら、殺させればいいわ。今までと同じように。」
私は赤いクレヨンで直線を引いた。丁度花を両断する形で。
「……本末転倒では?」
「……そうかも。」
私は新しい紙を床に置く。
「言い出しっぺの法則として、貴方が何かアイディア出しなさいよ。」
「でも私はフランちゃんみたいに頭良くないですし……。ゲームとか?」
「ホグワーツには電気が通ってないわ。それに、確かあそこの中は機械が動かないようになっていたと思うし。」
でも仮想空間という発想は悪くないかも知れない。
「そうね……夢を見せるというのはアリかもねぇ……。」
「夢、ですか?」
「そう、夢よ。夢なら誤魔化しも効くし、なにより自然でしょ?」
少し工夫すれば、夢の中に忍び込むぐらいは出来ると思う。
「あの子は明晰夢を見るタイプじゃありませんもんね。じゃあ夢の中で人を殺させると?」
「そうそう、大虐殺よ!」
私は紙にロンドンの街並みを描く。実際にこの目で見たことはないが。
「クッキー焼けたわよー。」
「「わーい」」
「ゎぁ……ぃ……あ、あ、……むにゃむにゃ……すぅ。」
「……寝てるわね。」
私はフランに毛布を掛け直す。まったく、風邪を引くことはないだろうが、お腹を冷やすかもしれない。手間のかかる妹だ。
「絵を描いていたのね……絵? 題材は何処から探してくるのかしら。パチェから本を借りてはいるみたいだけど外には出たことないはずだし。」
私はフランが描いた絵を手に取る。そこにはロンドンの街並みが描かれていた。
「ん? これは何かしら。」
絵の隅に小さな字で1と0が羅列されていた。
「『011 101 1 10 00』……何かしら、これ。機械語? 二進法とか?」
二進法だとすると、3、5、1、2、0。だが二進法の場合、011の前の0は必要ないし、00も0は一つでいいはずだ。
「だとするとそのまま解釈しないほうがいいのかしらね。ゼロワンワン、ワンゼロワン、ワン、ワンゼロ、ゼロゼロ。いや、これも違う。スペースは関係ないとか?」
そうだとすると01110111000。二進法で952か。……ん?
「0111、0111、000の方がまとまりがあるかしら。」
111は7だ。ゼロは関係ないとして、7、7……。何か違う気がする。
「文字になっているとしたら……オンとオフ。いや、二パターンあると考えましょう。……モールスかしら。」
0をトン、1をツーと考えると、『WKTNI』……いや、逆か。
「『DREAM』、夢……ね。外に出るのが夢という意味?」
今度旅行にでも誘ってみようかしら。……やんわり断られる運命しか見えないが。なんにしても、私とフランの夢が同じというのは縁起がいい。私の計画は失敗してしまったが、私はまだ諦めたわけではない。フランが安心して外に出れる環境を、私が作るのだ。
何やら部屋の外が騒がしい。と言っても外の音はここまで届かないのだが。最近お姉さまは新しく拾った玩具を使って遊んでいるらしい。まったくご苦労なことだ。
「……そう、わかったわ。」
アリアナが呼んでいる。まだ眠たくないが、ひと眠りすることにしよう。私は毎日美鈴が整えてくれるベッドに潜り込んだ。
私は昔壊した壁の穴を通りながら、この世を抜けていく。少々手段は複雑だが、夢の中からならあの世に行くのも簡単だ。流石に肉体を持ったまま行くのは難しいが。
私は天国に降り立つと、花が咲いている道をまっすぐ歩く。お姉さまに大切にされているおかげで、私の身に穢れはない。私の見た目も相まって、死神程度の目なら誤魔化すことが出来る。
「こんばんわ。アリアナちゃんいますか?」
私はダンブルドア家のドアをノックする。パタパタと駆ける足音が聞こえてきて、ゆっくり扉が開いた。
「あら、フランドールちゃん。遊びに来たの?」
ケンドラはエプロンをして、お玉を持っていた。多分料理中だったのだろう。
「ごめんねぇ、アリアナは今マーリン博士のところに遊びにいってるわ。」
「そう、わたしも行ってみるね。」
私はケンドラに手を振り、マーリンの家へと向かう。アリアナとマーリンは非常に仲がいい。遊びに行っているのだろうか。私はふわりと浮かび上がるとマーリンの家の方向へ飛んだ。途中で死神とすれ違ったが、皆安堵しきった顔をしている。天国では珍しい顔だ。何せ天国では危機的状況に巻き込まれることが殆どない。故に、安堵という感情も発生しないわけだ。アリアナが私を呼び出したことといい、何かあったんだろう。
「んー、……ん~? あ、咲夜だ。」
マーリンの家の前にアリアナとマーリン、咲夜がいた。他に見慣れない閻魔と死神がいるが、敵対しているわけではないようだ。
「み~つけた!」
「妹様!?」
私は勢いよく咲夜に抱きつく。咲夜は仰天した様子で私を抱え上げるとゆっくり地面に降ろす。私はその時咲夜の心を読んだ。油断と隙があれば開心術で相手の心を読むことは容易い。なるほど。どうやら咲夜は石のアーチに飛び込んでしまったらしい。外が騒がしかったのは助け出す準備をしていたというわけだ。
「咲夜、こんなところにいたのね。アリアナが教えてくれなかったら気が付かなかったわ。」
咲夜はアリアナの方を見る。アリアナはフイっと目を逸らした。
「お二人はお知り合いなのですか?」
咲夜は不思議そうな顔をして私にそう尋ねた。
「あら、アリアナったら私のことを隠していたのね。」
フランドールのお友達ですって挨拶したら、簡単に信頼を得ることが出来そうだが、それをしなかったというわけだ。
「まずいかな……って思って。」
アリアナは私の顔色を窺ったあと、その視線を閻魔に向ける。私が閻魔の方を見ると、閻魔は私を怪訝な顔で見ていた。
「貴方はフランドール・スカーレットですね。しかもまだ生きている。どのようにこの世界に?」
「私にとって、あっちとこっちを隔てる壁なんてないわ。あったかもしれないけど、今頃木っ端微塵でしょうね。」
私はわざとらしく肩を竦めた。まあ何にしてもあまりここに長居しないほうがいいだろう。私はここに侵入していると言っていい。閻魔に捕まるわけには行かない。私は咲夜の体を浮かせると、自分も空を飛んだ。下で閻魔が何か言っているが、聞かないふりだ。
「咲夜~。置いてくわよ?」
私は少し遅れている咲夜に声を掛ける。ああでも、咲夜はまだこの世界に慣れていないのか。
「あ、そっか。慣れないとこの世界では動きにくいものね。大丈夫、私が導いてあげるわ。」
私は咲夜の手を引いて空を飛ぶ。確か石のアーチはこの辺にあったはずだ。私はアーチのところまで咲夜と一緒に来ると、アーチに咲夜を投げ入れるように手を放した。
「これを潜れば生き返れるわ。本当なら一方通行だけど、パチュリーが何とかしてくれるはず。私は別ルートで帰るわね。紅魔館で会いましょう?」
お姉さまのことだ。今頃アーチの前で咲夜を呼んでいるに違いない。私は咲夜が無事アーチを潜ったのを確認すると、紅魔館の自分の体を目指して飛び始めた。