「一体ここはどこですかぁー……はぁ」
弾は、ようやく明かりの下を歩いていた。
幾度かの折り返しを経て、無限に続くかに思われた階段を抜ければ、そこはまた別の空間が広がっていた。
金属調の壁、一定の間隔に並べられた長方形の電灯と空調、途中の扉は音もなく勝手に開き、訪れたトイレは真っ白で全自動ウォシュレット付。
さっきの廃館との全く違うこの無機質な空間に、弾は戸惑っていた。
「結局ここはなんなんだよ。秘密基地じゃねぇんだぞ」
階段に疲れたのか面食らったのか、弾はとぼとぼ歩く。
(ううむ、本当にここにいるのか? というか、ここの存在をあの不良は知っているのか?)
歩きながらも弾は考えるが、何も解決しない。
歩いても、扉と横道ばかり。扉はたいがい閉まっているか、相手もほとんど何もない小部屋だ。
当ても無く殺風景な道を歩くが、妙な壁を見つけた。
片側がガラス張りになっている。
どうやら、そこからなにか覗けるらしい。
なんとなしに覗いてみれば、眼を剥いた。
「オイオイ、何だこれは……」
そのガラスからは、大きな部屋が見えた。一面のテニスコートのように広い。そのコートいっぱいに、桶のようなものが並んでいた。
いや、大きさからするに樽といった方がいいかも知れない。一面に並んだ樽は蓋がされ、中は見えない。
「不気味だなぁ、おい」
ただ整然と樽が並んでいるだけ。何も作業員や道具は見えず、何もわからない。
「さすがに見学じゃないから説明のプレートもない……どこかで降りれないかね」
辺りをいくらか探すと、階段が見つかった。
ひとまず降りてみると、次第に空気が変わってきた。
「お? 何だ、この芳しい香りは」
辺りには何かのにおいがたちこめている。壁に染み着いているかのようだ。
清浄されきった、無機質とでもいうような上階の空気とはまるで違う、なんとも言えない不思議な香り。
だが、鼻をつまむようなものではない。むしろ、もっと嗅いでいたくなる。
そして、弾は刺激を感じていた。
眼に染みたり、のどが詰まるような毒ではない。これは、もっと根元的なもの。
これは──
「腹が減るなぁ……」
──食欲を刺激する。
鼻を通ったその香りは、腹を奮わせ、溢れた唾液に舌が溺れ、疲れた体が力を振り絞る。意識が、かつてないほどハッキリしていく。
「どこから……あの大部屋とは違うな?」
他の扉にわき目もせず、引かれるように弾は歩いていく。
いくらかある分かれ道も違えることは無い。
歩くたび、だんだんと香りは強くなっていく。
腹は鳴りすぎ、もはやねじれていく。
そして、ある開いた部屋に行き着いた。
扉を開ければ、その大部屋にはたくさんの机といすが並べられていた。奥を見れば、なにやら閉め切られているが、かなり大きい枠もあった。その脇に置かれた電気ポッドや調味料の小瓶などを見るに、ここはどうやら食堂らしい。それも、かなりの大人数を想定していたようだ。
ほのかに香りが漂うが、何も見あたらなかった。
「ここには居ない……広いな。食堂まで有るとか、ホントに秘密基地だったりするのか?」
奥に行って扉を開ければ、その香りがはじけた。
その部屋は厨房だ。
それなりの大きさの部屋は油汚れも無く、非常に清潔。その部屋の中央に鎮座するのは銀に輝くシンク。どうやったのか、傷どころか水垢も見あたらない。
シンクの下を覗いてみれば、包丁など調理器具が整頓されている。そこは雑多な、かなりの種類の食器もあった。
巨大な冷蔵庫を見てみれば、その大きさからは意外と少ない量の食材がある。だが、一人、二人ほどなら明らかに十分すぎる量だ。
オーブンにレンジなど、どれもやや型が古いが、良いものがそろっている。
弾も料理人を目指す者。さすがに興味を引かれて、眼をあちこちに向けてしまう。
「良いなぁ、このオーブンなんて最新よりまともな前世代型じゃないか。欲しいなー、だけどうちじゃ置けないよなぁ……」
そんな羨望を言う弾は、鼻をかすめた匂いから、目的を思い出した。
もう一度周りをみた弾が目に留めたのは隅のくずかご。のぞき込んで注目したのは、一番上にあった野菜くず。手に取り観察する。
「人参、菜っぱ、大根に椎茸あとリンゴ。薄くて綺麗だ……新しいな」
そこにあったのは剥かれた皮や切り落とされたヘタだ。皮はどれもが均一に薄く、乱れもなく剥かれている。これだけでも、調理した人がいい腕をしているのがわかった。
そして、このくずはまだ濡れていて、新鮮だ。
くずが出来てから、そう時間はたっていない。
この漂う香りの調理のときに出来たものだ。 コンロを見れば、水洗いされたフライパンがあった。
「まだ料理は完成させたばかりか!」
部屋を出るも、やはり当てはあの香ばしい匂いくらいしかない。弾は料理人として鍛えた鼻をどうにか駆使して歩く。
だが、弾は犬では無いのだから無理がある。あちこち行っては、コッチじゃないと引き返して道を変える。
「やっぱり一夏の領分だよ、こりゃ。こんなときにどこに行ったんだ、アイツは」
ぼやいても、歩みはゆるめない。そうこうしてる間にも料理は冷めるなり食われるなりして、匂いはどんどん消えていくのだ。
「ここかぁ!」
たどり着いた扉を開ければ、和室を思わせる部屋に、二人の男が居た。
「ゴフォッ、ゴフ……」
寝床から起き上がり、咳をしている年のいった男。そして
「そう急いで食うな。……ようやく来たか。遅いぞ、弾」
空の皿を手に、男の横に座る祖父、五反田厳が居た。
平然と居た厳に面食らうも、弾は部屋に入った。
今までの秘密基地のごとき金属の作りとは違い、今にも香りそうな畳と、漆喰らしき壁、縁の支柱は一本木と完全な和室だ。壁に水墨画が飾られていたり、花が生けられていたり、片隅の机も質素ながら雰囲気によくあった木製。さらにはわざわざ靴箱と部屋履きまで用意して、土足を断る徹底ぶりだ。
その中、壁紙を張り付けただけに見える壁収納らしきところがあったり、埋め込み式の照明はいくつか見た基地の部屋と変わらなかったりと、やはりほかと同じような部屋をわざわざ改装したようだ。どれだけの労力がかかったのだろうか。
先ほどの秘密基地とは明らかに合わないこの雰囲気に戸惑うも、弾は立ったまま、厳と向き合った。
「ようやくったぁどういうことだ、爺さんよ」
よっ、という言葉とともに軽々と厳も立ち上がった。病人らしい寝床の老人と同じくらいには年をいっているはずだが、その動きには全く乱れは見えない。
「呼んでから時間がかかりすぎだ。日が暮れちまうぞ」
「やっと会えたよ、全く。心配かけさせんな、探したんだぞ」
「探してただぁ? たしかにここは、色々と部屋があってややこしいがな」
息を吐いた弾は、厳の言葉に面食らった。
「オレが迷子になってたんじゃないよ、それは爺ちゃんだ。失踪した爺さんを探してたんだよ」
「失踪だぁ?」
今度は厳が面食らう番だった。話がかみ合わない。互いに疑い、顔を見合わせた
「弾、どういうことだ」
「オレはただ、探しに来ただけだよ」
「探しに来た……?」
そのとき、ゴゴン、という鈍い音のあと、部屋の壁紙のところが開いた。
「何だ……?」
「エレベーターだな、だけどあそこはもう行き止まり……」
突然のことに驚く弾に、寝床の老人が答えた。風邪なのだろう、疲れてしわがれたような声。だが、そのわりにハッキリとした声量がその老人がまだまだ元気だと教えてくれる。
「おおっと!」
扉が開ききらないうちに、大きなものが転がりでてきた。もみ合う二匹の大型犬。あの大犬と、ISをまとった一夏だ。
二匹はエレベーターの外にでたことにも気づかないのか、噛みつき、引っかいて喧嘩を続けている。牙をむき出しにして唸るその姿は、まさしく獣だ。
「おう、一夏じゃないか」
「一夏ぁ? あの犬が……ああ、ISか」
「そのとおり。一夏も協力してくれたのさ……おーい一夏、もういいぞー。おさめろおさめろ」
弾は二匹の取っ組み合いを押さえ、引き離した。二匹とも目を剥き、興奮して息を荒げている。
弾は一夏の首を抱いて、頭を優しく撫でた。
もう一匹を見れば、厳も同じようにように犬を押さえていた。
なだめられて落ち着いた二匹、辺りを見回している。状況の変化にようやく気づいたようだ。
弾に気づき、犬の一夏は鳴いた。
「グ、グルゥ……ガゥ?」
「おう、おう、一夏よ。お前さん、今の自分をわすれたのかい?」
「ハナや、おまえさんもこっち来なさい」
「グウゥ!」
目を覚ましきっていないのか首を振る一夏の隣で、ハナと呼ばれた大犬は老人に近づくと、顔をすりよせた。
「ようし、ようし、随分な喧嘩をしたね、お前も」
応じて老人もハナをなでる。その手つきはとても優しく、穏やかに甘えるようなハナの様子から、その絆が見える。
「そっちのワンちゃんは大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫ですよ、こいつは。ほれ」
そういってぐったりした犬の方を示せば、その姿が光に包まれ、少年が現れた。一夏だ。
「何と、まあ……」
「おいおい随分とズタボロじゃないか」
「おーう、弾、探したぞ……いつまでトイレ行ってたんだ」
「あー、ちょっと寄り道をな……」
「おい、ちゃんとコッチ見て言え」
「あはは……」
「ほんとに坊主か……」
「……ん、あれ、厳さん! ここにいたのか!」
一夏はようやく厳のことに気づいたようだ。
犬から人に戻った一夏に、厳は驚いていた。珍しく目を丸くしている。何事にも動じない厳があっけにとられるのを、弾も一夏も初めて見た。
「おう、久しぶりだな、随分と面構えが良くなった」
「お久しぶりです、厳さん。探しましたよ」
あっさりという一夏に、厳はあきれて言った。
「よくわからんが、頑張りすぎだ。その怪我でよくも言えるな。千冬ちゃんはなに言うかねぇ」
「うッ」
「まさか、あの犬にそうまでやられたのか……」
「うぅ……言わないでくれ、なんだあの犬」
頭を抱えた一夏に、厳が言った。
「気になるのはわかるが、とりあえず靴を脱げ」
「え……ああ! すみません!」
ようやくこの畳のことに気づいた一夏が靴を脱ぐ間に、厳が答えた。
「あれはハナという名前だ。拾ってきたと言っとったかな」
「拾ったってあの犬をか?」
「あんなのどこでだ、目立ってしょうがないだろ」
「最初はもっと小さかったよ。プードルとかチワワくらいには」
あきれる弾に、声がかけられた。寝床で起きあがった老人だ。
かたわらのハナも、寝そべって弾を見ていた。
「おまえさんが弾君か、厳ちゃんから話は聞いとるよ」
「あ、ど、どうも」
どこかよそよそしい弾を気にせず、老人は話す。
「なんかいろいろ大変だったみたいだのぅ、ハナもよく遊んでもらったみたいだし、すまんな」
「あぁ、いえ、失踪した爺さんを探しにきただけですよ」
「というかむしろこのバカ共が迷惑かけとらんか? すまんな、やっちゃん」
「良いってことよ。ハナもよく遊んでもらったみたいで嬉しそうだしな」
「遊んでもらった……」
まさかの言葉に一夏が肩を落とした。
そのなか、で、弾はあることが気になった。
「やっちゃんって何だ?」
「野辻谷次郎、略してやっちゃん」
「そゆこと」
その答えに弾が納得する中、厳が言う。
「弾、失踪たぁ、だれがそんな事言いやがった」
「母さんだがな、丸四日も連絡入れなきゃそうなるだろうよ」
「しばらくこっちにいると連絡いれたはずだがな」
「どうやって」
「そこの電話貸してもらってな」
そう言って部屋の隅の電話を指す厳に、老人が言った。
「厳ちゃんよ」
「なんだい、やっちゃん」
「マイク切れとるぞ、その電話」
「……あんだって?」
厳は聞き返した。弾たちには珍しい、何とも妙なうわずった声だった。
「マイク切れてる。何言っても声は出ない」
「……そうか、すまんな、弾」
「……まあ、いいけど。いたずらもセールスもわりとよくあるからな、紛れただけだ」
弾は、何とも言いがたい苦々しい顔で言った。どうするか決めかね、考える。
無言電話に代表されるようないたずら電話も意外とあるのだ。そこに紛れてしまっただけと、気にはしてない。
「先に言うなり、さっさと買い換えるなりしてたら良かったんじゃがのぅ」
「おまえずっとうなされてただろう。往診の先生も無理するなと言っていただろうが」
「なんだ、用は知り合いの看病してたから遅くなったってのか」
「そうだ」
なにも気負うことなく、厳は言い切った。
「今回はしょうがないがな、今度から、最初に諸々予定教えてくれよ」
「あぁ、いつも予定は大体だがな、善処はしよう」
「いつ帰るのかくらいは決めてくれ。今回なんてもう蘭も心配のあまり、気が気でなくてなぁ」
「たしかにそれは悪いことしたろうが、オレは失踪なんかしとらん。お前を呼んだだけだぞ。すぐ帰ってつれてくるつもりだったからな」
「で、看病が必要だったから帰らずに、電話でオレを呼んだと。で、何の為だ」
厳は、弾の眼を見据えて言った。
「お前に、業火野菜炒めの秘伝を授けるためだ」
弾と一夏は思わず顔を見合わせた。
「……秘伝ッ!」
「やっぱり秘伝の何かがあったのか……!」
戦慄し盛り上がる二人を尻目に、厳は部屋を出ようとする。
「行くぞ」
「へ……?」
「おうい、わしも行く行く」
「おいおい、大丈夫か」
「風邪も落ち着いてきたしな、厳ちゃんの料理がありゃ元気百倍よ!」
「そうかい」
笑って谷次郎に言った厳は、弾たちを見た。
「何をぼけっとしている。さっさと行くぞ」
厳と、谷次郎の案内の元、二人は歩く。谷次郎の傍らにはハナもいた。
秘密基地のごとき内装に一夏が眼を見開き、興奮を隠せずに辺りを見渡す中、なにやらぼんやりと考えていた弾がふと言った。
「だが秘伝ったってなぁ……」
思わず漏らした言葉に、谷次郎が反応した。
「なんだい?」
「秘伝ってさ、大方、あの樽辺りじゃないの」
「うむ、よくわかったな」
「そりゃあ、有るの見ちゃったし」
ぐるぐると辺りを見て回る一夏が聞いた。
「樽だぁ? どこにそんなもの……」
「おう、いっぱい並んでいるのをこの目でな」
「ほほう、あそこを見たか」
「展望用の窓からはな。さすがにあの樽が何かは、すぐにはわからなかったがな、漂っていた香りが……な」
「まぁ、それじゃあすぐわかるか」
一夏はそう言った弾の言葉から辺りを嗅いで、気づいた。
「……まさか」
「ようやくわかったのか? 存外鈍いな」
「あの和室に漂っていたのと同じ匂いがずっとしていたんだ。それにこれ、あの不良の匂いとそっくりだ。あぁ、もっとはやく気づいてよかっただろうに」
頭を抱えてた一夏を横目に、あるドアの前に立った厳が言った。
「ここだ」
弾たちが反応する間もなくドアを開け放った。
そこにあったのは、大部屋に整然と並ぶたくさんの容器。
弾たちの間を吹き抜けた風が、その香りを運ぶ。
その香りは────
「やっぱり……醤油か!」
「なんだ、この量は……全部お手製だって言うのか」
ずらりと一面に広がる樽に、弾たちは圧倒される。
「なんだ、こりゃ」
「こうまでとは……」
「さっさと入れ」
「ハナ、ここで待っとき」
「ウォフ」
「あ、待てよじーちゃん!」
進んでいく厳に、弾たちはついていった。
薄暗い部屋は、見れば見るほど樽が詰まっている。
蓋を一つ開けてみれば、中には豆などを砕いたと思しき褐色の屑が詰まっていた。
屑は、染み出た液体に濡れていた。
「おぉ、ホントに醤油だ」
「これが秘伝なのか……」
「ああ、オレとやっちゃんで作り上げた醤油さ」
「じゃあ正確には、その製法が……」
「秘伝、ということになるな」
そこに、谷次郎が瓶を持ってきた。中には、醤油が詰まっている。
「ほれ、一番新しく搾ったやつだ」
「これが……」
無色の瓶から、その色がよく見えた。鮮やかな、澄んだ「赤」の液体。
瓶を開け、香りを嗅いでみる。
思わず唸る。開けた途端に立ち上る香りは複雑に澄み渡る。
これで刺身でも食べれば、どれほどのうまみが有るだろうか。
焼いてしまえば、一体どれほどの香りが広がり覆うのだろう。
煮込めば、素材にどこまでも染み込み、その味わいを広げてくれるだろう。
すでに知っているはずなのに、何度も味わったはずなのに、どこまでも想像が止まらない。
気づけば、溢れきっていた唾を飲み込んでいた。
感銘を受ける弾は、ふと言った。
「おい、親父にはこの秘伝のこと、言ったのか?」
「言ったさ。こいつを持っていったのも間違いないな」
「そうか……」
ぼんやりと空を見る弾に、厳が言った。
「そろそろやるぞ」
「え、何を……」
「飯の時間だ、ぼさっとするな」
「あ、あぁ、行くからさ!」
「まさか、これを使えば業火野菜炒めの完成と思っちゃぁいないか。まだ教えることはいくらでもある」
「……何を言ってやがる、望むところだ!」
そういって頷く二人。不敵に笑うその笑みは、牙を剥く。
「さっさと行こうぜ、じーちゃん?」
「あぁ? じじいより先に行く孫がいるか!?」
「え、ちょ、ちょっと行くってどこに?」
そういって、二人はあっという間に駆け出して、部屋を出ていってしまった。
一夏の疑問など、聞くこともない。
乱暴に閉められた扉を呆然と眺める一夏に、谷次郎はそっと言った。
「あれなら、キッチンだろうな。隣が食堂になってるからな、そっちに行って待っていよう」
「あ、はい、じゃあ早く行って……」
そういって駆け出そうとした一夏が、扉を前に足を止めた。
「んん? どうした」
「あのう……食堂ってどちらでしょうか……」
「はは、ほら、ついてきなさい」
そう言って笑った谷次郎に一夏は扉を開けようとしたが、触れる前に扉が開いた。
驚き後ずさった一夏の前によろめくように現れたのは、くたびれたようにボロボロの男。
「うぃぃ、今日は踏んだり蹴ったりだぁ……」
「ん……?」
「あれ……?」
目が合った。気付けば、互いに叫んでいた。
「あ!」
「ああ!」
そこにいたのは、一夏と弾が振り回して脅かしたあの不良。
叫んだ不良にも、声がかけられた。
「ん? どうした、リョウ」
「ああ!」
そこにいたのは、一夏らがカチコミを返り討ちに逃げだした不良だった。
「あ、あのぅ、すみません、ほんと脅かして……」
「あー、そう言われてもなぁー」
一夏にフイッ、とソッポをむかれ男はうなだれた。
先に弾が見つけた大食堂。一つのテーブルに、十数人ほどが集まっていた。
あの不良たちだ。帽子やら坊主頭に、やたらがたいの大男まで。
谷次郎とハナも一緒にテーブルを囲んでいた。
「おーい、コウジがせっかく謝ってんだ、謝罪は受けとっとくれって」
「俺に言ってどうする」
ボサボサ頭の男が一夏を諭すも、振り向いたまま、動く様子は無い。
「……たくな。俺に言ってどうする、チンピラ」
「あぁ? 誰がチンピラだ?」
「いや、三下のセリフで店に襲いかかるなんてチンピラだろう。 おれたちは店で襲われて、抵抗のあげく、果敢にも残ったヤツに場所聞いてここまで来たんだぞ」
その言葉にたじろぐ不良の反応に、申し訳なさそうに谷次郎が答えた。
「……あー、たぶんそれ、ワシのせいだ」
「え……? どういうことです?」
「いや何、厳ちゃんも孫呼びたいのに何度電話しても出ないと言われてな、連絡あいつらに頼んだんだ」
「で、それがこのチンピラ、なんですか?」
「おい、年上にその言いぐさは何だ?」
「そう言ったって、いきなり殴りかかってくるしなぁ……」
「ぬ、ぐぅ……」
自覚があるのが、不良らは言い返せない様子。
「おまえさん達、どこから入ってきた?」
「どこって、裏山の廃館から」
うんうん、と谷次郎は頷いて
「こいつらな、もともとそこに出入りしていたんだ」
いくつか気になるところが有るが、一夏はあきれて言った。
「なんでそれが従うの……」
「そりゃまぁ、シメたからな」
「バウゥッ!」
「そうそう、ハナも一緒にな」
「シメたって……」
誇らしげにほえるハナを優しく撫でる。
「厳ちゃんも一緒だったぞ? 何、ちょっと悪さをしてたんでチョいとな」
「えぇ……厳さんも?」
「あいつとは色々とやってな。それにハナがもう大暴れでな、階段落としちまうし、大変だったよ」
「あれそういうこと……」
一夏はようやくやけにボロボロな広間の惨状に理解がいった。だが、そうさせるハナの能力にも気になるところだが、先の激闘に思いを馳せていたところで、
「あ……!」
そこで、一夏は思い出したように言った。
「どうした?」
「あー、すみません、その階段の広間のシャンデリア、落としちゃいました……」
「……はぁ!?」
その一言に、不良は一斉に一夏を注目した。
「おまえ、一体どういうことだ。あんなのを一体どうやって落とした!」
「え、そりゃあ、ISで犬になって、直接引っ張って……」
「それで!?」
何故か余計に強く迫る不良たちに圧倒されながら、一夏は答えた。
「ハナに叩き付けるために」
一瞬、シンッ、と静まり返った後、不良たちから感嘆の息が漏れた。
みんな口々に言い合うが、漏れてくる言葉はどれも、「すげぇ、パねぇ」だの「そう言うことか……!」などと戦慄するものと、妙なものばかりだと一夏は感じる。
「なるほど、ハナが大喜びするわけじゃな」
だが、谷次郎が嬉しそうに言ったこの言葉に驚かされた。
これは納得する事なのだろうか? そしてこれが嬉しいとは、ハナとは一体?
「うんうん、それならかまわんよ。もともと広間はほとんどダメだったんでな」
「まぁ、あの階段なら……」
「うん、それからはハナの遊び場にしといたんだ。ああ、もちろん釘とか危ないものはできる限り抜いたぞ」
「そうだったのか……」
あちこちにあった足跡はそれなのだろう。遊び場なら、あの惨状も納得行くのだろうか。先の格闘を思い返して首を傾げる一夏だったが、ふと谷次郎に聞いた。
「谷次郎さん」
「ん? やっちゃんでいいよ?」
「他にも犬、飼ってるんですか?」
「いいや、ハナしかおらんよ」
「……そうですか」
ならば、最後に乱入してきたあの犬は何だったのだろうか
首を捻る一夏だったがそこで、不良に話しかけられた。
「いや、本当にスミマセン、まさか普通に呼んだだけとは思わず」
「ずいぶん反応が違うような……だったら謝る相手が違うんじゃないか?」
「そうは言ってもすぐ行っちまったし……それに、い、今のキッチンにははいれねぇよぉ……」
「あんなカチコミやっといてよく言う……」
ちらりと、一夏は厨房の方を見た。油が跳ね、中華鍋をかき回す音と共に溢れんばかりの香りが大部屋中に漂う。焼け焦げた醤油の香り。もちろん、あのやっちゃん特製醤油だ。
「まぁ……おれも人のことは言えないか」
そういって、一夏は水を一杯あおった。
不良たちも、そそる香りにうわついた様子を隠せずにキョロキョロとあたりを見回しているが、厨房を見るなり、すぐに目をそらした。だがそれでもまた目をやってしまう。
そこからは熱を感じる。ただ燃え盛る炎の熱ではない。鬼気迫るといってもいい襲いかかるような熱があった。
あまりのプレッシャーに気圧されているが、それでも注目してしまう。
溢れる唾液を押さえきれず、おのずとみんなの口数は少なくなっていった。
厨房からは、調理の音だけが聞こえていた。
「できたぞ……まったく、やけに量が多いと思ったが、こいつらとは知らなかったぞ」
弾から、野菜炒めの盛られた皿を差し出された。
気づけば料理が完成していた。対して時間はかかっていないはずなのに、いつまでも、気の遠くなるほど待っていたように感じてしまう。
弾が盛った皿を配る。刻まれた野菜を、醤油が染まり焼き上げられている。
きらめく油の艶と沸き立つ湯気、立ち上る香り。
その全てが鼻を刺激し、唾液が溢れてたまらない。目の前の料理にすぐに手を出してしまいそうで、押さえるのに精一杯だ。
見れば、みんなも同じように料理に気をとられ、興奮を抑えられない様子だ。状態だ。
一夏はその状況につい笑ってしまう。
そうしてじっと待つと、みんなの前に弾が立つ。
注目を受ける中、弾は音頭をとった。
「さて、みんな、待たせたな」
一身に受ける視線など無いかのように、話し続ける。
「色々有るが、とにかくさっさと食っちまおう。長々と話していちゃぁ、じーちゃんにどやされちまう」
そして、弾は手を合わせた。軽い語りに合わない、仰仰しい動き。
「それでは」
一気に芯を通したその声に合わせて、みんなが手を合わせる。不良たちも、谷次郎も、一夏も。ハナも身構えた。
そして────
「いただきます」
「いただきまーす!」
「ワウゥ!」
みんなの声が、食堂に響いた。
「わしもハナも楽しかったよ。それじゃあ、また来てくれ」
「ウォウ!」
その声で、一夏たちは谷次郎の裏山を後にした。
他の道を行くという不良たちとも分かれ、山を下りる。
西日を受けて歩く中、弾が言った。
「じーちゃんよ、ホントにあいつらにまかせていいのか?」
「ま、そこらへんはやれる奴らだしな、大丈夫だろう。釘も一応刺しておいたしな」
この帰り道、もちろん厳も一緒だ。さすがに谷次郎の調子がまだ不安だったが、不良から何人かが時折様子を見ること言ってくれたので、任せることにした。
「たしかに、自分たちで治療してたな」
五反田食堂に踏み込んできた連中は、しっかり絆創膏や湿布、包帯や添え木などをしっかりと施していた。
彼らは全くと言っていいほど気にしていなかったので、一夏も弾も気にしていなかった。
それ以外の不良にも同じような治療が施されているのが気がかりではあったが。
「意外だな、ホント……いや、案外そう言うものなのか?」
「結構みんな包帯巻いたりしていたしな」
「あいつら、あのハナともよく遊んでいたしな。大抵はそのせいだろう」
「大抵はってフォローになんて無いぞ、じーちゃん……」
「しっかし……いいんですか、これ」
一夏が示したのは、その手にもつ紙袋だ。しっかりしたその中に入っているのは、あの醤油瓶だ。
「別に構わんよ、気にせず持っていけ。……使ってみたくてたまらないんだろう」
「……ええ!」
「そうだろう、そうだろう。結局余るんだ。気にせず思いっきり使え!」
「はい。うまいもの、食べさせてあげますよ!」
「楽しみに待っとるぞ」
「おい、一夏、俺にも食わせろよ!」
「もちろん! この醤油を使った最高の料理を作ってみせるさ」
「そうとも、どんな食材だろうと全力を尽くして最高の料理を提供する……しかし、最高の材料でさらに至高を追求する!」
「それもまたよし」
そういって、二人は大きく笑う。
「なら俺は、爺ちゃんから学んだ技、さらに見せてやろう! 手洗って待ってろ!」
「待てよ、俺も食わせてやるよ!」
「おいおい。さすがに走るのはもうキツいんだがな」
三人は、ふもとのバス停に向けて駆けだした。
西日に照らされた山に、彼らの笑い声が響いた。
このあと、厳と弾は鬱憤がたまり荒れ狂う蘭に正座で説教され、それをくぐ抜けた一夏はさらに迫る寮の門限を相手にタイムアタックをする事になるのだが、それはまた別のお話。