よろしくお願いします。
昨日、久しぶりに夢を見た。
紅茶の香りがする部屋で、三人の先輩と過ごす放課後の夢。
特に何もない。紅茶を飲んでおしゃべりをするだけの放課後。
雪ノ下先輩がせんぱいに絡んで、せんぱいは嬉しいくせにめんどくさそうに答える。
そんな様子を結衣先輩はニコニコしながら眺めていて、自分も楽しそうに参加する。
そして私はそんな三人に癒されつつせんぱいをからかったりする。
そんな放課後が私は大好きだった。
多分私の人生の中で私が一番輝いていた時期。
生徒会長をやって、好きな人がいて、自分の大好きな場所があって。
そんな懐かしく、今の私とはまるで違う、暖かで優しい夢を見ていたからだろうか、目覚めると一筋の涙が頬を伝っていた。
今日はどうしよう…
あの喫茶店に、せんぱいに会いにいくかどうか。私はそんな事を迷いながら一人朝食の用意をするのだった。
☆ ☆ ☆
昨日までもほとんど聞いていなかった大学の講義は昨日までよりもずっと早い速度で過ぎていった。
気が付けば今日の講義も終わり、昨日と同じ時間。
まだ心の準備出来てないのになぁ…
昨日と同じ様に彼氏と歩いていく友人を見送り、とりあえず歩きだす。
私と美沙は雪ノ下先輩と結衣先輩のようになれるだろうか。
そんな事を考えたのは昨日夢を見たからで、せんぱいに会ったから。
やっぱりせんぱいと再会した事、あの二人に報告したほうがいいのかなぁ…
そんな事をぐるぐるととりとめもなく考えながら歩いているとまた珈琲の香りで気がついた。
どうやら無意識に昨日と同じ道を歩いていたらしい。
ガラス越しにせんぱい…マスターさんと目が合った。
マスターさんはニコッと微笑みかけてくる。
ドキッと心臓が跳ねる。
あぁ…やっぱりせんぱいだ……
高校時代は中々見る事のできなかったせんぱいが自然に笑った綺麗な笑顔。それを見ることができた。
…まぁ同じせんぱいでも別人なんだけど。
目の腐った猫背のせんぱいの姿を思い出し、今ガラス越しに居るせんぱいとのギャップに思わずふふっと笑みがこぼれた。
どうやら一日経ったことで私の中でも少し余裕が生まれたらしい。
私は店に入るかどうか少し逡巡した後、やっぱり少しでもせんぱいと一緒にいたくて、店に足を踏み入れる事にした。
相変わらずなんだか気まずいし緊張するけれど、少し楽しみな気持ちも持ちつつ店内に入る。
今日は店内に誰もいなかった。
勇気を出してカウンターに座ってみる事にした。昨日女子高生達がいた席だ。
心臓がトクトクと音を立てはじめ、だんだんとその動きが早くなる。
これは恋心なのだろうか、それとも緊張しているだけなのだろうか。
この人は確かに私が恋した人と同じ人だけれど、私が恋したせんぱいではない。
そんな事を思って悲しくなって、そしてそんな事を思ってしまった自分を少し恨めしく感じた。
カウンターに座り、荷物を片付けていると私の前にそっとブラックコーヒーと昨日より少し多めのミルク、そして一本のスティックシュガーが出された。
え?そんな表情を向けるとマスターさんは笑顔で言う。
「昨日はブラックコーヒーにミルク全部とスティックシュガーを一本で飲まれていたので、ミルクを多めにしてみました。お嫌いでしたか?」
……そんなところまで見てくれていたんだ…やっぱりせんぱいなんだなぁ…
そんな昔と変わらず色んな所に気が付けて、そして相変わらずの優しさを持つせんぱいについそんな事を思ってしまう。
というか、どうしても私の知っているせんぱいと結びつけてその名残を探してしまう。今だってそうだった。
「わたしのこと、覚えていてくれたんですね」
そう言うと、
「初対面で泣かれちゃっては、忘れられませんよ」
そう悪戯っぽく笑う姿はなんだか可愛らしかった。
初対面、そっか。そうだね。そういう風にしないとなぁ。
出されたブラックコーヒーにミルクを流して、スティックシュガーを入れて少しかき混ぜて飲む。
昨日よりも少し苦味の薄まったコーヒーは昨日よりも美味しく感じた。あるいはせんぱいの思いやりを感じるからかもしれない。
「おいしいです」
「そうですか、それはよかったです。どうぞごゆっくり」
それからは無言。
私はコーヒーを飲んで、たまに少し横目でせんぱいを盗み見た。
てきぱきと仕事をこなすせんぱいはやっぱり生徒会室で文句を言いながらも仕事を手早くこなすせんぱいと重なって見えてしまう。
色々と聞きたい事がある。
色々と聞いてほしい事がある。
せんぱいに会いたい。私の知っているせんぱいに。
目の前のせんぱいを見ながら、やっぱりそんな事を思ってしまった。
「比企谷八幡です。マスターさんって呼ばれるのは逆にムズムズするというか、お客さんは皆さん比企谷さんとか呼んでくださるので」
私の視線に気が付いたのかせんぱいは不意にそう話しかけて来た。
比企谷八幡…やっぱり。
確信がより強固になった瞬間だった。
「じゃあ私も。私は一色いろはと言います。よろしくお願いします」
座ったまま頭をぺこりと下げてそう言うと、せんぱいはなぜかぼーっとしだす。
「どうかしたんですか?」
「いや、一色っていう苗字を昔呼んだ事がある気がして。それも何回も。思い出せないんですけど、なんだか懐かしく感じて」
確かめるとしたらここだ。私は答えあわせを求めるように言う。
「もしかして、記憶喪失…ってやつですか?」
「はい。実は。二年前に事故にあったらしくて」
隠さないんだ……でも、これではっきりした。
目の前のこの人は、私が恋したせんぱいで間違いない。
心臓の音がまた一つ大きくなった。
二年前の十二月。
生徒会室で仕事をしている小町ちゃんを見ながら受験勉強をしていた時の事。
唐突にせんぱいが事故にあったという連絡が小町ちゃんのケータイに入った。
それからの事はあまり覚えていない気がする。
ショックで記憶がハッキリとしていないのだ。ただ小町ちゃんと病院に駆け込んで、そこには服に血のついた雪ノ下先輩と結衣先輩がいて、それから結局お父さんが迎えに来るまで病院で泣いていたと思う。
せんぱいとの面会許可も貰えずに、何もやる気がおこらずに学校も休んでて、いろんな事が知らされたのは二週間後。
知らされたと言っても知ることができたのはせんぱいは記憶喪失になったという事と治療の関係で家族ごと東京に引っ越すという事だけだった。
一応小町ちゃんには新しい家の住所と連絡先は貰ったけれど、そこに連絡をする気にはなれなかった。それは雪ノ下先輩と結衣先輩も同じだろう。
引っ越し前日に会った小町ちゃんはなんだかやつれていて、それでも無理に笑顔を浮かべていた。
そんな小町ちゃんを見てとてもせんぱいのことを聞く気にはなれなかった。
だからそのまま。財布に入れたままのせんぱいの家の住所と連絡先は一度も仕事をした事はない。
やっぱり、彼女達にはこの事は言わない方がいいかな。
多分彼女達はまた自分を責めてしまうから。事故の後の彼女達のことを思い出してそう決めた。
そんな事を思い出していた時、せんぱいの声がした。
「あの、一色さん。その…えっと。また、このお店に来てくれますか?」
え?
「いや、一色さんと居るとどこか懐かしい様な、なんだか暖かい気持ちになるんです。多分、無くなった記憶と関係あるんだと思うんです。だから、また会いたいなって」
記憶を失ってもせんぱいはせんぱいなのか、中々鋭い。昨日からの少しの関わりだけで私を自分の過去と関係があると導き出したらしい。
せんぱいは恥ずかしいのか、少し躊躇いながらもそう言った。
顔が熱くなるのが分かる。
そんな告白もどきをされたって…てか半分告白じゃん…!
はっ!そうだ!
こんなせんぱいのあざとさを受けた時、いつもこうしていたではないか。
そんな事を思い出した。
喉は多分大丈夫。二年前はほとんど毎日やってたんだから、多分噛まない!
やってやりましょう二年ぶりに一色いろはのひっさつわざを!
「な、なんですかもしかして口説いてますかごめんなさい二年ぶりに会えて嬉しいしむしろ会うどころか一緒に住みたいくらいですけどまだちょっと気持ちの整理が出来てないですなので私が後一ヶ月くらいこのお店に通ってからにしてくださいごめんなさい無理です」
っはぁ…はぁ…
やりきった。やっぱり相変わらず全然振れてないけど。
「えーっと…じゃあ一ヶ月の間はブラックコーヒーとミルクを用意して待ってますね」
と、せんぱいは少し頬を赤くして、頭をポリポリと掻きながら言った。
あっその仕草…私の知っているせんぱいが少し顔を覗かせたのがたまらなく嬉しい。
でもね。
どうやら現在のせんぱいには私の早口も全部聞き取られてしまうようだ。
昔のせんぱいならほとんど聞いてなかったから言いたい事言えたのに…今思えばあれ半分私から告白してたもんね…
盛大な自爆によってさっきよりも赤くなる顔を両手で抑えつつ、
「は、はい…よろしくお願いします…」と小声で言う事しかできなかった。
二話でした。
次は八幡視点での二話になります。
いろはの友人。あの彼氏出来た子の名前が美沙です。
そのうちプロフィール紹介します。
記憶喪失ですが、なんで人って記憶喪失になるんだ?事故だろ。って感じで決めただけです。
なのでその辺は気になる点があっても見逃してください。
その他、評価や感想お待ちしております。記憶喪失などの設定についてでも、なんでも気になることがあればどうぞ。大体のことはネタバレしない限りでお答えします。
では、今回もありがとうございました。