微笑みの戦士-ベルゲは往く- 作:Wojtek
この試合でその後の戦車道の命運を決する、ある事故が起きた。
これはその時に起きた「ボタンのかけ間違い」から始まる物語である。
カラミティ トリガー
この世界には、「戦車道」という武芸があった。
曰く、伝統的な文化であり、世界中で女子のたしなみとして受け継がれてきた云々
曰く、礼節のある慎ましくしとやかで、そして凛々しい女子を育成する云々
曰く、良き妻、良き母、良き職業婦人になれる云々
曰く、女子としての道をきわめる……
その日は、ずっと雨が降り続いていた。
その降りしきる雨のもと、第62回戦車道全国高校生大会の決勝戦が戦われていた。
黒森峰女学園の1年生、西住みほは、乗車にしてフラッグ車のⅥ号E型「ティーガー」のキューポラから身を乗り出して、副隊長として率いる車列と、進むべき進路を見つめていた。
みほは以前から車長として戦車を率いるときは必ず、ペリスコープに頼らずこのようにして自分の目で周囲の状況を確認する。みほの姉、西住まほもまた同じだった。
本物の徹甲弾ではないにせよ、戦車砲弾が飛び交う試合場でこのスタイルを通すものはほとんどいなかった。
ましてこの日は強い雨が降っているのだから、なおさらだった。
彼女たち姉妹は、「西住流」と呼ばれる戦車道流派の宗家家元の子女であり、その後継者と目され、そして常にその実力を示し続けなければならない立場にあった。
黒森峰女学園は高校戦車道の強豪校であり、全国大会9連覇を成し遂げた名門である。
この日の戦いは10連覇の大台のかかった戦いだった。
そして西住姉妹の率いる今回の黒森峰選手団が完勝することを疑うものはいなかった。
余談であるが、「戦車道」には「女流」と言う言葉はそもそもない。
なぜならば、戦車道は女性たちの始めたものと言うこともあるが、この時代にあっては軍隊民間を問わず、人道目的の車両を除き、男性は装甲車両に乗車することを事実上禁止されていたからだった。
当然、どの国家においても戦車兵はすべて女性である。女性の社会進出を一切認めない、ほんの一部の国を除いて。(そのような国にはタンケリー・マーシャルアーツはなく、また、この世界で禁忌とされる男性の戦車兵がいた。)
決勝戦の相手は、青森県の「プラウダ高校」
旧ソ連の第二次大戦期の戦車を用いる学校だった。
黒森峰は、同時期のドイツ戦車で統一されている。
操作教育、整備等のことを考えれば、どこかの国の戦車で統一する方が便利ではある。
最もそれができるのは、その国に属する提携校があり、予算が潤沢な学校に限られる。
予算の乏しい学校は、値の安い戦車ならえり好みなどしていられない。
必然的に雑多で弱い戦車集団になる。
戦車道を含むタンケリー・マーシャルアーツで用いられる戦闘車両が、第二次大戦終結までの戦車やパーツに限られているのは、その後の戦車の価格が高騰していることや、現用の最新鋭戦車を軍人以外のものに扱わせ、機密が漏れたら目も当てられないという身も蓋もない理由からだった。
第二次大戦期で個性的な戦車の時代、小国でも自国で戦車を開発していた時代が終焉することも関係があるだろう。こうして旧時代の遺物たちの生き残りの多くが、スクラップにされることもなく第二のご奉公をしているのだ。
だが、それとて学校が支弁できるような費用でできる話ではない。そう、実際には戦車道連盟を初め各流派や戦車道授業を行う学校には、国家予算から膨大な補助金が支出されている。しかも、概算払いではなく前金払いである。補助金が膨大なのは、また別な理由もある……
このとき、黒森峰戦車隊は一体となって行動しておらず、隊長まほが率いる本隊と、みほの率いる別働隊に分かれて行動。
別働隊は行動困難な桟道をあえて進んでプラウダ隊の後背を奇襲する手はずであった。
しかし、この作戦は読まれていた。
プラウダは重戦車1両を含む火力の強力な戦車を抽出して打撃群を編成し、フラッグ車防衛隊が地形を利して防戦する間を利用して黒森峰別働隊を一気に殲滅。その中に含まれるみほのフラッグ車を撃破して勝利するという短期決戦に出たのだった。
あとすこしで別働隊が桟道を抜けるところで、プラウダ打撃群が出口を制圧して展開した。
みほの別働隊は桟道の途中で横隊に展開することもできず、縦隊のまま戦うことを強いられた。
プラウダ側はIS-2とT-34系列で編成された部隊であり、みほのティーガーを除いてⅢ号戦車しかない黒森峰側は、接近戦とはいえ苦戦必至だった。
そして綻びがしのびよる。
黒森峰隊プラウダの決勝戦は、一気に決着に向かおうとしていた。
迂回挟撃作戦とそれを読んだバックハンドブローの結果、桟道の出口でみほの指揮する別働隊と迎撃するプラウダ隊が砲火を開く。
ほぼ出会い頭であり、お互いに敵情を把握しないうちに統制のとれない乱戦となった。双方の通信は、指示と報告の応酬でパンクし、誰が何を話しているのかも分からない。
そのさなか、その事故は起きた。
先頭車両の黒森峰8号車が至近弾を浴び、崩れた路肩から崖を滑り落ち、折からの雨で増水した川に沈んだのだ。
8号車はみるみるうちにその姿を川の中に沈めた。乗っていた者は何が起こったのか分からぬうちに動力と電源を失い、水のなだれ込む狭い空間に閉じ込められた。
全没したⅢ号戦車には人数分のハッチがあったものの、水圧で押された状態では人力で開くことは不可能だった。
車内に空気が残っている状態では開かないハッチを必死に開けようとして、暗闇の中、乗っている者たちはパニックに陥った。
そして彼女たちがパニックに陥って何もできない間に、車内は水で満たされていく……
キューポラから身を乗り出していた西住みほはこの瞬間を目撃していた。一瞬、自ら川に飛び込んで助けようという衝動に駆られた。
だが、眼前の戦況はそれを許さない、とみほは思った。
「審判だって、他の戦車の人だって見ている、大会本部はもう知っているはず、すぐに試合は一時中止される。今はこのフラッグ車を守らなければ負ける」
―――それはあるいは悪魔のささやきだったかも知れない。
そしてみほは、頭を切り換えて僚車に指示を出す。
「通信手、麾下全車に伝達!全車停車しつつ敵正面から11時の方向を向いて!
他の全車は牽制射撃、有効にならなくてもいいからとにかく当てて!
16号車は側面の斜面を超えて本車の前に出て。装填手、弾種撤甲で連続装填!
砲手はスターリンのショットトラップを狙って撃破するまで射撃を続けて!」
Ⅲ号の50mm砲では、IS-2はおろかT-34の正面装甲に有効打を与えることさえ困難だ。
競技弾は徹甲弾を模した「見かけだけの」砲弾であり、「カーボン」と呼ばれる特殊防護装備を裏面から施した装甲を実際に貫徹することはない。
砲弾が命中した際に、砲弾と戦車に取り付けられた計器が攻撃の有効無効をシミュレートして、撃破か否かを判定する。
砲弾側の運動エネルギーが著しく不足した場合は、装甲に貼りつくこともできずに実戦同様弾かれてしまう。
ティーガーの通信手は、崩壊寸前の車間通信に向けて「副長車、全車傾注」を何度も繰り返したあげくなんとか通信可能状態に立て直し、ようやくのことでみほの指示を伝達した。
統制射撃に移行したことで、練度で上回る黒森峰隊は射撃速度でプラウダ隊を圧倒し、正確な照準を困難にしていった。
そして、ティーガーから発射された88mm弾は、IS-2の砲塔の半円形の主砲防循、その下半分をかするように当たり、弾道を下方向にそらし、砲塔下部に挟まれるようにして薄い車体上部装甲に命中、IS-2の判定装置が被撃破と判定して白旗が揚がる。
あとは「昼飯」を向いたティーガーが微妙に動きつつ、T-34を各個撃破することで時間を稼ぐ。8号車の代わりに後続のⅢ号が1台、なんとかティーガーの前に出た。これならⅢ号が撃破されても追加射撃は禁止されるので、ほぼティーガーは安全になる。
みほが何かがおかしいと思ったのはそのときだった。いつまでも試合中断の指示が来ない。
桟道側を監視していた審判は、突如起こった激戦の結果をフォローするだけで手一杯だった。
みほ以外の選手たちはどちらもペリスコープから外を見ており、黒森峰8号車の水没に気がついた者はいなかった。川面は見えないのだ。
手にしたタブレット端末で被撃破車両の認定を行っていた審判は、あり得ない場所に被撃破を示すマーカーが表示されて、やっと川の方を見た。
そこにはかろうじて川面から頭をのぞかせている、白旗の先端が見えた。ようやく審判は、黒森峰8号車が完全水没したことを察知した。
「運営本部、Cジャッジ、至急、黒森峰8号車が会場中央の川に水没。位置送ります、
直ちに試合中断と救助を願います。どうぞ」
しかし、運営本部からは、数分たってから「中断はできない。業務を遂行しつつ指示を待て」という通信が来たのだった。