よろしくお願いします。
ビル街の中に一際目立つ高さでそびえ立つ白亜の双塔――その周囲は物々しい空気が漂っている。
戦車や武装車が何台も並び、その周りをやはり重々しい装備に身を包み、マシンガンを手にした自衛隊員達が険しい表情で取り囲み、辺りの様子を伺っている。
何も知らない者がその状況を見る事が出来たならば、テロか事故か、何か大きな事件があったのではないか、と思うだろう。
誰かが語るまでもなく、事実としてこの街の人々は「何か」に怯えて暮らしている。
「何か」が、人々を襲う。――人ならざる「何か」が。
報道ではその存在は伏せられてはいる。
しかし、犠牲者、被害者という隠しきれない事実は、噂という名の憶測を呼び、憶測はまた人々の恐怖を煽る。
ほんの数ヶ月前はでは無数の人々や車が行きかっていた通りも、今ではまるで別世界と化したかの如く人通りも無く、ただ冷たいコンクリートの灰色が支配していた。
2020年、東京――ここから、全ては始まる。
灰色の街に、冷たい風が吹き付ける。
「うわぁ、こんな格好で来るんじゃなかったぁ……」
季節は晩冬。
年は開けたとはいえ春はまだ遠く、吹き付ける風は身を刺す様な冷たさだ。
アカネは、小さく身震いをしながら、普段着のジャージでこの場に来た事を後悔した。
愛用の鞄の中には、政府から届けられたよく解らない書類と、駄菓子「おいしん棒」が数本。
カイロも上着も、体を温められる物は何も持って来ていない。
「誰か、何か貸してくれそうな人いないかな。」
そう呑気な希望を持ちながら、彼女は既に都庁前広場に集まっている人々を見た。
数十人もの人々が集まっている真ん中には、威厳を感じさせる笑みを浮かべたスーツ姿の女性と、その傍らで書類を確認している眼鏡をかけた青年の姿がちらちらと覗く。
「あ、あの真ん中にいるの役員さん達かな。あの人達に頼めば――」
そう思い、アカネは集まっている人達の中に混ざろうとした――その時だった。
人々の中から、一人の少年が突き飛ばされ、アスファルトに尻餅をついた。
丁度アカネの目の前に座り込んでいる形になった少年が、慌てて立ち上がり、アカネに対し、「すみません、すみません。」と慌てて何度も謝罪の言葉を口にする。
少年の前髪は目を覆い隠す程に長く、しかもコートに付いたフードを目深に被っているため表情は伺えない。
だが、少年が怯えているのはありありと分かった。
「君みたいなモヤシ君が”S級”?面白い冗談もあったものだね。」
刀をベルトに挿した青年が、せせら笑う様に少年に言う。
この様子から察するに、彼が先ほど少年を突き飛ばした犯人の様だ。
その言葉に同調する様に、彼の取り巻きらしき男女が笑い声をあげた。
「この場には、今、国内最高峰の特殊技能を持った人材が集められてるんだぜ?超一流の剣技、超一流の諜報技能、超一流の体術、超一流の指揮技能などなど。で、見るからにヒキコモリ君な君は何が出来る訳なんだい?」
その言葉に、びくり、と怯えた様に少年の体が震えた。
「ありゃー、図星つついちゃった感じ?」
青年がせせら笑う様に言いながら、前髪をかきあげる。
その瞬間、青年の顔の間近で鋭い風が空を斬った。
アカネは、拳を青年の顔の寸前で止めた。
「で、超一流が何?」
引きつった表情を浮かべた男に、アカネは涼しい顔で問うた。
「なるほど。あなたは超一流の苛めっ子って訳。」
そうアカネが言うと、青年の顔はみるみる上気しだした。
「このガキ……」
そう言うと、青年は刀の柄に手をかけた。
口の形が小さく「ぶっ殺す」と呟いている。
先ほど突き飛ばされた少年が「ひっ。」と小さく息を呑んだ。
「はい、そこまで。」
その次の瞬間、アカネと青年の間に黄色いスーツを纏った長身の男が立ち、二人を制止する様に肩に手を置いた。
「君達は此処に、ケンカしに来たわけじゃあないだろう?」
先程までーー間に入られるまで、二人は男の気配を全く感じる事が出来なかった。
男で横目で見られた青年は、刀を抜きかけたまま、口元を震わせている。
アカネはその様子を見て、構えていた拳を下ろした。
沈黙がしばしその場を支配する。
書類を確認していた白衣姿の青年の咳払いが響いたのはそれから五秒程経ってからであった。
「……試験の説明を始めます。」
西条アカネ――『身体能力:S級』
少女は、昔から体を動かす事が好きだった。
外での遊びで、同じ年頃の子供達と競い合って負けた事は無い。
勝とうと思って走り、跳び、投げれば、おのずと勝負は決まっていた。
だが、簡単に得られる小さな栄誉に、少女は次第に寂しさを感じるようになった。
「だって、僕達アカネちゃんにはかないっこないんだもん。ねぇ。」
こう言ったのは、誰だっただろうか。
その言葉に応じる様に子供達は顔を見合わせ、おずおずと首を縦に振った。
一緒に遊んでいた同級生達は一人、また一人と彼女の側から離れていった。
そして少女は、一人になった。
だから彼女は自ずから、より年上の者と遊ぶ様になり、より強い者に挑んでいく様になった。
様々な競技を勧められては、すぐに要領をこころえ、そして、もう誰も自分に敵わなくなっていく、もう教える事は無い、と言われていく。
「才能」と言われればそれまでだっただろう。
しかし、それは幼い頃の思い出をなぞるだけの事でしかなかった。
――誰カ、ワタシノ遊ビ相手ニ――
それが、少女の望みだった。
「俺達が……S級の能力を……?」
「それで、マモノと……戦う?」
「ムラクモ機関……噂には聞いてたけど……」
スーツを纏った威厳ある女性――日暈ナツメ、と名乗っていた――から、この場に集められた目的を告げられた者達の間に、戸惑いが広がった。
ざわざわと、周囲の者達は顔を見合わせ、息を呑む。
「S級の能力ある者を集め、マモノと戦ってもらい、その中からムラクモ機関の新人を選抜する」
彼女の言葉はあまりに日常からはかけ離れた言葉だった。
しかし、それを鼻で笑う者はいない。
流石に、目の前の都庁から漂う殺気と、ナツメの持つ只者ではない威厳から、この話が絵空事ではない事ぐらいは理解出来たからだ。
だが、中にはその空気に反して自信有りげに笑う者もある。
「国民全ての情報を握り、能力ある者を管理し、国のため――引いては人類のために役立ってもらう――所謂『正義の味方』って奴かね。どこまでが本当だか、俺は知らないけど。」
「マモノだか、ムラクモだか、解んねぇが……俺達には、S級の才能があるって事か……?だったら……」
大柄な男が、拳を握り凶暴に笑う。
先ほどアカネに絡んできた剣士の青年もまた、同じ様な反応だ。
一方、フードの少年は俯いてじっと黙っているのがアカネの目に映った。
「皆、私達の期待に応えられる事を祈っているわ。」
ナツメが嫣然と微笑む。
それに応じる様に、人々からは次々と「俺はやる。」という声が挙がった。
アカネはただ、目の前にそびえる都庁を眺めていた。
周りの声は聞こえない。
ただ、ざわざわとした、無数の敵意が此方を見ている。
だが、不思議と胸の内に恐怖は無い。
「あれ、さっきからどうしたの、お嬢ちゃん。」
先ほどの長身の男がアカネに小さく声をかけた。
「……怖いかい?」
「あ、さっきのおじさん。」
アカネの言葉に、男は苦笑いを浮かべ、軽く溜息をついた。
「そりゃないなぁ……まぁ、話を戻して。……君はどうする?選抜試験、受ける?」
その言葉に、アカネは小さく頷いた。
「あれだけ啖呵切って、試験は受けない。ってのは確かにないよねぇ。」
男はそういうと小さく笑った。
「僕、さっき悪目立ちしちゃったせいで、誰も僕に声をかけてくれないんだけど。君はどう?」
「声?」
アカネが首を傾げると、男は「班決めだって。」と言い足した。
周囲を見ると、人々は皆、お互いに顔を見合わせて何か話し合っている。
しかし、アカネ達に声をかけようとする者はいない。
ちらちらと様子は伺うものの、皆一様に小さく首を横に振るだけであった。
アカネは人々の中から先程の少年を探した。
少年はおずおずと人々に話しかけようとしているが、無視されているのか聞いてもらえないのか、誰もそれに取りあう様子は無い。
アカネはすっと息を吸い、少年に声をかけた。
「ねえ!君!!」
その声に、少年はびくりと大きく身を震わせた。
「班、わたし達と組まない?」
「班……僕と、ですか?」
アカネが微笑みかけると、少年は戸惑った様に問い返した。
「ナチュラルに僕も混ぜてない?」
アカネの言葉に、スーツ姿の男が呆れた様に口を挟む。
「おじさんも組む人いないって言ってたじゃん。」
アカネがそういうと、男は、『やれやれ』と言わんばかりに苦笑いを浮かべながら両手を上げた。
「なら、『おじさん』じゃなくて『ケイジ』で。」
「アカネ。西条アカネだよ。よろしく。」
アカネは長身の男――ケイジに向けて手を差し出した。
もう片方の手は何やら鞄を漁っている。
「……どうしたの?」
「たこ焼きと、コーンスープと、野菜サラダとどれが良い?あ、変り種で、納豆とかココアも……お近づきの印って奴。あ、そうだ。君!名前まだ聞いてないよね?」
アカネに話を振られた少年は、小さく、え、あ、と言葉にならない声を漏らした。
だが、しばらく口を噤んだ後、思い切った様に口を開いた。
「ええと、中宮ジロウと言います……」
「ジロウ君だね!よろしく。」
そういうと、アカネは少年ーージロウの手をとった。
その手を、少年はしげしげと見つめている。
「よし、決めた。」
アカネは何か妙案を思いついた様に頷いた。
「ジロウ君にはこれ。ちょっとレアなタン塩!」
そういうと、アカネは鞄の中から一本の「おいしん棒」を取り出した。
「ええと、お菓子、ですか?」
首を傾げるジロウに、アカネが「別の味の方が良かった?」と問う。
「いえ……ありがとうございます。」
そう言って頭を下げると、ジロウはおずおずとアカネから「おいしん棒」を受け取った。
「んー、そろそろ行かないと、試験官さんが困るんじゃない?」
いつの間にアカネの鞄から失敬したのか、たこ焼き味の「おいしん棒」を齧りながらケイジが言った。
どうやら、「彼」は首尾良く試験生の中に入り込む事が出来たらしい。
都庁へ向かう少年の背を見送りながら、女は呟いた。
『失望させないでね、PS-26』