結論から言おう、俺はドイツに残った。
今はリューベックのフリードリヒ邸の近くにある、使われなくなっていたアトリエを間借りさせてもらっている。
マルギッテがフランクさんに掛け合ったくれたらしい。
「にしても速攻で釣り免許取るなんて相当好きなんですね。釣り」
フリードリヒ邸の近くにある小川に釣り糸を垂らしていると一緒に釣りをしているリザがなかなか釣れない事に業を煮やしたのか、おしゃべりモードに入った。
「むしろ免許が必要って知らなかったらドイツ語すらまともに勉強しなかっただろうな」
ドイツでの釣りには免許がいる。自転車に免許が必要なのは有名な話だがドイツでは釣りにも免許を取る必要がある、流石規則の国と言ったところか。
「読み書きはできても話せないあたり分かりやすいっスよね」
リザとそんな他愛もない話をしていると背後から声を掛けられた
「ここにいたのか、リザ。隊長がお呼びだ」
重低音の声を響かせるのは鋼鉄鎧に身を包んだ猟犬部隊員。鋼鉄のテルマ・ミュラーだった。
「俺、なんかしたっけ……」
「報告書に不備がったらしい、それも複数」
「マルはともかくフィーネに知られたら殺される! テル、釣り竿見といてくれ!」
「おい、ちょっと待て。私は了承して……いないぞ……」
テルマが断ろうと声を上げるがリザは遥か彼方だ。
「なんなら帰るけど」
「いやいい、男嫌いは認めるが。だからといって他人に迷惑はかけたくはない」
小川に座る鉄巨人………なかなかシュールである
「む、お前の釣り糸には浮きが付いてないようだが」
「目が見えないと付いてても関係ないからな、音とか指にくる振動でどうにかなるようになった」
テルマから話しかけてくるとは思っていなかったので、意外に思いつつも浮きの付いていない釣り竿について説明をする。
そんな時、リザが置いていった竿から伸びる糸についた浮きが震えるように水面で動いた。
「そろそろ掛かるぞ」
「なに⁉」
魚が餌をつついているので教えるとテルマが急いで釣り竿を確認する。
しかし金属音を鳴らし一歩動いただけで軽く地面が揺れるのだから魚は驚いて川の奥へ引っ込んでしまう。
「……………」
動かなくなった浮きを二人で見つめ、気まずい沈黙があたりを包む。
「別に帰っていいぞ、釣り竿見てるだけなら俺一人でもできるし。非番なのにその格好でリザを呼びに来たってことは俺が居るの確認して、わざわざ着込んできたんだろ?」
男性恐怖症であるテルマは鉄の鎧に身を包んでいないと男に近づかない。
リザから今日はリザとテルマそしてジークが非番と聞いていた。
リザを呼んだのもマルギッテに頼まれたのではなく自主的な事のはずだ。
「なんだ急に、釣り竿の番など別に負担ではない」
「テルマは休みなんだしさ。俺、というか男と一緒にいる時間は少ない方がいいだろ?」
「………別に鎧を着ていれば問題ない」
気を使ってみたが逆に意地になったのか、頑として隣から動かなくなってしまった。
「問題ないってか、休みなんだから自分の好きな事してこいよ」
「お前の隣で釣り竿の番をするのがやりたい事なのだ! 文句ないだろう」
本格的に意地になってアホなことを言い始めてたので仕方なく説得は諦める。
リザも書類を直せば戻ってくるだろうから長くても三十分ほどの辛抱だろう。
「「……………………」」
釣りなんてものは待つものだ、ならば話すことが無ければ黙るのも仕方がない。
元々、魚を釣る事よりも目が見えない己に慣れるために始めた習慣の様なものであるため、魚が釣れないことに関しては頓着していなかった。
一種の瞑想に近い修行の様なもので、奉もリザが戻るまでその様に振舞おうとしたがテルマは沈黙に負けてしまったらしい。
「隊長から聞いたが鍛錬の申し込みを断っているらしいな」
「あれは鍛錬じゃなくて決闘の申し込みだろ」
「隊長と仕合えるなどそう出来る事ではないぞ、欧州の神童と謡われておられる程だからな。それを断るなんてそれでも武人か!」
ずっとそう考えていたのだろう後半は熱の籠った口調に変わっていた。
「武人じゃないからどうでもいいわ」
「あの腕前で武人じゃないだと?」
「姉貴についていくには最低限の強さがないと梁山泊に居られなかったからな。裏方仕事でも腕っ節がないと生きていけないってのは世知辛いよなー」
「………どのような訓練を積んだのだ?」
躊躇いがちにテルマはそう問いかけてきた、男嫌いのテルマがなぜこんなに会話を振ってくるかは謎だが最後の問いは真剣そのものの声音だった。
「槍の扱いは基礎を突き詰めた。戦い方の方は姉貴にボコられながら編み出した」
「目が見えない状態でどうやって猟犬部隊の攻撃を完全に読んでいたのだ?」
「気合半分、誘導半分だな」
「どこに攻撃させるかをそちらで選んでいたと?」
そゆこと。と奉は頷くと手にしていた釣り竿を強く引っ張った。
片手で竿を引っ張りながらもう一歩の手で網を掴むとあっという間に魚を引き上げる。
「急にどうしたよ、鎧越しからでもしょげてんの分かるぞ」
「隊長以外は奉の目が見えていない事は知らされていなかったのだ。だからとは言わないが、私の攻撃がほぼ無意味だった事で己の実力に自信を無くしている」
愚痴なのだろう。彼女の取り囲む人間関係を考えれば愚痴を言える人間は皆無に等しい。
半年後には居なくなる上に実力という点においては認めている奉だからこそ気の迷いから心情を吐露してしまったのだ。
「テルマの実力というより鎧の性能の問題だろ。お前自体の実力は知らねーけど」
故に奉は核心を突く。半年後には居なくなる存在であり、最初は殺すつもりで敵対した者であり。現在は世話になっている恩人として中途半端な慰めの言葉は出てこなかった。
「認めたくはないが、俺は世の中で強い方だ。そんな奴と張り合おうってんならその鎧作り直した方がいいし、お前自身も鍛えなおした方がいい」
「…………………」
その言葉にテルマは押し黙る。奉はテルマに視線を向けてみるが分厚い鎧の内側にいる人間の感情なんて読み取れるはずもなかった。
目が見えなかった時はこんな感覚だったな。とテルマから視線を外し餌を取り付けた釣り竿を川に向かって振る。
「それに直接その手で気に食わない男をぶちのめした方が気分いいだろ」
最期の言葉にテルマは小さく笑ったが、マイクで拾えなかった声が鎧の外に漏れるはずはなかった。
それからテルマは黙ったまま、リザが帰ってくるまで二人で更に三十分ほど待っていた。
だが、二人の間に流れていた空気は決して悪いものではなかった。
――――――――――――
「こんな夜更けに部屋の明かりがついていると思えば、テルでしたか」
時刻は深夜の二時を回った頃合いだ。
技術開発を目的とした工房の一室でテルマ・ミュラーは鎧の再設計をしていた。
マルギッテは仕事の帰りなのだろう書類の入った鞄を持っている。
「はい、奉との戦いでまだまだ改善の余地があると判断したので鎧の再設計を考えていたところです」
机の上にはクシャクシャに丸められた紙や大きくバッテンが書かれた紙が溢れかえっていた。
「そうですか、彼と戦えるだけの代物を作るとなると簡単にはいきそうにないですね」
「はい。参考のために壁を超えた強さの人間の戦闘映像を観ましたが、少し自信がなくなりました……」
テルマは顔を暗くして映像を思い出す。そこで戦っていたのは川神鉄心と百代の稽古の映像だったが、鎧を着た己ですらあっさり負けると想像がつくものだった。
その映像を観終わって奉に言われた言葉を思い出し、気合を入れなおして設計図を書いていたのだ。
「私も同じです。奉と戦い、自信を無くした」
テルマの表情から何かを感じたのかマルギッテが不意に言葉を吐いた。
「隊長も?」
マルギッテに尊敬というより崇拝に近い感情を抱いているテルマにとって、負けたとはいえ自信を無くすなんて言葉が出てくると考えていなかった。
「彼はアレで本気でない。いえ、初めから全力でしたが、最後の拳を受けて分かりました。奉の最も得意な戦い方は
「槍ではなくですか?」
奉の槍捌きを見れば彼がどれほど修練を積んだかは一目で分かった。だが直接攻撃を受けたマルギッテは何かを感じ取ったらしい。
「奉が最初から素手で本気で殴りかかってきていたら………恐らく私は死んでいたでしょう」
「最後に受けた拳がそれほどには見えませんでしたが………」
「隠す事でもないので言いますが、あの拳をトンファーで防いだにもかかわらず、私の腕は粉砕骨折をしていました」
「そんな⁉ あの後も普通に任務に参加してましたけど……まさか骨折をしたまま?」
「ジークのおかげで治るのも早かったですし、その間は戦闘ほとんどしませんでしたから」
確かに副長と共に後方からの指示が多かった。一応戦うこともあったが基本的にはトンファーがまだ届いていないとして蹴り技が主体だったのも覚えている。
マルギッテは床に転がっていた没案の設計図を拾い集めるとテルマに手渡した。
「神童と呼ばれた私も所詮は井の中の蛙。欧州から外に出れば格上の人間などごまんといるでしょう、なにより四つしか歳の違わない奉にあそこまで差を付けられれば自信の一つや二つ失って当然です」
一通り床を片付けたマルギッテは扉へ向かうとテルマに微笑みかける。
「今日は疲れた。一緒に帰りますか? 一杯奢りますよ」
マルギッテはテルマが頑張っていると度々ご飯やお酒を奢ってくれる。
これから飲むにしては少し遅い時間だが、憧れの上官からの誘いを断る理由にはならなかった。
テルマが目に見えて嬉しそうに片づけを始めるのを確認してマルギッテは変わったなと心で呟いた。
(戦闘関係とはいえテルマから男性の話題が出てくるとは、いい兆候です)
「お待たせしました。隊長!」
「近場となると、そうですね。では黒兎亭に行きましょうか」
二人は行きつけのBARへ道を進んでいく。
結局、一杯とは言わず奉に対してのお互いの意見で白熱し。五、六杯は酒を飲み、翌日の二日酔いに繋がるのだがただの自業自得である。
奉への風当たりはその日一日強くなったが。
猟犬部隊とのお話楽しいんで川神行き遅くなりそう