ザ・ナンパ大作戦!   作:落窪よしお

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後篇

 昭和四十四年、高校は燃えていた。振り返れば最後の盛上がりを見せていた当時の学生運動が、大学生程には親からも学校からも自由でなかった高校生にまで波及したのである。地域でも進学校と目された学校の、全国的に名の知られた学校の高校生が、束縛からの疎外からの解放を求めて闘った。バリケード封鎖だってしたし火炎瓶が投げられたこともあった。当時の高校生にとって教師は敵だった。往時、教員は大卒者というだけで一目置かれた時代に教員免許を取得した者達である。その教員を高校生は支配機構の手先として敵視し軽蔑した。本来は反抗がありながらも信頼で結ばれるべき教師と生徒とは不信と憎悪とによって引き裂かれた。高校生は親も教師も大人全体が大嫌いで、大人からしたら子供が手の付け様も無い程に兇暴野蛮となってしまった。今では想像することも難しい、辛い時代であった。

「私は三年の先輩に誘われてデモに参加したんです。それが始まりで、私はどんどん闘争に参加する様になりました。デモに参加したり教師を(なじ)ったりするだけの、騒ぎたがり屋とは一緒にしないで下さいよ。今日沢山お話した様に、私はちゃんと勉強して闘争に臨んだんですから。マルクスもレーニンも読みましたよ。皆で集まって勉強会もして…それでよく分かりました。教育システムによって私達の人間性は抑圧され疎外されて社会に送り出されるんだって――まるでオートメーション工場から出荷される個性の欠片もない大量生産品の様に。私達は政府の、産業の道具じゃありません。そんな扱いを受けるなんて一人の人間として我慢ならない。だから私は人間疎外と闘ったんです」

 熱狂に包まれながら高校生は闘った。自分達ならば何かを変えられる気がした。だってそうだろう、これまでだって大学生や労働者が幾度も大きな運動をやっている、きっと自分達にだって出来る。それに自分達が先導すれば地域の他の高校生達も立ち上がってくれるに違いない、その為には今、我々が行動しなくてはならない――

「私達は陶酔していたのかも知れません。大地を駆けることも空を飛ぶことも、望めば何だって出来たんです」

 その純粋さ――(うぶ)――故に福田佳奈江は運動にかける熱意を中学時代の友人に話すこともあった。佳奈江は地元の公立中の出身であって、その生徒らの進路は多様であった。だから彼女は諸々相手の事情を勘案すべきだったかも知れない、しかしそれを思いもつかないのは体は成長してもまだ抜け切らない幼さ故であった。

「私、商業高校に進学した中学の頃の友達に言ったんです。どうしてあなた達は闘わないんだって」

 その一言に進学校の生徒とそうでない高校の生徒との隔絶があった。進学校でない学校の生徒にとって「闘争」なんてものをしない理由は至極単純、それが空虚だからである。今、教師に反抗している進学校の生徒は外人の作った立派なお題目を掲げてはいるが、そんなものを振り回して教師や学校が変わるというのか。それも彼らは(むし)ろこれから体制側の人間となって自分達を支配する側に回るというに、デモだの団交だのやっている連中はまるでそんなことは口にしない、自己批判していないのだ。そんな無頓着な人間の言っていることに賛同出来る道理などない、第一、我々が何か主張して大人がまともに聞いてくれると思っているのか、勉強が出来るアンタらとは訳が違うんだ。

「あんたはブルジョアジーで、ブルジョアは労働者を搾取する。だからあんたもそのうち私らを搾取する人間になる。そのあんたが私らにそんなことを説くのは漫画だって言われました。私、何も言い返せなくて――」

 福田家の男は医者か弁護士か学者になるのが昭和この方の習わしであった。佳奈江の父は開業医である。佳奈江は幼い頃から不自由もストレスもない環境で育った。紛れもないブルジョア、富裕、金持ち。九つにして佳奈江の自室には冷暖房が完備されていた。

 旧友の言葉は深く佳奈江の心に根を下ろした。一度思考が始まると止めることは出来ない。この世の人間疎外は現在の支配体制が維持しているものと理解しながら、(まさ)にその支配体制の申し子である自分自身。佳奈江は思想と出自との矛盾に苦悩した、その身が引き裂かれる程に。そして憔悴し切った(つい)に佳奈江は体制存続に与するよりもそれに打撃を加える道を選んだ。

「最後に校舎の屋上から見た夕焼けはとっても綺麗だったと、今も覚えています。闘争に負けた後の景色が綺麗だったなんておかしいですけど…神経の落ち着かない日々でしたから」そう告白した佳奈江の顔に涙はなかった。約半世紀前に心の泉は枯れ果てて今もそのままである。

「そして、決意して身を投げたつもりがこの世に未練たらたらで、毎年お盆の季節になるとこうして化けて出ている訳です。驚きました?」

「……ああ、腰を抜かしそうだ」伊藤がやっとの思いで呟いた。

「なあ佳奈江ちゃん、今は――どうなんだい」古傷が古傷でない可能性もあるから川瀬は言葉をぼかした。ただその意味するところははっきりとしている。

「正直、どうでもよくなっちゃいました」その調子はあっけらかんとしていた。「私はこの街の変化を五十年間見てきました。幸いにこの街は大きな災害を経験することなく発展一筋で…そしてそれはこの国全体に言えることです。色々なことがありましたけど、この国は最早高校生が闘争なんて身に余る思想に溺れる必要のない満ち足りた国になりました。私に言わせればそれって幸福なことです。そして実際に街を行く高校生達が高校生らしい勉強や楽しみに興じているのを見て、もう心を(とげ)つかせて色々考える意味なんかないんだって思いました」

「…………そうか」

 伊藤は佳奈江の無念を思った。彼女が青春――そして人生――を賭したものは、現代のこの国で分かりやすい形では残っていない。佳奈江自身も急速に「運動の季節」が終わりゆくのを目撃したはずである。一体自分は何の為に闘ったのかという落胆の果に佳奈江は今の境地にいるのだ。明鏡止水。最早佳奈江の心は何にも揺さぶられはしないのではないか。この少女の姿にそれだけの悲哀が詰まっているとは――伊藤はただ唇を噛んだ。

 伊藤が俯き黙っていると川瀬が会話を繋いだ。「佳奈江ちゃん、君はこれからどうしたい。俺達に出来ることならなんでも――」

「どうしましょうかね」佳奈江は力なく笑う。「今年もお盆が近づいています。私、お盆になるとまたこの体が消えちゃうんです。だから…今年も何もないまま、出来ないままきっと消えていくでしょう」街は夕焼けの尾を引きながら夜を迎えようとしていた。

「あと何度これを繰り返せばいいやら……」

「まだ終わっちゃいない」伊藤は不意に佳奈江の手を引いて立ち上がった。「君の夏はまだ終わってない、盆までにはまだ日があるだろう。俺達と遊ぼう、佳奈江ちゃん。今の高校生みたいにカラオケ行ったりゲーセンに行ったりしよう。もう、お堅い校則を気にする必要はないんだから」その声は大きくはっきりとしていたが微かに震えていた。

「そうだぜ、佳奈江ちゃん!浮世の楽しみを味わおう」川瀬も佳奈江の肩を叩いた。

「でも……」迷惑ではないかと思い、ちらりと二人の顔を見て佳奈江は「はい」と返事をした。断る方が二人に悪いと思ったのだった。

「よしっ、じゃあ明日から盆まで毎日君が好きだった喫茶店前で待ち合わせよう。川瀬と車で迎えに行くから行きたいところがあったら言ってくれ」

「ありがとうございます」佳奈江はさっと頭を下げた。「川瀬さんが私に声をかけて下さった時、何かの間違いかと思ったんです。生きている人に私の体は見えない様で、これまでもずっと、夏の限られた間は物を手に取ることこそ出来すれ人と会話することは出来なかったんです。なのであの時も何が起こったのか混乱してしまいました…ですが、どうい因果かお二人とは触れられもするし喋られる。お二人だけでなくこの奇跡にも感謝しないといけませんね」

「うん?普通の人とは会話することが出来ない?」二人は声を合わせて問う。

「はい」

 川瀬と伊藤は最大限に目を大きくして顔を見合わせた。思わず顎まで外れそうになったが流石に間抜けと感じて慌てて手で抑える。それまでは気にならなかったはずなのに背中に嫌な汗が流れるのを感じた。伊藤は先程とは別の理由で声を震わせた。「そ、そうかあ、俺達昔から霊感強いってよく言われてさ、なあ川瀬!」

 ウインクを受けて川瀬も同意した。「そうなんだよ、佳奈江ちゃん。いやーしかし、霊感なんてものが役に立つとはなあ、これのお陰で佳奈江ちゃんと出会えたんだから!なあ伊藤!」

「ああ全くだ!」ガハハ――と二人は極自然に笑った。それが佳奈江にとっても自然に見えたかどうかは不明である。

「まあそういう訳で、明日九時、喫茶店前!」伊藤は力強く言う。

「ええ」

 一人の若者が老人になる程の間止まっていた夏は数日を残して動き始めた。

 

 

 一日目、カラオケに行く。佳奈江が歌ったのは唱歌や抒情歌など古いものばかりだったが中々に上手くて川瀬と伊藤は驚く。流石お嬢様と評すべし。喉が潰れるまで歌った。

 二日目、佳奈江の服を買いに行く。正直、川瀬と伊藤は男二人で女ものの服を買う(様に他人には見える)なんて通報されるのではないかと恐々としていた。佳奈江は流行の服では派手すぎると言い、白のシャツに紺のスカートという極簡素な組み合わせを選ぶ。二人は薄い財布の気を遣わせたのではないかと心配になったが、新しい服を纏った佳奈江は上機嫌そのもので安心する。その後には駅前の大きめのゲーセンに行き散財する。佳奈江はゲーセンの音と光の騒ぎを「視覚のコーラ」と表現した。

 三日目、一時間半車を走らせ海まで行く。佳奈江は生前、夏は決まって家族で沿岸各所に旅行したと言う。何でも父親が海水浴好きだったとか。三人で草臥(くたび)れるまで泳いだ。

 四日目、オープンキャンパスと(うそぶ)いて佳奈江が嘗て憧れていた大学へ行く。二人は佳奈江の寂しそうな目元を見てそっと大学から古本街へと連れ出した。

 五日目、映画館へ行く。四本も見たが何れにしろ迫力が昭和の頃とは段違いだと佳奈江は驚いていた。しかし長時間の視聴に流石に疲れた様で佳奈江は隣に座っていた川瀬に(もた)れ掛かった。佳奈江の体温と柔らかさに意識を集中してしまい、映画の一部を見そびれたと川瀬は言えなかった。

 

 

 そして六日目、墓参りである。その寺は伊藤の借家から車で三十分という近距離にあった。閑静な住宅街の外れにあるその寺は境内に石碑を点在させていた。読むと、刻まれた元号の少なくないものが佳奈江でも分からなかった。大きくはなくとも鮮やかな朱で仏堂は威容を誇っていた。

「お堂もお地蔵様も昔と何一つ変わってません。変わったのは周囲の風景だけです」佳奈江は感慨深げだった。

「もしかして今まで一度も…?」伊藤が聞いた。

「ええ、何だか寄っちゃいけない気がして」

 大小も手入れの良し悪しも多様な墓があった。「この五十年間で福田家が没落していなければここら辺にあるはず――」はたと佳奈江の足が止まった。川瀬と伊藤も立ち止まる。あるいはそれ程驚くことではないのかも知れないが、しかし約五十年という時間は決して短くもなければ人の運命を滅茶苦茶に出来ない長さでもない。故に三人の目の前にある黒々と(そび)える石塔は、佳奈江が彷徨(さまよ)う間にも確かに家族の歴史が紡がれていた証明なのであった。

 墓には真新しい菊が活けられていた。香炉には僅かの灰があるのみである。佳奈江は呆然として口を利けなかった。

 伊藤は墓誌を見た。長く連なる名前の最後の方に佳奈江の名があった。しかし最後尾ではない。佳奈江の後ろには二人の名が刻まれていた。享年を見れば一般的に満足すべき歳まで生きたと言えるだろう。

 佳奈江も全身を固くして墓誌を覗く。「私、二人兄がいるんです」

 伊藤は年月の重みを感じようとして墓誌に刻まれた文字を指で擦った。「ここにはいない様だね」

「伊藤、お線香をあげよう」川瀬は用意していた線香に火を点け、一族の墓、そして傍らに併置されていた水子地蔵に捧げた。川瀬と伊藤は黙して手を合わせる。

 これだけ長く祈ったことはないという程に合掌してから目を開けると、二人の前に佳奈江が立っていた。「最後にお願いがあるんです。ぜひ聞いて頂きたくって」本音を言うと、二人はその言葉を聞きたくなかった。

「私ってば生娘(きむすめ)でして」頬を紅潮させていた。「消えてしまう前に男の人からの愛を受けてみたいのです」そう言って佳奈江は伏せていた目をしっかりと二人に向けた。

 暫し甘い科白を反芻していたかったが、こうした場面で時を置いての返答は男が廃る。川瀬が歩み出た。

「お顔が怖いですよ、川瀬さん」佳奈江の冗談に川瀬は笑わなかった。笑えるものか、黄泉へ去る(きわ)の戯れなど。

 川瀬は意を決して佳奈江を見つめると、平生(へいぜい)の調子で明るく言った。「佳奈江ちゃん、俺が君に声を掛けたのは君がべらぼうに可愛かったからさ」

「本当かしら?」

「勿論だとも。君はまるで二つめの太陽の様だ。眩しくて、暖かい」

「本心かしら?」

「ああ当然さ!許されるならその愛しさの奥に何があるのか、もっとよく知りたいよ」

「言葉だけでは足りなくってよ」

 川瀬は笑顔がいつの間にか緊張していた佳奈江に近付き、(ひざまず)いた。そして体の前で重ねられていた右手をそっと取り、その透けるような甲にそっと口づけした。

「君は俺がこれまで見てきた何よりも美しい」

 佳奈江は赤らんだ顔でにっこりと笑い、頬に手を添えて言った。

「まあ嬉しい」

 その笑顔は立ち昇る線香の白煙と共に空に溶けてやがて見えなくなった。

 

 

 夕暮れの景色は寂しさよりも活気を呈していた。何処かで夏祭りがあるだろう、共々親しい者と連れ添って歩いていた。それを見て伊藤は佳奈江の浴衣姿を見そびれたと舌打ちをする。車のラジオはあと数日は酷暑の予想さることを伝えていた。

「また会えるだろうか」伊藤の呟きはその中に既に答えを含んでいた。

「当分先だがきっと会えるだろう」そして川瀬は深く息を吐いた。

「それにしても、佳奈江ちゃんが他の人間には見えていなかったとは……」伊藤は苦々しげに言った。

「ああ、地球人の目では境次元線を捉えられないのだろう」

「迂闊だった――減給の上に辺境惑星開拓なんてまっぴらだからな」

「俺も肝が潰れるかと思ったよ。地球では上も人間と境次元体を区別してくれりゃいいのに」

「そうだよなあ、地球人には見えないんだし」

「ところで伊藤、俺達は一週間業務を停止していた訳だが」

「問題ない。不眠で丸三日やれば遅れなどすぐ取り戻せる」

「学生の頃だってそんな無茶はしたことがない」

「大丈夫!それを可能にする薬があるのだ」

「禁制品?」

「地球人にとっては」

「上等!」川瀬はパチンと指を鳴した。

 最早二人には一マイクロ秒だって惜しい。伊藤がシフトレバーを押し下すと前方には驚異への道が開かれ、周囲の車輌が一つとして知覚出来ぬ()で二人を乗せた自動車は吸い込まれていった。




【参考文献】
小林哲夫,2012,『高校紛争 1969-1970――「闘争」の歴史と証言』中央公論社.
Wikipedia「日本の学生運動」(2016年12月28日13時00分時点閲覧).
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