微笑みの戦士-ベルゲは往く- 作:Wojtek
発作的に大量服薬し、救急搬送されたみほは、搬送先の病院で入院しながら経過観察することになった。
精神症状によるものならば、また何らかの自傷行為に至る危険があったため、症状が落ち着くまでの間は、入院させるしかなかった。
「単極性の気分障害です。わかりやすく言うなら『うつ病』の急性期です。
不眠、意欲と思考力の低下、感情の平板化が顕著です。抗うつ剤と鎮静剤、睡眠導入剤を処方して様子を見ています。摂食障害が重いですね」
医師はしほたちに、抗うつ剤の効果は二週間ほどたたないと現れないこと、その後症状の改善が見られた段階で帰宅させ、通院治療に切り替えること。回復期に入ったら、通所リハビリが必要なことを説明した。
「では、学校の方は」
「復学については、こちらで可能と判断してからになります。それまでは休学と言うことになります」
「家族としては、どのように接していけばよろしいでしょうか」
「見守ってあげてください。精神のエネルギーを回復させてあげることが治療ですから、外出や運動を無理にすすめず、とにかくゆっくり休ませましょう。お母様のお立場は存じておりますが、叱咤激励のたぐいはお控えください。あとは自己判断で服薬を中止しないことです」
「今日は会えますでしょうか?」
「症状が落ち着くまで、お会いにならない方がよいでしょう。なにしろ食事もできない状態ですから」
みほは、何も考えることができないままベッドに横たわっていた。ただ横になっていたかった。食欲もなかった。退院できなくなると言われ、食事代わりのエンシュアリキッドを日に三度、無理して飲んだ。
眠前薬を飲まなければ、あいかわらず入眠できなかった。薬で眠っても浅い眠りであり、熟睡感は全くなかった。そして必ずあのときの夢を見る。眠ることさえ恐怖だった。
そのようにして二週間がたち、容態はやや落ち着いて、少しだが食事ものどを通るようになった。
この日の診察で、退院と帰宅の許可が出た。
家に帰ったみほであったが、今度はほぼ一日中、ひたすら眠るようになった。起きるのは食事の時だけ。しかしこれは急性期の時は必要なことであった。
しかし眠りも、みほにとって安住の場所ではなかった。
いつも、あの日の、Ⅲ号が崖を滑り落ちて川に水没する情景を夢に見る。
やがて、その睡眠時間も徐々に短くなり、真夜中に目を覚ましていることが多くなった。
ある晩、ふいに階下のシアタールームに行ってみようと思った。
陶芸家の窯元で、古美術商でもある常夫は、経済的には西住の家とは独立していた。むしろ流派に対して経済的な支援をする余裕があった。
たぶん本名より雅号の方が通りがいい。
西住流は、門弟の数も多く、良家の子女も正統派である西住流を選んで入門するため、国や連盟の補助をほとんど受けていない。
そのため連盟に対しても強い発言力を持っている。
一方で常夫には、いろいろといひゅうもんな側面もあった。
彼の書斎、といっても12畳ほどの広さの部屋の一面が書棚、入り口のある壁にはCDラックやLPレコードの棚、書棚の反対側には何とも形容しがたい灰色の大きなスピーカー一対と、ラックに載せられた真空管多数、ロクサンとか言うレコードプレイヤー、そういった古いものに混じって、やはりみほには理解できない新しめの機械がケーブルを引き回しながら雑然とつながっている。書斎の真ん中より書棚よりの方に平卓と座椅子、そして騒音のしないパソコンとモニター。古いものの方は常夫が生まれるずっと昔に作られたものだと聞かされていた。彼はCDやレコードを直接聞くのではなく、スマホやPCを操りながら音楽を鳴らしていた。でもスマホやPCには音源ファイルは入っていない
アナログレコードが聴きたいときは、プレーヤーと真空管アンプで大音量だ。
まだみほが小学生だった時分、このろくでもないスピーカーのお化けが父の書斎に運び込まれ、音出しをしたとき、あまりにも酷い音にあきれたものだった。
常夫は休みのたびに、このお化けスピーカーと取っ組み合いを演じていたが、とうとうギブアップして専門家に助けてもらうことにした。
年代物のイタリア車にのってやってきた、どう見てもオーディオ屋さんと言うより広島のそのスジの方のような風貌の人物と、全然似ていない子息が、何故かハイテンションで「お化けスピーカー」をほめている。
やたらと「ア○テック」という言葉が出てくるので、たぶんお化けの名前がア○テックというのだろうとみほは思った。
半日ぐらい掛けて、彼らは帰途につき、常夫は上機嫌でレコードに針を落とす。
何をどうしたのか見た目には変わってないように思えたが、みほにとって幸いなことに、この日以後「怪鳥の鳴き声」を聞かされることはなくなった。
そう、みほは遊びに行かないような時は、たびたび父の書斎に入り浸って珍しい本を読んだり、厳格な母にはできないような話を父に語っていたのだった。
書斎とは別に防音処置された12畳ほどの部屋があり、常夫はそこを液晶プロジェクターを中心にしたシアタールームにしていた。
こっちは趣味全開の書斎と違って、至極オーソドックスにまとめられていた。
スピーカーは○&Wの「普通のもの」らしい。黒森峰の音楽室にあるのは、同じ会社の巨大カタツムリだった。そう、父が寄贈したものだ……
プレイヤーはオ○ポ、アンプはプ○イマーとマク○ビとかいっていた。分かるのは何故か据え置きゲーム機が4つぐらいあることぐらいか。
DVDやブルーレイが並ぶ棚。この中には日本語音声どころか字幕すらない、どうやって再生するのか分からないものから、今では見なくなった子ども向けのものまである。
そういえばここは、母や姉からいろいろレクチャーを受けた部屋でもあった。
戦車道関連のディスク、試合を記録したディスク……
つらい思いに駆られて棚の扉を閉めると、入りきらず棚の上に積まれていたDVDケースの一つが床に落ちた。
みほは、そのソフトを手に取ってみる。ビニールのラッピングは外されていた。
それは、どう見ても幼稚園児程度を対象とした、とあるアニメ番組の劇場版だった。そんなものがなぜここに? 年少組のころ、みほもその番組は見ていたが、手に取った作品が上映された頃はみほは小学校の高学年だった。父が買ったというのだろうか。
あと、もう一つ気になるものがあった。父が以前買ってきたまま、開封もされず、埃をかぶっている限定版のDVDBOX。何でも父が小学生の頃、まだ「アニメ」という言葉がなかったころに見た「テレビまんが」で、本放送が不評で短縮され、その後再放送もされず忘れ去られたものらしい。
そんなものをわざわざ買って、しかも放置してるとは何とも父らしい、とみほは思った。
その二つを持って、みほはシアタールームを出た。この部屋はちょっと居づらかった。気が向いたら、自分のノートPCで見てみるかと思ったのだ。
薬が効くようになったからと言って、みほの状態が急によくなったわけではない。
朝昼晩、食事代わりのエンシュアリキッドを飲む以外はもっぱら寝ている状態が続く。
相変わらず、あの事故は夢となってみほをさいなむ。
夜中に跳ね起き、朝まで眠れないこともよくある。
そんなある日の夜中にみほは、おっくうだなと思いながら、シアタールームにあった例のDVDを見る。
ノートPCを立ち上げ、イヤホンを指し、ドライブにディスクを入れて再生。こんなことでさえおっくうに感じる。
最初は10分見ているとそわそわと焦燥感が募って、何も頭に入ってこないでつらかったが、徐々になれてくると、今度は幼児向けの明るい世界観がつらくなった。
世界はきれい事に満ちているわけはない。
……みほは泣いた。とにかくつらいのだ。
その晩も、見るとではなく、ぼんやりと画面を眺めていたみほ。
だが、その日はこれまでと違ってなぜか違和感を感じていた。
昔見たことのあるシリーズなのに、こんな物語だったのか?と。
幼児だった時分には分からなかったことがある。
今、成長し、病んでいるからわかるのかもしれない。
人の本分と使命を問う物語……
自分のしてきたことは、いったい何だったのだろうか?
ただ、戦い、勝つことだけを求められてきた日々。でもそれは、自分のためでも他の誰のためでもなかった。そして自分は仲間を見殺しにした。どうしてそうなったのか。
物語のクライマックスで流れる男声合唱の重々しい歌声とともに、今それが真っ直ぐに突きつけられているとみほは感じた。
――いまの彼女は、すこしせん妄気味なのかもしれないと自分で思う。。
だが、みほはつぶやいた、「そんなのは、……嫌だ……」
――最後は幼児向けらしく、よくあるデウス・エクス・マキナなハッピーエンドだったが、みほはそれについては、もう気にならなくなっていた。
「……お父様、……これ見ていい?」
昼夜逆転生活もある日を境に終了し、まだまだ時間はかかるが、布団をベッドに陸上自衛隊高等工科学校生徒のように折り目正しくたたむようになり、食事も少しずつとれるようになったある日、本当に久しぶりに日中に部屋から出てきたみほは、常夫に未開封のDVDBOXを見せて、そう尋ねた。
「みほが持っていたのか……かまわないが、大昔のものだし、君にはつまらないと思うよ。……でも、何もしないで座り込んでいるよりいいかもしれないね」というのが常夫の返事だった。
みほは部屋に帰って、箱を開封する。が、タイトルで頭痛を感じ、サブタイトルでよろめいた。
「あはは……ひどいわこれ」
そして気がつく。声に出して笑ったのも久しぶりだと。
1話だけ見て、しょーもなかったら返してきて、別なの持ってこよう。
どのみち今の気分では、とても能動的なアクションはとれない。
かつてのテレビまんがでは、三桁話数が当然だった(常夫談)事を考えると、これの話数は異常に少ない。相当つまらなかったのだろう。
そう思ったみほは、全く何も期待しないでPCにディスクをセットする。
いやー、やっぱりだめ。暑苦しくて古くさい!線もぶっとくて、熱血って意味取り違えてるし、BGMも全体の雰囲気もしけっぽいし。まあ、そういう設定なのは時代が時代だからしょうがない。第1話のラストでは、なんか出てきちゃ行けないものが出てきた。もーだめ。としか感じられず、みほは頭痛を覚える。
しかしこの視聴者を全力で突き放す姿勢は、なんかデジャブを感じる。オープニングでいきなり聞いたことのない人が監督としてクレジットされてるが、きっと相当な「いひゅうもん」だろうな。とみほは思った。
でもまあ、父が異風者だからこう言うものがあったわけで、よほどのエンスーでも持ってないんだろう。
「一回だけ通しで見てみようか」
たぶん話の種にもならないだろうが、ある意味文化財だ。どうせ時間はいくらでもあるのだから。
……まあ、実際には全体に悲しい話だったのがよかったのかも知れない。
何見ても聞いても憂鬱な状態では、ハイテンションなものは凄くつらい。かえって泣きたくなる。音楽だって悲しいのがいい。
この作品の表現が滑稽に見えるのは、単に当時の子ども向け表現がそうだったに過ぎず、内容的にはむしろディストピアの話だった。そして最後は誰も彼もが滅ぶ話だった。
ちょっと子どもにはきついんじゃないだろうか? というか小学生に理解できるの? こういうつらさ。……それじゃ不人気にもなるよね。子どもにとっては世界は明るさに満ちたものなんだから……。
――でも、自分の生きている世界だって、結局ディストピアだ。
戦車道と言えば聞こえがよいが、つまるところ自分たちは体のいいグラディエーターなのではないかと思う。そして自分が戦車道をきわめたとき、何になっているんだろうか。
これはクラブ活動ではなく、単位の取れる正課授業なのだ。旧制大学では似たようなものがあった。そして何故かどこの国にも、ある程度の文明国家であれば、タンケリーマーシャルアーツの道場はある。
西住流の勝利至上主義と、建前上の「道」としての精神論の乖離。
行き着く先は、この物語と同じ憎しみの連鎖か、悲しくそれぞれの正義に殉じるのか。
戦車に乗って戦う事は自分の使命だと、今までは疑いもしなかった。
敗者を哀れむのは、勝ったからだからこそできることだと以前なら考えただろう。
だが、今は空虚な心を抱えてさまようだけだった。生きる目的どころか、自分が生きていくことすら罪悪に思えるのだから。こんな自分にも生きることを肯定するに足る使命があるのか?使命があれば許されるのか? だからこの物語が心底悲しかった。
戦いには正義があると思っていた。だが、その戦う相手もまた同じく正義を持って戦うのだ。
「悪には悪の正義がある」とは誰の言葉だったろう。矛盾をはらんだ言葉だ。
自己を悪と規定できるのなら、相当な大人なんだろう。そして自分の生き様も、しょせん「悪の正義」とすべて飲み込むのだろう……。でも自分にはそんなことはできない。自分が正しくなければ、自分は果たして何者なのだ?
――しかし、自分にそれを問う資格はもうない、世界は自分を否定する。
それでも前に進めというのか。罪を罪として飲み込んで一切の悲しみをじっとこらえながら、重い荷を背負って、あの古風で不器用な登場人物のように平然と。
世界が自分を許す明日を信じて……