シン・ハゲと修羅 作:コテコテ
——一時間前 ミッドチルダ・とある競技場のトレーニングルーム——
ジェノスの目から見て、広いトレーニング場の中心で向かい合う二人は対称的だった。白髪の少女——リンネは、遠目から見ても鬼気迫る気迫が全身から溢れていた。対してサイタマがいつも通りだけに、なおさら際立っている。
「焦っているな。さっきの試合とは大違いだ」
「やっぱりジェノスさんもそう思う? ホント心配だよ。絶対無茶するもん」
ジェノスの隣では彼の護衛対象であるサンサーラ・バレーノが、二人から目を離さず眺めていた。口で心配だと言っている割に、柔かな笑顔を見せている。
「ならどうして笑っている。何が楽しい?」
「単純に試合として面白そうだから。リンネは僕がチョップで倒されるところを見てるし、サイタマさんはリンネの試合を見てる。互いが相手の力量をそこそこわかってる上で、どんな戦い方をするのかなって」
「そういうことか」
そういえばと、ジェノスはサンサーラがリンネのファンだったことを思い出す。応援している選手がサイタマ相手にどう立ち回るのか、サンサーラが気にしても何らおかしくはない。
「今ので納得するんだ……」
「本気で心配なら笑っていられるはずがない。理由がどうであれ、お前はあいつを信じているんだろ?」
「はは……まあ悲観はしてないよ。リンネもメチャクチャ強いからね。このハンデなら、リンネにもワンチャンあるかもしれないし」
「…………」
ジェノスは何も言わなかった。サンサーラには悪いが、それは絶対にあり得ないと彼は確信している。ジェノスが知るサイタマなら、両手両足縛られていても負けるほうが難しいだろう。魔法というものがやや不確定要素だが、さっきの試合のレベルなら不安材料にすらならない。
「でも負けるのも悪くないと思うんだよね」
「何?」
サンサーラの意外な考えにジェノスは眉をひそめる。確かに敗北から学ぶべきことはある。だがリンネにとってこの模擬戦は、サイタマの強さの秘訣を知る大きなチャンスだ。そのためには勝つしかない。それをサンサーラは負けてもいいと言う。
「リンネが強さにこだわるのは、学校で虐められて養祖父を看取れなかったからなんだ。そこからは大切なものを守れるようにとか、誰からも見下されたくないの一点張り。でも一回負けたら、少しは自分を見直すかもしれないと思ってね」
「……確かに敗北は己を見直すきっかけになる。周りが見えてないヤツにはちょうどいい仕置かもな」
人のことを言える身じゃないがなと、内心自虐を交えて小さく笑った。
「両者構えて!」
リングでは、何故か審判に名乗り出たバングが二人に声をかける。促された二人が前に出た。リンネはサイタマを見つめて……睨みつけている。サイタマはサイタマでガニ股・猫背でボヤーッとしている。
「ん? 強さ?」
と、聞き覚えのあるワードに違和感を覚えるジェノス。〝リンネ〟と〝強さ〟。どこかで聞いたことのある組み合わせだ。彼の師がリンネに模擬戦を申し出た理由の————
「おい! それは!!」
「リンネが強さを気にする理由だね」
「知っていて言わなかったのか!?」
一瞬サンサーラに向かっていこうとするジェノスだが、すぐに顔を背けて頭を掻きむしる。湧き上がるのは激しい後悔だ。
「サイタマさんは魔法を体験したがってたし言ったところで意味ないよ。それに…………」
「それに何だ」
「リンネにはいつまでも逃げてないで、現実を見てもらわないとね」
「始めッ!!」
———————
「始めッ!」
「おっ!」
開始の合図と同時に、リンネがサイタマに向かって走り出す。ライフはたったの五、回避は不可、ガードも片腕だけ。彼女が攻めることで、サイタマはガードを強いられる。唯一使える片手を封じられてしまうのだ。捨て身の攻撃もライフが五では不可能。回避からのカウンターもできない。最速で攻め続ける短期決戦が、リンネが勝利に近づく最善の方法なのである。
「ガキなのに動きが早いな。魔法のおかげ?」
試合が始まったというのに緊張感の欠片もない。構えていた腕もいつの間にか下がっている。リンネには理解できなかった。これがサイタマのスタイルというのか。意図が見えないが彼女に立ち止まる選択肢はない。
「はぁッ!」
「っと」
振り抜いた右腕はサイタマの左腕に止められた。リンネの拳圧が二人の周りに小さな風を起こす。彼女も勝負を決めるつもりで打った。並みの相手ならガード越しでもライフを大きく削られる。ところがサイタマは気の抜けた表情を全く変えない。
LIFE 5
ライフにも変動はなかった。
「はぁぁぁッ!!」
「おおっ」
次の左腕も受け止められた。今度も二人を中心に強い風が吹き抜ける。これもリンネが打てる全力の一撃だったのだが、手応えがまるでない。一方でサイタマは、彼女の全力の打ち込みを珍しいものでも見るように不思議そうに眺めていた。
「パンチも光ってるし、子供の割に強い。受けたときに変な感じするからこれが魔法なのかな? 他にもいろいろあるのか?」
「!!」
サイタマは思ったことを口にしているだけなんだろう。だがリンネの本気の打ち込みを片腕で楽々防ぎ、軽口を叩くと嫌味にしか聞こえない。表情に出ずとも、リンネの奥歯が音を立てて軋む。防がれた右腕を素早く引くと、次の攻めの態勢をとった。
「私は……コケにされるために格闘技をやってるんじゃない」
放たれた渾身の突きはまたもガードされる。風がリンネの長い髪を大きく揺らし、サイタマのジャージの襟を揺らした。
「じゃあ何のためにやってんだ?」
「私に勝ってから聞いてください」
休む間もなく連打を繰り出し、サイタマに攻撃の隙を与えない。その中にも陽動、本撃を交えて揺さぶりをかけていくリンネ。ライフが少ないサイタマは、どんな一撃でも致命傷になり得る。誰であっても、この仕掛けは相当精神にくるはずだった。
「ちょこまかして面倒だな〜」
ところがサイタマは、文句を言いながら眉を八の字にするだけ。低めなテンションとは裏腹に驚異的な反射速度でリンネの連撃を防ぎきっている。ガードした際の鈍い音と衝撃波は、目にも留まらぬ攻防とは不釣り合いな重さだった。
————これだけ受けているのに全く引かない……こんなの初めてだ。
まるで鋼鉄の壁を殴ってるように思えてくる。パワーヒッターのリンネがスタミナ度外視で打ち込んでも、サイタマが顔を歪ませることはない。初めて会ったときと変わらない、気の抜けた感情の見えない顔だ。
「ふわぁ〜〜…………」
「この……!!」
リンネの殴打が一気にギアを上げた。
「ぁぁァァァ〜…………あれ? ちょっと速くなった?」
が、早くすると相手もそれだけ速くなる。しかもその自覚が当人にない。ガードは残像すら見える速さにもかかわらず、サイタマにとって大した違いはないのだ。
————あの時より強くなった。なったはずなのに。
相手はかつてない強敵だとわかっていたし、一筋縄ではいかないと腹も決めていた。
————馬鹿にされて、見下されて、このままじゃ昔と何も変わらない……
だが何かが根本的に違うのだ。覚悟とか戦術とか、そんなものの話ではない。説明のできない覆しようのない違いが、二人の絶望的な実力差に現れていた。
————だからこのままじゃ…………
————私が弱いのが……いけなかったんだ————
「ダメなんだ!」
目の覚めるような右ストレートが、サイタマの鳩尾めがけて振り抜かれた。
「おおっ!」
ズドン! と今までとは段違いの衝撃音が反響する。攻撃そのものは容易く防いだサイタマも、今日初めて驚嘆の声を上げた。
「強くならなきゃダメなんだ!!」
間髪入れず、リンネは左手を握りしめる。そこから普段からは考えられない大振りで、力の限りの左フックを打ち込んだ。
「ほっ」
「うわっ!?」
だがサイタマに届くまえに、ハエを叩く要領で叩き落とされてしまう。かなり体重を乗せていたところに更に下へ落とされてしまい、上半身が前に出てつんのめりそうになる。
「この!」
身体が投げ出されかけたところに、無理やり右脚を前に踏み出した。崩れた体勢から素早く体勢を正す。常人には到底無理な修正能力は、日々鍛えあげた体幹と生まれ持った身体能力の賜物だ。
「はぁァァッ!!」
振り向いたところでの後ろ回し蹴り。つんのめって間合いが広くなったところで、距離を詰めず反撃できる技だ。一度背を向け、振り向く勢いのまま蹴り上げようと足を振り上げかける。
「よっ」
それも数十センチ上げたところで、サイタマに押さえつけられてしまった。いつの間にかリンネのすぐ隣に移動している。一瞬二人の目が合うも、菫色の瞳はすぐにサイタマの視界から消えた。
「あのときと同じじゃ!」
「お?」
サイタマの懐から低い姿勢で、リンネは脇をしめて右腕を引く。今の二人に間合いはない。文字通りのゼロ距離である。本来ボディーブローは決め手にはなり得ないのだが、ライフが一桁の変則ルールならその限りではない。密着しているとガードができないこの技は、サイタマにとって致命的な一撃なのだ。
「ダメなんだッ!!」
大きく叫んだリンネ。紅く輝くブローはサイタマの腹部へと吸い込まれた。
「ほいっと」
「ハァ……ハァ…………ハァ…………」
激しい打撃音が耐えなかった数秒前から一転、聞こえるのはリンネの喘鳴だけだった。無理な連打を重ね、疲労困ぱいの彼女の視線の先は、震える自身の右腕。防がれるはずのない距離と速さで繰り出されたはずの拳は、サイタマの腹の前で掴まれていた。
「さっきからダメだダメだって、何がダメなんだ?」
「…………」
「サンサーラの時もじいさんがどうとか、あいつみたいに強くないとか、また失うとか。話すこと全部マイナス思考じゃねーか。上から試合を見てたときから思ってたけど、なんかお前ヤバいぞ。大丈夫か?」
「…………」
二度の問いかけにもリンネは口を開かない。黙ったまま、掴まれている腕を見つめていた。
「でも何となーくお前が強くなりたい理由もわかってきた」
「………………」
「言わないんだったら俺が言ってやる。お前、好きで格闘技やってねーだろ? 強くなるために仕方なくやってる気がする。俺の予想が当たってるなら、お前は————」
「舌を噛みたくなかったら口を閉じてください」
動き出しは一瞬だった。リンネが掴まれた腕を引くと同時にサイタマから背を向け、前に転がるようにその左腕をしっかり巻き込んだのだ。あまりの速さと動きの違いに、サイタマすら声を出す間もなかった。彼のわずかなライフを確実に削るために温存していた、リンネの最も得意とする技————投げ技だ。
「はぁぁぁァァッ!!」
リンネとサイタマの身体が一回転する。豪快な投げは、浮き上がった後者を床に力一杯叩きつけて轟音を轟かす。ドン! と地に響く音共に
、落とした付近が小さく揺れるほどの衝撃がリンネの腕を伝った。今まで何度となく経験してきた、確かな手応えと共に。そして何よりも
「………………」
床に伏す、物言わぬサイタマが全てを語っていた。
「おお!!」
今日初めてのギャラリーの反応は様々だ。サンサーラは歓声をあげ、バングも感心したように笑みを浮かべていた。一方でジェノスは腕を組んで黙ったままだ。だがそんなものはリンネにとってどうでもよかった。
「マイナス思考とか、格闘技が好きじゃないとか、仕方なくやってるとか……だから何なんです?」
指一つすら動かないサイタマに投げられた言葉はとても静かで、冷たい。だが彼への怒りはリンネの内に微塵もなかった。そんな感情を抱く必要はないのだ。今の彼女にとって重要なことは一つしかない。
「絶対に
あるところに心の優しい、どこにでもいる普通の女の子がいた。他の子供達と違うところいえば、彼女にはちょっとした才能があり、富豪の養子であることぐらい。ところがある事件をきっかけに、少女は強さに執着する修羅へ堕ちた。
「誰にも馬鹿にされないほど……見下されないほど強くなれば、弱い私はいなくなる。誰よりも強くなれば、私は前へ駆け出せる。そして今、貴方の強さを手に入れるチャンスを得た……この意味がわかりますか?」
刹那、少女の目が大きく見開かれた。
「これでもう何も失わない。大切なものは自分で守ることができる! 私を馬鹿にしたり見下した奴らだってぐうの音も出ないし、これからは誰一人そんなことはしなくなる!!」
「誰よりも強い私に! やっとなることができるんだからッ!!」
修羅の行き着く先。そこへリンネは辿り着こうとしている。絶対的な強さを誇る存在へと至ろうとしていたのだ。目指してきた頂きへと、今まさに手を伸ばして————
「あーびっくりした。まさか投げられるとは思わなかった」
圧倒的な〝強さ〟が立ちはだかった。
「ぇ……?」
「よっこらせ……あーあ。汚れちゃったじゃんか。着替え持って来てないから吹っ飛ばされないようにガードしてたのに…………」
たった今床に叩きつけられたはずの男はジャージを払いながら愚痴をこぼす。
「あ! 俺が落とされたところ凹んでるじゃん! 今度は俺のせいじゃねーからな。お前らで何とかしろよ」
息も絶え絶えに立ち上がったということもなく
「それにしてもちょっと遊びすぎたなぁ〜。ジェノス達にみっともないとこ見られたくないし、俺もぼちぼち攻めねーと」
防戦一方の戦況に困ることもなく
LIFE 5
ダメージを負った様子もないサイタマの姿が、全てを物語っていた。リンネ渾身の投げ技すら、ジャージを汚した以上の意味はなかった。彼女が外そうと必死になったガードも、汚れたくないだけに過ぎなかったのだ
「……なんで?」
それだけを何とか絞り出す。頭では理解している。事実はとても単純なことで、決まったはずの投げ技が全く効かなかっただけだ。誰の目にもわかるはずなのだが、この結果に、彼女の心が追いついていない。
「そんなもん俺に聞かれても困る。お前の投げが弱かったんじゃねーの」
「ぁ…………」
強くなりたいと願った少女が耐え切るには、現実は非常すぎた。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァァッッッッ!!!!」
感情に任せるままにリンネのリンカーコアから大量の魔力が叩き出される。全身に圧倒的な魔力を纏うと、足元には紅い魔方陣が展開される。更に彼女を中心に吹き出す暴風はサイタマのジャージに容赦なくチリをぶつけまくる。
「おお! なんか魔法っぽい!! けどジャージが……」
今までとは違う魔法を見られるワクワク感と替えのないジャージが埃っぽくなる憂鬱さの狭間で葛藤しつつも、サイタマはリンネから目を離さない。暴風と魔力に臆することなく彼女の動きを見据えていた。
「あと少し、あと少しであの強さが私のものになるのに…………」
一方のリンネは前に突き出した手に魔力を集めていく。心は荒れ狂ってもやるべきことは身体が覚えているのだ。やがて収束した魔力は巨大な球となり、眩いばかりの紅い魔力光がほとばしった。
「邪魔しないでッ!!」
目も眩むほどの輝きの直後、最大出力の砲撃魔法がリンネの右手から放たれた。彼女の激情そのもと言える魔力の奔流は床を吹き飛ばしながら突き進み、あらゆるものを紅く照らしながらサイタマへと迫っていく。
「とことん俺の思ってた魔法と違うよな。今度はビームって、魔法使いじゃなくて宇宙人じゃねーか」
が、こんなときでもサイタマはマイペースを崩さない。リンネの砲撃を見て少し前に戦った宇宙人の親玉を思い出している始末だ。
「でもまぁ結構面白かったし、洗い物が増えただけの価値はあったかな。後はコイツを大人しくさせたら終わりだ」
〝ビーム〟を正面にして中指を丸めて、親指で上から押さえつける。小学生がよくやるあの遊びの構えを、戦闘中に大の大人がするのはバカ以外の何者でもない。だがそれをサイタマがするとなると、話は大きく変わってくる。
「チェックメイト」
無駄にかけられた親指の圧から、中指が解放された瞬間だった。
「え!? 何!? なんで砲撃が真っ二つになっ———」
〜オマケ〜
「うわ…………壁にめり込んでる。バリアジャケットとクラッシュエミュートがなかったら死んじゃってるよ。えげつな…………」
「この程度では驚いてはいけないぞ。デコピンで吹き飛ばすならワシでもできる」
「先生の力はこんなものじゃない。拳を一度振るえば隕石すら破壊する」
「隕石…………隕石!?」
「ああ隕石だ」
「隕石じゃ」
「…………ごめんリンネ。後で何でも奢ってあげるから」