「おい、次は隣の地区だ」
助手席のリーダー格に、へい、と答えて車が動き出す。黒のワンボックスの中には、思い思いの格好をした男たち。これから一世一代の大勝負にでも赴かんばかりの手間と気合いの詰まった格好の男もいれば、休日の家のごとくだらしなくみすぼらしい格好の男もいる。あまりに統一されない装いに、彼らが何者か理解を困難にさせる。
だが、体格、筋肉、身のこなし。そしてその身に纏う空気が、誰もがただ者では無いことを夕に物語っていた。
この班のリーダーの男も、とてもいい体格をしていた。四角のような顔と相まって、鬼と言う言葉がよく似合う。
その彼も、疲れが見え、いらだちを隠せなかった。
「まったく、何処にいるんだ。他の班から報告は無いのか?」
後ろの座席から、サングラスをかけた男が言った。
「一度あったんだ。だが、逃げられたらしい」
「そうか。目撃情報が合ったという話はどうなんだ」
「それがさっぱり」
「おい、どういうことだ」
ギロリ、とにらむリーダーの威圧に必死にあらがいながら、男は言う。
「信憑性が怪しいとか、混乱させるから確実性を高めるためにもう少し待て、とか言って通信を打ち切ってしまいまして」
「……それ、手柄独り占めしたいんじゃ無いのか?」
「そう思っちゃうんですよね」
あっけらかんと言う男は、手を挙げる。もはやお手上げらしい。
リーダーも、頭を抱えた。
「目標はどこにいるんだ」
「さっぱりですよ。もう地道に探し回った方が早いんですよね」
また別の男は、頭をかきながら、リーダーにパソコンからデータを見せた。
町の地図に、いくつもの矢印が打たれている。それぞれに日付など様々なことが撃ち込まれていた。
図を見て、リーダーは首をひねる。
「目標を監視してから見て、こんな感じですね」
「わりとおとなしいな。隣の区にでも行くと思ったが」
「俺らは車使ってるから感覚麻痺してるんですよ」
まだ若い男が言う。おどけなさが残る顔で、訳知り顔でしみじみと語った。
「相手はランドセルもまだな子供です。そのころの世界は、広く見えてもまだまだ狭いんですよ」
「──ああ、おまえの子供もそのくらいか」
「ええ、目を離すと、すぐどこか行こうとして。……犬飼うのいいかもなぁ」
「教育にはいいかもな」
その言葉に、リーダーもうなづく。
他の男たちも、口々に同意を示した。
「たしかにあんないい犬、どこで見つけたんだか」
「うんうん、黒くて逞しくて、凛々しい姿がいいよね」
「うん、いい……」
「あ、この犬ですか?」
そういって、一番若手の男が写真をのぞき込む。
写真を渡し、よく見せた。
「ああ、見ろ。目標といっしょだ。目標も乗せられる大きな体格、黒々とした色、艶やかな毛並み、謎の眼帯。こんな特徴ばかりで見つからないはずがない」
「この犬って────」
きょとんとした様子。そして、部下は外を示した。
「──あれじゃないですか?」
「──あ?」
示す先を見ようとして、
「何もいなぁぁっ!?」
急に振られる車。
後部の男たちが浮く。かき混ぜられる車内。座席に叩きつけられた男らがうめくなか、リーダーは起きあがろうともがく。
「な、何だ、安全運転をしろ」
「シートベルトしてない俺らの言うセリフじゃ無いですぜ」
運転役が言った。
「目の前にいきなり犬が現れて……!」
「犬だと!」
むりやり起き上がり、窓をのぞき込む。
黒い犬がいた。地面に座り込み、のんきそうにあくびをしている。その背には少女が気楽に手を振っている。
「おーい、こっちこっちー」
のんびりそんなことまで言っている。
犬が立ち上がり、走り出した。少女を振り落とすことなく、軽やかに遠ざかっていく。
「あれだ! 目標も、子供も上に乗ってるぞ! 追えぃ!」
「逃げる! このまま車で追います!」
先走って開けられたドアに、何人か引きずりながら、黒のワンボックスは再び走り始めた。
◆ ◆ ◆
何故ラウラと少女は悠々と姿を見せたのか。
少しばかり、時計を巻き戻そう。
ラウラたちの姿は、ある小さなビルの駐車場にあった。
白のワンボックスの後部で、地図を囲む。
あるものは電話をとり、またあるものは愛機の手入れを行いながら、会議を進める。
電話に耳を傾けていた少女が、部長に言った。
「部長。あっちのチーム、針にかかったようです」
「引っ掛かってくれたか。これでよし、ひとまず第一段階はクリア」
気楽そうに笑う部長を、ラウラはたしなめる。
「まだ油断ならない。次は我々だ。私らが決めるのは、ここでいいんだな?」
「ああ。ここがちょうどいい。やつらはこの町をよく知らないみたいだからな」
「ほう? お前たちがバイトだからか? そのわりにずいぶん用意がいいな」
「何、ちょっとしたお茶目だ」
そう言って部長は、ウインク。
ラウラは嫌悪をあらわに吐き捨てた。
「似合わん。止めた方がいい」
「ひどいな。……一番どうにかしたいのは、黒服の男だ」
部長は眉をひそめた。
一転して神妙につぶやかれた言葉に、ラウラはうなづく。
「あいつが頭か」
「知っているのか?」
「黒の短髪、優男風、やたら金を配る、膨らんだ懐」
「当たりだ」
そういって、笑う部長。
外から連絡を受けた少女が言った。
「こちらは配置完了しました」
「うむ、こちらも準備万端だ。そちらはどうかな」
「私はいいがな……みぅ!」
「なーにー?」
みぅはひょこりと顔を出した。
楽しそうに地図を見ている。
「これ、このまちのちず?」
「ああ、よくわかったな、偉いぞ」
「とーぜん!」
えへん、と得意げなみぅを撫でた。
町の地図はいくつもピンが刺さり、多くの書き込みもされている。
「あ、ママここ!」
「ほぅ? どれど……れ……」
みぅの指先を見て、部長は表情を固めた。
ラウラへと振り向いたが、その口元はひきつり、眼は救援要請をありありと写す。
「事実みたいだ」
部長は眉間を押さえ、天を仰いだ。
「そろそろいくぞ」
「はーい!」
「……早くけりをつけねばな」
ラウラは、不敵に笑う。
部長も笑った。ひきつった笑みだが、心の底から楽しそうな笑みだった。
◆ ◆ ◆
走る犬と少女と、それを追いしつこく迫る黒のワンボックス。
町中を少女を背負って悠々と駆ける大犬だけでも、注目を受けるのは当然のこと。
さらにそれを追って、周囲や規則など知らぬとばかりにワンボックスが猛スピードで走り、そして追いつかれようとも、見事に撒いて駆け抜ける黒犬。
突如として、町で始まった異種チェイスに、注目が集まらない訳がない。
だが、全貌を観ることは誰もなし得なかったことは確かだ。
それほどに激しく、広く、怒濤の勢いだったのだから。
注目を受けながら走る犬と少女は、ラウラとみぅ。車道と歩道を行き交いながら、頭を飛び越し、時には車を踏んで走り回る。
足を止めることなく進むその軌跡に、目撃者は拍手すら送る。
打ち破るように、けたたましくクラクションを鳴らしながら、猛然とワンボックスが追いかける。
信号を無視して、車の隙間を押し通り、突き進む。歩道に乗り上げないだけの分別はあるようだが、通行人はたまったものではない。
やがて、犬は通行人を鮮やかにすり抜けて、細い路地に滑り込んだ。
感嘆の声をあげる通行人だが、まだ終わらない。ワンボックスがいる。犬を追い、狭い路地に猛スピードで迫る。
その道路は一台分の道幅しかない。標識は進入禁止。このまま突っ込めば逆走だ。
だが運転役はハンドルを切った。
あの犬が真ん中を突っ切ってもクラクションは聞こえない。車の余裕はあると判断。車を滑らせる。今度は自分の意志でだ。
ドリフト。揺れる車内。きしむ車。浴びせられるクラクション。
アスファルトにタイヤの跡を刻みこむ。見事な曲線を描いた。
先に車は見えない。
エンジンが唸りを上げる。一気にアクセルを踏み込んだ。
周囲の怒号と悲鳴を置き去りに、車は加速していく。
犬は消えた。
どこに行った。
足を緩めそうになったとき、急加速。十字路で再びドリフト、右に曲がる
カーブミラーに映った。影のような姿に、跨る少女がポカリと浮かぶ。
その尾が見えた。消えた。左に曲がった。
追う。狭い十字路。再び加速。
無理だ。無茶だ。止めろ。脳裏に響く声を振り切る。背後の声も振り切る。
周囲は見切った。手足に集中、車に意識が染み渡る。
左に曲がる。景色が回る。左ミラー破損。右も破損。背後でブロック塀損壊。
無理矢理加速。右を擦りむく。車線修整。左窓粉砕。飛び出た松だ。枠でちぎれた。
枝が転がり車内で跳ねる。十字を抜けた。車道は余裕、歩行者見えず。
安心して、加速する。
変わらず犬は走る。
住宅街だ。家が密集し、道は狭い。
さすがに怪しいと分かる。罠だと、上司の眼も言っている。それでも、進む。
犬はさらに狭い道に入り込んだ。
「おい、迂回はいい。このまま追いかけよう」
男等は降り、犬を追いかける。無理なのでは、なんて言葉は誰も言わなかった。
入り組んだ道。よほど慣れてないのか、狭い道から広い道、言ったと思えば戻ってと、行ったり来たり。
少女を捕らえようにも跨る犬が、踏んで咬んでと邪魔ばかりだ。邪魔をしてくる。
犬をどうにかしようにも、車で追いつけない脚力だ。男数人ではどうにもならない。
やがて、袋小路へと追いつめた。
高い塀に囲まれた、奥まった路地の一角だ。ゴミや資材が詰まれ、塀の奥には立体駐車場の骨組が見える。
周囲は塀、逃げ場はないと、男たちは笑う。振り回されて、興奮していた。
誰かがナイフを抜いた。
他の男たちも、警棒やスタンガンを取り出す。
ジリジリと犬に迫る、
後ずさる犬。尻尾が廃材に触れた。もう後がない。
黒服の男の呼び声で飛びかかった、その時だ。
犬は少女を乗せたまま、助走も力みもせずにひょいと跳びこえた。
骨組みの頂上に立ち、向こうへ降りて見えなくなった。
「一瞬で、あんなとこまで」
「嘘だろぉ」
突然のことに、男たちは唖然とする。
だが、手持ちぶさたも一瞬。各々が動く。塀を越えようとする者、道に戻ろうとする者。
二手に別れる。そして、
「グワァァッ!」
突然の閃光に包まれた。
「今の……ワッ」
閃光、閃光、閃光。幾度も襲いかかる光に飲まれ、うめく男たち。
手をかざすが、そこかしこから溢れる光に追いつかず、眼をつぶるしかない。
そして衝撃。突き飛ばされ、尻餅をついた。よろめきながら立ち上がろうとして、手足が引っかかることに気づく。
頭を覆うものの感触、これは。
「網……!」
「なんだ、これは。出しやがれ!」
叫びもがく男を後目に、その手のナイフを振るう。押し当て、引いて。
だが、ビクともしない。感触では何ともないただの糸のようなのに、全く刃が立たない。
いくら引いても刃は進まず、ナイフがさきに根を上げた。
ガタガタになった刃に嘆いていると、光の雨が止んでいることに気づいた。
見れば、仲間はみんな網に飲まれている。
何時のまに現れたのか、周囲に何人も立っていた。
もう一度、閃光。光源は道の方だ。
若い長髪の男が、傘を広げたカメラをこちらに向けていた。
光は、カメラのストロボだった。
あの長髪男には、見覚えがある。
「おまえ、朝礼にいた若い奴らの!」
「そう、その通り!」
威勢いいかけ声とともに、再びシャッターを切る。
強烈な光を前に、自信満々に、不敵に言い放った。
「証拠は撮ったぞ。武器を捨てろ、神妙にお縄につけぇい!」
「つけーい!」
背後からの、幼い声。
駐車場の塀の上に、目標の少女がいた。変わらず笑う少女の隣で、銀の髪の少女がこちらを見下ろしている。
「おにさんつーかまえた!」
無邪気な笑い声が、袋小路に響きわたる。
◆ ◆ ◆
「いやぁ、大漁大漁!」
男たちを御しながら、部長が言った。
かなり気持ちよかったようで、笑いが止まらない。
「こうもうまくいくとはな!」
「しかしよくやれた。見事だな」
「なに、お嬢さんたちの誘導こそ見事だったよ」
「みんなえらい、よくできました!」
みぅからの激励に、少年たちの意気があがる。
少年等は、男たちの拘束を始めていた。
それぞれ網に絡まっているが、何かの弾みで外れることも考えられる。念を入れてと、さらに拘束することになった。
まあ、網の上からロープを巻くだけの簡単な作業だ。
男等の数も少なく、すぐに終わることと思われた。
電話を切った部長が「まかせた」と言って走り出すまでは。
「どうしたんです、部長!」
「向こう等と連絡が取れん」
「忙しいだけじゃないんですか?」
「私らは電話にでるだけの余裕があっただろう。それにあの黒服がおらん、こいつらの頭はあいつだ!」
「え、じゃあ!」
「あいつは向こう側だ!」
ラウラも続いて、走り出す。
「私が先に行こう」
「頼む!」
「みぅもいくー!」
「いや、君は」
制止しようとして、
「────?」
「──何の音だ」
突然の異音、そして彼女らを影が覆った。
立ち止まり空を見上げれば、二つの長方形の物体が空にあった。
物体は放物線を描いて、ラウラたちの目の前に落ちてきた。
銀と黒のワゴンだ。落下の衝撃にバウンドをして、猛然と走り去る。
部長とみぅは、唖然として見送っている
ラウラが叫んだ。
「いたぞ! 黒のワゴン!」
「……何!?」
部長が目を剥き、視線で走り去るワゴンを刺す。
「あっ、アイツ────」
「────部長!」
走りだそうとして、部員の叫び声に足を止める。
その鼻先を降ってきたバイクが掠めた。
「っ────!?」
「あ、おにーさん!」
みぅの声に、詰襟少年が手を振る。バイクから顔を出す、奇妙な姿勢だ。
なにせ、ただの原付バイクに無理矢理、五人も六人も乗っているのだ。
「やあ、また会ったね」
「何をしている!?」
「あ、部長、みんなで急いだ方がいいですよ」
サーカスのような状態で、少年は緊張感もなく言った。
バイクは止まらない。数度バウンドしながら、走り去っていく。
「いっちゃった」
「何だ、話が違うではないか」
部長は鼻を押さえながら立ち上がる。
さすがにラウラも心配し、声をかけた。
「大丈夫か?」
「何、鼻先をむいただけだ。それより、引き上げるぞぉ!」
突然の声に、部員たちは疑問の声を上げる。
「なんでまた」
「あのアイツが言ったからな」
「コイツラ、どうします?」
「写真撮ったし、ほっとけ」
へーい、と気だるげにながらテキパキと部員たちは動き出す。ならば、とみっとなく男等はもがくも、よけいに絡まるだけだ。
「お嬢さんたちはどうする?」
「くろいぬさん!」
「……ま、そういうことだ」
隣に隠していたワンボックスに次々乗り込む中、少女は、先ほどまで居た袋小路を覗いていた。
「部長……」
「何情けない声を出す、追いかけるぞ」
「あ、あれ……」
なにやら震える様子の少女の指さす方を見て、
「行くぞ!」
部長は血相を変えた。
少女を車内に叩き込み、部員の確認もせずに急発進。
みぅを背に乗せたラウラも追いすがる。
何が、と後ろを見た部員が、眼を剥いた。
◆ ◆ ◆
ゴウ、とわき道から黒犬が飛び出した。ラウラはみぅを乗せ、通りすがりの車を踏み台にして、向かいの道へと入っていく。
その姿を見た物の大半は、何だ、と唖然とする。車を踏まれた者は、何が落ちた、と冷や汗をかく。ホンの一握りは、また見れた、と小躍りをした。
そのラウラを追うように、白のワンボックスが現れた。
部長の駆るワンボックスは、危なげなく道を抜け、行き交う車の間をすり抜けるように、同じく向かいの道へ消えた。
その直後に、また何かが現れた。風船が膨れ上がりはじけるように、突然のことだった。
現れたのは、犬、犬、犬。
犬種も、体駆も年頃も違う犬。溢れんばかりの犬が、ワンボックスを追いかけていく。その勢いは雪崩のよう。地響きすらおき、怒り猛る吠声は空気をひびかせる。
町中に注目を浴びながら、
「何だぁ!?」
「雪崩か、濁流か?」
「あれ、犬だ!」
「首輪もないし荒れた毛並み、野良犬じゃないか?」
「その野良犬がなんで町中をこんな大移動するんです?」
「何か追ってるんですかね」
人々は、突然のことに一心に視線を注ぐ。
だが、疑問を抱きながらも、難無きようにと、遠まきに眺める。
犬たちの先にいるワンボックスに、憐れむだけだ。
追われる部員たちも、何も分からず車内から眺めるしかない。
ラウラの先導を受け、部長は必死に車を走らせる。
「どうするんです、部長」
「もうどうにもならん、飲まれんように祈るだけだ、なっ──!」
ラウラは角を曲がった。
部員の男に答え、部長はハンドルを切る。
車が加速。角にドリフトして──
そのまま鮮やかな円を描いて、再び加速した。
「どうしたんですか部長!」
「あんなのいけるか!」
肩を震わせ叫んだ。
家間を飛び越えたラウラが、車に併走する。
ちらりと見れば、その眼は謝罪をありありと映している。
部員が叫んだ。
「また来たぁ!」
見れば、今逃した角からも、犬の群れが現れた。直進していた群れと合わさりさらに大きな群れとなる。
それはまさしく、犬の氾濫。
「わぁ、わんちゃんいっぱいだぁ! いっぱいだよ、くろいぬさん!」
〈おいおい、まずくないか、これは〉
何処からきたのか、野良犬の波は進む。道を埋め尽くし、草木も飲み込み、突き進む。
叫び声と怒号に、気づけばサイレンも混じる。
パトカーを追い越した。バイクの部員らは、パトカーにも追いかけられているらしい。
警察も気づかぬ間に、みるみると波は迫ってくる。
唸り、吠え、うねる。
吹き飛ばされたガラクタが空を舞う。飲み込んだ波は揺るがない。何事も無いように波は蠢き進む。
「ねぇねぇ、くろいぬさん」
みぅが、言った。
〈何だ?〉
「まただね」
〈また、か。やはり……〉
気配があった。それを、みぅも感じ取ったらしい。どこか、うれしそうだった。
────────!
吠え、猛る群の声を物ともせず、遠吠えが響きわたった。
見渡せば、波の中にその主がいた。
あの砂浜で会ったポメラニアンだ。
周りを優に超す大型のマスティフに乗り、吠える。
〈やっぱりあいつか!〉
「わー! またあえたね!」
〈そんなこと言ってる場合か!〉
吠えながらも、ラウラは走りを止めない。
いくらか、犬がラウラに迫ってきた。
血の気立ち、牙を剥き出しに襲いかかるコーギー。
〈甘い!〉
あまりにも隙だらけの攻撃。たやすくかわしたラウラはそのまま踏み台にする。
そのラインをなぞるように、パピヨンが迫る。その爪をみぅに立てんとして。
〈出直してこい!〉
ラウラの尾にはたき落とされた。
着地を襲うゴールデンレトリバーの群を突き飛ばしながら、ラウラはうめいた。
〈私が狙いかぁ!〉
その声を合図にしたように、新たな一群が迫る。
しなやかな動きで鋭く襲いかかるシェパードを、ドイツ式犬格闘術でいなした。
居合いのごとき一閃を放つ甲斐犬との一幕。織斑教官仕込みの白刃取りが無ければ命を落としたかもしれない。
次々と現れる刺客の冴える一手をしのぎながら、ラウラは走る。
そして、戦車のように重く迫るセントバーナードを足場に連携するシーズーとブルドッグが襲いかかる。
不意をつかれ、万事急するその時。
横合いから現れた犬に殴りとばされた。
「何っ……」
「あっ!」
同士討ちに呆気にとられる間に、助太刀した犬は波に紛れ、見失ってしまった。
攻防の間に、バイクの少年たちが飲まれ、流された。
残る部長らやワンボックスにパトカー、皆が波にもまれ、悲鳴を上げている。
〈随分としつこい!〉
次第に目の前が開けてくる。
街路樹を抜け、足の感触がアスファルトではなくなった。土だ。
ここは、広い公園だ。背後には、無骨ながらも荘厳な趣で建つ高いビル。
ラウラは振り向き、吠えた。
〈来い! 決着をつけたいんだろう!〉
乗り上げた車たちがラウラに並び、止まった。
追いついた波が形を変える。ラウラたちを取り囲むように円を描いて勢いを止めた。
円を割るように、悠然と現れた。あのポメラニアンだ。共は居ない。
中程まで来て、小さく唸った。
通じたのだろうか、ポメラニアンは構えた。
相対し、身じろぎもせずにらみ合う二匹。
鼓動が遅くなっていく。
風の音も、町のざわめきも、パトカーのサイレンも研ぎ澄まされる感覚に消え去った。
同時に動いた。
ポメラニアンの踏み込みは蛇のように地を這い、鋭く足を狙う。
ラウラは一閃を避けて、狂った歩調を物ともせずに足を振った。
IS犬の脚力まかせの乱暴な大振りだが、ポメラニアンは勢いのまま転がることでやり過ごした。
跳ねるように急激な方向転換。鼻先に牙を立てんとするポメラニアンを、返す足で打ち払う。
はねとばされたポメラニアンは、着地とともに姿を消した。
地を這い、再び鼻先まで迫るポメラニアン。
爪が走り、一瞬の交錯。
背を向け合った二匹。
倒れたのは、ポメラニアンだった。
〈すばらしい戦いとは、このような戦いを言うのだろうな〉
感嘆したラウラは、露わになった金の眼で足下を見た。
そこには真っ二つになった眼帯。地の落ちたそれは、鮮やかな切り口を鈍くも、誇らしげに輝かせていた。
「終わった……」
だれかから、そんな言葉が漏れた。
倒れ伏すポメラニアンの姿に、犬たちに動揺が広がる。
いきり立って吠える犬、何も解らないようにウロウロする犬、尾も耳も丸め怯える犬。
吠え、一匹がラウラに飛びかかる。難なく受け止めた。
何度も吠える犬を前に、ラウラは動じない。
また何匹もの犬が飛びかかろうとしたとき。
車が一台、動き始める。黒服らのワゴンだ。犬らの混乱を幸いと、脱出を謀った。
加速し、円を割ろうとする。その直線には未だ動けないポメラニアンが居て、
〈──いけないっ!〉
ラウラが動いた。正面に立ちふさがったかと思うと、車はつんのめるように急停止し、吹き飛んだ。
車は転がり、犬の輪を割って砕けた。二つになった車体だった物から、男たちがほうほうの体で這いだしてくる。
中に、黒服の男もいた。
ラウラのIS『シュヴァルツェア・レーゲン』の機能、AICによって慣性を止められたのだ。対象の選択と元々の慣性ベクトルとの調整によって、傍目には動きもせずに、車を投げ飛ばしてしまった。
「ぐ、ううぅ、何が起こった……」
何が起きたのか理解できず、うめき声を上げる男たち。
怒り狂った犬たちがとびかかった。群がり、吠え、牙を立てんとする。
そして、地震が起きた。
いや、違う。
咆哮だ。
空気を響かせ、地面を揺らさんばかりの声が轟いた。
一喝に犬も人も皆動きを止め、その元を見る。
立ち上がったポメラニアンだ。未だ立ち直り切れていないようで、息を荒げ、足を震わせている。
声を出せるかも怪しい状態なのに、かの犬の咆哮だと誰もが疑わなかった。静まり、皆が惑う中、みぅがボロボロの黒服に話かけた。
「ねえ、おじさん」
「なんだ、あとおじさんはやめろ」
「鬼ごっこはもういいの?」
「鬼ごっこ? ……そんな話になっていたな。全く、誰がそんなことを言ったのやら」
「逆に聞いてしまうが、お嬢さんはもう良いのかい?」
「んー、もういいよ」
「そうか」
「おじさんも、おじさんのおともだちも、ありがとう! たのしかった!」
「……そうかい、それは良かった。じゃあ、俺はもういこう」
そういって、黒服の男は残った銀のワンボックスに乗り込もうとする。
「おい、車を出すぞ!」
「またね」
「……ああ、またな」
笑顔で答え、車内に入ろうとして、
「あ、すみません、ちょっといいですか?」
制服をきっちりと着込んだ警官に、声をかけられた。
何事も無いように、平然と黒服は答える。
「なんでしょう、ちょっと急ぎの用があるので」
「すぐに済むので。運転手さんはなかです、それともあなた?」
「中に居ますよ、では」
「あ、ちょっと。速度超過とか危険運転とかいろいろ注意しなきゃいけないんです」
「では私のほうからよくいっておきますよ。ご忠告ありがとうございます。それでは」
「ちょっと、事故起こしてからじゃ遅いんですーーー」
しっかりと礼をした黒服の懐から、何か落とした。
ゴトリ、と鈍く重い音をして落ちたソレは、黒く鈍く輝き、手に握りやすい大きさのL字型のシルエットがとても特徴的だった。
世に言う、拳銃・ピストルである。
「え?」
「あ」
「……あ、いや、その」
警官からの威圧を伴う無言の視線にたじろぐ黒服。
サイレンの音もまた聞こえてきた。
「職質中に拳銃発見、応援求む」
「ええい、三十六計逃げるにしかず!」
「あ、逃げるな!」
逃げる男と、追う警官。そのままもつれ、犬たちに突っ込んだ。円の形を保ちながらも、あくびをするほどに気もそぞろになっていた犬たちは、突然のことに大いに混乱した。吠え、鳴いて戸惑う。
そこへ、応援に呼ばれていた警官も円を掻き分けて加わったことで事態が混迷を極めた。
散り散りに逃げる男等。それを追う警官たち、踏まれて蹴られ猛り興奮する犬たち。最中で巻き込まれたラウラとみぅ、部員たち。
乱闘が再び始まる。
「どけっ、どけぇ!」
「おとなしくしろ、逮捕だ!」
「咬むなぁ!」
叫び声が聞こえる。誰が言ったのか、どこから聞こえるのか、わかりやしない。
「ああ、退路をふさがれた!」
「ちょっと、どうするの」
「面倒なことになってきたな」
怒号響く雑踏のなか、いつの間にか茂みに突っ込むように倒れたワゴンの陰に隠れながら、ラウラは思案していました。
取り残された部員も、隠れて機会を伺っている。
等裏は、茂みから聞こえる物音に気づいた。
「……ん?」
「どうしたの……あっ」
ついで、みぅも気づいた。
ガサガサと、そばの茂みがやけに揺れている。
一瞬で、ラウラは動きました。みぅをだき抱えようとして、
「あー!」
「あっおい、危ないぞ!」
現れた陰を見るなり、みぅが飛び出して行きました。
「やっぱりワンちゃんだぁ!」
現れたのは、砂浜であった。あの柴犬。
茂みから現れた柴犬はうぉう、と答え、みぅに嬉しそうに飛びつきました。
「やはり、お前か。さっきは助かった」
そう、礼を言った。
ラウラは柴犬を見ても、あまり驚かなかった。荒れ狂う波の中、不意の一瞬を救ったのがこの柴犬だと、気づいていた。
みぅは柴犬をモミクチャになでながら、言った。
「また、あえたね……!」
「ウオォゥウ!」
ぎゅっと、優しく柴犬を抱きしめる。
◆ ◆ ◆
怒号は未だに続いている。
見れば、部らはしたたかにも輪を抜け出し、野次馬に紛れていた。
未だ続く乱闘を眺めながら、ラウラは言った。
「さて、私はそろそろ行こう」
「……もう行っちゃうの?」
柴犬を抱きしめながら、みぅは寂しそうに言う。
「また、あえる?」
「……約束はできない」
膝を落として、みぅに視線を合わせながら、ラウラは言った。
「だけど、その日のうちにこうしてまた会えたんだ。きっとまた、会える」
「うん」
遠くから、みぅを呼ぶ声が聞こえてくる。
いつの間にか輪はズレて、ラウラたちは外にいた。
「あ、ママだ」
「行ってこい、ママに友達を紹介しなければな」
「らうらも、ともだちだよ」
「──ああ、友達だ」
「ウォォウ!」
「お前も、友達だよ」
ラウラも、みぅも、柴犬も笑う。
「ではな」
「うん、じゃあね」
言うや、ラウラは黒犬に変身して、彼方へ一跳びで消え去ってしまった。
バタバタと女性が駆け寄り、みぅを抱きしめた。
「ほんとうにゴメンね、みぅ。ママ、居なくなってばかりで」
「だいじょーぶだよ、ともだちがいるもん」
「ううっ……え、ともだち? あら、そのワンちゃんは……」
「しょーかいするね、きょーできた、わたしの、ともだち!」
「ワォゥッ!」
この野良犬大騒動の後、市長を中心とする提案により、公園内の野良犬のいたあの区画を、正式に保護施設として整備する事になった。野良犬を中心に野生化動物の保護・観察をして、飼い主募集も行うことで野良犬削減と自然保護を両立させるのだ。一般開放もされて、公園が広がることでたいそう喜ばれた。
あの一体に巨大ホテルの建設計画も合ったそうだが、これで消えたことになる。
「自然」を住民は求めた。
保護活動といっても、むやみな干渉はせず、人に慣れるようになるだけ、を目指す。そのために区画では、檻などの過度な隔離は行っていない。そのせいか、普段は見慣れない犬が時折混じることもあるらしい。だが、不思議と人への危害は無いことから、職員らはあまり問題視はしていないようだ。
この計画を披露した際の市長の写真は、広報など、広く載せられている。
市長も率先して元野良犬を飼ったというその写真には、うら若き市長に抱かれる柴犬が写されていた。
◆ ◆ ◆
夜。ラウラは、監視装置と警備員、宿直担当教師の監視網をくぐりぬけ、屋上へとやってきた。
夜の屋上は昼とくらべてもまだ冷えている。
空を見れば、雲のない空に細い月が輝いていた。
今日は、珍しく星がよく見える。地上の学園を見れば、外の照明は落とされて暗闇となっていた。何事かと思うが、風にのって届いた声が教えてくれた。どうやら校舎のほうで、天文サークルによる星の観察会が行われているようだ。盛況のようで、驚き笑う声が流れ聞こえてくる。
星はそこらにあるものだとおもうのだがなぁ……わからん。
不思議と、普段よりもくっきり見える月に照らされながら、ラウラはぼんやりしていた。
頭のなかに浮かぶのは、みぅのこと。
みぅのこの空を見ているのだろうか。いや、もう寝ているんだろうな、みぅは。
きっと、おだやかに眠っていることだろう。あの柴犬と一緒に。
その夜、雲一つ無い月の映える空に、遠吠えが響き渡る。