『光を屈折させるほどたくさんの水と空気に満たされたこの青き星を・・・』
空を飛ぶ空中戦艦デューカリオンの自室で伊奈帆は何度もアセイラム皇女の演説を再生して、とある部分を聞いていた。この『光を屈折させる』とは、かつて伊奈帆がアセイラム皇女の間違いを指摘した部分で、アセイラム皇女は地球から来た同世代の少年に聞いたと話していたとの話であった。
「違う、空や海が青いのはレイリー散乱だ。」
そんな彼の元に来訪者が現れる。
「伊奈帆、どうしたの?」
彼の幼馴染、韻子だ。彼女は昔から伊奈帆の部屋はノックも無しに入るため、予想がつかない。
「あの人の演説をちょっとね、あの人はウソをついている。」
「ウソ?」
韻子は伊奈帆の後ろから、彼が見ていた演説の録画を覗きこむ。順当に考えたならば、蔑語を連呼し、地球との戦争を煽る部分がウソだと考えるが、伊奈帆が映した部分はまったく別の箇所であった。
『わたくし、アセイラム皇女は』
「この部分。ウソ特有の語調になってる。」
「え!?ここがウソってことは・・・」
「そう。彼女はアセイラム皇女じゃない。」
驚きのあまり韻子は絶句する。これは連合軍でも考えられていることであるが、伊奈帆は断言した。もっとも、ウソ発見機にかけたわけではないので、語調だけでは明確な証拠にはならないが。
一方、ヴァース帝国のサテライトベルトにあるいくつもの基地の中枢である基地で、演説を終えたアセイラム皇女はザーツバルム卿、スレイン、エデルリッゾに迎えられると光に包まれる。
「ザーツバルム卿、サー・トロイヤード。この度の演説はいかがでしたか?」
「何とも堂々とした、素晴らしいものでしたよ、姫殿下。」
膝を着き頭を垂れるザーツバルム卿がそう言うと、彼に倣い膝を着いたサー・トロイヤードことスレインも感想を続いて話す。
「このトロイヤード、本物のアセイラム皇女殿下の詔勅かと見間違うほどでした、レムリナさま。」
レムリナと呼ばれたアセイラム皇女を覆う光が消えるとそこにいたのは、どことなくであるがアセイラム皇女に似た顔立ち、ストロベリーブロンドの髪をショートボブにした少女であった。歳はアセイラム皇女と同い年くらいであろう彼女はレムリナ、アセイラム皇女とは腹違いの姉妹である。
かつて先代皇帝ギルゼリアがアルドノア起動権を持たぬことが発覚した際、急きょ帝国中から起動権を持つ者を探した結果、一人だけ見つかった女との間に生まれたのがレムリナ姫である。いわゆる妾腹であるレムリナ姫の存在は公には伏せられ、旧月面基地にて軟禁状態で生活していた彼女の存在をザーツバルム卿は月面基地の同志より聞きつけ、保護したのだ。ザーツバルム卿も『2号さん』の話を聞いてはいたが、月で軟禁されているとまでは知らず、母子の元に向かった時、レムリナ姫はとても姫と呼べるような生活はしていなかった。当時五歳であった彼女の世界は母親と暮らす部屋の中だけ、友人と呼べるものは母親の手製と思われるぬいぐるみ、当時のザーツバルム卿は知らなかったが『クマ』と呼ばれる動物をかたどった物だけ、食事は最低限の死なない程度、服はボロボロの着たきりすずめ、文字の読み書きもできない状態であった。何よりザーツバルム卿がやるせなくなったのは、レムリナ姫の母親が彼に向かって最初に言った言葉だった。
「ジャン・・・来てくれたのね。」
ザーツバルム卿にはまったく聞き覚えのない名前、当然ギルゼリアのものでもなければザーツバルム卿の名前でもない。そこで思い至ったのは彼女が後宮に入れられた経緯であった。
彼女は後宮に入れられる前は両親と暮らす平民の娘で、恋人もいて慎ましながらも幸せに暮らしていた。そこにヴァース帝国皇室が土足で踏み込んだのだ。最初はあれやこれやと対価をちらつかせて引き込もうとしていたが当時はまだ一般的な地球の価値観が強く、いわゆる身売りのようなことを両親は嫌い、本人も恋人がいると断ったが、業を煮やした皇帝側は両親を反逆罪で拘束、恋人は暗殺し、彼女を後宮に押し込めた。自分の身に何が起こったのかもわからないまま皇帝の相手をさせられ、彼女の心は壊れてしまっていたのだ。自分が産んだ娘を恋人の子と思い込み、いつか迎えに来てくれると信じて幽閉されているうちに身体も病に蝕まれたのである。ザーツバルム卿はあえてジャンのふりをしてレムリナ姫の母と話し、自らの死期をすでに悟っていた彼女はレムリナ姫をザーツバルム卿に託して永久の眠りについたのである。
その後、ザーツバルム卿は幼かったレムリナ姫を自分の揚陸城に連れていったのだが、その時にある事実を知ることとなった。レムリナ姫は生まれた時からずっと低重力下で生活していたため身体が地球と同じ重力、1Gに耐えられなかったのである。そんなレムリナ姫をザーツバルム卿は顔を会わせる必要がある者には自分の娘ということにして作法、教育を施し、低重力から次第に慣らすようにして1G下であっても車椅子であれば生活できるまでになったのだ。
レムリナ姫の自室までエデルリッゾが車椅子を押し、それに従者のようにザーツバルム卿、スレインが付いて入ると、レムリナ姫は三人に向き直る。
「今日はもう休みます、三人とも、お下がりなさい。」
「ありがとうございます、レムリナさま。」
エデルリッゾはまずザーツバルム卿、スレインの後ろまで下がってそう言うと礼をし、退室する。彼女にはまだ別の仕事があるのだ。
「ええ、ではレムリナさま、お休みなさいませ。」
次に退室するのはスレイン、本来であればザーツバルム卿に続いて下がるのが正しいが、スレインはいつもこのようにしている。ザーツバルム卿とレムリナ姫にそうするよう言われているからだ。そして最後に残ったザーツバルム卿であるが、『ザーツバルム卿』としての仕事が終わった代わりにもう一つの顔になるのだ。
「本日もお疲れ様ですわ、『義父上』。」
レムリナ姫がそう言うとザーツバルム卿は立ち上がり、彼女に答える。
「ああ、レムリナも疲れただろう。どれ、茶を淹れようではないか。」
本来ならばメイドを呼んでさせるような仕事をザーツバルム卿はてきぱきと進めていく。短いティータイム、時間がある時は食事の間だけ、二人は出会った時のように『父子』に戻るのだ。
ザーツバルム卿はレムリナ姫をアセイラム皇女の代わりにするつもりなどなかったのだ。最初は憐憫、死んだとはいえかつての主ギルゼリアの尻拭いといった義務感で面倒を見ることにしたのだが、たどたどしく『ちちうえ』と呼ぶレムリナ姫を見ているうちに、婚約者に宿っていた、生まれてくるはずであった自分の子を重ねるようになり、いつしか本物の娘のように想うようになったのだ。ザーツバルム卿自身も、スレインやレムリナほどの年代の子供を死んだ自身の子と重ねるのは悪癖だと考えているが、性分となってしまって治ることはないと考えている。アセイラム皇女を助命することにしたのも、似たようなところからだ。
紅茶を呑みながらレムリナ姫はザーツバルム卿に読んだ本のことを話す。表向きは存在しないことになっているレムリナ姫にとって、世界とはザーツバルム卿の揚陸城、基地のプライベートゾーン、そして本で見る世界だけなのだ。ザーツバルム卿は話を聞きながらふと、レムリナ姫の私物を見る。
「それにしても器用なものだ。あれ、全て手作りであろう。」
ザーツバルム卿が見たのはたくさんのぬいぐるみ、レムリナ姫が本で見た動物を元に様々なものを作っているのだ。象、羊、犬、猫、ウサギ、豚等々。その中に一つだけ古い物が混ざっている。それはクマ、レムリナ姫の母の形見だ。
「母上の真似をしているうちにこのようになってしまいましたの。ですがやはり、母上には及びませんわ。」
「確かに、10と余年も形をとどめられる物はまだ作れぬだろうな。」
レムリナ姫が並べているぬいぐるみの中に一つだけ古い物が混ざっている。それはクマ、レムリナ姫の母の形見だ。汚れたり所々ほつれたりしているがいまだにレムリナ姫が夜を共にする現役である。
そのような父子の時間を過ごしている間、エデルリッゾは基地でエデルリッゾを含めて使用人は三人しか入ることのできない部屋にいた。彼女の別の仕事のためだ。エデルリッゾは基地の中に土を敷き、花畑を再現した部屋で、ある少女に追いかけられている。
「エデルリッゾおねえちゃん!まって~!」
「は~い、姫さま、こちらですよ~!」
エデルリッゾはその少女と追いかけっこをしていたのだ。相手は少女というよりはもう大人側に入っているであろう、金髪翠眼の美女、白いドレスに身を包み、先ほどレムリナ姫がその姿を借りていたアセイラム皇女である。エデルリッゾとアセイラム皇女では歩幅がまったく違うため、エデルリッゾはすぐに捕まってしまう。
「は~い、おねえちゃんがオニ!10かぞえてね!」
そう言ってアセイラム皇女は走り出すが、つまずいて転んでしまう。
「ひ、姫さま!?お怪我はございませんか!?」
「ウグッ・・・グスッ・・・」
アセイラム皇女は膝を少し擦りむいただけで泣いており、そんな様子を隣にある監視室でカメラを通して見ていたスレインはとっさに救急箱を持って花畑の部屋に飛び込んだ。
「姫さま!!」
「ヒッ!?や、やだやだ!こわいおにいちゃん!!こないでよぉ!!!」
アセイラム皇女は幼児のように大泣きしながらエデルリッゾの後ろに隠れる。この時、アセイラム皇女はエデルリッゾの肩をつかんでいたのだがエデルリッゾの耳に彼女の骨が軋む音が聞こえそうなほどの激痛が走る。アセイラム皇女は大人の力を子供のように加減せず振るうせいで、悪気が無くてもこのようなことが起こるのだ。
「・・・ッ、グッ!!サー・トロイヤード、救急箱はそこに置いて、ください。あとのことはエデルリッゾにお任せを・・・」
痛みに耐えながらエデルリッゾがそう言うのを聞き、スレインは頭を下げて謝罪し、救急箱を置いて退室した。
『おねえちゃん、こわいおにいちゃんのこと、おっぱらってくれた?』
『ええ、姫さま、もう大丈夫ですよ。さ、お御足をここへ。』
監視室に戻って、モニターで二人の様子を見たスレインは八つ当りで壁を殴り付ける。アセイラム皇女は地球連合本部での戦いの後、危篤状態から回復した時、自分を五歳の子供と思い込んでいたのだ。いわゆる幼児退行という症状だ。強いショックなどから自分の心を守るための防衛反応と言われているそれの原因を作ったのはスレインで間違いがない。アセイラム皇女が五歳の頃というとまだスレインとは出会っていない。となると、目を覚ましてスレインを見たら普通『だれ?』と尋ねるだろう。しかしアセイラム皇女はスレインを見て怯え、近くの物を投げつけたり、他の人の後ろに隠れたりしながら彼のことを『こわいおにいちゃん』と言ったのだ。彼女が言うにはスレインは、恐ろしい形相で人の頭を銃で撃ったというのだ。そしてその心当たりがスレインにもあった、地球連合本部で伊奈帆を撃ったことである。それが原因と見て間違いないのだ。
「(おいたわしや・・・しかし、たとえどのように想われてもこのスレイン、姫さまのため、戦無き世界を作ってみせましょう。)」
スレインはこのようになってしまったアセイラム皇女を見ると必ず、ザーツバルム卿が語った『戦無き世界』の話を思い出す。
スレインはザーツバルム卿から一羽の北京家鴨を例に使って戦争を無くす方法を聞いた。その方法は非常に単純な答えであったのだ。
「これを巡って争うのであれば、争わない方法は簡単なのだ。」
テーブルを回しあった後、ザーツバルム卿は呼鈴を鳴らし、使用人を呼んだ。
「このアヒルとやら、もう一羽用意せよ。」
「は、しばしお待ちを。」
それを見たスレインは驚きのあまり言葉が出なかった。
「戦とは何ぞや?その本質に立ち返れば問題を解決するのは容易いことなのだ。」
「戦の本質?」
「人は生きるためにあらゆる資源を必要とする。しかし資源は常に有限であった。充足せぬため人はそれらを奪い合う。ならば必要とする時、必要な物が常に存在するならば人は争わずに済むことであろう。」
星間戦争よりはるか昔、二度の世界大戦よりも前に成立した思想がある。全ての財を政府の元で管理し、財すなわち資源を作るのも国家事業で必要なものを十分に産出し、それを公平に分配する。全世界がこの制度の元で運営されれば全人民は飢餓、不平等、抑圧、自然死を除く死の恐怖等、あらゆる苦しみから解放されるというものだ。この思想の旗振りをしていたのはヴァース帝国皇帝レイレガリア・レイ・ヴァースの出身国で、今となっては存在しない国である。崩壊した原因は多々あるが、やはり一番大きかったのは前述の国家運営思想並びに手法によるであろう。全人類が充足する資源の産出一つ取っても一体どのようにするのか?分割または共有ができないものはどうするのか?それこそ、無限の資源を産出する魔法の壷でもなければ不可能だ。だが、ザーツバルム卿が言うにはかつて存在しなかったものが今はある、アルドノア・ドライブ。これが『魔法の壷』になり、ザーツバルム卿が考える新たなヴァース帝国、一部同志には『ヴァース千年帝国』と呼ばれる人類統一国家構想となったのだ。
これがかつての会食でスレインとザーツバルム卿が話し合った内容であり、スレインは後にアセイラム皇女、そして皇帝の命を保証することを条件としてザーツバルム卿の同志となった。もっとも皇帝はスレインがかつて会った時に、いつ死んだとしてもおかしくないほど衰弱していたため、条件としては『天寿を全うさせること』と言った方が近い。そして幼児退行してしまったアセイラム皇女だが、ザーツバルム卿を『おじうえ』と呼び、少なくともスレインよりはなつかれている。このような状態でも手を出す気配すらなく、それどころか保護するようなことをしている。約束を反故にするつもりは無いようである。
スレインは現在、ザーツバルム卿付きの副官のような立場にあり、ザーツバルム卿の立てる戦略を取りまとめる仕事をあてがわれている。結果として彼は膨大な情報に触れることができるのだ。目を引くのはヴァース帝国が開戦当初の勢いを失っており、ヴァース帝国から見れば新領土を喪失、地球から見れば失地回復という状態になってきている。これについてザーツバルム卿はある程度想定していた。ヴァース帝国は地球に比べて人的資源が少なく、占領地が増えればそれが足枷となってしまう。戦争が長期化すればその悪影響はさらに大きくなり、結果として地球連合軍に組織的な戦闘を許してしまい、人的資源に劣るヴァース帝国側が敗退することが多くなっているのだ。こうならないためにザーツバルム卿は開戦一月あまりで連合軍本部へ強襲をかけたのだがそれは失敗に終わり、戦争は泥沼化してしまっている。これを解決するには一大会戦によって地球連合軍に大打撃を与えるしかないとザーツバルム卿は考えているのだ。そこでザーツバルム卿の元に軌道騎士団全てが結集するよう呼びかけているのだが、もともと封建制で47個の別個の軍であるせいで強制力のある『命令』でなく『依頼』とならざるを得ないため、戦力の結集が遅々として進まない。その中で静観を決めているかのように返信の無い騎士がいた。とある砂漠地帯に降下し、占領地を拡げる様子も無く、もともと地球連合と疎遠な町や村落と交易ならびにその中継をし、盗賊から彼等を守りながら経済を発展させ、医療をはじめとするいわゆる福祉を投下するという、本当に支配下にするつもりならば何と気の長い統治をしようとしているのかという騎士だ。彼の名は、マズゥールカという。
アセイラム皇女とレムリナ姫まわりの話、だいぶ改変しました。スレインには植物状態よりきつい状況かと思いますが。
レムリナ姫もアニメの描写では『戦争中、近くの人に手出したら一発必中しました』くらいでしたが、それより一歩踏み込んでみましょうと。
レムリナ姫
自分のオリジナル設定の被害者。足が悪い設定は月基地に母子共々軟禁されていたため、1Gで生活できないほどだったのを、ザーツバルム卿のおかげでどうにか車椅子生活はできるくらいになったとしてます。多分、幼少期は1Gだと内臓が潰れかねない状態だったと思われます。
戦争のない世界
原作通りだとナチュラルにツッコミ入ってましたので少々手を入れさせていただきました。なお、自分は仮に『無限に財が湧き出る魔法のツボ』があったとしてもこの方法で無くせるとは思えません。