愛に啼く月の進化論 -Gehen Sie im Licht-【蓮×ヴィルヘルム】   作:桜月(Licht)

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Prologue/Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 01

 

 

§Prologue 

 

 

          *** 

 

 

 こうして、彼と彼女は番いとなったというわけだ。

 マルグリットもきっと喜んでくれるだろう。ああ、花のように微笑む様が目に浮かぶようだよ。

 

 これより私の代替として、彼はシャンバラにスワスチカを完成させていくことになる。

 であれば、怒りの日が訪れるのも近いだろう。

 とはいえ、前途は多難であるといえる。残念ながら、彼はまだ弱く、拙い。

 代替としてつつがなく十全に機能するにはしばらくの時を要するだろう。

 であるならば、彼にもう一つ、贈り物をしようと思う。

 いや、私が手をだせば、途端に舞台はつまらない様相を示すと自覚はしているがね。

 これも、我々を苛む既知を、 牢獄ゲットーを越えるために必要な手の一つだと思うのだよ。

 つまらぬと断じて切り捨てるのはまだ早い。

 何事も、試してみなければ結果はわからないのだから。

 それが既知の範囲かどうかも、また然り。

  

 どうであろう、獣殿。我が盟友よ。

 私の案に乗ってはくれないだろうか。

 乗ってくれるというのであれば、多少なりともあなたを楽しませてみせるとここに誓おう。

   

 ああ、感謝しよう、獣殿。

 新たに投じるこの一石、はてさて舞台はどのような様相を示すのか。

 あなたに、しかと楽しんで頂きたい。 

  

 役者を変え趣向を凝らし、女神と共に歌い舞い踊るといい、ツァラトゥストラ。 

 ――さあ、ここから再び 歌劇オペラを始めよう。 

  

 

          ***

  

 

 

Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 01

§Side Valeria

 

 

 極東の真冬にしんと冷えた空気はおぞましいほどにどんよりと重く沈む。

 “それ”が起きて最初に鼓膜が捉えた音は、ぽたりぽたりと滴る水音。

 非常灯の仄暗い光に照らされる革靴の足元に、ぬるりと広がっていく水溜り。

 ――それは、赤く。

 溢れて噴きだし、人気のない寂れた鈍色の景色を鮮やかな戦慄の情景に塗り変えていく。

 両手、両足、脇腹と。

 その赤――溢れて噴きだし止めどなく流れ落ちる鮮血は私の身体に刻まれた聖痕から。

 それは美しい黄金の悪魔に魂を売った、忠誠の証。

 人を捨て、本来なら叶うはずのない邪な願望を抱き、異形へと成り果てた者だけが手にできる栄誉。

 

 敷き詰められた絨毯に染みて、絡みつくように浸蝕していく色に。

 常人であれば気が狂いそうなほど重苦しく陰鬱な空気に――冷静であろうと努めた理性は至極あっさりと箍が外れた。

 

「――ああ、素晴らしい」

 

 込み上がる愉悦に堪え切れず、緩んだ唇が言葉を紡ぐ。

 自らを源泉とする赤い血溜まりの中央に佇み、ついと持ち上げた視線の先。

 私ではないどこかの誰かの血に塗れて赤黒く色を変えた断頭台がある。

  処刑具ギロチン。

 ただそれだけのためだけにあり、それ以外に使い途などなく、ただ人間の命を速やかに断つためだけにある純粋で慈悲深い刑具。

 眼前のそれはとても巨大な造りで、このたった一つでどれだけの命を断ってきたのか、時代背景を鑑みれば容易に想像がつく。

 ――だがしかし、そこにあるのは赤黒く染まった台座だけで、肝心な首を撥ねるための巨大な刃がない。

 数千以上の命を断ったっただろうそれが、ある瞬間に忽然と姿を消していた。

 それは不思議でも何でもなく、言ってみれば当然の事象。 断頭台ギロチンの正体を思えば納得というものだ。

 

 血に濡れた断頭の刃があるべき姿に、場所に収まった瞬間。

 それこそ、我々が長きに渡り求めていた、開戦の合図。 

 ついに探し求めていたモノが見つかり、またそれの準備が整ったという何よりの証拠。

 

 ぬるい前座は終わりを告げ、ここから始まるのは文字通り、血で血を洗う戦争だ。

 この極東の島国に用意されたシャンバラに、おびただしい数の魂を捧げ陣を起こし、八つのスワスチカを完成させる。

 目指すのは、怒りの日。

 己が叶えたい望みを抱き、鬼神の如く戦場を駆け抜け、開いたスワスチカで黄金錬成を成す。

 抱く望みこそ各々違えど、成すべき目的は同じ。

 志を共にして集った我らが同胞。金と銀の双首領の下、獣の爪牙を名乗る者たち。

 ――それが、聖槍十三騎士団黒円卓。

 長い沈黙の時を経て現代に戦禍を産み落とす魔人の集団だ。

 

 ついに開いたスワスチカの一つ目――博物館。

 この時期に諏訪原市で行われた刀剣展、それは偶然でありながら必然。

 武器や祭事の道具である他の刀剣と比べて、処刑具である断頭台だけがひとつ異彩を放ってそこに在った。

 それが、我々の探し求めていたツァラトゥストラの聖遺物だという。

  双蛇杖カドゥケウスのからくりも解け、開幕を飾る役者も揃い、ついに舞台は整った。

 これより彼は黒円卓に狩られる獲物として、もしくは魔人を屠る狩人としてその断頭の刃を翻すことになるだろう。

 

「いやはや、これを愉しむな、というのは些か無理のある話だ。

 なにしろ私たちは皆、この時が来るのを今か今かと心待ちにしていたのだから」

  

 逸る気持ちに知らず踏み出し、一歩。

 びちゃり、と血溜まりを散らす濡れた鈍い音。

 響いたそれにいくつか跳ねた赤い雫、細やかな波紋が浮んでは消える。

 滴るほどの血を吸って重く湿る 僧衣カソック。

 それは背負った罪の重さを象徴するかのように、元の紺色を塗り替えて赤黒く変色している。

 そしてその濃度はこれから重ねる幾多の罪に比例して増していくだろう。

 己の願いが果たされる頃には、深淵の闇の色に変わり果てているに違いない。

 

 これからのことを思うと歓喜に心が震える。

 正餐杯。黒円卓の首領代行として現存する同胞たちを束ねる権限を行使し、この平穏な街を戦場に――絶望と狂気渦巻く地獄に変える。

 そのためには入念な準備が必要だろう。

 失敗は許されない。

 出来る限り状況を把握するための情報も引き続き集めねばならないし、事を起こすのにちょうどいいタイミングも見極めなければならない。

 考えることは山のようにある。

 そして、それが楽しくてしょうがないのだ。

 手持の駒を必要なときに適切な場所に配置して、より凄惨な光景を自らの手で演出する。

 訪れる偶然に頼るのは些か不安もあるし、得策ではない。何しろ課せられた責任は実に重い。

 更に言えば、手持ちの駒はどれも我が強すぎて、扱いづらい代物ばかり。好き勝手特攻し暴発する危険もある。 

 あっという間に街中がすべて血の海というのは風情がないし、不都合もある。避けねばならない事態と言えるだろう。

 ――だからこそ、策略を。

 美しく練られた計画に、より濃く凝縮された絶望で彩を添えられるように。

 そのために、私がここにいるのだという自負がある。

 

 すでに、血濡れた計画は動いているのだ。十数年前、このシャンバラで。

 二人の同胞の尊い命を奪い弄んだ、あの時から。

 これは、その続き。すべては、己の願いを叶えるために。

 

「さあ、まずは――、……っ!?」

 

 喜悦を隠せぬ苦笑交じり。スワスチカの開放を見届け、独り言ちながら踵を返そうとした時だった。

 

 ざわりと、背筋に悪寒が走る。あまりのおぞましさに、ひくりと喉が震えた。

 感じたのは、視線。遥か高みから見下されている。絶対的な 階級差ヒエラルキー、覆せない不文律。

 私は、その正体をよく知っている。それの恐ろしさを、身をもって覚え、痛感している。

 ――黄金の獣。

 鋭い 金色こんじきの双眸がこの身を射貫くように捉えている。

 

「……っ」

 

 視線の持ち主の正体を知覚した瞬間、異変が起きる。

 周囲に展示されているいくつものショーケースの中。飾られた刀剣たちがかたかたと震えだし、耳障りな音が幾重にも鳴る。

 それは鉄の悲鳴――たとえ武器として生み出されようと、それと争う事だけは避けたいと言わんばかりに怯えている。

 足元の血溜まりすら、恐怖を感じたかのようにさざ波を打つ。

 身体に纏わりついていただけの重く陰鬱な空気。それにぎりぎりと圧力が掛かり始める。

 押し潰されそうな重圧。存在を魂ごとすべて地に叩きつけられているようだ。

 ヒトを捨てた身でなければ到底耐えられない 重圧それが示すのは、近づいてくる強大な獣の気配。

 もはや疑いようがない。

 

 ならば巡りだすのは思考。頭に浮かぶのはいくつもの疑問符。

 今このタイミングでこの場所にわざわざ現れる理由が、搾り切れない。早い、早すぎる。いくらなんでも、これは。

 開戦の無事を祝い、ただ様子見をというならまだいいが、そうでなかったならなんとする。

 不備でもあったか、いや、その心当たりも特にない。では、何故か。

 

 浮かんでは消える思考は煮え切らず、疑問はただただ募るばかり。

 つまりそれは策を講じる猶予などろくにないということだ。

 

 ――そしてついに、黄金の獣は現れる。絶対的に越えられない圧倒的な力を伴って。

 極東のシャンバラに開いた第一のスワスチカ。

 そこに顕現した主の幻影に忠誠の形を示すべく、波打つ血溜まりへ片膝をつき、頭を垂れた。

 

「――これは。お久しぶりです、ハイドリヒ卿」

 

 喉から絞り出した声はうっすらと嗄れていた。

 それは恐怖に――先の読めない恐ろしさからだろうか。もちろん、目の前の相手の強大さ故もあるだろうが。

 魂のほんの一部を降ろしただけで、この圧力。

 だかしかし、それに気圧されるのとは種類の違う不快な何かを感じる。

 

 有り体に言えば、嫌な予感がするのだ。

 それは直感だが、何故か確信に近いものがあった。

 

 実体のない透けた身体は脳裏の記憶にある通り、完成された美を体現している。圧倒的な存在と力を誇示して悠然と暗闇に佇んでいる。

 跪くこちらを見下ろして、黄金の獣が――我らが黒円卓の首領閣下の口元が笑みを形作った。

 美しいはずのその笑みに、覚えたのは恐ろしさ、おぞましさ。

 その笑みの得体の知れなさに、ひどく眩暈すら覚える。

 こみ上げた不快感をさらに上塗りするように、久方ぶりに届いた聞き覚えのある艶のある美声。

 それが私に届けたものはある種、絶望だった。

 

 私はここにきて、思い知らされたのだ。

 告げられた 命令ことばの意味に、その圧倒的な理不尽さに、己の存在の矮小さを。いかに自分が無力であるのかを。

 半世紀以上に及ぶ長い沈黙の時を経てここに今、黒円卓双首領の恐ろしさを気が狂いそうなほどに。

 

 会話の 最中さなかに発した 進言ひていなど、一瞥されただけで霧消した。これは既に決定事項で、取りつく島すらありはしない。

 ここにきて異例としかいいようのない命令に、ただ一言受け入れる旨しか、発言は許されず。

    

「…… 了解しました、我が主ヤヴォール・マインヘル」

 

 黄金の眼を細めて満足気に薄く笑った首領の幻影の背後に、こちらを見下してあざ笑う古びた外套の影がちらついた気がした。

 ああ、どうせ本当に笑っているのだろう。

 そうでなければこんな茶番――現存する団員がシャンバラに出揃ったこの土壇場で起きるはずがないのだから。

 これは明らかな 想定外イレギュラー。気が狂れたとしか思えぬ、すべての歯車を狂わす一手。

 現に私の立てていた計画は、ここで突然に頓挫したと言っていい。

 

 薄まっていく 圧力くうきといっしょに、金色の髪をたなびかせて薄れていく幻影。

 ――その姿が完全に闇に溶けて重圧のすべてから解放された頃、ようやくひとつ、深く息を吐いた。

 それは、安堵と、困惑と、怒りが綯い交ぜになっていて、自分でも感情の種類がうまく掴めない。

 混乱しすぎて感情が分からない、という事態はこれもだいぶ久方ぶりな気がする。

 分かっているのは、そう。

 

「嫌な予感は、やはり当たりましたか」

 

 情けなく零れた言葉に、自分でも呆れて苦笑した。

 これくらいの小言、不敬にあたりもしないだろう。多少の愚痴は許して貰わなければ困る。

 何しろ実際困り果て、私はこうして途方にくれているのだから。

  

「ああ、困りましたね。本当に……」

  

 突然、主の口から直々に伝えられた想定外の命令により、ある程度決まっていたこの先の流れが白紙になってしまった。

 それはつまり、この先どうするかを考え直さねばならなくなったということだ。よりにもよって、ほとんど一から。それぐらい、大幅な変更になる。

 そしてその命令――新しい決定事項は、実行するにはだいぶ骨が折れそうなのだ。

 関わってくる面子を考えると面倒くさいことこの上ないし、どう考えても気が重い。

 けれど、それでも成さねばならないのだから 性質たちが悪い。

 この先についていろいろと細かく策を講じるのは、その決定事項を無事に起こし、ある程度軌道に乗ってからでないと無理だろう。

 なにしろ本戦の開戦直前になって主に求められたのは、肝心要の 戦争ルールの仕様変更なのだから。

 せっかく茶番が終わり本番が始まったと喜んだのに、また新たな茶番を仕込むという。これでは戦争の延期が必要なのは間違いない。

 しかも今回は私が率先して実行し体制を整えろ。あっちもこっちも、皆を納得させて回れ、と。

 同胞をまとめるのは私の仕事、立場上もちろん逆らいはしない。

 こちらに役割を振られるのも納得はするが、やはり面倒くさいものは面倒くさい。それにたいそう迷惑だ。

 だがしかし、こちらの感情などもちろんお構いなく、我らの双首領は怒りの日を起こすために必要だからそれを成せと仰る。  

 己の望みを叶えるためにも、やはり求められた命令を果たさねば先に進むこともできない。

 ならばもう腹を括るしかないだろう。もとよりそれ以外の選択肢、最初から与えられてすらいないのだから。

 

 片膝をついたまま溜息を、一つ。

 負の感情は、それ一つで彼方に追いやった。戸惑いなど、もう欠片もない。

 あるのは、黒円卓の正餐杯として首領閣下の主命を成すという誓い。

 そして成すのならばより円滑に、務めるのならば楽しむ余裕を持つべきだろう。

 一度やると決めてしまえば、想定外ではあるもののこれはこれで面白いと感じる。

 なにしろ結果さえ一定なら、そこに至るまで手段は問わずこちらの好きにしていいと一任されているのだ。

 難易度はさておき、提示された条件は実に良い。

 どう進めるか、どう楽しむか――誑かすか嬲るか弄ぶか、すべて私の意思次第だ。それが愉しくないわけがなかった。

 

 血に濡れた絨毯から膝を上げ、ゆらりと立ち上がる。

 主命として降って湧いた新たな楽しみに、浮かぶのは愉悦の滲む笑み。

 黄金の獣に生け贄として選ばれた相変わらず悲運で可哀想な男の顔を思い浮かべる。

 なにかと察しのいい彼のことだ。

 明確に言葉に出来るほど理解できずとも、感覚で危機感なり違和感なり察しているに違いない。

 他の同胞も、直接視られた彼ほどでなくても何かしら感じていることだろう。

 

「やれやれ、今夜は騒がしい夜になりそうだ。皆、さっさと私を解放してくれるといいのですがね」

  

 呆れた素振りを装って独り言ち、血溜まりを抜け出して歩き出す。

 静寂が戻った博物館は事が起きる前とはもう別物だ。

 ついに開き、完成した第一のスワスチカ。

 あとに残されたのは、血に濡れた 断頭台ギロチンの台座。魔境と化した空間に、もう誰に観られることもない寂れるだけの展示品たち。

 残されたスワスチカは七つ。それがどのようにして開くのかはいまだ知れない。

 

 だがそれでも知れるのは、一つ。

 残りのスワスチカを開くため、この街を戦場に変える魔の軍団の指揮を取るのは、私だ。

 そして実際それがどのような陣形を取ろうとも、やること自体は変わらない。

 思うがままに、手の中の駒を動かすのだ。より凄惨な絵図が拡がるように。

 己の願いが叶う、その瞬間を目指すために――。

 

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