世界から魔法が消えた日からちょうど半月後の事だった。
凡そゲルマニア帝国を中心とした周辺諸国の人間は、一様に自分たちが思い違いをしていた事を悟らされた。
完全な包囲網を敷かれたゲルマニア帝国の決死の抵抗も程なく制圧せれてしまうだろうと思われていた頃、彼らは最終兵器を持ち出したのだった。
その最終兵器こそ、根絶されたと思われていた魔法だったのである。
*
天を穿つ眩い閃光を目にした皇帝は、これまでの事を「座興」と称して笑った。
その真意を知り得る人間は恐らく、今はどこへ眩んだのかも知れない男のみだろう。最後の最後まで保身に努め、その裏では狡猾に成すべき事を成し、誰もが想像するその一歩先を見据え、その上で自らが生き延びる道を選び取って生き延びた、アノルト・ベルクマンという男だ。
皇帝オットーは、先見に長けた彼から情報を得ていたのである。
「真なる魔法は我が手にあり、か……。あの男、殺すには惜しい人財だったな」
自らが生を謳歌する事に終始する男の考えを逆手に取る事など、オットーには造作も無いことだった。それは彼が優秀だからではなく、彼がこの国の長であるからだ。
権力とは、何も驕り高ぶって眼下の者を蔑む為に備えるもの等ではない。その真価は自身を上回る能力を持ち合わす人間を負かす際にこそ存分に発揮される。
――我が敵は、お前か?
一言だった。オットーがアノルトへ投じたのは、たったの一矢だった。
彼を敵に回すことが意味する事とは、ゲルマニア帝国そのものを敵に回す事に他ならない。放たれた一矢は見事アノルトの心中を射抜き、彼に致命傷を与えるに至ったのである。
珍しく額に汗を携えたアノルトは振り向き様に「まさか」と続け、両腕を広げながら向き直った。
その後アノルトの進言した通り、魔女に関する研究施設とは別に彼が個人で借り受けていた僻地に構える小屋へ遣わせた者たちから、オットーは期待通りの報告を聞かされていたのだった。
「レイラインに縛られた魔法など、所詮は魔法に至る代物ではなかったのだ。この力こそ、真なる魔法なのだ」
妖美に輝く紫色の拳大の石を掴んだオットーは静かに、しかし声色は強く呟いた。
明くる日からと言うもの、皇帝直々に選りすぐった研究員らは休む間も無く紫色の石についての研究に勤しんでいた。
研究員らを治める班長のジェリコは、出て来た解析の結果を見て早々に自分の目を疑った。
「これって……嘘、よね」
つい先日まで第九設計局でエリザベートの元に就いていた彼女だからこそ、今し方目にした紫色の石の数値と同じ測定法で赤い魔石が打ち出した数値との対比に驚嘆を得たのである。
赤い魔石は魔女と呼ばれる者たちが使用して初めて効力を見せるのに対し、この紫色の石は使用者を問わない。現に石の力の測定には研究員の一人が使用した数値が使われているのである。そして肝心の結果は、同値であった。
この結果が意味するものとは、この紫色の石が齎す力の源が当然、枯渇したレイラインに依存した物ではなく別にあると言う事。加えて、使用者の制限という枷がない事だった。
「この石を使えば誰でも魔法が使えるようになる……」
研究室にいた総勢で八人の人間は皆、ジェリコがうわ言のように呟いた言葉に重い沈黙の蓋をかぶせた。
「その石を用いれば、誰にでも魔法が使えるようになるのか」
ジェリコが石を預かり受けてから三日後、彼女はオットーの元へ石の返還と研究の結果を伝えに来ていた。一通りの報告を終えると、オットーは顎を撫りながら手に持った紫色の石を舐めるように眺め見ながら楽しげにそう言った。
戦況は芳しくなく、日に日にゲルマニア帝国は追い込まれつつあるにも関わらず、国の長であるその人の浮かべる子供染みた笑みを目にしたジェリコは、その顔に確かな狂気を覚える。
「で、その魔法とはどう言ったものなんだ?」
「はい。かの白き魔女たちが用いていた魔法とは異なっていまして、その……なんと申し上げれば良いのか言葉に困るのですが、所謂、万能の力を授ける、とでも言うのでしょうか」
「なんだ歯切れの悪い。具体的にどう言った事が可能になるのかを伝えろ」
頻りに目を泳がせるジェリコ。彼女の動揺を誘うのは皇帝の見せる焦らされた事に対しての憤りの言葉ではなく、これから自身が伝え聞かそうとしている事柄に対してだった。
「物体に浮力を与えようとすれば叶い、ただの石ころを数キロトンの爆弾にしようとすればそれも叶う……この石は、そう言った代物です」
聞き終えた皇帝は一瞬、間の抜けたような表情を見せ、「これは傑作だ」と言って下品な大笑いを上げて続ける。
「真なる魔法とは、そのまま言葉の通りだったという事ではないかっ」
ジェリコの抱いた不安は、無情にも的中する未来を得た。
背に伝う大粒の冷感は彼女が、自らの手で世界の崩壊を促してしまった罪の意識が確かな形として浮かび出た物だった。
*
戦場でそれを目にした誰もが、己の目に怪訝さを抱いた。
優勢だったはずの戦局は紫色の光と共に覆り、瞬きをする間にすら畏怖を漂わす。しかし、見開いたままの瞳が紫色を捉えると、その地に残るのは死の灰だけとなる。
曰く――誰が云ったかその日は、紫色の悪魔が舞い降りた日と呼ばれる事となった。
日常系が続くと言ったな……あれは嘘だ。