あとがきの解説はだいたい独自設定のことだと思います。
――キーパーソンは八神はやて。
これまで集めた情報を整理すると、八神はやては全員に関わっている。加えてアリサといくらか親密になっても不自然ではない立ち位置だ。
先立っては情報を収集し、それを分析しなくてはならない。特に、高町なのは。アイツの性能の由来を知り、可能であれば我がものにするのだ。
アリサは、ただの一時の敗北程度で負けを認めるほど諦めが良くない。
高町なのはが異様なほどの高性能であっても、それは「六歳にしてみれば」という前置きがつく範囲の性能だ。
相手が人間としての常識内に収まっているのなら、アリサにとってはその高みに至るのが遅いか早いかの違いでしかない。自らのステップアップを自らに可能な範囲で早めれば良いだけの話、と割り切って考えることもできるだろう。少なくともアリサにとってはそういう話だ。
肝心なのは導き手――指導者だ。
いくら高町なのはに才能があったとしても、それがどこかに偏ることなく健全に高められているという事実から見て、絶対に有能な教育者が存在している。これは、バニングス家の有能な執事である鮫島にも考えさせたからほぼ間違いない。
そしておそらくは八神はやてを導いているのも同一人物だ。彼女たちと幼なじみである月村すずかも同門だろうと見ているが、彼女の成績を見る限り、出会いが遅かったか適正にいくらか偏りがあった、のかもしれない。誤差程度だが。
今のところ、可能性が最も高いのは『先生』だ。あの、シェフの。まあその辺りは八神はやてに確かめればいい。すぐにはっきりするだろう。
彼が目的の『指導者』であろうとなかろうと、出来る限りの関係を持たなくてはならないことに変わりはないのだ。
なぜなら彼もまた、キーパーソンの一人なのだから。
八神はやてが情報を握る鍵だとすれば、彼は高町なのはと月村すずかへ直接ダメージを叩き込むための鍵だ。
彼をいかに攻略し、どれだけ自らの利益を引き出すか。そこで高町なのはと月村すずかが受けるダメージに大きな差が生まれる。店でのやり取りでそれは確信した。敗北はしたが得られた情報も確かにあったのだ。
理想は彼を完全にバニングス家へと取り込んでしまうことだが、彼は高町なのはの母と強い利害関係を結んでいるらしい。アリサはまだ仕事や恋愛がよくわからないが、両親が仕事のパートナーとしての顔を見せた時に雰囲気が似ていたように思う。
ならば接近による利益配分の変化こそが理想的だろうか。即ち、現状で高町なのはたちが受けている恩恵が削られ、将来アリサの受ける恩恵が増す形。
――パパと旅行の約束をするような感じかな。あの時はママに怒られてたし。
アリサはちょっと情けない父親の姿を思い出してクスリと笑う。
そしてますます関係の構図が似ていると確信を深めた。
アリサが関心を引き、甘える。高町なのはが嫉妬する。愉快そうである。
大人はそれを略奪愛とか言うのだが。
――やはり情報がいる。八神はやてに接触しなくては――
◇
「うーん…………あんなぁ、なのはちゃん……」
「んにゃ? どうしたの、はやてちゃん? 都内のマンションは諦めたの?」
「それはもう先生に怒られたからええねん。老後を考えるには早いーって。……じゃなくて、私の知っとるアリサちゃんやったら、まだ諦めとらんよ?」
「えっ」
「ネチネチと嫌がらせとかはせんやろから教室では止めんかったけど、終わりがはっきりせん勝負やったら諦めないうちは勝負が続いとる、くらいには考えるんちゃうかなぁ、たぶん」
「……そう、なの?」
「アリサちゃん本人は勝ち負けがハッキリしとる勝負のが好きっぽいけど、今回は点数も出そうにないしなぁ……なんか景品とか賞品とか心当たりある?」
「……うーん? ……、………………。…………先生かも」
なのはが嫌そうな、そして深刻そうな顔で告げる。
「アリサちゃん、先生を専属コックにしたいって言ってたの」
「へー……え? アカンわ。そんなん戦争やろ」
「でも先生に断られてたの!」
「おぉ。悲劇は回避されよったか」
「でもまだ諦めてなかったら……先生のことを調べると思うの」
「ふむ……先生なら店におるときなんかアプローチかけやすいやろぉしなぁ」
「あっ! アリサちゃんの家のシェフを連れてくるつもりかも!」
「あー、なんや教室で言うとったプロのシェフがおるとかいうヤツやな。え? 戦争?」
◇
「ああ、はやて。いいところに居たわ」
「ん? なんや、アリサちゃんが図書室に来るなんて珍しいなぁ」
「ちょっと調べたいことがあったのよ。それに、貴女に聞きたいこともあったし」
偶然を装ってはいるが、アリサははやてたちの会話に聞き耳を立て、はやてが放課後に一人だけ教室へ荷物を置いて図書室まで来ていることを確認してから行動している。
高町なのはと月村すずかが同席した状態での会話も想定していたが、彼女らはどこかへ出かけるとかで二人で帰って行ったようだった。
荷物を持って図書室へ立ち寄っている可能性も想定していただけに、アリサにはやや拍子抜けに感じられたほどだ。
「珍しいこと続きやなぁ。なんや、言うてみ?」
「翠屋のディナーを予約したいんだけど、連絡先とか知ってるかしら?」
「おぉ、そら、なのはちゃんが言うとったヤツやな。ちょぉ待ってなー」
本にしおりを挟んで携帯を取り出したはやてを尻目に、アリサは考える。
――高町なのはと、今回のことを話し合っていたのね……。そして翠屋の連絡先も普通に知っている、ということは――
「翠屋っていえば、貴女は『先生』の得意料理を知ってる?」
「んー、先生はなんでも得意やしなぁ…………って、月ノ輪先生のことやよな?」
「ええ、そうよ。高町なのはと月村すずかがそう口にしてたから、貴女にも通じるんじゃないかと思って」
「ふふーん? ……まあ、せやな。調べればわかることやし隠すこともないから言うけど、翠屋のディナーで出るんは基本は創作フレンチ系のコース料理やで」
「ふぅん。やっぱりそうなんだ」
意味深に頷いたアリサに、はやては首を傾げた。
「おりょ。知ってたん?」
「サラダを見てそうじゃないかって思ってただけよ」
似通った料理の多いイタリアンとフレンチのコースだが、サラダが出される順序や使われるドレッシングは異なっていることも多い。
喫茶店のメニューにその違いを求めるのは少々酷かもしれないが、『先生』がレベルの高い料理を作っていることを考えれば、当然それらの違いは知っているであろうと素直に考えられる。
その上でコースの体裁を取っているのなら、喫茶店のメニューとして多少のアレンジはされていても、コースの上での役割は変えていないだろうと予測した。
「ほーん。なるほどなー。まぁ喫茶店やからランチのコース言うても全体に軽いし、創作系やからイタリアンテイストが混ざるなんてときも結構あるんやけどなー」
「へぇ。それは知らなかったわ。ありがとう」
この会話からだけでも、はやてがコース料理について一定の知識を持っているとわかる。それは同じ『先生』に師事しているだろう高町なのはについても近しい予測が立てられるという意味で、アリサにとって貴重な情報だ。
その辺りの思惑は伏せたまま、アリサは素直に礼を告げる。
「ふふ、どういたしまして。ほい、これが電話番号や」
向けられた携帯電話の画面を前に、アリサは必要以上の笑顔を浮かべないよう気を引き締めなくてはならなかった。図書室で電話番号を聞き取りやすく口頭で伝えるのは難しいだろうと考えての作戦が見事に当たっていたがために。
アリサは、朝に一度確認したその番号をゆっくりとメモ帳に書き込みつつ、携帯の登録に店員の写真が使われていることや分類情報を確認した。
――八神はやても翠屋の関係者と見ていいわね。メールアドレスはmomoko……つまり高町なのはの母親のものも併記してあるみたいだし。
「ありがと、はやて。――そうだ。今からここで料理のレシピを探すつもりなんだけど、良ければ翠屋のディナーで出るようなメニューを教えてくれない?」
少々わざとらしかったかと思いつつも、必要なことだと割り切ってアリサは作り物の笑顔を崩さない。
「え? うーん。ああいうレシピって学校の本に載っとるもんなのかなぁ」
「近いジャンルがわかるだけでも助かるんだけど」
「へぇ。なら、助けてあげんとなぁ」
――しまった、油断したっ。
はやてのどこか含みのある視線と声、そして笑顔に、アリサは自らの失策を悟る。だが、多少の情報流出は覚悟の上だ。リスクとメリットを天秤に掛け、改めてそう判断した。
「高町なのはから聞いてるみたいだけど、先生のお料理がとても美味しかったから少し興味がわいちゃったの。だから勉強してみようと思ったのよ」
嘘は言っていない。「(先生に)興味がわいた」し、「(目論みがあって)勉強」するつもりだ。
もっとも、求められてもいない説明を自分からしてしまっている時点ではやてにある種の確信を抱かせていたことには気づいていなかったが。
「そうなんや。実は私も、先生の料理を手伝えるようになろー思て、勉強中なんよ。仲間やなぁ、アリサちゃん♪」
「あら、じゃあ良ければ私にも教えてくれないかしら」
人懐っこい笑顔を浮かべるはやてに、幸先がいいとアリサはほくそ笑んだ。
この勉強は、翠屋という高町なのはのテリトリーで優位に立つため必須の努力であるとアリサは思っていた。
アリサは翠屋でのディナーにバニングス家のシェフを連れて行く気でいる。フレンチであるかを確認したのもそのためだ。
レシピを勉強するのも、会話を高度にすることで高町なのはの介入を防ぐため。できることなら口出ししてきた高町なのはに「貴女にわかるの?」と言ってやりたい。
幸いにも自分はバニングス家のコックたちから教えを受けられる立場にある。ある程度レシピを絞り込んで関連する用語を抑えるだけなら、来週までという限られた期間でも、十分に形に出来る自信があった。高町なのはと、オマケで月村すずかが付いてこられない会話に仕立て上げられれば十分なのだから。
八神はやてとの会話で得られる知識のレベルを一つの基準にする。そのために、アリサははやてへと真剣に向き合った。
幸い、と言うべきか。バニングス家の令嬢であるアリサには、メニューや技法に関する基礎的な知識が備わっていたし、食べる機会のあったレシピも多く、学習のとっかかりとなる記憶もあったため自信を持って勉強を進められた。
その結果わかったのは。
「足りないわね……」
「ん? どないしたん?」
「学校の図書室の本だけじゃ知りたいところまで知れないっていう話」
「あー……ディナーメニューの詳しい調理法あたりになると、図書館まで行かんと見つからんかもしれんなぁ」
「図書館って言うと、市立図書館?」
「せやで。あぁ、そや! アリサちゃん帰りはいつも車やろ? 時間があるなら今から私が一緒に行って案内したろか?」
その瞬間、アリサの頭脳は凄まじい勢いで回転を始める。
「えっ? それは助かるけど……お願いしていいのかしら?」
戸惑ったフリを見せた時点でアリサの答えは決まっていた。もちろん逃す気はない、という方向で。利をちらつかせてでもアリサに都合の良い位置へ縛り付ける気満々である。例えば送迎の車を出すことであるとか。
「ええでええでー。図書館で本とか借りるんやったら、最初は大人の人に付いてきてもらって図書カード作らなあかんし、逆に車は都合がええな」
「ああ、そっか。そういうのもあるわね」
アリサ的に図書館は中立地帯である。
それに図書館への寄り道ならば大人への印象も良いだろう。
負けて悔しいからフクシュウの為に牙を研いでいる――などという事実がバレるのは、アリサ的にはよろしくないのだ。
最も、未だ親にバレていないと思っている辺りはまだまだ子供である。
急に図書館へ行くなどと言い出したアリサに、何も言わず「畏まりました」と頭を下げた鮫島もまた、やや生温かい気持ちでアリサを見守る一人だった。
◇
「レシピだけでも結構あるわね。ここも三冊までしか借りられないのかしら」
アリサは知ったばかりの学校の図書室のルールを披露する。自分から率先して読書することなどなかったせいか、少しばかり得意げである。
「ここは八日以内の返却なら五冊までええんよー」
「……そうなんだ。それじゃあ中を見て五冊選んじゃうから、少し待ってて貰える?」
正直に言ってアリサは少し傷ついたが、しかし今はそんなことより大事なことがあるのだと思い直して気合を入れた。
写真やイラストの量よりも情報の質が求められるのだ。文字を追う習慣のないアリサにとっては最初の一歩こそ躓きたくないのだから真剣にもなる。
「ええよー。それなら一度閲覧室に行くのがええな。私も見たい本があるから、ちょぉ取ってくるついでに閲覧室見てくるなー?」
「わかったわ。行ってらっしゃい。私は先に図書カードを手配して……その後はここで本を探しているわ」
この時アリサは気付くべきだったのだ。自分とほぼ同レベルの頭脳を持っているだろう相手が、全く自分の思惑通りに動いているという事の違和感に。自らに置き換えてみればすぐ分かったはずなのだ。
一連のやりとりで流れを掴んでいたのが、誰であったのか。
料理本の棚を眺めるアリサの背後に、人の気配が静かに近づく。図書館であるから当然だが。
「…………あれ? なんでアリサちゃんがいるの?」
!!?
「たッ――高町、なのは……!」
とっさに声量を抑えられたのはファインプレーであった。
そこには本を取りに行ったはずのはやての他に、学校から一度自宅に帰ったのだろう、私服姿の高町なのはと月村すずかがいた。
アリサは『どういうことだ』とはやてを睨む。が、当人はへらへらと笑ったままだ。
「やー、閲覧室を見に行ったらそこでなのはちゃんたちと会うてなー」
「私たちより後から学校を出たのに、私たちより早く図書館に着いてるなんてズルいの」
「なのはちゃん、ごめんなー。図書室でアリサちゃんが本を探すー言うから手伝ってたんやけど、学校の本じゃ書いてあること足りひんでなぁ」
「にゃ? アリサちゃんも?」
「なぁんだ、そういうことだったのか」と、なのはは納得しかけて――
「翠屋のディナーで出るような料理のレシピは、学校の本には書いてないからなぁ」
空気が固まる音がした。
空調のゴォォという小さな音だけが、四人の間に流れている。
一番最初に状況の整理に乗り出したのは、生まれ育った環境から、比較的に修羅場慣れしているすずかだった。ちなみにこれは自慢ではなく不満である。
「えっと――どういうことなのかな、はやてちゃん?」
事を荒立てないよう選んだ言葉だが、はやてにはこれだけで通じるはずだ。はやてのような社交的な人間が、状況を理解していないとは思っていない。
案の定、はやてからは戸惑うこともなく思惑を説明するような言葉が返ってくる。
「アリサちゃんが翠屋のディナーで出てくるようなメニューのレシピを勉強したいて言うてなぁ。私もその辺の勉強しとったからちょうどええて思って、アリサちゃんにレシピなんかを教えとっただけやよ」
すずかは「なるほど」と思った。つまり中立の立場で双方に支援を行っているのだ。
アリサへはレシピの提供、なのはとすずかへはアリサの行動の情報を提供する形。子狸のくせにコウモリとは笑わせてくれる。
現状で受けている利益はアリサの方がやや大きいだろうか。だが、なのはたちへもアリサに教えたレシピを伝えないとは言っていない。今の立場と有利不利を思えば、間接的に享受する利益ならなのはたちの方が大きいくらいだ。
「……そうなんだ。じゃあ、私も教えてあげるよ、アリサちゃん!」
「貴女は必要ないわっ、高町なのは!」
アリサの即答に、セリフに合わせて即興で取り繕ったなのはの笑顔がビキッと固まり、またしても空気が凍てつく音がした――気がした。
といっても当たり前の話だ。アリサはなのはが知らない話を知りたいのに対し、なのははアリサが調べる内容を把握したいから申し出ているのであるから。そこに互いの利益が共存する可能性などない。
もちろん、アリサが学習している範囲をあえて高町なのはに把握させておき、本番でしゃしゃり出てきた高町なのはを相手にその思惑を思い切りひっくり返してやる――などという手も考えなくはないが、アリサは基本的にそういうだまし討ちが嫌いだし、高町なのはが戦いの場に確実に出てくるとも限らない。
そもそもこの上から目線の高町なのはに『ものを教わる』という行為が、アリサ的に全く『あり得ない』のだった。
故に「ノー」である。
「――でも私、デザートのレシピははやてちゃんよりも詳しいよ」
「あらそう。それならはやてでも分からないことがあったら聞きに行くことにするわ。それで満足でしょ?」
なのはの機嫌が、バブルでも弾けたかのように急降下を始める。
「ねぇ、どうして貴女はそういう言い方するの?」
「必要ないって言ってるのにしつこいのは貴女でしょう」
幼女と言っても良いだろう小学一年生の女児たちが、大人顔負けの迫力でにらみ合う。
「まあまあ、なのはちゃんもアリサちゃんも落ち着いてやー」
「はやてちゃん!」
「はやて、貴女も」
「今日は私がアリサちゃんに教えるって話やったし、なのはちゃんが遠慮してくれへん?」
はやての口からたたみかけるようにされた提案に、『はやてに約束を破らせたくない』なのはが押し黙り、アリサも推移を見守る態勢に入る。アリサのそれが『こじれた瞬間に罵れるように』という思惑でなければ、大人な態度だったかもしれない。
「――わかったの。だけど、あとで絶対お話聞かせて貰うからね!」
そこはなのはとしても譲れない点だ。むしろ今も情報収集を諦めてはいない。なにせ、なのはは一言も「情報収集しない」などとは口にしていないのだし。
そしてアリサにもメリットが残っている。元よりリスク覚悟で追いかける立場にあった自分が、それを知られていることを前提に、知られて困らない範囲ではやてに教わるという話になっただけだから。
露見が早かったことこそ計算が違ったが、ここからは少し慎重になる必要があるだけで、未だにメリットの方が大きいままだ。目的地の情報がなければルートを定めることなどできない。
「じゃあ、私たちは先に本を借りてこよう?」
振り返ったなのはが聞こえよがしにすずかへ声をかける。そして、この場で仕掛けられることは仕掛けておく。
アリサは高町なのはとそれに続く月村すずかの姿を目で追い、その狙いに気付いて思わず席から立ち上がりかけた。
なのははアリサたちのすぐ側の本棚の前で堂々と本を物色して、しばらく悩んでフランス料理の棚からブレゼ(蒸し煮)の技法について書かれたものを取り出したのだ。
「おーい、なのはちゃーん。その本、今から読みたいんやけどー」
「あ、そうなんだ。ごめんね、はやてちゃん」
体だけははやての方へと向けつつ、わざとらしくアリサへと視線を向けながらニッコリと笑って謝った高町なのはが、その手でアリサの前に本を差し出す。
大人びてはいても所詮は子供である。
月村すずかが小さく吹き出すのがアリサの視界に入った。敵認定である。はやてが急いで口元を抑えたのはアリサの視界に入らなかった。セーフである。
――こっ、こいつら、やっぱり……!!
挑発と情報収集を一挙に行う、領海侵犯と船舶拿捕の合わせ技のような偵察活動。
日本人だったら黙っているのかもしれないが、アリサに流れる合衆国の血が泣き寝入りを許すとでも思っているのか、高町なのはっ、月村すずか……っ!
が、耐える。こうして挑発しているということは、挑戦を受ける準備ができているということに他ならない。アリサに最適な反撃のタイミングは今この時ではない!
念のため拳は握っておくが。
「あら。ワタシじゃなくて、はやて。でしょウ? いま、アタシは。別の本を読んでいるの。見てわからないのかしら。高町ナノハ……!」
声が詰まり、震えたのは、アリサの中ではノーカンである。大事なのは決意だ。
「あっ、そうだね。だけど、その本を読み終わったら次はこの本だろうから、ここに置いておいてあげるよ。アリサちゃん」
親切に見せかけた起爆スイッチの押し付け合いが始まった。
「――私は、必要ないと言ったわ。高町なのは」
「私が借りようと思った本を、アリサちゃんたちが使うっていうことでしょう?」
「貴女は、図書館に来た目的を果たせばいいの。私の邪魔をしないでちょうだい」
「私は図書館へ本を借りに来たんだよ。貴女の邪魔だなんて……言いがかりだよね」
「い、言いがかり、ですって……?」
「ここへ来てからの会話を思い出せばわかると思うの」
六歳児たちの会話のドッチボールが続く。
「そういえばおかしいわね? このコーナーに来たとき、貴女たちはいなかったように思うけど」
「二人の方が図書館に早く着いていた、って聞こえてなかったの?」
「あら、貴女たちはあっち――閲覧室の方から来たじゃない。それって変よね」
「私たちはいつも、閲覧室が空いているのか先に確認するの。あ、もしかして図書館にはあんまり来たことがないのかな。アリサちゃん?」
「っ、貴女の利用方法が常に正しいとでも勘違いしているのかしら。高町なのは」
「ッ」
市立図書館どころか学校の図書室ですらこれまで見かけなかったアリサから挑発され、読書家のなのはは激怒した。必ずかの邪知暴虐の小娘を始末せねばならぬと決意した。
「二人とも、図書館で騒ぐのはダメだよ」
「あっ。――ふー……。ごめんね、すずかちゃん」
――コイツ、またか!
高町なのはを助けつつ、周囲の環境や置かれた状況を盾に、またしても自分に謝らせようという性悪すずかの狙いに気付きアリサは激怒した。絶対その流れに乗ってやるものかと決意した。
「……そうね。忘れるところだったわ。月村すずか」
「っ――うん、他の人の迷惑にならないようにね」
そうしてアリサは「反省はするが謝っているとは取られない」ギリギリの表現を選ぶ。ついでに「お前を忘れるところだった」という意味を込めて、月村すずかへの挑発も。月村すずかの笑顔にヒビが入ったことに気が付いたのはアリサだけのようだったが。性悪のクソガキにはちょうどいいカウンターであろう。
しかしその手段はともかく結果には助けられた。今の仲裁は高町なのはを救うためのものであるが、アリサにも同等以上の恩恵があった。
なぜなら、ここで下手に引き分けても次に敗北する可能性が増すだけだからだ。図書館で騒ぎを起こせばはやての顔に泥を塗ることになる。はやてから協力が得られなくなれば、次の『戦い』において十全な成果が望めない。
だとすれば、この状況での最良の一手は、勝利でも引き分けでもなく、結末の回避。
――大丈夫。アタシは最善手を取ってる。
今のように彼女らがフォローしあえるタイミングで事を起こすべきではない。やはり、勝負は翠屋でのディナーの席からだ。
「おまえなんかに、絶対に負けない!」と言わんばかりに瞳を燃やすアリサ、「わたし吸血鬼だけど、いいのかな?」と言わんばかりの目で獲物を見るすずか、「お話する時が楽しみだなぁ」と言わんばかりの笑顔を浮かべるなのは。
全員が全員、視線を集めるほどに整った容姿であったため、迫力もひとしおである。
三人は、はやてを除いた周囲の一般人には地球で一番おっかない女の上位三人であるかのように見られていた。
聖祥大付属小には図書館の利用者から『一年生くらいの女の子四人が料理コーナーで「その髪を引っこ抜いてカツラにしてやろうか」と言わんばかりの迫力でにらみ合ってて非常に怖い』という苦情が寄せられたが、悪戯電話と判断された。
ただ一人、はやてだけが本物の笑顔を――たぬきのようなにやけ顔を浮かべていた。
少なくとも今回は最悪の事態は避けられたのだから、これで十分だと思うべきだろうな。
「わたし、化け物だけど(そんな態度とって)いいのかな、アリサちゃん……?」「人間をなめるな、ばけものめ」
アリサとの絡みから、すずかが夜の一族であることを受け入れるという王道展開。ありきたり。
はやてが子狸。ありきたり。しかし老後に備えて都内のマンションを購入しようというはやては珍しいはず。ありきたりじゃない!
なのはが文学少女になっていたり、はやてやすずかと一緒に図書館に通ったり。ありきたり。
すずかがちょっと腹黒かったり。ありきたり。
そしてヤンもアリササイドで参戦。なんやこれミラクルやん(関西弁)
なお、このアリサの好物はメロンパンではありません。そんな声優ネタをポンポン投げ込むわけないでしょっ、このバカ犬ッ!
海鳴市立図書館。海際で潮風にさらされる立地であり、維持費が高いので市議会で問題視されている。月村家やバニングス家などの大型寄贈者が複数存在しているため、蔵書は100万冊を超え県下最大の図書館に。景観は良い。外観も今のところ綺麗。