終章直前。サンソンとカルデア職員の女性。

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最後の人、終わりの夜

 今時珍しい箒の音で、シャルル=アンリ・サンソンは目を覚ました。汚れひとつない白い天井。それとは対照的に染み付いて離れない姿なき赤。ここは人理保証機関フィニス・カルデア、その治療を一手に引き受ける戦後の戦場。

 

「おはようございます、サンソン先生」

 ロマニ・アーキマンの他に生き残った医療セクションスタッフはいなかった。けれど怪我も病も、人がいる限りなくなりはしない。だから、この医務室は今サンソンの城である。その住人は彼と、清掃員の彼女だけ。

 毎日のように、彼女はここにくる。

 決して器用なたちではないのだろうが、丁寧に丁寧に箒を使う女性(ひと)だった。できるだけ音が出ないようにと、誰もいない時だろうと彼女は医務室では箒と雑巾で掃除をした。

 

「今日はきっと、忙しくなります。わたしができることはありませんけど、怪我人も出るでしょう。もしかしたら、また、……」

 床を掃く手を止めて、彼女は言った。サンソンを直視することなく、体を起こした彼のコートの、十字架が交わるあたりを見ながら。

 

 シャルル=アンリ・サンソンは彼女にかける言葉を持たない。彼はムッシュー・ド・パリ。国家と王と民のための処刑人。アサシンの霊基である以上、医師を気取るつもりはなかった。

 

「ここにいても、構いませんか」

「……ええ」

 医師の真似事と彼は言うが、Aランクの医術スキルは問答無用の治癒すらもたらす。瀉血で病が消えるほどに、スキルというものは絶対だった。サンソンの戦場は、いつでもここだ。

 戦場では人を殺すことよりも、ともすれば竜の首を落としたことの方が多かったかもしれない。けれどそれには、ギヨタン博士の機械は小さすぎた。―――つまるところ、彼は向いていないのだ、前線には。

 

 アサシンのサーヴァントが必要ならばハサン・サッバーハたちやエミヤがいる。マスターの治療は、治癒魔術を習得したキャスターが行うと聞いた。ならば、彼が気にかけるべきはサーヴァントの気にかけない人間たちだ。人理を背負っているわけではなくとも、シバを、ラプラスを、トリスメギストスを存続させ続ける者たち。絶えない観測で、最後のマスターを消失から守り抜く人々。

 

 彼が終ぞ、救えなかった人々を。それが贖罪にもならぬ代替行為と知っていながら、シャルル=アンリはどうしても、名の残らぬ人々をこそ救いたがった。

 

「僕が呼ばれることも、ないでしょうから」

 隔壁が降りるまでは、ここに。いざとなれば自分が彼女を抱えて走ればいい。サーヴァントの脚ならば管制室まで30秒もかからない。

 

 彼女はこの広大な施設を、この極限状態においてすら不快感を覚えさせないほどに清潔に保つ。それでいて泣き言の一つも洩らさない。人間の、最後の20人に入ってしまったからというだけで、泣きもせず。嘆きもせず。

 小さな背をした、すてきなひとだった。生き残った者の、子や孫を差し置いて残ってしまったものの義務に潰されそうな、小さな背中をいつも丸めていた。

 

「…………」

 

 なにも言わなかった。言えなかった。ことここに至っては、あと半日で未来が定まる時には、もう話すことなどなにもない。夫も子も孫も、残らず消えてしまった世界で、死人が生者になにを言えただろう。彼女までも消え行こうという時に、なにもできない人殺しが、なにを。

 

「コーヒー、飲みますか?」

「……いただきましょう」

 

 医者になれなかった処刑人と、医術を知らない急造の看護師が、こうやって座っていられるのはどのくらいだろう。


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