ワンフィニット・モフラトス   作:我武者羅

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ラウラ:幼き少女とワンワンパニック 『大・横・断』
陽向


 ふっ、と浮くような心地と、引っ張られるような気持ち悪さ、お日様のような暖かさ。

 いくつも混ざりあった不思議な気持ちで、ラウラ・ボーデヴィッヒは目を覚ました。

 もぞもぞ、と何かが体を擦る。誰かに抱き締められている。

 

「ふむにぅ……」

 

 むぅう……

 すうっ、と延びた細い手がのどを撫でる。

 珠のように傷もなくで、ナイフのようになめやかな手を背から顎にかけて添え、汚れも知らない、削り出しの木製ストックのような艶やかな足は、腰から脚へとなぞる。

 そうして複合ワイヤーのようにしなやかな体が、ラウラに巻き付き抱き締めていた。

 広がった金の髪の毛、石鹸のように爽やかな香りが鼻をくすぐる。

 抱き締めるのは、ルームメイトのシャルロット・デュノア。

 唸るしかないほどに見事な拘束のごとき抱擁だ。すぐには外れないようにしっかり捕まえながらも、ラウラを傷つけたり、しめたりしないようにやさしく抱き締める。

 とても心地よくて暖かく、後ろ髪を引かれるが、早く起きなくてはいけないのだ。涙をこらえて、抱擁を解く。

 モソリ、モソリとゆっくり、丁寧に、静かに手足を動かす。

 シャルを起こすわけにはいかない、と少し開いたカーテンから暗く静まった外を見た。

 そう、まだ陽も昇らず、あたりはまだ薄暗い。

 ここはIS学園の学生寮。

 いくら早起きでも、早すぎる、と言われるかもしれない。

 ラウラは慎重に動く。シャルロットの手から抜け出すため。ゆっくりと、静かに、疑問なぞ生じないように。

 そうして抱き締めるシャルから抜け出すのだが、とてつもない大仕事なのだ。

 いくら抜けても、起きていて、見ているのか日に日に拘束が強くなる。それでいて苦しくなる事はなくなお暖かい抱擁のだから恐ろしい。

 ──母の腕の中、とはこのようなものなのだろうか

 今日も苦心してシャルの手をほどき、そっと部屋を抜け出した。

 日も出ずまだ暗い廊下をラウラは進む。ゆっくり確実に。されど迅速、抜き足指し足。

 その姿は、音も無く敵地に潜り込むスパイのよう。

 時折、はた、と止まっては身を隠して見回りをやり過ごし、姿勢を変えては監視カメラの死角をくぐり抜ける。

 この監視カメラもまた、悩みの種だ。

 わからないのはその位置と数。解るのに、わからない

 彼女、ラウラ・ボーデウィッヒはドイツ軍IS特殊部隊で隊長を務めている。

 いくつもの特殊任務を受け成功を収めて来たが、ここまでのものは初めてだった。

 一般的なただの市販カメラに、ダミーカメラと赤外線カメラ。それだけならまだしも、死角もない広角カメラ、熱を視るサーモカメラに音響センサーなどの各種監視装置がそこかしこに、巧妙に隠されている。

 一体どこに、どれほど設置されているのか、どの一月も掛かって見つからない。これはラウラは初めての経験だ。

 ただの居住区ですら、これほどまでに周到な監視体制をとる施設を、ラウラは知らない。

 独国郊外にあった獣愛派教団違法研究施設や北極圏孤島の謎の軍事基地もなかなかの監視体制がとられていましたが、居住区にここまでのものは無かった。

 その居住区で学園がこれならば、整備区画や機密区画はどうなっていることやら。あの施設では、念動緊縛機構とか精神流入宝樹とかIS展開妨害装置とかネバネバスライムとか、バラエティに富んだ罠をけしかけてきたものだ。

 こういうときこそ、鍛えてきた技術と根性の見せ所。

 そうやって夜の監視体制を、潜り、すり抜け、時には真正面から乗り越える。 ラウラは、あるドアの前に立ち止まった。ここが、目的の場所。

 髪をすいて取り出したのは、針金。

 針金を曲げて、慎重に鍵穴に差し込んだ。古典的な開錠方法だが、これが案外一番早いものだとラウラは確信している。

 この鍵はIS学園特別製。下手に小細工を仕掛ければ、電流やらを流し込まれて痛い目に遭うのはもうわかりきったこと。何度も経験している。

 合い鍵が作成不能になっているなど、その徹底ぶりには舌を巻く。

 壊れたり無くしたりしたら、鍵は全とっかえだ。

 慎重に、堅く結ばれた糸を解きほぐすように針金を動かす。

 独房に捕まっていた本場の怪盗や脱獄王にも教わった針金鍵開けの技は、種類に富んだ経験も相まってもはや熟練の域。

 その彼女を持っても、この鍵は骨を折る。

 壊さないように努めていることも拍車をかけているのだろうが、壊してもいいとしても、この鍵は随分とこたえる。

 繊細かつ頑丈、複雑かつ単純。矛盾しているかのような要素を持つこの鍵は、もはや神の御技だ。

 見えないところに仕込まれたこの一品をさりげなく用意するこの学園はいったい何を目指しているのか。疑念は深まるばかりだ。

 その戦いは熾烈を極めたが、決着はとてもあっけないものだった。

 呆気ない感覚で解けた鍵を開け、中に入った。抜き足差し足。息を、気配を殺して進む。

 目標は一人。ベッドにいた。目的の人物はまだ眠っている。寝言やいびきもたてず、穏やかな寝姿だ。さぞ健康なのだろう。

 ラウラは、ゆっくり、しかし大胆にその布に触れた。

 

「うわあぁぁッ! またかぁ、ラウラぁ!」

 

 

 突然の叫び声によって、ラウラは再び目を覚ました。傍らで叫んでいるのが、目標の織斑一夏。ベッドの上で、たいそう驚いている。

 

「おはよう。今日もいい天気だな、嫁よ」

「あ、ああ……おはよう、ラウラ」

「相変わらずだな。もう少し落ち着いても良いではないか」

「なら裸で潜り込むのを止めてくれ」

 

 いつになっても驚いてくれる。それがラウラにはとてもうれしいのだ。時刻はまだ五時。

 ラウラの一日は、こうして始まる。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

 ある丘に、犬の姿があった。

 大きい黒い毛並みの犬は、草の生い茂る丘の上に寝そべり、気持ちよさそうに朝陽を浴びていた。

 ときおり通りすがりの人がその姿を見るが、すぐに興味を失ったように視線を戻す。意外と注目されていないらしい。

 黒犬は、ラウラだ。ISを展開して犬となっている。ISを使う者の中には常に展開して、犬の状態で日常を送る者もいる。犬としての感覚に馴れ、十全に使いこなすためだ。

 ラウラもその一人。主に犬の体で日々を過ごしている。今日もそうして街に出て、自然を味わっていた。

 ラウラはこの場所がなかなか気に入っていた。穏やかな木漏れ日と爽やかな潮の香が鼻をくすぐる。

 ここは、IS学園と本土をつなぐモノレール駅周辺に広がる公園。海を目前に砂浜と森が広がる自然豊かな作りで、地元や周辺の住民に限らず、遠くに望むIS学園を眺めんとする観光客をも引きつける魅力がある。

 その森の中、ある小高い丘の上でラウラは陽に浸かっていた。

 日はまだ十分低い。普段ならもう移動してもいいようにも思ったが、今回はもう少しいることにした。

 傍らに、幼い少女がいた。ラウラの腹を枕にして寝息をたてている。柔らかいのは腹か、毛か、陽射しか。とても心地良さそうな様子。

 しかし、何時の間にここにいたのか。ラウラはまったく気付かなかった。ドイツ軍特殊部隊長を負う大佐である身としては、少しばかり情けなくも思う。

 もしこの少女が爆弾でも抱えていたら、気付いたときには手遅れになっていた。いくらシールドや絶対防御を持つISといえど、犬に変身しただけでは、それらは全く機能しない。油断したあげくそばで爆発でも起こされたら、原材料が犬か人かわからない丸焼きか挽き肉ができるだけだ。

 爆弾が無くとも、武器を所持していた可能性も否定できないのだ。

 油断していたのか、ほだされたのか、弛んでいるのか。

 いろいろ思考を巡らせるが、あまりいい答えが出ない。さすがに気を緩め過ぎたのか。

 たるんでいることは間違いない、と結論づけたラウラは立ち上がろうとしたが、諦めた。

 またも少女だ。ぐっすり眠ったまま、お腹の毛をしっかりと握っている。まだ幼いのにどのような握力で握っているのか、なかなか離れない。その顔はたいそう穏やかで緩んでいる。それほどに安心仕切っている様子は、ある種誇らしいことなのかも知れない。涎は勘弁してほしいが。

 しばらく待っても、少女が起きる様子は無い。保護者が様子を見に来る、ということも無かった。

 周りで見ているのは、ほかの利用客ばかり。みんなが立ち止まってはこちらを見て、次いで傍らの少女を見て、にこやかに笑って歩き去っていく。良いものを見た、とでも言うように。

 正直なところ、嬉しくない訳では無いのだが、どうにもモヤモヤする。

 埒があかず、少女を起こすことにした。

 小突いて、少し声を立てて。むやみに驚かさないように配慮しているその姿を故国の仲間が見たら、何というか。

 

「ふに……ふみゅ?」

 

 寝言とともに、ようやく彼女が目を覚ましました。

 

<おはよう、よく眠っていたな>

「うにゅぅ……?」

 

 まだ眠いのだろう、目をこすり、寝ぼけ眼で辺りを見渡す。

 また船を漕ぎだしたところで、ラウラは軽く吠えました。

 

「……うにゅ!……?」

 

 やっとはっきりと目を覚ました少女は、今度は戸惑ったようにキョロキョロと周りを見る。そして目の前に横たわるラウラに気付いて、声を上げた。

 

「あー、 いぬだ、くろいぬだぁ!」

<くろいぬ? 確かにくろいがな……>

 

 そういって、少女はラウラに抱きついた。匂いを嗅ぐように体を密着させ、毛並みに潜り、さらに揉むように毛並みを堪能する。

 それだけにあきたらず、ラウラにのっかり、ひっしと抱きしめて全身を触る、

 楽しく、気持ちいいのだろう。喜びに満ちた声が毛並みに埋めた顔から漏れ聞こえてくる。

 毛を撫でるその手は、やがて頭まで来た。首にまたがって顔を触ってくる。

 耳をいじり、長い鼻を撫でて、口に手を伸ばしてグニグニといじりまわす。

 ラウラは身じろぎもしていないが、なにやらそれがもっと興味を引いたらしく、さらに触れてきた。

 少女なりに考えて触っているようだが、少女が目や耳の奥まで触ろうとして、ラウラは動いた。

 ラウラがゆっくりと首を振る。動きに気付いた少女は首にしっかりと抱きついた。

 途端に、ボウ、とラウラの体が光に包まれた。全身にわたった光が、徐々に小さくなっていく。少女が跨っていた首も、小さく縮んで背後に消えた。

 

「ふえ……?」

 

 変わっていく目線とその光景が面白いようで、少女はまた楽しそうに笑っている。足を延ばしながら座っていた少女は、そのまま地にひかれて落ち、柔らかな草に受け止められた。

 そのまま後ろに転がる様に倒れた少女の見上げる先で、縮んだ光が空へ延びていく。

 光がはれた。気づけば、謎の少女が見下ろしていた。長く延びる銀の髪は陽をうけてまばゆく輝いている。頭の上にに、ピンと立つ犬のような耳と、背にはしっぽが有った。

 だが、少女は、銀の少女の眼に引かれた。片目を眼帯で覆ったその瞳に引かれたのだ。

 言葉も出ずに見つめ合う二人だが、銀の少女が口を開いた。

 

「──めろ」

「……?」

「眼と耳の奥は止めろ」

 

 それが、ラウラ・ボーデヴィッヒと少女の出会いだった。

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

「わあぁっ!もふもふだ!」

「ふふっ、柔らかいか、良いだろう?」

「うん! ねぇ、くろいぬさん、なんでおみみとしっぽがあるの?」

「うむ…………生まれつきだな」

「そーなんだ」

 

 犬の遺伝子を混ぜて造られた試験管クローンなだけのことだ。それでなぜ犬の耳と尻尾を生やすことになるのか、ラウラは未だに検討がつかない。若干筋肉組織や骨組織に違いが見られ、常人よりも俊敏だったり頑強だったりするが、明らかな差異は耳と尻尾だけ。

 きっと、ラウラのような凡人には到底理解の及ばない高度な目的と目標があるのだろう。

 

「うわぁ、ふにふに」

「……っ……ぬ」

「もふぅ、ふわふわだぁ……」

「うっ、ぬぅっ、穴まで指を入れるなって言っているだろう」

「すべすべぇ……」

「話を聞け」

 

 そういって、ラウラは少女を振り払った。飛ばされた少女はコロコロときっかり二回転してから立ち上がり、ラウラに飛びつこうとして、正面から受け止められた。

 手を伸ばしても届かず、不満げにうめく。

 

「なーんーでー?」

「耳の奥に指を入れるなと言っているだろう」

「うみゅう……さわらせてよぉ」

「さっきから同じことを何度も言っているだろう」

「だってきづいたらはいってるんだもん……」

 

 しゅん、とする少女にラウラは諭す。

 

「このような耳の穴というのは、とても繊細なんだ。そこに指を入れるというのはとても危険な行為で、そう気安くやってはいけないんだ」

「……どうゆーこと?」

 

 いまいちピンときていない様子の少女に、ラウラは少し考えて、言った。

 

「簡単だ。気にかける、それだけでいい」

「どうゆーこと?」

「イヤだといっていることはしない、自分がされてイヤなことはしない、それだけでいいさ」

「おまえも、いきなり耳の穴に指を入れられたりなんていやだろう? そういったことを気をつければいいんだ」

「くろいぬさんもいやだったんだね……」

 

 そういって、

 

「ごめんなさい」

「わるいことしたら、いやなことしたらきちんとあやまりなさいってママがいってたの」

「ママ、か……」

 

 ラウラは、頭を下げた少女を抱きしめた。

 

「ふぇ……?」

「しっかり謝ったのはいいことだ」

「うん」

「だから、わたしからちょっとしたご褒美た」

「……?」

 

 そういって、ラウラは少女をひょい、と軽々と抱き上げた。

 

「うわぁ!」

「それっ!」

 

 そのまま、肩に載せた。肩車だ。

 

「触って良いぞ」

「え?」

「触りたいんだろう? 触って良いぞ」

「うん!」

 

 そのまま思う存分少女に堪能してもらった。

 

「そんなに触って、良いものなのか?」

「気持ちいーの!」

「そうか」

 

 あぐらをかいてみぅを抱く。垂れ下がった髪をみぅは触れていた。

 されるがままにしていると、みぅが言った。

 

「みぅのもさわる? くろいぬさん?」

「櫛くらいはある、せっかくだし梳いてやろう……ん、みぅ? 君は、みぅというのか?」

「みぅはみぅだよ?」

「そうか、いい名前だ。私も言ってなかったな。私の名前はラウラだ」

「うん、らうらだ、くろいぬさん!」

「うん? 私はラウラだぞ?」

「うん、らうらだね、くろいぬさん!」

「…………まぁいい。みぅ、家族の方はどちらにいらっしゃる」

「……?」

「父上と母上、……違うか……パパとママは、いまどこにいるんだ?」

「パパはおしごと! ママはいっしょにきた!」

「うむ、で、ママはいまどこにいるんだ?」

「……わかんない」

「それでいいのか、おい」

「きえてたの!」

「不安……怖くないのか?」

「くろいぬさんがいるからだいじょーぶ!」

「それは良かった」

 誇らしげに頷いた。

 

「そもそもなんでわたしにだきついて眠っていたんだ」

「んー、くろいぬさんがいたから!」

「絶妙に理由になってないな」

「全く、しょうがないな。探しに行くぞ」

 

 立ち上がり、みぅに背を向けたまま、ラウラは言った。

 

「どちらから消えたかは知れんが、ほおっていて心配をかけまくるのはいけないだろう」

「そーなの?」

「おやなら大抵、子供のことを考えて心配になるのだ」

 

 背をむけてラウラは語るが、みぅはラウラを見ても、言葉は右から左へ通り過ぎていた。

 みぅの視線は、ラウラの腰、というよりは尻に注目している。そこにあるのは、ゆらゆら揺れるラウラの犬の尻尾。振れる動きに合わせて、視線も揺れる。

 

「あ、しっぽぉ!」

「あ」

 

 興味を押さえきれなかったのか、尻尾に飛びついた。

 柔くも掴んだとたん、

 

「ぬひぃっ!」

「ふぇ?」

「そ、そこは敏感……」

 

 みうは首を傾げろ、その時に滑った指が、尻尾を擦った。

 

「ぬぁんっ……あァッン!」

「…………?」

 

 みぅはただ首をひねるばかり。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

 森の中を、犬になったラウラはみぅを背に乗せて進んでいた。

 みぅは普段とは違う光景に、眼を輝かせてあたりを見渡している。

 きょろきょろと遠くを見たり、目の前まで垂れ下がった枝をもてあそんだり。

 すこし視線が変わっただけで、

 自分を乗せる大犬を見た。

 

「どーしたの、くろいぬさん」

 

 歩いて周りをよく見ているようだが、先ほどから黙って、なにも言わない。

 尻尾も垂れ下がり、揺れない。

 

「おこってる……?」

 

 尻尾をさわってクネクネとしてラウラが倒れてからというもの、何も言わない。急に犬に変身して、ひょいとみぅを背中に乗せてから、いきなり森へ歩いていくのだ。

 不安そうにラウラをのぞき込む。

 目があってからようやく、バウッ、と答えた。

 パタパタと尻尾も揺れ、ウォン、とほえる。

 そして跳ねた。一息に、ピョン、と軽くとんだだけなのに、木の太い枝の降り立つ。再びはねては枝にとび移り、木々を駆けていく。。

 苦もなく飛んでいくが、

葉っぱも枝も全然当たらない。

 次々と流れていく景色と風に、みぅは声をあげた。

 

「ひゃぁっ! すごーい、はやーい!」

 

 噴水を飛び越し、鳥の群を突っ切り、広場のキャラバンを飛び越えて。

 何かと見上げる人々を置いて、一人と一匹は駆けていく。

 

 

 

 ゆらりゆらりと赴くままに飛んでいたラウラ達だが、突然森が途切れた。

 目の前にはコンクリートの崖。その先には海も見える。気づけば森のはずれまできていたようだ。

 ラウラとみぅは崖に降り立った。柵のたつ崖際は舗装もしっかりされた道になっているが、砂埃で薄汚れていた。人影はどこにもない。人も来ていない、寂れた遊歩道のようだ。

 

<もうこんなところまで来ていたか。すこしはしゃぎすぎたか?>

「わぁ。海だ!」

<おい、走るな!>

「こんなとこはじめてー!」

<おい!>

 

 みぅは崖にそって突然走り出した。あわててラウラが後を追う。

 すぐに追いついて、万が一が起きないよう後ろについて歩くが、ラウラには引っかかるものが有った。

 

<はじめて、か。何度も来ているという話だが……>

「すごーい、たかーい!」

<まだ来たことが無い、というだけか?>

 

 気になることはもう一つ。

 

<妙に汚れているな……マーキングも濃いめだ>

 

 歩道は、妙に汚れていた。海の砂浜から舞い上がったであろう砂、森から飛ばされたらしい土と葉、それが雨風や獣のマーキングと混じってへばりついているのだ。

 風で飛ばされてきたらしいゴミや放置された残飯もあいまって、かなり汚らしい。いくらこの状態でも、地面のままだったら幾分ましだったろうに。

 

<もう少しはちゃんと管理できんのか。駅の周りとは大違いだぞ>

 

 あまりの有様についぼやくが、何かが引っかかる。

 

<いや、これは──>

「あ!」

 

 突然の叫び声。みぃの方をみれば、柵の隙間から砂浜をのぞき込んでいる。何かを見つけたように身を乗り出して、そのままグラリと前へ全身が傾いて──

 

<危ないことはやめろと……>

「わぁぁっ」

「落ちてしまうから危ないんだ。下手をすればしたが柔らク手も怪我をする。無理に縁に近づくな」

「ごめんなさい」

 

 ラウラは人に戻ってしっかり叱りつけた。みぅはどうにもピンとは来ていないようだが、なんとかわかってくれたようだ。

 

「で、何をみたんだ?」

「あ、くろいぬさん、こっち!」

「危ないから気をつけろと言ったろうが」

 

 縁へかけだそうとしたみぅをラウラは止めました。

 

「あれか?」

「うん、おいぬさん!」

 

 下の砂浜に見えたのは、いつの間にかやって来たのか、浜辺をうろつく犬が居た。首輪は見えない。野良犬だろう。

 

「ほう、こんな所にも野良犬がいるとはな。日本も保護しきれずに溢れているのは確かなようだ」

 ISが発表されてからと言うもの、犬と宇宙の二つの要素が注目はされた。犬になる宇宙用パワードスーツなる珍妙な代物ながらも、世紀の発明と耳目を集めたのだ。

 そして、人々は白狼事件の大暴れも相まって軍事を中心に世界の均衡が揺らぐなか、そのモフモフに注目した。

 きっかけは二つ。学会発表時の映像。そして、白狼事件当時に避難中の海上撮影クルーが撮った映像だ。

 事件海域のど真ん中に居たため、逃げ遅れた海洋調査挺に同行していた撮影クルーが撮影したものだ。海上を浮上して海面飛行したのち、空を覆うミサイルに海上から飛びかかって、一閃で凪ぎ払うさまが記録された。さら別の船では、船に落下してきた破片を目の前で破砕し、再び急上昇して新たな空域へ飛び去る様子もその姿とともに映された。

 事件全体の一割にも満たない映像だが、唯一の白狼の記録として継がれている。柔らかくも暖かく、灰にまみれてもくすむことのないその輝き。

 見惚れる人も多かった。

 そこで動いた先がペットの犬。美しさを再認識させた、とか表される動きだが、当初はゴールデンレトリバーやハスキーなど原種におおむね近い犬種が好まれたが、品薄や無関心によって他の犬種も流れが移り始め、やがて猫やネズミに鳥、はてはは虫類や魚類など、元など何の関係もないようなペットブームに発展したのだ。

 そこに絡み、密輸や密猟、盗難に違法飼育など違法業者による混乱も多発し、問題となる。

 さらにペットたちは大層可愛がられたが、所詮飼い主は人間。もはやただの一過性のブームにすぎなかったこともあり、心無い飼い主のペットのの不法投棄や虐待が問題になった。

 この問題が、ただの語られるだけに過ぎなかったいくつもの自説が、派閥による闘争へと燃え上がらせたと言われている。

 その頃には国に限らず民間でも保護に動くものもいたが、もはや対処はおいつがず、野良犬などが町に溢れることになったのだ。

 今となっては、対策も進んで、日本ではちょっと珍しい程度には落ち着いている。

 しかしこのちょっとも、真っ白な鳩や真っ黒な野良猫ていどであり、案外探せばそこらにいるものなのだ。

 海に、山に、そして町に。

 至る所に隠れすんでいるのだ。

 みぅが見つけたのもそうやって対策を逃れた一匹だろう。

 その体は小さく、まだ幼いように見える。

 

「まだ小さいな。二才は超えてないだろう」

 

 改めて周りをみて、考える。

 

「あの一匹だけでは無いな。さすがにあの一匹でこの有様なら元気の一言じゃ収まらない。みぃ、さっさと行くぞ。ここはあまり長居してもしょうが、な、い……」

 

 言い切ろうとして、淀みました。みぅの姿が見えません。

 

「な、どこにいったっ!?」

 

 驚きつつも、むやみに身動きはせずにあたりを探る。軍人は冷静にいるもの。けっして慌てないのだ。

 みぅはすぐに見つかった。

 少し先の、歩道にあった階段から、下の砂浜へ向けて降りていく。

 幼いながら身体能力はいいのだろう、するすると階段を下りて、砂浜に降り立った。

 小さい体の割にいい身のこなしだ。

 

「まったくあいつは……」

 

 みぅは野良犬へと向かっていく。

 ラウラは頭を抱えながらも、押さえるなめに追いかけようとして、

 

「……これは、まずいか?」

 

 みぅは野良犬にじゃれつこうと走っていく。そこに砂浜の恥の岩場から、野良犬がもう一匹。

 

 

 

 

 みぅは砂浜の一匹に近づいていく。茶色の毛並みとはっきりとした目鼻立ち、くるりと円を描いて丸まる尻尾。柴犬だ。

 みぅは体を小さくして、ゆっくりと近づいて行く。腕を広げて、じっくりと向かい合う。

 数瞬の後、みぅがわっ、と飛びかかれば、柴犬はすんなりと避けてしまった。負けじともう一度飛びかかっては、あっさりと避けられてしまう。

 

「まっ、って、と!つーかまえた!」

 

 何度かの交錯の後、柴犬は案外すんなりと捕まった。

 

「んんー!」

 

 みぅは嬉しそうに野良犬を撫で、頬ずりまでする。

 それを眺めあきれるラウラは、さっと気配を変えた。

 

「まずいか……」

 

「むっふー」

 

 みぅは柴犬を撫でていた。サワサワ、ワシャワシャと撫でると、柴犬も気持ちよさそうにしている。

 

「……むー? でもちょっとごわごわする」

 

 そういって首を傾げながらも、みぅは柴犬を撫で続ける。

 顎裏を掻き、首筋をさすり、尾の付け根を撫でて、あちこちを触る。

 その手つきは優しくて、柴犬も気持ちよさそうに身を預ける。

 

「くろいぬさんのいったのと、おんなじだ」

 

 みぅは幼いながら感慨深そうに一人頷いた。ふっ、と柴犬が顔を上げた。岩場の方をじっと見ている。

 

「あれ、わんちゃんどうしたの」

 

 つられてみぅも岩場の方をみれば、別の犬が岩場の上に立ち、みぅの方を見ていた。足下に着くほどに長い毛。コーギーです。

「おともだち?」

 

 みぅが柴犬に聞くが、柴犬はコーギーの方をじっとみたまま動かない。

 

「こっちおいでー! ともだちになろー!」

 

 みうがそう言っている間に、コーギーのよこにまた犬が現れた。今度はブルドッグ。

 二匹は動きを見せない。みぅが首を傾げていると、背後からうなり声が聞こえて、振り返った。そちらの岩場には、いつのまに現れたのか、三匹のレトリバーがが見下ろしている。

 

「ほへ?」

 

 もう一度コーギーの方をみれば、ビーグルとマスティフが増えている。

 

「あれ、増えてる?」

 

 周りをみれば、あちこちから犬が現れている。

 岩場の陰から、砂浜に掘られた穴から、護岸ブロックの隙間、配管の口、海、様々な場所から犬が姿を見せていた。

 やがて、吠えたてたり、歯をむき出しに唸り始めた。

 前のめりで、今にも飛びかかりそうになっている。

 穏やかにみぅを見つめる犬もいるが、みぅは気づけない。

 

「え、え」

 

 いきなりのことに困惑してあたりを見回していると、目の前に空からラウラが降ってきた。

 変身解除の光を破って降り立った。周囲を警戒しながら言った。

 

「あまり勝手に動くな」

 

 そう忠告しながら、みぅを支えようとして、

 

「……柴犬は降ろせ」

「いや!」

「どうしてだ?」

「ともだち!」

 

 そう言うみぅの真剣な眼差しにラウラは息を吐いて、笑って言いました。

 

「友達ならしかたないか」

 

 ラウラはISを起動して犬に変身。騒ぐ犬の群を一睨み。変身とその威圧に群が混乱する中、みぅと柴犬を背に乗せようとして。

 突然の気配。

 その威圧にみぅは体を固め、柴犬も動かない。混乱を来していた犬の群も、落ち着きを取り戻している。

 歴戦のラウラですら、毛が逆立つのを押さえられない。

 

〈っ!何者だ!〉

 

 突然飛び込んできた影。

 ラウラは身をねじり、その一撃を避けていた。その勢いのまま、影をねらい前足をふるう。

 手応えはない。砂を蹴るだけだ。

 何かに突き動かされて、ラウラは前足を振るった。

 チリ、と擦れる感覚。今度は掠ったようだ。

 またも消えた影に、ラウラは耳を、感覚を澄ませて備える。

 感覚というのは重要だ。適当で、抽象的で、時には手遅れなほど遅い。だが鍛えれば、しっかりと答えてくれる。

 ここでハイパーセンサーではあまりにも遅い。

 

「え?」

 

 突然の動きにみぅは戸惑い立ち尽くすしかない。

 みぅが見つめる先で、ラウラは逆立ちで空を蹴りあげた。

 打撃音。

 影が、みぅの目の前に着地した。

 

〈なっ〉

 

 何事も無いように着地した影。ようやく見えたその姿。

 

「かわいいーっ!」

 

 亜麻色の、ポメラニアン。柴犬よりも小さく、丸くなる毛並みが愛くるしい姿だ。

 

〈こいつは……〉

「かわいい……」

 

 みぅは柴犬を抱いたまま手を伸ばそうとします。

 

「ガウゥッ!」

「ひぅっ」

 

 その手は、ポメラニアンの一喝によって払い避けられた。

 驚き止まった手。険しい顔でポメラニアンがうなる。

 いつの間にか、周りにも何匹か野良犬が近づいてきていた。

 

〈多勢に無勢か〉

「うわっ」

 

 そう言ってラウラはみぅを背中に乗せた。

 

〈退くぞ〉

「うわあぁっ!」

 

 大跳躍で壁を一息に上り、森へ駆け込む。IS犬の脚力だからできることだ。

 空を見上げて驚く野良犬達の元に、何かが落ちてきた。

 なにやらゴテゴテとついた、球と筒だ。

 これはなんだ、どうでも良い、いや気になる、向こうが先だ。。 いぶかしみ、惑んでいるとポメラニアンが何かを叫んだ。

 その一声で野良犬達は一斉に散らばるが、少し遅かったらしい。

 球と筒がはじけて、あたりに煙が広がった。黄色の煙。

 突然の煙に視界が奪われ、犬達は困惑する。

 そして、また吠え始めた。一匹だけではない。ほとんどが吠える。どの犬も、鼻をこすっていた。中には、うずくまってまでこする犬も居た。

 混乱はポメラニアンにもなかなか押さえられないほどだ。

 

 球と筒はそれぞれ特殊なグレネードだ。球が煙を、筒が臭いをばらまく用になっている。

 どちらも殺傷力は無く、毒性もない。

 ただ煙は視界を長く空中に漂って視界を奪い、臭いはかすかながらもはっきりと主張して、痕跡を消す。

 どちらも、さる軍が開発した対犬用特殊兵器だ。

 特に筒は人気がある。なにせこの型、その臭いはそこまで強くない。

 使ってもでてくるのは、酸っぱいようなすえた臭い。せいぜい、誰かが臭いそうな物を落とした、となる程度だ。

 だが確実に臭うため、潜入時に軍用犬の追跡などを振り切ったり、施設視察の査定に響かせたりと、特に裏には重宝されている。  

 ポメラニアンの一喝で、どうにか混乱は静まった。

 変わらず血気盛んに吠える犬もいるが、大抵の犬はオロオロと惑い、気持ちを沈ませている。

 そこに、ポメラニアンが吠える。時に勇ましく、時に優しく、時におぞましく、時に柔らかに。

 皆が尻尾をはためかせ、吠えたてる。意気を取り戻した犬達に、ポメラニアンが吠えた。

 犬達の、天まで届かんばかりの一斉の遠吠。そして、ラウラ達を追いかけに走った。

 

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