『ふふっ。良いね少年。凄く、凄く良いよ君の血。これなら僕の後釜でも大丈夫そうだ』
そう言って心臓を一抉り。
初めて生で見た
でもそれが自分の心臓なのだから笑うに笑える筈も無く、ましてや夜中に偶々お腹が空いて偶々アイスが食べたい気分になって偶々家に買い置きが無かったからコンビニに出かけた帰り道に出会った少女に心臓を抉り取られるという何とも言えないこの状況に、俺は恐怖や痛みよりも先に自分の死だけを確信し、ただただ少女に見とれていた。
自分もアルビノだから白髪や血の色のような目という物を然程珍しいとは思わないのだが、それでも目の前の少女はあらゆる意味で別格だった。
この世から一切の穢れを祓ったような、いっそ神聖さすら感じられる白銀の髪。
濁ったような俺の色とは違う、澄み切ったそれは何億何兆と金を積んでも惜しくない輝きの朱い瞳。
神の手を持つ造形師が生涯一度、この作品を作り上げるために自身の命や才能、全てを擲ってでも無い限りあり得ない程に美しく整った容姿。
それはまるで、この世の“美”という物を体現したような存在で、彼女に心を奪われていたからなのか、胸にその手を突き立てられても痛み以上に、すぐ傍にある少女の動作を一瞬でも見逃すまいと本能が痛みを抑えつけ、全神経で少女の動きを捉えるためにかつてなく体が張り切っていた。
でも心臓を抜き取られているのは事実で、視界は未だに少女を収め続けようとしているものの、自分が死ぬという事だけは、少女に心酔していない何処か別の部分で把握していた。
死ぬ。まるで通り魔に巡り合ったような不運さと、ルーベンスの絵を見て往生出来た少年のような安らかさの落差に自分でも場違いなぐらい笑いそうになりながら、それでも俺はその瞬間、確かに自分の死を見た。
……だから、その時聞こえた言葉はきっと幻聴なのだと思った。
死に瀕し、自分に都合よく周囲を歪めて碌でも無い人生であっても走馬灯を振り返って「良い人生だった」とせめてそれぐらいは言いたいがために見栄を張るような、そんな我ながらの意地汚さだと思っていた。
力無く地に伏せる俺の体に寄り添うように近づき、浮世離れした美貌の少女はそっと抜き出した心臓を食んだ。
『ん。美味しい。生涯最後の晩餐にしてはエグイ料理だったけど、これで僕はやっと死ねる』
食んだ心臓を何度か咀嚼した少女は、倒れた俺の体を易々抱え上げると、穴開きになった胸にその顔を埋めた。
死に際のその時でさえ、俺は無い筈の心臓がかつてない程に動揺していて、本当の意味で少女に心を奪われているのだなと思い自分の思いの外の楽観さに辟易する。
……が、次の瞬間そんな思考も消えた。
『ごめんね。僕はこれから君にとても酷い事をする。君は死なないけど、それは“死ねない”のと同義だ。もう君は輪廻に還れない。この方法は僕にしか使えないから、君が誰かに自分の代わりを押し付ける事はもう出来ないんだ』
少女の口が空洞部分に触れたその瞬間、ほぼ死体同然だった体が急激に脈打った。
それはさながら激流のように。本来血流を制御している心臓を失っているにも関わらず、体中の血液が狂ったようにのた打ち回るのを確かに感じた。
それは歓喜だった。俺の意志に関わらず生を繋ぎ止めようと足掻いていた肉体が復活の兆しに震える喜び。
それは叫喚だった。少女から流れ込んでくる“何か”が体に流れ込み、それに肉体が蹂躙される恐怖。
絶世の美少女が自分に触れているという悦びと、自身が確実に死から遠ざかっているという訳も分からない確信による、生を繋いでいられた安堵。
体中を侵し尽くすように流れ込んでくる異物に、まるで自分が自分で無くなってしまうような不安。
それは痛みを伴うものではなく、或いは俺が女性であったら強姦でもされているような感じだったのかもしれないと思うほどに、体を蹂躙される被征服感と、意志とは関係無く体が異物を受け入れる悦楽にも似た何か。
時間的には数秒ほどか。しかし身の内に起きた感覚はまるで生涯分の激動を体感したような錯覚を覚え、体感的には本当に永遠にも似た感情の奔流に既に意識がパンクしそうになっていた。
そっと、少女が口を離す。
空洞だった筈の胸は既に空洞にあらず、少女と出会う前と何ら変わらない
その異常に俺が気付く前に、少女は淡く、何処か儚い笑みを浮かべて、
『ごめんね。でも、僕にこんな事を言う資格なんて無いのは分かってるけど、言わせて。―――――ありがとう』
………そういって、少女に口づけをされたのを最後に、俺の意識は墜ちた。
「――――――はぁ」
思えば、よく分かんない事だらけである。
そもそもあの少女が何者かとかを知ったのだって目が覚めてから何故か頭の中にあった知識のせいだし、気が付いたら家で寝ていてしかも自分に何ら覚えのない記憶や知識までもが入っていたのだから当然のように驚こうとして、
「(庵に朝飯出来たから呼ばれて、結局気にしなくなったんだっけ)」
とことん深く考えるのに向かない自分である。
だからまぁ、あんまり事態を深刻に考えずに変に落ち込んだりする事も無く、庵に今の俺の体質について勘繰られる事も無い訳だが。
しかしながら、それにしたってこの“吸血鬼体質”は問題が山積みだった。
元々のアルビノ体質に加え、吸血鬼となった今俺は属性的にも太陽が弱点と化してしまっているため、浴びて死ぬ事は無いけど常に倦怠感を覚えるようになり日中の活動がしんどくなったり、迂闊に怪我をしようものなら数瞬で回復してしまうという人外の回復力さえメリット以上にデメリットの方が大きい。
「(血を吸わなくても死なないから、伝承の吸血鬼よか生き易いとは思うんだけどなー……にしたってさ、シンドいもんはシンドいって)」
西洋の伝承に出てくる物語の吸血鬼と言えば、太陽を浴びると灰になり、銀の十字架やにんにくが弱点で、首を切り落として心臓に木の杭を打ち込むと殺せるといった話が有名であり、他にも流水や招かれないと他人の家には入れないといった弱点など、他の怪物と比べるとその弱点の多さは目を見張るものがある。
――――が、それは偏に、吸血鬼に対する人の畏れの現れ。
怖いから弱点を創作し、人でも彼らを倒せるのだと思い込み信じる事でその恐怖を和らげようとする意志の働き。
何せ“不死”などというどうしようも無い程無敵臭い能力がデフォで備わっていて、上記の弱点以外では例え何をしても殺せないのが吸血鬼という存在だ。
だからこそ人は、不死を殺せる、吸血鬼も他のモンスターと同じく人の手で倒せる怪物の一匹に過ぎないと思おうとする。
これはいわば宗教にも似たような事が言える。
現実のどうしようもない事を人は偶像に、神様という架空の万能存在に祈りを捧げて精神的な安寧を得ようとする。
これは吸血鬼を畏れるあまりに弱点を増やした吸血鬼とは違うベクトルだが、どちらも同じく“人には届かない領域にいる存在”に対する、一種の絶対的な隔意が秘められている。
万能と不死。これはら人がどんなに焦がれても未だに結果を見ない不朽の命題であり、かつて錬金術師が物質から万象の源たる最少の粒であるエーテルを抽出しようとした頃から端を発し、現代では医療や科学技術によるアプローチで様々な試みが行われている。
便利な機械を開発して生活を豊かにしたり、医療によって生き長らえるというのはやはり、人の万能と不死への憧れなのだと、明神限衣としてではなく吸血鬼『
…と、何か話が逸れてしまった。
まぁこのように、人は自分達以外で自分達が追い求める片割れの一つである“不死”を持つ吸血鬼を畏れ、故に多くの弱点を創作物の中に含めて本当の不死など無いと、物語を通じて読者に、或いは著者自身に言い聞かせていた。
こういった伝承を残していたのが当時の場合、現代のような単なる小説家や漫画家とは異なり高名な智者である事が多いため、恐らくは儘ならない研究の捌け口として不死の存在を貶めたかったのかもしれない。
―――――が、駄菓子菓子である。
俺こと吸血鬼『夜を往く者』は上記のようなことではまず死ねない。
太陽を浴びても日焼けするぐらいで灰になったりしないし、以前エクソシストを名乗り銀製の
にんにく料理だって口臭を気にする以上の効果は無いし、流水がダメだったら風呂はともかくシャワーすら浴びられない。基本行水程度の時間しか風呂を味わう事の無い俺にとってシャワーが使えないのは致命的ですらあり、これが使えないなんて事はあり得ない。弱点だとしても浴びるまである。
俺が昔の伝承を嘘八百のように思うのは、実際に喰らってみても俺自身生きているという確固とした事実に基づく経験談に他ならない。
エクソシストのお姉さんだって俺が死なないとすげぇ取り乱していたし、死なない以上監視して悪事を働かないようにと今なんて学園の教師として潜り込んでる始末だ。
本当の意味での不死性を有する俺は彼女の感覚的にあり得ない存在であり、どういう存在なのかと尋ねられ知識にあった『夜を往く者』という単語を明かした時なんて、お姉さんったら泡吹いて卒倒したっけか。
どうも、俺が思っている以上に
個人レベルで最強クラスの修道女らしいお姉さんでも倒せないから不必要に人材を派遣される事は無いそうだが、俺が何かやらかそうものならすぐに応援を呼ばれてしまうのだそうな。
まぁ俺が何もしなければお姉さん、ではなく先生も監視のみに留めておくとの事だが……こう、自分が危険人物扱いされるというのも不思議な話である。
俺なんて庵に公私共々お世話になりっ放しでおんぶに抱っこがデフォルトなまるでダメな男、通称マダオなのに今じゃ史上最強の吸血鬼の二代目である。何この厨二病みたいな変身は。
単なるマダオであり、庵に甘えている今の生活に申し訳無さを感じつつもやめられないとまらない現状にそれなりに満足している俺にとって、どんだけ凄かろうとも吸血鬼体質や異能なんぞ意味を持たない。
ただ厄介事を呼び込む呼び水にしかならないような力など、そんなもんは誰かに押し付けたいぐらいである。
「(でもなぁ、それが出来たのはあん時の女の子だけの能力だったっていうのがなぁ。まぁ秘呪っていうか、禁呪だったみたいだけど)」
自分の全能力と魂の譲渡と引き換えに、命を落とす呪法。
本来は相手の能力を吸い上げるための呪術を、俺の前の『夜を往く者』だった初代は自分が死ぬために使用した。
しかもこの呪法、一度使ってしまうと二度と使う事が出来ない類の術で、二つの魂が結びついている状態のため術をかけられた俺もまた、この術が使えなくなっている。
そのため、俺は“明神限衣”でもあり、また“夜を往く者”でもある。
二重に魂が重なっているために、俺が知らない筈の知識や力、初代が俺に全存在を譲渡するまでの所謂
中学生の考える話でももう少し捻ると思うが、こんなもんは夢見る少年にこそ与えられるべきもんで、俺などというマダオには宝の持ち腐れも良いところだ。
初代の知識によると、あの術を使用するに当たって血の相性が重要になるらしく、彼女の血との親和性が一番高かった人間であった俺が偶々選ばれたというのだから、我が運気は相当に意地の悪い星の加護を受けているのだと辟易する。
それでもまぁ庵という存在がいるだけまだマシなのだろうが、その庵にもこの体質の事を言えない事を考えると何とも言えない気持ちを覚えてしまう。
「(…流石に吸血鬼だーなんて言えばドン引きするよなぁ)」
それだけで済むならまだしも、アイツに怯えられて避けられるようになったら………俺は、多分死ぬと思う。
死ねないくせに何言ってんだと思われるかもしれないが、アイツがいない俺に意味など無い。
これはずっと昔から思ってきた事で、庵無しでの俺なんて、味噌の無い味噌汁、ご飯の無い炒飯、絵の無い漫画よりも空虚な存在でしかない。
アイツがいるから初めて『俺』という存在に意味がある。
例えこの身が不死身の吸血鬼であろうともこの事実は変わらない。明神限衣という存在が存在し続けるためには、安堂庵は無くてはならないのだ。
そんな彼女に避けられたらと思うと、それだけでももう死ねる。体は死なないかもしれないけど、心が死ぬ。絶対死ぬ。その自信がある。
だからアイツには未だにこの体質の事が話せず、日に日に募る庵に対して抱く吸血衝動の高まりに頭を悩ませ続けているのだ。
「本当に、どうにかなんないものですかね、先生」
「限衣君? あのね、先生思うのはね、今君はテスト中であって、余計な事を考えてる暇は無いんじゃないかなぁ~って」
「いやいくら考えても分からないんで、そっちは早々にギブアップしました」
「潔すぎる! そこはもっと頑張ろうよっ、というかそれ一年の時の範囲だよ!?」
マジでか。道理で何か懐かしいなと思ったら。懐かしさを感じるだけで、解けるとは言わないが。
先日、吸血衝動の反動で体調を崩して休んでしまった小テストを一人、放課後の空き教室というどことなく背徳感漂う場所で受けているのだが、早々に解答を諦め今後庵に心配をかけず、また体質の事がバレないように吸血衝動をどうにかする方法を考えていたのだがどうにも思考がまとまらない。
ただの不老不死で最強らしい力を持っているだけの男子高校生マダオ族の知恵程度ではどうしようもなく、折角なので目の前の先生に尋ねたら怒られた。解せぬ。
「解せぬ、じゃありませんよぅ……どうして君はもっとこう、真面目にやれないんですか。安堂さんが居る時の方がもっとしっかり……してる訳でもありませんけど、それでもまだペンを握るだけのやる気は見せてたじゃないですかぁ」
「そう言われましても、あれは庵から勉強を教えてもらっていたからですし、あれ提出しなきゃならない課題でしたし」
「はぁ……もう、本当に、何で君みたいな子が世界最強の吸血鬼とかやってるのか先生もう分かりませぇん~……はぅ」
それは俺だって知らんがな。
ただ血の相性が良いために見初められ、いきなり吸血鬼を押し付けられてしまっただけのマダオにそんな深遠な悩みなど分かる筈も無い。
……以前は気鋭なエクソシストだった先生が、こうして甘ったるい女子大上がりのキャラになる程度には重大な問題らしいが。
「誰の血も吸わず、同族である悪魔も敵対者である筈の天使や堕天使をも無視して、本人は幼馴染に依存して…………限衣君、本当に、君という子はダメなんですから」
「せんせー、それ酷い」
「いいんですぅ、限衣君はダメダメ君だから問題無いんですぅ」
「さいですか」
「本当にもう。そんなに衝動を抑えたいのなら、自分の血を吸えばいいじゃないですか」
「それ最近効果無くなってきてるんですよ。やっぱり自分の血じゃ不味くてたまりませんしねー」
以前俺に自分の血を吸って誤魔化せばとアイディアをくれたのが他ならぬ先生だが、それも最近じゃ効果が薄れ気味でその結果が先日の朝の出来事だから、割と切羽詰まってる状況にある。
だから俺の事情を知り、以前散々俺をぬっ殺してそれまでは結構名うての
こうなってくると本気で進退窮まってくる。
体質について話せる相手も限られている以上、先生以外にこの話も出来ないのだから後はもう神様にでも縋るしか………おぉう。
「!? ど、どどどどうしましたっ?! まさか、吸血衝動!? あわわわ、わ、私の血が欲しくなったんですか!?」
「い、いえ……今神様にでも縋ろうかって思考したら、頭痛が……」
「…あー、一応悪魔寄りですもんね、限衣君。なんだ、そっちか………」
何故がっかりしてやがるかこの人は。仮にも教師だろうに、頭痛の生徒放置して急に落ち込みだすとは何たることだ。確かにどうしようもない事だけども。
「(………こうなりゃ、いっそ賭けてみるか……?)」
今、思い当たるのは一人。
あの日、俺の吸血衝動を見抜いた紅い先輩。あの人なら、もしかして何か力になってくれるかもしれない。
多分、同類であろう先輩にはあまり近づきたくなかったけど、背に腹は代えられない。
庵に手を出してしまう前に、何とかこの吸血衝動を抑える方法を聞き出せたらいいが………出来なかった時のリスクが怖い。
「(校内超絶人気アイドルだもんなぁ……あ゛~、大丈夫かな、俺)」
目をつけられないように彼女に近づく術は無いか。とりあえず、机の上の小テストよりもそちらを考える方が先決か。
………結局、小テストの方はこの一時間後、最終下校時刻五分前になって慌てた先生に解法を教えてもらう事で何とかなった。そういう甘いところがあるから、他の生徒にちゃん付けで呼ばれるんだと思います。助けてもらった身で何言ってんだって話ですが。