突然だが、私は文学部である。専門は平安期文学なのだが、詳細は置いておいて。
実家にいけば専門書、というか古文書や文化財級の版本もあるのだが、そこまでするほどではない。
なので、今日も今日とて《鷺沢古書店》で本漁りである。
とは言えど、頻繁に来ているため品揃えはある程度把握している。なので、大体はお茶を飲みながら鷺沢さんと話すのがほとんどである。
「瀬織先輩」
「ん?」
お茶の香りを楽しんでいたら、鷺沢に声をかけられた。何やら、困ったような顔をしていた。
「その……先輩に相談というか……」
「なんだい? 私に出来ることなら協力するけど」
そういったのだが、鷺沢さんはなかなか口を開かない。
「何か言いにくいことなら、女性の知り合いに声をかけるけど……」
「あ、いえっ、そんな大きな問題ではないんです。その、これです」
そういって鷺沢さんが取り出したのは、一枚の名刺であった。
その名刺は《美城プロダクション》のプロデューサーの名前が書かれていた。
「その、私、アイドルにスカウトされたんです」
確かに可愛いとは思っていたが、本当にスカウトされるとは思っていなかった。
☆
それは、先輩が講義でいないときのことでした。
いつものように、レジの前に座って本を読んでいると、不意に扉が開きました。いくらお客さんが少ないとはいっても、ゼロではありません。ひとこと挨拶をしてから、すぐに本に目を落としました。ここのような古書店に来るような方は、大体自分で本を探したがる方が多いので、こちらから声をかける必要は特にないのです。
なので、いつも通りであれば、もう少し本を読み進めることが出来ました。しかし、今回のお客様は、本の前では止まらず、まっすぐに私の前まで来ていました。
「……何か、本をお探しですか?」
しかし、その《女性》は、何か戸惑ったようにワタワタしていた。
「え、えっと、その、アイドルに興味ありませんか?」
そういって渡されたのは、一枚の名刺。名刺には《美城プロダクション》の名前が刻まれていました。
《美城プロダクション》といえば、私でも知っているような大芸能プロダクションです。
しかし、どうしてそんな人が私を訪ねてきたのでしょうか?
首を傾げていると、その女性――深山香(みやまかおり)さんは、ことの経緯を説明してくれました。
「そのですね、以前、弊社のアイドルから、鷺沢さんのお話をお聞きしまして、それで、スカウトに来たんです」
「アイドルさん、ですか? 失礼ですけど、人違いでは?」
東京に出てから、大学とこの書店くらいしか活動範囲がない私にアイドルの方のお知り合いなんていません。
「えっ? おかしいなぁ……小早川さんに聞いたんだけど……。あ、鷺沢さんはご存じないですか? 最近テレビにも出始めたアイドルなんですけど。小早川紗枝というアイドルです」
写真を見せてもらいましたが、それこそテレビや雑誌くらいでしか見たことがありませんでした。
「テレビなどでは見たことがありますが、面識はありません。やはり、人違いでは?」
少しお話しただけですが、深山さんが悪い人でないことはわかりました。なんとなく、スカウトの人は強引というイメージがありましたが、そうとは限らないみたいです。
「……たとえ、小早川とのお知り合いでなくても、私が鷺沢さんをスカウトしたいという気持ちに変わりはありません。貴女はトップアイドルになれる資質をお持ちだと思っています」
「私が、アイドル?」
なんというか、全くそうは思えません。しかし、深山さんの瞳は冗談を言っている方のそれとは思えませんでした。
「すみません。突然押しかけておきながら、訳も分からないですよね」
「あ、いえ……」
「とりあえず、今日は名刺だけ置いていきます。もし、アイドルをやってみたいと思ってくれましたら、名刺の連絡先に連絡を入れてください。そうしたら、私は鷺沢さんを必ずトップアイドルにしてみせます」
そういうと、深山さんはお店を出ていきました。
再び一人きりになり、静寂に包まれる。それはいつもと同じながらも、一枚の名刺がそうではないと否定してきます。
現実味のない、普通だったらすぐにお断りするような出来事。
でも、私の心臓は、いつもとは比べ物にならないくらいドキドキしていました。
☆
鷺沢さんの話を聞いて、流石に即答は出来なかった。
鷺沢さんがアイドル足り得る人物であることは私も賛成だ。トップアイドルまで上り詰めることが出来るかどうかまでは、その時になるまでわからないが、不可能とは思わない。
だが、それの舞台に鷺沢さんが上がるかはどうかは、鷺沢さんが決めることだ。
「それにしても、紗枝ちゃんが関わってくるとはね」
「その、たまに先輩がお話していた親戚のお嬢様ですよね?」
「うん。血筋は結構離れてるんだけどね。美城の寮に入ってるんだけど、ちょくちょく面倒を見ているんだ」
紗枝ちゃんは、確かにおしとやかな京娘なのだが、あれで中々お転婆娘なのだ。紗枝ちゃんのご両親が心配して、私にも声をかけてきたのだ。
「その、小早川さんに、私のことをお話していたのですか?」
「うん? あぁ、紗枝ちゃんに大学の話をせがまれたときにね」
「ど、どのような話を?」
あー。
「……秘密」
女性(鷺沢さん)の前で他の女性(紗枝ちゃん)の話をするのは失礼だからね。
「瀬織先輩~」
うん、涙目の鷺沢さんも可愛い。
それはともあれ。
「ともかく、アイドルについてだけど、鷺沢さんはどう思っているのかな?」
「その、私なんかでは……」
「なんか、だなんていうものではないよ。ねぇ、鷺沢さん」
「は、はい」
鷺沢さんは、私のことをジッと見つめてくる。
「以前、鷺沢さんは自分のことを変えたい、と言っていたよね?」
「はい。でも……」
「自分を変えてみる、ということなら、今回の件はうってつけだと思う。それに、鷺沢さんはやってみたいと思っているんじゃないかな?」
以前までの鷺沢さんだったら、名刺を受け取るだけで、私にも相談せずに断っていただろう。だが、鷺沢さんはその場で断ることなく、私にどうすればよいかと相談をしてきた。
鷺沢さんは断る理由ではなく、頷くための理由が欲しかったのだろう。
「私が……」
鷺沢さんが、少しずつ自分の気持ちを漏らし始めた。
「私は、自分に自信を持っていません。顔も髪も下げて、外にも顔を向けず、自分の殻に籠ってばかりです」
鷺沢さんの自己評価は間違っていないだろう。確かに鷺沢さんは非常に内向的な女性である。
「だけど、瀬織先輩に出会って、いろいろな景色を見せてもらって、たくさんの美しい世界を見せてもらいました。その時、ふと思ったのです。この世界にはどれだけの物語があるんだろう、と」
私が鷺沢さんの手を取って色々な場所にいくと、鷺沢さんは目を輝かせて喜んでくれた。私はそんな鷺沢さんの喜ぶ顔を見たくて、色々な場所に連れて行ったのである。思えば、随分と子供っぽいことをしていたものだ。
「だから、私はもっとたくさんの物語を紡いでいきたい。そして、できることならば、わ、私自身の物語を紡いでいきたい、と思います」
最後の決心だけ少し頼りなさげな所が鷺沢さんらしい。
やはり、鷺沢さんの心は決まっていたようだ。
「じゃあ、早速電話しないと。深山さん、だったかな。その人も喜んでくれると思うよ」
「はいっ」
そういって顔を上げた鷺沢さんの姿は、まさにアイドルのごとく輝かしい女性であった。
次回からはアイドルになった文香です。