「と、いうことで俺を更生する、というのはまたの機会でいいですよね、平塚先生?」
「……うむ、そうだな。ひとまず君の依頼を果たす事に力を尽くしてもらう、頼んだぞ」
平塚先生は、俺たちにそう言い残して部室を出て行った。おい、顧問だろ。せめてもう少し来る回数を増やしましょうよ。お茶は出すから。そうでもしないと茅ヶ崎は暴走しそう。
「……お茶を入れなおしてから、あなたの依頼を聞くということでいいかしら?」
やっとの事で言葉を取り戻した雪ノ下は開口一番に言った。まだ由比ヶ浜は、言葉を失ったままのようで長くなったスカートの裾をぎゅっと握り締めている。雪ノ下の取り繕った表情は、去年の今頃と何ら変わっていなかった。先程までの強さは消え失せて奉仕部から比企谷八幡という存在が消えかけたあの冬に戻ってしまった。
「お構いなく。それほど時間はかけませんので」
茅ヶ崎は、先程とはうって変わって後輩らしく下手にまわって話した。何だこの変貌っぷり。一色かよお前は。まあ、一色とは変貌のベクトルが違うけど。でもまあ、同じ職場で働いているというだけの事はある。
それに、茅ヶ崎は中々出来るやつだ。少なくとも話を聞くだけじゃ茅ヶ崎は相当頭がキレる。陽乃さんと知り合いであった点、あの葉山ともつながりを持っている点などを考慮してもかなり仕事が出来るといえる。人脈で言えば海老名さんレベル、仕事能力でいえば雪ノ下並み、と考えてもよさそうだ。そんな奴がわざわざ平塚先生に頼んでまで依頼したいことか……。
さぞかし、大変なんだろうなぁ。
「まあまあ、そう言わずにゆっくりして行ってよ」
由比ヶ浜がやっとのことで発した言葉は由比ヶ浜らしい気遣いの言葉だ。立ち話で済ませようとしていた茅ヶ崎を座らせる由比ヶ浜を見てクッキーと紅茶を手早く出す雪ノ下。何なのこの子たちのこのコンビネーション。ふぇ、ゆきのんとゆいゆいの仲が良すぎて居辛いよぉ。
「じゃ、じゃあ失礼します。確かに、今の比企谷先輩だと時間が掛かってしまうかもしれませんし長居させていただきます」
「ん……」
やたら刺々しくそれでいて棘を綺麗に隠された言葉が俺を突き刺してくる。こいつさっきからなんでこんなに刺々しいの? ご両親、ウニかなんかなの? ……ああ、八幡知ってるよ。近くにすごい怖い人がいたからこうなったんだよ。マジで陽乃さんは、一人の少年を腐敗させたのか。
「では、失礼して……んんっ」
紅茶のいい香りが漂う奉仕部は、接客にはぴったりの代物ばかりがそろっている。お客さん用の紙コップは勿論、紅茶が苦手な人のためにコーヒーも用意してあり。、もし嫌だといわれたら俺が中途半端なマックスコーヒーを作ってマッカンに謝るハメになる。マジでマックスコーヒーは素人が手を出していい領域じゃない。もし出来てもそれをマックスコーヒーとは言わない。ただの練乳入りコーヒーだ。
そんなことを考えていると、ぐいぐいと制服の袖が引っ張られた。今、この空間において俺の右には人がいないので何が何でも左側の袖が引っ張られるしかないのだが一色がいるときは違うから困るんだ。あいつあざといからわざと右隣に……じゃなかった。とりあえず別のことを考えるのはやめてさっさと対応を済ませてしまおう。
因みに、袖を引っ張るなんて真似雪ノ下は基本しない。由比ヶ浜もあざとい訳じゃないのでそこまでする事はないが必要に駆られると躊躇いも無くやってくる。ホント無邪気さも罪だ。
「ん?」
変に声を出してもあれだったので由比ヶ浜のほうを一応『何だよ、面倒臭い』というニュアンスを伝える為に怪訝そうな目で見ておいた。気付いてくれるかな。
「んっ」
『ん』ばっかりの会話でしりとりだったらすぐに終わりそうだった。因みに『ん』から始まる言葉もあるのでぜひ調べて欲しいがそういうのを知ってるからってしりとりをやりたがる奴は大抵がうざい。ソースは小町。無駄に知識を得た時が人間、一番うざいのだ。戸部はデフォルトがうざいから例外だけど。
雪ノ下と由比ヶ浜は、俺にちょっと来い、という合図を出してきた。きっと何かしら話すのだろうと予測は出来るのだが問題は茅ヶ崎だ。こちらが話している事を勘付かれて面倒なことになる可能性もあるしここはささっと終わらせるべきだ。
本当は、女の子に近づくのはあまりよくないと思うのだが躊躇っていてもしょうがないので雪ノ下の席の出来るだけ近くに座りなおす。
「あまり余裕もないから、詳しくは後で話すけれどとりあえず今は、簡易的な会議をするわ。議題は彼、茅ヶ崎くんについて。先生は更生は後で、という方針にするようにおっしゃっていたけれど私が思うに彼は出来るだけ早く更生するべきだと思うの。だから、依頼を聞きながら彼についてある程度把握するわ」
論破されかけたのが相当悔しかったのか自分たちの事は知られていて相手の事は全くといっていいほど分からないのが癪なのか、定かではないが雪ノ下はさっさと話を進めていく。
「比企谷くんにかなり信頼を置いている珍しい人のようだし不安ではあるけれど、不安しかないけれど比企谷くんは、依頼内容を聞いて」
「ちょっと? さっさと終わらせるべきところでわざわざ皮肉を入れないでもらえない? まあ俺も依頼聞くっていうのは不安だが雪ノ下や由比ヶ浜の方が危険な気もするしな」
本当に雪ノ下さんは皮肉を考えることに関してはすごい。勿論上司としての能力も素晴らしい部分があるんですけどね。ただ上司が怖いと鬱になって会社を辞めてものすごくニートになりたくなっちゃうじゃん? じゃんっていわれても知らない? ああそうですよね。大丈夫俺が可愛いと思う方言を使っただけだから。
「でも、勿論不安な点もあるわ。だから私は彼の観察に回るけれど由比ヶ浜さんには比企谷くんのサポートをお願いしたいのだけれど、いいかしら」
「うん、ゆきのん任せて」
小さな声で話してるっていうのにやたら大声で胸をばしんと叩いて由比ヶ浜が言った。こいつは本当に馬鹿なのだろうか。胸を叩いたら胸に目線がひきつけられちゃうでしょ? いや、別に大きいからって訳じゃないですよ?
「なんかいつもと完全に役割分担が違うな」
目線が吸い込まれているのを隠すために思いついた言葉を口に出した。
でも、実際そうだ。いつもは雪ノ下や由比ヶ浜が依頼を聞く。勿論、由比ヶ浜がサポートに回ることも間々あるが由比ヶ浜がメインで聞いている、ということも多い気がする。聞いている、というより雪ノ下と依頼人との会話を回している、というほうが正しいか。まあ、由比ヶ浜の所属するグループや由比ヶ浜の知り合いなどなど由比ヶ浜に関係する奴が結構依頼をする、というからということもあるのだろう。事実、材木座のときは結構静かだったし。
「今までとは全く違う状況だし由比ヶ浜さんにも随分頼れるようになったから……」
頼る、という言葉をぼっちは恥じる。理由は色々あるがどうにも頼るって言葉を安易に使いたくないのだ。協力とかも同じ。協力、助け合い、支えあい、フォロー、頼る。そういった言葉を使う事は恥ずかしい事で弱くなった証だと感じる。だが、雪ノ下がほんの少し恥ずかしそうにしていたのはぼっちのそれとは違う、照れに似た感情に思えた。
「ゆきのん……」
目をウルウルとされる由比ヶ浜は、まんま犬だった。などといえる訳がない。茅ヶ崎も俺たちが作戦会議をしているであろうことは、分かってるんだろうしさっさと戻ったほうがいい。
俺が戻ろうとすると雪ノ下がどこか不安そうにこちらを見てきた。いや、俺が依頼を聞くっていうのがそんなに不安ですか? 一色とか材木座の時は俺が依頼聞いてるときもあるしそんなに不安がることないですよ。
まあ、おそらくそういう意味での不安ではない。きっと由比ヶ浜のように素直になりきれなくて言葉を失う時間が短かったからといってさっきの茅ヶ崎の言葉が堪えていないわけじゃないのだろうと思う。俺にとって雪ノ下や由比ヶ浜は足枷。その言葉は重くのしかかってくる。
(大丈夫だ)
心の中でいくらそういったとしても伝わらないのだろう。心の中まで理解して欲しいと願ってウいるわけじゃないし言わなければきっと伝わらない。どんなに気恥ずかしい言葉でもどんなに言うのが辛いことでも言わなければ伝わってはくれないのだ。言っても伝わる事は少ないけど。
俺が戻ってから雪ノ下が軽く咳払いをした。おそらく始めろ、という合図なのだ。
「えーと、じゃあ依頼を聞くけどお前は何を頼みたいんだ?」
どうにも慣れない会話の始め方は流石ぼっちだろう。というか形式的に会話を始める、というのにどうしても違和感を抱いてしまうのだ。他の奴らの方がおかしいだろ。形式的じゃない会話をあまりしたことがないのだがそれでも雪ノ下や由比ヶ浜、材木座や戸塚など俺の周囲の人間との会話って言うのは少なからず自然なものがある。勿論それだって型にはまって薄ら寒い部分があるのだが見ず知らずの人との会話や発言が予測しにくい陽乃さんとの会話なんかはもっと恐ろしい部分がある。きっとこれは俺がコミュ障ってわけじゃ無いと思うんだ。
「そうですね。ではお話します」
そういってから咳払いをして茅ヶ崎は依頼内容を伝え始めた。
「去年、あなた方はクリスマスイベントに協力してくださったんですよね? 一色先輩が比企谷先輩に頼んでそこから奉仕部にまで渡って手伝っていただいた、という風に聞いてます」
ああやっぱりクリスマスイベント関連だよ。嫌だなぁ。海浜高校の生徒会長、代わってないとマジで意識が遠くなってしまう。何なら高くなってしまうまである。意識がハイになって高いところに行く。
「ああ、まあそうだな。色々その間に事情がないこともないが端折ればそういうことになる」
実際は、奉仕部に持ち込まれた依頼を俺が勝手に俺だけで受けることにしてそのくせ色々上手くいかずに結果的に奉仕部に持ち込むことになった。つまり俺の責任である。ちっ、あの頃の事は思い出しただけで自分に腹が立つ。
「それで、なんですけど今年のクリスマスイベントも協力してくれませんか?」
勿論、その言葉は予測されていた。何度も何度もこの時期に来る依頼でそれに生徒会副会長という肩書きまで持っている茅ヶ崎からのものだ。クリスマス関連な訳がないと思う。だが、それと共に俺が先程まで考えていなかったポイントが幾つか存在する。
第一に、小町は忙しそうな素振りを見せていたか、ということだ。俺だって兄の端くれ。どんなに推薦を取る為に勉強していても小町の様子くらいは確認できる。ましてこの数日は暇だったし小町とも話す機会があった。そしてその時は何ら仕事をしている様子はなかった。部屋に篭る訳でもなかったし普通に料理だって作ってくれた。俺の作った似非とんこつラーメンに文句をつけられる程度には元気だったし小町の作った料理も中々美味かった。
第二に、まだ時期が早いんじゃないかという点。あまり記憶は確かではないのだが去年、一色は結構粘っていたはずだ。それ故に手がつけられない事態に発展したというのもあるのだがこんなに早い時期に助けを求めるだろうか。今日は十二月一日。去年、修学旅行やら生徒会長選挙やらで忙しかったのにそこまで早い段階で頼まなかった訳だし安定して早めに生徒会が決まった今年に去年より早い段階で助けを求めるというのはおかしい気がする。勿論一色の経験則としてやばいと思ったら早めに奉仕部に持ち込んだ方がいい、という方針なのかもしれない。だが一色自身あまり迷惑をかけまいと思って体育祭でやばいときも俺たちには相談しなかったのだ。すぐに箒するというのは考え難い。
第三に、じゃあ何故茅ヶ崎が依頼に来たのだろうか、という点だ。勿論、茅ヶ崎が一色に頼まれて伝達役としてきた可能性も捨てきれない。だが携帯の所持が許されている総武高校でわざわざ伝達役を立てる必要性は皆無だ。雪ノ下や由比ヶ浜のメアドを一色か小町が知っている訳だしそちらの口から伝達をすればいい。メールで打っといてとでも言えば一色や小町が手を離せなくても使いを送る必要性はない。それに、一色や小町。即ち生徒会による指示ならば先にそういえばいい。そうすれば最初に更生云々と話をする必要もなかったはずだ。平塚先生に案内される必要もなく来れるだろうし平塚先生だって事情を汲んでくれるはずだ。あの先生は大概アバウトだがしっかりと生徒を見ている。少なくとも幸せそうに結婚を語る生徒以外は。
それらの事を一気にまとめて出た結論は単純明快。『何故?』だ。問いが出来たのならば後は依頼者である茅ヶ崎に問えばいい。
「どうして手伝いが必要なんだ?」
「ヒッキー、そんなの状況的に不味いからに決まってるじゃん」
俺が真剣に問いを放つと瞬時に由比ヶ浜が俺の耳に口を近づけていった。なんかさわやかな匂いほのかに香って……じゃないじゃない。何でこいつはこんな無邪気な行動ばっかしてんだよ。確信犯なんじゃないかと疑うぞ。
「考えてみろ。今年は、去年と違って生徒会が早い段階で決まってた。それに俺の妹で要領のいい小町まで書記として生徒会にいる。何より海浜高校と合同でも一色の経験不足で困ることがないはずだ。一色は対人スキルに於いては優れてるし雪ノ下が去年、容赦なく斬ったからあっちの生徒会だってかなり大人しくなるはずだ。バレンタインのイベントを思うと意識の高さは相変わらずだがあっちの生徒会長は三年生だから受験のはずだ。なにより一色は体育祭の時にやばいことになってぎりぎりの時でも俺たちに相談しなかった。そこまで粘れるぐらいにしっかりした生徒会長になった一色がまだ十二月が始まったばかりのこの時期に俺たちに協力を仰ぐとは考えられない。下手したらまだ、イベントの準備自体始まってない可能性もあるしな」
あまりに長文を喋って口の筋肉が筋肉痛を起こしそうになったがとりあえず噛まずに言えたので自分を褒めたいと思う。って言うか褒められるべきじゃね? ここまでの思考をあれだけ短時間で考えたんだ。やはりぼっちは思考の達人である。
「なるほど……流石です、比企谷先輩。そこまで考えるのは中々難しいですからね。やっぱり、お二人は足枷になってるだけでしょうか?」
またしても落とされた爆弾。あまりにも唐突で一度落ちてきたというのに全く予想出来ない。茅ヶ崎は、そんな奇襲を笑顔でやってのけるから恐ろしい。どこかの怖いお姉さんみたいだなぁ。本当に性格が似すぎて怖い。目の腐り方がいい味出して更に威力を高めててマジでやばい。
「ぐ……言ってるだろ? そんな事はない。それより、さっさと質問に答えろ。俺は働く気はないんだ。さっさと済ませたい」
「働く気がない……ですか。何だかんだですっごい働いてるんですけどね。そうやって働きたくないとかぼっちとか言ってるのに何だかんだで働いて周りに人もいて……あの頃の先輩はいなくなったんですね」
茅ヶ崎が惜しんだ過去の俺は、強かったのだろうか。過去を振り返れば後悔で死にたくなるから以前の俺がどうだったのか、なんてはっきりと振り返りたくはない。でも。少なくとも過去の俺はきっと、信念を持っていたのだろうと思う。今はもう、剥がれ落ちてしまった俺の大切な信念をまだ持ち合わせている俺にもしこいつが憧れたのなら今の俺を見た茅ヶ崎が絶望するのもしょうがないように思える。全ては俺の弱さが原因だ。
「まあ、いいですよ。これ以上考えてもしょうがないですから」
その声色は諦めと絶望が混ざっていた。絶望してくれる、ということは期待してくれたという事だから本当に苦しい。たとえば絶望とかじゃなくて案の定駄目か、という悲嘆だったらどれだけ苦しまずに済んだのだろうか。きっとその差は歴然だっただろう。
「では、順を追ってお話しましょう。まずクリスマスイベントですがそれについてはもう始まっています。勿論、それは水面下で進んでいるというわけじゃありません。今年は、スケジュールの関係で少し早めに始まったんです。先週ぐらいからでした。海浜高校と共同で行うという点も去年と変わらず、むしろ去年と変わっているのはお互いの生徒会の面子ぐらいのものです」
始まってから一週間、か。早いような遅いような微妙な感じだな。確かに一週間すればある程度状況は、把握できるだろうし状況が把握できれば助っ人が必要かどうかの判断も容易い。何ら矛盾はないので話を邪魔することなく黙っておく。
「ただ、その面子がやや面倒なものだったんですよ。海浜高校の生徒会っていうのが去年とは全然違う面子でかなり厄介でした。いや、面子以外にも色々と厄介な事がありました。何でもあちらの学校で少々事件が起きていて警察沙汰じゃないにせよ生徒会がやらなければいけない領域の事らしいんですよね」
「事件? 警察沙汰じゃないとなると人間関係かしら?」
俺が気になったポイントでちょうど雪ノ下が話を止めた。やはり目の付け所は同じようだ。
「いえそうではないです。まあ、人間関係に関わるものではあるんですけど部活の備品が盗まれるらしいんですよ。気付くとなくなってるんですけどなくなった翌日には必ず赤い何かと一緒に発見されるらしいんです」
なんだそりゃ。どこの推理小説だよ、馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいのだが……まあ生徒会が手を出さずに済ませられることでないのも確かだ。だがまあ、このタイミングか。厄介だな。
「勿論、そちらの事件に関与するほど俺たちも暇じゃないですけど問題はあっちの生徒会が其の事件に人員を割いたせいで中々決が取れないんですよ。多数決をしてしまえば決まる点に於いても決められずに結局意見を広げるしかない。海浜高校の校訓なのか知らないんですけどやたらと意見を広げたがるんですよね」
なるほど。状況は把握できた。要するに純粋な人員不足ってことだ。確かにこれならどうしょうもないかもしれない。海浜高校の問題が含まれてるからこっちだけじゃ如何する事も出来ない。だが、それなら俺たちに相談したって無駄なはずだ。
「問題ってそれだけか?」
「いえ、むしろこれは一面でしかないですね。これだけならあちらを論破してしまえば言いだけのことですしその程度で相談しません。幾つかあるんですけど大きいのはあちらの生徒会の面子ですね。そこが大きな問題の一つです」
俺たちの前に人差し指を立てた。一を意味しているのだろう。
「あちらの生徒会長さんが面倒な方なんですよ。全く進行をせずちょくちょく『周りの他人と話し合って意見を出せ』って言う方でして。えぇっとほら、去年の文化祭の実行委員長の相模先輩にそっくりなんですよね」
相模南。その名前には結構なトラウマがある。文化祭をはちゃめちゃにされてその後、俺を標的に悪意を向けてきて体育祭でもひやひやさせられた。一時、クラスの空気が悪くなってかの女王三浦が奉仕部にメールを送ってきた時もあった。まさか、あんな人物に似た奴が生徒会長になれるとは思えないのだが玉縄のことを考えると内輪ノリで選ばれる事があるのかもしれない。
「ああ……」
「それは……」
雪ノ下も由比ヶ浜も『それは大変だね』といえるほど鬼じゃない。雪ノ下は相模を成長させようとあくまでも奮闘したし由比ヶ浜は一応友達らしい。友達に一応も何もあるのか気になるのだが別に本人が言ってる訳じゃなくて俺が勝手に一応をつけてるだけなので聞けるはずもない。聞いたりしたらそういうことを聞くなと怒られる。
だが雪ノ下も由比ヶ浜も言わない、その甘さに茅ヶ崎は悲嘆しているのだ。救えていない。救った気になっているだけというのはそういうことだ。彼女らのそれはきっと気遣いである。何より今は、そこまで酷く無いと信じているのだろう。その証拠に体育祭では、一応しっかりとことを終わらせられた。雪ノ下たちのサポートはあってもしっかりと人間関係も整理して終わらせることが出来た。しかし、それは欺瞞なんじゃないだろうか。
常にチャンスが与えられている訳じゃない。むしろ与えられないほうが多い。何よりチャンスが人によって回数が違うのなら印象というのは一度の失敗でのみ付けられるべきだ。そしてそのチャンスで相模は失敗した。大失敗した。雪ノ下が信じたからチャンスが与えられただけでそうでなければもうチャンスなんか与えられずただ俺に敵意を向けただけだろう。俺が、相模を救う最善策をとったことに気付くはずもなく体育祭の実行委員をやるか問われた時に俺を睨んだのがその証拠だ。
「そうだな。それは酷い。でも、一色だってしっかりしてるんだし今年は二年生だ。去年のように後手に回る事もないし雪ノ下の教育だって受けた。小町だっている。小町も一色も人に合わせる要領を兼ね備えているやつらだし空気に呑まれる事も確かにあるが俺や雪ノ下みたいな空気を読まない奴が周りにいて過ごしてきたんだ。そこまで酷い状況にはならないんじゃないか?」
勿論、一色が雪ノ下みたいにズバズバものが言えるかといえばそれは否であろう。小町だってそうだ。だが、それでも不味い状況になりそうだって予想は出来るだろうしそうしたら声をあげることぐらい出来るはずだ。小町だって俺の去年の動きを見てきた。空気呑まれた集団がどうなるのか、しっかりと理解できているはずだ。それでも手がつけられないなら相当だ。正直、そんな状況なら今の奉仕部がどうにかできるとは思えない。それほどまでに俺が弱くしてしまった。
「勿論、そうでしょうね。ただ、あちらの参謀っていうんですかね。副会長がかなりのやり手なんですよ。それはもう憎たらしいほどに。一色先輩が何か言うとあちらで起きている事件を武器に回避、方針転換を進めると全員の承諾がないと進められないからそれは承知できないと跳ね返してくるんです。一色先輩も比企谷先輩の妹さんも疲弊しきっていて」
小町が疲弊? そんな素振り一切見せなかったぞ。兄スキルの高い俺だ。どんなに隠していても困っていたり悩んでいたりしたら見ただけで分かる。……そう思ってたんですけど違うみたいなんですよね、はい。お兄ちゃん悲しい。
「小町ちゃん、言ってくれればよかったのに……」
由比ヶ浜が後悔を滲ませながらつぶやいた。その言葉に滲んでいる後悔は気付いてあげられなかったことへの後悔、相談しやすい状況を作ってあげられなかったことへの後悔など色々な種類のものがありそういうところで後悔して自分を責めるのが由比ヶ浜らしいと思った。
だが、今回の依頼人である茅ヶ崎は由比ヶ浜の言葉を聞いた瞬間、表情を変えた。
「……由比ヶ浜先輩。それって結果論じゃないですか? 事実、先輩方も人生が掛かっていたんですから言われても困りましたよね? 終わったから余裕が生まれて、それをあたかも前からあったもののように捉えてるだけの傲慢ですよね?」
「え、ああ……いやそういうつもりじゃなかったんだけど」
「そういうつもりじゃなくてもその言葉を使ったらそう聞こえてしまうんですよ。つもりかどうかなんて聞き手にとってはどうでもいいことですから」
茅ヶ崎は、由比ヶ浜を論破して見せた。というか、勝負にすらなっていなかったのだろう。由比ヶ浜は確かに成長して自分の気持ちを言えるようになった。だが、俺は思うのだ。人は変われないのだ、と。変わるとしたらそれは何度も何度も失敗して自分を戒めて本能的に回避行動が発生するだけだ。少なくともそれを変わったとは言わない。由比ヶ浜の変化は、変わったというものではない。ただ、出来ることが増えたという表面上のみの変化。数学が少し出来るようになったとか公式を覚えたとかそういうことでしかない。
由比ヶ浜の本質は優しさにある。無論、由比ヶ浜=優しいとつなげるのは失礼だし傲慢だ。それは分かっているがそれでも深いところに優しさがある。それは、他人に対してもそうだし自分に対してもそうだ。
一方茅ヶ崎の本質は、まだ完全には分からないが少なくとも由比ヶ浜よりは勝負向きである事は確かだといえる。雪ノ下相手にあれだけものをいえるんだからな。雪ノ下でさえ論破されかけたのだ。由比ヶ浜が勝てるはずがない。
「でも、まあそうだな。家族の俺でさえ気付かなかったってことは小町は、随分と上手く隠したって事なんだろうな」
「そうですね。一色先輩も妹さんも結構頑張ってましたからね。上手く隠して迷惑をかけないようにしようってそればっかりに目を向けてましたから」
茅ヶ崎の言葉は、一つ一つが俺に対してのみ向けられている言葉に感じられた。さっきまで由比ヶ浜に話していたこともそうだし雪ノ下と話していた時だってそうだ。全ての言葉を俺に向けて放っていて何か目的があるように感じてしまう。それ故に俺に放った言葉は他の言葉よりも鋭く鈍く俺に突き刺さる。
「……そんな欺瞞に価値なんてあるはずないんですけどね」
無造作に突きつけられたその言葉が俺の心臓を抉った。あくまで、じっくりと水がたれるのをゆっくり待つような速度で俺の心臓を抉った。心臓の律動が狂い始めていた。
きっと、俺だってそんなこと分かっているのだ。一色や小町のように相手を気遣って言わなければならないことが言えなくて。それで気遣われた側は、相手のかけてくれた気遣いを求めてなんかいないのだと傲慢にも言い張って何故言ってくれなかったのかと責め立てる。そんな、気遣いというなの化かし合いまみれの欺瞞に価値なんかあるはずがない。だが、少なくともそれは本人達が気付くべき者であって外部の人間が口にして言葉では無い気がした。
「他になんかあるか?」
だからといって俺が茅ヶ崎に文句を言ったり正したりする資格があるとも思えない。俺が欺瞞の中心にいて欺瞞を作り上げている張本人のうちの一人なのだから言えるはずがない。
「あー、そうですね。ありますよ、もう一つかなり厄介な問題が」
俺が話を逸らしたことに少し怪訝そうな表情を浮かべた茅ヶ崎だったが元々話を逸らしたのは茅ヶ崎だ。由比ヶ浜に突っかからなければいいだけの話だったしそれで突っかかったのだから茅ヶ崎が文句を言うことは出来ない。
「怪盗サンタクロースです」
急に怪盗だのサンタクロースだの訳の分からんことを言い出したのは、茅ヶ崎だった。これが一色だったら『はいはいあざとい』で済んでたし小町なら『はいはいあざと可愛い』で済んでいたはずである。因みに戸塚なら『おお、マジ可愛いとつかわいい、超天使まじとつかわいい』となっていたはずだ。いかんいかん、戸塚の事を考えるとそれだけで心がぴょんぴょんしちゃう!
「え?」
「は?」
俺と由比ヶ浜が揃って小馬鹿にしたような声を漏らしてしまった。戸塚の可愛さに涎が垂れそうになったから口を拭いたら漏れてしまった。やばいやばい。徹底的にやられるんだろうか。
「えーっと茅ヶ崎くん? それは何?」
雪ノ下が唯一冷静に茅ヶ崎に質問してくれた。この中だと一番、依頼を聞く役割に遠く茅ヶ崎を観察する役割の雪ノ下に聞いてもらうって俺たち不甲斐無さ過ぎる。これだから不安しかないとか言われちゃうんだな。
「あれ? ご存知ありませんでしたか?」
「え、ええ。そうね。知らなかったわ」
茅ヶ崎が聞き返してくるので雪ノ下は流石に驚いたのか戸惑いながら返事をした。もしかして有名だったりするのだろうか。いや、でも由比ヶ浜なら知ってる可能性があるんじゃないか? 受験云々で忙しくても三浦たちと話してるんだし。
「あたしも知らなかった」
だが、由比ヶ浜も知らなかったらしく雪ノ下に倣って知らないことをアピールする。おや? これは俺もわざわざアピールしなきゃいけない感じなのか? 自己アピールの出来ないぼっちですがここはしっかりと乗り越えないと。
「俺も知らな――――」
「本当に知らないんですか? 比企谷先輩」
……八幡、マジで泣きたい。何で俺が折角、意思表示しようとしたのに邪魔するんだよ。ぼっちはピュアなのよ? 授業中に指されて答えを言おうとして頑張って声を出した矢先に教師に分からないものだと勘違いされて別の人に解答権をまわされて傷つくレベルにはピュアなんだぞ?
「え? いや、そうだな……俺の優秀なる海馬に聞いてみるか」
茅ヶ崎の冷たい声に嚇されたらさしもの俺でも考えない訳にはいかない。押して駄目なら諦めろを座右の銘にしている俺だが考えないといけないときぐらい分かる。
俺は記憶力にはかなり自身がある。誰もが忘れているような些細な会話の内容まで覚えていて、一色や雪ノ下、由比ヶ浜に驚かれて蔑む目で一瞬見られたことがあったくらいだ。いや、本当に一色が誕生日をアピールしてたのにそれを覚えてた俺が驚かれるって理不尽過ぎる。
俺の優秀なる海馬に何度か尋ねてみる。怪盗サンタクロースと言う単語だけで調べるだけじゃなく怪盗という単語やサンタクロースという単語までありとあらゆる記憶を呼び起こす。怪盗サンタクロースなんていうインパクトの強い名前なら俺が覚えていないはずがない。
「比企谷先輩も持ってるはずですよ? 俺が渡したので」
茅ヶ崎がヒントを俺に言ってくる。持つ。渡す。それらを分析するに物である事は間違いない。人だったら渡すとは言わないはず。小町がたまに『兄をお渡しします』とか言ってるけど。
「物……怪盗サンタクロース……」
そもそも、サンタクロースなんて俺には縁のないことだ。小町と密かに祝う程度だが小町だってもう信じてくれないからサプライズも出来ないし父親が社畜と化し、ママンとパパンの仲が高齢夫婦みたいになった我が家ではクリスマスもわびしいものにしかならん。なので小町へプレゼントを買ってやるくらいしか楽しみがない。
物、といっても俺が誰かに物を渡されるのなんてほとんどなかったはずだ。俺が、という風に茅ヶ崎が言っているのだから高校以降ではない。おそらく中学校だ。小学校は、必要なもの以外持ってきてはいけないといっていた。だが、中学校で渡されたものなんて数えるぐらいしかない。勿論罵声とかはあったからあれだが『物』とカテゴライズするならばそれは限られるはずだ。
「――――あっ」
そこまで考えが至った時、やっと思い出した。あれを渡された頃は折本に告白しようとしていた頃だったのですっかり記憶に埋もれていたが思い出してみると確かに渡されたことがあった。そして多分それは今もある。
端的に言ってしまうとそれは文芸部から貰った小説だ。しっかりと製本されており文字数も通常の小説並みにしっかりとあったはずだ。そこまで内容が面白かった訳ではなかったが語り口が中々気に入った記憶がある。
「そうか、あの時、本を渡してきたのがお前だったのか」
「そうですよ。文芸部って部員が少なくてもやれるんで俺一人で製本までやって比企谷先輩に私に行ったんですよ。翌年の文化祭には先輩、いらっしゃら無いと思いましたから」
確か、あれはクリスマスの夜に大事なものを奪われる人々の話だったか。どんな奴が書いてるのかと思ったがまあ、茅ヶ崎が書いているのだったら納得だ。材木座より駄文でもなかったし。ただそれがどうしたのかが正直分からない。小説をネタにゆすられてるとかそういう口なのか?
「で、その怪盗サンタクロースがどうしたんだ?」
「ああ、それはですね――」
「ちょっと待って。何の話なのか全く分からないのだけれど」
俺が話を進めようとすると既に役割を忘れかけている雪ノ下が進行を止めた。何だよ? とジト目で見ると一生許されずにやられそうなので心の中で思っておくのに止める。でもまあ、由比ヶ浜と雪ノ下は知らないはずだし止めるのもしょうがないか。流石に知るはずのないものを知らないからって責めるほど惨い人間じゃない。
「そうだな。簡単にいうと茅ヶ崎が俺の中学で配ってた小説の事だ。ヒューマンドラマ系って言うやつだな。多分家にあるから明日にでも持ってきてやるよ」
俺の部屋に小町が入る事は殆どなくなったので俺が捨てていなければ捨てていないはずだ。専業主夫を志望しているだけの事はあって部屋は整っているし去年の終わりに掃除をしてから俺は部屋を散らかしていない。他人に本を貸すというのには勿論抵抗があるが雪ノ下のような奴なら問題ないだろう。
「上から目線なのが癪だけれどそうしてもらえると助かるわ」
「了解」
もしかしたら雪ノ下は人にものを借りるのを嫌うのではないかとも思ったが意外にもそういう訳ではないらしい。これも成長ということなのだろうか。
「ゆきのん、あたしも一緒に読みたいなぁ。ヒッキーが持ってきたらゆきのん家で、一緒に読もうよ。ね? いいでしょ?
「え、えぇ。そうね」
由比ヶ浜と雪ノ下は依頼人がいても相変わらず百合百合しいなぁ。もうね、何が百合百合しいかって本を一緒に読むってどうやるんだよ、絵本じゃねぇんだぞって場面でもナチュラルに受け止めているのが百合百合しい。いやいや、本当にどうやって読むんだろうか。
「おい、百合ヶ浜間違えた、由比ヶ浜。言っておくが絵本じゃないからな? 文字がたくさんあるんだぞ? 読み聞かせしてもらえるようなものじゃないんだぞ?」
「なっ、そんなの分かってるし。馬鹿にしすぎだから。読み聞かせしてもらうつもりないし文字たくさんある本も普通に読めるし」
「お前が読んでるのはあれだ。海老名さんに借りたラノベとかそういう偏ったやつだろ? ラノベでさえ文学的に偏ってんのに海老名さんセレクトなんだから普通に読めるとは言わない」
俺の記憶じゃ海老名さんが由比ヶ浜にラノベを貸していたはずだ。由比ヶ浜たちのクラスは葉山もいて目立つからどうしても目に入る。そうするとぐ腐腐という笑い声が聞こえてくるんだな、これが。それで見ると大抵由比ヶ浜が本を受け取ってる。同人誌ではないっぽいからマシ何だけどそれでもかなりやばいセレクトだ。おそらく18禁描写も含まれてるだろって感じ。
「え? 何でヒッキーそれ知ってるの?」
的確に突っ込みを入れたはずだったのだがどうやら突っ込みとしてカウントされず、むしろ俺が土つぼにはまってしまったようだ。いやはや、これはマジでピンチですな。あははは……ああ、マジで恥ずかしい。ちょっと前の俺、マジで死ね。
「あ、いや、何ていうかほら、戸部と話してるし……」
何とかダメージを最小限に抑えたい一心で搾り出した言い訳が戸部というのは不甲斐無い気もするが戸部っていい奴だし俺のために盾になってくるはずだ。下駄箱にゴミが入ってたときも身代わりになってくれたし今回も見事身代りになってもらおう。
「え? 戸部っちにそんなこと話してないんだけどな……」
あれ? 駄目だった。ったく、戸部はやっぱり戸部だな。この見事に役に立たない感じは本当に戸部ってる気がする。童貞風見鶏が言ってた言葉をぱくったんじゃない。他人のネタをぱくる程俺はボケ専門じゃないしむしろクールだし。
「まああれだろ。戸部は海老名さんのこと好きだしな。きっとそのせいだ」
「ん? んん、まあそうかな?」
まだ納得いただけてないようで首をひねっていらっしゃるのだが俺的には、話を逸らしすぎていると感じているのでさっさと先に進めたい。さもなくば時間がなくなってしまう。時は金なり。逆説的に考えて自由な時間をなくして働く事はお金を捨てるようなもの。俺は絶対に働かない。働いたら負けだ。
俺が不働の決意を硬くしていると流石に痺れを切らしたのか茅ヶ崎が口を開く。
「いいですか? さっさと話したいんですが」
若干苛立ちが混ざっているその声を聞いて由比ヶ浜も依頼が来ていることを思い出したのかそれ以上の追求をやめた。ラッキー。俺的にはこれ以上の追及は厳しいのでマジでうれしい。だがこの俺得な状況でも奉仕部的には依頼者を怒らせているので不味い状況だ。
「ああ、すまんすまん。で? 怪盗サンタクロースがどうしたんだ?」
こういう時は場をリセットしてしまったほうがいい。マルチプレイが出来ない俺はゲームでも無理ゲーだと感じたら一度リセットするしかないしそれと同じ原理だ。下手に場の空気を浴するくらいならリセットしてしまったほうがいい。人生はリセットできないがそれ以外は大抵リセットできるのである。
「簡単にいうとあの怪盗サンタクロースみたいなことが実際に起きてるんですよ。先日、実行委員会に予告状が送られまして。ここにその予告状があります」
茅ヶ崎は、そういうとバッグから靴下の形に切られたカードを出した。それは、怪盗サンタクロースで使われている予告状そのものだった。クリスマスに使われるツリーのマークに重なるように笑顔のマークがかかれていて幼稚園や保育園で使われそうな幸せな模様だ。
だが、怪盗サンタクロースを一度読んでいるものからすればこれは結構トラウマな模様だ。うろ覚えなのだがあの模様は確か大切なものがもう帰ってこないという意味を持っているはずだ。ツリーに重なるように笑顔がかかれているのは笑顔さえクリスマスに奪われてしまった、ということを象徴している。
「これなんですけどこれに書いてあるんですよ。『クリスマスイベントの日、そのイベントに関わった人から標的を選んでその人の大切なものを頂きます。怪盗サンタクロース』って」
何ともありがちな予告状である。もう、こういうことをする奴の気が知れない。そもそも怪盗を主人公にするから予告状がないと派手じゃないってだけで自分が怪盗だったらリスキーなことする必要はゼロだからやらないだろ、普通。
「はぁ……なんというか」
「ホント、なんかすごいべたなんだけど」
雪ノ下と由比ヶ浜の二人は、予告状の文面に中々納得いただけない様子だ。まあ、こういうのは王道以外に考えにくいしね。二人の意見が正論なら作者たる茅ヶ崎の意見も正論だ。だが、二人は重要なことを忘れている。怪盗サンタクロースの作者、茅ヶ崎が目の前にいるのだ。
流石にキレるかなぁ、と様子を伺っていると茅ヶ崎は喋りだした。ああ、やっぱり怒られる。
「まあ、しょうがないですよ。実際、怪盗サンタクロースを書いた時点でべたでしたし俺、そういうのにどうにも疎くて」
「うん、でもそうね。こういうのは怪盗系が得意な人のやることだけれど今回に限って言うとモデルがあるわけだもの。ありがちかどうかは気にするポイントではないし犯人を捜す決め手にもならないわ」
事実だろう。もしモデルがなければマニアックな予告状かそうでないかである程度判断することが出来たはずである。だが、怪盗サンタクロースというべたな怪盗をモデルにしているのであればモデルを無視してマニアックな予告状を作ったほうが不自然というものだ。
「それで? お前は結局どうしたいんだ? この犯人を捕まえるっていうんだったら俺たちじゃないほうがいいだろうし」
まあ、俺たちが考えるべきは怪盗サンタクロースについてではない。依頼にそれが含まれるなら勿論考えるが依頼に入っていない可能性も考えられる。俺たちはあくまで問題を与えられて、それによって動くことが出来る。少なくとも俺は、そうでなければ動けない。
「勿論、この怪盗サンタクロースについては腹立ちます。俺の作った小説をモデルにして下手なことをするのはむかつきますがそれよりもこの予告状のせいでただでさえ参加率の低いあちらの生徒会がますます参加してくれなくなってるせいで普通にピンチですから。でもそれよりも依頼したいのは、クリスマスイベントの手伝いです。まとまらないお互いの生徒会をどうにかしてまとめないと手の打ちようがないですから」
俺の問いに茅ヶ崎は、淡々と答えた。腹立つ、と口にで言っていても全くそんな気配が感じられなかった。意図してそういう喋り方をしているのか、元々そういう喋り方なのか分からない。陽乃さんの知り合いって事を考えると特訓の末後者になったってパターンも考えられる。
「あーそっか。でもあたしたち三人だと逆に気まずくしちゃうかもよ?」
由比ヶ浜さん? それは私のことを言っているのかしら、とでも雪ノ下が言いそうな感じだったがこれ以上話を逸らすのは雪ノ下的にも本意でなかったのか珍しく黙っていた。役割を思い出してくれたならよかった。こっちだって役割守ってくれないとひやひやする。
「いえ、それぐらいの方がいいですよ。去年みたいにずばっと言ってくだされば。俺はこれ以上あんな停滞した部屋にいたくないんで比企谷先輩に頼みたかっただけなので。クリスマスイベントも成功させたいですけど相手に流されていっちゃうだけだと生徒会としても申し開きが立ちませんからそっちを優先したいんです」
クリスマスイベントを成功させたい、か。本当にこいつはそう思っているのか? 正直、俺の目にはそうは見えない。きっと、これは俺と同じだ。文化祭や体育祭、クリスマスイベントだって明確な目的があって楽しいものにして成功させたいと思っていたわけじゃないのだ。ただ、漠然と目の前に課題が出されたからそれを忠実にこなそうと努力をしただけ。
きっと、成功させたいと思う気持ちは行動に繋がるのだろう。イベントのために成功させて楽しい思い出を作りたい。それはきっとものすごく正しいことなのだろう。だが俺や茅ヶ崎はきっとそういう正しい考え方とは外れたところにいる。俺たちはこういったイベントごとを課題として捉えてしまうのだ。やらなければならないという恐怖苛まれて駄目だったらもっと弱くなってしまう気がして。だから働かざるにはいられない。仕事として捉えるイベントと思い出の創造として捉えるイベントはきっと天と地ほどの差がある。
例えば今年の始めにやったバレンタインイベント。お料理教室だったか。あれは、企画段階から俺が参加し俺がお膳立てをした。そう陽乃さんは評してくれたし俺だってそう思う。だが、あのときの俺はどんな気持ちでお膳立てしたのだろうか。どんな気持ちでやったから陽乃さんや平塚先生、葉山のグループや海浜高校生徒会を巻き込んでイベントを作り上げられたのだろう。
あのときの感情が課題をこなさなければいけない、という漠然としたものでは無い気がする。一色がいて由比ヶ浜がいて雪ノ下がいて戸塚や材木座や陽乃さんや平塚先生。そんな風に色んな人がいる『今』を楽しみたいとそう思った自分がいたのではないか。
もしそうだとしたらきっとその方が事を成功に導きやすいのだと思う。
もしも、茅ヶ崎が俺を見て自分の軸を作ったのだとしたら言っておかねばならない。成功させたいと本当に思っていたほうが課題はこなしやすいのだ、と。だが、その『もしも』が勘違いだった事が今まで幾度とあった。だったら行動しないほうがいいのだという危機回避能力を身につけた俺がわざわざそんな真似をする必要もない。むしろしてはいけない。
誰かに何かを伝えて、なんてそんなのは強者にのみ許されることだ。
「なるほど。まあ良いんじゃねぇの? どうする? 雪ノ下、由比ヶ浜」
俺は、雪ノ下と由比ヶ浜に頬杖をついた状態で尋ねる。さっきまで読んでいた本は、バッグに入れたので手元には湯呑みぐらいしかない。そうすると手もちぶたさになるので自然に頬杖をついてしまう。現代っ子の悪いくせだと言える。
「……そうね。私は良いと思うけれど」
雪ノ下の賛成意見があれば部としての総意は、もう決まったも同然なのだが一応由比ヶ浜の意見も聞かなければならないのだろう。とてもじゃないが唸っている由比ヶ浜を無視して結論を出せる空気じゃない。まあ、前なら多数決で決まるって理屈が通ったが今は一色と小町もいるし多数決を引き合いに出すことが出来ないのでしょうがない。
「うーん……あたしも久しぶりにお手伝いとかしたいし去年のクリスマスイベントを思うと良いんじゃないかなって思うんだけど……」
いつも板挟みになっている故にそこまでずばずば言えていない由比ヶ浜だが、今回は随分と歯切れが悪い。っていうかその歯切れの悪さには心当たりがあるぞ。俺が掃除当番を押し付けられそうになって『いや、ちょっと今日は……』って歯切れ悪く言っちゃったら断ることも出来ずに結局やらされたんだったか。友達って言葉に歯切れの悪さが加算されるともう、断れなくなるんだよな不思議な事に。これ豆な。
「だけど? だけどどうしたのかしら、由比ヶ浜さん?」
雪ノ下が、唸っている由比ヶ浜に問いかけた。別段急かすように聞こえた訳ではなく答えを待つ母親のようなゆったりと穏やかな面持ちだった。なんかその裏にすっごい地雷を抱えてそうだからマジで怖いんだよなぁ、こいつ。
「えっとなんていうかちょっと不気味だなぁって思って」
由比ヶ浜は、何とか答えを搾り出したが、正直に言うと俺はそれが由比ヶ浜の意見の本質では無い気がした。何故そう思うのか、と尋ねられても明確に答えられる気はしない。由比ヶ浜の事をそんな何となくで理解できるほど俺はこいつと付き合いが長い訳ではない。
ただ、強いて言うならば俺も由比ヶ浜と同じように思っていたからなのかもしれない。
――――今の俺たちじゃ意味が無い。
それは、漠然としていて、それでいて残酷なまでに俺に立ち塞がっているのだ。きっとそれは由比ヶ浜も雪ノ下も同じだろう。全ては俺が招いた。俺が何かを変える事から逃げてこの半年以上の時を過ごしてしまったのがいけないのだ。俺の作った問題によって悩まされている由比ヶ浜を無視して、安易に了承してしまったのは不味いことだったのではないか、と後になって思った。
「あっ」
雪ノ下が珍しく幼げな声を出した。猫に触れ合う時のような純粋無垢で穢れを知らない声。その声は、雪ノ下も由比ヶ浜が歯切れ悪く了承しかねている理由に気付いたことを教えてくれた。
雪ノ下は、俯いた。少し早めに出てきているほのかな月光が俯いた顔に反射して光っていた。そのおかげで雪ノ下がどんな表情で俯いているのか普通以上に読み取ることが出来た。
何より、そのおぼろげな表情が、俺の失ったものの大きさを残酷なまでに刻んできた。