都である洛陽から少し離れた、とある開けた平野。今ここに、天下の諸侯が数多く軍勢を率いて集結していた。その目的は中央を支配し、圧制を敷く董卓を倒すため…世に言う、反董卓連合である。
その中を、諸侯が集まる軍議の場所目指して進む一団がいた。今は平原の相の身分である劉備…真名は桃花。そして彼女の護衛兼お供である関羽…真名は愛紗と、張飛…真名は鈴々の義理の三姉妹である。
「でも、ようやく着いたね~」
そう口を開いたのは桃花だった。
「ええ。しかし、着いて早々軍議とはいい頃合に到着したものです」
「日頃の行いの賜物なのだ!」
「ふふっ、そうだね」
女三人寄れば姦しいというが三姉妹は和気藹々といった雰囲気で楽しそうに話している。そんな三人を、少し後ろでボーっと見ながらついてくる影が一つ。
「ご主人様?」
その視線に気がついたのか、桃花が自分たちより少し後ろでこっちを見ているその人物に話しかけた。
「あぁ!?」
思わず眉を顰めて聞き返したその人物…トレードマークのサングラスこそかけていないものの、地下足袋にニッカボッカ、そして風神の刺繍のしてある特攻服。…まぎれもなく獏羅天の特攻一番機である風神、韋駄天のヒロシだった。
「ひぅ!」
刺すようなヒロシの返事に、思わず桃花が愛紗の影に隠れてしまった。
「こ、怖いよ~、ご主人様ってば~…」
「あ、ああ、ワリィ…」
怖がらせるつもりは毛頭なかったのだが、ついいつもの癖で凄んでしまい、ヒロシがすまなそうに謝罪した。が、
「っと、それより桃花!」
何かに気付いたヒロシが桃花の名を呼ぶ。
「な、何?」
おずおずといった感じで桃花が答えた。
「いつも言ってんだろーが! その『ご主人様』ってのはいい加減ヤメロ!」
「う…だって…」
ヒロシの指摘を受けた桃花がシュンとする。
「ご主人様はご主人様だし…」
「だから名前で良いって言ってんだろ?」
「で、でもぉ…」
助けを求めるように桃花が義理の妹である愛紗と鈴々に視線を向けた。しかし、
「ヒロシ殿が再三そう仰られているのですから、それでいいのではないですか?」
「鈴々はお兄ちゃんって呼んでるから、どっちにしろ関係ないのだ!」
「うー…二人とも、薄情だよ」
救いの手は差し伸べられなかった。仕方なくヒロシと視線を合わせると、
「その…すぐには無理だと思うけど、なるべく努力しますから、とりあえずそれで勘弁してもらえませんか、ご主じ…っとと、ヒロシ…さん」
「チッ、しゃーねーな…」
言葉通り、本当に仕方ないなといった感じでヒロシが溜め息をついた。取り敢えず了承を得たことに、桃花はホッと一息ついた。
「さて、それでは参りましょう」
「うん、そうだね」
愛紗が促して桃花が頷くと、一向は再び目的地へ向かって歩き出した。三姉妹はすぐにいつものように賑やかになる。
(しっかし、未だに今の状況が信じられねーや)
先程までと同じようにそんな三人を後ろからボーっと見ながら、少し後ろで彼女たちの後についていくヒロシ。そうしながら、もう何度目になるかわからない、今の自分の状況に思いを馳せていた。
確かにZⅡの横っ腹に居眠り運転のダンプに突っ込んでこられ、ヒロシはキヨシと共にアスファルトに放り出された。全身をしこたま強打し、ろくに動けずに意識も朦朧としていく中、あっけねーと思いながらヒロシはその目を閉じた。そしてそのまま終わるはずだったのに、何故か意識のある己に戸惑いながらもゆっくりと目を開けると、その目の前にいたのが桃花、愛紗、鈴々の三人だったのだ。
初めて彼女たちを見たヒロシの感想は、みょーなカッコしてやがるなというものだった。だがすぐに、周囲の景色がアスファルトの道路でもなければ今の時間が夜でもないことに気づいたヒロシが、とりあえず目の前にいる桃花たち三人に事情を聞く。そこで得られた情報に、ヒロシは頭がパンクしそうになった。
曰く、ここは幽州とかいうところの、五台山とかいう山の麓である。
曰く、ここは漢とかいう国である。
曰く、世が乱れ、盗賊が蔓延っている。
曰く、そんな世を正すために旗揚げした。
等々、ヒロシとしては、はぁ~? とか、おいおい…とかのフレーズの連発であった。そんな予想外どころか頭の片隅にもない事態に直面したヒロシは、目の前の三人の頭がイカレてるんじゃないかと思ったのだ。そして、彼の中でそれを決定付けたのが、この一言だった。
曰く、管路という占い師がこの地の戦乱を収めるために、天の国から天の御使いなる人物がこの国に降り立つと予言した。そして、自分こそがその人物だ…と。
それを聞いたヒロシは、彼にとっては非常に珍しいことに怯えた様子で乾いた笑いを浮かべた。そして額に汗をかきながら、しゅたっと軽く右手を上げると、じゃ、じゃあなと言い残して一目散に三人から逃げ出したのだ。
やべえ、やべえよ、あいつら…。
そのときのヒロシの偽らざる本音である。そんなヒロシの突然の逃走にビックリして固まった桃花たち三人だったが、少し経ってようやくヒロシが逃げたことに気付き、慌ててその後を追ったのだ。
三人を置き去りにしたヒロシは、とりあえず視界に入っていた集落に逃げ込んだ。が、そこの様子を見て愕然となる。
というのも、自分が知っている街の形とはまるで違っていたからだ。コンビニも、自販機も、ビルも道路も車も、単車すらそこにはない。それに、行きかう連中の姿も、現代の日本ではありえない装いをしていた。
どーなってんだよ、こりゃあ…
目の前の光景に呆然となるヒロシ。だがそれは集落の住民にとっても同じである。いきなり目の前に、自分たちとは全く違った格好をした人間が現れれば、不思議に思うのも当然のことだろう。当たり前のように目立ったヒロシは、すぐにこの集落の兵士数人に囲まれ、質問を受けることになった。
だが、そこは流石に獏羅天の特攻一番機の片割れである。唯々諾々とそんなものに従うわけはなく、早々に大立ち回りを繰り広げた。とは言え、剣の切っ先で頬に掠り傷を負い、その武装が本物であることに少々肝を冷やしたが。
それでも流石に喧嘩慣れしているだけあって、致命傷を食らうことなく兵士たちを全員のしたのである。
はぁ…はぁ…と、荒い呼吸を繰り返しながら額の汗を拭う。桃花たち三人がヒロシに追いついたのはそんなときだった。
しつこく自分を追ってきた三人にゲッ! と思ったものの、これまでの現状を鑑みてヒロシは取り敢えず三人の話をもう一度だけ聞くことにした。とはいえ、兵士たちをのしてしまった以上、この集落でそれをするわけにはいかないので、場所をこの集落から一番近くの街に移すことにした。
その城壁をくぐるとき、そして城壁の中の様子を見て、ヒロシの乾いた笑いが再び上がったことを記しておく。
奇妙な四人組はとある飯店の中に入ると、もう一度角を突き合わせてじっくり話し合いを始めた。と言っても、先ほどと同じ話題が繰り返されるだけで目新しい話は出てこない。
が、これまで自分の目で見たこと、そして経験したことを考えれば、今度はヒロシも一笑に付すことは出来なかった。例えそれが、自分の理解を超え、頭がパンクしそうな事態であっても…である。
脳味噌が熱を帯びていく感覚にヒロシは思わず頭を抱えた。が、もっとも頭を抱えたのはあることを頼まれたときだった。
私たちと一緒に、戦ってください。
それが、これである。いっそ有無を言わさず目の前の連中を殴り飛ばしてバックれることが出来たらどれだけ楽かとヒロシは思ってしまった。しかし、流石に女を…それも見てくれだけで言えばかなりの上玉の女を殴るのはどうにも気が引けたのでグッと我慢した。
そんなヒロシの逡巡を、自分たちの都合がいいように理解したのか、三人が次々と言葉を重ねた。
これが死後の世界ってヤツなのかよ…。
そんな三人の言葉を聞き流しながらヒロシは思わずそう思ってしまう。だが、これが結果的にはいい切欠となった。
と言うのも、死後の世界なんだったらこんな感じでも別に変じゃねーのか。という考えに思い至ったからである。多分に現実逃避の側面があるのは否めないが、それでもあーだこーだ考えているよりは百倍マシだった。
そういうある種の開き直りを経て、ヒロシは彼女たちに協力することにした。何せ右も左もわからない世界である。こんなところに一人で放り出されても、そう遠くないうちに行き詰るのは流石にヒロシでも理解できたからである。
こうして彼女たちと行動を共にすることになったヒロシは、その後紆余曲折ありながらも桃花を旗印として着実に勢力を伸ばし、遂にこうして諸侯の一人として反董卓連合に参加するまでに力を付けたのだった。
(夢じゃねーんだよなぁ…)
今までのことを思い起こしていたヒロシが思わずそんなことを考える。何回か自分で頬を抓ったことがあるのだが、その度に痛みが走り、これが現実だと教えてくれたのだった。
(…まあ、いい女に囲まれてるだけマシ…か?)
少し前を歩く桃花たち三人を見ながらヒロシはそんなことを考えていた。不思議なことに、自分が厄介になっている桃花たちの陣営には男の幹部が自分しかいない。他は長幼の差はあれど、皆女だった。その点でも変な世界だと思ったヒロシだが、彼も人並みに女は好きなので、不思議には思うもののこの状況は決して嫌ではなかった。
「あれ?」
と、その時、桃花が急に声を上げた。
「どうしたのだ、お姉ちゃん?」
鈴々が尋ねる。
「うん、あっちから何人か来るよ」
「ふむ…あの姿形は、袁術の客将である孫策かと」
「そうなんだ。よく知ってるね、愛紗ちゃん」
感心したように桃花が愛紗を覗き込んだ。
「朱里や雛里から大陸の主要な英傑の容姿を聞いたことがありますので。孫策と…傍らにいるのは盟友であり軍師である周瑜かと」
「そっかー。それじゃあ、もう一人の男の人は?」
「さて…孫策の陣営にあのような男子がいるとは聞いていませんが…」
「んー、でも、よく見るとあっちの男の人、お兄ちゃんと似たような格好しているのだ」
「ああ?」
鈴々の一言に、それまで興味なさ気に三人の言葉を聞き流していたヒロシが、思わず三人が視線を向けている方向に同じように視線を向ける。そしてその瞬間、ヒロシは固まってしまったのだった。
少し時間を戻して、桃花たちと少し離れた場所。そこに、桃花たちと同じように軍議の場所へと向かっている一団があった。
「さてさて、どんな感じになるかしらね♪」
楽しそうにそう言うのは孫策。後の呉国の礎を築く小覇王である。
「随分楽しそうね、雪蓮」
そんな彼女を嗜めるように、隣の周瑜が彼女の真名を呼んだ。
「なーによー、何か棘のある言い方ね、冥琳」
孫策…雪蓮が周瑜こと冥琳の発言に不満そうに頬を膨らませた。
「そんなことはないけどね。ただ、目的を忘れられてたら困るから」
「大丈夫よー、ちゃんと覚えてるって。諸侯たちがどれほどの連中か見極めるため…でしょ?」
「ええ。利用できるか、黙殺しても害はないか、敵にしたほうがいいか、味方に回したほうが得か。そういったことを判断するのが目的よ」
「わかってるって。全ては孫呉のために…ね?」
「そういうこと」
「ふふっ♪」
クイッと眼鏡を上げて頷いた冥琳に雪蓮が楽しそうに微笑んで頷いた。そんな二人に、
「よー」
彼女たちのすぐ後ろから声をかける人物がいた。
「ん?」
「あら、どうしたの、キヨシ?」
二人して振り返ると、雪蓮がその人物の名を呼ぶ。そこにいたのはヒロシと同じく獏羅天の特攻一番機であった雷神…鬼のキヨシの姿があった。
キヨシもヒロシと境遇はほぼ一緒である。呉の陣営に保護され、神の御遣いとしての立場を頼まれて、彼女らと行動を共にしていた。
「今更言うのもなんだけどよー、俺、行く意味あんのか?」
キヨシは雪蓮と冥琳に問いかけた。
「何故だ?」
冥琳が尋ねる。
「だってよー、お前ら二人で十分なんだろ? だったら別に俺が行く必要ねえじゃねえか」
そんなキヨシの問いかけに、
「ふふっ、ダメよ」
と、雪蓮が答えた。
「あ?」
雪蓮の答えにキヨシが訝しがった。
「何でだよ?」
そしてその理由を尋ねる。
「貴方のお披露目でもあるからよ」
「? 意味わかんねー」
「仕方のない奴だな」
冥琳がくいっとかけている眼鏡を押し上げた。
「神の御遣いの噂は既に大陸中に広まっている。そんな中、我が孫呉がその神の御遣いを擁しているとなれば、諸侯に対して一枚も二枚も優位に立てるというわけさ」
「そう、上手くいくんか? どっちかっつーと、無駄に警戒されるってーか、目ぇ付けられるだけだと思うけどなぁ…」
冥琳が示した回答に、キヨシは懐疑的である。
「いいのよ、上手くいかなくったって」
が、雪蓮はキヨシの危惧を気にもしてないようだった。
「あ?」
「要は、我が孫呉に御遣いが降り立った…そう周囲、ひいては天下に認識させるだけでいいんだから」
「そーかよ。けど、何度も言ってるが、俺はそんなもんじゃ…」
「それは貴方自身が納得してないだけでしょ? でも、貴方のいた世界とここは全然違うとなれば、そう関連付けるしかないじゃない」
「…まーな」
もう何度目になるかわからない問答を繰り返すと、キヨシはボリボリと頭を掻いた。
「何、心配するな。出発前にも言ったが、お前は何もしなくていい。ただ単に、我らの後ろに黙って立っててくれればいいのだ」
「そーゆーこと♪」
「…おう」
とりあえずこれ以上は話が進展しそうにないのを悟るとキヨシもそこで口を噤んだ。と、
「あら?」
何かに気付いたのか、雪蓮が声を上げた。
「どうした、雪蓮?」
冥琳が尋ねる。
「んー? あそこにあたしたちと同じ様な一団があるなって思って」
「どれどれ…」
冥琳もそちらの方へと目を凝らした。
「ふむ…あれは新しく平原の相に任じられた劉備とかいう連中だな」
「そうなの?」
「ああ。間者の報告と姿形が一致する」
「さっすが冥琳、頼りになるぅ♪」
「我が主君殿がこういうことにあまり興味を持ってもらえないようなのでな。仕方なしの側面もあるのだがな」
「う…」
藪をつついて蛇を出してしまい、雪蓮があははと乾いた笑いを浮かべて誤魔化した。その後、もう一度劉備たちに視線を戻す。
「あれ、あの男…」
その中の一人を見て、雪蓮が怪訝な声を上げた。
「気付いたか?」
「そりゃあね。…ねえ、キヨシ」
「あ?」
二人の会話に興味がなかったのだろうか、どうでもよさげにそっぽを向いて欠伸をしていたキヨシが振り返った。と、雪蓮は劉備たちの一団をスッと指差す。
「あの男、貴方と似たような格好してない?」
「ああ?」
雪蓮が指差した方向を見た瞬間、キヨシも同じように固まってしまったのだった。
「マジかよ…」
「嘘だろ…」
お互いがお互いの姿を捉えた瞬間、獏羅天の風神と雷神は固まってしまった。その様子に気づいたそれぞれの陣営の面々が訝しげに二人に声をかける。
「ご主人様?」
「お兄ちゃん、どうしたのだ?」
「ヒロシ殿、あの男が何か?」
「キヨシ?」
「ふむ…」
ただ一人、周瑜…冥琳だけが何となく悟ったのは流石は軍師というところであろうか。やがて二人はお互いに向けて走り出す。
「あ、ご主人様!」
「ひ、ヒロシ殿、お待ちを!」
「お兄ちゃん、危ないのだ!」
「ちょ、ちょっとキヨシ!」
「やはり…か?」
周囲の面々、桃花、愛紗、鈴々、雪蓮、冥琳もその後を追うように走り出した。そして、
『テメエ!』
手の届く距離まで近づくと、二人はお互い殴りかかった。そして互いに殴りかからなかった方の手でその拳を受け止める。
「ひゃっ!」
「な!」
「ええー!?」
「ちょ、あんたたち!」
「やれやれ…」
いきなり殴りかかった二人に、一人を除いて驚く女性陣。そんな彼女たちを置き去りに、二人の男は互いの目を見てニヤリと笑った。
「テメエこら! 生きてやがったんかよう、キヨシぃ!」
「そりゃこっちのセリフだぜ! 何でオメエがいやがるんだよう、ヒロシぃ!」
二人は殴りかかった拳を開くと、がっちりと腕相撲のような形の握手を交わした。
『え? え? え?』
殴りかかったかと思うと、即座に親しげに握手した二人に周囲が混乱する。そんな中、唯一冷静だった冥琳が少し前に歩み出た。
「キヨシ」
「あ?」
キヨシが振り返る。
「よければ、こちら紹介していただけると有り難いのだがな」
「こいつか? こいつは俺の“兄弟”だ」
「ほおぅ、成る程な…」
ま、そんなところだろうなと思った冥琳だったが、そのことは億尾にも出さずに頷いた。
「ほ、ホントなの? ご主人様」
おずおずと、今度は桃花がヒロシに問いかける。が、
「ご主人様ぁ~!?」
その一言に、キヨシが素っ頓狂な声を上げ、逆にヒロシはヤベッといった表情になった。
「おいおいヒロシちゃんよぉ、今のは何だよ、あ?」
ニヤニヤしながらキヨシがヒロシの肩を組んだ。
「チッ、勘違いするんじゃねーよ、キヨシ」
「あ?」
「こいつがよ」
ヒロシがスッと桃花に指を指す。
「何回注意しても止めねーんだよ。俺が言わしてるわけじゃねえ」
「ほぉー」
それでもニヤニヤは納まらないキヨシ。ヒロシはこのヤローといった表情になり、又も注意された桃花はあうぅ…とへこんでいた。
「せっかくの再会のところ、水を差すようですまないが…」
そんな中、事態を前に進めようと口を挟んできたのはやはり冥琳だった。
「あ?」
「お?」
「今は軍議の場に向けて移動中だったはずだ。積もる話は歩きながらでも出来よう。そろそろ再出発したいのだが」
「そうね」
雪蓮も冥琳の意見に同意すると、桃花たちの方に視線を向けた。
「あなたたちもそうでしょ? 劉備」
「え? 私たちのこと、知ってるんですか、孫策さん」
雪蓮から自分の名前が呼ばれたことに驚いた桃花が目を丸くした。
「当然。大陸でも一門の人物の名前を知っておくのは、君主たるものの義務よ」
「ふわー、凄いです…」
未だ駆け出しである自分の存在を知っていたことに、驚きつつも尊敬の眼差しを送る桃花。が、その横で冥琳がジト目で雪蓮を睨んでいることは気が付かなかったようだ。
そんな冥琳が軽く溜め息をつきながら、何時ものようにクイッと眼鏡を上げて桃花たちを見据える。
「しかし、そちらも我々のことを知っていたようではないか。現時点では袁術の配下でしかない我々のことを」
「こちらにも頼れる頭脳はおりますので」
桃花に代わって愛紗が答えた。
「…失礼、貴公は?」
視線を鋭くして冥琳が尋ねる。
「これは失礼を。劉玄徳の家臣で義妹の、関雲長と申します。そしてこちらは同じく家臣で義妹の張翼徳」
「なのだ!」
愛紗に紹介された鈴々がえっへんと胸を張った。
「これはご丁寧に…で、その頭脳とやらはこの場にいらっしゃるのかな?」
「残念ながら、今は我らが陣にて留守居役を」
「そうか。…いずれそちらの頭脳とやらにも お目にかかりたいものだ」
「機会があればそうもなりましょう」
冥琳と愛紗が静かに視線で火花を散らした。まるでお互い相手を見定めるかのように。
「ハイハイ、そこまでそこまで」
そんな二人の間に割って入ったのは雪蓮だった。パンパンと手を叩いて両人の肩に手を置く。
「私たちも貴方たちも、いい加減軍議に行かないと…でしょ?」
「…わかっているわ」
「…そうですな」
雪蓮に諭され、冥琳と愛紗はようやくお互いから視線を外した。
「さ、行きましょ。旅は道連れ、世は情けってね。せっかくだから、肩を並べて向かいましょ」
「そ、そうですね!」
冥琳と愛紗の間に流れていた緊迫した空気に内心でワタワタしていた桃花がこれ幸いとばかりに同意した。
「宜しくなのだ、お姉ちゃんたち!」
一人そういった空気とは無縁の鈴々が元気よく挨拶する。
「宜しくね。えっと、張…」
「張飛なのだ!」
「そ。それじゃ改めて、よろしくね、張飛」
「なのだ!」
そして雪蓮と鈴々が連れ立つように歩き出し始め、残りの三人も彼女たちの後を追うように歩き始めた。そんな彼女たちの微妙な様子を、ヒロシとキヨシは少し離れた場所で見ていた。
「…よう、キヨシぃ」
ヒロシが徐に口を開く。
「あ?」
「テメーんとこのあの二人、随分クセがあるじゃねえか」
「ちっちっちっ、そいつは違うぜ、ヒロシ」
人差し指を立てると、キヨシはそれを軽く左右に振った。
「あ?」
「クセがあるのはあいつらだけじゃねえ。ここの連中はみんなクセがある変わりモンなんだよ。テメーだって思い当たることあんだろ?」
「ハハッ、違えねえや!」
自分の陣営のあの二人のチビっ子やメンマ大好きの顔が即座に浮かび上がり、ヒロシは苦笑せざるを得なかった。と、
「ちょっと、何やってんのよ!」
「ご主人様~、早く~」
少し離れたところから、こちらの方に振り返り自分たちを呼んでいる雪蓮と桃花の姿があった。残りの三人もこちらに振り返っている。
「あいつ…またご主人様って言いやがって…」
ヒロシが心底呆れたような表情になった。
「とりあえず合流しようぜ。女を待たせると、後が喧しいからよぅ」
「そーだな」
二人は連れ立って歩き始めた。その背中に背負った風神と雷神が久しぶりに相棒に会ったからだろうか、なぜかいつもより栄えて見えた。
「さて皆さん、何度も言いますけれど、我々連合軍が効率よく兵を動かすにあたり、たった一つ足りないものがありますの」
軍議が行われている天幕にて、金髪縦ロールのやたらと偉そうな少女が、その発言通り何度目になるかわからない言葉を発する。
彼女の名前は袁紹。大陸でも屈指の名門の家に生まれ、現時点では大陸でトップクラスの実力者であった。そのため、軍議は彼女の主導のもと行われている。
…まあ実際は、軍議と言って良いとは思えないような無駄な時間であるのだが。
「兵力、軍資金、そして装備……全てにおいて完璧な我ら連合軍。しかして、ただ一つ足りないもの。さて、それは何でしょう~?」
(鬱陶しいわねぇ…)
席に着いて先程から彼女の御高説を聞いている諸侯の一人、曹操が呆れ半分、怒り半分で辟易としていた。その口ぶりから、袁紹が総大将をやりたいのは誰でもわかるのだが、彼女は決して自分から言い出さない。誰かに推され、仕方なくその役割を引き受ける…そういう形式を望んでいるのだ。だが諸侯たちも袁紹の望むようにしたことによって面倒なお鉢が回ってくることを嫌がり、誰も彼女を推そうとはしない。そのため、先程から無駄な時間だけが過ぎていた。
(バカのくせに、こういうところだけは聡いというか面倒臭いんだから)
何度席を立ってやろうかと思ったが、そんな短慮を起こしたせいで損な役回りを引き受けたら堪ったものじゃないので自制していたが、それもそろそろ限界突破しそうだった。
「はぁ…」
誰にも悟られないように短く小さく溜め息をつく。しかしそれとほぼ同時に、
「ふぁ…」
と、彼女の後ろから声が上がった。驚いて思わず振り返ると、そこに立っていた男が大欠伸を掻いていたのだった。
「華琳、少し出てくる」
そう言ってその男は、天幕を出ようと歩き始めた。
「ちょ、ちょっ「ちょっと、そこの貴方!」」
曹操…華琳が止めようとしたのだが、袁紹が結果的にだがそれに被せる形で憤懣やるかたない声を漏らして彼の足を止めたのだった。
「Wow…」
鬱陶しそうな表情で男が袁紹に振り返った。その身は龍神の刺繍の入ったコートで包まれている…そう、当然彼こそが獏羅天の三鬼龍最後の一人、龍神…天羽時貞だった。
「…何だ?」
少し苛立たし気に時貞が口を開いた。
「貴方、何考えてますの!? この大切な軍議を勝手に中座どころか、欠伸まで掻くなんて! 何なんですの華琳さん、その男は!」
「天の御遣いよ。聞いたことあるでしょ、貴方も」
いい加減馬鹿らしくなってきたのか、素っ気ない口調で華琳が返す。
「天の御遣い…ああ、貴方ですの。最近下々が噂してる、胡散くさーい人は」
合点がいったのか、袁紹は怒気を収めた。
「では、私のことを知らないのも無理ありませんわね。仕方ないから自己紹介してあげますわ。私は袁紹、字は本初。この大陸でも一番といってもいい名門の当主にして、類まれなる美貌と財力と実力の持ち主ですわ。おーっほっほっほっほっほ!」
何時ものように居丈高に自分の自己紹介(という名の自慢)をする袁紹。そんな彼女の自己紹介(という名の自慢)を、時貞はポケットに手を突っ込んで右から左に聞き流していた。
「あらあら、驚いて声も出ませんの?」
が、何も言わない時貞を都合よく解釈したのか、袁紹は更に気分よく得意げになった。そんな彼女に時貞はニッコリと微笑むと、
「Shut Up. Fuckin' Dirty Bitch」
と、流暢な英語を披露した。
「は? え? しゃ、しゃ…?」
袁紹が盛大に頭上に?を浮かべる。しかし、それは何も袁紹に限ったことではない。華琳を始め、その場にいる全員が首を捻っていた。もっとも、英語がわかるわけはないので当然のことであるが。
が、時貞がそんなことを気にする性格なはずもなく、今度こそ用が終わったとばかりに天幕から出ようとする。その時、遠くの方から男と女の入り乱れた声が聞こえてきた。
「!!!」
その遠くから聞こえてきた声を聞き、時貞は固まってしまった。そしてただ一点、天幕の入り口を見つめる。
「? 時貞?」
すっかり固まってしまった時貞に訝しげに華琳が声をかけた。が、時貞は一向に反応を見せない。
「ちょっと、どうし「失礼します」」
そのタイミングで天幕が開き、劉備や孫策が入ってきた。そして、
「!」
「!」
そこにいた時貞を見てヒロシとキヨシは固まり、時貞もまたヒロシとキヨシを見て固まったのだった。
「ご主人様?」
「キヨシ?」
「ちょっと、どうしたのよ、時貞ってば」
君主三人が、様子のおかしいそれぞれの神の御遣いに話しかける。が、誰も彼女たちに答えようとはしない。その代わり、
「ひ…ヒロシ? キヨシ?」
最初に口を開いたのは時貞だった。
「と、と、と、時貞ぁ!」
「マジか!? マジかテメェ!」
ヒロシとキヨシが我先にと時貞の下へと駆け付けた。
「お前、お前こんなところに居やがったのかよ!」
「テメエ、本物だよな!? マジモンの時貞だよなぁ!?」
「お、お前たちこそ、何でここに…」
「まあ、その辺りの事情はよ」
「おう。これからゆっくり話してやるからよう。てめーも事情話せや」
そう言うと、ヒロシとキヨシは時貞の左右からがっちり肩に手をかけた。
「ちょ、ちょっとキヨシ!」
「ご、ご主人様!?」
展開の速さについていけない雪蓮と桃花がそれぞれの神の御遣いに話しかける。しかし、
「わりーな桃花、パスするわ」
「俺もな。後で詳しいこと教えてくれや、雪蓮」
そしてそのまま三人連れ立って天幕から出ようとする。が、
「ちょっとお待ちなさいな!」
癇癪を起したのは袁紹だった。
『ああっ!?』
行動を止められて袁紹を睨むヒロシとキヨシ。その鋭い眼光と怒気を孕んだ迫力に多くの諸侯が肝を冷やしたが、生命知らずなのかバカなのか、袁紹は怯むどころかさらに威嚇してきた。
「何ですのあなたたち! 勝手に自分たちだけで盛り上がったかと思ったら出ていくだなんて、ここを何処だと思ってますの!?」
「んだとぉ!?」
「でけー口叩くじゃねえか、おい」
せっかくの再会に水を差され、ヒロシとキヨシは目に見えて機嫌が悪かった。そして肩を組んでいた腕を解いて近づこうとしたのだが、
「ヒロシ、キヨシ、止めとけ」
時貞がそれを制した。
「ああ!?」
「だけどよ、時貞…」
納得いかない表情のヒロシとキヨシだったが、時貞はスッと彼らの顔を自分に近づけさせると、
(あの女はただのバカだ。相手にする価値もないほどのな)
と、彼らにだけ聞こえるように囁いたのだった。
「それより、さっさと行こうぜ」
時貞が促すと、不承不承だったがヒロシとキヨシも歩き出した。
「ちょっと!」
置いてきぼりにされた華琳が不満げにそんな時貞を呼び止めるものの、
「Sorry 大事な用事ができたんでな」
ヒロシとキヨシと同じように素っ気なくそう告げると、三人は足並みを揃えて出ていった。後に残った天幕の中の諸侯は、本来の形に戻った風神と雷神と龍神…三鬼龍を見送ることしかできなかった。