蒼空の魔女と懦弱な少年   作:sin-sin

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8話 名誉のかけら

CGSC(リベリオン陸軍指揮幕僚大学)どこまでも広がる緑の大地。その遙か上空を悠然と飛行する1機の輸送機。リベリオン空軍のCー46コマンドーだった。P&W社製のRー2800-51ダブルワスプ18気筒星形エンジンが起こす凄まじい馬力は燦然とそびえ立つ西アルプス山脈の峰峰をも悠々と飛び越え、目的地であるロマーニャ皇国はヴェネツィアに向かっていた。

 

「もう少しでアヴィアーノ基地に着陸します。支度を調えて下さい」

 

Cー46のコックピットから半身乗り出した様な体勢で、服部静夏が機内に響くエンジンの轟音に負けないように言った。

 

「了解」

 

静夏の声にキャビンに設置された座席に座っている伊吹が反応した。

 

「だそうですよ、ペトラチェンコ先生」

 

伊吹に促され、伊吹の隣に座っているオラーシャ人外科医にして、ワイルドファイアのメンバーであるアレクセイ・ペトラチェンコも降機の用意をし始めた。そもそも何故、伊吹達がこのような場所にいるのか。そもそもの話はあのパーティの2日程後、アレクセイにヴェネツィアで開かれる医学学会の案内状が届いた事に端を発する。

 

 

 

 

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ワイルドファイアの人員には大きく分けて2つのタイプが存在する。前者はマレーやウルスラの様に軍に所属する研究者としての立場。後者は軍人では無いが軍に協力する立場。つまる軍属と呼ばれる人間達である。後者の軍属の人間は、軍に協力しているとは言えど、当然自分たちが当初にしていた研究などを続行する権利は存在するし、学会などの外部の研究機関に出席する事も『自分たちが軍の研究に協力している内容などを漏らさない事』を絶対条件として、認められている。今回のアレクセイもその様なパターンだった。話が拗れだしたのはここからだ。ペトラチェンコの随行員には欧州の文化などを知りながら、与えられた任務を絶対に遂行する人物として501JFWの服部静夏が選ばれた。ここまではまだいい。適材適所というやつだ。しかし、静夏に加えて何故か医学学会などに全く関係の無い伊吹までもがマレー直々の命令で随行員に命じられたのだ。当然伊吹は訳が分からず、その後適当な場所でマレーを捕まえて

 

『何故自分まで?(要約)』

 

という事を聞いてみた。

 

すると帰ってきた返事は

 

『君はまだ欧州に来て日が浅い。この機会に欧州の文化や風習に触れてくるといい。医学学会なども君の知的好奇心を揺さぶるに違いない(要約)』

 

と言った様な返事が返ってきた。要するに観光ツアーの様な物である。自分はネウロイの研究をしにわざわざ欧州くんだりまでやって来たのに観光ツアー?伊吹の脳内は疑問で脹れ上がったが、正直医学学会に興味が無い訳でも無いし、今後長い間、この欧州に滞在するとなると何処かでこの地域の文化や風習を知る必要が出てくるかもしれない。

疑問だらけの自分の脳内を何とか納得させ、伊吹は他の2名と共にヴェネツィアに向かう輸送機に乗り込んだーーー

 

 

 

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「・・・美しい景色だった」

 

「え?」

 

降機準備をしていた伊吹が耳にしたのは紛れもなくペトラチェンコの声だった。

 

「何が・・・?」

 

「この飛行機から見下ろす全ての景色がですよ。私のいたオラーシャとは大違いだ」

 

「オラーシャはそんなに景色が酷いんですか」

 

冗談めかして言った伊吹に真剣な顔でペトラチェンコは続けた。

 

「オラーシャは美しい国です。緑があり、雪が積もり、動物の力強い鳴き声を聴く事が出来る。素晴らしい国です。しかしその国に住む人達はどうでしょうか。戦争が長引く事に国民の生活は困窮し、貧富の差がますます広まっていく。戦争で儲かっているのはモスクワなどにいる一部の人間達だけで、田舎や農村部の人間などにその恩恵が享受される事は無い・・・」

 

ペトラチェンコがそう呟いた瞬間、伊吹達のすぐ横にある窓から雷の様な轟音が聞こえてきた。

 

「護衛の戦闘機ですね。この機体が基地にアプローチする邪魔にならない様に近くの空域に離脱する様です」

 

後ろから静夏の声。さっきまでコックピットの近くにいたが、いつの間にかここまで移動していたらしい。

 

「ジェット戦闘機か・・・ストライカーユニットの開発に予算が割かれてるって聞いてたけどこんなもん作る金もあるもんだ」

 

伊吹達が乗ったCー46をここまで護衛していたのはウィッチでは無く、リベリオン海軍のジェット戦闘機、Fー2Hバンシーだった。

 

「私達は本来の作戦要員では無く補給物資を運ぶ連絡機に便乗している形なので、ウィッチによる空中哨戒などの支援は受けられないと・・・すみません」

 

「あんたが謝る事じゃないよ。それにしても兵站を重視しないとはいよいよこの戦争ヤバくなってきたかな・・・」

 

「ジェット戦闘機を開発する予算はあるのに、かね?」

 

ふいに横から聞こえてくるペトラチェンコの声。

 

「・・・違いない」

 

ため息まじりの伊吹の返事と共に、Cー46はアヴィアーノ基地へのファイナルアプローチへと侵入した。

 

 

 

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「暇だな・・・」

 

夜もたけなわなパ・ド・カレー基地の食堂にはテーブルに緩みきった様子で座っているエイラ・イルマタル・ユーティライネン大尉以外の姿は見受けられなかった。今日は夜間哨戒はウィッチでは無く、パ・ド・カレー基地に常駐している第501哨戒飛行隊のハリケーンMkⅡ及び、カタリナMkⅢ飛行艇によって行われる事になっていた。元々501がガリアを奪還してから主戦場は西部戦線から徐々に東部戦線、及び北ヨーロッパへとシフトしていった。その事を受け、このパ・ド・カレー基地では『ウィッチという貴重な戦力を夜間哨戒などという任務には使わずに、極力通常の飛行隊によって行わせて戦力を温存させるべし』との上からの命令が下令されていた。なんだかんだと言ってはいるが、要するに戦場の主戦力と化したウィッチに対するあてつけと、権力を取り戻したい一部勢力の暗躍などが見え見えとなっている。なまじ501哨戒飛行隊の人間などはその事にうすうす気づいているせいか、時折ハンガーなどで顔を合わせるときは気まずそうな顔をしている。別に彼らあ悪いわけでは全くと言って無いのだが。しかし、そんな事は今のエイラにはどうでもいい些細な事だった。

 

「ったく・・・何だよサーニャのやつ・・・」

 

この1週間程、何をやっていてもあのパーティの夜、扶桑人の研究者と一緒に楽しそうに喋っていたサーニャの顔ばかり思い浮かぶ様になってしまった。哨戒任務の途中も、ストライカーを自分で整備している時も、本を読んでいるときもずっとだ。

 

「私じゃ駄目なのか・・・?」

 

サーニャの事は大好きだ。けど、サーニャは私の事をどう想ってくれているんだろう。無論、今まで長年サーニャと一緒に色んな事をやってきた。サーニャの事なら誰にも負けない自信がある。けどよくよく考えたらサーニャが私をどう想ってくれているのかをサーニャ自身の口から聞いた事が無い。もしかしたら私の事を鬱陶しく想っている・・・?

 

「・・・ないない」

 

頭の中に広がり始めた暗雲を振り払う様に口に出した言葉。しかしそれは本当にそうなのだろうか。冷静に考えてみよう。鬱陶しく思っている相手とこれほど長い間、一緒にる事は出来るだろうか?おそらく出来ないだろう。つまりサーニャは私の子とを鬱陶しくなどとは絶対に思っていない。・・・多分。ならこの私が抱えてるもやもやは・・・?もしかして・・・

 

「妬いてるのかなぁ・・・」

 

そう言えば前にもこんな思いを経験した事があった。あれはまだ501がガリアを解放していなかった頃、501に坂本少佐が連れてきた新たな新人が入ってきた時の事だった。あの時もその新人とサーニャが楽しげに会話しているのを見て何とも言えないもやもやした気持ちになったのを覚えている。

 

「あー、もー!何でこんな気持ちになるんだ~!」

 

「どうしたの、エイラ?」

 

「え!?」

 

おそるおそる後ろの様子を伺ってみる。サーニャがいた。

 

「や、やあ・・・サーニャ・・・」

 

「どうかしたの?大きな声出してたみたいだけど・・・」

 

「いや、何でも無い何でも無い・・・大丈夫大丈夫」

 

そういいながら笑う。

 

「そう・・・」

 

サーニャはそれを見て不思議そうな表情をしていたけど、それ以上何か言うことは無かった。

 

「・・・」

 

2人の間を覆う沈黙。その中で先に口を開いたのはサーニャだった。

 

「ここも随分と寂しくなっちゃったね」

 

「そうだな・・・」

 

私とサーニャ以外誰もいない食堂を見渡す。欧州軍最高司令部として、本来はもっと規模が大きな部隊が入る予定だったのが501の移転と共にその計画に変更が入り今は501専用と化している場所だ。当たり前と言えば当たり前なのだがやはり何か寂しい。

 

「リーネもルッキー二とかも今頃何してるんだろうな」

 

かつての501の仲間、家族と言っても差し支えない人たちの名前を呟く。あの時、ガリアを解放した後やロマーニャに駐屯していた時の事は今でも鮮明に思い出せる。楽しかった・・・というのは流石に不謹慎だろうか。

 

「芳佳ちゃん・・・今何してるんだろう」

 

サーニャが発した名前にハッとする。

 

「サーニャ」

 

「でもエイラ」

 

「駄目なんだ」

 

「でも芳・・・」

 

「サーニャ!」

 

私の声が誰もいない食堂にこだまする。

 

「・・・ごめんサーニャ。でも駄目だよ。宮藤はもう・・・」

 

「・・・いいの、エイラ。私の方こそごめんなさい」

 

そう言うとサーニャは食堂から出て行こうとする。

 

「サー・・・」

 

サーニャの後ろ姿に向かって超えを掛けようとした。

 

掛けられなかった。

 

さっきまで思い浮かんでいた『嫌な想像』が現実になる様で。

 

「私だって・・・心配なんだぞ」

 

私の発したつぶやき声はさっきの様に食堂の空気を振るわせることは無かった。

 

 

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夏も終わりに近づいてきた。しかしワシントンD.C.にほど近いここ、メリーランド州はアンドルーズ空軍基地の気候は温暖で、昼間はワイシャツ1枚で過ごせる程だった。しかし、そんな時でも制服はきちんと着なければならない。かつてガリアやロマーニャにいた時にはどんな格好をしていても特に何も言われなかったのにな・・・そう思いながらシャーロット・E・イェーガー大尉は約3000m級の滑走路のすぐ脇に立っていた。脇にはジェシー・マーシャル少佐もいる。両名とも空軍の制服をきちんと着こなし、略式帽では無い制帽まで被っていた。

 

「・・・あんたの話、まだ全面的には信用した訳じゃないからな」

 

唐突にシャーリーが口を開く。

 

「私達に取っては我々の話を聞いてくれる。それで十分です」

 

シャーリーの声にジェシーがそう呟く。

 

「そういえば・・・何で私にこんな事を言ってきたんだ?ペンタゴンの中だったら私より影響力のある人間なんか山ほどいる筈だろ?」

 

ジェシーの呟きを耳にしたシャーりーが言った。あのペンタゴンの警備保安室での出来事以降にシャーリーが今、こうして横に立っているジェシーから『事の顛末』を耳にした時からずっと抱いていた疑問だった。

 

「・・・一言で言えば貴方の人柄・・・でしょうか」

 

「人柄?」

 

「ペンタゴンの内部でしかるべき部署に配属されていて尚且つ信頼の置ける人物。特に貴方達の様な通常の軍組織の常識が通用しない人物では無いといけなかった物ですから」

 

「貴方『達』・・・ね」

 

シャーリーがジェシーから聞いた『事の顛末』は一言で言うなら奇想天外、支離滅裂、不筋にして不合理。とてもじゃないが信じられる代物では無かった。証拠を見せられるまでは。

 

「まあ、とりあえず話は中佐達が着いてからだ。・・・そういやあのマロニー達はどうしたんだ?もうとっくに約束してた5日の期限は過ぎてるだろ?」

 

「念には念を、です。用心しすぎるに超した事はありません。何なら今から私達がペンタゴンに提出するスケジュールは全て虚偽の報告にしてもいいくらいです」

 

シャーリーの問いにそうジェシーは言い切った。

 

「念には念・・・か。あんたの事だから私とあいつの関係とか知ってるんだろ・・・?」

 

「シャーロット大尉がかつて所属していた501JFWをマロニー将軍が自らの画策の為に潰そうとした事案ですか」

 

「やっぱり知ってるんだな」

 

「申し訳ありませんが過去の因縁はこの際捨て置いて下さい。シャーロット大尉の気持ちもわからないではないですが今の彼は重要な参考人です。何せ元『委員会』側の人間なのですから」

 

シャーリーがほうっと息を付く。かつて自らのいた部隊を無き物にしようとした人物を匿う事に対して未だに自分の中で整理が付いていないのは否めない。しかし、今現在の脅威が彼では無い以上、それを掘り返すのは無意味な事だろう。こんな時、あの堅物軍人ならどうしただろうか。そんな思いが頭の中をよぎったその時。

 

「来ました」

 

ジェシーの声と共にだんだんとその音は大きくなってくる。P&W Rー1830レシプロエンジンが奏でる心地よい重低音がアンドルーズ空軍基地の大気を振るわせていく。

 

「Cー47か」

 

シャーリーの声。アンドルーズ空軍基地上空に姿を現したリベリオン空軍のCー47スカイトレインは、1度滑走路の上空をフライパスすると再び滑走路へのアプローチコースを取り始めた。そして滑走路へ接地。後部ギアが滑走路に接すると、エアブレーキを作動させる。エンジンの音がだんだんと小さくなっていく。スカイトレインがシャーリー達の目の前まで来た時にはプロペラは殆ど惰性で回っていた。やがて機体側面のランプドアが開き、中からタラップが下ろされる。そのタラップから降りてきた人物はーーー

 

「アンドルーズへようこそ。ジーナ中佐、マリアン大尉」

 

ジェシーがそう言うと同時にシャーリー、ジェシー両名がスカイトレインのタラップを降りるジーナとマリアンに向かって挙手の敬礼をする。ジーナ達もそれに向かって答礼した。

 

「久々の本土は如何ですか?中佐」

 

挙手の敬礼を解いたジェシーがジーナに向かって話しかける。

                               C G S C

「残念だが実はこっちには1週間程前には着いていた。・・・リベリオン陸軍指揮幕僚大学の連中が課程の修了報告をしに来いとうるさかったんでね」

 

「なるほど」

 

「あれから何か変わった事は?」

 

「マロニー将軍、失礼。マロニー元将軍は扶桑大使館に隔離してあります。彼らも迂闊に手出しは出来ないかと」

 

「ふむ・・・」

 

シャーリーがジーナとジェシーの会話を横で聞いていると妙に横から視線を感じた。ふと視線を感じる方を見ると・・・

 

「あの・・・シャーロット・E・イェーガー大尉ですか?」

 

「あ・・・そうだけど」

 

「本物の?」

 

「そうだよ」

 

「あの、私リベリオン海兵隊のマリアン・E・カールと申します。以前からシャーロット大尉には1度お会いしたいと思っておりました!」

 

「そうか。シャーリーでいいよ。呼びづらいだろ?階級も同じだし」

 

「い・・・いえ、その様な事は・・・」

 

歩きながら会話する2組の女性達。かたや会話している内容は全く異なると言う不思議な空間が彼女達がアンドルーズ空軍基地の兵舎に入るまで暫く繰り広げられていた。

 

 

 

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「疲れたな」

 

ペトラチェンコがロマーニャはヴェネツイアの老舗ホテル、セントゥリオン・プレイス・ホテルのロビーに入った時の最初の一言がそれだった。アヴィアーノ空軍基地から車で約1時間半。ロマーニャ共和国はヴェネト州の州都、ローマやナポリに次ぐ第三の都市であるここヴェネツィアは、ガリアと同じく、第501JFWの手によって、ネウロイの脅威から解放された後、急速に経済発展し、観光地としても栄えていた。そんなヴェネツィアの運河、カナル・グランデ沿いに位置するセントゥリオン・プレイス・ホテルに到着した伊吹達はチェックインもそこそこにボーイに案内された部屋に入った。現役ウィッチで毎日体力鍛錬を行っている静夏はともかく普段は研究畑でろくに身体を動かした覚えが無い伊吹などに取ってはこの旅路はいささか性急に過ぎる節があった。

 

「ガリアからこのロマーニャまで片道4時間半か・・・自動車に比べたら遙かにマシだけどね」

 

ホテルの5階、運河に面するペトラチェンコの部屋でソファに座りながらそう呟く伊吹の顔にも疲れが見えていた。

 

「あれだけ堅いシートに4時間半も座りっぱなしなんです。無理もありませんよ。医者の観点からから言わせてもらうと身体の血流が悪くなる」

 

伊吹に対面する様に座りながらグラスを傾けるペトラチェンコが伊吹の意見に同意する。

 

「私の様なおじさんには少々キツい旅のプランでしたね」

 

「そんなに歳取ってましたか?」

 

「今年で40歳です。まあこの容貌のせいで普段はもう少し歳を取ってると思われがちですがね」

 

そう言いながらパブリチェンコは顎を覆うような感じで伸びる立派な白髭を撫でる。なるほど、もう少しどころかその巨体と相まって田舎の村の村長です。と、言われても違和感は特に無い。

 

「ところで明日はどうします?」

 

ふいにペトラチェンコが声を出す。

 

「え?」

 

「明日の事です。どうしますか?」

 

ペトラチェンコの問いに伊吹が一瞬フリーズする。明日は何をするも学会では無いのか。

 

「ああ失礼、明日の昼の事です。何せ学会が始めるのは夕方からな物で。昼間はどうしますか?」

 

「ああ・・・特に俺は何も考えてなかったけど・・・」

 

「ならちょうどいい。この美しい街を見学するのはどうです?」

 

伊吹の脳裏にこのロマーニャの地に降り立つ時にペトラチェンコが言っていた言葉が浮かび上がる。この人はこういう美しい町並みや景色を見るのが好きな人なのか。

 

「いいんじゃないですか。自分は特にノープランだったもんで。そもそも何でここに来させられた物やら」

 

「ははは、君は見た所欧州に不慣れと見受ける。早く慣れろとの無言のメッセージでは?」

 

「・・・違いない」

 

「ところで・・・」

 

「ん?」

 

「あの同行してくれている随行員のウィッチは何処へ?」

 

ペトラチェンコが唐突に切り出してきた話題は静夏の事だった。

 

「さあ、まあ彼女の事だから部屋で精神鍛錬でもしてるんじゃないですかね。さっきでかい背嚢担いで部屋に入っていったのは見たけど・・・多分マレー中佐に報告でもしてるんじゃないですか?」

 

「ふむ・・・彼女もウィッチとはいえ1人の女性だ。明日この美しい街を見ればきっと感動するだろう」

 

「ですかね・・・」

 

そんなやりとりを繰り広げながらペトラチェンコは自分のグラスに更に透明な液体を注ぐ。そこにはロマーニャに着陸する寸前に見せたあの悲壮な顔をしたペトラチェンコは見受けられなかった。ふと、伊吹は部屋の窓から見える眼下の景色に目をやる。眼下の運河では荷物や人々を乗せたゴンドラや船がひっきりなしに航行している。たった数年前まで欧州の中でも激戦地だった年が物の数年でここまで復興するとは。窓の外に広がる人間が作り上げたまばゆい人工の灯が伊吹達がいるホテルを輝かせる。ヴェネツィアの夜はそこにいる全ての人々を包み込みながら、更に更けていった・・・

 

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「はい・・・まだ何も。わかりました。引き続き監視します」

 

伊吹やペトラチェンコがたわいも無い会話に精を出している部屋と廊下を隔てて向かい側に位置する部屋に宿泊する事になった服部静夏は見慣れない長方形の箱から伸びた受話器の様な物を手にしていた。

 

「はあ・・・何か凄く悪い事してるよね・・・」

 

罪悪感にまみれた悲痛な声もすぐ目の前の部屋にいる伊吹達には聞こえなかった。

 

 

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「ここは・・・?」

 

ペトラチェンコは1人で彷徨っていた。周りを見渡すと爆撃で損傷した住宅。弾痕だらけのブロック壁。荒廃した景色が辺り一面に広がっていた。ふと誰かの気配を感じて前を見てみる。

 

「誰だ?」

 

目の前には人が1人、立っていた。カールスラント軍の制服を着ているのだろうか。腰の辺りまで伸びた長い髪からその人物が女性である事が窺える。

 

「あ・・・」

 

ペトラチェンコが声を掛けようとした瞬間、その女性は歩き始めた。

 

「ま、待ってくれ」

 

慌ててペトラチェンコも後を追う。女性の歩く速度は速く、ともすれば置いていかれそうだ。後ろにいるペトラチェンコの事などそしらぬ顔でどんどん歩を進めていく。どれほど歩いただろうか。唐突にその女性は足を止めた。それに釣られてペトラチェンコも足を止める。

 

「ここは・・・野戦病院?」

 

女性が足を止めた場所、そこは処置器具や医薬品などがそのまま放置された野戦病院だった。大きく赤十字が書かれた天幕がだらしなく垂れ下がっている。人の影は見当たらない。

 

「君・・・何故ここに?それよりここが何処か教えてくれないか?」

 

ペトラチェンコがそう言おうとしたその時、微かな声が聞こえた。

 

「・・うして?」

 

「何?」

 

その微かな声はペトラチェンコのすぐ前、つまりこの野戦病院まで歩を進めてきた目の前の女性から聞こえてきた。

 

「どうしたんだ?」

 

「どうして・・・?」

 

女性の声はどんどん明瞭になっていく。同じ言葉ばかりを繰り返す女性に埒があかないとばかりにペトラチェンコは近づいた。女性の肩をそっと掴み女性の顔を覗き込もうとする。その瞬間、頭の中に直接響く様に先ほどまでとは違う言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      ウ

 

 

 

 

 

 

 

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                     」

 

 

 

 

 

 

その瞬間、女性はペトラチェンコの方を振り向いた、目から血を流し、顔の半分が焼きただれた女性の双眼がペトラチェンコをじっと捉えた・・・

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「うわああああああ!!」

 

 

バネ仕掛けの人形の様にベッドから跳ね起きる。鼓動が荒い。額に手をやると汗でぐっしょりと濡れていた。周りをゆっくりと見回してみる。そうだ、自分は学会に出るためにヴェネツィアに・・・そこまで考えてようやくペトラチェンコは先ほどまでの恐怖が全て夢の中での出来事だという事に気づいた。

 

「・・・まだあの事を」

 

そう呟くとベッドから降り、部屋の窓を開ける。顔に地中海からの海風が当たるのをはっきりと感じられた。

 

「・・・見捨てたわけじゃないんだ」

 

そう呟くと、ペトラチェンコはテーブルの上に置いてあったウォッカを掴むと、グラスに入れ一気に飲み干した。この夢を見た日は酒の力を借りないと眠ることは出来ない。あの日以来そうなってしまった。ペトラチェンコはじっと窓の外に広がる運河を見ながら過去の記憶に封印していた出来事を頭の中で何度も何度も反芻した。結局、再びベッドの中に入れたのはヴェネツィアの港に朝一番の競りに備える為に漁師達が集合し始める時刻になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

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