東京都青羽市は、埼玉と東京の境目に位置する場所にある。
自転車で来ることができたが、6時間もかかってしまった。既に辺りは夜のとばりに包まれている。
だが幸運なことに、高良氏の自宅は簡単に見つける事ができた。
氏は地元では有名な大地主らしく、道を行く人に尋ねたら簡単に場所を教えて貰えたのだ。
「……でかいな」
閑静な住宅街の一角を牛耳る日本家屋を前にして、俺は感嘆のあまり呟いた。
瓦をあしらった塀と冠木門は立派だが、その向こう側に佇むお屋敷はもっと立派だ。
まるで時代劇の中に入り込んでしまったかのような錯覚に陥ってしまう。それほどまでに、見事な邸宅だった。
門の前には長髪でサングラスをかけ、黒いスーツに身を包んだ全身黒ずくめの女性が門番をしている。この人に頼んで、源三郎氏に取り次いでもらうとするか。
「すみません」
「……なんでしょう」
門番の女性がぶっきらぼうな口調で応える。
「源三郎氏と面会したいのですが、取り次いでもらえませんか?」
「……源三郎様はお休みになられています。また日を改めてお越しください」
「そこをなんとか」
「……お引き取り下さい」
文字通りの門前払い。しかし、ここまで来てそう簡単に引き返すわけにはいかない。
「なら、電話で話をするだけでもいいです」
「……お引き取り下さい」
「じゃあ、言伝だけでも」
「……お引き取り下さい」
何て頑固な人なんだ。まるで機械を相手にしているような感じだ。
しかし、強行突破や忍び込むなど、犯罪まがいの事をするわけにはいかないし、このまま黙って帰るわけにもいかない。
「おいおい、あのジジイがこんな早くに寝るわけねーだろ」
ふと、背後から男の声がするのと同時に、俺の肩に手が置かれた。
振り向くと、ジーパンと長袖Tシャツを身にまとった、ラフな格好の青年が視界に入る。
この軽い口調と顔立ちには覚えがある。この人はもしかしたら、みゆきの従兄で、5年前にばーちゃんの店で仲良くなったもう一人の孫の高良ゆうやその人なのかもしれない。
「ゆうや?」
「おう。久しぶりだな、たくと。話はみゆきから聞いたぜ……。ったく、思い立ったらすぐに行動に移すその性格は相変わらずだな」
俺の予想は当たっていた。ゆうやはニカっと白い歯を見せて笑うと、門番の前へと歩み寄った。
その瞬間、門番はサングラスをとり、ゆうやに対して深々と頭を下げる。
「……1年ぶりですね、ゆうや坊ちゃま。おかえりなさいませ」
「おい
「……いくつになろうと、あなたは私の大切な坊ちゃまでございます」
「……ったく、好きにしろ」
ゆうやは溜息を吐き、ボリボリと頭をかきながら言った。
「んなことより、ジジイに会いてぇ。通るぞ」
「……どうぞ、お入りください」
門番は扉の横へと移動し、深々と頭を下げる。
ゆうやはポケットに手を突っ込みながらズカズカと門を潜り抜けた。
「おいたくと、お前もジジイに話があるんだろ? こいよ」
「ああ」
深々と頭を下げたままの門番改め城戸さんの前を通り、俺は門を潜り抜けた。
****
立派な庭と玄関を通った俺は、ゆうやの案内で屋敷内の廊下を歩きながら、5年前の謝罪と現状を説明していた。
「と、言うわけで、またこっちに引っ越してきたんだ」
「そうかそうか。まっ、こうしてまた会えたんだ。つまんねぇ事は気にしないで、また昔みたいに仲よくやろうぜ」
ケラケラと笑いながら、ゆうやが言った。
ゆうやは俺より5歳年上だが、俺達に上下関係はない。
ある事件がきっかけで互いに信頼関係がうまれ、それ以来、上も下もない五分の付き合いをすると誓い合ったのだ。
「さっき城戸さんが1年ぶりって言ってたけど……、今は1人暮らしをしてるのか?」
「聞いて驚け。俺な、ばーちゃんが死んでから今日まで家出してたんだ」
「そうか」
「驚かないのか?」
「驚いてるさ」
「だったらもっとリアクションとれよ! ……ったく、感情を表に出さないのは相変わらずだな」
「すまない」
「いいよ、別に。簡単に説明するとだな、ばーちゃんが死んだ日にジジイが店を取り壊すとかぬかしやがったんだ。んで、俺が店を継ぐって言ったら猛反対されてよ。だから、料理の勉強をするために家を飛び出したんだ。」
物思いに耽った表情で、ゆうやは続ける。
「そっからは知り合いの料理屋で修行しつつ調理師免許をとったりと……目まぐるしい1年だったぜ」
「大変だったんだな」
「ああ。だが、苦ではなかったぜ。あの店は俺にとって、大切な場所なんだ。それを守るためなら、こんな苦労屁でもねーさ」
カッカッカと笑うゆうやだが、目の下には薄っすらとクマがあり、手や腕には切り傷や火傷の跡が見られる。多分、必死に料理の勉強をしていたんだな。
「ゆうやは凄いな」
「んだよ……真顔で褒めんな。恥ずいだろが」
「俺も手伝うよ。大して力にはなれないかもしれないけど、俺もあのお店が好きなんだ」
「へっ、嬉しい事言ってくれるぜ。……さて、着いたぜ。いよいよジジイとご対面だ」
歩みを止めたゆうやは、勢いよく襖を開け放つ。
「ようジジイ、今帰ったぞ」
まるで大宴会でもできそうな広大な和室の上座に、和服姿の老人が胡坐をかいていた。
長い髪と髭は全て白くなっており、顔は目を開けているのか分からないほどに皺だらけだ。しかし、老人からは荘厳とした雰囲気がほとばしっている。
老人は目の前の御膳に置かれたおちょこを手にすると、一気にそれをあおり、俺たちの方へと視線を向けた。
「
「知り合いの料理屋で修行してたんだ」
ゆうやと俺は老人の元へと歩み寄る。
「ほぅ……で、その少年は何者じゃ?」
「水瀬たくと。ばーちゃんの店の常連で、俺のダチだ」
老人の片方の瞼が持ち上がり、鋭い眼光が俺を射貫いた。
俺は軽く会釈をして老人に挨拶をする。
「回りくどいのは嫌いだから単刀直入に言う。ジジイ、俺に店を継がせろ」
「……人にものをこう態度ではないのぅ」
「俺に店を継がせろくださいませ」
「1年経っても口の悪さは健在か」
「あたぼーよ! んなことより、店だよ店! 店よこせ! プリーズ! プギーズギブミー店!」
「店はやらん」
「んだとこら!」
「落ち着つけよゆうや」
俺はゆうやの肩に手を置いてなだめる。
「源三郎さん。あの店は俺に、いや、俺達にとってとても大切な場所なんです」
「ほぅ」
「このままなくなってしまうのは嫌なんです。だから、どうかお店を続けさせて欲しいんです。お願いします」
俺は頭を下げてお願いした。
「たくと君とやら、顔を上げなされ」
源三郎さんは顎鬚を撫でながら、
「わしとて、理由も無しに拒んでいるわけではない。ワシが提示する課題さえクリアすれば、あの店を譲ってやってもよいと考えておる」
「おいこらジジイ! 課題ってなんだよ、俺ぁそんな事聞いてねーぞ!」
「ワシが言うより先に、お前はこの家を出ていっただろうが。あれ以来音信不通で話もできんかったからのぅ」
「……ちっ。それで、その課題ってのは何なんだよ」
「うむ、課題は3つあるが、一つ目は味じゃ」
源三郎さんは片方の瞼を持ち上げ、俺達の事を真っすぐと見据えながら口を開く。
「ワシを『納得』させる味の料理を作れ。それが出来たら、次の課題を言い渡そう」
「へっ、つまり料理の腕をみたいってわけか……なら今すぐにでもみせてやらぁ!」
ゆうやは腕まくりをすると、どこかへと走り去ってしまった。
「たくと君」
ゆうやの背中を追いかけようとしたところを源三郎さんに呼び止められた。
「見ての通り、あのバカ曾孫はこうと決めたら突っ走る性分で、少々落ち着きがなさすぎる。君が手綱を握って、うまくあ奴を制御してやってはくれぬか?」
なるほど。口ではなんと言おうと、曾孫であるゆうやの事を心配しているんだな。
当たり前か。家族なんだから。
「分かりました」
俺がそう言うと、源三郎さんの顔のしわが一層深まった。おそらく、笑っているのだろう。
「おーいたくと、お前もこいよ! ジジイをあっと言わせる料理を作んだからよー!」
「ああ、今行く」
部屋の出入り口から顔をだしたゆうやに従って、俺は再び廊下へと出た。