Dream over!!   作:天杜 灰火

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play ball!!②

 一言で言うと、こうなる。

 ――朝起きたら女の子になっていた。

 

「……へ?」

 

 起きたばかりのは、ベッドの上でそんな声をあげていたと思う。

 手の上にこぼれ落ちてくる、銀とも白とも取れる髪の毛。手触りは絹糸のように柔らかく、男のソレとは比べ物にならなかった。

 パジャマはブカブカ、視線も低い。

 加えて、胸と股間に妙な違和感があった事を覚えている。

 

「なっ、なななっ」

 

 慌ててベッドから降りた瞬間、パジャマの裾を踏んづけて転んだ。

 

「いひゃあっ!?」

 

 その声はボクのものとは思えないほどに高かった。

 

「うう……い、いったいなにがどうなってっ」

 

 顔を上げて辺りを見回し、鏡に視線をやる。

 鏡の中の『女の子』がボクを見つめていた。

 病的なまでに白い肌。さらさらの銀髪を床に垂らしている。パジャマ姿の少女だ。紅色の瞳は涙で潤んでいる。打ちつけたのか鼻が赤らんでいた。

 それが『ボク』なのだと理解するのには、大変な困難を伴った。

 

「――」

 

 声を失った。

 鏡の中の女の子は、今まで見たことないくらいに素敵だった。

 でもそれ以上に、脳がフリーズしてしまっていたのだろう。

 鏡に映り、ボクと目が合っている――それも同じ体勢で。

 それはつまり、彼女こそがボクだということ。

 でもそんなの、おかしいじゃないか。

 ボクは昨日まで確かに男だったんだ。

 茶髪で、それなりに鍛えてて、身長もそこそこあって、女顔でも童顔でもなかった。

 それが、こんな。

 

「……ふ、にゃっ、」

 

 正直な事を言えば、それからどうなったのかは覚えていない。

 気絶してしまったからだ。

 脳の処理能力がオーバーヒートしてしまったんだと思う。

 

 

 目を覚ましたのは、恐らくそれから数十分後。

 

「お目覚めかしら?」

 

 瞼を持ち上げると、ぽやぽやした美人の顔が視界を埋めていた。

 お互いの息が感じられるほどの距離。さすがに驚いた。息を呑み目を見開く。

 忘れるわけもない。

 ボクの姉さん――夢原小夜(ゆめはらさよ)だ。

 背中程度まで伸ばした黒髪。大学生らしからぬ童顔。バランスの整った体に、豊かな胸。

 我が姉のことながら、男の理想をできる限り詰め込んだような女性だった。

 

「あらまあ。寝てた時も可愛い子だなーって思ってたけど、起きるともっと可愛いのねぇ」

 

 そう言って、彼女はにっこりと笑い顔を離す。

 その笑顔が、いつもとはどこか違う気がした。

 

「……姉、さん?」

 

 ぼんやり手を伸ばす。

 わけもなく不安だった。

 しかしボクの言葉にまず驚いたのは、他ならぬ自分だった。

 声の高さがまるで違う。

 気付くと同時に、かすかな記憶が一気に蘇る。

 それを証明するように、鼻が少し痛んだような気がした。

 いくら姉さんに驚いたといえ、まだ寝惚け半分だった頭が一気に覚醒する。

 

「ふふ、なあに? あなたのお姉さんと私は似ているのかしら?」

 

 微笑みながらも、その声の裏には警戒心が滲んでいた。

 違和感の正体をハッと理解する。

 姉さんは、他人に向ける顔をしていた。

 今のボクは、どういうわけか昨日までの夢原満月の姿をしていない。

 姉さんにとっては弟の部屋で見知らぬ女が寝ていたという事になる。

 当の本人はどこにもいない。

 姉さんの対応も当然だ。

 たらり、と冷や汗が出てきた。

 自分の置かれている状況がどれほどまずいのか、よくわかった。

 

「もしかしたら、私の友達かもしれないわね。お名前を教えてくれる? ついでに、あなたのお名前も」

 

 姉さんの瞳が細くなった。

 優しい響きの声の裏には、誤魔化しを許さない威圧感があった。

 言葉を間違えれば、即座に警察にでも突き出されるかもしれない。

 刹那の葛藤。

 選んだのは、

 

「……夢原、満月」

 

 告白だった。

 ゆっくり考えている暇なんてなかった。急ぎすぎた答えだっただろうか。

 でもボクは、これが正しいと思う。

 姉さんの瞳が、さらに鋭くなった。

 

「……もう一度、言ってくれるかしら?」

 

 ひとたび打ち明けると決めた以上、半端な態度は不信感を与えるだけだ。

 覚悟を決めて唾を飲み込む。

 臆することなく、自分の名を再度告げた。

 

「夢原満月。姉の名前は夢原小夜。……ボクだよ、姉さん」

 

 信じてもらえるわけはない。

 頭の片隅のボクもそう囁いている。

 だけど、姉さんならボクを信じてくれるんじゃないか。

 なぜだか、そんな気もしていた。

 怯むことなく姉さんを見据え返す。

 無意識のうちにかけ布団をぎゅっと握ってしまう。滲み出る手汗が、ボクの緊張を物語っていた。

 

「……そう」

 

 姉さんは、目を細めたまま言った。

 その声からはなんの感情もうかがえない。

 失敗だったか――ボクが息を呑んだその時、

 

「なら、いくつか質問をしましょう」

 

 姉さんは言った。その声はあくまで冷静だった。

 信じてもらえたわけではないだろう。

 だが、聞く耳を持たないというわけでもないようだった。

 それでも普通に考えれば異常だ。ボクが姉さんの立場なら話を聞こうとさえ思わない。

 不思議ではあった。不可解でもあった。

 けれど、ボクにとっては非常に都合が良くもあったのだ。

 であれば疑問は後回し。

 まずは、姉さんに信じてもらうことだけを考える。

 

「私のこの髪飾り。誰から貰ったものかしら?」

「ボク」

 

 即答した。

 姉さんの柳のような黒髪を飾る、桜を模した髪飾り。ボクが中学校の修学旅行先でお土産として買ってきたものだ。

 数年は前の事になるが、姉さんは今でも使ってくれている。

 こんな質問の答えがわからないわけはない。

 ボクが、夢原満月であるのなら。

 

「私が付けているミサンガは?」

「ボクだね。チームメイトのために作ったものだけど、せっかくだから姉さんと父さんにもいくつかプレゼントしたはず」

「満月くんの好物はなに?」

「それ、言わなきゃダメ?」

「ダメ」

「……カレーだけど。甘口の」

「なんで言うのを嫌がったの?」

「姉さんが『子供っぽい』とか言ってさんざん弄り回したから」

 

 唇を尖らせた。

 そのせいで、好物を言う時はなるべく嫌いではない渋めのものをチョイスするようになった。

 だがそのボクの反応が決め手となったのか、姉さんの雰囲気が和らぐ。

 

「……そう。……そう」

 

 姉さんの声はかすかに震えていた。

 

「……あなたの姿を見た時、まさかは思ってた。思ってたけど、……。

 ……とにかく事情はわかったわ。私も上手く飲み込めているわけじゃないけどね」

 

 姉さんは複雑な微笑を見せる。

 気持ちの良い表情ではないけれど、それは家族に向けるものでもあった。

 それこそが、なんとかこの場を切り抜けられたことの証だった。

 体に温度が戻る。流れていた冷や汗が不快感を伴い始めた。相当緊張していたらしい。無理もないことだと他人事のように思う。

 一方の姉さんは、安心したボクとは対照的な様子だった。額に手を当てて、ぶつぶつと小声で何事かを口ずさんでいる。

 その言葉の断片をボクは聞き取った。

 

「まさかお父さんの言う事が本当に起こるなんて――」

 

 なぜ父さんが出てくるのか。その理由はわからない。

 ただ、姉さんと父さんの間でなんらかの情報がやり取りされていたことだけは確かなようだった。

 けれど今となっては、ムッとする気さえ起こらない。

 

「ごめんね」

 

 姉さんはおもむろにボクの頭を撫でた。

 どこか悲しそうな、辛そうな顔だった。

 

「信じてあげられなくて。ビックリしたわよね」

 

 顔を見れば、姉さんがボクを信じてくれたのだということぐらいはわかっていたはずだった。

 だけど直にそう言われることで、姉さんはボクを本当に信じてくれたのだと、ようやく確信できた。

 

 

『歩く』という行為がここまで大変だったなんて、はじめて知った。

 足を怪我したことは一応ある。けどそれとは別種のやりづらさ。

 身長や手足の長さといったものが一気に変わってしまったせいで、感覚がまるで掴めないのだ。

 段差があると思いながら歩いたら実はなかった時、もしくはその逆のような躓きが、何度もボクを襲う。

 目線が低くなった事もあり、慣れしたんだはずの家が、普段とは違って見える。

 それでもなんとか姉さんと一緒にリビングへたどり着いた。

 ため息と共にソファに座る。

 

「……変に疲れちゃった」

「そうよねぇ。一晩でそこまで体が変わっちゃったら、誰も適応できないよねー……」

 

 困り顔で姉さんが言う。

 

「とにかく大変だったね、満月くん。なにか体に異変があったらすぐお姉ちゃんに言って」

「異変しかない」

 

 吐き出されたボクの言葉に姉さんは苦笑いした。

 ボクとしては笑い事ではない。

 歩いている最中に気付いたのだが、やはり――ないのだ。アレが。股間の。アレ。

 胸も少しどころではなく膨らんでいる。太っているとかいうレベルではないし、お腹は出ていない。

 加えて、どこからどう見ても女の子としか思えない顔。

 導き出される結論はひとつしかなかった。

 それは、あまりにも非現実的なものだった。

 

「……ボクは、どうなっちゃったのかな?」

 

 姉さんを真剣な眼差しで見つめた。

 無意味な問いかけではないだろう。

 姉さんがボクの異変についてなんらかの情報を握っているのは、恐らく間違いない。

 ボク自身でさえこの変化を上手く受け入れられていないのだ。

 なのに姉さんはボクを『満月くん』と呼ぶ。そこにもう、一片の疑いすらありはしない。

 それをどうこう言うつもりはない。姉さんがボクを信じてくれたのは素直に嬉しい。

 だけど、腑に落ちないのも事実だった。

 

「そうね。どこから話せば良いのかな……。

 私たちのお父さんが神社の宮司だ……って事は、お父さん満月くんに話してたっけ?」

「父さんはたしかに仕事のことを話したがらない人だけど、さすがにそれくらいは話してくれたよ?」

 

 微苦笑する。

 宮司、という役職については詳しくないけれど、神社では一番偉いらしい。

 父さんは若いながらも――それでも同級生の親に比べるとやや高齢だが――神職の中ではかなりの立場にいる人物である。

 それ故に、なにかと忙しく一緒に過ごせる時間は多くない。

 父さんが仕事の話を家で滅多にしないのもそれが理由だ。

 貴重な家族の時間はボクたちの話を聞くために使いたい。

 そういう人だった。

 

「そう、なら話が早いわ。その、お父さんがお勤めしてる神社。そこに原因があるのよ」

「父さんがお勤め……えっと、天満神社、だっけ?」

 

 姉さんはコクリと頷いて、続けた。

 

「そう。天満神社にはひとつ、言い伝えというか、おとぎ話みたいなのが伝わっててね。

 いろいろ異説があってどれが本当のお話なのかはよくわからないんだけど……」

 

 それなら聞いたことがある。

 天満神社は地元では有名な神社だ。

 小学校で、年配の先生が天満神社のおとぎ話とやらを話してくれたりもした。

 その内容はハッキリと覚えていない。

 それを見透かしてか、姉さんが軽くおさらいしてくれた。

 

「ある若者が病に伏せた友を助けるため、神様にお百度参りっていう過酷なお祈りをして、友を助けてもらった。でもその引き換えとして若者は命を失ってしまう。

 それを悲しんだ若者の友は、今度は自分が神様にお百度参りをするの。

 二人の絆に感服した神様は、神様自身の命を代償にして、不完全な形ながらも若者の魂を呼び戻す。

 でも蘇った若者は、まるで兎のような白い髪と赤い目を持った妖の女に成り果ててしまっていた。

 けれど二人にとってそんなことは関係なくて、それよりも、彼らは神様の死をうんと悲しんだ。

 せめて感謝の証として、神様の名を広めようと自分達が神職になり、その神様を祀りあげた。

 ――それが、天満神社の始まりと言われているわ」

 

 その話に出てきたある言葉が引っ掛かった。

 ――兎のような白い髪と赤い目。

 今のボクにそのまま当てはまる特徴だった。

 ただの昔話だとあしらうことはできそうにない。

 

「この二人の子孫が、恐らくは満月くんよ。お父さんはそう言ってた」

 

 つまり、ボクとお父さんがその二人の遺伝子を引き継いでいることになる。

 姉さんは父さんと血が繋がっていない。

 ボクたちの両親の間には、なかなか子どもができなかったらしい。

 やむを得ず、養子として姉さんを引き取ってきたと聞いている。

 ボクがお母さんのお腹に宿っていると発覚したのは、それからすぐの事だった。

 

「他のこともお父さんが話してくれたわ。……この家系はそういう血筋なんだ、って。先祖の魂が不完全な形で蘇り、陰と陽が逆転し、その上で他の魂と交わった結果の特有の性質なんだ、って」

「……性、質?」

 

 話が見えない。

 思わずオウム返しすると、姉さんは頷いた。

 

「そう。天満神社の名の下に生まれてきた子どもは、魂が不安定でね。

 とはいえ、基本は小さな変化を繰り返すだけで、ほとんどはそれに気付かず一生を終える。せいぜい、たまに体質とかが変わる程度。

 ……でも、ごく稀にではあるんだけど、魂の性質が大きく変化してしまうことがある。まるでご先祖さまの歪な復活を再現するかのように、大きな変化を引き起こすことがある。

 これをお父さんは『魂の裏返り』って呼んでた。

 ――そしてその『魂の裏返り』こそが、今満月くんに起きてる現象の正体よ」

 

 その言葉を本当の意味で理解するのには、結構な時間を要した。

 科学が世界を支配する現代では、夢想的に過ぎる話だった。

 

「お父さん曰く、魂と肉体は強く結びついているらしいわ。だから、魂がガラリと変質してしまえば、同じように肉体の性質も変わってしまう。

 ……たとえば、性別が変わってしまったりね」

 

 姉さんの言っていることが嘘ではない、というのは自分の体が証明してくれている。

 科学世紀でもある現代でさえ、人間を完璧に性転換させる技術など存在しないという。

 状況から考えても、これが人為的に行われた性転換だという可能性は限りなく低い。

 だからといって、どうしてそんな現実離れしたことをすぐに理解できるだろう。ましてやこれが、自分の身に起こったことだなんて――。

 軽く、目眩がした。

 それでもなんとか飲み込む。無理やり飲み込む。

 いつの間にか、また冷や汗が流れていた。

 ボクは、そっと目線で話の続きを促した。

 

「そんな風に『ひっくり返った』人はみんな、白い髪と赤い目を持った体になってしまうそうよ。まるで、『ひっくり返った』証のように。アルビノと酷似してはいるけれど、それとはまた違うものね」

「……それじゃあ、やっぱりボクも、『ひっくり返った』の?」

 

 姉さんは、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「多分、ね。むしろそうとしか考えられない、っていうのが本当の所かしら。

 ……ごめんね、こんな大事なこと黙ってて。お父さんも、満月くんが成人する頃には話そうと思ってたみたいなの。でも、今しばらくは野球に集中しているようだから、邪魔をしたくないって。

 だから、お父さんは私に夢原の血筋に関わることを話してくれた。私は養子だからそんな心配はないし……もしなにかあれば満月くんを支えてあげてほしい。そうとも言ってた」

 

 それから、しばらくの沈黙が流れた。

 現状を整理し、とりあえず逃げずにしっかり認識しようと努力はしている。だけど、上手く纏められない。

 なんとなしに頬を指でつねってみた。

 とても痛かった。

 指に伝わった瑞々しい頬の感触は、まさしく女の子の肌。

 夢ではない。

 ボクは震える声で訊く。

 

「ボクは――元の性別に、戻れるの?」 

 

 答えが返ってくるまで、かなりの間があった。

 その間こそが、ボクに姉さんの返答を予測させた。

 

「戻れない、と思う」

 

 やがて絞り出された言葉は、予想通りのものだった。

 

「魂が不安定なのは、一度ひっくり返ってしまうまで。その後はちょっとずつ安定していっちゃうみたい。

『裏返り』ほどの変化となるとそれほど頻発するものじゃない……というより、頻発させられない、と言った方が正解かしら。

 魂そのものへの負担というか、消費するエネルギーというか、生命力というか……とにかくそんなものが大きすぎるから、『ひっくり返る』のは一度きり。白い髪と赤い瞳は、その負担によるものじゃないかってお父さんは推測してるけど……詳しいことはなにもわかっていないの。なにせ、『ひっくり返った』人自体そう多くないから。

 だから、正確に言うと可能性はないわけでもないと思う」

 

 姉さんがボクを励まそうとしてくれているのはわかった。

 

「でも――いちど『魂の裏返り』を経験した人がまた『裏返り』を起こして元に戻ったっていう記録は、存在していないわ」

 

 余計な希望を持たせようとしていないことも、また。

 衝撃は思ったよりも少なかった。

 単にまた、脳の容量がオーバーしてしまっているだけなのかもしれないけれど。

 

「……そっか」

 

 ボクは噛み締めるように呟いた。

 そのあと、天井を見つめ、深呼吸する。

 十秒以上の長い沈黙。

 頭の中を様々な思いが駆け巡る。

 これからボクはどうすれば良いのだろう。

 これまでのボクはどうなるのだろう。

 今は、どんな反応をすれば良いのだろう。

 それすらもわからないぐらい、いろんなことを考えていた。

 答えなんて出せるわけもなく、けれど考えを止めることもできず。そしていつのまにか、だいぶ黙り込んでいたことに気付いた。

 数分は口を開いていない気さえする。

 ボクはおもむろに、ふうっと息を吐いた。

 

「――わかった。ありがとう、姉さん」

 

 そう言って、できる限りの笑顔を見せた。

 ボクの性別が変わっただけだ。

 大したことではない。

 だって現に、呆然とはしていたけれど、悲しくなったりしたわけではないのだから。

 だから、大丈夫。

 胸のうちで、強く思う。

 

「それじゃあ、父さんにもまた改めて訊いてみるよ。性別が変わったってなったら、大騒ぎでしょ? 戸籍とか学校の事とか……大忙しになりそう」

「……その辺りは、私たちの親戚の方とかは理解があるからなんとかなると思う。他にもウチって結構ツテがあるし」

 

 やや戸惑った様子で、姉さんが答える。

 ボクは「そっか」とだけ返した。

 案外、お父さんの顔も広いらしい。特殊な家系だから結束も強いのだろうか。

 そうとなれば、法律上の問題は多分父さんたちがなんとかしてくれるだろう。

 そんな風に思考を次へ次へと進めていると、姉さんがおずおずと口を開いた。

 

「……満月くん」

「ん、なに?」

「大丈夫?」

 

 姉さんがなにを言いたいのかはよくわかる。

 だからボクは、笑って答えた。

 

「正直、大丈夫じゃない。大丈夫じゃなさすぎて、一周回って平気なんだ」

 

 情報量が多すぎて、突飛すぎて、上手く処理できていない。

 でも――いや、だからこそ。

 

「だから今のうちに、明るくしておこうかなあって」

 

 照れくさくなって、頬で指をかく。

 落ち込んでたって仕方がない。

 まだまだ元気な――たとえそれが空元気だったとしても――今だからこそ、ボクはできる限り、普段通りの夢原満月としていようと思った。

 

「……そう」

 

 姉さんはボクの答えを聞いて、少しだけビックリしていた。

 やがて優しく微笑んでくれる。

 

「なら、お姉ちゃんもうじうじしてられないわね。本人がせっかくがんばってるんですし」

 

 ふんすっ、と豊かな胸を張って気合いを入れる姉さん。やっぱりスタイルが良い。でも顔は童顔である。そのくせアンバランスな印象はなく、むしろ良いとこ取りと言った方が良いくらい。

 そりゃモテモテになるよなあ、なんてことを考えながら、ボクはソファから立ち上がった。

 できる限り声を明るくして、

 

「とりあえず、ボク着替えてく……あー……着替えどうしよ?」

 

 言っている途中、さっそく問題にぶち当たった。

 腕をあげ、ダボダボパジャマの余りすぎた袖を見せる。前の体と今の体じゃサイズが違いすぎて、合う服がない。

 かといって、こんなみっともない格好で一日を過ごすのもはばかられた。

 

「んー……確かに、ちょっとまずいわね。中身はともかく、体はどう見ても女の子なわけだし」

「外にも行けないのは困るなあ……姉さんのお古とか、」

 

 提案してみてすぐに、いや、ダメだね、と肩を落とす。

 家族とはいえ、性別の違いがある。姉の服を着る弟っていうのはどうかと思うのだ。

 姉さんはボクには甘い。

 だがさすがに許してくれないだろう。

 だから、別の案を考えようとして――。

 姉さんの瞳が、一瞬だけ妖しく輝いた気がした。

 

「……満月くん。お姉ちゃんのお古なら、あるよ?」

 

 その一言で、本日何度目かわからない冷や汗がまたぶわっと出てきた。

 ボクにとって都合が良い一言。なのに到底そんなふうには考えられなかった。

 ――『あれ、ボクこれもしかして地雷踏んだんじゃね?』という遅すぎる後悔。

 本能が警鐘をけたたましく鳴らしている。嫌な予感、なんてレベルじゃなかった。

 頬が引き攣った。

 

「へ、へえ……でも、良いよ? 姉さんのお古だからってサイズが合うとも限らないだろうし」

「満月くんの今の身長って、今のお姉ちゃんより数センチ低いぐらいよね」 

 

 緑にさえ見えるほど艶のある黒髪で、姉さんの目元が隠れる。

 じり、と一歩、詰め寄られた。

 じり、と一歩、距離を取った。

 

「私が高校生くらいの時、そんなものだったかなーって記憶しててね?」

 

 じり。

 じり。

 姉さんが歩み寄る度に後ずさっていたボクだけど、それにも限界が訪れる。

 背中に固い感触。壁だった。

 視界が影で薄暗くなる。ボクを覆うようにして姉さんが見下ろしていた。にやーって音が聞こえてきそうな、なんとも言えない笑みを浮かべながら。

 その瞳は、まごうことなき捕食者のそれ。

 

「い、いくら今はこんなのとはいえ、ボク男だよ? 服を貸すなんて、そんな、気持ち悪いとか……」

「あらまあ。思うわけないじゃない、可愛い可愛い満月くんの頼みなんですもの。お姉ちゃんにできることなら、なんだってやってあげるわ」

 

 なんて優しい姉なんだろう。優しすぎて歯の根がちょっと震えてきた。寒気までしてきた。

 

「それに……妹のおめかししてあげたり、一緒にお洋服選んであげたりするのって、ずっと私の夢だったから」

「そもそも妹じゃないんだけど!?」

 

 ニッコリと、姉さんが笑う。

 死刑宣告のように綺麗な笑顔だった。

 ボクの言葉は届かなかったらしい。

 

「さっ、おいで。大丈夫、怖くないから」

「あっ、ちょ――」

 

 そうしてボクは、姉さんの部屋に引きずりこまれたのだった。

 

 




次回の更新は1/1(日)の20:00の予定です。
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