The Fantasic Story 〜其は不屈の夢物語〜 作:なっぺ
まったく、ホントにまったく。
何度口にしたかわからない台詞を口にしながら、ありすはここ、凪波丘大学病院の廊下を歩いていた。
凪波丘市はその四方がそれぞれ平原、山、海、そして森に囲まれており、市としての規模は小さいながらも住みやすいその環境から、都市部ほどとは言えないながらも発展している街である。そのおかげか大学病院も存在しており、住民の健康維持に一役買っている。
では、何故見るからに健康そうなありすがこの凪波丘大学病院の廊下を歩いているのか。彼女は自分自身がこの病院に用があるから来た訳ではない、別な理由があってのことだった。その理由は、ありすがその手に抱えたカゴを見れば一目瞭然だろう。
彩り豊かな、みずみずしい果物の数々に、拙い字で「はやく元気になってね 3の3のみんなより」と書かれたカード。カゴの下にはしっかり厚布で包まれた、小さな包丁も見える。果物を切るためのものだろうそれは、セラミック製で子供のありすにも持てるようにと配慮がなされている。
彼女、鏡ありすの同級生である吉谷吼太が全身火傷によって入院してから既に2週間が経過していた。全身火傷をした吼太に、ようやく面会が許されたのが今日。本来、即死しかねないダメージを負っていた吼太だったが、魔術によるダメージがメインだったためなのか、はたまた何か違った理由があったのか、奇跡的に生き延びたまではよかった。よかったのだが、通行人に見つかったことで大騒ぎに。救急車以上に大量に現れたパトカーにより、通学路が閉鎖されるなど、大事件に至っていたのだが、火傷の苦しみに喘いでいた当人が知るはずもなかった。
「全く……あんな事故に巻き込まれて……危なっかしいとは思ってたけど、ここまで酷いなんて!」
ふと、立ち止まる。誰もいない廊下に――誰もいない"隣"に、何とも言えない悲しさを覚える。
「なんで……コータがこんな目にあわなきゃいけなかったの……?」
いつも通りの毎日というものは、いとも呆気なく壊れてしまう。その事実を受け止めるには、齢9歳の彼女の精神はあまりに脆すぎた。話を聞いた時には大いに泣き、暴れ、狂ったように事実を問いただし、そして泣いた。
今でこそひとまずの平静を得たが、それはふとした瞬間に壊れかねない、あまりに不安定すぎる平静だった。
死んでないから、後にはほとんど残らないからよかったものの、一歩間違えばどれだけ恐ろしい事態になっていたか。それは幼いありすにも容易に想像がついた。
「う……」
ここで泣いては、もう今日は吼太に会えなくなる。涙でぐちゃぐちゃになった顔など、入院患者に見せたら逆に心配されてしまうに決まっている。ありすは涙を堪え、なんとか普段通りの顔を作る。
程なくして、吼太がいるという病室の前につく。今まで危険な状態だったため個室が用意され、とりあえずの峠を越えた今も、ある理由により部屋を変えていないらしい。その理由が、個室からほど近い場所にあるナースステーションにいる女性看護師目の保養にするためだということは、実はあまり知られていない。
意を決し、扉の取っ手に手をかける。
そこでふと、ありすの動きが止まる。
――なんて声をかけて中に入ろう?
元気ー? ……元気じゃないから入院しているのであって、入院患者に元気か聞くのは……。
まだ死んでないー? ……失礼にも程がある。
結婚しよう、コータ。 ……唐突すぎるし、恥ずかしすぎる。
若干パニックに陥りながらも、なんとか思考を正しい方向に戻そうとするありす。
「落ち着け、わたし。わたしはコータのお見舞いに来たんだから、それを素直に簡潔に、おかしくないように言えばいいんだ」
病室の前でぶつぶつと何かを呟く美少女。それは明らかに不審だったに違いない。幸運だったのは彼女がまだ幼い少女だったことと、何らかの用事なのかナースステーションにいる看護師が減っており、残った看護師も仕事が忙しく、患者ではないありすに気を使う余裕がなかったことだろう。
深く息を吸い込み、そして吐く。
「コータ〜! お見舞いに来てあげたわよ! 感謝しなさ――」
「ハァハァ……コータぁ、怖くないからね〜……気持ちいいだけだからぁ……」
「いや明らかに様子がおかしいからお前!? 服に手をかけるんじゃない! よせっ、止めろ! いや、止めて! 止めるんだぁぁぁ!?」
ありすが見たもの。それは、半脱ぎの女性が今まさに吼太に襲いかからんとしている様だった(性的な意味で)。
その一瞬で、ありすの全ての思考はまるで落ちた木の葉のごとく吹っ飛び、回復するまでにはもう少しの時間を要した。
「え……こ、コータ……その人、だれ……?」
「ちょ、いい加減止め……あ、ありすか!? 頼む、助けてくれ! まだ上手く身体が動かせないんだ!」
「うぇっへっへっ。よいではないか、よいではないかぁ!」
「ちょっと! その女だれ!! こととしだいによってはぁ……!」
「あれぇぇぇ!? 何故かオレが悪いことになってる!?」
と、ここでようやく吼太の上に乗っていた女性――リームがありすの存在に気づく。
「……誰? このお邪魔虫」
「おじゃッ……!?」
いきなり、初対面の人間にお邪魔虫と言われ、不快感を露にするありす。だが、リームもまた同じ反応を示していた。
「悪いけど、邪魔だからさっさと出ていってよ」
「なっ!? 何よその言い方!? それを言うならあなたのほうでしょ!? コータから離れなさいよペタンコ!」
「ペタンコとは無礼な! 僕はちゃんと山があるもん! そっちこそペタンコでしょ!」
「私は将来性があるからいいの!」
「そんなのない!」
「ある!」
「ない!!」
「ペタンコー!」
「まな板ー!」
「かべー!」
「貧乳ー!」
「お前ら……うるさぁーいッ!!!」
「で、だ。申し開きは?」
ベッドの上で腕を組む吼太。その前には、騒ぎを聞き付けた看護師に叱られ、しょんぼりとしているありすとリームがいた。
「「だってコイツが――」」
「責任を他人に押し付けないッ!」
一喝。吼太の言葉に、思わず身をすくませるありすとリーム。
「そもそも、お前ら初対面だろ。なんでそんなに険悪な雰囲気になれるんだよ?」
「それは…………」
言葉に詰まったありすがリームを見る。それは回答に困って、というよりは原因を忌ま忌ましげに見る動きだった。
その視線を感じたリームが、何を感じたのか、にんまりと笑みを浮かべる。
その瞬間、リームは素早い動きで吼太に近づくと、その唇を奪ってしまう。
「あっ…………」
優越感。リームが味わっているそれを、嫌というほど理解するありす。
「ん……んんっ……ぷはぁっ! いきなり何すんだよ!」
「いやぁ〜、吼太見てたらついしたくなっちゃってぇ。でもいいでしょ? "初めてじゃない"んだし」
そう吼太に言いつつも、視線をありすに向けるリーム。その眼はどんな言葉よりも雄弁に、ありすに語っていた。「吼太の初めてを奪ったのは自分だ」と。
それに気づき、ありすは沸き上がる衝動を抑え切れなくなってしまう。
「………………いい」
「ありす……?」
様子がおかしいことに気づき、ありすに注意を向ける吼太。だが、もうありすを止めることは出来なかった。
「もういいよ! バカァッ!」
そう言うなり、部屋から出ていってしまうありす。
「あ、ちょっと待てよ!」
吼太の制止の言葉も、既に部屋の外に行ってしまったありすには届かない。
しばしの静寂。リームは達成感を、吼太は疑問を感じながら、僅かな時間が流れる。
「……ふぅ、これで邪魔物はいなくなったね〜。コータ〜」
甘い甘い猫撫で声を出しながら、吼太にしな垂れかかるリーム。だがしかし、吼太は何か考え事をしているのか、まるで動じない。
「……なぁ。ありすはきっと怒ったんだよな?」
「え?」
何故そんなことを聞くのか。不意に言った吼太の言葉の意味を理解出来ず、そんな顔で吼太を見るリーム。
「…………やっぱり、オレにも多少の原因はあるよなぁ」
そう自己完結した吼太は、改めてリームに向き直る。
「なぁリーム。知ってるか? ありすってさ、昔からまるで変わってないんだぜ」
話は約3年前、オレとありすが幼稚園に通ってた時まで遡る。
元々オレは周りから浮きやすい子供だった。大人っぽかったからか、オレの異常さを子供ながらの敏感な感受性で感じ取っていたのか。いずれにせよ、避けられてたのは事実だ。
とはいえ、精神面ではとうの昔に大人になっていたオレだ。だからどうしたわけでもなく、孤独なままの環境に甘んじていた。
そんな折だ。ありすがオレに関わってきたのは。
『よしやくんはなにもわるくないでしょ! みんななんでにげるの!?』
いいとこのお嬢様だったありすがオレに関わる理由なんか、これっぽっちもなかった。だけど、何故か彼女はオレを見てくれていた。
ある日、なんでオレに関わるのかと聞いたことがある。そしたらありすの奴、言ったことが『え? コータと遊ぶの、いけないことなの?』だよ。ビックリしたよ。そりゃそうだ、ってさ。
それからだ。オレが自分の境遇を、真の意味で受け入れられるようになったのは。
目の前に、オレが言った意味が分からずに首を傾げるリームがいる。ありすが変わっていないという言葉の意味が分からないんだろう。まぁ、当然か。でもいいさ。いつかリームにも、ありすがどれだけすごいのか分かる日がくるはずだ。
その時が来たらきっと、リームもありすと仲良くなれるはずだから……。
凪波丘大学病院の中庭。入院患者の心を癒すため、緑が多く配置されているそこに、ありすはいた。
「うぅっ…………コータの……ばかぁ……」
何故あんな行動をしてしまったのか。今となっては全く分からない。どうしたら仲直り出来るだろう。そんな考えがありすの頭を巡っていた。
元々、幼い子供は理性よりも本能を基準に行動しやすい。故に自身の本心を確かに理解していないありすに、自分のした行動の意味など分かるはずがなかった。
周りに人影があまりなかったのは、幸いなのか不幸なのか。いずれにせよ、彼女に声をかけようとする人間はいなかった。
――彼を除いて。
「いたいた! おーい、ありすー!」
聞き覚えのある声にハッとなるありす。上げた顔を向けた先にいたのは、やはり彼だった。
「コータ……!」
松葉杖をつき、リームに支えられながらも確かに自身の足で立っている、元気であると見せている吼太の姿だった。
「病院の中いてくれて助かったよ。まだ外に行くと怒られちまうからさ」
「当然だよ。そんな酷い怪我をしてるのに」
リームが呆れたように言うものの、変わらず屈託の無い笑顔を見せる吼太。いつも通りのその姿に、思わず困惑してしまうありす。
「おこって……ないの?」
「当たり前だろ」
不思議そうに言う吼太。あまりにあっさりと言ってのけたその態度は、一切の怒りを覚えていないことを雄弁に語っていた。
それは、今までの関係が壊れてしまうのではないかというありすの心配を、簡単に吹き飛ばしてしまう。
「ふぇ……ぇぇぇ」
堪えようとも、堪えようとも零れてしまう涙。とめどなく溢れ出るそれが、ありすの暗い気持ちを洗い流してしまう。
「ど、どうした? なんか嫌なことあったか!?」
「ちがう……ちがうの……。なんだか、なみだが止まらなくて……」
松葉杖でバランスを突きながら、傍にやって来た吼太に、やっとの思いで吐き出した言葉を伝えるありす。それを聞き、安心の溜息を漏らす吼太。
「ゴメンな、リームのこともちゃんと伝えるべきだったよな。なのにいきなり知らない人がいたからビックリして……ゴメン」
「うる、さい……。コータのくせに、ヒック、なまいきなんだからぁ……」
泣きながらとはいえ普段の言葉遣いに戻ってきたありす。吼太の気遣いが、ありすに安心感を与えたのだろう。それはつまり、この二人の絆の深さを示していた。
しかし、同時にリームはあることも直感的に悟っていた。
――もしかしてこの子、コータのこと……
しかし、敢えてそれを口には出さないリーム。それはありすのための行動に他ならない。同じ気持ちを持つ存在として、リームがありすを認めた瞬間でもあった。
リームが吼太の傍からありすの前に立つ。先程はあれほど大人らしく見えたリームが、今のありすにはやけに子供っぽく見えた。
「……僕、負けないよ。一緒にいる時間は勝てなくても、想いは負けない」
「…………思い?」
「まだ自覚してなかったんだ。……でも、いつか分かるよ。そしたら、僕と君で競争!」
「え? う、うん」
分からないながらも、とりあえず了承するありす。そんな彼女が"自覚"するのは、あまり遠いことではなかったりする。
「……何の話ですか?」
一方、怪我人の吼太は話についていけず、呆然と立ち尽くしていた。
「ぐあぁぁ!」
「ひぃぃぃ、お助けぇぇぇ!」
どこか、暗く、静かな場所。そこに、男たちの悲鳴が響く。
後に残るは、暗闇に光る白銀の髪を携えた、美しい女性。
「……私の、マスター…………」