ワンフィニット・モフラトス   作:我武者羅

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弾:五反田食堂一大事・店主を探せ
五反田食堂事件


 青々とした桜が生い茂る五月頃。織斑一夏は学園を出て街へと来ていた。

 昔から知る、今も元気な商店街だ。

 まるで喧嘩のような声の絶えない夫婦の自転車屋に、客が来るのが不思議なほど無愛想な店長の、ナポリタンがいやにうまいカフェ。なぜかよくコロッケを分けてくれるお節介な揚げ物屋。

 少しばかり離れていただけで、この何ともない光景がこうも懐かしくなるものかと、一夏は驚きを感じていた。

 目を移すだけでは足らず、きょろきょろと辺りを見てしまう。

 お昼時、腹の虫がちょうどよく鳴き出す頃。腹を満たさんといざ訪れた定食店の前で、一夏は佇んでいた。

 固く閉ざされた扉。すりガラスから覗ける店内は暗く、明かりも点いてないことが伺える。

 

「閉まってる……あれ?」

 

 一夏はただ、首をかしげるしかなかった。

 

 

 織斑一夏は世界初の男性IS操縦者である。彼の発見が公表されると、すぐに世界規模で大きな騒ぎとなった。

 ワイドショーは一夏の話題で持ちきり。電話は鳴り止まず、外に出れば、彼を眼に納めようと人だかりが一夏を囲む。

 民衆は口々に一夏を話題にし、『友人』というにはあまり覚えの無い昔の同級生などがインタビューに出る。

 一歩外へ踏み出そうものなら、レンズが集まる。

 世界中からの注目を受けてまでむやみに外出する勇気など、一夏にはまだ無かった。

 以前はよく放課後やら休日に友人数人でつるんだりしていたのだ。

 この騒ぎからは新しい道までのささやかな時間を、友人と過ごす余裕なんてものはどこかへ消えた。

 一人でいる時の安らぎも、同じように行ってしまった。

 屈強で威圧的な監視と護衛に囲まれた生活。友人とは電話やメールなどで時たま話ができればいいほうだった。

 

 IS学園に入学してからは、電話をとる暇も無い。

 元々ISの素人だった一夏が、IS学園にはびこる精鋭に食らいつくだけでも必死だ。

 数年ぶりの再会となった幼馴染みや、国家代表候補生達にクラスメイトの協力、そして教師の厚い教えもあって、他の生徒の残り香くらいまでははなんとか追い付いて見せた。

 四月が終わる頃に学園外への外出を考える余裕もようやく出てきたのだ。

 

 IS学園は少しだけ離れた離島であり、陸地と直通で生徒が利用できる交通手段はモノレールくらい。海路、空路もあるにはあるが、輸送用しかない。

 国外からの入学生も多いため、IS学園は全寮制となっている。

 門限だけならともかく、外出にも申請が必要だ。

 素行なり事情なりで問題があるならともかく、たいてい許可はあっさりと出る。

 特大の事情の塊である一夏だが、外出許可はあっさり降りた。

 友人にも外出を連絡し、久しぶりに会おう、と決めたのだ。

 そうして訪れたのが、彼の家でもあるこの定食屋であった。

 だが、木枠にガラスをはめこんだ年季のあるその扉は閉ざされている。定休日に休日は入ってないはずだ。

 先日に連絡した時は何も異常は無かった。 

 何か連絡ミスでもしたのか、と首をかしげていた、その時だった。

 突如、扉が乱暴に開けられる。

 

「うあぁっ!ちきしょう!」 

「うぬわぅ!」

 

 いきなり飛び出して叫んだ男に一夏は驚いて後ろへ飛び退き、踵をつまづいて尻餅をつく。

 一体何者かと警戒した一夏に、その男が声をかけた。

 

「おう一夏、久しぶりだな」

「だ、弾、久しぶり……」

 

 この男こそが、一夏の友人、五反田弾である。腰まで延びる、紅く長い髪に暗緑に染まる愛用のバンダナを巻き、Tシャツにハーフパンツと休日らしいラフな格好だ。

 

「いや、弾!店は何で閉まってるんだ? 今日は休みじゃないはずだろ?」

「しょうがねぇだろ、今爺ちゃん居ないんだから」

「え、居ないの?」

「あぁ、だから、ほれ」

 

 ごそごそと、扉から半端に剥がれて垂れ下がった紙を貼り直す。そこにはなかなかに達筆な『臨時休業』の文字。

 

「『臨時休業』!? 厳さんはどうした? なにかあったのか?」

「いま居ねぇよ!ちくしょうがぁぁ!」

 

 苛立ちを隠さずに叫ぶ。挙動不審としか言いようがないが、不思議と周りの人々は気にしている様子は無い。

 

「い、居ない? あの厳さんが?……何処か悪くしたのか?」

「いや、ホントに居ない、行方不明だ」

「は? 行方不明?」

 

 あの人は、休みの時ですらほとんど厨房から離れることは無い。

 そんな人が行方不明とは、何が起きたのだろうか。

 

「どういう事なんだよ、それは」

 

 首をすくめ、店内を示し弾は言った。

 

「まあ何だ、中入れよ。積もる話もあるしな」

 

 

 厨房から弾が野菜を炒める音が響く

 一夏は、五反田食堂店内の椅子に座り、久しぶりになる中を見渡す。

 店内にいくつも貼れたメニュー。それなりの数を揃えながらも庶民に優しい、抑えた値段設定。

 テーブル席が中心店内は、昔懐かしい雰囲気をかもしだす。

 料理を一品仕上げた弾は、盛り付けた皿をこちらのテーブルに置く。

 シンプルな野菜炒めだ。キャベツの緑に白いネギが豚肉を彩る。

 

「奢りだ。食えよ、再会のお祝いだ」

 

 三ヶ月も経ってないだろうに。だけど、せっかくだ。ありがたくいただく。

 

 この『五反田食堂』に起きている事態。

 店主で、弾の祖父である五反田厳が夜も明けない頃に外出したきり、行方が知れないのだ。

 

「仕入れに出るって居なくなることは確かに何度かあった」

 

 それは店近くの八百屋や肉屋だったり、市場では手に入らない『良い』食材を探しに行くときだ。

 

「だが大概は日帰り、一度だけ日を跨いだことはあったが夜明けにはもう帰ってきていた」

 

 だが、今回は今までとは違った。

 

「これだよ」

 

 弾はポケットから紙をだす。筆を使った、力強くはっきりとした筆跡があった。

 

「見ての通り、『臨時休業にしておけ』と書き置きがあった」

 

 天を仰ぎ、こみあげる思いがにじむように叫ぶ。

 

「臨時休業だぜ! オレはまだつかえねえってのか!ちきしょうが!」

 

 久しぶりに会ってからずっとこの調子なわけが、一夏にはようやくわかった。

 悔しいのだ。お前はまだ店には足りん、と言うのも同然だ。弾はこの五反田食堂を継ぐ、と決めて学業の傍ら修行をしている。

 中学の頃、厳さん渾身の逸品、業火野菜炒めがどうしても俺にはできないのだとよく愚痴を聞かされたのを覚えている。

 まあ未成年が厨房を一人で切り盛り、というのも不味いかもしれないが。

 

「…居なくなって何日になる?」

「今日で四日だ」

「警察には?」

「ちょうど今、母さんが行っている」

 

 その時だ。店の扉が強引に開けられ、数人の若い男が押し入ってきた。

 染められた黒まじりの金髪に、ワックスで逆立てて固められた髪。着崩した服には金やら銀色の趣味の悪いアクセサリーがギラつく。

 鎖などが巻かれた手に持つのは金属バットや鉄パイプだ。

 あからさまな不良である彼らは嫌らしく笑いながら、声をかけてきた。

 

「てめぇが、弾、か」

 

 雰囲気が怪しい問いかけに一夏はつい、その名を呼ばれた友人を見る。

 目が合った。弾もまた同じようなことを考えたらしい。

 警戒をあらわにしつつ、弾は立ち上がり名乗り出た。

 

「俺がそうだ」

 

 ねぶしかむように見る。直接は弾を見たことは無いのだろうか、しっかりと確かめるように弾に視線が集まる。

 

「そうか、お前だな」

 

 そして手に掴む得物を振り上げ叫んだ。

 

「ちょっと面ぁ貸してもらうぜぇ!」

 

 

「うおっと、そら!」

 

 弾は身軽にバットを避け、掴み上げた椅子で鉄パイプを受け止める。

 そこへ横合いからまた降り下ろされたバットを、鉄パイプを絡めたまま受け止める。

 パイプを離さず、つられ体勢を崩した男に蹴りを入れると同時に、椅子をバット男に突き入れた。

 

「くそ重てぇ中華鍋を振らない日は無いんだ。甘くみんな!」

 

 店内に入り込んだ男たちは弾を取り囲んだ。

 逃げ場の無い状況に、弾はぼやく。

 

「せめて外でやれってんだ。店が壊れる」

 

 その時、脇から小太りの男が跳ばされた。

 ついでとばかりに取り囲まれた一夏が、男の一人を投げとばしたのだ。

 

「おう、やるじゃねぇか一夏!」

「いや、まさかこうまでうまくいくとは……」

 

 IS学園の授業の中にある護身術がある。いくら『最強』と呼ばれるISとて、装着しなければ、そこにいるのは基本、か弱い女子だ(一夏はまた違うが)。

 装着できない状況での対処の対処のため、この授業がある。そこで姉に叩きこまれた技をうまく使えただけだ。

 まぐれだと一夏は痛感している。

 座りこむ姿勢の一夏に迫ってきた逆さにキャップを被った男は、拾い上げた椅子で押しだした。

 次に来たのは特に巨漢なサングラスの大男。

 よく締まった手足は丸太のようだ。

 不良よりも警察や消防などのほうが似合うのではないだろうか。

 振るわれたバットを避け、ひとまず蹴りを入れたが、サングラス男はものともせずにその手のバットを振り上げる。たまらず一夏は机に潜り込むが、構わずバットをふるい、机の天板にひびを入れる。

 そして、机を引き剥がしにかかった。さらに横合いからも挟み込むように二人も近づいてくる。

 まずい、さすがに相手が多い。これでは手間がかかって、店の被害が大きくなる。

 今はただの男一人じゃ足りない。やるしかない。

 悪態をつかずにはいられなかった。

 

「ちぃい!」

 

 サングラスの大男が机を引き剥がしさんと手をかけたときだった。

 その下で何かが光った途端、机がゆっくりと、膨れ上がるように持ち上がる。そして、サングラス男を巻き込んで吹き飛ばされた。

 随一である大男がの有り様に、皆が何事かと先程まで机のあった場所を見る。

 そこに現れたものを見て、弾は思わず声をあげた。

 

「おおっ、それが噂のものか!」  

 

 男たちは、まさかと目を見張る。

 

「なっ……」

「犬に、変身した!」

 

 そこに居たのは、純白の大犬。人の背ほどに大きく、毛の上からも筋肉が見えるほどに力強い。

 その毛は雪のように白く、光を受けて水晶のごとき眩い輝きを放つ。

 ただの灯りに照らされて、この毛並みの美しさ。陽の元なら、どれほどだろうか。

 弾すら目を見張るきらめきに男達が見惚れる中、誘惑振りきる悲鳴をあげた男が一人、突如現れた大犬に怯まず、襲いかかる。

 だが、あっさりと飛ばされ、壁に叩きつけられた。

 ただ、よくのびた鼻で男の体をすくうようにしただけだ。

 その桁外れの力に、男たちは目の前のものが何か、認めざるを得なかった。

 

「ま、まさかコイツ……!」

「IS男か!」

 

 その声に答えるように、専用機『白式』をまとった一夏が吠えた。

 唸りにもならないただの声だが、男たちにはめっぽう効いた。

 

「ISが出てくるなんて聞いてねえぞ!」

 

 一人が背を向け、外へとかけ出す。

 途端、堰を切ったようにほとんどが同じように走った。

 鬼にでも会った幼子のような逃げっぷり。

 慌てふためき、ぼろぼろと得物を落とす始末だ。

 残ったのは、リーダー格であろう、最初に声をかけてきた男だけだ。

 突然のことに困惑を隠せず、しきりに辺りを見回す。

 そして、一夏と目があった

 

「あ、あ……っ」

 

 一夏の唸りと共に、横から弾が声をかける。

 

「まだ、やるか?」

 

 男はあまりの事に顔を青くする。

 耐えきれず、彼も外へとかけだした。

 

「お、覚えてやがれぇ!」

 

 つまづき転ぶが、大男が拾い肩に抱えて逃げ出した。

 去っていった嵐に、弾はぼやく。

 

「一体何だ。何かやったのか、お前は」

 

 とぼけた事を言う弾に、一夏はどこか悲しげな眼をする。

 頭でも打ったのか、と言いたげだ。

 自然と、にらみあう形になる。

 そして、店の奥に目をむけた。

 バタバタと、階段をかけ降りる音がする。

 奥ののれんをかき分けて現れた少女は、猛烈に叫んだ。

  

「兄ぃさっきから何!?うるさいじゃない、近所迷惑よ!」

「おう、蘭」

 

 少女の勢いをものともせずに、弾は気楽に声を返す。

 この少女は、五反田蘭。弾の妹である。

 タンクトップにショートパンツと、こちらもラフな格好だ。

 蘭は店内の様子を見て、悲鳴をあげた。

 

「兄ぃ、店の中ぐちゃぐちゃじゃない! なにやってんの! その犬も何!」

 

 彼女が叫ぶのも無理はない。整然としていた机と椅子はくぢゃぐちゃに崩されている。ちらほらと捨てざるをえないほどに壊されてもいるのだ。

 店内での騒ぎが揉め事であったことは一目瞭然。      

 客がいなかったのは幸いであろう。

 蘭の追及には弾も目をそらすしかない。

 

「まあ色々あるが、とりあえず犬はな、おい、もう戻っていいんじゃないか」

 

 その言葉にうなずき、ISの変身を解く。

 塊となった光が糸のように解れ、一夏は人の体を取り戻す。

 蘭はこの現象よりも、現れた人に驚いた。

 

「い、一夏さん!?」

「やあ、久しぶり」

 

 急に、蘭は顔を赤らめた。

 先程までの元気な様子はどこへやら、体を縮こませ、もじもじとする。

 この反応に、弾は苦笑いするしかない。

 蘭は恋しているのだ、この男に。

 

「ア、IS学園に行ってるんじゃぁ……」

「ただの休みだよ、家を見てきたついでだ」

「じゃあ、さっきの犬は……」

「俺のISだな」

 

 何やらうめいてうずくまる蘭を横目に、にやついた弾が尋ねてくる。

 

「やっぱり、良いとこなんだろう? IS学園は」

「いや、そこまで良い所って訳でも無いぞ」

 

 そっけない言い方に弾はぴしゃりと額を叩く。

 

「かあーっ、てめぇ、全世界の男が望んでやまない女の園に一人行ってそれは無いぜ!」

 

 弾の言葉に、一夏は愛想笑いを返すしかない。

 今の蘭のような格好で休日を過ごす人も多く、眼の毒であるのが一夏の正直な所だ。

 頭を抱え弾をにらみつつ立ち上がり、蘭は言った。

 

「私、こんな近くでISを見たの初めてですよ」

 

 蘭の言葉に、一夏は聞いた。

 

「ん? じゃあ触ったことも無い?」

「はい」

「なら、ほら」

 

 一夏は己の腕輪に手をやった。

 その動きを見て、弾が小声で声をかける。

 その物が何かはすぐにはわからなかったが、一夏がやろうとしている事はわかる。

 そこから、一夏が手をやった腕輪も見当がついた。

 この腕輪が一夏のISだ。

 ISは、待機形態として、装飾品ほどに小型化することがができるのだ。

 

「いいのか。さっきはスルーしちまったが、確か外でのISの起動はまずいんじゃないのか」

「まあ、装甲までの全展開はさすがにまずい。だけど変身だけならほぼ問題無しみたいだ、昔から」

 

 ほぼって何だ、と弾は言いたかったが、止める間もなく一夏は変身してみせた。

 そこに現れた大犬に、蘭はほう、と息を吐く。

 

「い、一夏さん、かわいい……!」

「じゃあほれ、蘭」

 

 頭を掻きつつ、弾は一夏から離れ、そこへ蘭を寄せる。

 

「え……?」

 

 突然の事に戸惑う蘭に、一夏が触れんばかりにさらに身を寄せる。

 弾が言った。

 

「触ってもいいそうだぞ?」

「ウォウ」

「えぇっ! で、でも……」

 

 突然のことに追い付いていないようでしり込みする蘭を、兄である弾は諭す。

 

「尻込みすることは無い、蘭。ほら、よく見ろ、触ってくれと尻尾を振ってる。気楽にいってこい」

「い、言わなくていいわよ、お兄ぃ! それくらい、わかってるわよ……」

 

 兄の言葉に驚くも、すぐに決意を硬めた。

 緊張を隠しきれないが、蘭は言った。

 

「じゃ、じゃあ…………失礼します……」

 

 手を伸ばし、恐る恐る触れる。その手は、純白の絨毯に沈んだ。

 するとどこかにあった躊躇いは瞬く間に消え去り、瞳を輝かせて喜びを顔に浮かべる。

 

「わあぁ、ふわふわ、やわらかぁい……!」

 

 満面の笑みを浮かべ、全身で絨毯に身を投げ出した。

 人ほどと、そこらの犬とは一線をき

す超大型犬がIS犬だ。人に全体重を寄せられてもびくともしない。

 溶けそうなほどに浸り、夢心地な蘭に、そっと弾は語りかける。

 

「で、中が何でこんなに荒れているのかだが」

 

 夢を覚ますのは悪いが、逃げるわけにはいかないし、逃げようにも一夏は蘭に抱かれている。

 弾は厨房口脇を示す。

 まどろみの中、蘭はつられてそちらへ目を向けた。

 そこにある物をしっかりと認識すると、蘭は慌てて一夏に隠れるようにうずくまった。恐れる恐ると、そこにあるものを見つめる。

 そこにあるのは、手足を投げ出すように気絶している男。先程の男達の一人だ。

 

「あいつやその仲間のせいなんだな、これが」

 

 不安げな瞳が、弾を射す。困惑した蘭が言った。

 

「お兄ぃ……何をやったの……?」

 

 蘭と共に一夏も、ジロリ、と弾を見る。

 

「おいおい、お前もそんな眼で見るな。分かってる、こいつらは俺が目当てだった。だが、オレはこんな妙なのけしかけられるような覚えはないぜ」

 

 何があるのかと、弾は頭を抱える。

 

「やれやれ、警察連れてきてもらうか、ちょうどいいし」

 

 弾は携帯を手に連絡をとり始める。

 毛触りを手慰めにしつつ、店内の片付けの算段を練る蘭に、まだ犬である一夏が顔を寄せてきた。

 何かを言いたげにしている。

 

「……? 何ですか、一夏さん。……口元の匂い、歯磨きはしっかりして、そうじゃない、この人たちの?」

 

 一夏は倒れているこの男の口の臭いを嗅げ、と言いたいようだ。

 乙女になんて事を。あまり近づきたくないが、あの一夏さんの言うことだ。信じたい。

 さすがに直接嗅ぐのは嫌なので、その口元を手であおぐ。

 すぐに、顔をしかめた。あまり歯をよく磨いてないのだろう。人並みよりは臭う。しかし嫌というより、何で、という思いが強い。

 

「…………あれ」

 

 疑問を解くため、蘭は弾を呼んだ。

 母との連絡を終えた弾が来る。

 

「何だ、蘭」

「一夏さんもいってたけどこの人たちの口の匂い……」

 

 蘭の話に、弾は肩をすぼめて首を振る。

 

「匂い?オレには野郎の口臭を嗅ぐ趣味は無いが……」

 

 いぶしかんで一夏を見る。

 

「お前、そんな趣味あんの」

「バウォウ!」

「ああ、嫌、すまん」

 

 嫌そうに顔を口元に近づけて、嗅ぐ。

 途端に、顔色を変えた。

 

「こいつは」

「やっぱり、そうでしょ」

 

 蘭の問いかけに、弾は頷いた。

 

「ああ、間違いねぇ、間違いようがねえ。オレたちはいつもこの香りを嗅いでいる」

 

 思わず天を仰ぐ。

 何をやってんだぁ。あの爺さんは。

 まぁ、手がかりもない闇にひとすじの光明が見えた。

 

 

――――この匂い、業火野菜炒めの匂いだ

 

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