微笑みの戦士-ベルゲは往く- 作:Wojtek
黒森峰8号車が渦中に水没したとの第1報が審判から発せられたそのとき……
運営本部でも、急速に変化する両陣営の動きについて行けず、8号車の位置を示すシンボルが異常を示していることを認識した者はいなかった。
8号車が水没したとの第1報を受けたときも、TV局の中継カメラは車外に半身をさらす西住みほを画面の中央に映しており、その場に居合わせた者が誰も8号車の事故を察知していなかったことがわかる。
運営役員は中断するかどうかを直ちに決められなかった。ここで中断を伝達しても、通信密度の上がった今の状況では徹底できない可能性が高く、競技弾であっても砲弾飛び交う中、救助隊を送り込むのは不可能だった。しばしの逡巡の後、彼らが中断を上席役員に具申しようとしたときに、それを総裁席に座っていた人物が遮った。
「まあ待て、あと少しでプラウダのフラッグが墜ちる。全国の耳目が集まっているところに水を差すのはどうかね。しばし待たれよ」
プラウダのフラッグ車が撃破され結果が確定すると同時に
「全車両停止せよ、事故発生。
各車両は、自走可能なものは順次本部前に集合、被撃破車両は機能ロックを無線で解除するので、解除後同じく本部前に集合。自走不可の車両の乗員は、僚車にデサントして帰還せよ。当該車両は翌日以降回収する」との指示が出た。
黒森峰8号車水没からすでに15分が経過していた。
救急隊員と救難作業艇が駆けつけ、水中作業員が作業を開始するまでさらに15分。
すでに5人とも意識のない状態であり、ハッチの多いⅢ号戦車とはいえ救助は難航して、作業員は浮上したり再び潜ったりを繰り返していた。
足場が悪すぎて、重機で戦車をつり上げようとすれば、逆に川に転落する危険さえあった。
その間に全選手及び役員は、観客スタンド前の表彰会場に慌ただしく集合し、予定より遅れて閉会セレモニーを開いていた。
セレモニーは予定より短縮され、終了後選手や役員たちに対する取材を申し込む記者たちに「事態の把握に努めているため、後ほど正式な記者会見を開く」と宣言して、役員たちは逃げるように会場を後にした。
選手たちはすでに裏門から連盟差し回しのバスで会場から連れ出されていた……
選手たちは、動揺が落ち着くまで待機させるという理由で、連盟が手配した施設に、外界からの情報をすべて遮断されたまま収容された。
全員一人ずつ個室に収容され、黒森峰とプラウダのみならずチームメイト同士でさえ接触することを禁じられていた。
1時間後、みほが収容された部屋に役員らしき人物が入ってきた。
「西住みほさんはいるかね。ちょっと来ていただきたいんだが」
会議室のような部屋にみほは通された。U字型の会議卓には連盟理事長をはじめ連盟の幹部たちがすでに着席し、立ったままのみほを見つめていた。
自分が見聞きしたことをすべて正直に話すよう促されたみほは、ありのまますべてを話した。
連盟幹部らはしばらく何かを話し合っていたが、理事長はおもむろにそれを制止すると、みほに向かって口を開いた。
「西住みほ君、君の話はよく分かった。……だが、今話したことは、誰に対しても決して話してはならん。
なにしろ試合終了前に事故のことを知ったのは君だけなのだからな。
このことが知れると場合によっては君の母校の黒森峰や、君の実家の西住宗家の存続の危機につながりかねん。
……この件は我々に任せたまえ。大丈夫だ、問題にならぬよう収拾する。これは君だけの問題でないことを理解するように。
……では、部屋に帰って休み給え」
すでに事故から3時間が経過していた。
8号車の5人は、全員はぼ心肺停止に近い状態で病院に搬送され、このときすでに1人の死亡が確認されていた。
そして、その日の日付が変わるまでに、5人全員の死亡が確認された。
夜半、寝ていたところを起こされたみほたちは、学校側がチャーターしていたバスに乗せられ、人目を忍ぶかのように、車もまばらな高速道路を通って地元への帰路についた。
引率職員が携帯で何か話している。電話を切ると職員は顔を上げ、こう告げた。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。
……たった今、8号車の5人全員が、お亡くなりになりました」
みほは、それを聞いた瞬間、自分の背後でなにか重い鉄の扉が閉じられたかのように感じた……
……この事件は全国紙ではベタ記事の扱いであり、テレビのニュースでは事故発生と5人の死亡を伝える短いニュースが1回ずつ放送されただけだった……
翌朝――
黒森峰の地元には、とても全国大会10連覇という偉業を成し遂げたとは思えない、悲しみの空気が漂っていた。
すべての旗が半旗となり、黒いリボンが添えられていた。
黒森峰選手団は凱旋どころか、まるで葬列のごとく、いや、まさに葬列そのものだったのだが、沈痛な面持ちで帰ってきた。無言の帰郷となった5つの棺と共に……
ただ、日本戦車道連盟の本部は、この日記者団の姿もなく、まるで事故などとうに終わったかのように、通常の業務を執り行っていた。
「みほ、そろそろ支度しろ。つらくとも行かねばな」
5人の合同葬儀の日。すでに喪服を着用した西住まほは、部屋着のまま座り込んでいるみほに声を掛ける。
「……お姉ちゃん……私、行けない……あの人たちに会えないの……」
嗚咽もなく、ただ涙を流すだけのみほ。そこに家元であり母である西住しほが上がってきた。
「みほ、行きましょう。
今日まで一緒に戦ってきたあの人たちにお別れを言わなければなりません。
西住の家に連なる者として、一門の……」
「どうしても行けないの。私は、私は……あの人たちを助けられなかった……」
「それはあなた一人の責任ではありません……」
「みほ、そんなことは……」
「ちがうの!
お母様、お姉ちゃん……私は……あのときあの人たちが川に転落するのを見ていたの……」
しほとまほの目が大きく見開かれる。みほは泣いていなかった。ただ、まるで涙腺が壊れてしまったかのようにうつろな瞳、開いた目から涙を流しながら、話していた。
「あのとき、私は、審判の人か役員の人が気づくと思って、目の前の戦いでいっぱいいっぱいで、だから……でも、あとで連盟の人が事情聴取したの……」
「みほ、それは知っている。私もてん末を聞かれた。だが……」
「そして教えられたの。私以外、だれも見ていなかったの、知らなかったの。私しか助けられなかった。でも私は、あの人たちを見捨ててしまったの!!」
「……」
「私があのとき戦車を降りて助けに行けば、その時みんなが気がついたわ。あの人たちだって死なないですんだかも知れない……」
「それでは、もしフラッグ車を捨ててしまったら、あなたたちは負けて……」
「……お母様、……私にはわからない!何が正しくて何が間違っているのか。もう何もわからない……でもあの人たちは、私が死なせてしまったの、私が殺してしまったの。それだけは本当なの!事実なの……私は、私は……もう誰からも許されない……」
みほは、そこで初めて声を上げて泣いた。いつまでも、泣き続けた。
やむをえず、しほとまほは、みほのことを使用人の菊代に託して葬儀に向かった。
それは奇妙な葬儀だった。
事故死した生徒たちの親たちは、学校関係者に詰め寄ることもせず、ただ悔しそうに泣いていた。そう、悔しそうに……
通夜の時には一騒ぎあったという。なのに一夜明けた今日は口に出せない思いでもあるかのように、拳を握って黙って泣いていた。
しほには思い当たることがあった。いや、もうすでに何度も見てきたことと言って良いだろう。
だがそれは、戦車道というものを後世に伝えていくための、やむを得ないことなのだと、しほは信じていた……
みほは、その夜ずっと眠れなかった。
疲れ切っているのに、頭にもやがかかっているような状態なのに眠ることができなかった。
ふらりと立ち上がって、部屋を出て、階下に降りる。
どこかで、聞こえないはずの声が聞こえた……
『私ハ、死ヌベキナンダ』
救急車が、サイレンと赤色灯の尾を引き、まだ明けぬ夜のとばりを切り裂いて疾走する。
「はい、自傷事故。女性1名、通報ではオーバードースとのことです。受け入れをお願いします」
「救急処置室、了解。胃洗浄の用意をして待ちます」
深夜、たまたま目を覚まし、リビングに明かりがともっているのをいぶかしんだ菊代の叫びで起きてきた家族たちが見たのは、意識を失い横たわるみほの姿。
「みほ……これは……」「何があったというの……」
「薬という薬をかき集めて、飲んでしまったんだ。気を失っている」
答えたのは西住常夫、しほの夫であり姉妹の父親だ。
救急車が到着し、救急隊員が来てみほの容態を確認する。
「直ちに生命の危険があるわけではありませんが、救急病院に搬送します。特にかかりつけの病院はないとのことでしたので、私たちで搬送先は確保してあります。どなたか同乗をお願いします」
「私が行こう。君たちは後から来てくれ」
常夫は、意識のないみほとともに救急車に乗って、搬送先の病院へ向かう。
病室では、胃洗浄の処置が終わったみほが目を覚まさないままベッドに横たわっている。
「あなた、みほは……」
「とりあえず容態は安定してるようだ。ただ、薬物の大量摂取というのは、確信的な自殺企図よりも、むしろ計画性のない発作的なものが多いんだ」
「……」
「リストカットもそうだが、正確には自罰感情なんだよ」
「お父様、それではみほは」
「先生も、意識を取り戻さなければ断定できないと言っていたが、単極性か双極性、つまりうつ、またはそううつに近い状態のようだ。君たちの前で落涙していたということはなかったかい?」
「……はい、しきりに涙を流していました」
「そうか……何があったんだね?」
話を一通り聞き終えた常夫は、夜明け前の最も深い闇を、腕を組んでじっと見つめていた。