CPとしてキタハムを含みます。
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公子は時折夢を見る。
不思議な夢。だけど大切な夢。
それはまるでベルベットルームの様に、夢と現実の狭間にあるかの様に、何処か現実感のある夢だった。
ベルベットルームの様な場所で、そこで公子は上質なソファーに座っていて。
その向かいには、何時も誰かが座っている。
誰か……そう、確か同じ年頃の男の子。
その夢を見る度に、公子は彼と沢山話す。
順平がたこ焼きで火傷しそうになった事とか、そんな下らない事も含めて色々と。
彼も色々と公子に話し掛けてくれたのだけれど、夢の中では確かに覚えているのに、目が覚めてしまうと、彼の名前も思い出せない。
彼はファルロスと同様に限られた時間にしか会えないが、それでも公子にとっては大切な友達であった。
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湊は時折夢を見る。
不思議な夢。だけど大切な夢。
移い行く様でいて変わらない、そんな不思議な場所で、女の子と出会う夢。
湊は彼女の事を知らない。
夢の中では確かに覚えているのに、目覚めた時にはその名前も顔も思い出せないのだ。
だけど、月光館学園の制服を着ていた事と、髪留めをしていた事は覚えている。
夢で見ると言う事はもしかしたら学校の何処かで擦れ違った事もあるのかもしれない、と、朧気な記憶を頼りに彼女を探してみた事はあったが。
それらしい人影を探してみても見付からず、何と無く似ている人なら居たのだが、それでも一目見た瞬間には彼女では無いと分かった。
探してみても見付からず、その名前も声も顔も分からなくても。
夢でしか会えない相手であっても、湊にとっては彼女は大切な友人であったのだった。
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公子はふと目を開けて周りを見回した。
そこは、まるでベルベットルームの様な感じの格調高さを感じさせる部屋で。
ただ、巨大なエレベーターの様なベルベットルームとは違い、部屋が動いたりする事は無く。
巨大なガラス窓の向こうには、満天の星空と吸い込まれてしまいそうな蒼白い月が浮かんでいた。
そんな中、公子は豪奢なソファーに腰掛けていて。
机を挟んだ向かい側のソファーには、公子と同じ年頃の少年が座っている。
公子が彼に目を向けるのと同時に、彼もまた公子の事を見詰め返していた。
「久し振り、湊」
「久し振り、公子」
お互いにそう名前を呼んで、そしてほっとした様に笑った。
ここは、夢の中だ。
目が覚めてしまえばお互いの事を殆ど思い出せないのだが、ここでならちゃんと思い出す事が出来る。
夢でここに来たのは、実に数日振りであった。
彼と出会う夢を見るには、タルタロスに行かずに影時間の中でも眠れば良いのだと公子は気付いていたが、起きた時にはそれを忘れてしまっているのだろう。残念な事に。
「そう言えば、最近はどう?」
湊にそう問われ、公子は前に会った時から新たに起こった出来事を語っていく。
シャドウやペルソナ、影時間にタルタロスの事も、全部。
普通の人なら分からないであろうそれらの話だが、湊は難無く理解している。
何故なら──
「そっか、あ、こっちはね……」
湊が語り始めたのは、同じくシャドウにペルソナや影時間とタルタロスの話。
そう、二人はほぼ全く同じ様な出来事を経験をしているのだ。
初めてここで出会った時に、色々と話していて気が付いた。
公子と湊は、まるで鏡合わせの様な存在なのだと。
所謂パラレルワールド、とでも言えば良いのだろうか。
公子と湊が置かれているのは、ほぼ同じ様な状況で。
湊の世界では公子の立場に湊が、公子の世界では湊の立場に公子が居る。
細かい部分では差違があっても、大まかには変わらない。
仲間の顔触れも、戦ってきた敵たちも変わらないのだ。
縦しんばお互いの世界がパラレルワールドなのだとしても、何故この夢の中で、言うなれば並行世界の自分に近似する相手と出会っているのかは公子には分からない。
が、そんな細かい事など公子にとってはどうでも良い事であった。
公子にとって、湊は最大の理解者である。
勿論、性別は違うし同一人物と言う訳では無いから、周囲の人間との関わり方などにはどうしたって多少の差はある。
が、それを差し引いても、湊は公子を、公子は湊をよく理解する事が出来た。
仲間達の誰にも話せない事だって、湊になら話せる。
他の誰にも助言を求められない事だって、お互いにアドバイスを送りあう事が出来た。
目が覚めてしまえば、その多くを忘れてしまうとは言っても一切合切を忘れてしまう訳でもなく、送られたアドバイスは何時だって力になってくれる。
湊の前でなら、公子は周囲から求められている公子の仮面を外す事が出来るのであった。
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湊は嬉しそうに話す公子の言葉に相槌を打ちながら、そのキラキラと輝く様な顔を見ていた。
湊と公子は、とてもよく似ている。
置かれてきた環境も、今いる環境も。
周囲との関わり方は一見全く違う様であったが、その実根本的な部分では公子も湊もほぼ変わらないのだと、湊は見抜いていた。
誰とも、深い部分では関わろうとせずに、他人と自分との間に線を引いている、と言う点に於いては同じだ。
それは、湊と同様に公子も、“死”を恐れる事が出来ないからなのかもしれない。
……尤も、湊と同様に公子も少しずつ他者との関わりの中で変わっていってる様だけども。
違う様でいて同じで、でもやっぱり自分とは違う公子を、湊は何時しか目で追う様になっていた。
恐らく湊の前でしか晒さないであろうその顔を、湊は何時しか求める様になっていた。
湊はその“想い”が一体何であるのか、その名前を知っていたが、敢えてその感情に名前を付ける事はしない。
夢の中でしか出会えない、僅かな時間しか共に居られない相手を、その“感情”で縛ってはいけないと、湊は思ったからだ。
夢の中でこうして出会える、それだけで満足するべきなのだろう。
湊と公子は、恐らくは一枚のコインの裏表の様な関係だ。
本来ならば同時に存在する事は許されない筈の、他方が他方を知覚する事すら叶わぬ筈の関係であった。
湊の世界では何れ程探そうとも公子は居ないのだろうし、それは公子の世界でも同じ事が言える。
それなのに何の偶然かは分からないが、こうして夢の中だけでも出会えたのだ。
相手の事を大切に思うからこそ、これ以上を望んではいけない。
そう思っているのに、公子に惹かれていく自分を湊は止められないでいた。
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「そう言えば公子って、誰かと付き合ったりはしないの?」
そう訊ねてきたのはゆかりだっただろうか。
どんな状況でそう質問されたのかはもう覚えていないが、その質問に自分が何と答えたのかは覚えている。
「ずっと探している人が居てね、その人に会うまでは他の誰かと付き合うとかって考えられないかな」
名前も顔も知らない“誰か”。
何もかもが朧気だけど、それでも大切な“あの人”。
そんな人を探しているのだと言えば、きっと「公子って案外夢見る乙女?」と言われただろうから、どんな相手なのかしつこく尋ねられても公子はそれを流していた。
夢の中でしか出会えない相手に、殆ど何も覚えていないのに。
そんな相手にこんなにも執着するなんて間違っているんじゃないかとは公子も思っている。
現実に目を向ければ、公子の事を好きだと言ってくれる人は居るし、公子だって彼等の事が好きだった。
でも。
公子が彼等に向ける“好き”は友達や仲間に対するそれの延長でしかなく、彼等が公子に向けている“好き”とは違う。
それが分かっているから、公子は誰とも付き合えなかった。
そして、誰かと付き合うとかって言う話題が出る度に公子の脳裏をちらつくのは、顔すら朧気な“彼”であった。
……そう、公子は顔も名前も分からない“彼”に、恋をしていたのだ。
この想いを公子が誰かに話す事は無いのだろう。
夢の中の“彼”にだって、きっと話す事は無い。
想っているだけなのは苦しいけれども、その苦しさすら公子にとっては何処か愛しいモノであった。
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公子が泣いていた。
理由は湊にも分かっている。
…………仲間の、荒垣先輩についての事であろう、と。
つい先日の満月の夜の影時間で、荒垣先輩は死んだ。
ストレガと言う、湊達と敵対するペルソナ使い達から、仲間の一人である天田を庇って撃たれた。
多少の差違はあれど、公子の世界でも概ね同じ事が起きたのだろう。
湊の世界と違って公子の世界では辛うじて一命は取り留めたが、それでも意識が戻らないままらしい。
湊にとっても荒垣の死は胸を抉る様な痛みを覚えた事であったが、公子にとってもそれと同様……いや、それ以上だったのかもしれない。
湊とは仲間であり共に背中を預ける戦友ではあったのだが、あくまでもそれだけで。
彼の心の内に踏み込む程の関係は、終ぞ湊には築く事が出来なかった。
が、公子は違った。
公子にとっては、特別な心の絆を結んだ相手の一人であり、公子は彼の心の内の一部を覗く事が許されていたのだ。
それ故に、彼を止められなかった事、悲劇を食い止められなかった事をより一層悔やみ、自分を責めていた。
きっと仲間達の前では溢せなかったのであろう涙は、ポロポロと窓から射し込む月の光で真珠の様な輝きを放ちながら公子の頬を伝い落ちてゆく。
湊はソファーから立ち上がって、公子の頬を濡らす涙をそっと拭った。
触れ合うのは、湊にとっても公子にとっても、これが初めての事だ。
お互いに話す事はあっても、まるで暗黙の内の不文律でもあるかの様に、今までお互いに触れようとした事は無かった。
それは、そうしてしまえばこの夢が終わってしまうのではと言う不安が何処かにあったからで。
それでも、湊は目の前で涙を溢し続ける公子を放っておく事は出来なかった。
指先から伝わる公子の頬の柔らかな感触は、自分のモノとは全く違っていて。
こんな時でも無ければ、ずっと触れ合っていたかった。
「僕が側にいる」
泣けとも、泣くなとも、言えずに湊はそう言った。
彼が公子とどの様な関係性だったのかは知らない。
だけど、湊の世界の彼がそうであった様に、公子の世界の彼も、彼が選んだ事で公子が自分を責め続ける事は望まないだろう。
「忘れないで、公子は独りじゃない」
公子が心の絆を結んだ人達が居る、背中を預ける事が出来る仲間達が居る。
そして──
「例え、お互いの世界では会えないのだとしても。
僕は何時も君を想っている」
生きる世界が違うのだとしても、この夢の中でしか会えないのだとしても、目覚めれば多くを忘れてしまうのだとしても、それでも。
湊は、ずっと公子を想っていた。
想いが世界を越えられるのかは、湊には分からない。
だけど、“想われている”と言う事は、決してその相手を独りにはしないと湊は信じていたかった。
「……僕は、君の事が好きだ」
決して叶う筈など無い“想い”に、湊は“恋”と言う名前を付けた。
一度は泣き止んだ公子は、再び目の端に涙を浮かべる。
だが、その涙には、後悔や悲しみの感情は無かった。
視界が次第にボヤけていく。
きっと、この夢が、二人を繋ぐ“奇跡”が終わろうとしているのだと、湊は何処かで感じていた。
「わ、私も……」
公子は何かを言おうとして、だけどそれは嗚咽になって言葉にはならない。
そんな公子の頬を湊はもう一度撫でて、そして。
──触れるだけのキスを公子の唇に残した。
急速に視界が闇に落ちていく。
ああ、覚めてしまう。
この夢が、終わってしまう……。
「待って!
私も、私も……!
私もあなたの事が──」
意識が完全に途切れる直前に聞いたのは、そんな公子の言葉だった。
……公子?
■子って、誰だ?
■■、思い出せない。
だけど、きっと、……自分にとって大切な人だ。
━━そして、それ以降湊がその夢を見る事は、二度と無かった。
□■□■
生物でも無い、無機物でも無い。
“死”そのモノが形となった存在。
──それが、“ニュクス”。
世界に迫る滅びの正体。
夜の闇に浮かぶ月の、本当の姿。
死なない存在が、終わりが無い存在が、この世界に居ないのと同様に、生あるモノは“ニュクス”には勝てない。
“ニュクス”の攻撃が──
いや、“ニュクス”にとっては攻撃でも何でも無い。
人にとっての呼吸の様なモノ。
だが、吐息の様に放たれた死の波動に、膝を折りそうになる。
宇宙の力、命の答えに辿り着いた証である、“ユニバース”の力を持ってしても、ギリギリの所で歯を食い縛るのが精一杯であった。
いや、実の所はもう殆ど力なんて残っていない。
“デス”と共に在り続けた事でこうやって“ニュクス”の側まで来る事は出来ても、これ以上はただ耐える事しか出来なかった。
ただ独り、“ニュクス”と対峙する。
怖い、……怖い。
相手は“死”そのモノだ。
幾ら“デス”をその身に内包し続けていたのだとしても、生あるモノである以上、僅かに残されていた“死”への恐怖が全身全霊で叫び続ける。
今にも、どうにか耐えている心が折れてしまいそうだ。
だけど。
震える手をそっと握り返してくれる様な暖かさを感じた、背中を押す様に支えてくれる手を感じた。
それはそこには居ないけれども、確かに心の深い場所で繋がっている皆がくれた力。
“お前は独りじゃない”と“一緒に戦おう”と叫ぶ皆の声。
だから、一歩前に進んだ。
“ニュクス”からの重圧に折れそうな腕を、精一杯伸ばす。
“奇跡”を引き起こす対価がどうなるのか、それはその“力”を手にした時に分かっていた。
それでも恐怖は無い。
ただ──
記憶の中に微かに残る大切な“あの人”にもう一度出会えなかった事だけが、たった一つの心残りであった。
その時だった。
何かと何かを隔てていた壁が壊れた様なそんな音が聞こえ、そして。
自分しか息をする者が居ない筈の空間に、確かに他の“誰か”の息遣いを感じる。
弾かれた様に横を向いたそこには──
「公子……?」
「湊……?」
夢の中でしか出会えぬ筈の、“大切なあの人”が、そこに居た。
お互いがお互いを映す鏡であるかの様に、そっくり同じ姿勢で、二人とも“ニュクス”に対峙していた。
ここは夢では無い筈なのに、お互いの名前が分かる、お互いの事を思い出せる。
違う世界に生きる、同時に存在する事は許されない筈の二人が、同じ空間で同じモノと戦っている。
それは、“ユニバース”の力が引き起こした奇跡なのだろうか?
それは分からない。
だけど、今この瞬間を愛する者と共有出来る、ただその事が何よりも力を与えた。
どちらからと言う訳では無く、二人で手を繋いだ。
絶対に離さない様に、強く指を絡めて。
そして──
湊は右手を、公子は左手を掲げて。
二人は“ユニバース”の力を解放した。
眩い光が湊も公子も、そして“ニュクス”をも包んでいく。
全てが光の中に消え去る直前。
公子は確かに湊が笑ったのを目にした。
そして、固く繋いだ筈の手がスルリと解かれてゆく。
「待って!
みな──」
何もかもが白く塗り潰された光の中。
それでも湊を求めて手を伸ばした公子に、湊は微笑んで手を振った様な気がした━━
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冬は去り春が訪れて間も無くの事だった。
美鶴達の卒業式の日に“約束”が果たされて少しの時間が経った頃。
桜の花は未だ咲き誇り、月明かりに照らされながらその儚くも美しい姿を魅せている。
そんな夜道を、公子は一人歩いていた。
影時間はもう何処にも無く。
人々が“象徴化”する事も、シャドウが街に蔓延る事も無く、夜な夜な“滅びの塔”が現れる事も無い。
“奇跡”は果たされ、絶対の“滅び”は再び眠りの中に揺蕩っていた。
そう、公子は一つの旅路を終えた。
──否、終えた筈であった。
だがどうしても、“何か”を無くしてしまったと言う想いが胸を締め付ける。
無くしてしまった“何か”を探して、公子はふとした時に夜の街を一人彷徨ってしまう。
空には、蒼く光る月が満ちていた。
蒼い月を見上げていると、公子は何時も何かを思い出しそうになる。
いや、蒼白い月は、公子の心に空いてしまった“誰か”の形をした欠落そのものであった。
大切な“誰か”がそこに居た筈なのに、公子はその“誰か”の顔も名前も、何も思い出せない。
まるで宝物の様な記憶達が何もかもがその欠落の中に吸い込まれてしまったかの様で。
思い出したいのに、何も思い出せない。
記憶の棚の鍵は何処かに消えてしまった。
月の光の中に、公子が置き去りにしてしまった愛しい“誰か”の姿を見た様な気がした。
泣きたくなる程に蒼い月が愛しくて、その光に向かって手を伸ばす。
空に浮かぶ月に届く訳など無い。
だけど何時かは届く筈だ。
どんな“奇跡”だって“奇跡”じゃなくなる“ユニバース”の前に、不可能なんて無い。
だけど、それはきっと今じゃ無いのだ。
何も思い出せない、だけど大切な“誰か”にもう一度会う時は、公子が自分の旅路を精一杯歩き抜いた後なのだから。
顔も名前も思い出せない“誰か”は、公子にそれを望んでいた。
それはそう遠い未来の話ではない。
公子に残された旅路が何れ程の長さなのかは分からないが、100年を越える事は無いのだろう。
何時かまた出会うその時には、沢山話をしよう。
公子が見てきたモノ感じてきた事、全部全部……。
きっと長い長い話になる。
月明かりが静かに照らす中、公子は月に静かに手を振って、自分が帰るべき場所へと帰るのであった。
【Fin】
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