自意識の化け物のせいに出来るはずもない。俺は自分で考えただけだ。数少ない手札を切り、効率化を極め、最善を尽くした。形にしなくても、声に出さなくても、言葉にはならなくても。俺には確かな信念があった。それを失くしてしまったのも最善を尽くしてそれでも届かなかったのも最善を尽くすのをやめてしまったのも、全て俺だけがやったことなのだから誰かのせいにする気はさらさらない。既にぼっちと程遠いところに来てしまったかもしれない俺でも、助けてくれる人がいないことだけは変わらない。手札になって支えてくれる人間は確かに居るがそばに寄り添って救ってくれる人間は居ないのだ。だから、自分の失態は自分で取り返すべきだ。
「はぁ……分かった。じゃあ、始めは俺だけが手伝う。まだ時期は早いから俺一人でもどうにかなるって可能性もあるしな」
俺は、頬杖をつくのをやめてポケットから携帯を取り出した。カレンダーとかいう機能を追加した事によって便利になった暇つぶし機能付き目覚まし時計(大天使戸塚交信用)は、更に活躍しているのでカレンダーにスケジュールでも記入しておこうというだけのことだ。あと、由比ヶ浜と雪ノ下に目を合わせたくなかった。
「え? ヒッキー、それは……」
それ以上は、口にするな、と叫びそうになった。それ以上口にする事は去年を思い出すことに繋がるし何より被虐的である。そして何より、俺自身がそれを望んでいなかった。
「大丈夫だ。前と違ってやばくなったらすぐ言うしそれ以前に毎日こっち来て報告をする。俺たちで依頼を出来るかどうか、見定める程度だと思ってくれればいい」
ループもののライトノベル。特に毎回記憶を失うタイプのライトノベルは、ループしている瞬間はループしている事に目を向けなくて済むからいい。でも、何回も繰り返すうちに行動が少しずつ変わっていって、それによって自分が今まで何度も同じことをやってきているのだと知った瞬間が一番恐ろしい。
それは、きっとマラソンみたいな永遠に続く持久戦と同じ部分がある。我武者羅に進めている内は振り返らない。平塚先生の言葉をあえて借りるのなら『歩いている最中は進んだ距離を振り返らないもの』というやつなのであろう。きっと歩いた距離を振り返ったらこんなに歩いた気がしていたのに同じところをぐるぐるしているだけなのだと絶望するのだ。
だから、もし前と同じ行動を繰り返そうとしているのであっても俺は、少しでも遠ざかろうと努力をするしそれが足りなかったとしても同じことをしただけ、とは思いたくない。
「もし、信じられないなら小町か一色にでも聞けばいいだろ? 小町がいるんだから裏づけだって楽だろうし前みたいに俺だけで受けるっていうわけじゃないんだ。あくまで、俺が代表としていくってだけだ。それなら問題は起きないんじゃないか?」
論理武装を重ねてもどうしても虚ろな言葉になってしまう理由が俺には分かっているはずだ。でも俺には分からなくてだから、もし分かっているとしてもそれは俺の中の自意識の化け物が勝手に理解してしまっているだけだ。俺自身の自意識すら否定してしまうほどの化け物が理解していてもそれは俺の中の答えとは程遠い。
「…………」
雪ノ下の視線が肌に触れて、泣き出してしまいそうな痛みを感じそうになった。あまりにも穏やかであまりにも切ないその瞳を、俺自身が欺瞞を許容して強要する理由に、勝手にこじつけてしまいそうになった。この瞳を守るために、なんていう大義名分を幻想の中で作り上げそうだ。
「んー、でもそれならいいかもね。じゃあ、奉仕部でグループラインやろうよ。それなら同じような説明を何度もしなくていいしいろはちゃんとか小町ちゃんからも話を聞けるじゃん」
由比ヶ浜の一生懸命な姿が俺を責めている気がして耳に入るはずの言葉は全部、宙に浮かんで消えてしまいそうになった。
「茅ヶ崎くんも比企谷くんが代表でひとまず行く、という方針でいいかしら?」
雪ノ下が俺から目を逸らし依頼人である茅ヶ崎に了承を得ようとした時、一瞬でも安堵してしまった自分がいた。安堵が全身の血を温めて体を火照らせている気がした。
「はい、そうですね……まあ元々比企谷先輩に頼みたかったので問題自体はないですよ。先輩方がそれを選ぶんだったらそれに従うまでです」
その言葉は俺の心臓を凍らせるような冷気を放っていて火照ってた体が一瞬にして元の温度に戻った。ただの了承だというのに追い詰めるような響きのあるその言葉は、鳥肌すらたたせてしまうような恐ろしさがあって薄ら寒さがあった。
「じゃあ、ヒッキー。ライン、インストールして」
急に元気になった由比ヶ浜がまるで俺がラインをインストールしていないかのような感じで言ってきたのだが、残念ながら俺はラインを……インストールしていない。何で分かっちゃったんだろうな……俺ってそんなにラインをインストールしてなさそうなのか?
由比ヶ浜の唐突な元気は時に空元気であってそれが俺にとってはすごく不安であるのだけれど、由比ヶ浜が折角作ってくれたチャンスだ。少しでも気分を上げなければいけない。そうしないとこの部屋はすぐに崩れてしまいそうだ。
「あのな、由比ヶ浜。俺だからラインをインストールして無いという先入観はよくないとおもうんだが。勿論、やる相手はいないし小町も口で済ませればいいからメールなんか殆どしてくれなくてラインも必要ないけど、もしかしたらインストールしてるかもしれないだろ?」
「え? ヒッキーってライン、インストールしてるの? やる相手もいないのに?」
このアマ……わざとだよな、いまのは。なんだか最近雪ノ下の毒舌が少しずつうつってきてるんじゃねぇの、こいつ。確かに一色とか小町とか雪ノ下とか俺の周りに奴らは俺に対して無茶苦茶毒舌でかなり酷い事をすらっと言うけどだからといってそこで空気を読んで真似する必要は皆無なんですよ?
「由比ヶ浜、これで俺が自殺したらお前のせいだからな? 俺だってその気になればラインをやる相手ぐらい作れる。っじゃなかった。ラインだな? オーケー、インストールする」
「結局してないんだっ!? もう今の会話絶対要らないじゃん」
そんなこと言われても俺だって言い返したかったんだからしょうがないだろ。ぼっちの中にはラインをインストールしてる人がいるかもしれないからそれを訴えたかったんだよ。
そんな冗談を言い過ぎると話が逸れるのでさっさとラインをインストールして初期設定をさっさと済ませる。機械系に強いというわけじゃないのだがそれでもこの程度の基礎動作なら俺にだって出来るのだ。まあ、スマホを機械系としてくくっちゃう時点でぼっち丸出しだけど。
「おし、設定終わった。あとは、適当にやってくれ」
必要な設定を終えたところで由比ヶ浜に携帯を渡した。別に中身見られても恥ずかしくない、というのは前に渡した時と同じだし何より今回はラインで何か面倒なことをするっぽいから俺じゃ出来ないだろう。
「迷わず携帯を渡せるのはすごいけど、それ絶対小町ちゃんに言ったら怒られるよ?」
俺の携帯を受け取り指を忙しなく動かしながらも由比ヶ浜は呆れた顔で言った。こっちをちらちら見ているのに作業を間違えない辺り、本当に手馴れているのだと感心する。やっぱりこういうスキルは練習しないとつかないんですかね。こいつ、親指の力だけで言えば俺よりつよいんじゃねぇのかな。生物は必要な能力に特化すると聞くからリア充とぼっちも生物的に見て別種の存在なのかも知れない。なるほど、新発見。
俺が世界を揺るがすことなんてまず無いであろうことを考えている内に作業が終わったようで由比ヶ浜が携帯を返してきた。
「ん? 雪ノ下がもういる……何か特別な作業してなかったよな?」
『☆♪奉仕部♪☆』とスパムメール並みにかかれたグループラインの画面を見ていると既に雪ノ下が入っていることに気がついた。俺の記憶だと俺がラインをインストールしている間も雪ノ下は一切携帯を出していなかったはずだ。むしろ雪ノ下が携帯を出したのを見た回数の方が少ないかもしれない。
「え? だってゆきのんは、元から入ってるんだし当たり前じゃん。ね? ゆきのん」
「ええ、そうね。比企谷くん? 考えられなくなったところが踏ん張りどころよ? その目を見るに相当体に老いが来ているみたいだから病院にいくことをお勧めするわ」
ちょっと? 何で急に俺を攻撃してくるんですか? ちょっと意味が分からないんですけど。でもまあ、何となく分かった。要するに俺がはぶられて元々由比ヶ浜と雪ノ下だけで奉仕部のグループラインをやっていたということだ。何それ、マジで泣きそう。
「いや、俺の目と老いの因果関係はないから。お年寄りでも目が腐ってない人ばっかりだから」
「自分の目が腐っている事は甘んじて受け入れているのね。……流石だわ」
こいつ、マジで殴りたい。お前が言ったんだろ。まあいい。俺は強くなったんだ。雪ノ下の毒舌を受け続けて慣れている。ぬぼーっとを耐えられるようになったしな。いや、俺の成長ってぬぼーっとだけかよ。むしろそんなの普通言わないからその成長に需要ねぇよ。
「それで、茅ヶ崎。今日は集まりがあるのか?」
俺たちのやり取りを見せられてさぞ退屈であろう依頼者の茅ヶ崎に確認しておかねばならないだろう。場合によってはこんなこと話してる余裕無いだろうし。
「いえ、今日はありません。今日はそれぞれもう一度意見を持ってこようって感じで実質休み同然なので。明日からは基本毎日、放課後にありますね」
「そうか。なら今日はもう解散って感じでいいか?」
正直、もう帰りたい。色んなことがあって疲れたし明日からクリスマスイベントの準備ならより一層疲れることになるだろう。下校時間も迫っているし帰ってもいいはずだ。
「そうね。じゃあ、鍵は私と由比ヶ浜さんで返しておくから先に帰って構わないわ」
「おう、頼む」
以前なら当たり前だったそのやり取りにすら新鮮さと違和感を感じながらも荷物をまとめてさっさと部屋を出て歩いた。校内は既に冬一色で廊下に出るとやはり寒い。さっきまでいた部屋とは大きな違いだ。息を吐いて手を温め帰路についた。
いつも通りの帰り道、去年と同じぐらいの明るさ。何一つ変わり映えのしない帰路だが、残念ながら一点、変わっていることがあった。それは、勿論風景云々でなければ気温でもないし帰宅手段でもない。じゃあ何かといえば俺の右隣にいる奴である。
「何でついて来てんの? 今日は集まりないんじゃねぇの?」
由比ヶ浜と雪ノ下は百合百合しながら職員室に鍵を返しに行ったので勿論俺の隣にいるはずがないし戸塚も材木座も今頃は忙しく勉強している時間だろう。一色や小町は先に帰ってるのか生徒会の仕事なのか知らないが帰路を共にするタイミングがなかったので違う。
じゃあ、俺の隣にいるのは誰なのか。勿論幽霊ではない。幽霊云々を言って雪ノ下に汚物を見るような目で見られるのはちょっと今の俺でもきついので幽霊云々は考えない。と、なると残りはただ一人である。
「ああ、先輩とご一緒したいな、と思いまして。ぜひ、お話を聞かせていただきたいんですよ。俺も話したいことがありますし」
その瞳は陽乃さんのやや強引な瞳にかなり似ていた。確かあの人も気まぐれで俺をカフェに連れて行ったりとか駅まで遅らせたりとかしたか。茅ヶ崎もそんな奴だとちょっと俺の身がもたないんだがもしかして本当にそういう口なのだろうか。
「ああそうか。でも、俺は話したいことが無い。さっさとお家に帰りたい」
その可能性が少しでもあるのならそれを回避するべきだ。それが今まで何度も自分を戒めて本能的に危険を回避出来るようになった俺だ。予防線を張っておけば策はいくらでも取れるのだが陽乃さんは、この手が一切通用しないから恐ろしい。
「先輩の言う本物についてお話して欲しいんです。別に変なことをお話しするわけじゃないですからお願いしますよ」
その言葉を聞いた瞬間、口角がぴくりと震えたのを自覚した。何か痺れるような熱が頬を伝って脳に入って来る気がする。首筋を這い回りどうにも気持ち悪い感覚が肩から上が制してしまう。口の端は、不自然に上がってしまった。出来た隙間から今にも声が漏れ出してしまいそうでまるで魔法みたいで恐ろしくなった。
「お前、それも陽乃さんか?」
本物。俺が雪ノ下と由比ヶ浜にねだったものであり、俺が醜くねだった時にあの場にいたのは俺と雪ノ下と由比ヶ浜。それから一色が部室の外にいたらしい。だから少なくともその三人くらいしか知らないはずなのだがどこから漏れたのかバレンタインイベントの時、陽乃さんは『それが君の言う本物?』と口にした。俺が本物をねだったことをどこから仕入れたのかは俺にも分からないがそこまで本物という言葉を口にした覚えはない。
「そうですね。あと一色先輩からも聞きました。だから気になったんですよね。陽乃先輩の興味をそそって一色先輩にも欲しいと思わせるような本物っていうのがどんなものなのか。先輩の考えてる本物ってそんなに魅力的なんですか?」
茅ヶ崎の問いに即答できるだけのものを俺は持っていない。何せ俺は本物がどんなものであるのかさえまだはっきりと分かっていなくてそのくせ分かった気になって欲しいだのなんだのと口にしたのだから。そのせいで一色が血迷ったというのなら本当に申し訳ないし陽乃さんが否定し続けるだけの価値があるかと聞かれても断言できない。
形にしなくても、声に出さなくても、言葉にはならなくても確かにあると信じたい本物は、どこか俺が持っていたはずの信念と似ている。その論法ならきっと誰かとたった一つ共有するものなのだろう。その、共有というのが定義の共有なのかそのもの自体の共有なのかすらわからないのだから更に漠然としたものでしかなくなってしまうのだが、少なくとも本当の本当に昔。俺の目が腐り始めた頃よりずっと前には持っていたものなのだと思う。
「……どうだろうな。俺にはそんなに魅力的とは思えない」
そんな不確かなものに魅力を感じるのは心霊現象やUMAに魅力を感じるのと一緒だ。あるかも分からないけれどあると信じたくて、人生を使ってでも研究したいと願うものもいる。俺は少なくともそういう何かを人生を使ってでも知りたいという人間に共感はもてない。だから彼らと違って不確かな本物を魅力的だとは思えない。
「なるほど。やっぱり先輩のお話聞きたいですね。お家に伺ってもいいですかね。もし伺わせていただければ夕飯ぐらいは作りますが……」
俺の話をあくまで腰を低くして聞いてくれるのは茅ヶ崎くらいのものだ。陽乃さんとは明らかに別種の好奇心を抱いているのは俺にも分かる。知的好奇心という点では似ているかもしれないが陽乃さんと茅ヶ崎で大きく違う点。それはきっと俺を試す方法だ。
「そうだな。夕飯作ってくれるんだったらありがたい。もう少し状況も聞きたいし来てもいい。勿論、小町に手を出したらすぐ帰らせる」
「大丈夫です。妹さんには手を出しません。誰かを好きになるとかそういうのは欺瞞なので」
すっぱると茅ヶ崎は、言い切った。そんな姿にはカッコイイと思ってしまう。あそこまで自分を通すことが出来ていて俺みたいに曲げなくてもしっかり立っていられて論理武装しなくたって成り立っている茅ヶ崎があまりにも自分が欲しかった姿に酷似しているように感じた。
例えば。
例えばの話である。
例えばもし、ゲームのように一つだけ前のセーブデータに戻って選択肢を選び直せたとしたら、人生は変わるだろうか。
答えは否である。
それは選択肢を持っている人間だけが取りうるルートだ。それ故に選択肢を持っていない俺にはやり直すことは出来ない。一度壊れたものを元通りに出来たと感じているのなら、元の自分に戻れたと思っているのならそれは明らかな勘違いだ。昔のようにはっきりと欺瞞を嫌えて青春を謳歌するものに爆発しろとのたまえた自分はもう戻ってこない。それに、最初から選択肢を持っていないものは、壊れてしまうという運命から逃れることさえ出来ない。自分を失うと分かっていても止まるという選択肢が無い。選択肢の有無によって残酷なほどに見える世界が変わってしまうのは仕方が無いし、理想の姿で居られる瞬間の長さも千差万別だ。始めは理想の姿であろうとしても選択肢を持ちえない者は、理想の姿を出来るだけ維持できるシナリオに乗っかる事を信じるしかないのだ。
きっと茅ヶ崎は選択肢をもっている。俺とは違う。一つ前のセーブデータに戻れたとしたらしてしまった失敗を容易くなかったことに出来るだろうしセーブデータなんか戻らなくても壊れたものを簡単に修復できるはずだ。しかも勘違いではなく実際に。
だがそういう選択肢を持っている人間を見たからといってそういう人間に嫉妬するということもない。彼ら彼女らは後悔しなければならないかもしれないが俺はそうするしかなかったのだから後悔することもできない。より正しく言うならばその人生のおおよそに常に悔いているからなれてしまうのである。
そもそもだ。今更である。俺の欲しかった姿なんて随分前に諦めてしまっているのだから愚策でも卑怯な手でも効率だけを極めて使った。禁じ手でさえ幾度か使ってきている。それなのに今更欲しかった姿なんて言い出すのは過去の自分に失礼だ。少ない手札を使って効率的にことを解消した時の俺を今の俺が後悔するのは自己犠牲だといわれる次に侮蔑であろう。
このやり方が間違っているのなんて先刻承知。だが効率を極めないでいる世界も同じく間違っているのだ。だったら効率を極めてしまったほうが良いに決まってる。そう思って今の俺にたどり着いたのだから欲しかった姿なんて忘れてしまったほうが良い。
「そうか。ならよかった」
考えながらも少しずつ歩くスピードを上げた。首元を温めてくれる紺色のマフラーがあまり意味を成さずに風は全身を冷やして内から首元冷えてきた。さっさと家に帰ってコーヒーでも飲んで温まるしか、この冷えを取る方法は無いだろう。出来るだけ家に変えるのを早くするために茅ヶ崎がついて来れるギリギリのスピードまで上げた。