甘い珈琲を君と   作:小林ぽんず

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おきにいり600行きました。ありがとうございます!


第六話-another- 想いと言葉

 話し終えて、一色さんの反応を待つ。

 

 土曜日、一色さんに嘘をつく形になってしまったこと。

 

 オーナーさんとの出会いや、関係性のこと。

 

 あいもかわらず一色さんは不機嫌で、オーナーさんの話になると頬を膨らませて。なんでこんな事が気になるのか分からないけど、ヤキモチだと嬉しいな。と思ってしまうのは仕方ない事だと思う。だって、見るからに不機嫌そうに頬を膨らませた一色さんは可愛くて仕方がないから。そんな事言うと余計に怒らせるから言わないけど。

 

 それにしても、だ。

 

 僕の話を聞いた後、何かを思案する様な一色さんの顔を見ているとやっぱり僕の記憶と何か関係があるのだろうか、と思ってしまう。

 

 そしてそれはきっと、土曜日。一色さん達と別れた後のオーナーさんの言葉があったからだ。

 

 その言葉は今まで考えもしなかった可能性をもたらすもので、でもそれが本当なら一色さんの反応や一色さんへのオーナーさんの対応にも納得が出来て。

 

 そして、小町ちゃんの考えが分からなくなる。

 

 そんな謎と厄介事しか生まない言葉はオーナーさんらしさ極まりない言葉で、そしてだからこそ今でもはっきりと耳の奥で反芻される。

 

『八幡くん。それがすぐなのかもっと後になるのかは分からないけれど、きっと君は今の君じゃいられなくなる。きっかけは彼女。それが正しいのか間違っているのか、それは私にも分からないけれど』

 

 妙に深刻な顔で、そっと紡がれた言葉は、

 

『もし彼女が望んで、君が受け入れて、そうして今が変わり始める。でもね、もしそうなっても、私は何もしてあげられない。小町ちゃんとの約束があるから』

 

 今の僕にはその真意を理解する事が出来なくて、

 

『本当は一番君の力になるのは私でいたいんだけどね』

 

 少し渇いた笑いと。

 

 何処か遠くを見る様な。

 

 過去を振り返る様な。

 

 そんな、僕に向けられた言葉。

 

 僕の為を想った、そんな優しい言葉。優しい語り口と共に、僕の耳に溶けるように届く。

 

『それでも、私は君の味方だから。君の幸せを想ってるよ。これは、私の本心』

 

 そうしてそのまま僕の体はそっと彼女の両腕に包まれた。

 

『だからね、"比企谷くん"。君は君の気持ちを大事にして、君のしたい様にしたらいい』

 

 僕の頭を優しく撫でる彼女の手が心地よくて。

 

『未来の君が八幡くんなのか"比企谷くん"なのか、それは分からないけれど、私はどっちの君でも君の味方だし、きっと未来の君も君の選択を責めない』

 

 きっと、僕の顔は真っ赤に染まっていて。

 

『だから』

 

 そんな彼女の顔も真っ赤なのは、きっと夕陽のせいではなくて。

 

『今の気持ちを大切にしなさい』

 

 最後、耳元でそっと呟かれた言葉は、瞬間夕焼けの中に消える。

 

 両腕を僕から離し、恥ずかしそうに視線を斜め下に逸らしはにかむ彼女の姿は今まで見た事がなかった姿で。

 

 だからこそ、この言葉と行為には大きな意味と想いが込められていて。

 

 だから僕はそんな彼女の言葉に、今僕が込められる最大の感謝を込めて、

 

「ありがとうございます」

 

 そう、返したのだった。

 

 

 

「ねぇ、比企谷さん」

 

 不意に掛けられた言葉で我にかえり、

 

「記憶、取り戻しませんか?」

 

 続く言葉に絶句した。

 

 僕が言葉を返す間も無く、一色さんの話は続く。

 

「前から思ってはいたんです。でも、私は逃げてたんです。比企谷さんがそれを望んだ時にそのお手伝いができればいいって自分を納得させて、行動を起こす事を怖がっていたんです」

 

 でも、それって卑怯ですよね。

 

 そう言って笑う一色さんに、僕はやっぱり返事ができなくて。

 

「だから土曜日、決めたんです。なんで決めたかっていうと、半分くらい嫉妬なんですけど」

 

 そう言ってまた笑う一色さんは、今度は少し恥ずかしそうで。

 

 やっと僕も言葉を取り戻す。

 

「記憶を取り戻す。それって…?」

 

「ああ、単純なことですよ。比企谷さんが記憶を取り戻すお手伝いを、私がするんです。具体的にって言われると、まだあんまり決めてませんけど…昔の比企谷さんが行った場所に言ってみるとか、ですかね?」

 

 離し終えてから、一色さんはあっと声を洩らし、あわてて繋げる。

 

「あ!も、もちろん比企谷さんの同意を得た上での話です!嫌なら全然気にしないでください!これは私のワガママですから」

 

 私のワガママという単語が、やけに気になって、

 

「ワガママ、ですか?」

 

「はい、ワガママです。なんていうか、説明するのは難しいですけど…」

 

 そう言って考え込み始める一色さん。

 

 だんだんとその顔が赤くなるが、ばっと顔を上げ、意を決した様子で話し始める。

 

「一ヶ月前、私が初めてこの店に来た日の事、覚えてますか?はい、初対面の比企谷さんを前にして泣いちゃった日です」

 

 ああ、その日の事か。今でもはっきり覚えている。

 

「その日、比企谷さんにとってははじめましてでも、私にとってははじめましてじゃなかったんです」

 

 うん。そうだろう。それくらいでは今さら驚かない。

 

「ふふ。驚かないんですね?でも、次は驚くと思いますよ」

 

 悪戯っぽく笑った一色さんはそのまま、何でもないことのように言う。

 

「泣いちゃった理由は簡単です。突然記憶喪失になって私の前から消えた、私の想い人と二年ぶりに再会できたからです」

 

 え?

 

「え?………え?」

 

 ………え?

 

 予想どうりの反応だと言わんばかりに笑い出す一色さん。

 

 やがて落ち着くとまた話しだす。

 

「そうです。私は記憶喪失になる前の比企谷さんに恋をしていました。まぁ、叶いっこない片想いだったんですけどね」

 

 でも、と。

 

 少し語気を強めて言葉は続く。

 

「だからこそ再会した後は悩んで、悩んで、苦しくて」

 

「でも、それ以上にあったかくて、癒されたから」

 

 だから。

 

 少しの間をとって、一色さんは僕の目をじっと見つめたまま。

 

「結局私はせんぱいにも、比企谷さんにも、恋してるんです。今はもう会えないせんぱいに。毎日会える比企谷さんに。そのどちらにも恋をしていて、だからきっと苦しい。この気持ちを理解してしまったから。抜け駆けなんて、したくないから」

 

 一色さんの声は僕に掛けられたものなのだけれど、それは自分に言い聞かすような音で響く。

 

 その言葉の意味は、今はまだはっきり分からないけど、その表情から嘘じゃないことは分かる。

 

 だから、だから僕は。

 

 どうしたらいいのか、分からなくなる。

 

「え、あ、あの…い、いまのは…?」

 

 なんとか絞り出した声は一色さんに笑われる。ひどい。

 

「ふふ。きょどりすぎじゃないですか?そうです、告白です。でも、返事は今じゃなくていいです。比企谷さんは、少なくとも後二回、いや三回かな?まぁ、それくらいは違う人から告白されます。多分。なので、返事はその後でいいです」

 

「だから、これは宣戦布告です!」

 

 ーーー逃がしませんからねっ?

 

 そう言って笑う一色さんの笑顔は、声色は、音符が付くんじゃないかってくらいなんというか、きゃぴっとしていて。

 

 今までの優しい表情ではない、どこか強かさと狡猾さを感じさせる小悪魔めいた、ある意味で女性らしい素敵な笑顔だった。

 

  ☆ ☆ ☆

 

 どうしようか、迷っていた。

 

 もちろん、記憶の事で。

 

 迷っていることに、困惑していた。

 

 だってそれは、僕の認識が変わり、今の僕が揺らぎかけているという証明だったから。

 

 少し前、正確には一ヶ月前。一色さんと出会った。全てはそこから始まったのだろう。

 

 それまででは得る事のない過去の自分が一気に手の届く位置に現れて。

 

 手を伸ばせば一色さんはいつでも僕に記憶をくれる。

 

 そして今それは一色さんの想いと共に言葉となって、形となって僕の前に在る。

 

 それまでの僕は失った記憶というものを余り気にしないようにしていた。

 

 怖い。

 

 そう、思ったから。

 

 記憶が戻れば僕は今まで通りでは居られなくて、僕の今は失われて。僕はきっと僕ではない誰かになる。

 

 だから、そんな中途半端な僕だったから、一色さんといるのが辛かった。過去の僕を知る彼女は、きっと今の僕を見ていろんな事を思い、思い出し、考えている。その事実が怖くて、何よりも、今の僕を見てほしくて。

 

 それほどに、僕にとって彼女の存在は大きすぎるものになってしまった。

 

 抑えようとすればするほど、それは大きくなって、やがて抑えきれなくなる。

 

 恋なんて、恋愛なんて、必要ないと。そう思っていたのに。

 

 彼女に言葉を掛けられた夜、不意に彼女を抱きしめてしまった夜。

 

 自覚してしまった。もう戻れないと分かってしまった。そして、先に進みたいと思ってしまった。

 

 彼女とは対等で居たいと思ってしまった。

 

 彼女との過去を知りたいと願ってしまった。

 

 今日の一色さんの想いと、僕の思いと。

 

 そして何より、あのオーナーさんの想いが、言葉が。

 

 記憶を失ってからの僕を誰よりも知る彼女が、僕を肯定し、過去の僕を認めてくれた。

 

 したいようにしたらいいと言ってくれた。

 

 それはきっと僕の事なんてなんでも見通せる彼女だから掛けられた言葉で。

 

 僕の事を誰よりも考えてくれる彼女だから分かってくれた僕の葛藤で。

 

 誰よりも優しい彼女だから辿り着けた僕への優しさで。

 

 だから、だから僕は。

 

「一色さん、記憶、取り戻しましょうか」

 

 夕焼けの中いつも通りに小指を繋いで、一色さんにそう告げる。

 

 驚いたような顔を見せる一色さん。

 

「………はい!」

 

 でも、それも本当に一瞬。

 

 それからたっぷりの間の後にあったのは、夕焼けよりもあったかい、僕の想い人のとびきりの笑顔だった。

 

 

「あ、あと。一色さん。はい、これ」

 

「え、なんですかこれ?」

 

「金曜日言ってた、出会って一ヶ月のプレゼントです」

 

「いま?」

 

「はい」

 

「このタイミングで?」

 

「…はい」

 

「ムードは?雰囲気は?」

 

「……ない、ですね。すみません」

 

「ふふ。いいですよ。その方が"せんぱい"らしいです」

 

「せんぱい、ですか?」

 

「あー、はい。私が比企谷さんと居たのは高校生の時なんですよ。その時、せんぱいって呼んでたんで、そーいう小さいところから変えてみようかなー。なんて?」

 

「あ、そうなんですね。分かりました」

 

「だからせんぱいも、私の事、名前でいろはって呼んでくださいね?」

 

「高校生の時の僕はそう呼んでたんですか?」

 

「はい!」

 

「…ほんとですか?」

 

「っ…。いいから!いろはって呼んでください!」

 

「えぇ…じゃあ…いろはさんで、いいですか?」

 

「んん…まぁ、今はそれでいいです。

 

 でも」

 

「でも?」

 

「後からいろはって呼びたくなっても、知りませんからねっ?」

 

「………それは、困りますね」

 

「ふふ、後から後悔しても知りませーん。さて、そろそろ行きますね!さよーなら、せんぱいっ!」

 

「はい、じゃあまた明日。いろは」

 

「はい、また明日ですーって…ええ!もっかい!もっかい!ふいうちはノーカンですよせんぱいっ!もっかいお願いしますー!」

 

「はいはい、また明日、いろはさん」

 

「ちがーーーーーーーう!」





ツイッターやってます。@ponzuHgirです。
基本どうでもいい事をたまに呟くくらいですが、作品の事とか更新についても呟いてます。気が向いたら覗いてやってください。
そろそろ新作の事も考え出す頃なので、それに付き合ってくれる人もフォローしてください。まぁ、気が向いたらでいいですけどね!
では、また次話もよろしくお願いします

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