五反田食堂編完結へ四話分をポツポツ投下。
業火野菜炒め。
五反田食堂初期から続く看板メニューとして知られ、お手ごろ価格ながらたっぷりな肉と野菜によく絡んだタレがよく合い、白く輝くご飯と共に食べれば、時を忘れると評される。
そのタレの正体は未だに解らない。幾人もの常連客や料理家が挑んだが、たどり着いた者はいないと言う。
「で、この不良の口から業火野菜炒めの匂いがするだと」
ひとまず野次馬を追い払い、弾は言った。
苦々しい表情をする弾の問いに、一夏はああ、と頷く。
頭を抱える弾に、蘭は言った。
「これ、やっぱりお爺ちゃんのだよね」
「ああ、うちじゃあ、じいさんしか業火野菜炒めは作れない」
起きる気配の無い不良の口に手を伸ばしながら、弾は言う。
グニリ、と唇を動かして歯をみれば、白い歯がのぞく。根本に滓は少なく、目立った黄ばみも無い。
「いくらガラが悪くとも、意外ときれいな歯だ。少なくとも毎日は歯磨きしているようだ」
「と、言うことは」
「間違いなく、食った直後だな」
この不良、業火野菜炒めを昼飯にでも食べたのだろう。他に臭いの強いものを食べていたら、直後に歯磨きしていたら、わからなかった。ありがたい。
問題は、どこで食べたのか。
「こいつに聞けば、色々わかるかも知れないな」
弾に頷く前に突然、犬の状態の一夏が首をあげた。さりげなく首に巻き付き、毛並みを堪能していた蘭もつられて反応する。
何だ、と聞く間もなく、弾にもわかった。
町中に響き唸る音、家々を照らす赤の光。間違いない、パトカーだ。
ようやくやってきた警察だが、あ、と弾は手を打った。どうにも嫌そうな表情をしている。
「しまったな、警察呼ぶんじゃなかったな」
「しなかったら、周りの人から通報されたんじゃないかしら」
「いやぁ、母さんにもバレるぞぉ、色々言われるぞぉ」
「休業で結構注目浴びてたみたいだし、あの騒ぎの上に店がぐちゃぐちゃじゃあすぐ知られると思うわ……」
しばらくは噂されそう、と蘭が頭を抱え、一夏に慰められる間に、外は再び慌ただしさを増す。
やはり野次馬はあまり散ってくれなかったようだ。
よし、と弾は気合いを入れ、蘭に声をかける
「蘭!」
「何?お兄」
「すまんが、ここを頼む。」
やはりか、蘭はため息を吐く。家族なり友人なりが絡んだときの行動力はすさまじい。
一夏との馴れ初めも、蘭が一夏に粉かけただの、ちょっかいかけただのという話に憤って喧嘩を仕掛けた、蘭を想った行動がきっかけだ。喧嘩を仕掛けたのは男を試すため、というのが弾の弁だがさすがに手段が荒いと蘭は想っている。そもそも粉かけ云々は、一夏の人気と蘭の反応からの早とちりであるが。
なお、当の一夏は己の人気ぶりなど、そこら辺の事情を未だにほぼ全く理解していない。かつて男連中など周りから妬まれつつも、特に問題が無かったのは、こういった鈍感ぶりに皆諦めがついたのが一因であったりする。
蘭は目を覚まさない不良を指し、聞いた。
「それはどうするの?」
「持っていくよ、聞かなきゃいけないからな。いけるか、一夏」
まかせて置け、と一夏は吠える。
「本当、ずるいわね、お兄は」
「ごめんな」
「私だって行きたいわよ。早くお爺ちゃんを連れ戻さないと、お店も大変だからね」
不満は見せつつも、弾を後押しする。
「今回は我慢するけど、絶対に見つけてきなさいよ!」
「ああ、絶対だ」
「あと、また今度一夏さん呼びなさいよ。そのときは私にもしっかり怠りなく伝えなさい、分かってるんでしょうね、お兄?」
「……はい」
ひっそりと耳打ちで、釘を刺しておくことも忘れない。弾と一夏は警察が面倒なので逃げる、と言うことは変わらない。このくらいはさせてもらって良いだろう。
そっと一夏により、その頬に手を添える
「兄のこと、お願いします、一夏さん」
瞳をかわし、一夏は小さく頷いた。
二人から蘭は離れ、ほほえんだ。
「じゃあ二人とも、いってらっしゃい」
「いってきます」
「ウォン!」
笑顔で答え、一人と一匹は駆け出す。未だに延びている男を連れ出すことも忘れない。一夏の背に荷の用に乗せ、共に乗った弾が押さえる。
「じゃあ、行くぞ一夏ぁ!」
「ウォオゥ!」
突如として外に飛び出せば、再び集まった野次馬が一斉に二人を見た。迫る彼らに驚き引いた隙間を抜け、店の前に止まったパトカーを踏み台にし、警官や野次馬の注目を浴びながら、向かいの屋根も飛び越える。
喧騒を置き去りにし、空へと踏みだし、駆けていく。
「な、何だぁ、今のは」
すぐに屋根に消えた一夏を見るのは、パトカーの運転席から降り立った若い警官だ
新米であろう若い警官は、風のごときあまりの速さに去った犬にしばし呆然とする。
遅れて後部座席から出てきたのは、彫りの深い顔立ちの、年かさの言った警官だ。ベテランの風格を漂わせる警官は、犬が踏みつけたパトカーの屋根に目立つ大きなへこみが無いことに安堵しながら、若い警官に言った。
「──おい、何をしている。さっさと捜査するぞ」
若い警官が話す。
「今の、犬、でしたよね、先輩」
「放っておけよ、見失ったし追いつけんさ。上には伝えたしな。それともあれか、お前も犬みたいに追いかけたいか?」
「犬はあちらです」
「犬が屋根飛び越したりなんぞ、するものか」
「いや、でも今IS犬なんていますし、そのくらいは……」
「そこまで犬は強くないよ」
「いやでも、ISは強いですよね? パワードスーツで堅くて──」
「──国防すら担えるほどに多用途で強力でな。すごい、といつもお前が言っとることだろう」
「じゃあIS犬もすごいですよね?!」
「犬は犬だろう。さっきからなにをいっとるんだ」
「え、私がおかしい流れですか」
「あのぅ……」
「ん?」
「よ、ようこそ?」
口論する警官たちに、蘭は声をかける。
刑事、と言うのがよくあう風貌のベテランが答えた。ベテランの風格の割りに、制服は不思議と馴染まない。警察手帳もしっかり提示する。ベテラン風の男は小野山、若いの男は福田というらしい。
「あなたは五反田食堂の?」
「はい」
「なにか荒事があったのは確かみたいだな」
入り口が広くなった店内を一瞥して、小野山は言う。店内は転がった椅子や机、卓上の小物などが散乱している。先の騒ぎのままだ。片付けをする暇は無かったのだ。
「まあ、とりあえず適当に話してもらえません──」
「え、えっと……」
「ここで何があったんだい、おまわりさん」
蘭が言い淀んでいると、ひょっこりと入り口から二人の老人が顔を見せた。二人に声をかけられ、福田が答えた。
「何でも、ちょっと喧嘩があったらしいんですよね」
「喧嘩とな」
「また大変な」
どうやら二人、最初の騒ぎは観ていなかったようだ。退屈でもしていたのだろうか、わいわいと話し始めた。
「厳がまた消えて、今度は五反田食堂で喧嘩。相変わらず静かにならんな」
「あいつがいなきゃ詰まらんものかと思ったが、そうでもなさそうだな」
「ああ、さっきの犬もすごかったのぉ、天狗みたいに屋根を飛んで消えて」
「しかし今の犬に乗ってたの、弾じゃなかったか?」
「弾……誰だったか?」
「ほら確か、蘭ちゃんの兄さん」
「ああそうか、あれも厳の孫かい!」
「何やってんだい? 空飛んでなぁ」
「知らんかい? 蘭ちゃん」
「どう? どうなの?」
「え、えっと、何のことでしょう、茶屋さんに団子屋さん……」
唐突に話を振られ、しどろもどろになる蘭。濁すなりしたいところを、しっかりと突かれてしまう。
「──と思ったんだが話、しっかり聞かせてもらえるかい? ああ、そうだ。さっきの犬とかお兄さんも含めて、ここで起きたこと、抜かり無くしっかりと──」
「──お話、聞かせてもらいましょうか、蘭」
「か、母さん?」
「ええ、お母さんですよ」
「──あり?」
目敏く聞き付け迫ろうとしたベテラン警官小野山はたたらを踏む。話を遮り、継いだのはすらりとした体の、妙齢の女性。この人、弾、蘭兄妹の母、蓮である。
「お母さん……警察署に行っていたんじゃ」
「話終わって帰ろうとしたら、こちらの方々が五反田食堂が云々いいながら車に飛び乗ろうとしてたから、同乗させていただいたわ」
ふんす、とどこか自慢げな母を横目に、小野山に聞く。
「……いいんですか?」
「どうかとは思うかもしれんが、現場に住む方だからな、心配で慌てて戻ろうとして事故か何か起きれば大変だからな」
「いや、あなたは勝手に乗り込んできただけぅっ……」
突如うずくまった福田を横目に、そう小野山はあっけらかんに言った。なにやら手を拭うような仕草をする蓮には目を合わせない。心配するのは老人たちだけである。
そしてグッ、と蘭に迫る。
「さあ、話を聞かせてもらおうか」
ズイッと蓮も迫る。
「蘭、ちょっとお話聞かせて、ね」
恐れを感じるのなら、逃げればいい。だが、体が動かない。蛇に睨まれた蛙、とはこの事だろう。気づけば壁を背にしていた。
玄関辺りにいたはず、ここまで下がっていた、いつの間に?
あまりの圧に、蘭は残りの若い警官に助けを求める。
「へぇ、そんなにここのその、業火野菜炒め、がうまいので!」
「そうそう!」
「けっ、あんなもん、わしのみたらしもなぁ──」
二人との話が弾み、助けの視線には気づかない。
いや、本当に気づいてないのか? 今ちらりと見なかったか?
「さぁ」
「さぁ」
「さぁ!」
そうもだえる間にも圧は強まる。
耐えられるのか、わからない。
(恨むわよ……お兄ぃ!)
「ああ、あぁぁっ……」
「これが空を駆けるってことか……凄いな、これは」
空を一夏は駆けていた。その背に弾は跨り、そこから見える光景に驚嘆していた。
匂いと不良から聞き出した証言から、方向と大まかな地域は突き止めた。後はそこの場所を見つけ出すだけである。
十数メートルばかりの高さを一夏は飛ぶ。
目覚めたはずの不良は、その高さに再び気絶した。ちょっと荷物を抱えた、気ままな二人旅だ。
穏やかな風を受けながら下を覗けば、高さにはどうにも目がくらむ。この程度の高さでも人は小さい。すぐにこちらのことはわからないだろう。水平に見れば見晴らしはとてもよく、遠くに望む地平線に沿って、山並みのようにかすんだブロックが入り組み、並ぶ。都会など遠くのビル群だ。
弾が遠くを眺めていると、流れが変わる。一夏が軌道を変えた。目の前にビルが迫る。目前の障壁に動じず、ひねるように体を横倒しにし、壁を走る。
この間、ほんの数瞬。風の流れに乗るように、ビルを掠める。
このような走りを一夏はよく見せてくれた。時折マンションの壁をかすめ、高層の屋上を渡り、山越えのように急上昇と急降下を繰り出す。町を見下ろして、一人と一匹は駆けていく。
「は、ははは! こりゃすげぇや!」
弾は笑っていた。今までこんなことがあっただろうか。これほどの高所に身をさらけ出したことはなく、落ちてしまうのではと気が気で無い。次の瞬間には真っ逆さまに投げ出されそうで恐ろしい。
だが、それにもまして、楽しい、面白い、気持ちいい! この風、この眺めをこれほど一心に浴びる機会なんてそう無いだろう。
『これ』は違う、と弾は感じていた。
ジェットコースター? ただ決まったルートをなぞるだけのものだろう。何も出来ず、身を流されるだけだ。
パラグライダー? 風に乗って飛び、宙を舞う。うまくすればどこまでも行けるだろう。だが、風に流され無理矢理浮いてるだけ、その実、墜ちてるしかないと言えてしまう。
飛行機? 飛ぶにはやはりそうであるだろう。だが、『これ』には敵わない。空を観て、聴いて、全身で感じ、想いのまま舞う。飛行機でも出来る。しかし、ここまでダイレクトには味わえないだろう。
ISとはこうなのか、と弾はどこか腑に落ちるような気がした。
ISはこの空を何処までも、歩いて行ける。
それこそ、ただただ広大な草原を何処までも、草をかき分け、潜り、走っていく。思うがままに駆け回るようなものだろう。
手を伸ばすだけ、地の先へ行き。
足を上げるたび、空高く飛び。
首を伸ばすだけ、その先へ往く。
風を裂き、雲を払い、重力を断ち切って、どこまでも。
どこまでも、想いのままに行けるのだ。
この世界に自由に来れる一夏が、羨ましく思えた。
「さあ、行けよ、一夏ぁ!」
「ウオオォッ!」
笑い声と雄叫びは空に混じり、町に響いていった。
しばらく時間がたち、一夏達の姿はコンビニの前にあった。
「一時間でどんだけ走り回ってんだ、あいつら」
コンビニで買った緑茶を飲みながら、弾はぼやく。
不良は、その横で壁に身を預け、ぐったりとして動かない。息をして動く胸と、時折あげる呻き声が彼の命に別状ないことを知らせてくれる。
調子に乗るうちに、背からとり落としては一夏がくわえて拾い上げてと、振り回され続けていたのだ。
犬のまま、一夏は目の前に置かれたものをじっと見る。
手のひらほどの大きさの三角形の物体。なだらかな表面に、つやのある黒とわずかにのぞく白がよく映える。
それを真ん中から二つに割るように帯がある。様々な言葉が並ぶ。『新潟産コシヒカリ』『紀州梅』『深谷ネギ』など。
それは紛れもない、おにぎりだ。
「……」
一夏の視線を受けて、弾は笑う。
「すまんすまん、剥かなきゃだめだな
……まさか、ドックフードのほうが良かったか?」
恨めしい視線を向けながら、その体に光をまとい、姿を変える。
人に変わった一夏はおにぎりを手に取り、包装を剥いて食べる。弾からボトルの茶を受け取りつつ、言った。
「犬の時にネギを出すな」
「おお、すまん」
犬にとってネギは毒であり、貧血を引き起こす。非常に危険な食材である。
「だからってネギ食ってから変身しても、犬のまま食ったことにならんか……?」
「そこまで速効性は無かったよう、な?」
ううむ、と考え込むが、不安ではある。何かあって倒れれば二次被害にもなりかねない。
「ま、毒が効いても、そのときには事は済んでいるはずだ」
「で、どうするよ」
「いやぁ、臭いの元に近づいているはずなんだがな、いまいちつかめない。方向くらいしかわからん」
「ほんとに終わるのか? それで」
「終わらせよう」
「じゃあ……」
「ああ」
二人はそろって同じ方を向く。その先にあるのは、未だ横たわり、うなされている不良だ。
二人は笑う。
「あれか」
郊外の裏山のふもと、森の中に二人と、一匹の犬の姿があった。
視線の先にあるのは古い建物だ。洋館のようだが、そう言うには少々無骨に見える。やや古ぼけ蔦に覆われた外観と、荒れ気味の玄関が暗い雰囲気を作る。
玄関には二人ほどたむろしているのが見える。見張りだろうか?
「な、なぁ、ここまで案内したんだ、もういいだろ?」
案内人として不良を説得し、ここまで連れてきてもらったのだ。
最初の威勢はどこへやら、すっかり怯えたような様子の不良に、どうおもう?、という一夏の問いに弾は答える。
「ま、もういいだろ」
建物に背を向けて離す。
不良は対抗しようと弾たちに向こうとし。
「────」
出来なかった。不良を射ぬく大犬一夏の視線により、立ちすくむ。
「後ろを向けよ。よし、それでいい」
ジリジリと動き、再び後ろを向く。その動きは緩慢である。
「そのまま駆け出せ、振り向くなよ」
「う、うわぁぁぁっ」
許しと同時か早く、男は駆け出す。悲鳴も隠さず走り去るその姿は、さすがに二人も少しばかり申し訳無くなる。
「ふむぅ……?」
ふと、弾が首をかしげる何か思い出しているようだ。
何かあるのか、という一夏の視線に。
「いや、何か数馬から聞いたことある気がするだけだ」
と、弾は答えた。
あの数馬の事だ。つまり『何か』があるんだろう、と嘆く一夏を横目に、弾は進む。
「……さあ、潜入だ!」
「……ウォウ」
ふもとの廃屋に、不良の姿があった。洞穴にほったて小屋をあわせたような、安普請だ。中をガサリとかきまわすのに合わせて、薄く積もった埃が舞う。
「くそ……」
彼の人生、苦節十七年、これほどまでの屈辱は初めてだ。
歩く度に、手を動かす度に。一挙手一投足に、ふつふつと胸に黒いものが溜まる。
「あのクソガキドモ……ふざけやがって」
これは何なのだろうか、これほどまでの衝動を、彼は知らない。余所のグループとやり合ったときも、友人と殴り合ったときも、想いをぶつけたときも、こんなものは無かった。
「どうなるか、わかってんだろうなぁ……!」
このたまり場になら、バットやら瓶、ナイフなど武器になるものはいくらでもある。あれならば、これならば。そう想像し、笑みがこぼれる。
何故だろう、身を突き抜けるような感覚。天のごとき高台から見下ろすようだ。
もう一歩、先に進めばどれほどの景色が見れるだろう。
「ふっふっふ、ナメたまねしてただで済むと思うな……」
そうして見つけ出したのはライターにスプレー。そうだ、これならば、とその光景を想像する。身の震えが止まらない。立ち上がるのにも苦労する。
そうして企んでいると、何かが首を擦った気がした。疑問も抱くまもなく、男はぐらり、と揺らめき前のめりに倒れ込んだ。その背後に立つのは謎の影。
何も理解できず薄れゆく意識のなか、男は思った。真面目に生きよう……。
『ハァ、余計なことを企まねば良いものを……』
影は、木々の中に紛れて消える。
倒れ伏す不良だけが、残された。