「博士! 大変なんです! 空から——
「女の子? 空から?」
「本当なんですよ! ほら!」
疑うような博士に対し、自分の腕の中にいる女の子——白い帽子に白い服、色白の、か細い女の子——を見せる。まるで人形のように、動かない。でも、まだ温かい。
「気絶しているみたいで! 意識がないんです!」
博士が目を丸くする。ようやく事態を把握したらしく、俺のすぐそばまで走り寄り、俺のトランクと女の子のドラムバッグを持つ。
「とりあえず彼女を中まで運んで。様子を見ましょ」
そう告げた博士は、さっさと研究所に戻っていってしまう。博士の背中は、その11歳くらいの女の子を運んでこいと言っている。15歳に満たない男子に対して。
「運べませんよ⁉︎」
『本日はご乗船していただき、まことにありがとうございます。本船はまもなくアーカラ島カンタイシティに到着いたします』
船内放送を聞き、ベッドで横になっていた身をゆっくりと起こす。
「もうそんな時間なのか」
伸びを一つし、ベッドから下りる。窓のそばまで歩き、カーテンを開けてみる。眩しい日差しに目を細めながらも、船の行く手の方へ目を凝らす。
沸かしたヤカンのように、白い湯気をもくもくと吐き続ける小さな火山。その麓あたりには木々が鬱蒼と生い茂っていて、ジャングルと化している。手前海側に広がる棚田のような湖からは勢いよく水が海へと流れ出していて、淡水と海水の入り混じる空間が絶妙な青と白のグラデーションを見せてくれる。
懐かしい、アーカラ島だ。およそ一ヶ月ぶりの故郷、やっと帰って来た。なにせ、片道が船で10日間もかかるのだ。
窓から離れ、部屋に散らかっている荷物を適当にトランクの中へと詰め込む。雪山用のコート、分厚いブーツ、厚手の手袋、などなど。これらが必要になるのはアローラ地方ではラナキラマウンテン——ウラウラ島にある、アローラで一番高い山——に行く時くらいである。基本的にアローラ地方は常夏。半袖・半ズボンで過ごせるような地域なのだ。
パンパンに膨れ上がったトランクを無理やりしめると、部屋の壁に設置された鏡の前に立つ。
鏡には十代前半の、年相応の身長をした少年が映る。黒の革靴に紺色の長ズボン。白いワイシャツの上にはライトグリーンのネクタイ。このアローラ地方では少数派の黄色い肌。さっきまで横になっていたせいか、黒髪には若干の寝癖が付いている。
気にするほどのことでもないだろうと考え、室内の固定テーブルの上で丸くなっているポケモンに声をかける。
「お初。着いたぞ」
ポケットモンスター、縮めてポケモン。彼らはこの世界で人と仲良く暮らしたり、草むらや洞窟、海などのいたるところに生息している不思議な生き物である。ポケモンはモンスターボールという専用の道具を使うことで捕まえることができ、ポケモンを持つ者は一般にポケモントレーナーと呼ばれる。自分もその1人ということだ。
そのポケモンは片目を開けてこちらを見た後、先程の俺のように伸びを一つする。続いて体をブルブルと震わせたのだが、氷の細かい結晶が辺りに飛び散る。
しんせつポケモン、グレイシア。俺の最初のパートナーとなったポケモンである。ニックネームは、"はつ"。イーブイ系には珍しく、メスなのだ。たしか幼馴染の持っている個体はオスだった。
彼女の愛称はお初。ニックネームの意味がないような気もするが、つっこんではいけない。
一ヶ月ぶりの故郷。きっと友達だとか、上司だとかが乗船場で待ってくれているに違いない。なにせ、一ヶ月ぶりなのだ。今晩はマラサダパーティに違いない。
「楽しみだな、お初」
グレイシアに話しかけるも、彼女はツンとそっぽを向いてしまう。彼女は気まぐれなのだ。マラサダも、販売するとすぐに完売してしまう大人気商品のマボサダしか食べない。手のかかる子である。
汽笛を上げながら、船が船着場へと到着する。
「……なぜだ。なぜなんだ」
カンタイシティ、乗船場内。船の到着を待つ人や、ただ休憩するために立ち寄っている人たちがいるが、大した人数ではない。片手で数えられるくらい。
そう、それしか人がいない。
「どういうことなんだ⁉︎」
思わず声を荒げてしまう。近くで寝ていたアロハシャツのおじさんがびくりと飛び起きる。
おそるおそる、カウンターにいたスタッフの人が近寄ってくる。
「あのぉ、お客様。他の方の迷惑になりますので……」
「あ、スミマセン」
スタッフに謝る。でも仕方ない、と心の中で弁解してみる。幼馴染や友達はおろか、研究所の博士や先輩たちもいない。誰に頼まれて、船上にいる時間を含め一ヶ月も海外に行っていたと思ってるんだ。
「……ま、いいもんね。おみやげ、一人で食っちまうぞ」
がら空きの長椅子の一つに腰を下ろす。トランクを開けて、その一番下に入っていたおみやげを取り出す。羊羹の詰め合わせだ。その作業の際、寒地用の服やらレポートの書類やらが散らかるが気にしない。どうせ大して人なんていないし、誰も気にしないだろう。
包装された羊羹を一つ取り出し、その包装紙を引き千切って一口。さすがは人気のお土産なだけはあり、美味である。
「お初、お前も食べるか?」
羊羹を一つ取って、それをお初の御前に差し出す。彼女はご苦労とでも言いたげに俺を一瞥すると、前脚で器用に包装紙を剝がし取って羊羹を食べる。満足そうに喉を鳴らす。
それを眺めていると、なんだか怒りも治まってくる。いつまでもここにいてもしょうがない。
「さて、研究所に戻るか。ほら、いくぞ、お初」
勝手に二つ目の羊羹を食べようとしていたお初から羊羹を取り上げ、散らかした荷物を再びトランクにぎゅうぎゅうに押し込む。お初は恨めしそうにこちらを見上げる。
「そんな目で見られてもなぁ。ほら、帰ったらマラサダを食べさせてやるから」
お初の頭を撫でてやる。お初はぷいっ、とそっぽを向く。しかし経験上、これは彼女なりに満足していることの表れだと知っている。お初はツンデレなのだ。
「うわっ、冷たい⁉︎ お初、俺の手を凍らせるな!」
……冷たいのだ。
乗船場を出た俺とお初は、カンタイシティのメインストリートを東へと歩く。日は沈みかけていて、空は紅く染まっている。
街をぶらぶらと歩く。道沿いに立つ建物は、どれも見覚えのあるものばかり。何も変わってない。それはまあ、なんでもかんでも変わっていたら、それはそれでおかしいだろうが。強いていうなら、ディグダトンネルが封鎖されていることくらいだ。あのトンネル、また陥落したらしい。作業員に聞いた話だと、明日の昼間には復旧するとのこと。いい加減、人工のトンネルにしたらどうだろうか。
そうこうしているうちに、カンタイシティの東のはずれの方にある空間研究所に到着する。
ふと空を見上げれば、薄暗くなったそこに輝く一つの光。
「おっ、お初。一番星だ。……あれ?」
気のせいだろうか? 今、その光が歪んだような。
目をこすり、もう一度空を見上げてみる。ただの星。歪みなどない。ああ、これは気のせいだ。たぶん、時差ボケだ。もしくは船酔い。
「……」
いや、そんなわけあるか。いや、ない。今の今までそういう症状はなかった。つまり、あれは絶対に何かが起きていた。いや、何かが起こる。
もう一度、星を凝視する。揺れている。わずかだが、空が揺れている。まるで水面の波紋のように。
次第にその揺らぎは大きくなる。やがて、空間に小さな穴が開いた。いや、破れた。空の向こう側から誰かが突き破ったかのように、空間に穴が開けられたのだ。その穴の先は白い光に包まれていて、よくはわからない。
「う、嘘だろ……?」
その空間の穴と同じように、開いた口が塞がらない。何が起きたのだ。この穴はいったいなんなのだ。
突然、何もない空に開いた穴。その穴がだんだんと大きくなり、穴の中から白い何かが落ちてきた。それは研究所の道路を挟んだ向かいの、砂浜に落ちた。
「——白い」
白。そう、それは白。雪のような白。それはもう、目がチカチカするほどに。白いつばの深い帽子。純白のワンピース、真っ白なハイソックス。すぐそばには、これまた白を基調としたドラムバッグ。落ちてきたのは、どうやら女の子だ。
——女の子?
「お、おい! 大丈夫か⁉︎」
焦りが生じる。空から落ちてきた女の子。彼女は今、身動きひとつせず倒れている。もしかしたら——。
「お初! 博士を呼んでこい!」
お初に指示を出し、道路を横断して砂浜へと走る。倒れている女の子のそばに駆け寄り、まずは肩を掴んで揺すってみる。……ダメだ、反応はない。
うつ伏せになっていた少女を仰向けに起こし、手首の脈をはかる。……脈はある。生きてはいるのか。
ホッと安堵の息がもれる。目立つ外傷もないし、おそらく気を失っているだけだろう。
ふと、空を見上げる。さきほどの穴はすでに無くなっていた。あれはいったい、なんだったのか。
「ユキ!」
自分の名前を呼ぶ声に振り向くと、空間研究所の方から1人の女性がこちらへと駆けてくる。あの人は
「どうしたの? あなたのグレイシアが妙に焦ってたから……」
「博士! 大変なんです! 空から——