Fate/Grand Order ■■特異点 魔海狂想都市ルルイエ 作:クトゥルフ時計
暗く、それでいて明るく、星の光を受け、月の輝きを湛える。
薄く湿った無機質な石は非ユークリッド幾何学的な造形に象られ、それからなる無数の建築物の群が都市を成していた。
人ならざる者の住み処。海に住まう化け物共の楽園。
それが今宵星に導かれ、一夜の夢の如く遥かな海にその姿を現す。
名をルルイエ。太古の支配者の一柱、クトゥルフの城である。
◇◆◇
まず真っ先に藤丸立香を出迎えたのは、濃厚な潮の香りだった。次に苔のような海藻のような、地上では余り感じない緑の香り。それはさながら海底を地上に押し出したかのように感ぜられた。
「……ここが、今回の……」
ヌメリとした地面にコケそうになりながらマシュは呟いた。その後ろでは現在進行形で盛大にコケている立香が痛そうに尻をさすっている。マシュはその様子に少しばかり笑いながらも手を差し出した。
「もう、しっかりしてください」
「あはは、ごめんごめん……」
苦笑して、差し出された手を握る。仲睦まじく見える
立香は空を見上げた。この暗さからして夜なのははっきりしているが、別に時間を確認したいわけではない。ただ、古来より困ったら北極星を探すことを優先してきたヒトの性か、手がかりを得るにはまず空から、と無意識に感じたのだ。
しかしそこにあったのは道標たる北極星のような、慈愛に溢れた光景ではなかった。
「……なんだ、あれ」
思わずこぼれた声に、マシュもつられて空を仰ぐ。そして立香と同じく目を見開いた。
これまでの特異点でも異様な空というものは珍しくなかった。どんな青空にも常に光の帯が浮かんでいたからだ。それが綺麗か醜悪かは別にしても、それを普通だと言える人間は万人に一人もいないだろう。
しかし、此処から見える空はある意味では何より普通で、ある意味では何より異様であった。
視界を覆う
二人が息を呑んだのは、その並び方である。パズルのピースを嵌め込んだよう、と言えばいいのだろうか。まるで作られたように、仕組まれたように見える星の煌めきにこそ、彼らは驚いたのである。
何故なら、それはあまりにも
◇◆◇
――――いやだ――――
――――いやだ――――
――――いやだ――――
――――来ないで――――
――――来ないでよ、
◇◆◇
星に
通信が繋がらない。繋ごうとしてもノイズが走り、耳障りな機械の合唱を耳に届ける。
ザザ、ザザ、とまるでテレビの砂嵐のような異音に顔をしかめるも、こうして立香がそこにいることが、まだ存在証明を途絶えさせていないことの証左だ。それだけは安心できた。
「ドクターにも繋がらない……どうしようか」
「進むしかないのではないでしょうか。私たちがここにいても何もできないですし」
「そうだね。じゃあ、行こうか、マシュ」
はい、と暗い空の下でマシュが答える。
その声に後押しされて踏み出した立香の一歩は、力強く石の床を踏み締め、滑りのある海藻にコケて止められた。
◇◆◇
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
「やめて……もう、やめて……」
アハハ、アハハ、アハハ。
アハハ、アハハ、アハハ。
アハハ、アハハ、アハハ。
「私が悪かったから……もう逆らわないから……」
――――だから、やめてよ。
――――もうその顔で、
◇◆◇
その音に気づいたのは、ただの偶然だった。
ゆっくり慎重に進む立香たち。既に二回尻を打っている立香の体を案じたマシュによる〝立香抱き抱え作戦〟により、これ以上の痛みを受けずに済んでいた立香がふと風のせせらぎに乗ってやってきたその音を感じ取ったのだ。
それはまるで、泣き声のようであった。
「待ってマシュ、今何か」
マシュの歩みが止まる。それまで雑音として入ってきた足音が止み、冷たい風が頬を撫でる音だけを意識する。
――――ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
聞こえた。確かに今、女の子の声がした。
「誰かいる。こっち」
マシュの手から離れ、立香はそそくさと歩き出す。先程までの体たらくとはまるで無縁のその歩みは、これまで六つの特異点を踏破してきたマスターの歩み。
ほんの少しの声だけを頼りに迷いなく進むというのは、きっと彼以外にできる者などいないだろう。
数分ほど歩いただろうか。ようやく彼らは声の主の元まで辿り着いた。
魔女のような服と帽子、鮮やかな赤髪、尖端がフォークのように三ツ又に分かれた槍。
間違いない。あれは見慣れた立香のサーヴァント――――エリザベート・バートリー〔ハロウィン〕だ。その周りには橙色の破片が散らばっている。
その姿を視認した立香は先程までの落ち着きを全て振り払い、大急ぎで彼女に駆け寄った。
「エリちゃん!?どうしたのこんなところで!?」
返事はない。エリザベートはただ肩を震わせて俯いているだけだ。よく見れば、顔の二点から断続的に雫が零れ落ちているようにも思える。
「エリ……ちゃん?」
立香が手を伸ばす。それが震える肩に触れようとしたその瞬間、
「イヤァァァァアアアァァァアァアアァ――――!!!」
絶叫と共にエリザベートは槍をすさまじい勢いで振るった。サーヴァントの腕力で振るわれたそれは立香の体を簡単に薙ぐと思われたが、間一髪で足を滑らせた立香の幸運により、前髪数本を巻き込むだけで終わった。
頭をブンブンと振り、帽子を吹き飛ばしながら絶叫するエリザベート。長い髪の隙間から見えたその双眸は――――まさしく狂気に染まっていると言って相違ない輝きをしていた。
恐怖。そこより生じた拒絶の色。それ即ち、自分以外の全てを敵として認識する狂気。
エリザベートは暫くその状態のままであったが、その絶叫の断片に意味のある言葉が混ざり始める。
「もういや、もういやよ!どうせ貴方たちもなんでしょう!
「何を……」
言葉の意味は立香には理解できなかった。〝アイツ〟〝偽物〟、何のことだかさっぱりわからない。
「落ち着いてエリちゃん! 俺たちは別に偽物なんかじゃ」
「嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ!! 信じない、信じないわ! アイツも、カボチャたちも、全部本物みたいだったもの! なのに全部偽物だったもの! だから貴方たちも偽物なんだわ! そうなのでしょう!?」
カボチャたち。いつも彼女と一緒にいた橙色の軍勢。エリザベートがそれを偽物だと呼んでいる? 一体、どうして。
そこで立香は思い当たった。今も周りに散らばる橙色の破片。これはつまり、カボチャたちの残骸だ。狂乱したエリザベートに壊された、彼女曰く〝偽物のカボチャたち〟だ。
ならばこれらはきっと、普段では考え付かないような行動を起こしたのだろう。それ故に、エリザベートに壊された。その一端となったのは、恐らく彼女の言葉の端に出てきた〝アイツ〟だろう。
きっとそれを探れば、今回の騒動の真相も見えてくるかもしれない。立香にはそう思えた。確信はない。でも、そうするのが最善だと直感したのだ。まるで神に導かれたかのように。
エリザベートが叫ぶ。
「貴方たちも壊すわ! 偽物なんだもの、悪いヤツなんだもの! そうすれば、本物も見つかるわよね!」
その声に反応するかのように、辺りの破片が動き出した。カタカタと振動したかと思えば、それらは互いに引かれあい、複数の破片が集まった罅だらけの歪なカボチャとなった。
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
キャハハ、キャハハ、キャハハ。
耳障りな合唱が始まる。それを皮切りに、カボチャたちが一斉に立香とマシュに襲いかかった。
「マスター、下がって!」
マシュが盾を使ってカボチャを受け止める。そのまま横に薙いで吹き飛ばし、落ちたカボチャを盾で押し潰した。
それぞれの戦力はそれほどでもない。堅実に戦えば勝てる相手だ。幸いなことにエリザベートはまだ狂乱から抜け出せておらず、一歩もその場を動かないで絶叫を続けている。このままカボチャを一体一体破壊していければ――――。
そう思ったマシュの目に、信じられない光景が映った。
視線の先、先程押し潰したカボチャの残骸。その残骸が、動いている。振動し、癒着し、また罅だらけのカボチャを作り出した。
「……うそ……」
そう呟いた矢先、次は別のカボチャが襲う。それに気づいて急ぎ盾を振り回して砕いた破片は、地面に着くや否やまた新しいカボチャを作り出す。
「……うそ……ですよね」
ああ、なんてこと。
マシュは認識した。これは、この戦いは――――
無限に蘇る軍勢。個々は大したことなくても、それが幾つもあって、しかも死なないとなれば正しく最強の軍勢だ。死を恐れない有象無象ほど、戦争において恐いものはないのだから。
どん、と鈍い音がした。カボチャの一体が、戦っているマシュの背中を強襲したのだ。たまらず吹き飛ばされるマシュ。すぐに体勢を立て直そうとするが、ぬめる地面がそれを許さない。
だが、それでも立ち上がらなければならない。マスターを守る、そのために勝つ。覚悟はある。しかし、精神が前を向こうと、地の利は彼女に味方しない。
遠くなるカボチャの軍勢。そして、マシュを遠ざけたそれらが次に狙ったのは、守るものが何もなくなった立香だった。
「ッ、ダメ!」
悲痛な叫びは届かない。カボチャたちは耳障りな合唱を奏でながら、大口を開けて立香に殺到した。
◇◆◇
死んだ、と思った。
暗い空をさらに覆い尽くす無数の橙。それらが不気味なカボチャだと理解するのに一秒もいらなかった。
ああ、きっと俺はこれからこいつらに喰われるんだろうな、と漠然と想像した。思えば短い人生だったな、と走馬灯が過った。
遠くからマシュの声が聞こえる。彼女には悪いことをしたな、とぼんやり謝った。ごめんね。
────ああ、あと一秒経たないうちに俺は死ぬんだろうな。腕、足、頭、どこか残るだろうか。残れば、いいな。
目を閉じようとしても、閉じれなかった。どうやら俺は、まだ完全に諦めきっていないらしい。心のどこかでまだ助かると思っている。そんなこと、有り得るのだろうか。
いいや、有り得る。きっと有り得る。諦めてはいない。まだ、世界を救ってない。やるべきことがたくさん残っている。前を向いて、無数の死の群れを凝視して、走馬灯の中から逃走経路を模索する。
結論から言えば、それは有り得た。僅かな光を反射して煌めく何かが、立香に押し寄せるカボチャの軍勢を的確に貫いた。
軽い金属音を響かせて足元に落ちるそれを、彼はマンガで見たことがあった。そういえば、確か、メスという医療器具だっただろうか。それが飛んできた方向を見る。不思議と、もうカボチャは復活していなかった。
「諦めなければ、きっと生きられるんだよ、少年」
そこにいたのは、一人の男だった。くすんだ灰色の髪は肩の近くまで垂れていて、手入れをされている様子はないが、汚くはない。体をほとんど覆っている白衣は清潔で、開いた前面から黒い服が見える。肌は白く、それはまるで死人のよう。
そして何より立香が目を奪われたのは、その暗い翡翠の瞳だ。腐った魚、あるいは干からびたミイラのように光は無いのに、その奥底には爛々と燃える狂気があった。
「……あなたは」
「この状況で共闘よりも先に名を尋ねられる胆力は評価しよう」
指先でメスをクルクルと回し、男はゆっくりと近づいてくる。その歩みに、生者の気配は感じられない。だとすれば、彼はサーヴァント。その中でも、最も
「クラス、キャスター。私の名は後回しでいいだろう。それよりもまず、君はこの絶望を打開する策を考えたほうがいい」
立香を庇うように立つキャスター。翻った白衣が、暗い星の明かりに映える。
「喜びなよ。君は、既に私という駒を手に入れたんだから」
微笑を浮かべる彼は、さながら死人のようだった。