「主任、期日を二日も過ぎるなんて困りますよ!我々にもスケジュールがあるんですからね!」
薄暗い研究室の中で男は眼鏡をかけた長身の部下に叱責されていた。
「すまない。とりあえず報告書は上げておいた。後は頼む」
ーーーまったく、これだから元艦隊勤務は。
毒づいて去っていく部下を尻目に男は深いため息をつき白衣のポケットからタバコを取り出した。故あって現在の研究職に就いてからというもの周囲と打ち解けられずにいる。
「博士、ラボは全面禁煙ですよ?」
「大和、お前も飲むか?」
背後から彼に話しかけてきた人物に箱を差し出すと彼女は苦笑しながら首を振った。
「タバコを"飲む"なんて、博士いつの生まれですか?」
大和と呼ばれた彼女は焦げ茶色の長い髪をポニーテールにまとめ、その佇まいからは何とも言えない気品が漂っているが、端正な顔立ちにはどこかあどけなさも残っている。
「失礼な。これでも私は平成の生まれだぞ。何故か知らんが祖父も親父も"飲む"と表現してたからそれが自然だったんだ」
大和ならまだしも他の誰かに見咎められたらまた小言の一つも言われるだろう。憮然としながら彼は箱をポケットに突っ込んだ。
二人は研究室を出ると赤レンガ造りの研究棟に囲まれた中庭に出た。特に理由はないのだが彼はまたため息をつく。
「博士、どうしたんです?また何かお叱りでも受けたんですか?」
「ああ、まあな。ただ部下から突き上げを食うのはなかなか応えるな・・・」
報告書を上げるのが遅れたのは紛れもなく彼の失態なのだがもう少し上司に対しての物の言い方があるだろう。それとも元々研究職でない者を上司とは認めないのだろうか。
「あと大和、博士はやめてくれ。私は別に博士号は取得してない」
とは言え確かに白衣を着た彼を一目見れば博士と言った言葉がピッタリきそうである。まだ30代半ばながら遺伝なのかよほど苦労しているのか彼の頭は半分以上白髪が混じっておりどこかムスッとした表情はさながら古風な研究者のようである。だが大和は悪びれるでもなくいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「でしたら、"提督"とお呼びして良いですか?」
「それも駄目だ。私はもう提督ではない。その呼び方はお前がいずれ鎮守府に配属されたら使うんだな」
「でしたら博士で良いじゃないですか。呼び方にそこまでこだわらなくても」
「まったく・・・・好きにしろ」
突き放すように言って彼はまだ昼食を食べていないのを思い出し大和を残して食堂に向かった。
「提督、か」
昼食の海鮮丼の切り身を箸で弄びながら先ほど大和に呼ばれた呼び方を呟く。正直あまり行儀は良くないが遅い昼食のせいか食堂は閑散としていて誰も咎める者はいない。形の崩れた切り身を口に放り込むとそのまま一気に丼をかきこんだ。
彼が将来を嘱望された新米提督だったのはもう八年も前のことである。神算鬼謀の持ち主という程ではなかったが緻密な作戦と事態に臨機応変に対応する行動力を持っていた。次第に彼に"使えるヤツ"と言う評価を与える者も出始めて軍人として順調なスタートを切ったと言える。
三年目に中佐に昇格し五年目には舞鶴の提督に任じられるという大抜擢を受けたが任官からしばらくして作戦の齟齬が元で艦隊と鎮守府に甚大な被害を出した。ようやく大所帯を切り盛りすることに慣れ始めた頃であった。上層部との認識の共有不足や情報の収集と伝達が滞ったことなどいくつかの要因が重なった結果もたらされた悲劇だった。
登りつめるのが早ければ転落も早い。本土の重要な鎮守府、舞鶴の機能を数ヶ月間停止させてしまった彼は責任を取る形で職を辞すことになる。二年前に海軍兵学校の同期で出世頭だった友人に勧められ現在の艦娘に関する研究職に落ち着くまで鬱々とした日々を送っていた。
元々は理系を専攻していたことも手伝ってそこまで仕事は苦ではなかったが元提督の変わり種と研究一筋の周囲との妙な温度差に悩まされ、今も上司には強気に出られず部下には必要以上に気を遣う毎日である。
そんな彼にも二ヶ月前、転機が訪れた。史上最強の艦娘、大和を実装する計画のメンバーに選出されたのである。