どうぞよろしくお願い致します。
「……ふぅ。やっと終わりました……」
言ってうんと、少女は手を上へと伸ばした。
数時間同じ姿勢でいたせいか、ぱきぱきと体が鳴る。
今回ダ・ヴィンチちゃんから頼まれていた作業は、普段ならばこうも手間取らない。
それがこうも長くかかってしまった理由は、今彼女――マシュ・キリエライトのいる環境によるものだ。
――シャドウボーダー。
カルデア崩壊後からマシュたちの仮の拠点となっているこの車両では、使える資材資料共に限りがある。
よって無駄遣いはご法度、必要最低限の消費が常となっている。
……時折、その『必要最低限』を好奇心ゆえにオーバーしてしまう芸術家と探偵の存在にはなかなか頭を悩まされているが――あの雪の国以降、うまくやれてる。
「……おつかれさま。はい、コーヒー」
背後から唐突にかかる声。
そしてマシュの手元の机にこつんと湯気の立ったカップが置かれる。
振り返ると、そこには彼女のよく見慣れた、優しい笑みがあった。
「――ありがとうございます。先輩の方も、お疲れ様です」
そう笑みを返すと、マスターはありがとねと片目を瞑った。
「いや、でもほんとだめだよ。ここにいて結構経つのに、まだ全然慣れないや」
「大丈夫ですよ。先輩が慣れない分、私がきっちりサポートしますから」
「あっははは。それは安心できるけど、先輩として駄目な路線に行ってる気がするなぁ……」
カップを傾けながら、マスターは苦笑する。
……まさか。
駄目だなんてあるものか。
ここにいる誰よりも劣ってると嗤いながら。
此処にいる誰よりも、彼が頑張っているのをマシュは知ってる。
だから少しでも、この人が喜んでくれるなら。
マシュは全霊を持って取り組むと心に決めていた。
「――先輩にも、できないことがあっていいんです。先輩ができないことは、私たちがやります。だから先輩は、先輩にしかできないことで、手伝って頂けたら幸いです」
そう晴れやかに微笑む少女。
その真っすぐな輝きに、さしもマスターも知らず「マシュは優しいなぁ……」と言葉を漏らした。
「……けどそういえば昨日、ジャンヌにも似たようなこと言われたなぁ。『どうせ凡人のアンタに全部なんてできるわけないんだから、他の奴に任せときゃいいのよ』って……そのあとに、『他の人間はともかくアンタがいなくても世界って回るのよ』とかいう熱烈なコールもいただきましたけどね」
「……やはり、まだ怒っていらっしゃいますか?」
問いかけに、少年は「うん……」と弱弱しく頷く。
――このシャドウボーダーには、レオナルド・ダ・ヴィンチとシャーロック・ホームズを除いてあと一人だけ、サーヴァントが存在する。
それは白金の髪に、金色の目をした少女。
雪のような肌に漆黒を纏い、旗を振り剣をふるう焔の魔女。
ジャンヌ・ダルク・オルタ、それがその魔女の名前だ。
カルデアにいたときも、彼女はサーヴァントとしてマスターと共に人理修復を為した。
そして先の戦いでも、災厄の魔女の名を歯向かう者たちへ深く刻み込んだ。
苛烈という言葉が何より似合うという近寄りがたい少女だが……シャドウボーダーに常在させたいと、マスターきっての願いがあった。
それは少年にしては珍しい、我欲を伴った行動。
『必要最低限』を越えた願いだった。
常識的に考えて却下されるが……現所長はともかく、残りもメンバーはそれを止めるほど『野暮』でもなかった。
『サーヴァントはいるが非戦闘要員しか今のところはいないわけだし、万が一の保険……という設定にしたまえ』
そう、かの芸術家は笑う。
するとマスターも微笑んだ。
心の底から、嬉しそうに。
無邪気で無垢な……彼らしい笑みに、みんなが安堵した。
――だがしかしだ。
少々、マスターはことを急ぎ過ぎた。
ぴろんと、軽やかな音色が響く。
それはマスターの懐から響いたもの。
「……噂をすれば、かな」
少年はポケットから携帯端末を取り出す。
幾度か画面が触れたあとに、少年はやれやれと肩を竦めた。
「……暇だから早く帰ってこいだってさ。まったく、こっちの仕事のきつさもわかってないのにいろいろ言ってくれちゃってねぇ……」
「それだけ先輩が好かれてるってことですよ」
そうマシュが微笑むと、マスターはいやいやと首を振った。
容赦なく、言葉を重ねてゆく。
「ジャンヌは何も考えてないよ。ただ感情のまま、気の向くままに行動するんだ。こっちの苦労なんかすらないで好き勝手にもう……だいたい口がない癖に口うるさいってどうな、っんぐ!?」
少年の言葉は、最後まで終わらなかった。
魔女への不平不満が垂れていたその口は、覆われてしまったからだ。
――その、黒い右手によって。
ぎりぎりと締めて、マスターの身体を宙へと浮かしてゆく。
「ちょっ、ちょっとジャンヌ、タイム。それはまじでやばい。意識遠のく……」
「ジャンヌ・オルタさん!?いらっしゃったんですか!?気づかなかったのは大変申し訳ないんですがその、先輩を離してあげてください!そのままだと先輩がだいぶ危ないです!」
こっそりと隠れマスターの様子をうかがっていたのだろう。
つまり思いっきりきかれたわけだ、あのマスターの愚痴を。
腹に据えかねる気持ちはよくわかるが、それ以上はいけない。
マシュは止めに入ったが、ジャンヌは無言だ。
……いや無言であるしかない。
だってそうだろう。
いま少年を締め上げている右腕。
――その右腕だけしか、彼女がそこに現界できていないのなら。
果たしてどうやってしゃべれというのだろうか?
宙に浮いた腕はマスターを締め上げたのち、ぱっと放す。
ばんと思いっきり尻から落ちたマスターはけほけほと喉と尻をさすりながら恨みがましそうな視線を向ける。
「……ジャンヌ。いくらオレでも腹に据えかねることはあるんだよ。確かにオレの魔力不足でそうなっちゃったのははすまないけど、これ以上のわがままは許しません。もし言うこと訊けないなら実力行使だけど……どうする?」
そうぱきりと拳を鳴らすマスター。
すると宙に浮いた黒い少女の腕は答える。
例え言葉は響かなくても、はっきりと伝わったはずだ。
少女の深層、その心の声を。
――びしりとまっすぐに打ち立てられた中指は、確かに。
『上等だコラ』と、たかだかに吠えていた。
瞬間、始まる闘争。
宙を飛ぶ片腕に、五体で挑む少年の姿。
その異常は、すでに日常と化した風景なのを嫌々ながら自覚できてしまって。
マシュは深く、ため息をついた。
■ ■ ■
――結論として、ジャンヌ・オルタの召喚には成功した。
けれど、まだ十分な準備が整ってない状態で急いてしまったことにより、彼女を完全に実体化させるだけの魔力を補うことは叶わず。
結果として生まれたのは……ふよふよと宙を漂い徘徊する女の片腕という怪奇譚の一幕であった。
「……正直、なんでそこで顔とかじゃなくて腕をチョイスしたのかって今でも思うよ。少なくとも顔だったら、こんな青あざなんてできなかったんだろうから……」
腫れた頬をさすりながら、恨みがましそうな視線を投げるマスター。
するとその向かい側に浮いていた腕は、机に置いてあったペンを手に取ると、すっすとメモに筆先を走らせた。
書き終わると、そのメモをマスターへと見せつける。
真っ白い一枚に、黒インクで綴れた文字は端的な言葉。
『なら代わりに噛み千切ってやる』という、なんて素敵な脅し文句。
「……ほんとワイルド」
言ってマスターは息を深く吐いた。
……まぁ彼女に繊細な返答なんて、むしろあった方が驚いてしまうぐらいなのだが。
「……あの、先輩。よろしければお茶のおかわりなど如何でしょうか?」
「え?ああ、確かに嬉しいけどここから食堂まで結構あるし別にいい……」
「わかりました!すぐに淹れて参ります!」
マスターが言い終わる前に、マシュは脱兎の如く駆けだした。
それはまるで、とゆういかまさに『逃走』に近いムーブアウト。
「……ほら、気を遣わせちゃってるじゃないか」
唇を尖らせる少年に、腕は『アンタも同罪』と即座に書き返す。
……この、打てば確かに響く受け返し。
まさしく、あのカルデアにいたころの彼女との会話はそのものだった。
いつだって食えない、いつだって一筋縄ではいかせてもらえない感じ。
――ああ、これは本当に。
紛れもない『彼女』の存在が、ここにある。
「……でもさ。やっぱり、顔くらいは見せてくれてもいいんじゃないかな?」
物は試しに、そんな遠回しなセリフを言ってみる。
けれど、彼女の腕に愛嬌なんて概念は無く『知るか』とあっさり断られてしまう。
……そのあっさりさに、かちんときた。
「……ああそうだ。よく考えたら今のジャンヌには口ないんだから、いつもみたいに憎まれ愚痴を叩かれることなく、君にあれこれと言ってやれるのか」
にやりと、頬を歪める。
すると少女の指はすぐに筆へと伸びたが、その手のひらにトンと、マスターは手を重ねる。
「こらこら、人の話を聞くときは『しながら』はご法度だよ……ちゃんと最後まで、聞いてよね」
ぐいぐいと少年の手のひらをはねのけようとするが、それはいつもに比べればはるかに弱弱しく可憐な抵抗だ。
マスターの手を退けるには、あまりに程御遠い。
なのに、そんな不完全な状態じゃ無駄だと分かっているはずなのに……手は、まだもがいてる。
必死に、全霊の力で、君は抗っている。
……そんな姿が、かつては『日常』だった。
非力で弱い彼を嗤って、馬鹿にして、あげつらって……手を、差し伸べてくれる。
振り返れば、背中を見守っていてくれて。
横目に見れば、肩を並べいっしょに前を見据えて。
顔を上げれば、その先で待っていてくれる――ただ一人の、君がいた。
どこをみても、どんな時も、君が視界から消えた日々はない。
……すべてが終わった、あの日以来を除けば。
あれは他でもない、少年が望んだ未来だ。
後悔はない、迷いもない。
だから文句はない……なんて、割り切れるほど『大人』にはなれない。
「――ジャンヌ」
そう、少年は少女を呼ぶ。
……呼べるんだ。
どれだけその名前を口にしても、無意味に消えていった。
あんなにも好きだった君の響きが、重ねるたびに瞼を熱くさせた。
それが今は、この名前を受け止めてくれる君が、この手の下にある。
……どれだけ、嬉しかったか。
だからこれだけは伝えよう。
誰にも言えない、少年の告解。
ずっと言いたかった、少女に向けて……。
「……また、会えてよかった」
……そんな機会、二度と訪れるべきじゃない。
嫌でもわかっていたんだ。
でも、それでも……思ってしまったんだ。
今この時、この瞬間のリアルを。
『よかった』と、祝福してしまうことに。
……なんて重い、罪を犯したことか。
誰にも言えない、ジャンヌにすら語るべきでなかったこの想い。
「……ごめん」
唇を噛みしめて、少年は目を伏せる。
暴れていた少女の手はもう抵抗しない。
しばらくの静寂の後、するりと力を失った少年の手からすり抜ける。
それから宙を浮いたその腕は、そのまま少年の背後へと飛んでいく。
――これは、きついの一発来るかな。
そう少年は自嘲する。
それは当然の帰結だ。
こんな情けないマスター、一発殴らなきゃ彼女だって収まらないだろうから。
せめて舌を噛まないようにしようと、ぐっと歯を食いしばる。
来るべき感触は、きっと重い衝撃。
覚悟して身構えていた少年。
ほどなくして、感触は頬にくる。
けれど、それは重くはなかった。
感じるのはただ……柔らかくて、暖かな感触。
同じく肩や背中、全身にその熱は伝染する。
……それが何かわからないマスターではない。
なんどもなんども、夢の中ですら求め続けた――それは彼女の、柔肌の感触。
「……ジャンヌ、もしかして――」
「――こっちを見るな。見たら殺す」
振り返ろうとした少年に短く、少女は告げた。
……鼓膜を震わせるその声に、胸が高鳴る。
「貴方の少ない魔力じゃあ、肉体の外見作るだけで精一杯なのよ……服なんて、生成できるわけないでしょ」
言いながら一層、少女は抱きしめる両腕に力を込めた。
それは恥ずかしさを紛らわすためなのだと、より熱さを増した彼女の赤い肌が教えてくれる。
……ああ、なんて地獄だ。
振り向けばこんなにも愛らしい存在がいるはずなのに。
思う存分君を抱きしめてやる自由がないなんて。
「……生殺しもいいところだ」
彼女につられて熱くなった額を抑えながら、少年は呟く。
続けて彼はそのあふれ出しそうな衝動を堪えながら言った。
そんなことが出来るなら、はじめからそうしてくれればいいじゃないかって。
「まさかと思うけど、私に裸で過ごせとかいうつもり?」
「服を借りれば済む話じゃないか。常に戦闘をするわけじゃない。外見だけでも、別にいいじゃないか」
「……アンタって、ほんと身勝手ね」
ぶちりと、少年のわずかに出ていた首元に爪が経った。
微か痛みに、マスターは眉を顰める。
語りだす声は怒りに満ちていた。
「――勝手に私を呼んで勝手に拗ねて、その挙句実体化すればよかったですって?ふざけんのも大概にしなさい。私にだって少しぐらいはあるのよ……心の、準備ってやつが」
――怒りたくも、なる。
自分勝手すぎるだろう。
貴方の思い込みだけで決めるな。
私にだってあるんだ。
貴方が私に会えたのと同じように。
また会えてまた触れ合えてその溢れんばかりの想い……どうしようなく情けない、貴方に見せられないような笑顔を浮かべてしまうことぐらい。
この竜の魔女にだって、あるのだ。
……絶対に、そう口にはしてくれないが。
「……だから待ってなさい。私の準備が整うまで――必ず、また会うから」
耳元でささやかれる言葉は約束。
果たすと決意した誓いでもあり。
待っていてという、願いの裏返し。
……答えなんて、もう決まってる。
言われなくても、そのつもりだった。
ただ……ちょっとここで、おねだりをしてみよう。
「……じゃあさ。忘れないように、とびきりのをお願い」
「……この節操無し。飢えすぎるにもほどがあるでしょう」
「忘れっぽい性分なだけだよ。強烈のじゃないと、覚えてられないんだ」
くすくすとからかい気味に笑う少年。
まったくと魔女は肩を竦める。
……だがこのまま言いなりになるのは癪に障る。
無視をしたいが……要は、忘れても思い出せればいいのだ。
「……いいわよ。ならとびきり強烈なのをしてあげる」
目をつむりなさいと声をかけると、彼はすんなり目を閉じた。
完全無防備な少年の横顔に、ジャンヌは微笑む。
ゆっくりと、少女はそのぷっくりとした唇を近づける。
そして触れる直前に、こうささやく。
「……でもあとでちゃんと、消毒はしてもらいなさい」
■ ■ ■
「――先輩!お茶のお代わりを……あれ?ジャンヌさんはお帰りになられたのですか?」
一人っきりになっている少年の姿に、お盆に茶器をのせて帰ってきたマシュが尋ねる。
するとマスターはうんとその問いを肯定した。
「もう飽きたから帰るってさ。ほんと、自由だよねぇ」
「そうでしたか……先輩?頬っぺた、どうかしましたか?」
流石、鋭い後輩。
彼が右頬を抑え続けてることにすぐに気づいた。
けれどマスターは「別に大丈夫だよー」と朗らかに笑う。
「ちょっとジャンヌに強烈なのをもらっただけだから。もう痛くないし」
「強烈って、お怪我をなされたのですか?だとしたらすぐに医務室に……!」
「そういうのじゃないよ……それにね、マシュ」
何ですか?と心配そう見つめてくる少女。
反対にマスターは微笑んだ。
それはきっと、マシュからしてみれば……懐かしいと思えた表情。
本当に、心から『楽しそう』に笑いながら、マスターは言った。
「……とりあえず、噛み千切られずには済みました」
途端マシュは目を大きく見開く。
だがすぐにその瞳を柔らかく緩めて、「よかったですね」と笑い返した。
少年も「うん。よかった」とたびたび頷いて、しばらくの間、二人は静かに笑いあった。
――この痕はきっと、明日の朝には消えてしまうような軽いモノだ。
……だからこそ、一層嬉しいくてならない。
せっかく彼女の贈り物が消えてしまうのは寂しい気もする。
だがその時は――新しい痕を、また明日にでも彼女に貰いに行こう。
……今日のお礼も兼ねて……ね。
終