愛に啼く月の進化論 -Gehen Sie im Licht-【蓮×ヴィルヘルム】 作:桜月(Licht)
Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 03
さて、皆そろそろ気付いていることだろう。
私がツァラトゥストラに捧げた、もう一つの贈り物の正体について。
今宵、それがついに彼の手に渡るようだ。
いろいろと多難ではあるが、せっかくの 贈り物だ。無事に受け取って貰えるといいのだがね。
私の投じたこの邪な一手がどのように絡み合い新たな
――さあ、今宵の
***
§Side Ren
思い出すのは、昨夜の狂乱じみた光景。
血塗れの公園にばらばらにされて無残に散らばった、肉の塊。
香純に起きた不幸は、一応の終止符を打てた。
香純から力を奪えたからだ。そのせいで人外の化物になったが、それでいい。
一連の首切殺人事件の犯人は、俺と香純ということになるが、それであいつを罪に問わせたりなんかしない。そんなことはさせない、絶対に。
操られていた間の記憶は残ってはいないようで、それに心底安堵した。
あいつがあんなことをしたのはそもそも俺のせいで、これ以上香純に迷惑を掛けるのはごめんだ。
そして、これ以上俺の日常が破壊されるのも許せない。
だから、守る。
迫り来る非日常から、俺の大切な日常を。
そのための力を手に入れたのだから、行使して、戦って、あいつらを一人残らずぶちのめす。
そして、帰るんだ。守り切った先の、陽だまりへ。
だから俺は、もうこんなところで立ち止まっているわけにはいかない。あいつらの攻撃が、いつ誰に、どこでどう及ぶか分からない。
いつ、俺の大切なものに牙をむかれるかわからない。
とにかく早く、あいつらと戦う具体的な手段を身につける必要がある。
かざした右の掌から腕にかけて、明らかな違和感。そこに、本来ならあり得ないモノが埋まっている。
ギロチン。人殺しの道具が、そこにある。重い鉄の感覚が右腕にありありと分かる。
契約が無事に交わされたからだろう。
その証としてなのか、俺の首にはあの金髪の少女と揃いの断首の跡がくっきりと浮かびあがっていた。
そしてそれは見た目が目立つ、という以上に余計な弊害を俺にもたらしていた。
それも、だいぶ深刻に。
湧き上がる暴力的な衝動――身体の奥からこんこんと滾っていくその危険な感情に、支配されそうになっている。
正直、戦う手段云々より、こっちの方を先にどうにかしないとマズイという予感がある。
昨夜は、疲れ果てて昏倒する勢いで眠ったから気づかなかった。
具体的に、違和感に気付いたのは朝起きてからすぐ。いつもより、他愛無いことに簡単にイラつく自分に気付いた。
八つ当たりしたい、殴りたい、傷つけたい――殺したい。
気を抜いてしまえば、暴力的な衝動とマイナスの感情に振り回され、物を、人を傷つけそうになる。
今朝のうちはそれなりに苦もなく耐えられた。今も、まだ耐えられる。
だけど、時間が経てば経つほど危険な感情に振り回されていくのが分かる、耐えるのが難しくなってきている。
契約を交わして一日も経っていないのに、じわじわと追いつめられてこのザマだ。明らかにマズイ。
このまま無駄に日数が経てば、自分がどうなってしまっているか分からない。恐ろしい。
そんな状態で、誰かと関わることなんてできっこない。
だからまず、香純を遠ざけた。
すっかり元気を取り戻してのんきに朝飯を作りにきたのを適当な理由をつけて追い出した。
諦めて朝練に行ってくれて、助かったよ。
明日からもどうにか理由をつけて、追い出さないといけない。
俺の暴力的な感情の解消方法に目処がつくまで、たとえ冷たくしてでも傷つけてでも距離を取らないとまずいだろう。
香純を追い出したあと、そのまま適当に時間を潰して、学校へ登校して真っ先に教室へ。ルサルカと櫻井の動向を探るために。
ルサルカは案の定休みで、いつも通り櫻井だけは教室にいた。だけど、その様子には違和感。
どこか顔色が青ざめて、強張っていたように見えたんだ。
いつもの澄まし顔を装っているようで、装いきれていない。そんな感じだった。
向こうの陣営で、何か起きたのかもしれない。だけど、それを追求する余裕は今の俺にはない。
この有り様じゃあ冷静な判断なんてできないし、問答無用で殺そうとしてしまいそうだった。殺せる、殺せないは別として。
元々そりの合わない腹の立つ女だし、敵だという認識があるからガマンできる自信がなかったんだ。
とにかく、どういう理由かは知らないが櫻井は覇気がなく使い物になりそうにない様子で、厄介そうなルサルカもいない。
学校の外のことは知らないが、校内に限れば事態はすぐに動きそうな気配がない。それだけ分かれば十分だ。
今の俺に、余計な思考を巡らす余裕はない。櫻井の青ざめた顔も、休んだルサルカの行方も今はどうでもいい。
あいつらのことを考えれば考えるほど危険な衝動が、殺意が、みちみちと膨れ上がっていく気がする。
だから、考えない。ああ、考えるな。
奥歯を噛みしめて、拳を握って、逃げるように屋上へ。
擦れ違う生徒を殴り飛ばさないように、蹴り倒さないように、目を合わせないようにしてひたすらに廊下を進む。
そして、辿り着いた屋上。
開け放った扉、視界に飛び込んできた空の青さに、無人の空間のありがたさに、深く深く息を吐いた。
***
根を詰め過ぎて、疲れ果てていたんだろう。
そういえば昨日から何も食べてない。腹が減ってるのかすらよくわからなかったけど――きっと、空腹のせいもあったんだろうな。
屋上のコンクリートの床に、昏倒するように眠っていたことに気付いた。
太陽はすっかり傾いて、夕方だ。ずいぶんと長い間眠っていたみたいだ。ほとんど、気を失っていたようなものか。
遮るもののない夕陽の眩しさが目に痛くて顔を顰めた。
「……ッ、あ」
目を覚ました途端、やはり湧き上がってくる暴力衝動。
それに覚えるとてつもない不快感。吐き気が襲ってくるのをなんとかこらえた。
きょろきょろと、あたりを見回す。
よかった、いつもの屋上だ。
倒れた人間もいなければ、血痕もない。何かが破壊されたあともない。
眠ったか気を失ったかして意識がない間に、身体を乗っ取られて勝手に暴れたりとかされてなかったことに心底安堵した。
今は、屋上の鍵は閉められているから誰かが入ってくることはない。
それを頭で理解していても、やっぱり誰も倒れていないと分かってほっとする。
なにしろ昼まで、屋上の鍵は開いていた。
いつものことだから知っていたはずなのに、うまく頭が回らずに鍵を閉め忘れていたせいで、俺は危うく大切な人を殺しかけた。
最低限の対策を取りそこねた間抜けな俺の前に、当然のように昼休み、昼食をとりに現れた玲愛先輩。
ひょっこりと現れた白くて細い首に、目が釘付けになって。
そのまま、右手が上がりそうに――暴発しそうになるのを、すんでのところで左手で押さえつけた。
殺したい。その首を、断ち切りたい。殺せ、血を捧げろ。
頭の中にガンガンと響く殺意の不協和音。
それに屈するわけにはいかない、絶対に。俺は日常を、失いたくないんだ。
俺の異常な様子に気付いて、心配そうに近づいてくる先輩を必死に止めて、出て行ってくれと押し殺した冷たい声を放つ。
香純よりは聞き分けがいいけど、それでも先輩はあんなだから、簡単に言うことは聞いてくれなくて、結局声を荒げるハメになった。
とても悲しそうな顔を浮かべたあと、逃げるように去っていった後ろ姿が忘れられない。
傷つけて、しまった。それが、悔しい。
「ぅ……ぐっ、あ」
冷えたコンクリートにみっともなく転がって、危険な衝動と闘いながら呻いている間に、少しずつ太陽が傾いていく。
光に襲いかかるように濃くなっていく闇の色に、脳裏に昨夜の血溜まりの光景がフラッシュバックする。
その凄惨さに、それを起こした刃物が自分の右手に収まっている奇怪さに目眩がした。
だけど、耐える。
そんなものに屈するようじゃ、これからの戦いを生き抜けない。
この暴力衝動を、無作為にばら撒く殺意を、どうにかして戦う力に変えなきゃいけない。
俺が狩る首は、あのイカレた軍服集団だけでいい。だからやっぱり、この殺意をコントロールしなきゃいけない。
俺は、俺の日常を守り抜きたいんだ。
そうじゃなきゃ、この屋上であの日、あの馬鹿野郎と縁を切ってまで馬鹿みたいな殴り合いをした意味がない。
だから、戦い抜く覚悟を――改めて、ここに誓う。
「……っ!?」
その瞬間、全身を鋭く悪寒が駆け抜けた。
何かに、視られた。いや、まだ、視られ続けている。
たぶんずいぶんと距離がある場所から、まるで誘うようにこっちに意識をぶつけてきている。
――妙だ。
明確な殺意は、感じない。まるきりないというわけでもないが、あると断言できるレベルじゃない。
命がけで殺し合いたい、そういう危ない感じはしない。
だが、今の俺にそんな感情をぶつけてきた時点で、ダメだろう。一瞬で、この視線の相手を誰であろうとぶっ殺したくなる衝動に侵される。
だけど、それをぐっと堪えて、必死にその視線の方角を探った。
「ちっ、またかよ……」
視線を感じる方角にある場所に、不快感を覚える。おおよそだが、間違いなさそうだ。
最近あの場所では嫌なことしか起きない。
香純と大事な約束をした場所でもあるが、それ以上に血生臭い記憶ばかりが脳裏を掠る。
あいつらの仕掛けた罠かもしれない。
だけど、誘いに応じるしかなさそうだ。
ろくに考えがまとまらない頭じゃ穿って考えたところで無意味だし、ただの勘だが殺し合いには発展しない気がする。
もちろん、それは俺が理性を保っていられたらの話だが。
それにうまくいけばこの暴力衝動と折り合いをつける手段が見つかるかもしれない。
正直ただ耐えているだけで手一杯で、このまま一人でいたところで事態が進展するとは思えなかった。
もう時間的に校内に残ってる奴はほとんどいないだろう。
今なら他の生徒とほとんどすれ違わずに抜け出せそうだ。
目的地に向かうまでが人が多くてしんどそうだが、こればっかりはもうガマンするしかないだろう。
幸いにして目的地まで距離は比較的近い。意地でもなんとかするしかない。
覚悟を決めて、立ち上がる。
眩む視界を頭を振って誤魔化して歩き、屋上の鍵を開く。
キィと軋んだ音を立てて開く鉄の扉。
その隙間からするりと身体をすべりこませ、夕暮れの街の外れを目指して暗い階段へ躍り出た。
***
屋上を抜けだしてから、それなりに時間が経ってしまったらしい。
すっかりとあたりは真っ暗だ。
人目を避けて移動している間に、短い冬の夕暮れは終わってしまった。
殺人事件の余波なのか、それとも人払いがされているのか、俺以外の人影がここには見当たらない。なんにせよ、都合がよかった。
人気のない夜の街は、静かすぎて不気味だ。
立ち並ぶ街灯は切れかけているのか、それともオカルトよろしく磁場でも狂っているのか、忙しなくついたり消えたり明滅している。
あたり一面とっぷりと夜の深い闇に支配されていた。月の明かりも、今は雲に隠れてほとんど意味をなしていない。
はじめて奴らと
――ああ、そうだ。そうだった。
こんな真っ暗な夜の日で、場所はこの海辺の公園。
目眩が起きそうな濃い血臭と腐臭塗れの中で、撒き散った肉を踏み潰す白い貌をした赤い瞳の男。
そいつと出会ったのが、俺の日常が破壊された不幸のはじまりだ。
そしてまた無残にも、俺の日常を破壊し尽くすためにおまえは現れたのか、ヴィルヘルム。
「――よォ、ツァラトゥストラ」
俺がくるのを待っていたと言わんばかりに、街灯に背を預けていた軍服をまとった細い体躯がするりと動いた。
じくりと、こっちに視線が刺さる。サングラス越しに見える瞳は今夜も赤く妖しく光っていた。
だが、何だか、変だ。前回とは――俺を殺そうとしていたあの日とは、少し感じが違う。
苛立っていた。殺気もだだ漏れだった。そこまでは変わらない。
だけどなぜか、それを無理矢理に抑えているような気がする。
苛立ちも殺気も仕方なくだが押し殺していて、それでもこっちに漏れてきてはいるがそれを向けている相手はそもそも別にいる。
そんな、感じだ。
屋上で感じた妙な視線の正体は、こいつなんだろうか。
いや、たぶん違う。これも変な話だが、そういう回りくどい真似をこの男が好むようには見えない。
だとしたら、俺を呼び出した奴が別にいる。
そして、そいつが、ヴィルヘルムを苛つかせて抑えつけている張本人ということになる。
強く吹いた夜風に雲が押し流されて、隠れていた月があらわになった。
銀髪が揺れて、月明かりに燦めいた。
舌打ちまじり、鬱陶しそうに風に揺らめいた髪を白い手袋の指先が抑えて、次の瞬間。
「はッ、カハッ」
鋭く地面を蹴った軍靴の爪先。ぶわりと舞う、砂埃。
苛立ちを隠さずに一笑し、黒い軍服が俺の眼前を駆け抜ける。唐突に駆けて迫る体躯に、咄嗟にぐっと身構える。
――だけど、目当ては俺じゃない。
俺じゃないから、参った。
駆けた軍服の背を追って目の当たりにした光景が正直予想外で、信じられなくて、みっともなく俺はその場に固まってしまった。
俺の背後、するりと音もなく現れた人影。
この場で一番の長身、見たことのある僧衣、揺れる長い金髪。
それはつい先日、数少ない友人の養父であると紹介された、人付き合いの苦手な自分が珍しく好感を覚えた人物で。
「おい、遅えじゃねえかよ、クリストフ。呼び出した張本人が遅刻たァ、一体どういう了見だ。あァア!?」
白い手袋をはめた、鉤爪のよう握り鋭くこまれた掌。それが、あらわになった喉元に突きつけられている。
おどけたように両手をあげて、大人しく急所をさらしながら、見たことのある笑みがにこにこといつも通りに浮かんでいた。
形こそ取り繕われているものの、それは窮地に立たされた一般人の態度では、どうみてもない。
その光景の異様さに、ひくりと喉が震えた。
勘違いでも見間違いでもない、認めたくない現実は真実なのだと、否応にも突きつけられている。
「ああ、これはすみません、ベイ中尉。あまりはやく着いても都合が悪いかと私なりにタイミングを図っていた次第でして。
おまたせしました。こちらも用意が整いましたのでもう始めても大丈夫ですよ」
「はッ、そうかよ。ンで、そんなこと言うんならてめえよ、今度こそきっちり説明してくれんだろうなあ。昨夜みてえに逃げやがったら、次こそ承知しねえからな」
最初から傷つけるつもりなんてなかったんだろう。
癇癪をぶつけたかっただけらしく、あっけないほどあっさりと喉元に向けていた手を引いた。
「ええ、もちろんそのつもりですよ。ですからベイ中尉、話がまとまるまで、あなたにはしばらく控えておいてもらいたい。こちらにも踏まなければいけない手順がある。そのために暫し協力して頂きたいのですが、どうでしょう?」
「……分かった、いいだろう。ただし、聞き捨てならねえことがあったら首突っ込むぜ。そんぐらい許せよ、クソ神父が」
押し殺した低い声で嫌そうに要望を聞き入れる。
するりと踵を返して、月光に照る銀髪が後ろに控えた。つまらなそうに腕を組んで、近くにあった街灯に背をまた預ける。
離れた場所から、赤い瞳が一度だけちらりとこっちを見た。
相変わらず殺意は篭もっているが、今すぐにでも俺をどうこうする気はやはりないらしい。
さっさと話でもなんでもつけやがれ、と白い貌の下がった口元が隠すことなくこっちに訴えている。
「――さて、こんばんは、ツァラトゥストラ。……いえ、今は藤井さんと呼んだ方がいいでしょうか」
僧衣姿の長身が、こちらに真っ直ぐに向き直る。
いつもと変わらない柔和な笑顔のまま、冷えた声が公園に響いた。
口から出た異国の音に、やはりもう言い逃れはできないのだと知る。
「こうしてお会いするのははじめてですね。
私は聖槍十三騎士団黒円卓三位、ヴァレリア・トリファ=クリストフ・ローエングリーン。聖餐杯、とも呼ばれますが。改めまして、お見知りおきを」
「……あんたが、聖餐杯か」
喉から絞り出した声は嗄れていた。
その名前には聞き覚えがある。この公園で死にかけたあの夜、ヴィルヘルムと櫻井が交わした会話の中にあった。
黒円卓、そういうイカレた組織を取り仕切ってる奴、それがあんたってことだな。
「もう気付いておられるかと思いますが、実は今日我々はあなたと戦いにきたのではない。お願いがあってここにいるのですよ」
「お願いだと? ふざけてるな、なんだそれ。ずいぶん虫がいいんじゃないの、神父さん――いや、聖餐杯」
聞こえた単語にイラついた。ふざけているとしか思えない。
だってそうだろう。いきなり人外じみた化物がやってきて、俺の日常をぶち壊して、香純まであんな目に遭わせておいて、図々しくもお願いだと。
こっちはもう人間捨てかかってるんだ。おまえらみたいな化物になることも許容した。戦う覚悟だって、決めてここにいる。
それなのになんだよ。いい加減にしろよ、おまえら揃いも揃って馬鹿なんじゃないか。
それならまだ腹くくって戦おうっていきなり斬りかかってこられる方が何倍もマシだ。
「藤井さん。あなたの怒りも尤もだ。ここであなたを殺しかけたことを我々とて忘れたわけではない。図々しいのも承知の上。ですがこれは、あなたにとっても悪い話ではない。話だけでも聞いて頂けませんか?」
「……いいだろう、話してみろよ。くだらない話だったら俺は帰るからな」
素性を明かしておきならが、いつものように俺を呼ぶのは、どうしても話を聞いて欲しいからだろう。
俺の感情を逆なでする気はない、という意思表現らしい。
しばらく考えて、返したのは了承。
別に、俺のためになるとかいう言い分を真に受けたわけじゃない。
そもそもこいつらの手を借りるとかまっぴらごめんだ。たとえメリットのある話でも、断るつもりだった。
ただ内容がもし俺が大切にしている俺以外の誰かに関わることだったら、マズイと思った。香純の件だってある。
それに、教会には玲愛先輩がいる。この神父は玲愛先輩の養父だ。
先輩がこいつらと関わってるかどうかとか、実際関わってたらどうだとか、今はそんなのはどうでもいい。
とにかく、危害が及んでしまったら後悔する。俺には守りたいものがある。それが守れなくなるような展開はごめんだ。
だからそういう可能性があることは一つでも多く潰しておきたい。そして、これにそれは該当するかもしれない。
それに、たぶんだが俺が話を聞くと頷くまでここから帰らせてはくれないだろう。帰るとしても力づくになる。
俺が暴れたときに抑えるために、ヴィルヘルムがこの場に呼ばれているんだろうから、そう考えると面倒だ。
今は話をするという明目でヴィルヘルムが大人しくさせられているが、ガマンさせれられた分だと上乗せして大暴れしそうなのは明白だった。
さっさと話を済ませて筋を通して、穏便に済ませられるならそれに越したことはない。
うまくすれば、こっちが知りたい情報も引き出せるかもしれない。
簡単に逃げられないとして、話をするだけなら乗ってみてもそう悪い展開でもないと判断する。
「ああ、ありがとうございます。感謝しますよ、藤井さん。助かりました。私、どうしてもあなたに話を聞いて貰わなければいけなかったものですから」
「……いいから、早く話してくれよ」
にこやかに礼を言われて、乗り気ではなないことを伝えるためにも先を促す。
この食えない神父相手じゃ何をやっても言っても無駄かもしれないが、大人しく黙って話を聞いているだけのつもりはない。
では早速、と前置きして、にこやかだった表情が真面目で冷徹なモノに切り替わる。
その鋭利さに、ぞくりと背筋が冷えた。やっぱりこの神父は只者じゃない。見た目に騙されるなんてもうまっぴらごめんだ。
この街に集った人外の化け物を統べる聖餐杯という肩書も、伊達じゃないんだろう。
「まず我々の目的は、
そしてそれは
だが、それではあまりにも不憫だろうと、黒円卓を統べる双首領閣下はお考えになったようだ。
ですから、突然ではありますが一つルールの変更を申し入れたい。
それを受け入れて欲しい、というのが私からのお願いですよ、藤井さん」
つらつらと語られた黒円卓の目的だとか、わざわざ用意してくれたらしい新しい戦争のルールだとか、俺をイラッとさせるのが上手いな、あんた。
願いという形を取っておきながら、なんだよそれ。戦争のルール変更とか、受け入れるしかないんじゃねえの。
そもそもそっちが仕掛けてきた戦争だろう。俺は言うなれば侵略される側なんだよ、そんなもんにルールもへったくれもないだろう。
それとも俺が拒んだらなしにでもしてくれるのか。あんたのムカつく面みてるとそんな気はしねえよ。こんなのはただの強制だろう。
まずだ、そんな一対多数の勝ち抜きルール、それなりに感づいてはいたけどやっぱりマジなのかよ。
どんな形できたとしてもおまえらをぶっ潰す気ではいるけど、これは裏を返せばおまえらの首領とやらに俺が
なのに不憫だからやっぱり変える、とか舐められてるようにしか思えない。
実際今の俺じゃあおまえらに手も足もでないのかもしれないが、それでも精神的に虚仮にされてるみたいで、ああ腹が立つよ、マジでな。
助けてくれるっていうなら素直にもらっとけって? 冗談じゃねえぞ、馬鹿野郎。イカレた化け物だろうがなんだろうが、人を舐めるのもいい加減にしろ。
「なんだよ、そのルールって。受ける気なんてないけど可哀想だから一応聞いてやるよ」
怒気を隠さず言葉に乗せて煽った俺に、うっすらと開いた黄金の双眸が、眼鏡越しに俺を捉える。
それに気圧されないようにぐっと見据えて、続く言葉を待った。
「ええ、では。言葉にすると、とても簡単なことなんですがね。
――双首領閣下いわく、そこにいらっしゃるベイ中尉をあなたに組みさせるそうですよ」
「「は……?」」
まるでイタズラでも告白するかのように困った声で苦笑して告げた神父に、気の抜けた声が二つ重なった。
俺と、ヴィルヘルム。間抜けにもハモってしまった声に、ちらりと赤い瞳と視線がかち合った。
ぽかんと半開きの口のまま、しばらく顔を見合わせる。
だってこれは、いくらなんでも予想外すぎるし、無理がありすぎるだろう、いろいろと。
その間抜けさ加減から先に立ち直ったのはヴィルヘルムの方で、浮かべた険しい顔で神父の方にずかずか詰め寄ろうと軍靴の爪先が跳ね上がる。
――だけどそれは、上手くいかない。
「おや、ベイ中尉。話はまだ終わってませんので、会話に交ざるのはもう少し待って頂きたい。まだ私は彼と語るべきことがあるのですから」
「……――」
制止のためにすっとかざされた僧衣の腕。
それをじっと目を凝らすように見つめて、神妙な表情でしばらくの沈黙の後、一度は浮かした腰をまた街灯に押しつけた。
どう考えても、俺より状況を把握したいのはあっちだろう。
神父の言う通り、まだ語るべきこと、明かされてないことはあるらしい。そして、それがヴィルヘルムの知りたいことと同じなのは間違いない。
だから邪魔をせず好きに語らせて、情報を仕入れることにしたんだろう。
これ以上ないくらい険しい眼差しが、うっすらと困惑の色を混ぜながら不敵に哂う神父を凝視していた。
その一挙一動を欠片ほども見逃すまい、というように。
「さて、話を戻しましょうか、藤井さん。今言った通り、ルール変更とは我々とそちらの陣営の配置転換だ。
あなた一人では心許ないでしょうから、黒円卓の第四位、ヴィルヘルム・エーレンブルグ中尉をあなたに組みさせ、そちら側の陣営の強化を図る、と」
「そんなふざけた
俺に組みする相手が、よりにもよってヴィルヘルムだと。
意思の疎通すら難しいとこっちが判断した相手を選んでおいて、受け入れろとかどうかしている。
そもそも黒円卓に、俺に組みしたがるような奴はいないはずだ。目的があって人を捨てて化け物になったような奴らが、いまさら人間側につく道理がない。
たとえ異論を挟めない上官からの命令だとしても、心から納得するような腑抜けた奴は一人もいないはずだ。
俺について得をすることはまずないだろう。イカレた頭の狂人集団だからこそ、それくらいは予想がつく。
そもそも組みするとか組みさないとか、そんな段階以前の問題で、俺の側につけるようなまともな条件を持った奴がいない。
これは最初から破綻している上手くいかないルールのはずだ。
信じられない、どう考えても怪しいと返した俺に、肩を竦めながら神父が困ったように言葉を重ねる。
「我ながら突拍子もないことを言っている自覚はありますが、今回ばかりは、信じてくださって構わない。
なにしろ、我らが首領閣下より直々のお達しだ。
それに、罠だとするならこちらも分が悪い。同胞をひとりそちらへつけたことで、戦力は減退。
今日ここまでの情報もすべて筒抜けだ。正味、メリットなど感じる由もない」
確かにそれはそうかもしれない。戦力的な目で見れば、俺にはメリットがあるんだろう。
だけど、さっきも言ったように、このルールは最初から破綻している。
そもそも、俺につける相手が悪すぎると言っている。俺はこいつに、何をされたか覚えてるのかよ。半殺しにされたんだぞ。
まあこうして生きてるし済んだことだからと、この際水に流すとしても、だ。
あんな血走って狂った目をしてイカレた笑いぶちかまして平気で人を殺すような奴を味方につけろとか、俺はそんな気狂いじゃない。
「信じられないな、そいつが裏切らない保証がそもそもないだろう」
「ご尤も。既にあなたは彼に随分と傷めつけられた後だ。いきなりおいそれと信じろというのも無理のない話だ。
だがしかし藤井さん、それは”信じる”という前提からしてそもそも違うのですよ。
私たちは、あなたに彼を貸すのです。そこにいるベイ中尉は随分と忠義に篤い方だ。
彼は、黒円卓を……いえ、その言い方は少し語弊があるかもしれない、彼は、まず首領閣下を――ハイドリヒ卿を裏切ることをよしとしない。
その部分については、彼をよく知る私が保証しましょう。
いやしかし、そうですね。私を信じることもまたできないでしょうから、……ああ、テレジアの世話役としての私を懸けてもいい。
それでしたら、少しは信じていただけるのでは?」
神父の口から玲愛先輩の名前が出て、言葉に詰まる。
どうにかこっちに要求をのんで欲しいって気配は、さっきから伝わってはいる。
ここまでに語った内容に嘘はない、と言いたいのだろう。
ちらりとヴィルヘルムの様子を覗き見る。さっきと同じ険しい顔のままで神父を睨んでいる。口を開く気配はない。
俺の視線に気付くと、嫌そうにフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
なるほど。当然だろう、疑うんじゃねえよ馬鹿野郎、ってとこか。
忠義云々の部分に関して喚かないところをみると、その自負は本人も認めているらしい。
まあ、神父よりは嘘はつかなそうだ。
ここまで相対してみた感じ、感情に素直でド直球そうだし。つまりは直情馬鹿なドチンピラってとこか。
「そいつがまあ、自分の主を裏切らないってのは、わかったよ。そこに関しては俺も思うことがあるから、信じてやる。だけど、だから何だっていうんだ」
神父に視線を戻しながら、言い分を一応認めて先を促す。返ってきた言葉に、神父が満足そうににこやかに頷いた。
「そこまでわかっていただけたのなら、話は早い。
我々の主は、己の目的のために、彼をあなたに組みさせた。
そして、結果として中尉はあなたの味方、ということになりますが、それは彼に黒円卓を裏切れということではない。
あくまで、共同戦線。目的が果たされるまで一時的に手を貸してやれ、とつまりはそういうこと。
信じる、信じないは、彼の人となりを知ってからあなたが好きに決めればいいのです。
大事なのは、あなたが彼が組みすることを承諾してくれることだ。そうでなくては、私が主に力不足だとお叱りを受けてします。
それは正直に言って恐ろしいので、なんとしても断られる、という展開は避けたいところなのですよ。
この話、受けてはくれませんか、藤井さん?」
心底困った色を言葉にのせて、もう一度こちらに受け入れて欲しいと懇願してくる。
ほんとうに、食えない神父だ。
どう考えても、俺に断る選択肢を与えないつもりだろう。
それは俺に向けられた神父の言葉からじゃなく、公園での一番最初のやりとりから察する。
この突然のルール変更とやらで、貧乏くじを引かされたのは、はっきり言って俺じゃない。
そこで不満たらたらな顔して不貞腐れてる、真っ白い貌した殺人鬼だろう。
「受けるも何も、選択肢はどうせないんだろ。あんた、俺が断ったところで、あいつここに置いていくつもりだろう」
わざと思いっきり溜息をついてやって、神父の思惑を指摘する。
この神父なら、やりかねない。と、いうか絶対にやるだろう。
話の当事者は二人いる。仲介に入った神父は別として、俺と、ヴィルヘルム。
それなのに、よりによって味方側のヴィルヘルムにまず話を通してやっていない。
その時点で、断られてしまったらどうにか上官を取り成してやろうとか、そういう類の善意がきれいさっぱり抜け落ちている。
最初から、無理にでも話を通す気だ。
そして既に話は通る、と確信しているように見える。
当事者二人をどちらとも頷かせるような、秘策でもあるんだろうか。
神父からみて、状況は決して芳しくないはずだ。
この流れなら、俺はもしかしたら言うことを聞くかもしれない。簡単に屈する気はもちろんないし、まだまだ抗うつもりでいる。
だけど、俺の大切なモノがこいつらにバレている以上、最悪、脅してどうこうという話もしようとすればできるんだ。
それを最初からしてこないでお願いというスタンスを取ったのが、こいつらなりの前向きな配慮ということなんだろう。
だけど、ヴィルヘルムは違う。
俺以上に、納得なんていかないだろうし、あの様子を見ればそうそう懐柔なんてできないはずだ。
事態の成り行きが読めずに困惑する。
そんな俺の耳につらつらと届いたの神父の台詞は、敵だとしてもさすがに同情を禁じ得ないものだった。
「そうですね、よくわかっていらっしゃる。
我が主は、あなたに己の部下を使って欲しいとお望みだ。あなたの好きに使役してくれて構わない、とのことですよ。
背中を預けて戦うもよし、鍛錬の相手にするもよし、間者として放つもよし。
――ああ、なんなら
あの方はすべてを愛しておられる、だからあなたが彼にどんな無体をはたらこうとも罪に問うことはないそうですよ。実に寛大な心遣いだ」
驚愕に、言葉を失っていた白貌の男が、ひゅっと息を短く吸い込んだ音が聞こえた。
そして次の瞬間、僅かな静寂を打ったのは闇夜に響く怒りの絶叫だった。