愛に啼く月の進化論 -Gehen Sie im Licht-【蓮×ヴィルヘルム】   作:桜月(Licht)

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Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 07

 

 

Extra Chapter Ⅰ Beginn des Vertrages 07

§Side Ren

 

 ざらつくアスファルトを乱暴に蹴って、大股に進んでいく赤い革ジャンの背中。

 それを心持ち足早で追いかける。

 俺たちの開いた距離は、あいつの身長一人分くらい。

 先に行く背中に走って追いついてからはこの距離のまま。つかず離れずを保ちながら夜道を進む。

 

 教会を離れて、見慣れた住宅地の中はいつも通りに穏やかで。

 さっきの神父と連れ立ったときもそうだったが、こんなありえない異常が服着て歩いているなんて寝静まった誰もが気づきもしないだろう。

 だけど、自ら望んで無力な一般人に擬態していた神父のときとは様子が違う。

 こいつは自分の異常を隠す気なんてはなからさらさらない。いつだって溢れる殺気も荒ぶった感情も垂れ流し同然だったはずだ。

 それなのに、今はまるで異常を感じない。最初からそんな異常などないかのように。

 釣り合いがとれているような、いないような、奇妙なバランスを保って吸血鬼が 日常(そこ)いいる。

 ときおり、ふっと隠し切れない狂気と殺意が均整のとれた体躯から滲みでるものの、すぐに抑えつけられるように霧散する。

 抱くことを許されているのは(マイナス)の感情だけ。殺意を抑えつけるものには、抗えない。黄金の獣が、認めない。

 込み上げる苛立ちを募らすことぐらいしか、こいつには許されていないようだった。

 

「……はァ」

 

 つまらなそうに短く吐かれる息。中途半端に離れた場所から、それが微かに鼓膜に届いて。

 

 乱暴に進んでいた足音が止んだ。

 こっちを振り向かないままぴたりと止まった背中。表情は、肩まで伸ばされた白い髪に阻まれて見えない。

 怪訝に思って、俺も足を止めた。

 片手に握ったトランクが、歩くのを止めた反動でゆらゆら揺れる。

 唐突に立ち止まった背中は、何かを待っているように見えた。

 

 しばらく考えて、一つの答えに思い当たる。

 確かめるように離れた後ろから声を投げた。

 

「道、そっちで合ってる。そのままもう少しだけ真っ直ぐだ」

 

 どうやら正解だったらしい。

 ヴィルヘルムがつまらなそうに鼻を鳴らして肩を竦めて、またずかずかと乱暴に歩き出す。

 

 目的地がどこか知っていても、そこに辿り着くまでの道程をこいつは知らない。

 かといって、わざわざ聞き出すのも癪。探し出すのも、まるで自分が望んでいるみたいで腹が立つ。

 だから察して俺が自ら先導しろ。俺を自陣に連れていくというなら道案内はおまえの仕事だろう、契約分はきちんと働け。

 ヴィルヘルムの胸中は大方そんなところだろうか。

 

 教会を先に出て行ったのもそうだし、こうして先を歩いているのもそうだ。俺の家に行く気はしっかりあるんだろう。

 それに、道を覚える気もあるみたいだ。

 迷いのない足取りで進みながら、たまにちらりと目印になりそうなモノを視線で追っていたのが後ろからでも雰囲気で分かった。

 その迷いのなさから察すると、目指している方向くらいはある程度当たりがついていたのかもしれない。

 立ち止まったタイミングだって、悪くなかった。勘がいいんだろう。

 ちょうど直線の道が終わりそうな頃合い。あのまま黙って進まれてたら行き過ぎていた。

 それでも家に着けなくもないけど回り道だ。

 それを思えば教会からここまで最短距離をこいつはずかずかと突っ切っている。無駄な遠回りは今のところしていない。

 ヴィルヘルムの場合、野生じみているから放っておいても意外とノリと嗅覚であっさり辿り着けたりしそうだな。

 ああ、実際のところどうなんだろう。

 気にはなったが試すのはまた今度だ。

 わざわざ探し出すのも癪だから、きっちり道案内して俺の役目を果たせと吸血鬼はご所望なわけで。

 これ以上イラつかれて機嫌が悪くなっても面倒くさい。

 望み通りさっくり案内してやるべきだろう。俺だって揉めずに早く帰ってシャワー浴びて寝たい。

 だとすると、このまま後ろにいるのはやりづらい。

 このままじゃ、曲がるたびに声をかけなきゃいけない。声かけのたびにイラつかれるのはごめんだ。

 黙って先導してついてこさせた方がお互い心臓にいいだろう。

 

 しばらく悩んで、駆けるように早めた足。

 追いついた革ジャンの背中、そのままするりと隣に並ぶ。

 一足先を行ってもよかったが、こっちの方が短気なチンピラの気を逆なでしなくて済みそうだったからだ。

 

 左隣。じっと、拳一つ分くらい高い位置から赤い瞳がこっちを睨んでくる。

 殺気が散らされているから別に怖くはない。ケンカ売るなと逆にじろりと睨み返す。

 こんなことでいちいちバトってるんじゃこの先話にならない。

 いちいち相手にしてられないだろう。ケンカっぱや過ぎて予想を裏切らない吸血鬼に呆れて黙ってふいっと前を向く。

 取り合わない俺にヴィルヘルムの視線もつまらなそうに元に戻った。

 そうこうしているうちにあっさりと辿り着いた曲がり角。

 黙って方向を変えると、一応隣を大人しくついてくる。

 アパートまではあとそこそこ。ついてくる気があるんならこのまま無事に辿り着くだろう。

 覚える気があるのなら、いちいち目印だとか教えなくてもこのまま黙ったままでいい。

 ああ、なんだ。吸血鬼はそういう意味では犬猫と違って手がかからないんだな。

 なんて、そんなことを考えて思わず苦笑した。

 

「……何だよ、急に。気色悪い」

「ああ、悪い。ちょっとアホなこと考えてさ、面白かったんだ」

「フン、そーかよ。って、てめえ。まさか俺を笑ったんじゃねえだろうな。そうだったらぶっ殺すぞ」

「おまえ物騒だな。そうだったとしてもできないんだから諦めろよ」

「はッ、やなこった。誰が諦めるかよ、全部終わったらぶちのめしてやっから覚悟しやがれ、糞餓鬼」

「あー、はいはい。分かった分かった」

 

 隣で突然俺が表情を変えたからだろう。

 怪訝な声が飛んできて、そのままちょっとした会話になる。

 それに感じた微かな 既知感(デジャヴ)

 交わされた会話は、口も悪くて内容も物騒。それなのに親友と軽口を叩き合ったような軽快な調子。

 もう一人口煩い幼馴染でもいたら、返事は一回、二回は禁止とか横からつっこみが飛んできそうだ。

 日常めいたやり取り。

 直前に隣の吸血鬼と交わした他愛無い会話を思い返して、どきりとした。

 なんだ、こいつできるんだなこういうの。

 

 舌打ちしてふてくされたように肩を竦める姿は、やっぱりその辺にいるチンピラと変わらない。

 段々それが面白くなってきた。

 相手が危険な奴なのはもちろん分かっているが、ここまできたら割りきって楽しむのもありなんじゃないだろうか。

 

 舌打ちを最後に途切れた会話。

 そこで話を切って沈黙に戻ってもよかったが、せっかく向こうから口を開いたんだしもう少し続けてみたくなった。

 こいつとコミュニケーションを取る練習は必要だし、振りたい話題もあることだし、ちょうどいい。

 

「ヴィルヘルム、さっきは悪かったな」

「あ? 何がだよ」

 

 無視されるかと思ったが、そうでもなかった。

 並んで夜道を歩きながら、聞き返されて先へ進む会話。

 

「さっき、ガマンしてくれただろ。先輩に乱暴しなかった」

 

 ああ、そのことか、と。ついと上向いた白い顎。

 面白くなさ気に夜空を見上げて、吐き捨てるように届いた言葉。

 

「アホか、何謝ってやがる。あれは別にてめえが悪いんじゃねえ。あの女が勝手に不安になって場違いにしゃしゃり出てきただけだろう。ああ、違うかよ色男?」

 

 客観的にみてそうだろう、あれはあの女の勝手な事情だと、空から落ちてきた赤い瞳がちらりと俺を見る。

 それに首を横に振った。

 

「だとしても、だ。俺が心配かけるくらいに不甲斐ないから先輩がああして出てくれたんだ。だったらアレは間違いなく俺のせいだろう。だから、抑えてくれて感謝してる」

「……へえ?」

 

 意外だ、と隠さずにヴィルヘルムが皮肉げに笑う。

 それは元凶は自分だと非を主張した俺にか、素直に感謝を示したことにか、いっそ両方だったのか。

 

「かはっ、馬鹿が。あれは俺のために引いたんだよ。別にてめえを立てたわけじゃねえ、勘違いすんな」

 

 吸血鬼は愉快そうに小刻みに肩を揺らして。

 突然ぐるりと返った踵。ぶわっと乱暴に揺れた片手のトランク。

 夜風に白い髪をなびかせて、すらりと長い細身の体躯が月を背後に目の前に立ち塞がる。

 

「いいか、俺は俺の目的でしか動かねえ。この先だってずっとそうだ、俺はブレねえ。

 なのにてめえの望みと被ったってんなら、そりゃ互いの求めてたもんがただ被ってたってだけのことだろう。

 俺はなあ、あの人にしか従わねえんだよ。あの人以外に負けることもねえ。

 あの人にそうあれと望まれたから、てめえに間接的に仕方なく従ってやってるだけなんだ。てめえなんかこっちはどうでもいいんだよ。

 だからよお、俺がてめえの言うことを聞いてやったなんて馬鹿な勘違いすんじゃねえぞ。この先も、絶対だ。

 今は多少は特殊な状況かもしれねえが、そもそも俺はそんな甘えもんじゃねえ。他の連中だってそうだ。

 そこんとこ頭緩く勘違いしてたら、おまえ、自滅するぜ?」

 

 整った顔が狂気にぐしゃりと歪む。

 くつくつと哂いながら吐いた台詞は俺を理解不足だと指摘していた。

 舐めてかかるんなら喰らい返してやると、予言でもするかのように不敵に口元が吊り上がる。

 ああ、勘違いしているのはどっちだ。

 お前を動かす感情の出処だとか、そんなことくらい俺はとっくに理解している。思い上がってもいない。

 だからこっちから仕掛けている会話で、大事なのはそこじゃない。

 至る過程はどれほどすれ違おうと、結果が噛み合って一致する。そもそもそういう結果が出せるから、俺とおまえが組まされたんだろう。

 幸か不幸かギリギリのラインで契約を交わす条件が破綻しなかったから、こうしてここにいるんだろう。

 人を舐めているのはどっちだ、ヴィルヘルム。俺はそんなに馬鹿じゃない。

 

 いい加減、腹が立った。

 溜息をついて、真正面から狂気をにじませる表情に向き合う。ここで譲る気はもちろんない。

 

 契約を交わしたとき、第三者を交えて言質は取った。

 一度決めたことを覆しはしない。盾に取られているのが己の魂でそのために果たしたい目的が叶えられない以上歯向かうこともない。

 結果としては、何をどうしても俺に利があるように動く羽目になるだろう。

 

 だけどまだ、弱い。強制的に従わされた色が強すぎて、こいつ自身が俺を認めていないのが逐一間で邪魔をしていて面倒くさい。

 行動のすべては自分のためで、ひいてはその向こうに戦果を捧げたい忠誠を誓った主を見ている。

 その在り方自体は別に構わない。俺だって自分のために動いているし、他の誰だって本音はそういうものだろう。

 そもそもそういう性質の男だからこの歪な契約は成立する。

 だからそれを踏まえた上で、その先に何もないのが腹が立つ。それだけしかないのが許せない。言うに事欠いてどうでもいいだと。

 契約を果たす当事者同士のはずなのに、こいつの中にまだ俺という個人が存在していない。

 目の前にいる俺をただの過程としか捉えていない。狩るべき獲物どまり。捧げるべき戦果。それ以上でも以下でもない。

 ああ、癪に障る。

 互いの目的を果たすのに必要だから歩み寄ろうとしているのに、向こうにその気がないんじゃ苛つきもするだろう。

 本当はあそこで朽ちるはずだったおまえを拾ってやったのに、多少なりと俺はお前を認めてやったのに、こっちはいつまで経っても獲物のままか。

 今の俺じゃあ確かにおまえにとって脅威でも何でもないだろう。蚊帳の外で知らない間に話を進めた挙句勝手に始められて迷惑でしかないんだろう。

 だけどだからって目の前にいるのに空気扱いなんてたまったもんじゃない。そんなのは割に合わない。

 俺は、そんな無意味な関係なんてごめんだ。

 たとえ相手が狂人だろうが、命令だったからだろうが、俺に組みした以上はこっちのルールに従ってもらう。俺のルールっていうのに、ただの狂人はお呼びじゃないんだよ。

 おまえがおまえのままでいいのなら、あんなルールなんて用意するものか。

 おまえだってそれでいいと最後は認めて話に乗ったんだろう。おまえが一人でどう思おうと勝手だが、客観的に見ておまえが俺に従っている事実は変わらない。

 現状どっちの立場が上なのか、そして俺が求めているものが何なのか――改めて教えて、この忠誠馬鹿に認めさせる必要がある。

 たとえ完全に認めさせられなくても、せめて俺自身に目を向けさせないとダメだろう。

 

 おまえらからしたら、俺は確かに儀式の餌で狩るべき獲物だろうな。

 だけど俺はツァラトゥストラなんてフザケた呼び名は知らない。俺はそんな風に呼ばれて生きてきた覚えはこれっぽっちもない。挙句背後に余計な幻影まで見てやがる。

 俺からしたら、おまえの肩書の方がどうでもいい。

 そういうわけだ。よりによって俺に組みしたおまえにそんな風に見られたままでいいわけがないんだよ。それは許せないんだ。

 ――だからヴィルヘルム。絶対に、おまえにこっちを向かせてやる。

 

 月を背後に赤く妖しく光る双眸を見据える。

 引かない俺に、向き合った切れ長の口元がさらに吊り上がる。それでいい、もっと俺を見ればいい。

 どうすればこの吸血鬼に俺を刻みつけることができるだろう。考えるまでもなく、答えは出た。

 執着させればいい。獲物として定められたから殺すんじゃなく、そんな定義をふっ飛ばして俺自身を殺したくて堪らなくなるように。

 だとすれば簡単だ。何せ、こいつを釣るための餌は最初からここにあるんだから。

 

「わざわざ忠告どうも。だけど余計なお世話だ、そんなこと言われなくたって理解してる。おまえがどんな動機だろうと結果が揃えばそれでいい。

 見目も言動も結果も足並み揃えろって言っただろ。そういうルールだ、俺が決めた。いいから従えよ」

「おいおい、さっき俺はてめえには従わないって言わなかったか?」

「言ったな。だけど従うしかないだろ。間違えるなよ、ルールを決めたのもこれから命令の内容を決めるのも俺なんだ。おまえの主じゃない。おまえが俺の意志に従うって事実は変わらない」

「そうかねえ。 契約(はじまり)はあの人からだ。俺の動機の全部はそっからだぜ。その時点でてめえの理屈は崩壊してるような気もするが?」

 

 どんなに煽られようと無駄だと、口元を不敵に吊り上げたまま吸血鬼が哂う。

 捧げた忠誠は揺るがない。契約は無事に履行され、俺の望みは最後の最後で叶わないだろう。勝つのは自分だと、まるで確信した口振り。

 途中までは概ね同意だが、最後の結末だけは許すわけにはいかない。

 おまえの思い通りになんてさせてたまるか、ヴィルヘルム。

 

「そうでもないだろ。おまえの大好きな御主人様は牙を隠して俺に味方しろとは言っただろうが、牙を抜かれろとは言ってない。

 今からおまえ、俺に懐くんだろ。新しい主人は俺だろう。愛嬌振りまいて尻尾振れって神父に言われなかったか」

「くっ、かはっ。あー何だあその妄想! 誰がてめえなんかに懐くかよ。あの人の手前仕方ねえから契約の間は大人しくしてやるって言ってんのが聞こえなかったかァ?」

 

 愉快でたまらないと、静かだった夜の住宅地に響く哄笑。

 ああ、耳障りだ。近所迷惑だからさくっとやめさせよう。そのためには、このくだらない口論をさっさと終わらさなきゃいけない。

 

「おまえこそ意味分かってんのかよ。それじゃ許さないって言ってるんだよ、俺は。

 契約の間は俺のモノだろう。俺が拾ってやったんだ。そうじゃなきゃ終わってたくせにうるさいぞ、おまえ。

 捨てられたくなかったら言うこときけよ、吸血鬼。お前が従うのは“俺”だって認めろ」

 

 きつく睨みつけて言い放つ。

 げらげらと嘲笑っていたヴィルヘルムの肩がびくりと揺れた。

 大方、犬猫じみた扱いや拾ったって口振りに反感を覚えたんだろう。

 例えとしては間違ってはいない。助けてやったと言い換えてもいい。

 それに覚えがあるからこそ、つい数時間前に冤罪じみた謀反の疑惑で死に掛けていたこいつが反応したんだろう。気を引くのには成功したらしい。

 

「拾った、ねえ。ああ、まあある意味正解だわなあ。

 俺はあのときああなってなきゃおまえの言う通りおっ死んでたんだろうさ。それこそ何一つ望みも果たせずに最悪な最期だ。

 ……おい、もし俺が“てめえ”に従わなかったらどうなんだよ?」

 

 打って変わって低く押し殺した声が、口角の下がった唇からぽつりと溢れて。

 俺を射抜く赤い視線も、さっきまでとは種類が違った。

 何かを知りたがっているような、試したがっているようなそんな色が垣間見える。

 さっきまでの俺という人格にまるで興味がなかった――ツァラトゥストラとして見ていたときとは違うように思う。

 やっとまともに視線が合った気がした。いや、事実そうなんだろう。

 そしてこんなことでもなければ、きっとかち合わないまま殺しあってどちらかが先に死んでいた。

 こうして視線を交わしたことが、良かったのか悪かったのか、まだ分からない。

 分からないけど、改めて分かったのが一つだけ。

 

 赤が、綺麗だ。

 月明かりに仄かに陰った整った白貌。そこに輝いている、初めてちゃんと俺を映した赤い双眸。

 それは、妖しく綺麗で不覚にもどきりと心臓が跳ねた。

 

 うるさくなった心臓を気取られないようにそっと深く息を吐く。

 真っ直ぐにこっちに向いている瞳を見つめ返しながら一歩、細い体躯に詰め寄った。

 ここで舐められるのも、答えを間違うのもダメだ。

 俺自身を見極めて試したいというのなら、期待に沿わないわけにはいかない。

 せっかくやっとこっちを向かせたのに、失望なんてさせてたまるか。

 

「そんなの、おまえが勝手に自滅するだけだろ。だから俺に従わないって選択肢はおまえにはないんだよ。

 ああ、そうだ。俺はお前の新しい主人だろ。だからきちんと言うこときけたら 吸血鬼(ペット)に褒美をやるよ。

 耐えて耐えて耐えぬいて全部がきっちり終わったら、他を見ないでおまえの相手をしてやる。俺を殺していいぞ、ヴィルヘルム。それが望みなんだろ?

 これから散々俺に媚び売らされるんだ。思いっきり鬱憤晴らせよ。もちろん抵抗して全力で戦ってやるからさ。

 その代わりおまえも余所見なんかするな。おまえの 本命(あいて)は俺だろう。

 吸血鬼なんだろ、刺すなり吸うなりお好きにどーぞ」

 

 ざわりと、微かに空気が揺れた。

 ここまで近づくと分かる、濃い血の匂い。

 狂気を宿した赤い瞳が、額が触れそうなほど至近距離から俺を覗き込む。

 低く押し殺した声が危険な色香を漂わせて、痺れるように鼓膜に滲みる。

 

「はッ、面白れえ、言うじゃねえか! 俺が従うのはあの人だけだが、てめえの 褒美(りくつ)は受け入れてやるよ。

 ――いいぜ、余所見なんてしねえでてめえだけを真っ直ぐ見てやる。そんで、その時がきたら俺が手ずからぶっ殺してやるよ。その言葉、二言はねえな?」

 

 契約を交わしたときと似たやり取りを、邪魔を入れずに俺たちだけの間で交わした。

 これが正真正銘、俺とこいつの初めての約束だろう。物騒すぎて笑えないけど。

 

「ああ。俺に殺されても文句言うなよ」

「てめえこそ浮気すんなよ、糞餓鬼。一途じゃねえとウマに蹴られんだぜ?」

「お生憎様。こっちは吸血鬼一人で手一杯なんで浮気する暇ねーよ」

「そうかい。じゃあせいぜい愉しませろよ、御主人サマ?」

 

 触れそうなほどの至近距離で、意地悪く口元が緩んでちらちとのぞいた白い犬歯。

 心臓に悪いから綺麗な顔してそういう言い回しやめろよ、エロ吸血鬼。

 どっちも舌戦は絶好調で何よりだよ。言い負かせてよかったつうの。

 

「かはっ」

 

 煽られて負けん気に火でも着いたんだろう。

 どこか嬉しそうな嘲笑を一つ零してくるりと軽快に還る踵。

 俺を置いて先へ歩き出すヴィルヘルム。

 おい、家主を置いていくなよ吸血鬼。そのまま直進すると通り過ぎるんだからな。

 

 俺の目的はとりあえずは果たせたし、まあいいかと機嫌が良さそうな背中に追いついて隣に並んだ。

 会話はないが、教会を出た頃よりお互いの間にある空気が緩い。

 それはたぶん、俺の目論見が成功したってことなんだろう。

 

 結局のところ、ヴィルヘルムに俺からいろいろ話しかけてた理由は、人間っぽくコミュニケーションを取れるようになりたいっていう目的からだったわけで。

 挨拶と同じで、礼を言ったり謝ったり、っていうのは円滑な人間関係の基本だろう。

 そういうのが出来るのか探りたかったのと、そういうのをしていきたいっていう意思表示だったわけだ。

 身体は人外かもしれないがまだ気持ちは普通の人間で、こっち側に居たいと思ってる。

 だから戦闘中や非常事態はまだしも、日常での言動まで化物に寄りたいとは思ってない。

 そんなわけだから、強制的にヴィルヘルムもこっち側に置きたい。置かせるためのルールだって作った。

 それなのに、そもそもこいつがまず俺自身を見てないっていう初歩的な問題が発生した。個の人間として目線が合わないんじゃ同じ土俵にすら上がれてない。

 それじゃコミュニケーションなんて最初から無理な話だから、解決しようとしたのがさっきまでの流れ。

 喧嘩腰にはなったが上手くいったんだろうし、とりあえずはこれで充分だろう。

 個人的には一歩前進だと思う。

 ああでもそういえばコミュニケーションだといいながら、一番肝心なことを俺の方がしてなかったな。

 

 最後の角を連れ立って曲がる。

 アパートまで、ここを曲がりきればもうすぐだ。

 連れ立って歩いた視界の先、見慣れた建物が映る。

 

「そうだ、ヴィルヘルム。あともう一個謝っとく」

「あ? まだ何かあんのかよ」

 

 辿り着いた階段。

 登りだして、部屋のドアまでもう少し。そんなタイミングで隣に声を放った。

 

 こいつは確かに狂人で、こんな特殊な状況に陥ってなきゃ殺気を撒き散らしててろくにまともな会話もできないような奴だ。

 だけどそんなこいつでも、ただ芯から狂ってるだけじゃないことは知っている。

 初めて出会ったあの公園で一度だけ、そんな瞬間に立ち合ったからだ。

 

「あのとき、名乗らなくて悪かったな。こっちも必死だったからさ。戦の作法だったっけ?」

 

 死にかけた光景を思い出す。

 こっちからしたら最悪の煽り文句だったが、吹っ掛けた本人は至って真面目だったんだろう。

 頭の中まですべてトチ狂った本気の狂人が、作法に五月蝿いなんて可笑しな話だ。

 思えば、何も知らなかった出会い頭にあのやり取りを経験していたから、こいつの忠誠心を信じる気になれたのかもしれない。

 二度目の出会いしかなかったら謀られてる可能性を捨てきれなかっただろう。

 

「へえ、名乗ってくれるってか。知りたきゃ吐かしてみろって威勢よく言ってたろ、何だったんだよありゃ」

「あのときは事情が違うだろ。もう神父に半分バラされてるようなもんだし、おまえ相手に隠してる理由もないしもういいよ」

 

 家までバラしたのに名前をバラしてないなんて変だろ、と肩を竦めるとまったくだとさらりと同意が返ってきて。

 それがあまりにも自然な流れで。普通過ぎて何だか変な感じがして、思わず吹き出しそうになった。

 我慢できなかったらまた怪訝な顔して赤い瞳がこっちを見るんだろう。文句もセットで。

 それすら想像できて、意外と読みやすい吸血鬼の行動にまた笑いそうだ。というか、結局笑ってしまった。

 

「ふはっ、くくっ」

「……おい、糞餓鬼。おまえまた俺を笑ったろ」

「はは、悪かったよ。でも馬鹿にしたとかそんなんじゃないから。なんか思ったより普通なんで安心しただけだよ」

「はア? どんだけアホな想像してたんだよ。言っとくけどな、俺は逃げも隠れもせずその辺普通に歩いてるからな。てめえが思ってる以上に普通なんだよボケ」

「おいおい、普通なの力説する吸血鬼とか初めて見たんだけど。そもそも吸血鬼に初めて会ったし?」

「アホが、当たり前だろ。俺以外の吸血鬼とか認めねえし、いねえよそんなもん。他は全部偽物だっつーの」

 

 軽口を叩き合って見慣れた廊下を歩いて、辿り着く。

 立ち止まったドアの前。隣には、鍵を開けるのを大人しく待っている吸血鬼。

 散歩から返ってきた犬みたいだ。この調子じゃ、吸血鬼を飼うって誇張でも何でもないかもしれない。

 

 ズボンのポケットから引っ張りだした鍵でドアを開ける前に、とん、と表札を指差す。

 ああ、そもそも日本語読めるんだっけ。ずいぶん流暢に喋ってるからそこらへん確認するのを忘れてた。まあいいか、あとで確認すれば。

 どうせし嫌でもばらくいっしょにいるんだからさ。

 

「藤井蓮だ。蓮でいい。契約の間だけだけどさ、よろしくなヴィルヘルム」

「誰がてめえとよろしくすっかよ、バーカ」

 

 赤い瞳を正面から見据えて、きっちり自己紹介する。

 そしたら素直じゃない暴言とセットでぶんっと思いっきり顔が逸らされた。

 殺しあう相手にあーだこーだとぶつぶつぼやきながら、そのくせ、一瞬だけきちんと表札の文字を追うところは律儀だ。

 

 ガチャリと解放された鍵。開いたドア、真っ暗な中へ家主より先に許可なく勝手にずかずかと敷居を跨いで上がり込む。

 その割に、荒っぽく数歩進んだだけで玄関でぴたりと足が止まった。

 何か考えてるな。ああ、靴脱ぐか迷ったのか。

 

 玄関、フローリングの床、そこそこ乱暴に置かれたアンティークなトランク。

 揃えこそしないものきちんと靴を脱いで、ついに吸血鬼が俺のうちにやってきたわけで。

 意外と行儀がいい。もっと酷いかと思ってたけどそうでもない。

 良くも悪くも本当に普通にチンピラ。たぶんそれはいいことなんだろう、俺にとってだけど。

 初めてのお宅訪問で、吸血鬼の言動はやっぱりどこか犬みたいだ。

 すんすん匂いを嗅いで、きょろきょろと何故か胡散臭そうに回りを見渡す背中に、ドアの側から中を覗き込んで苦笑まじり声をかける。

 

「なあ、おまえフルネーム何だっけ?」

「……ヴィルヘルム・エーレンブルグ。一回で覚えろよ、アホ」

「もちろん覚えてるぞ、確認しただけだ。改めてよろしくな、ヴィルヘルム」

「――ッ!?」

 

 オーケー、これで自己紹介成立だな。

 にやにや笑ってやると、やられたと赤い視線がぎろりとこっちを射抜いた。

 首輪の効果はもちろんだけど、分かりやすく焦った表情のせいでこれっぽっちも恐くない。

 たぶんだけどこいつ、からかわれやすい性格してるな。一般人相手じゃ無理だけど、組織の中じゃあそういうポジションなんじゃないだろうか。

 いやまあ、あんな狂人集団にそんな微笑ましい瞬間があるのかどうかは知らないけど。

 ルサルカとか神父とかあの辺と相当相性悪そうだぞ。あと、首輪つきモードなら覚醒した先輩とか相手もまずそう。

 挙げた面子に比べれば、俺なんてそうそうイジメないんだから可愛いもんだろう、なあヴィルヘルム。

 

 ああ、何だ。吸血鬼を飼うの、思ったより楽しいかもしれない。

 険しい顰めっ面ばかりしかしないかと思ったが、想像していたよりくるくると表情が変わる。見ていて飽きない。

 慣れたらもしかしてもしかすると、明るく笑ったりするかもしれない。元が酷いからさすがにそれは想像つかないけど。

 そうだな、隙があったらからかってやろう。俺の息抜きにも、ヴィルヘルムのガス抜きにもちょうどいい。

 適度に喚けば、押さえつけられていておおっぴらに暴れられない鬱憤も多少はすっきりするだろう。

 ちゃんと理由があるわけだから、からかったところで平気だろう。この調子なら黙らせられる自信はある。

 向こうのルール変更を飲んでやったんだからこれくらい遊んだっていいだろう。

 見つけた密かな楽しみに思わず口元がにやけた。

 

 先に入った革ジャンの背中を追って、俺も後ろ手にドアを閉めて部屋の中へ。

 手元の照明のスイッチをオンにすると、明るくなった室内に赤い瞳が眩しげにぱちぱちと瞬きした。

 人工の光に、嫌そうに顰め面をする。拗ねた子供みたいな表情。

 はじめて明るい場所でその瞳を見たけど、感想はやっぱり変わらない。思うのは一つだけ。

 いつどこで見たって、吸血鬼の赤い瞳は白い肌に映えて綺麗だ。

 

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