とある本丸にて
薬研藤四郎はその日、近侍として審神者の部屋で控えていた。
そろそろ昼餉といった時間帯だっただろうか。
本丸内とはいえ主の側だ、警戒は充分にしていた。だがそれは敵意も何もなくはらりと現れた。
薬研はその白い何かが目に入った瞬間、審神者を守るように前に出た。
「大将は下がってろ」
「あ、ああ。」
状況を把握しようとする彼を手で制してそれを検分する。落ちてきたのは一見、ただの封筒だった。
油断はできない。空間を割って出現したことから、歴史修正主義者による攻撃の可能性がある。
手袋のままそっと持ち上げると、それはまさしく手紙だった。宛名には知らない人物の名前が書かれている。
「手紙、か…?結界に異常はみられないのに何故…」
「分からん…ところで大将。XXXって名前に心当たりは?」
審神者の表情が一瞬で凍り付く。薬研はこれが審神者の本名であると理解した。
「なるほどな。審神者の真名を1人以上の刀剣男士に知らせる、っていう無差別攻撃か?
加えて俺たちはお前らの名を知っているぞという脅し、ってとこか。」
「薬研、その、悪いんだが…真名を知られたからには、お前にこれ以上仕えてもらう訳にはいかない」
冷静に分析する薬研に、審神者が怯えの混じった瞳で遠慮がちに、だがはっきりと告げる。
不思議と薬研の心は凪いでいた。
「…だろうよ、一思いにやってくれや。被害が俺っちだけで済んで良かった」
抵抗はしなかった。審神者の詠唱を静観しながら、ふと、封筒であるからには中身があるのだろうかと気になった。
それが、彼の終わりであり始まりだった。
そこにはこう書かれていた。
悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。
その
己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、
我らの”箱庭”に来られたし
光とともに浮遊感が彼を襲う。
本霊に還されるのはこういう感覚なのか、と一瞬思ったがすぐに違うことに薬研は気付いた。
彼は一面の青に包まれていた。浮遊感の正体は高速で落下しているが故の体感としての無重力だったのだ。
遠方には天幕のようなものが無数に存在し、ここがどの戦場にも当てはまらないのはすぐに分かった。
そのまま自分が落下するであろう場所に目を向ければ、眼下には大きな湖と、それを取り囲む森。
そして、3人の人間が同じように空に放り出されているではないか。
観察してみれば、彼らは一様に霊力に優れている。だが術の一つも起動しないあたり動揺しているのか唱えられないのか。
頭から落下している金髪の少年はまず助からないだろう。首の骨が折れる想像をして、人間に力を貸したいと自然と思うようにできている身としては苦く思う。
他の二人…黒髪の少女と赤茶の髪の少女はどうだろう、そして自分は…。
やりようによっては折れないだろうが、審神者との霊力回路が切れている。暫くすれば顕現が解けるから、どちらにしろ同じか。
…などとつらつら考えているうちに、膜のようなものに体が包まれるのを感じた。
勢いは弱まり、そして着水する。
水柱があがった。
薬研藤四郎は刀である。
泳ぐ方法など知っているはずもなく、抗う気も起きず、ただただ沈んでいくのみ。
ああ堀川の旦那はこんな気持ちだったのかなどと思考を巡らせていると、力強く体を引っ張られた。
「貴方!大丈夫?!」
「ああ、…助かったよ嬢ちゃん。俺っち泳げねぇんだ」
「だからといって全く足掻かないのはどうかしてるわ!」
ガミガミと文句を言いつつも岸辺へと薬研を引っ張り上げたのは、先程自分と同じように落下していた黒髪の少女だった。
「まぁ、潔く死ぬのも漢だと思ってな」
「…へぇ、面白いなお前。でもいきなりゲームオーバーじゃつまんねぇだろ?」
悪びれない薬研に、金髪の少年がヤハハ、とあまり聞かない笑い声を上げた。
「げぇむおーばぁ?んだそりゃ」
「終わりってことさ。場合によっては小休憩を表すってところか。しかし何だお前のその格好。コスプレか?」
彼は本丸内にいたものの、近侍として主を守る為に武装したままだった。
鎧袖に比べれば大したことはないが、水を吸った服が重い。雑巾のように服の裾を絞った。
「こすぷれ?かは知らんがまぁ、ちぃとばかし物騒なとこにいたのさ」
「ほぅ?んじゃ、その刀もちゃあんと使えるってことだよな」
「ああ、試してみるかい?」
金髪の少年の態度に、彼は審神者として十分な霊力があるようだが審神者ではない、もしくは審神者でないフリをしたいのだ、と薬研は推察した。
仮に本当に審神者でないとして、残りの2人からも霊力がある者なりの何かしらの反応がないのが少し不気味だった。
「貴方達ねぇ…」
呆れたような視線を向けられて肩をすくめる。戦場育ちの血が騒いだのだ。
「まぁ、お楽しみは後にとっておくとして。…しっかし、手厚い歓迎だな!」
「そうね、淑女に対しての礼の尽くし方ではないわ」
文句を言う二人を尻目に、薬研が会話に参加していないもう一人に目を向けると、赤茶髪の少女は同じように溺れて…こちらはちゃんと足掻いていたのだが…水しぶきを上げていた猫を救出したところだった。
「しかし、ここは何処なんだろうなぁ」
「さぁな。まぁ世界の果てっぽいものが見えたし、どこぞの大亀の背中じゃねぇか?」
先程から聞き慣れない表現を用いる少年だ。人の子なのに髪の色が黒でないことからしても、彼は異国の人間なのだろうか、と薬研は思った。それなら審神者でないことにも頷ける。
「まぁ、ここが”箱庭”ということかしらね?」
「つまり一応確認だが、お前らにも変な手紙が来たってことか?」
丁度岸辺にあがってきた赤茶髪の少女を含めた全員に対して、金髪の少年は尋ねた。
「そうだけれど、まずはオマエって呼び方を訂正して。私は久遠飛鳥よ。」
以後気をつけて、と少し高圧的な物言いの彼女に、これは政府高官の父に溺愛されて審神者のことを全く知らない娘か?などと考える。そうでもなければ、霊力を持つにも関わらずこの肉の器を知らないのもおかしな話だ。
「それで?あなたたちは?」
目線で促されて、薬研は返答を躊躇う。
自ら名乗るということはこの久遠という少女が審神者である線は薄い。名乗りを止めなかったことからして、もう一人の少女も可能性は低いだろう。
つまり、彼は薬研藤四郎と名乗っても問題はないのだが、ここで名乗って霊力の回路となるものがわずかにでも形成されてしまうことは避けたい。
薬研はとっさに自分を打った刀匠の名を借りることにした。
「そうさなぁ…吉光とでも呼んでくれや。」
「………春日部耀」
「吉光くんに春日部さんね、よろしく。それで、野蛮で凶暴そうなそこの貴方は?」
「高圧的な自己紹介ありがとよ。見たまんま野蛮で凶暴な逆廻十六夜です。
粗野で凶悪で快楽主義と三拍子揃った駄目人間なので用法と容量を守った上で適切な態度で接してくれ」
「そう。取り扱い説明書をくれたら考えてあげるわ、十六夜くん」
「ハハ、マジかよ。今度作っとくから覚悟しとけ、お嬢様」
さて、3人も人の名前を知って…しかも自分から名乗らせてしまい、少し気まずさを感じていたのだが、そこで2人が軽い口喧嘩のようなものを初めてしまった。
手持ち無沙汰になり先程から気になっていた森の入り口の方に目を向ければ、青い毛のようなものが飛び出している。なるほどあれがこちらに視線を送っている正体のようだ。
敵意を全く感じないためにひとまず放置していたのだが、いい加減視線が鬱陶しい。
そして、そう思ったのは自分だけでは無かった。
「で、呼び出されたいいけどなんで誰もいねぇんだよ。
この状況だと招待状に書かれていた箱庭とかいうものの説明をする人間が現れるもんじゃねぇのか?」
「そうね。なんの説明もないままでは動きようがないもの」
少々強引な話題転換であったが、飛鳥もそれに同調した。
「……この状況に対して落ち着き過ぎているのもどうかと思うけど」
耀が平坦な口調で続ける。
「肝っ魂が座ってる奴ァは好きだぜ」
「そりゃドウモ―――仕方がねえ。こうなったら、そこに隠れている奴にでも話聞くか?」
全員の視線が森の入り口の一点へと集中する。
短刀としてそれなりに偵察の高い自身はともかく、人間である他の3人が気付いていたのは少し意外だった。
「あら、貴方も気づいていたの?」
「当然。かくれんぼじゃ負けなしだぜ?お前らも気づいていたんだろ?」
「風上に立たれたら嫌でもわかる」
「へぇ、お前も面白いな。パーティメンバーが愉快なのは良い事だ。勿論吉光も気付いてたろ?」
頷きつつ、まぁた聞き慣れないエゲレス語がでてきた、と薬研は思った。
そして全員でじっと見ること暫し、茂みからその生き物は姿を現した。
「や、やだなぁ皆様。そんな狼みたいな顔で睨まれると黒ウサギは死んでしまいます。ええ、ええ、古来より孤独と狼はウサギの天敵にございます。そんな黒ウサギの脆弱な心臓に免じてここは一つ穏便に
「断る」
「却下」
「お断りします」
「…妖怪、か?」
「あら、随分と可愛らしい妖怪だこと」
「し、失礼な!違います!黒ウサギは妖怪ではなくウサギです!」
耀は憤慨する彼女に近付くと、おもむろに耳を勢い良く引っ張った。
「えい」
「フギャ!ってちょっとお待ちを!触るまでなら黙って受け入れますが、まさか初対面でいきなり黒ウサギの素敵ウサ耳を引き抜きに掛かるとはどういう了見ですか!」
「好奇心のなせる業」
慌てて耀の魔の手から逃れ叫ぶも、相変わらずの平坦な口調で返される。
面妖な外見をしているが随分と肝の小さい生き物らしい。
「へぇ、その耳本物なのか?」
「じゃあ私も」
「俺っちも興味あるなぁ」
黒ウサギを悲劇が襲った。
・
・
・
「――――ありえない。ありえないのですよ。まさか、話を聞いてもらうために小1時間も浪費してしまうとは。学級崩壊とはきっとこのような状態のことを言うに違いないのです。」
「いいからさっさと話せ」
地面に手をついてうなだれる黒ウサギを十六夜が一蹴する。
彼女はよろよろと立ち上がり、ゴホンと一つ咳払いをすると両手を大きく広げてこちらに顔を向けた。
「ではいきますよ??良いですか??
…ようこそ"箱庭の世界"へ!我々はあなた方4人に『ギフトゲーム』への参加資格をプレゼントさせていただこうと召喚いたしました!」
そして黒ウサギは『ギフトゲーム』、『コミュニティ』、『主催者(ホスト)』、そして賭けの対象など、様々なことについて淀みなく語った。
この世界には修羅神仏が当たり前にいるそうだが、召喚の対象となったのは普通ではない人間…『人間』と黒ウサギが発言した所からすると、恐らくは薬研が仕えていた審神者の方を召喚するつもりだったのではなかろうか。
少女と猫が同時に召喚されていることからして、手紙の宛名はあくまで本人に届くまでの役割しかなく、召喚は手紙に仕掛けがあったと考えられる。
薬研が中を見てしまった為に審神者ではなく彼が召喚されたということか。
腑に落ちないのは何処かのコミュニティには必ず所属しなければならないという話だ。
普通は自身コミュニティに所属して欲しいはずなのに、彼女のコミュニティに関する詳しい話や宣伝文句が出てこない。
少しのきな臭さを感じたが、薬研は言及する気が起きなかった。どうせあと数日の命なのだ。
ある程度話したところで、黒ウサギは見覚えのある形状の手紙を取り出し振って軽く示した。
「さて、皆さんの召喚をこれで依頼した黒ウサギには、箱庭の世界における全ての質問に答えなければならない義務がございます。
しかし全てを語るには少々お時間を要します。新たな同士となる皆さんをいつまでも野外に出しておくのは忍びない。
ここから先のお話は我々のコミュニティでお話させていただきたいのですが…よろしいです?」
「待てよ、まだ俺が質問してないだろ」
それまで黙って聞いていた十六夜が行動したことで、黒ウサギがわずかに身構えたのが薬研には分かった。
「……どういった質問です?ルールやゲームそのものに関しての詳しい話でしたら、コミュニティに着いてからの方が腰を据えてお話しできますが…」
「そんなことはどうでもいい。腹の底からどうでもいいぜ、黒ウサギ。
大体それを今問いただしても意味ねぇだろ。世界のルールを変えようとするのは革命家の仕事で、プレイヤーの仕事じゃねえ。俺が聞きたいのはただ一つ。この世界は…」
そこで彼は一度言葉を区切り、挑発的な意思を乗せて言葉を紡ぐ。
「――――――面白いか?」
その質問を理解すると、彼女は溢れんばかりの笑みをみせた。
「――Yes!『ギフトゲーム』は人を超えたモノたちだけが参加できる神魔の遊戯。箱庭の世界は外界より格段に面白いと、黒ウサギは保証いたします!」