愛に啼く月の進化論 -Gehen Sie im Licht-【蓮×ヴィルヘルム】 作:桜月(Licht)
Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 05
§Side Ren
真上を見上げれば、広がるのは穏やかな夜空。
建ち並ぶアパートの合間に浮かぶ、うっすらと欠けた小さな月。いつも通り平穏な、夜の住宅街。
遅くなった学校帰りに帰路を急ぎながら眺める光景と何も変わらない。
――さっきまでの凄惨な赤い光景がまるで嘘みたいだ。
あれから結局、戦争のルール変更を受け入れて契約を正式に交わした。
当事者二人が願いを了承したからだろう。
白くて細い体躯に向けられていた、主の怒りとやらは無事に収まったらしい。
やっと激痛から開放されたヴィルヘルムの体力がある程度回復するのを待ってから、神父主導で契約の儀式を進めた。
正直そういう知識はからっきしだから、促されるまま言いなりになっていたけど、無事に形になったみたいで、まあ助かった。
さすがというか、ヴィルヘルムは格式張ったものに慣れてるんだろう。儀式自体は相当様になって似合っていたが、施行される魔術は副首領閣下云々の説明に関してはさっぱりみたいだった。
ヴィルヘルムもそういう方向には疎いらしい。俺だけ置いてけぼりを食らわなくてちょっとだけホッとしたのは内緒だ。
交わした内容を一応確認すると、こんな感じ。
契約の期限は、第六のスワスチカが完全に解放されて開き切るまで。
それ以外で基本的に解除されないが、使役される側が著しくルール違反を犯した場合は特例として
契約の切れ目は、双方とも知覚できるようになっている。
期限を迎えて契約が切れたら、ヴィルヘルムは俺の使役から外れて自由になる。その後の行動は制限されない。
俺はヴィルヘルムに最大七つまで強制的な命令権を行使することができて、受けた方は基本的にそれに抗えない。
ただし、ヴィルヘルム自身に致死に至るほど危害を加えたり、持っている気質を人格が変貌するほど捻じ曲げたりするような命令は無効。
命令として発動しても施行されない。
そして契約の間は、ヴィルヘルムは強制的に俺の定めたルールに従わされる。
ルールに従わなかったペナルティは、致死に至るほどの聖痕からの痛み。違反の度合いによっては死もありえる。
ヴィルヘルムを肉体的にも精神的にも制御するのに、これほど適した罰もないだろう。
そんな内容で契約は交わされたわけだけど、ヴィルヘルムは最初から最後までずっと、とにかく嫌なのがまるわかりの顔だった。
不本意で不本意でしょうがないって、血塗れの軍服の全身からばんばん不機嫌オーラが全っ開。
契約の内容が、というよりそもそも俺が――ツァラトゥストラが相手というのがとことん気に食わなかったんだろう。
俺と契約を交わしたのは、わざわざ国境越えて俺を殺しにきたはずの真っ白血だらけ殺人鬼だ。
改めて考えてみても、そっちの立場からしたらどうしたって嫌だよな。
むしろそうじゃない方が可笑しい。俺からしても、そんなフレンドリーなイカレ軍服集団とか気持ちが悪い。
だけど神父の言う通り、ヴィルヘルムはほんとうに忠誠心の塊みたいな奴らしい。
実際に契約を交わしてみて、それがよく分かった。まざまざと目の前で見せつけてくれたんだよ。
従えって言ったのは俺だけどおまえそれでほんとうにいいんだよな、って一度だけ契約を交わす直前に確認してみたんだ。
交わしてしまったあとから、不本意だのやっぱり嫌だの、散々文句言われても面倒くさいから言質を取っておきたいってのもあった。
そしたら、だ。
「てめえで決めたことだろうが。俺はやるって決めたらやるんだよ、絶対だ。――当たり前だろう、舐めんじゃねえ」
こいつ、バックに月
敵とか、味方とか、そういう面倒くさいのはまるっと横に置いておいて、単純に、こいつ凄いなって思ったんだよ。
傍目に引くほどの血飛沫が舞った凄惨な光景。途切れない激痛に耐え抜いて全身血塗れ。
あちこちズタボロ満身創痍。気力だってとっくにへし折れてても仕方がない状況。
それでも忠誠を誓った上官の命令は不本意だとしても絶対で、自分でやると決めたんだから最後まで貫く。
チンピラ全開のくせして、俺を真っ向から見据える真摯な面。
嘘偽りなく真実だと威勢よくそんな台詞吐かれたら、認識を改めるしかないだろう。
そういう潔く真っ直ぐなノリは嫌いじゃないし、いつまでもグチグチネチネチしてる奴よりよっぽどいい。女々しい奴は好きじゃない。
あからさまに嫌な顔を浮かべていたのも、ただ正直で素直なだけで取り繕った対面なんかどうでもいいってことなんだろう。
ヴィルヘルムが文句らしきものを言ったのは、事態を飲み込む前にたった一度きり。
思い返せば、すべてを受け入れるまでのやり取りも上官命令だから仕方がないと右から左へ流されるような意志薄弱さはどこにもない。
自らが望んで黄金に心からの忠誠を誓い、屈強な意志を抱いた忠臣の姿そのものだった。
ヴィルヘルムの慕う、黒円卓の首領。
それがどんな人物かは知らないが、これだけ慕われれば悪い気はしないだろうなと傍目に思う。
人に好かれる、そして逆に人を好く、というのは悪いことじゃない。内容の善悪はともかく誰かのために何かができるというのは間違いなく良いことだ。
こいつはほんとうに根っからの狂人なんだろうが、誰かを尊敬して、尽くすことができるとこれで証明されたわけだ。
それはつまり、知性と理性がないわけじゃないってことだ。人としての体裁は取れる、とも言い換えられる。
だとしたら、最初の直感は少し外れたことになる。
あんな狂人とコミュニケーションなんてこれっぽっちも取れないって、あいつに襲われたときに俺は思った。
それは嘘じゃない。今だって、その考えをがらっと覆そうとは思えない。
だけどほんとうにほんの少しだけ、その考えを改めようと思う。覆すのは難しくても、可能性の糸口くらいは見つかった気がしたからだ。
それに、これっぽっちも考えられないってのは言い過ぎだと思った。
これから
どう考えても頭の可笑しい奴だし、コミュニケーションを取ろうとしたところで相変わらず難易度は高い。
使役されるといったって、こいつはそもそも俺が嫌いなんだから懐くわけないし、必要がないならできる限り関わりたがらないだろう。
俺だってこんなルール変更がなかったら、こいつのことをただの人外の戦闘狂――理解し合えない怪物としか見なかった。
穏やかな日常に忍びこんだ異物。そんな認識しかなくて、どうにか避けたい手合だった。
もし元のルールのまま話が進んでいて、その過程でいくらこいつと戦って関わったとしてもその認識が変わることなんてまずなかったはずだ。
こういう一面を垣間見る前に、戦いの果てにどちらかが死んで終わるに決まっている。そもそもそういう関わり方しか俺らには用意されていなかったんだから。
だけど幸か不幸か俺はヴィルヘルムの性格に好意的なものを見出してしまった。
俺が知ったヴィルヘルム・エーレンブルグという男は、どうしようもなくチンピラ気質だけど、真っ直ぐ感情に素直な熱血漢でとてつもなく義理堅い。
激痛にも不幸にも屈しない前向きな心の強い奴だなんだと。
つまりは、見直した。
ほんのちょっとだけ、ヴィルヘルムを見る目が変わった。本人からしたら何を当然のことをと呆れられるだろう。
だけど、人外の化け物も誰かを尊敬したりそのために体を張ったりする。忠誠の魅せ方に憤ったり拘ったりするんだ、と。
もっと生物的欲求に素直に動く獣同然な奴だと思っていたから、そういう人間らしい一面もあるんだと知れたのは、個人的には結構な収穫だ。
何しろ俺はこれから、気の狂れた人外の化け物を自負する人間と、そこそこ上手くやっていかなきゃいけないんだからさ。
そのために、もっと俺はヴィルヘルムのことを知らなきゃいけないんだろう。手持ちのカードは少しでも多いに越したことはない。
相手がどんな中身であれ人間を完全に捨てていないなら、何か上手くやる取っ掛かりの一つでも見つかるかもしれない。
たとえ常識の通じない獣相手だったとしても、その習性を知れば何かしらの対策は取れるはずだ。
この戦争を生き抜いて、俺の日常を守る。それは俺にとっての絶対だ。
そのためにできることは何だってやらないといけない。
ヴィルヘルムを上手く使うことだってしなきゃいけない。神父の言う通り、上手くすれば俺が得るもの多いはずだ。
奴らの真意は知らないが、元々これは俺のために追加されたルールだ。俺の戦力不足を解消して、戦争をフェアにするためのもの。
それなら、これを利用しない手はないんだ。あとは俺が活用できるかどうかにかかってるってだけで。
だからまずは、ありがちだけど情報収集。
そこから始めるしかないだろう。俺はまだ、あいつのことをろくに何にも知らないんだから。
等間隔に並ぶ古びた街灯に照らされて、アスファルトに長く伸びる影は二つ。
少し先を歩く俺よりも長い影。その背中を、じっと見つめる。
しゃんと伸びた背中に、一つに括られた長い金色の髪が歩くのに合わせて緩く揺れる。
もう一つの人影はない。
夜道を歩いているのは、俺と神父だけだ。ヴィルヘルムはいない。
先に戻って――血塗れだからシャワーを浴びて、着替えて、準備を済ましておく。
儀式が終わるなり自分から短くそう告げて、止める間もなくその姿が掻き消えてしまった。
最初にあれだけごねていた態度はどこへいったのか、その前向きさに呆気にとられている間に俺たちは二人して血塗れの公園に取り残されたわけで。
のんびりヴィルヘルムの後を追ってちょうどいい頃に合流しようと決めて、血塗れの景色に必要な後処理を済ませた。俺じゃなくて神父がだけどな。
今は、教会までの見慣れた夜道を歩いている。
どれだけそうやって揺れる金髪を眺めながら歩いただろう。
ふいに、目の前の僧衣の背中がぴたりと立ち止まって。それに合わせて、俺の足も止まる。
肩越しにこっちを振り返って、敵意が抜けた穏やかな笑みを一つ。
「少し話をしませんか、藤井さん。今後についてあなたも知りたいことがあるでしょう」
人影が二つになって、地面がタイルからアスファルトに変わってから、神父がはじめて発した言葉がそれだった。
その声音にも態度にも、悪意はなさそうだ。
神父の言う通り、俺も知りたいことはたくさんある。それを教えてくれる気なんだろう。
停戦を結んだ理由は、俺とヴィルヘルムの関係がある程度円滑に回るように猶予期間を定めたからだ。
このままスタート時点から何も進展しないじゃ神父も困るということだろう。
公園を出てからここまで、何て切り出そうか何を聞けばいいのか、俺もうまく言葉にできずに迷っていたから声がかかって助かった。
誘われるまま、無言で歩いて隣に並んだ。
揃って歩き出せば、ゆっくりと神父が語りだす。
手持ちの情報を開示するからとりあえず話を聞いて、質問があったら突っ込めってところか。
そう理解して、大人しく右隣の夜道によく通る声に耳を傾けた。
「さて、これはあくまで私個人の考えなのですがね。
あなたに組する相手がベイ中尉だったのは適任だと思いますよ。むしろ、彼以上にその役目を公正かつ適正に機能させる人材はいないというべきか」
最初に届いた言葉は、交わされた契約について人選の正確性を訴えるものだ。
「あなたも間近で見て知っての通り、彼の忠誠心は本物だ。
それはつまり、揺らがないということ。不条理な役目を押しつけられても、果たせば元に戻る。
そこは本来、所属する団員すべてそうであると共通していなければいけない事案ですが、まあいいでしょう。
彼は特にそうである、と思ってもらえればいい。
そして、根が好戦的で凶暴性も十分だ。同胞相手でも敵とみなし容赦なく戦える。
さらに言えば、中身が良くも悪くも真っすぐですから余計な策を弄しない。
純粋に、脇目もふらず契約の履行に全力を尽くしてくれるでしょう。忠誠を誓った、他ならぬ黄金からの命だ。
悪い言い方になりますがね、要は便利で都合がいいのだ。
なにしろ特殊なルールですからね、それなりの人選でないといけない。
ゲームが根底から覆るようなことは避けねばなりません。双首領閣下が彼を選んだのも納得ができると言うものだ」
神父いわく、ヴィルヘルムが選ばれたのは当然の選択だったということか。
理由は長々語られた通りなんだろう。内容の裏を読む限りでは、俺も神父の言い分に納得できなくはない。
ただこいつらの所属する黒円卓という組織について、俺は情報が少なすぎる。把握してる面子はたった四人だ。だからその言葉の信憑性については定かじゃない。
今語られて分かったのは、黒円卓に所属してるのはやっぱり頭のイカレた奴ばっかりだってことだ。
首領への忠誠心はどの団員もあるだろうがそれにはバラつきがあって、好戦的でない奴もいれば悪巧みを企む奴もいる。
つまり俺に組みさせても、十分に役割の機能が望めない。
黒円卓側の立ち位置から抜け出せない、もしくは逆に激しく逸脱して個々で動き出す可能性がある。寝返ったあとに元に戻るという器用なことができない。
今から起きるのは紛れもない、血で血を洗う戦争だ。
血塗れの舞台で、それができるはずだと踏まれたヴィルヘルムもやっぱり頭がイカれてるとしか思えないが。
とにかく、神父の挙げた全部の条件を最低ラインクリアしていたのがヴィルヘルムだけだってことか。
ああ、確かに裏で勝手に悪巧みを企む手合とかは面倒くさいな。扱いづらいことこの上ない。
特にピンクの髪のロリ体型の女とか、目の前の胡散臭そうな神父とか。
うわ、毎度裏で何か謀られてるんじゃないかとか邪推しながら使役するとか無茶苦茶面倒くさい。
まだそういう企みしなさそうな反りの合わない櫻井の方が……、いや、毎度血管ブチ切れそうなんであれもちょっと御免被りたい。あいつ絶対性格面倒くさいだろ。
そうなってくると、他の団員が気になってくるな。俺に組みさせる候補、あとはどんな奴がいたんだろう。
その候補全員知った上で、ヴィルヘルムが一番マシだったとか思うの俺すっげー嫌なんだけど。
考えたらだんだん憂鬱になってきて、頭を切り替えようと溜息まじりにこっちからも話を振った。
「あいつがそっちにとっても都合がいいのは分かったよ。それに、俺もある意味付き合うのが楽そうだ。あんたやルサルカよりは本音で話せそうだしな。
――だけど、それはコミュニケーションが取れるならの話だろ。最初に襲われたときに思ったんだよ。あんな人外、どうやって関われっていうんだって。
最初よりはマシだけどさ。俺、あいつと上手くコミュニケーション取る自信ないんだけど?」
「その感想は否定しませんがね、今でしたら大丈夫かと思いますよ。藤井さんが私と上手に交渉したのは、そもそも中尉の行動を制限し扱いやすくするためでしょう。
あなたが挙げた条件ですが、突発的に考えたにしては上等だ。彼を縛るには十分的を射ていたと思います。
特に、傷つけてはいけないという項目。それがどう転ぶかは分かりませんが今後の展開に何かしら大きく関わってくる気がしますよ」
「……それ、どういうことだ?」
わけが分からなくて、思わず足を止めて聞き返した。
そしたら、神父も立ち止まって、月を背後に困ったように肩を竦めた。
隠し事を告白するように、実は、と前置きして続いた言葉。
「ベイ中尉はあなたと行動することによって、ある種の制約が掛かっている。
簡単に言うと、弱体化の呪いのようなものだ。首領閣下はそれを“首輪”を嵌めたと仰っていました。まあ、文字通りなのでしょうね。
その“首輪”が、あなたが出した条件を履行させる大元になっていると思って頂いて間違いない。
話には聞いていましたが、契約を交わした後にその効果が現れだしたのを一瞬でしたがすれ違いざまに感じました。
気配が、微々たるものながら変化をきたしていた。
たぶんですが、次に会うときはベイ中尉はあなたが知っているのとは少し違うモノになっている可能性がある。
条件を受けた“首輪”が機能しての変化なのだから、あなたにとってそれは間違いなく良いことでしょう」
そこまで言葉を重ねて、また夜道を歩き出した神父の後を追ってアスファルトを蹴った。
そのまま、先を行く背中に問いを投げる。
「なあ。変化ってどんな風に?」
「首領閣下いわく、あなたと居るのに適した形に、とのことですよ。
まだ憶測の域をでませんが、あなたとあなたのまわりを傷つけないように効果が現れるのだと思う。
存在自体が殺意の塊のような方ですからね。強制的にそれが削がれるようだ。もしかしたら思考にも多少の影響があるかもしれない。
彼はあなたの言う通り、狂人だ。
異物のままでは日常には入り込めない。私のように擬態など、そういう器用な真似は彼はできない。
ですから、こういう措置が取られたのだと思う。もちろん、戦闘時においては状況に応じて解除されるでしょうが。
――ですからまあ、心配しなくても大丈夫ですよ。中尉にも意外と、いいところもあるかもしれませんしね」
にこりと笑って宥めるように神父が言うが、やっぱりどうも胡散臭かった。
あるのかよ、いいところ。あるんならもう教えておいて貰いたいもんだけど。しかも意外とって、既になさそうな口振りすんな。
とはいえ、神父の言う通りほんとうに首輪とやらの効果が現れて、ヴィルヘルムの中身がこっちに合わせて変化しているなら俺は楽になって助かる。
今からうちに連れて帰らなきゃいけないわけだけど、誰彼構わず射殺すような殺気ビンビンに撒き散らされちゃ困るんだよ。
そんなのといっしょにいたら俺だって落ち着かないし、そんな化物のいる怖い家に帰りたくない。
留守番させておいて、何かしでかさなきゃいいけどって毎回ハラハラするのも面倒くさいだろう。
だけどその心配は、どうやらしなくていいらしい。
まったくってわけじゃないだろうけど、俺の快適な居心地は最低限確保されているみたいだ。
ほんとうに準備がいいんだな。敵に塩を送って自陣営を混乱させる最悪な案、それを考えついて何もかもを用意した副首領って。
挙句抜かりはなく、断る術など端から用意されてないときた。連中いわく、寄越されるのは穴のない完璧な
こんなにやること成すことそつがないんじゃ、厭味ったらしくて団員から嫌われるのも分かる気がする。
「しかし藤井さん、これはいい話ばかりではない。
もちろんあなた側にはメリットも多いが、デメリットもある。
メリットは、戦力の向上、情報の共有、強化。そこに関しては確実に有利だ。停戦を結んだことで、あなた自身の能力の成長にも余裕が持てるでしょう。
デメリットは、あなたの危惧通り彼を上手く御せるかどうか、そして彼の持つ特性が少々厄介だということだ」
「何だよそれ。あいつの厄介な特性って、どういうことだ?」
「そうですね。詳しくはベイ中尉に直接聞いて頂くとして、さわりだけ。
私たちは黒円卓に入団の際、副首領からそれぞれ魔名と
彼の場合は――“望んだものが手に入らない”だそうですよ」
そこで一度言葉を切って、視界の先に小さく輝く月に視線をやった。
浮かんだのは、皮肉げな笑み。
ヴィルヘルムがそうなら、この神父ももちろん副首領から
隣から微かに感じた苛立ちの相手は、その副首領に違いない。
名は、カール・クラフトだっただろうか。思い返せばヴィルヘルムも、ずいぶんと憎んでいる素振りだった。
「ああ。そういう意味では、ベイ中尉はまた奪われたことになる。
――こうして、一番にあなたと競い合う権利を奪われてしまった。あれだけ望んでいたのだから当然とも言える。彼の業は実に深い、容易く拭えるものではない」
彼だけではない、それは黒円卓に名を連ねる自分たちも人事ではないのだと、言葉の端にひしひしと感じた。
その物悲しさに、瞳が伏せられた横顔に、かける言葉が見つからなかった。
それっきり、この話はおしまいだと言いたげにゆるく首を振って金色の髪が揺れる。
「そして、もう一つ。これは生まれ持った身体的特徴についてなのですが。藤井さん、彼を見て何か気付くことは?」
「ええと、……真っ白、だよな。それと、赤い瞳」
「そう。そこまで挙がれば察しもつくでしょう。彼はアルビノ――先天性の白皮症を患っている」
それを知ったのはテレビだったか漫画だったか、どういうものか記憶にはある。
遺伝子疾患の一種で劣勢遺伝や突然変異が原因で発現する。メラニンが欠乏して皮膚が白く、血の色が透けて瞳が赤く、紫外線に対する耐性が低い。
確か、そんな症状の病気だったはずだ。
ああ、だから他の団員と違ってあいつはいつも夜にしか現れなかったのか。
確かに、いつも月を背後に駆ける姿ばかりが記憶にある。初めて襲われたときも月が綺麗な夜だったし、今夜もそうだ。
細くて白い髪が、月光に燦めいて夜風に揺れていたのが印象深くて、よく覚えてる。
夜を駆ける白い体躯を思い返して一人納得していた俺の隣から、更に続いたのは意味深な言い回しの神父の言葉。
「そして更に言えば、彼はアルビノであるからこそ吸血鬼でもある。
そう、彼を上手く使いたいならあなたはこの言葉の意味をよく考えて行動することになる」
飛び出した唐突な単語。
その不可解さに、思わず怪訝な声が漏れた。
「吸血鬼…? それって、あのホラーとかに出てくるアレか? じゃああいつ人間じゃないのか?」
「いいえ、ヒトですよ。だからこそ、あなたはそれについて理解しなければ彼を扱うのは難しい、と」
言い含めるように、明確な意図を込めて届いた言葉。
それがこの先重要なことだけは分かったが、言葉自体が曖昧すぎて上手く意味が掴めない。
吸血鬼、か。
民話や伝説に登場する、生き血を啜る不死の怪物だ。
そういえば契約を交わす前の神父とヴィルヘルムの会話の中に、そんな単語が混ざっていたような気がする。
ヴィルヘルムの中ではアルビノと吸血鬼の間に関連性があって、それがあいつを使役する鍵になる。神父はそう言いたいんだろう。
「ああ、彼自身に関してこれ以上はお喋りが過ぎるでしょうから私は口を噤みますよ。
せっかく契約したんです。詳しくはベイ中尉本人の口からどうぞ、きっと快く答えてくれるでしょう」
正解を見つけようと深く考えこむより先に、割って入った声に思考が遮られる。
よくよく考えたらアルビノと吸血鬼の間にきっと関連性はあるんだろうが、まだいまいちピンとこない。
神父がそう言うなら、ヴィルヘルムにとって隠すことなく教えてくれるような話なんだろう。
それならいずれ焦らなくても正解に辿り着けるはずだ。とりあえずその話は置いておくことにした。
会話をしながら歩き続けている間に、いつの間にか教会への道程はあと少しだ。
辿り着いてしまえば、神父との会話は終わるだろう。
その前にできる限り聞けることは聞いておきたい。もっとあいつのことが知りたい。
有り難いことに、ヴィルヘルムに関する情報はまだ全て開示されていないらしい。
先へ続いていく神父の言葉に少しでも何か得ようと深く耳を傾けた。
「メリット、デメリットの話に戻りますが――ベイ中尉をあなたの望むように上手く御して使役できるか、それがあなた自身の成長の他にもう一つの課題となるはずだ。
その課題をクリアして、彼を上手く扱えれば戦況は有利に運ぶでしょう。
途中までとはいえ、単純に一対十二が半分だ。数字で見ただけでも明らかに違う。これは実に大きなメリットだ。
だが逆に、上手く扱えなければそれはデメリットとしてあなたの足を引っ張ることになる。それなりに連携を取れなければ、後ろから撃たれることになるかもしれない」
「ああ、そうだよな。このルールってさ、やっぱりそこが大事なんだな」
全ての結論は結局そこに辿り着く。
そう悟ったとき、夜の住宅地を抜けてざっと視界が開けた。視界の先、見えたのは深緑の木々に囲まれた見慣れた坂道。
この坂道を登り切ったら、教会はもう目の前だ。
もしかしたら準備を済ませたヴィルヘルムがもう扉の前で待っているかもしれない。
そうなったら、あいつに何て声をかけよう。
正解は、よく分からない。だけど分からないなりに、やるしかなかった。
既に契約は結ばれてしまった。与えられた条件を駆使して、俺は何としても最後まで勝ち残らなくちゃいけない。
そうしないと、俺の大切な日常は守れない。
だからそのために、俺にはヴィルヘルムが必要だ。あいつを上手く使う術が、どうしても俺は要るんだ。
「なあ、神父さん。あいつ、俺に懐くと思う?」
辿り着いた坂道の傾斜の始まりに足を掛けながら、浮かんだ疑問を素直にぶつけてみた。
「おやまあ、まるでほんとうに可愛い犬猫のように仰る。血と暴虐を
……ああいえ、責めているのではありませんよ。彼をそんな風に例えるなんて、あまりにも珍しく面白かったものですからね」
僧衣の肩を揺らして笑った神父に、それも当然だよなと隣で肩を竦めた。
だって俺はあんな危険な奴を最初は悲惨さにつられて同情から
しかも俺が拾ったのは、可愛い犬猫なんかじゃなくて血塗れの殺人鬼――いや、どうやら吸血鬼らしい。
人殺しの化物だけど、分かった上で飼うんだよ。危険だって知ってるし、気が狂れてて前途多難だ。
だけど飼うんだって、俺がそう決めたから。なんとかして懐かせないといけないよな。
飼い慣らして、俺のために役に立って貰わなきゃ困るんだよ、ヴィルヘルム。
「そうですね。あなたならきっと彼を飼い慣らすことができる気がしますよ、藤井さん。
こんな言い方をすると、また中尉を怒らせてしまうでしょうがね。あなたの見事な
「せいぜい期待に添えるように努力するよ。吸血鬼なんだろ、血を吸われないように用心することにするさ」
楽しげにくつくつと笑う神父と軽口を叩きながら連れ立って、夜道の坂をゆっくりと登る。
荘厳な造りの教会の背後には、帰り道を照らし続けた小さな月が浮かんでいる。
重厚な木製の扉を潜って白貌の吸血鬼が姿を見せたら、きっとまた月明かりに白い髪がきらきら綺麗に反射して揺れるんだろう。
脳裏に浮かんだ白く煌めく綺麗な情景――
言葉で説明できないほどあやふやなまま、心を占めた感情は坂道を優しく撫でた夜風に吹かれて掻き消えた。