あの科学者は、皇さんによると定期的に独房を見に訪れるらしい。そして、側にはいつもあの背の高い男がいる。
さらに皇さんを問い詰めると、あの二人はなんと特等と、CCGの局長だという。そんな人達が喰種……匂いが違ったが、明らかに僕が探している奴等に似すぎていた。
(絶対にあの二人が、僕達を改造した科学者と
幸い、時間だけはたっぷりとあったので、僕はどうやってこの独房を出て、どこへ逃げるかを考えていた。
考えている内に、だんだんRC抑制剤が打ち込まれる時間が近付いてくる。今逃げるにしても、まだ抑制剤の効果が残っていて、この独房を破る事なんて出来やしない。
(いっそ神様にでも祈ってみようか……そうすれば少しはこの状況も……)
誰か、他の喰種がここを襲撃して、僕達を逃がしてくれるのではないかと。最早、そんな幻想にすらすがらずにはいられない、僕の絶望的な状況を表していた。
(他の喰種の情報を喋れば殺される……それに喋ろうにも僕はこの辺りの喰種の情報を持っていない……)
他の喰種の居場所は知らないし、知っていても喋る訳にはいかない。まだ僕達が情報を持っているかもという期待を持たせれば、今は生き延びられる。
とりあえず、時間稼ぎのために、過去に出会った喰種達を思い出す。けれど、僕の知っている彼等は一緒に捕まっているか、死んでしまったかのどちらかだ。
それでも僕は、少しでも喰種の兆候があった人がいなかったかと記憶を探る。
その時、僕はある事に気付いた。高校に上がってから前の記憶がないのだ。特に中学の頃の記憶が全くと言って良い程に欠如していた。
その頃の僕が、いくら適当に過ごしていたとしても、少しは記憶が残っているはず。そうでなければおかしいのだから。
その記憶が僕にはない。まるで見たくないものから、無意識に目をそらしているかのように。
まぁ、半喰種になってしまってからの生活が壮絶過ぎて、思い出せないだけと言われてしまえば、それまでなのだけど。
そうして必死に自分の過去を思い出そうと、記憶を探る僕の耳に突然、轟音が轟いた。
「し、時雨君、何かが起きているようだね……」
皇さんの絡みつくような声で、僕は漸く周りを気にし始めた。
「一体何が起きたのか、予想はつきますか!?」
「恐らくコクリアを破りに来た喰種がいるのだろう。この隙に僕達も逃げようじゃあないか!」
皇さんは嬉しそうに答える。そして、彼はさらにこう続けた。
「幸い、もう抑制剤の効果は切れたようだしね……!」
そう言うと皇さんはすぐさま肩から甲赫を出して、鉄格子を切り裂いた。思ったよりも時間が経っていた事に驚きながらも、僕も鱗赫で鉄格子を壊して独房を出る。
「では行こうじゃないか、時雨君……!?」
皇さんの言葉の後、自分達のさらに下からも、何かが上がってくるような音がした。それと同時にそいつの叫び声も響く。
「毒毒毒毒毒毒ぅぅぅぅ!!! 俺様の毒に漬ける獲物はどこだぁぁ!?」
危険を感じて僕達がその場を飛び退くと、その叫びはとともに、そいつは姿を現す。さっきまで僕達がいた場所から、一直線に壁を駆け上がっていく。
そいつは男性で肌が黒く、明らかに日本人の喰種ではなかった。短い髪は彼が壁を上がっていく速さに耐えられずに乱れ、背中には、大きな壺を背負っている。
そして彼の肩からは、毒々しい紫色の羽赫が出ている。左側だけが異常に発達しており、飛ぶには苦労しそうな形だ。その羽赫で壺を支えて上まで登っていく。
「皇さん、あの人を知っているんですか?」
僕が皇さんの方を向いて聞くと、彼は嫌悪感を
「ヴェノム。品性の欠片もない通称だ、全く。彼はSSレート。てっきり彼を捕まえる事は、人間には出来ないと思っていたけれどね」
「それはどういう……?」
続きを聞こうとすると、皇さんはそのまま上へ走っていってしまう。置いていかれると困るので、僕も後に続く。
すると逆に上から降りてくる二つの人影が見えた。光が反射して暫くは見えなかったが、その姿がはっきりと見えた。
一人は金髪を首まで伸ばし、両肩から薄い甲赫を出している少年。もう一人は羽赫と鱗赫の両方を出して降りてくる白髪の青年だった。
その青年の顔は忘れもしない。家族を殺して、行方を眩ませた弟……朧だった。僕よりも少し短い白髪をはためかせ、二人は下へと降りていく。
僕はあいつともう一度話がしたくて、名前を叫んだ。
「朧!!!」
しかし朧は、僕の事など気にも留めずに進んでいく。僕はあいつを見過ごす事が出来ず、後を追うために、下へと飛び降りた。
皇さんも、そんな僕の様子に気付いたのか、後から降りてくる。あの二人が下に着いた数十秒後、僕達も赫子を使って、地面にクレーターを残しながら着地した。
ここはどうやらSSレートの独房のようだ。僕達が降り立った時には、金髪の少年の傍らには、同じく長い金髪の少女が立っていた。恐らく兄弟だろう。
この時には朧は側にはおらず、他の喰種の独房を壊していっている最中だった。
「ああ、ジルドレ兄様、助けに来てくれたのですね! 私は信じて待っておりました!」
「ごめんよ、僕の可愛いエリザベート。ああ、身体にこんな傷が……」
僕と皇さんがいる事など気付いてもいないように、二人は笑顔で語り合っている。そして突然少年が少女を抱きしめ、少女の頬にある小さな傷にキスを始めた。
少女も少年の小さな傷を見つけてそこにキスをする。そしてまた傷を見つけてはと、お互いにそれをずっと繰り返す。恐ろしい程に静かな空間に淫らな水音が響き渡る。
二人はさっきより強く抱き合い、身体を揺らしている。傷が少しずつ治り始めているが、二人はお互いを
異様な光景だった。少なくとも僕には全く理解が出来ない。二人は抱き合って、幸せそうな表情を浮かべているが、これはどうみても異常だ。
(流石に喰種でも、こんな事をしてはいけないと知っているはずなのに。どういう事なんだ、気持ち悪くないのか……?)
「ジルドレ、エリザベート、お楽しみは今は止めろ。あの馬鹿が上に行ったから、戻るぞ」
僕が気持ち悪さに負けそうになっていると、朧が二人に声を掛ける。二人は不満そうな顔をしたが、やがて唇を離した。
「朧!!!」
僕は朧に再び呼び掛ける。すると朧は面倒くさそうにこちらを向いて、言い捨てる。
「よう、ちょっとは赫子が使えるようになったかよ、兄貴? 相変わらずくそ甘い考えでも持ってるんじゃねぇよな?」
朧のその言葉を聞いただけでも、強いプレッシャーを感じた。やはり実戦経験が足りないのか、僕は立ち竦んでしまった。
けれど僕はこう言う。あの時とは違う状況で、あの時と同じ言葉を。
「……お前を止める。これ以上、お前に罪は犯させたりしない」
僕がこう言って、皇さんに目でサインを送る。彼はすぐあの兄妹の牽制へ、そして朧は僕に向かって飛び掛かってきた。
甲赫で飛んでくる羽赫を防ぎながら、鱗赫でお互いを刺そうとする。速さでは敵わないため、こうして引き寄せるしかない。
僕も朧も紙一重で避けたが、次の瞬間、朧は僕の顎を蹴りあげた。顎の骨が砕け、身体は吹き飛ぶ。やがて地面に身体をぶつけながら止まったが、口の中で血の味が広がっている。
僕はすぐに体勢を立て直して、朧に向かい合う。そして、赫子でお互いの身体を貫こうと狙い合った。しかし、僕よりも朧の方が赫子を使いなれており、暫くお互いに赫子をぶつけあわせる事しか出来ない。
そうした時間稼ぎの間に、お互いに相手の隙を突こうと窺う。
◆
――やれやれ、時雨君にも困ったものだ……僕にこの兄妹の相手をさせるとはね……この二人は面倒なのに。
とは言え、彼から託された仕事だ。やらない訳がない。まだ彼の悲鳴を聞いてはいないのだから。
そう思い直し、僕は彼等に自らの名を名乗る。
「はじめまして、僕は皇 旋也。ジルドレ君に、エリザベートさんだったよね? それともこうお呼びした方がお好みかな? 『吸血鬼兄妹』」
僕が自己紹介とともに、二人の正体を看破する。兄妹で愛し合うような喰種は少ない上に、異国の喰種とくれば、もう簡単だ。
僕に正体がバレた事に対して驚きもせず、ジルドレは両肩から薄い甲赫を、エリザベートは腰から二本の鱗赫を出して飛び掛かってくる。
最初に僕の前まで来たのはジルドレ。彼は僕と同じ甲赫なのだが、彼の甲赫は薄いものでとても軽い。未成熟な甲赫なのか壊れやすい。そんな欠点を、自らの速さで補っている。
僕は飛び掛かってくる彼の甲赫を払いのけ、彼の身体を貫こうとする。その時にはエリザベートも到着し、僕を後ろから鋭い鱗赫で狙う。
彼女の鱗赫もあまり発達していないためか少々細いが、甲赫を前に回している僕を貫くには充分だ。
このように、彼等が来る事が分かってはいても赫子が重すぎて、咄嗟には反応出来ない。ジルドレが僕の前から身を引くのと同時に、僕の全身は、二人の甲赫と鱗赫の餌食となった。
そして、礼儀を通した者への慰めか、傷だらけの僕を見下ろし、彼等も名乗っていく。
「『吸血貴』、ジルドレ・ブラディス」
「『吸血姫』、エリザベート・ブラディス」
「僕達は、二人揃って『吸血鬼』なんだ。じゃあね、喰種で珍しく、僕達貴族に礼を尽くした人」
二人のこの言葉を最後に聞いて僕は倒れ、意識を失った。
◆
「うらぁ!」
「ぐっ……」
朧との膠着状態は僕が吹き飛ばされる事で解け、僕はまた地面に伏していた。
状況が気になって皇さんの方を見ると、彼の身体が傷だらけになって、倒れる瞬間だった。
そして、そのままあの兄妹も、真っ直ぐに僕へと向かってくる。こうなると三対一になってしまう。何とか分散させないといけないと思い、必死で考える。
(もう皇さんは戦えない……一体どうすれば良い!?)
少年の方が僕の元へ先行してきたので、彼を鱗赫で投げ飛ばして体勢を整えようとする。しかし、甲赫なのに小回りが効いて厄介だ。
妹の方の鱗赫は少し大きく、僕の甲赫ごと身体を抉ろうとする。彼女も鱗赫で何とか投げ飛ばして、僕が体勢を整えると、彼等は同じタイミングでこう言った。
「お兄様に……」
「エリザベートに……」
「「触れるな!!!」」
すぐさま彼等は戻ってきて、僕の身体に傷を刻む。二人はとても息が合っていて、同時に対応するには無理があった。全身に細かな傷が刻まれ、僕は再び倒れる。
僕は立とうとするが、焦りのあまり足を滑らせてしまった。その隙を見逃さずに朧が僕の腹を蹴って、僕の身体は壁を突き破ってから止まった。
「こんなもんかよ。こんなもんで俺を止められるなんて思い上がるんじゃねぇ! 未練でヒトも喰えねぇようなお前が、散々ヒトを喰った俺に勝てる訳がねぇだろ!」
朧の叫び声が遠くに聞こえる。なんだか目も霞んできたし、僕は死んでしまうのだろうか。
(嫌だ! 死にたくない! 死んでたまるか!)
そう決意した時、頭の中に、聞き覚えのある声が響いた。輝影じゃない、けれど凄く聞き覚えのある静かな声が。
「やっと表に出られる」
その瞬間、僕の意識は途絶えた。恐らく意識がなかったのは数秒位だったはずなのに、その時の僕の手には朧の右腕の、肘から下が握られていた。
口に自分とは違う血の味が広がっているので、僕は自分が朧の腕を引きちぎって喰ったのだと分かった。
周りを見渡してみると、あの兄妹の身体も赫子も傷だらけになっていた。
これを全て僕が……? 不信に思っていると、朧は舌打ちをして僕に言う。
「ちぃ……兄貴もやれば出来るんだなぁ……まさかここまでやるなんて、昔みたいじゃねえかよ」
「何……?」
僕がその言葉の意味を考えていると、朧はそのまま二人の方を向いて、指示をする。
「いや、今はそれより早いとこ逃げねぇと……流石にこれだとまずい」
朧は失った右腕を指さして、顔をしかめる。そのまま立ち去ろうとする後ろ姿に、僕は止めようと声を掛ける。
「あ……待てよ!」
しかし、僕が止めるよりも早く、彼等は去っていった。正直追いたいけれど、どんなルートを使ったのか探している時間はない。
急いで皇さんの側へ行き、彼が生きているか確認する。
……何とか生きてはいるようだ。傷も既に修復が始まっている。
僕は霞達を探すために、皇さんを抱えながらも赫子を使って、少しずつ登っていった。こんな人でも、僕が助けられるなら助けた方が良い。
すると皇さんが目を覚ました。まだ息は荒いが、多少は回復したようだ。
「時雨君……君は一体いつの間に、そこまで強くなったんだい……? 僕と初めて会った時から、二、三ヶ月しか経っていないというのに……」
「え? どういう事ですか? 僕はその時、意識がなかったので……」
すると皇さんは、途切れ途切れだが話し始めた。僕が壁から出てきた後は、雰囲気がいつもと違って生き生きとしていたそうだ。
そして、目にも止まらぬ速さであの兄妹の赫子を破壊し、朧の右腕をもぎ取ったらしい。
全て話し終えると、彼はまた意識を失った。体力を回復させるために眠りについたのだと思って寝かせておく事にした。
(僕があの三人を圧倒して、あそこまでの怪我を負わせた……?)
僕はその瞬間を思い出そうと頭を捻る。しかし、いくら考えても何も覚えておらず、この話を聞いても自覚が持てなかった。しかし、意識を失う前に、頭の中に声が響いたのを思い出した。
(あれは輝影じゃなかった。まさか本当に、輝影以外の誰かが、僕の中から出てきた……?)
不気味だと思いながらも、その存在のおかげで僕と皇さんはかろうじて生き延びる事が出来た。
そう思うと感謝の気持ちが溢れ出した。心の中でお礼を言いつつ、僕は皇さんを抱えたまま、霞達を探してさ迷うのだった……
お久しぶりですね……課題やらなにやらに追われて中々更新出来ませんでした、本当にごめんなさい。
こんな作品でも待ってくれる方々に感謝して、少しずつ書いていきますので、よろしくお願いします!