「ん・・・まだこんな時間か」
彼が目を覚ますと枕元の時計は午前四時三十七分を示していた。昨日大和の艤装をチェックし終えて部屋に戻ると、どっと一日の疲れが押し寄せそのまま眠ってしまったのだ。
(この時間なら起きてる者もそういないだろう)
一人外に出ると刺すような冷たい空の下で最近すっかり吸わなくなっていたタバコに火をつける。雲一つない空に吸い込まれていく煙を見送っていると背後に人の気配を感じた。
「あ、先任。おはようございます」
「大佐、これは失礼しました」
慌てて携帯灰皿を取り出すと
「構いませんよ。昨日は他の娘達がいて吸われなかったんですよね」
とその手を制した。とは言え相手は鎮守府を統括する人間でもあり、まだ若い女性だ。彼女の前でタバコを吸うのは気が引けたのでスキを見て火を消す。
「そう言えば昨日はご馳走様でした。手料理とは思えないほど本格的で美味しかったですよ」
「あ、ありがとうございます!お口に合うか不安だったんですけどそう言っていただけると作った甲斐があります」
こちらを見上げる彼女の明るい表情は昨日執務室で見たようなどこか張り詰めているものとは違った。
「ところでこんな時間にお目覚めとはデイリー任務の消化でもなされてたんですか?」
「いえ、少し今日の演習のことを考えていました」
視線を落とし舞鶴の提督はゆっくり話し始めた。
「先任は金剛が勝つと思われますか?」
「さあ、やってみないことには何とも。ただまあ金剛が惨敗するということはないと思います」
そう言えば舞鶴に出発する前に室長からも似たようなことを聞かれた気がする。
「だと良いんですけど・・・」
多少舞鶴の提督の言い方に引っかかるものを感じた彼は努めて明るく言った。
「大佐が信じてやらんでどうするんです?今のあいつの提督は大佐じゃないですか」
その言葉に彼女ははっと顔を上げた。まじまじとこちらを見てくる提督に彼は続ける。
「金剛は強いです。力も、心も。本当は私を一番恨んでるのはあいつだと、ずっとそう思っていたのに会ってみたら昔と変わらない態度で接してくれたんですから。心が強い証拠です」
その言葉に舞鶴の提督は少し考えるように空を見上げていたがやがて彼に向き直ると
「それでは私は朝の任務と演習の準備がありますので」
そう言って執務室のある本棟に戻っていった。
「博士、もう起きてたんですか」
部屋に戻ると隣の部屋の手前に大和が立っていた。
「お前こそ、まだこんな時間だぞ。ちゃんと寝たのか?」
「なんだか演習のことが気になって眠れないんです」
大和はいたずらを咎められた子供のような表情で肩をすくめる。
「仕方ないやつだな」
「大和、絶対勝ちますから!博士、見ててください!」
どうやら大和は初めての演習に期待と興奮しているようだ。肩に入った余計な力をほぐしてやろうと彼はゆっくりと語りかける。
「お前の力は傍で見てきた私がよくわかってるつもりだ。金剛は手強いがお前だって充分強い。思い切ってぶつかることだ」
「本当ですか!?」
ぱあっと表情が明るくなった大和を見ると遅れて罪悪感が芽生えてきた。励ますためとは言え少し無責任なことを言ってしまったかもしれない。
大和には"強い"とは言ったが決して"勝てる"とは言わなかった。それは彼が大和以上に金剛の力をよく知っているからだった。
「主任さん、そろそろ始めますよ」
朝食を終え、カメラや記録の準備をしていると秘書艦の能代が開始時刻を知らせてきた。今頃大和と金剛は艤装を付けて海の上にいるのだろう。
「いよいよか。大和の力がどれほどのものか見せてもらおう」
「お前は良いな、私と違って仕事できてるわけではないんだからな」
軽口を叩いてみたが呉の提督もきちんと軍服に身を包み演習の開始を待ちわびている。彼なりに大和への期待や思惑があるのだろう。
「今までほぼ負けなしの金剛相手に新鋭艦である大和がどこまで戦えるか・・・カタログスペックでは大きな差があるがな」
「でも、金剛はカタログスペックでは言い表せないほどの戦果を上げています。一概には比べられませんよ」
呉の提督の言葉に舞鶴の提督が応じる。埠頭には彼と呉の提督、舞鶴の提督の三人と何かあった時に備えて能代、比叡、鳳翔が控えている。
「まあ管区外演習で金剛の恐ろしさはイヤというほど見てきましたからね」
呉の提督は制帽を目深にかぶり直すと彼のほうに声をかけてきた。
「金剛が勝っても大和が勝ってもお前に対しては複雑な結果になるな」
「別に私に対して、というわけではないだろう。負けたら互いに悔しいとは思うが」
それを聞くと呉の提督はやれやれと言った表情で席につく。舞鶴の提督も横の椅子に腰を下ろし、二人の提督が座ってから数秒して演習の開始を告げるサイレンが鳴り響く。
「始まったか」
それぞれの出撃地点から大和と金剛がゆっくりと進んでいく。どちらから言うでもなく二人は距離を取って向かい合った。
「金剛さん、この演習勝たせてもらいますっ!」
「勝利は譲らないネ!」
その言葉を合図に互いに主砲を向け合う。46cm三連装砲と試製35.6cm三連装砲がほぼ同時に火を吹いた。
海柱が二箇所で上がる。次の瞬間、早くも両者の練度の差が如実に現れた。
「早い」
呉の提督がそう呟いた刹那、金剛は大和の側面ー海柱によってできた死角に回り込んでいた。一方大和は最初に金剛が立っていた場所に再び砲撃すべく狙いを定めている。
そのため大和の注意は誰もいない空間に向けられていた。
「ーーーっ!」
「きゃあっ!」
二発目の砲撃が許されたのは金剛のみ。大和は撃つ体勢に入る直前に金剛の放った弾に当たりそのまま大きく仰け反った。
金剛は砲撃を終えるとすぐに前進して距離を詰める。まるでその展開を見透かしていたように。
「こ、のぉっ!」
どうにか体勢を立て直した大和はニ射目を放つ。だが急接近してきた金剛に遠近感を狂わされ、砲弾はあさっての方向に消えていった。
「なっ!?」
「それじゃあ当たりませんヨ〜」
余裕に満ちた表情で海を滑る金剛の放った三射目が大和を襲った。
「まさか、ここまで一方的になるとはな」
呉の提督が呻くように言う。いずれ自分の鎮守府にくる予定である大和に寄せる期待は大きい。だからこそ金剛とも良い勝負をしてくれると踏んでいたのだが・・・
「でもあの様子だとお姉様はまだ、本気じゃありませんね」
「なに?」
「え?」
その一言でその場にいた者の視線が比叡に集まる。だが彼女はそれを受け流し自らは視線を彼に向けてきた。
「"神託"を使わず、ただ単に駆け引きだけでいなしてる。そう言いたいんだな?」
「はい」
呉と舞鶴の提督、能代と鳳翔の四人には二人の会話の意味がつかめない。だが彼には比叡の言葉の意味するところがわかった。
「金剛が本気じゃないって、本当かそれ」
詰め寄る呉の提督には答えず、彼は苦い表情を浮かべながら視線の先で交錯する大和と金剛を見据える。少ししてからゆっくり口を開いた。
「金剛が本気なら、いくら大和でもニ発以上貰えば中破、いや大破させられてるかもしれないからな」
海上で戦う二人。大和は押されてはいるが未だ小破未満だ。だが呉の提督は疑問を呈する。
「さすがに金剛でも、二発であの大和を大破まで追い込むのは無理なんじゃないのか?」
だが彼はその言葉を特に肯定しなかった。
「う、くぅっ」
ここまで、大和は海上のデコイを撃つ訓練や設置された砲塔から放たれる砲弾をかわす訓練は積んできたし、それらの成果は高評価をもらえるものだった。だが、
「フー、これではワタシの相手にはなりませんネ」
自分はもう何発か相手の攻撃を受けているのに、金剛には一発も当たっていない。なにか理不尽なことのように思えて顔を歪める。
「こんな、はずじゃ・・・」
「もうやめにしまセンカ?」
「え?」
金剛の脱力したような目が大和に向けられる。どこかこの状況に不満を抱いているようにも見えた。
「どう言う・・・意味ですか?」
「アナタの実力はだいたいわかりました。でも、ワタシに勝つのは無理デース。これ以上は時間の無駄だと」
「そんなの、まだわからないじゃないですかっ!」
金剛の言葉はなんとなくわかる。だが、認められない、認めたくない。認めてしまったらどんな顔をして博士に会えばいいのか。その思いが大和に否定させる。
「博士が見ててくれる限り、大和は戦えます!」
「・・・ただ"優しい"からとか、"一緒にいたい"とかそういう理由でならあまりテートクの傍にはいてほしくない、デスネ」
金剛の目にも再び力が宿る。かわしてから反撃に転ずるばかりだったのが、今度は自ら仕掛け出した。
「くっ!」
今度こそ。大和は46cm砲を向け狙いを定める。最初のときと似た状況だが今回は十分な距離がある。外すことは、ない。
「はぁぁっ!」
「甘いッ!」
大和の放った砲弾は確実に金剛のいる場所を捕らえていた。だというのに魔法のように砲弾は海面に吸い込まれていく。もう一度撃っても同じだった。
「そ、そんな!?」
「ワタシには一発も当てられませんヨ!!」
それを見ていた比叡の表情が変わる。同時に彼も思わず立ち上がった。
「おい、どうした?」
怪訝そうな顔の呉の提督を振り返り一言、
「金剛が、本気を出した」
そう言って座り直す。比叡も表情が固い。
「さっき言ってた"神託"ってのはなんだ?それが関係してんのか?」
「私の口から言えるか。舞鶴の重要な情報だ、大佐に聞け」
そう言って舞鶴の提督のほうを見るがこちらは困ったような顔をしていた。
「実は、私も知らないんです。金剛に強さの秘訣を聞いても、答えてくれなくて」
「・・・比叡、なぜ教えなかったんだ」
今度は比叡が気まずい表情を作った。
「お姉様と相談して、別に話す必要はないと」
それを聞いて舞鶴の提督が唇を噛みしめる。自分の鎮守府の艦娘にこう言われて悔しくない提督はいないだろう。席を立って比叡に駆け寄る。
「私は、もっと皆のことを知りたい、わかりたいの!だから・・・教えて、比叡」
それでもしばらく黙って砂浜を見つめるだけの比叡。彼には金剛や比叡が考えていることが痛いほどわかった。だが舞鶴の提督の気持ちもわかる。
「・・・"神託"は私達金剛型姉妹と司令で築いた、いわば財産です。それをおいそれと」
「わかった。なら私から伝える」