ワンフィニット・モフラトス   作:我武者羅

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鬼ごっこ

 茶碗に積もる白米。

 澄んだ濁りを見せる味噌汁。

 香る野菜炒め。

 彩りを引き締めるお新香。

 まごうことなき野菜炒め定食。

 これを目の前にして、ラウラは不思議と興奮を抑えられない。

 立ち上る湯気にまじる醤油と味噌の香り、はじける油。艶やかな色が照明を返し、宝石のように輝いている。

 ラウラは思わず舌なめずり。

 いざ食べようとして、止めた。

 目をつぶり、目前の料理に祈る。

 日本では、こうするのだったか。

 いただきます、と。

 まずは野菜炒めを一口。ザクリ、というキャベツの触感。身がしっかりとしていながらも柔らかく火が通り、芯がその固さを主張しながら、歯ごたえとして堪能できる絶妙な加減。

 そして噛む度に口の中に広がる甘み。これは味付けでなく素材の味だろう。そしてその甘みに馴染むように、醤油のうまみがやってくる。ただうまい、としか表現しがたい味わい。

 一口、一口、また一口。

 気づけばどんどん食が進んでいく。小松菜、モヤシ、豚肉が合わさり夢中になっていく。

 米のことを思いだし、遅れを取り戻さんとばかりにがっつりと食べる。やはり、米と野菜炒めの組み合わせは間違いない。どうしても濃いめになる野菜炒めと、白米のうまみと甘さが相まって新しい道が開ける。

 そして食事が進む。

 だんだんと、時間の感覚が短くなっていく。

 目の前の料理が消えていく。

 よもや何かやましいモノでも入っているのか、いや、そんなことを考えていられない。

 あまりの旨さに混乱していたのか。

 ただただ一心に目の前の料理に向き合う。

 食事をグダグダと評したり、あーだこーだと考えるのは性に合わない。そういうのはあのセシリアにでも任せればいい。彼女も財閥を仕切るお嬢さま。彼女なら舌も口も肥えているに違いない。言葉巧みに豊かな感情と優雅な素振りで心揺るがす劇場を開いてくれることだろう。

 また、食事を進める。もう食べることしか考えない。

 気づけば、目の前の皿は全て空になっていた。

 ひとまず、息をつく。こうも食事に夢中になったことはあっただろうか。

 ラウラはドイツ特殊IS部隊の隊長。普段は栄養重視、腹重視。味やらはたいしてこだわらない。

 一度、要人護衛任務の最中に、護衛対象の意向で高級料理にご相伴したときも、普段とは違う味と思っただけで、まともな良し悪しも夢中になることも無かった。

 それがこうも夢中になるとは、初めての体験だ。何もかも忘れて食事をとるその姿、余程隙だらけだったはず。

 ラウラは大いに反省してから、ウェイトレスにもう一皿注文した。

 頼むのは、ほかの客もよく頼んでいた、メニューにテカデカと載る一品。

 

「はーい、業火野菜炒め一つ入りまーす!」

 

 食事が楽しいとは、こういうことか。

 本隊に、この店がそれほどに旨いと報告して自慢しておこうか。いや、自分だけの秘密も良いかも知れない。

 そんなことを考えながら、次の皿を待つ。

 ラウラが思い返すのは、今朝のこと。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

 あの興奮する野良犬軍団から離脱した後、みぅは少々ご機嫌斜めだった。

 柴犬とやはり仲良くなっていたそうで、挨拶もせずに別れてしまったことに不満を抱いていた。

 広場の噴水まで来たときも、不満な様子は止まずラウラは頭を悩ませていたが、どうにか説得して落ち着かせた。そばのベンチの上で憂さ晴らしのように、思い切りモミクシャにされているときに、ふと、みぅが声を上げた。

 ひょいと飛び降りて走り出し、同じく駆け寄ってきた女性に抱き止められた。

 ようやく母親が現れた。よほど慌てていたのだろう、汗を流し息を荒くして、焦燥としていた。

 突然の仕事の電話に追われたときにはぐれてしまったらしい。ずいぶんと低頭に何度も礼を言うその姿が印象的だった。

 たじろぐほどの礼の勢いに押されながらも、二人とはそのまま手を振って別れた。

 しっかりと別れは言ったが、みぅに請われた再会は約束出来なかった。柴犬とのことをずいぶん気に病んでいたが、さすがにそこは違えられない。しっかりと伝え、その場を後にした。

 子供はこのような別れを経験して、成長していくものだとラウラは聞いたことがある。 だが、自分が何を言うか、と自嘲が止まない。もともと試験体クローン生まれ、軍秘匿施設育ち。そのようなマトモなことはそう経験していない。 何をエラそうに言っていられるのか。

 ふと見上げた空は、いつの間にか鉛のように暗く厚い雲が広がっていた。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

 気づけば、新たに注文した野菜炒めは無くなっていた。いつの間に来ていたのか、いつ口を付けたのやら。少しばかり意識が飛んでいたような気もするが、それこそ気のせいだろう。

 もうずいぶんと店に居たような気もするのでさっさとレジに向かい、代金を払う。

 さっ、と腕を一振りすれば、小銭がジャラジャラと小皿に収まった。

 突然の手品に、同じ年頃の若い店員が目を丸くするのが見え、少しばかり得意げになる。

 タネをあかせば、ISの収納機能を利用してしまいこんだ金銭を引っ張りだしただけだ。

 この収納機能は、元々ISの装備を粒子化してしまい込む『見えないバッグ』。このバッグ、あふれるほどに沢山の武装を入れても、どうしてもバックパック程度には余裕が出来るので日用品を入れておくことも出来る。そこを利用して、ラウラはサイフ代わりにもしている。

 これを使ってお金を出すと、有る限りはぴったりにでてくるのだから、ずいぶんと重宝するのだ。

「はぁい、確かに丁度、頂きました」

 

 見ろ、ピッタリだ。

 この店の味、チップも思い切り弾みたいところだが、日本では受け取らないだから諦めるしかない。その分は、また今度食べることにで払うことにしよう。

 きびすを返すように店を出る。なんといい店を見つけたのだろうか。「良い食事は心を豊かにする」という言葉が、心から理解できる気がする。

 嫁に勧めても良い。驚き、喜んでくれるに違いない。

 外にでれば、まばゆい陽射しがラウラを照らす。避けた雲間から青空が覗いていた。

 店をでた黒犬は、尻尾をはためかせて、軽やかな足取りで町を歩いていく。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

 ラウラはヒョコヒョコと町を進んでいた。

 町を散策しているのだ。

 そして広い町を、あちこち観察していた。

 量販店を中心に人が行き交う駅前。八百屋や惣菜屋が軒を連ね、若者のグループすら集う賑やかな商店街。老夫婦や親子連れのいる穏やかな住宅街。

 まだあまり学園の外にでたことのないラウラには、とても新鮮な光景だ。

 どこもが笑顔に溢れていて、とても平和なのだと実感できる。

 しかし、ある住宅街に差し掛かったとき、妙な感覚を覚えた。勘ともいえます。何かひりつくような、危険な感覚。気配が静まり、鋭くなっていく。

 この感覚には、なんとも言えない懐かしさすら覚える。

 まるで戦場にでもいるように。

 

〈町がひりついている……?〉

 

 自然と歩きが変わる。足音を消して、目立たないように進む。

 路地裏をすすみ、時に一軒家の庭を通る。

 物置の脇から降り立ち、縁側でくつろぐ老人と挨拶を交わして、反対の生け垣を飛び越え、隣の家の屋根に飛び乗って、町を見て回る。

 

〈こいつらか〉

 

 ある家の屋根に登っていると、ハイパーセンサーに怪しい人物を捉えた。

 町をうろつく男たち。襟までしっかりたつ糊のきいた黒服やヨレヨレの胡散臭い格好の男など、あまり町に馴染んだ服装ではない。この町に慣れてもいないのだろう。あっちに行ったりこっちに来たりとうろついている。

 気にかかるのはその数。見えるだけでも乗用車を利用するチームが二つ、そこかしこでウロチョロしている。さらに時折している連絡を傍聴する限り、町の反対側にも同じだけいるようだ。

 こんな大勢でいったい何をするのか。

 通信を聞く限りでは何かを探しているらしい。

 

〈何を探しているんだ……?〉

 

 傍聴を続けても、うまく具体的な単語が聞き取れない。だが、ISが目標ということは無いらしい。

 とりあえず己自身が標的では無いことを確信し、スタリ、と地上の影にに降り立ち、塀の隙間をぬって公園の茂みへと顔を出す。

 隙間から覗けば、公園の中にも何人か男がいた。先ほどの二チームとはまた違うチームのようだ。

 

〈道を一つ、さっそく使うことになるとは思わなかったぞ〉

 

 道は、観光の際に作り上げたた潜入経路の一つ。人目の付きにくい潜入・隠匿用の進路として、有事の際に備えていくつか目星をつけていた。こうもあっさり出来たのは、特殊部隊としてのマッピング能力と作戦眼、ISのハイパーセンサーの合わせ技だ。

 男たちは、相変わらず連絡を取り合い、何かを探しながら走り回っている。

 

〈接続、検索…………衛星からの画像に不審な物や飛行物体は無い。三時間前に近縁の幹線道路で自動車事故、関係者情報から無関係。不審者情報、対象グループのものと思わしき通報数件有り。窃盗、万引きが数件ほど、こちらは時間帯と被害品から無関係と認定。不審者情報、無し……このあたりであんな連中が出ばるような騒ぎはないらしいが〉

 

 空振りに終わり、ラウラはため息をつく。

 一体何を探しているのか、何があるのか。見当もつかず、首を傾げるしかない。

 

〈しかし……〉

 

 意識をハイパーセンサーに集中させれば、周りの様子が見える。

 公園の遊具で遊ぶ子供たちを家族が見守り、カップルが和やかに見つめあって、老夫婦が木陰で休みながら、仲睦まじくする。

 

〈ほんとうに平和だな、この町は〉

 

 あのような連中が走り回っているというのに、町は変わらず穏やかに回っている。

 

〈無粋、というのだったかな〉

 

 のそりと起き、動き出した。目標は、仲間と少し離れて茂みを漁っている男。

 そっと忍び寄り、一閃。当人どころかほかの仲間にも気取られない攻撃の運びは、手慣れたもの。

 そのまま押さえ込んで尋問しようとしたが、想定外が一つ。

 男が予想以上にあっさりと気絶してしまった。本来の想定なら、前後不覚になる程度だったはず。ひるんだ男を近くの家屋の屋上なりに拉致して尋問したかった。一息に連れ去れば良かったのだが、その暇もないほどにあっさり意識を落としたので、ラウラも調子を崩してしまう。

 仕方なく、膝から崩れ落ちる男を音を出さないように受け止め、茂みの影へと隠した。

 人へ戻り、拘束を施しながらもラウラは自嘲する。

 

(この程度で気絶するこいつは情けないが、この程度で失敗してしまう私も、十分情けないな)

(恨んでくれるなよ────)

 

 もう一度、男を連れ去ろうとして──

 

「あれ?」

「!」

「くろいぬさんだ! またあったね!」

 

 みぅが、草をかき分けひょっこりと顔を出した。

 

「またお前か、何しとるんだ、こんなところで」

「んー、おにごっこ!」

「お、おにごっこ? なんでこんなときに」

「ほら、あそこにおにさんいるよ」

「おに……? あの男たちか」

「うん、おにさんのおともだちみたい」

「お友達、ということはほかに鬼がいるのか」

「うん、くろいふくのおにいさん!」

「あぁ、あれか」

 

 男たちに何人か同じようなのが混じっていた。命令を良く出していた様子からして、おそらく上司だろう。

 

「ねえねえ、くろいぬさん、このひとどうしたの?」

「ああ……寝てしまったのでな、そのままじゃ危ないからこの茂みの裏に引っ張ってきたんだ」

「へー。じゃあ、くろいぬさんはなにしてるの?」

「荷物を確保しているんだ、そのままじゃ盗まれそうで危ないからな……コインばかりに博士三人、カードも無いし存外しけてるな」

「どろぼー?」

「預かっているだけだ……こういった男を倒したときは日本ではこうするものだと聞いたぞ」

「そーなの?」

「クラリッサはそう言っていた」

「くらりっさ?」

「私の部下さ」

「……ともだち?」

「……ああ、いい友達だ!」

「ウッ、ウグゥ……」

「むぅ?」

「ぬがっ」

「寝ていろ──。ただの寝言だろう、気にしなくていいさ」

 

 ん、と頷くみぅを横目に男の拘束をきつくして、

 みぅを見れば、隅のコンクリ塊を足場に塀を乗り越えようとしていた。

 大人ほどの高さだが、幼く体の小さいみぅは一生懸命に上ろうとしている。

 

「ん……もう行くのか」

「うん、くろいぬさんもいこ?」

「誘うなら先に言え、まったく」

 

 そういって、みぅの体を軽々と持ち上げました。

 

「あぅ、なにするの」

「無理するな、危ないだろうが」

 

 みぅを片手で抱いたまま、よ、と塊を足場に軽々と壁に手をかけて、軽々と体を引き上げた。

 

「くろいぬさん、すごーい」

「このくらい、いつも軍でやっている」

 

 勢いのまま足を縁につけて越えようとして、

 

「あ」

「────」

 

 ばったりと向かいで見上げていた男と目が合った。

 

「────あぁっ!」

「そぉい、ガァゥ!」

 

 一気に体を引き上げてから、壁を蹴って急変身の一撃。

 男は昏倒して倒れた。

 

「どうした、山野!」

 

 叫び声。仲間がそばにいたようだ。

 

「ん、犬がなんでこんなとこ、ろ、あ、こちら山川班、目標をっ────ガァっ!」

〈チィッ! さっさと行くぞ!〉

「わーい!」

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

「おい、山川の連中が見つけたらしいぞ!」

 

 男の最後の通信はしっかり届いていた。

 そこかしこの集団が反応する。

 ここにも、少年少女といっても良い年頃の男女の集団が通信を拾った。

 

「えぇっ、終わちゃったか……」

「いや、見つけたが逃したらしい。犬と一緒に逃げているんだと」

「そりゃすごいな」

「犬……? 犬飼ってるなんて話ありましたっけ?」

「調査終わってから飼ったんじゃないの。ほら、さっさと行こーぜ。有本と磯野はもう動いちまったみたいだ」

「しかし、なんでこんな大騒ぎになったのでしょーね」

「お前が鬼ごっこしようだなんて言うからだろーが!」

「ええっ! じゃあかくれんぼのほうが良かったですか?」

「うん、そうすれば見つければそこで終わりに……」

「最初に捕まえちゃえば良かったんですよ!」

「えっ、あの子を遊びに誘ってあげなさいって」

「比喩だ、比喩。知らんのか」

「ひゆ……張り付いて血を吸うのですか」

「それはヒルだ」

「うーむ……?」

「おーい、置いてくぞ!」

「あ、待ってくださいよ! ほら、いこ」

「うーむ、わからん……」

 

 少年少女を乗せ、車は走っていく。

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 ラウラは走った。地を蹴って、屋根を越えて。町をかける。

 

「わはは! くろいぬさん、はやーい!」

 

 背負うは少女、みぅ。

 

「待て!」

「クソイヌ、どこに行ったぁ!」

 

 追うは、黒服たちを中心とする謎の集団。

 気づけばラウラは、謎の集団に追われて走っていた。

 彼らについては、年齢も性別も統一されず、いくつかのチームがそれぞれの黒服の下で動いていることしかわからない。

 相手は車に二輪車、自転車を駆使してラウラを追いかける。

 

「見失ったぁ!」

「犬だ、黒くてでっかいフサフサの犬を探せぇ!」

 

 オウ、のかけ声とともに集団は一斉に散らばり、あたりを探していく。

 茂みをかき分けるもの。樹の上を探る者。池を漁るものもいた。

 黒服の男も、公園の人々に話を聞いて、懸命に探していた。

 

「……あ、通っていったの見たと。それは黒い犬で?……黒、しかも大きい。ありがとうございます。あ、これ少ないですが、お腹の足しにでもしていただければ。……いえいえ、受け取ってください、それほどに感謝しているのです。──私はこれで、お話ありがとうございます」

 

 子連れの夫婦に詩人を一枚手渡してから、教えてもらった方向に走っていく。

 他の人員に情報をインカムで流しながら、男はあたりに目を凝らしていた。

「どこに消えた。ガキも一緒なんだ、すぐに逃げられるものではないはず……」

 

 走ってやってきたのは、大きな木々に周りを囲まれた広場だ。木陰に、一角の小さな池と清流が相まって、とても涼しげな感触を出している。

 なにも無ければ、ここで水の流れにでも耳を澄ませて休みたいものだが、そうも行かない。

 やはり穴場なのか、人がいる。木陰のベンチに身を預ける人もいれば、池で釣りに熱中する親子連れ、広場の中央で遊びはしゃぐ子供たち。あちこちに人がいた。

 とにかく話を聞くが、どうにもふるわない。木陰でも、池でも、広場の中央でも、そんな犬は見ていない、と言うのだ。

 まかれたか。

 あまり時間もかけていられない。

 最後にと、樹の根本で涼む二人の少女に話しかけた。

 姉妹なのだろうか。二人は顔を出した大きい根を椅子にして、姉と思わしき少女が妹に本を読んでいた。

 

「すみません、ちょっといいですかな」

「なんですか?」

 

 二人が顔を上げた。

 中学生くらいの少女と、小学校入り立ての頃合い、と見える。

 二人とも外国人であろう、白い肌と長い銀の髪がよく眼に写った。麦藁帽子と白のワンピースが涼しげで、清楚なイメージが良く映える。

 

「黒くて大きい犬を見かけなかったでしょうか?」

「黒くて、大きい、犬……ですか?」

 答えたのは、姉であろう少女だった。妹らしき小さい少女は、姉に抱きついてじっとしている。

 怖がらせてしまったのか、人見知りなのか。

 

「ええ、見かけなかったでしょうか」

「黒い、大きい犬……森のほうだっったかしら」

「森、ですか!」

「え、ええ。なにか慌てることでも?」

「ええ、実は、私の飼い犬でして。今日は久々に会った姪っ子と、この公園に散歩にきたのですが……姪っ子を乗せた途端に、走ってどこかに行ってしまいましてね。追いかけたのですが、情けないことに見失ってしまったのです」

「あら、それは大変ですね」

「ええ、姪っ子はとても元気な子のですが、もし振り落とされたりですとか万が一のことがあれば大変です」

「あら、ならケガをなされてなければ良いのですけれど」

「ええ、もし一生ものの傷でも付ければ申し訳がたちませんし、私も大変です」

「何かあるのですか?」

「ええ、兄が姪っ子をとても大事にしていて、傷ですとかそういったことがあると慌てて押さえが効かなくなって大変なのです」

「あら……なら早く見つけたほうが良いのでしょうね。引き留めるようなことをしてしまって、申し訳ありません。早く姪さんをお助けになってください」

「いえ、こちらこそお教えいただいて、ありがとうございます」

 

 礼を言うなり、男は懐から何かの紙を取り出し、少女に渡した。

「あら、これは」

「せめてものお礼です。妹さんと、おいしいものでも食べてください。それでは」

「あ、ワンちゃんには……!」

「……?」

 

 駆けだそうとした男は立ち止まり、もう一度、姉を見た。自然と男が見下ろす形となった。

 

「ワンちゃんには、きつくあたりすぎないでくださいね。姪さんを楽しませようとしたのかも知れません」

「……ええ、あんがいアトラクションか何かとはしゃいでるのかも知れません。まあ、とにかくみつけて、押さえてからですね。忠告ありがとう、お嬢さん。では!」

 

 そういって、男は駆けて森へと走っていった。

 消えて見えなくなったことを確信してから、姉は力無くうなだれた。妹が支えると、思い切り息を吐いた。

 

「やはり、疲れるな……」

「くろいぬさん、すごいね」

「この位は当然なのだがな、日本では、朝飯前、というのだったか」

 

 この清楚なお嬢さん姉妹、変装したラウラとみぅです。

 

「くろいぬさん、ぜんぜんちがった」

「ああ、違うだろう、がらりと変わっただろう?」

「うん」

「あまり踏み込まれずにさりげない壁であっさり流すには、なんだかんだセシリアが一番殻を作りやりやすかったんだ。だが、シャルなどやった日には……」

 

 ぼう、と彼方を見つめて、ぶるり、と震えて青い顔で呻いた。

「うう、嫁よ、情けない私を笑ってくれ……」

「くろいぬさんはがんばってます、だいじょーぶ!」

 

 慰めるみぅの笑顔で、自分がまた情けなく思えてしまう。

 

「これもうはずしていい?」

「もう少しそのままでいてくれ」

 

 みぅがはずそうとしたかつらを押さえた。

 艶やかな銀の髪。

 

「あぁ、ほらずれた。ちょっと待っていろ……よし、もういいぞ」

「ふふ、くろいぬさんとおそろいだ」

「よくあっているぞ」 

 

 このかつらは、変装道具としてISに収納したものだ。

 頭に被って一定の手順で櫛を通せば、編みこむように固定されるという優れものだ。ラウラはこのかつらを、クラリッサの薦めもあって黒、茶など各色、ロングとショートそれぞれ一つずつもっている。

 さらには肌の色を整える肌色クリワムも黒黄赤白と各種ご用意。オマケに服飾セットを合わせた変装道具セットだ。本職の怪盗から監修を受けたというこの装備も特殊部隊必需品。潜入任務にはもってこいだ。

 

「さて、またいこうか、みぅ」

「うん!」

 

 

           ◆       ◆       ◆

 

 

「ねぇねぇくろいぬさん、これからどーするの?」

「とりあえず、お前を安全なところに送りたいところだが……」

 ふと、ラウラはあることに気づいた。

 

「おまえ、鬼ごっこのまえは何をしていた」

「んー、ん、こーえんであそんでた」

「何処の公園だ」

「えっと……あ、あそこのした!」

 

 みぅが指さしたのは、周りとは趣の異なる、大きなビル。町の中心地の方角。

 他のビルとは離れていて、よく目立つ威厳あるビル。ラウラの収集した情報では、あにビルは文字通り町の『中心』。

 

「…………ママは、どうした?」

「ちょっとまってて、ってあそこにはいった」

「────はあぁ、そういうこと、か?」

 

 ため息とともに頭を押さえて、

 

「ちょうどいい、あそこに行くぞ」

「うん!」

「あー、見つけた」

 

 そこに声をかけたのは、詰襟の青少年。ともにいた軽装の少女は、なんのことだかわからずに訊ね返した。

 

「え、服どころか、髪も肌もぜんぜん違うように見えるんだけど」

「変身したんじゃないんですかー?」

「変装のこと……?」

「わーまてー!」

「わーにげろー!」

「あ、ちょっと!」

 

 少女は青年を追おうと駆け出して。

 

「それっ」

 

 ラウラの手によって、宙に転ばされた。

「あら……!?」

 

 回転する景色に眼を白黒させていると、地に寝るように叩きつけられていた。

 

「本当ちょうどよかった。話を聞かせてもらうぞ」

「いた、え……え、いた。え?」

 

 背中にはいつのまにかラウラがのしかかっていた。

 小柄な体格なのに、横綱でものっかっているように重圧がかかってくる。

 もがこうとして、手足が全く動けないことに気づいた。極められている!

 

「あ、あの、なんでしょう?」

 

 返答は無く、ギリ、と痛みが増した。

 

「いた、たぁぁぁ! よ、よわめぇぇぇ!」

「あまり痛めつけたくないんだ、はやくあの少女を追う理由、行ってもらおうか」

 

 その言葉とともに、間接を極める力は弱まった。だが、極まっていたほうがよかったのかもしれない。少し変えられた腕の方向が、危険信号を発している。

 これは、折れるぞ。

 そんな危険を感じ、冷や汗が止まらない。

 耐えかね、少女はあっさり口を開いた。

 

「たいしたこと無い! あの子を連れてきてって頼まれたの!」

「誰にだ」

 

 ギリ、と悲鳴を上げる関節。

 

「あたた、ちょっといたい……せ、先輩ですけど……」

「どこにいる?」

「いや、たぶん先輩も詳しくは知らないんじゃないかなぁ……」

「何?」

「これ、バイトだもん」

「は、バイト?」

「うん、ばいと。それも日雇い」

「人さらいがか?」

「あ、やっぱりそうなのね」

「おい」

「いや、先輩もいい顔してなかったんだけどね、なんでも部のOBからの依頼だって言うし、それに……」

「それに、なんだ」

「きゅ、給料、良かったんだもん……」

「結局金か……」

「しょ、しょうがないじゃない、お金かかるし、OBは面倒なの多いし……」

「……部活と言うが、なにをやっているんだ」

「写真部よ。部のとか、備品とか、支給される部費のじゃ徴収しても足りないの」

「写真部」

「よかったら、モデルになってくれない? こんなお人形にたいな子、初めて! あの子もぜひ一緒に!」

「それはあいつに聞いてくれ」

「にしても、あの子たち放っておいていいの?」

「大丈夫だろ、ほら」

 

 いわれて、視線をそちらに向けてみれば。

 

「それ、まてまてー!」

「あはは! ここまでおいでー!」

「まってぇーい!」

 

 二人は相変わらず鬼ごっこをしていた。

 なぜか、みぅが追いかけ、青少年が追われていたが。

 

「あぁ、なんだかんだでこうなのね……」

「大丈夫だったみたいだな」

「こっちはかんがえてみればいつものことだけど、そっちはよく動かなかったね」

「ん、ああ……いや、何」

 

 ラウラはまぶしそうに二人を見つめながら言った。

 

「あいつらが、本当に心から楽しそうだったからな」

「なら、いっしょに遊べばいいじゃない」

「む、いや、いまの状況でやるわけにはいかないだろう」

「まじめだねぇ……」

「そう、なのか。どうにもうまくやれなくてな」

「なぁらばぁ!」

「うぃっ、部長!」

 

 いつからいたのか、茂みから姿を見せた部長という男は自信満々に告げる。

 

「私が、堅物でも楽しめるいい遊びを伝授して差し上げよう」

「ほう」

 

 後ろにまとめた長髪と眼鏡。明らかに自我の、癖の強い男だ。

 だが、その言葉か、物言いか、あまりの自信にか。確かにラウラは興味を引かれた。

 

「おもしろい、言ってみろ」

「可愛げがないのー、ま、ではな…………」

 

 部長の言葉に、ラウラと少女は耳を傾ける。公園には、みぅと青少年の笑い声が響いていた。

 

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