鷹宮神社をあとにした俺は、自転車のペダルをひたすらこいでいた。
次の目的地は九喜市。泉家がある幸手のとなりにある市だ。
記憶を頼りに進むと、やがて商店街が見えてきた。
昭和を思わせるシャッター街は、多くの人々で賑わっている。
八百屋の威勢の良い声が飛び、主婦達が立ち止まって談笑をするこの場所は、5年前と何一つ変わっていなかった。
この分だと、俺の目的地も残っていると踏んで良いだろう。
俺が目指す場所は、商店街にある飲食店だ。
そこの店主をしているお婆さんと、二人の孫。
この3人に詫びと引っ越しの挨拶をすれば、5年前のやり残しは全て消化したことになる。
「ばーちゃんの料理、久しぶりに食いたくなってきたな」
自転車を押し進めながら、俺はばーちゃんの料理を思い出していた。
5年前、探索中に空腹のあまり店の前でうずくまっていた所を、ばーちゃんに助けられたのだ。
それから、よくばーちゃんの店に顔をだすようになった俺は、そこに遊びに来ていた孫達とも仲良くなったのだ。
「みつけた」
立ち止まった俺の視線の先には、『らっきぃ☆すたぁ』と手書きで書かれた看板を掲げる一件の古びた飲食店が佇んでいた。
木造二階建ての大衆食堂で、一階は店、二階は居住スペースとなっている。
こじんまりとした店だが、これはこれで趣があって俺は好きだ。
懐かしさに胸を高鳴らせながら、俺は店の引き戸に手をかけた。
「ん?」
鍵がかかっているのか、引き戸が空くことはなかった。
ほんの少しの嫌な予感を感じた俺は、自転車を入り口に止めると、細い路地を通り抜けて店の裏口へとまわる。
そして木星の扉を拳で三回叩き、
「ごめんください」
反応がない。
今度は少し強めに扉を叩くが、
「だめか」
やはり反応がない。嫌な予感が頭をよぎる。
俺はすぅーっと行きを吸い込むと、勢いよくドアを叩きながら、
「ごめんください!」
「あの……、どちら様でしょうか?」
不意に背後から声をかけられた。
そこには眼鏡をかけた髪の長い大人の女性が立っていた。喪服に身を包んだ女性は、俺の事を訝しげに見つめている。
「俺は……この店のお婆さんとは知り合いで、挨拶をしようと立ち寄ったんです」
「そうでしたか」
「今日は定休日なんですか?」
「いえ、お店はもうやっていないんです」
女性は悲しそうに口を開いた。
「せっかく足を運んでいただいたのに申し訳ないのですが、祖母が1年前に亡くなって以来、このお店はずっと休業状態なんです」
亡くなった。その言葉を聞くと、何とも言えない喪失感に襲われた。
そうか……、ばーちゃん、もう居ないのか。
俺が立ち尽くしていると、女性が歩み寄ってきて薄いピンク色のハンカチを差し出してきた。
「あの……、どうぞ使ってください」
「え?」
「その……涙が」
「涙?」
頬に手を当てると、雫が指先に付着するのを感じた。
ああ、俺は泣いているのか。たまにこういう事があるのだ。
心で感じている事をストレートに表情に出せばいいのに、俺にはそれができない。我ながら面倒くさい性分だ。
「いえ、いいです」
ハンカチを受け取って拭くのが恥ずかしい。そう思ったおれは、自分の服の袖で涙をぬぐった。
「こんなにも祖母を想ってくれている人が居るなんて……嬉しいです。あ、申し遅れました。私、孫の高良みゆきと申します」
「みゆき? お前、みゆきなのか?」
「え? はい。あの……どこかでお会いしたでしょうか?」
お会いしたも何も、5年前、別れを言いそびれたばーちゃんの孫の一人がみゆきなのだ。
驚いたな。本ばかり読んでいたひ弱なみゆきが、5年でこうも大人っぽくなるなんて思ってもいなかった。
「俺だよ、水瀬たくとだ」
「たくと……さん?」
みゆきは体を硬直させ、俺の事をマジマジと見つめた。
「ほ、本当にたくとさんなのですか?」
「ああ。久しぶりだな」
「あ、あの、私突然の事なのでなんと言ったらよいのか……そ、その、おかえりなさい!? いえ、お久しぶりです!? えっと……えっとぉ」
「落ち着け、みゆき」
俺はみゆきの頭に手を置き、ポンポンと頭を優しく叩いた。
子供の頃、みゆきが泣いたり戸惑ったりした時、俺はいつもこうして慰めてやっていたのだ。
「あ……ぅ」
みゆきは緊張したのか一瞬体を強張らせたが、すぐに5年前と同じような眠りかけのハムスターのような表情になった。
「見た目は大人っぽくなったが……相変わらずみゆきはみゆきだな」
「はっ!」
みゆきは急に何かを思い出したかのように目を見開くと、俺の手から逃げるように身を逸らせた。
……悪いことをしたかもしれない。
みゆきももう高校生だ。つい昔のノリで頭を撫でてしまったが、そういったスキンシップを嫌がる年頃だもんな。
「あ! 勘違いしないでください! 撫でられるのが嫌だったわけではありません! ただ……情けない顔をたくとさんに見られたくなくて……」
「そうか? ハムスターみたいで可愛いと思うぞ」
みゆきはちょっと拗ねたような表情をして、
「それは褒めているんですか?」
「俺はそのつもりだ」
「そうですか……ふふ」
口に手をあてて笑うみゆきは、どこからどう見ても淑女だった。
*****
5年前の急な別れの謝罪と、引っ越しの挨拶を済ませた俺は、鍵を持っていたみゆきに店内へと招き入れられた。
厨房と客席が一体となった店内は、お世辞にも広いとは言えない。
厨房は4人が立つのが限界だし、客席はカウンターが6席、テーブルが16席しかない。子供の頃はもっと広く感じたんだけどな……俺が大きくなったって事か。
俺はカウンターに手を置き、5年前、はじめてばーちゃんにご馳走してもらったおにぎりの事を思い出していた。
ふと手をみると、埃が付着している事に気が付く。
掃除がされていない店内は、5年前と比べて古ぼけて感じられた。それは、この店の時間がずっと止まったままだという証拠だ。
「今日はお婆ちゃんのお墓参りでして、その帰りにふとこの場所に寄りたくなったんです。ここは、私の思い出の場所ですから」
厨房で急須を探しながら、みゆきが言った。
「それでたくとさんに会えるだなんて……。もしかしたら、お婆ちゃんが私たちをめぐり会わせてくれたのかもしれませんね」
「そうだな」
俺とみゆきは軽く笑い合う。
その後、しばらくの沈黙が流れ、お湯を沸かす音だけが店内に流れていた。
俺は、さっきから聞こうと思っていたが聞けずにいた質問を投げかける決意を固め、口を開く。
「お店、畳むのか?」
俺の言葉を聞いて、お茶を淹れていたみゆきの手が止まった。
「……今日の一周忌の集まりで、私の曽祖父である高良源三郎お爺様がここを取り壊すとおっしゃていました。なので、そう遠くない将来、お店がなくなってしまうのは間違いないと思います」
「みゆきは、どうしたいんだ?」
「私は……ここがなくなってしまうのは悲しいです。ここはお婆ちゃんや、お兄さん、そして……たくとさんとの思い出が詰まった、大切な場所ですから」
「そうか」
「……はい」
みゆきは今にも泣きだしそうな顔をして、湯呑を俺に差し出してきた。
俺だってこの場所には沢山の思い出がある。ここを失いたくない。
そう、俺はここが好きなんだ。なら、やる事はもう決まっている。
「みゆき。その源三郎って人は、今どこにいる?」
「え? 東京のご自宅に帰られたと思いますが……」
「東京のどこだ?」
「確か……青羽町だったかと……って、たくとさん!?」
俺は急いでお茶を飲み干すと、店の外に飛び出した。そして、自転車にまたがると、店内でおどおどしているみゆきにむかって、
「ごちそうさま。電話するから、また昔みたいに遊ぼうぜ」
脚に力を入れ、ペダルを強くこいだ。
「た、たくとさーん!?」
後方から聞こえてくるみゆきの声が、段々と遠ざかっていく。
目的地は東京都青羽町の高良邸。
……東京か。自転車で行ったとして、夜までには帰れるかな?
まあ、何とかなる……よな。